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阿部一族が痛ましい。
武士社会と言うものの、命の軽視。
森鴎外の、「心を描かぬ」手法それもまた、痛ましさを覚える。
野蛮といえば野蛮だが、その精神の独自性と忍耐強さは、私たちの過去とは思われぬほど。
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先日興味深い話を聞いて検証してみようと思った♪
【舞姫】の描写の中に宅内の様子が描かれるがその間取りに矛盾が生じるとか♪
読み終わったら図面におこしてみよう♪
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高校の授業以来数十年ぶりの「舞姫」再読。青空文庫で読むのは断念して本棚から文庫を探して読んだ。適度にフリガナがありこちらでは読めた。こうして見ると内容はともかく「舞姫」「うたかたの記」の文体は結構クセになりそう。好きな作品は「じいさんばあさん」、意外な純愛ものと「寒山拾得」。「阿部一族」「堺事件」は読みづらかったけど印象的。どの作品も、私のレベルでしか咀嚼できないけれど鴎外見直しのいいきっかけとなりました。私の古い文庫の表紙はブランデンブルグ門だった。感慨深い。
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阿部一族
又七郎が阿部家と懇意にしていて妻を見舞いにもやりながら討ち入りには自ら猪一番に飛び込んでいくという観念がわからない。
また弥五兵衛も飛び込んできた又七郎と相対して当然としているのがわからない。
お上に忠実であるならば匿う必要もないがわざわざ自ら討ち入らずとも黙っていてもよかったと思う。
しかしわからないと感じるのは時代が違うだけのこと
なぜか納得できてしまうこの感覚はやはり日本人だからか
堺事件
これもまた日本人だからか
もちろん切腹できるはずもなく、さらに大網を引っ張り出すなんてもってのほかだけれどもこの盲目、妄信、神風の思想は日本人そのものであると合点する
しかし当然自分たちも腹を切るつもりの九人が切らせてもらえず、流刑になり、士分にも取り立ててもらえないままに死んでいくのを可哀想と思うのはおかしいだろうか
かのように
最後の議論がいい
まったく違う二人が誇張も冷笑もなく互いを認めながら真剣に戦わせる様は美しい
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「舞姫」以外は初読。時代的なものなのか、よく分からないというか納得いかないのが「阿部一族」「かのように」の2つ。「うたかたの記」は本当に狂ってるのは誰だろう。「鶏」「余興」は少し笑った。「寒山拾得」は何故2人は笑ったのか。個人的には「余興」「じいさんばあさん」「かのように」が良かった。
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【印象】
日本からドイツへ留学する青年と金髪碧眼少女の愛、辛苦。
武士たちの死の連鎖と社会的圧力。兵たちの数奇な運命と時代の変わり目。
神話と歴史の分離において自身の立場に苦悩する若者。盲目性と仮定。他。
【類別】
小説。短編集。
ロマンス等。史実を題材とするものも。
【構成等】
短編としてしっかりと纏まっているものが多いように感じました。
【表現】
文語体のものもあります。
短編によって地の文の形式が異なっています。一人称視点のもの、三人称視点のもの、そのふたつが混じったようなもの。
【備考】
本レビューは1968年発行1985年改版の52刷を読んだ後に書かれました。
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僕にはまだ早かったようです・・・。
難しい・・・。
数年後に読み返せばまた感じ方は変わってくると思う。
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削ぎ落とされた文体、本当に美しいと感じます。
実は昭和25年発行、32年印刷版(旧仮名、旧字体)を実家の棚から見つけて読みました。直ぐに頭の中で変換できないせいかゆっくり読むこととなり、却ってじっくり味わうこととなりました。作家が書いた筈の文字で読む体験、貴重かもしれないと実感。
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数十年ぶりの舞姫、懐かしい。内容もちゃんと覚えていた。あまりにも人の命が軽すぎると思うが、阿部一族などの歴史物も非常に興味深かった。思うのは、鷗外はこれらの史実を書いて何を言いたかったのだろう。鴎外の思想はどこにあったのだろう。まさに"これぞ美しい日本文学"だと思うが、主題が見えない。ただ単に自分の力不足か。
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高校の教科書にあった「舞姫」はなつかしい。テンポよい語感であるが終盤腑に落ちぬところもあった。他短編が収録。2018.7.5
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日本語がうまい。無駄口がない。単純なものへの蔑視と憧れがないまぜになっている。歴史物のクールさも良いが、「かのように」や「余興」のようなエッセイに近いものも面白い。
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「舞姫」
作者のドイツ留学体験をベースにした作品
主人公は自らの意志によって人生を切り開こうとするのだが
結局は、故郷のしがらみを捨てきれず
愛した女を裏切り、ついに発狂させてしまう
そのことで自分を責める彼は
例えばそれを「新生」などと言って居直ることもできぬまま
助けてくれた親友のことを密かに恨みつつ
帰国の途につくのだった
良くも悪くもサムライというかな
「うたかたの記」
過去の出会いが運命的な恋となって
まさにいま成就しようとした、そのとき
さらに過去から不幸の使者が甦り
すべてを水の泡に帰す
なお、日本における言文一致運動はすでに進んでいたのだが
ここまでのロマン主義的なアイロニーは
すべて文語調で書かれている
鴎外じしんは、坪内逍遥との没理想論争を経て
アイロニーを脱するようにも思われたが
形としては現実に屈していく
「鶏」
日清戦争が終わって九州小倉に赴任してきた参謀の話
変わり者の個人主義者である
生活のことを下男下女に丸投げしており
米だの味噌だの卵だのを着服されてるにもかかわらず
まるで気にとめようともしない
彼にとっては、人も馬も鶏も同じく他者なのだ
それは恐らく国家主義への屈従がもたらす一種の諦念であろうが
「かのように」
例えば、神の存在証明を科学的に行うことは不可能である
しかし人間は
あたかも、神が存在する「かのように」ふるまって生きている
そのことがむしろ社会を円滑に廻しているのであれば
嘘でも神を信じることは正しいのである
人は白黒つけたがるもので
神がいるかいないかという議論にこだわり
いらぬ争いを生み出したりもするが
あたかも~である「かのように」生きる姿勢が普遍なら
平和は守られるのだ
そんな思想を抱いてドイツ留学から帰ってきた主人公は
しかし、他者との軋轢によって平和が壊れることを恐れるあまり
茶番のような人間関係しか築けないのだった
「阿部一族」
あまり気の利く家臣を持つと
なんだか馬鹿にされてる気がして、つい反発心を抱いてしまう
それこそ甘えというものだが
殿様に対してはそれを諫める者がいない
それでまあ
その家臣が家中全体のスケープゴートを担わされてしまうわけだ
乃木大将の殉死事件に触発された作品とされているが
実のところ、これはイジメの話である
読後感は非常にやりきれない
「堺事件」
幕末のころ、堺の町にフランス船員が上陸し
狼藉を働いたことがあった
土佐藩の兵士たちがこれを取り押さえようとして銃撃戦を行い
フランス人が何人か死んだ
当然、重大な外交問題へと発展して
銃撃にかかわった兵士たち二十人が切腹することになった
切腹の当日は酒を振る舞われ
会場となった寺の見物を楽しんだ後、夕方から順番に腹を切っていった
立ち合いのフランス公使は
集団自殺の凄惨な現場に耐えかねて逃げだした
爽やかなユーモ��のある話ですね
「余興」
語り手は人に群れるのが嫌いな男
しかし、つきあいでやむなく同郷人の会合に出ていった
するとその余興に、いま売れてる人気の浪曲師が出てきたのだが
語り手には教養人としての誇りがあるもので
聞きながら粗ばかり探してしまった
それでも、終わったら周りに合わせて拍手をしている
そんな自分は大人だなあ、なんてことを思って安心していたら
宴会中、酌の芸者に馬鹿にされているような気がして
大人げない態度をとってしまう
「じいさんばあさん」
隠居屋敷の老夫婦は年甲斐もなく仲むつまじい
なぜそんなに仲がよいのだろうか
小説は過去をさかのぼり
二人の若い頃から現在に至るまでを俯瞰していった
「歴史離れ」のロマンスである
ここにきて、初期のロマン主義に折り合いがついたとも言えよう
意地の悪い見方をすれば
互いに互いの姿を見ているのではなく
ひとつのロマンを並び見ているわけだが
「寒山拾得」
現世に姿をあらわした文殊菩薩と普賢菩薩は
それぞれ乞食坊主の姿をしていた
つまりどういうことかというと
軽蔑こそすれ、信仰の対象にはならないということである
しかし、社会規範では仏を測れないし
またそうであればこそ奇跡もおきるのであろう
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ダイヤモンド・オンラインに書評を書きました。→ https://diamond.jp/articles/-/275100
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『舞姫』では、主人公の太田は恋人のエリスを思うがゆえに彼女を裏切る決断ができず、取り返しのつかない状況に陥ってしまう。太田の心の弱さが際立つように書かれているが、私は「辛いけど分かる」と心を傷めながらページをめくっていた。
『舞姫』発表後、森鷗外は方々から非難され、妻との別居や文学活動の停止を余儀なくされたらしい。そうなることは発表前に予想がついていただろう。にもかかわらず、この悲しいだけの恋を執筆し発表した。ここに森鷗外の苦しみ・誠実さが垣間見える。エリスを忘れられず、かといって忘れたくもなく、書いて形にしなければ自分が壊れてしまうような、相当の後悔の果てに生まれた作品なのだろう。
太田は心の弱さゆえに酷いことをしたヤツだと当然思うのだが、私はそれを責める気にはなれない。程度の差はあれど、自分にも太田のような一面があるし、心の弱さと誠実さは表裏一体だからだ。
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昭和54年8月15日 24刷 再読
そして、たぶん、これで読了なので覚書多め
「舞姫」
1890年 初期の代表作 ドイツ三部作
前途有望な日本人青年がドイツの踊り子の美少女と恋に落ちる。恋に落ちると同時に彼の生活も荒んで行く。友人に手を差し伸べられ、妊娠中の彼女をドイツに残して帰郷し、自身の生活に決着をつける。
今でもありそうな恋愛小説。若い頃は、女性を捨て生活を立て直すのも鴎外様だから仕方ないかなと思っていたけど、実際は、日本まで追いかけて来た彼女を、厳しいお母様に叱られて追い返したらしいというちょっとガッカリ感ありでした。
「うたかたの記」
1890年 ドイツ三部作一部
これは読むのが難しくて現代語訳で。
日本の画学生が、美しく成長した昔会った花売り娘に再会。愛を確かめるも、国王まで巻き込む湖の事故で彼女は没する。
悲恋の短編ですが、国王絡みの設定が、思い切りがありすぎて、戸惑う。
「鶏」
1910年 自身の小倉での経験から
軍人の小倉での、ご近所物語でいいのかしら。
ひょうひょうとした主人公と、その回りを取り囲む小倉の人達。
「かのように」
神話と歴史 の分離について思考する青年(鴎外さんですよね)
難解ですが、興味ある主題。文庫だと読みにくいので後日、読み直し。
「阿部一族」
1913年 『阿部茶事談』下敷 歴史小説
乃木大将殉死の批判に対する鴎外の著述
熊本藩主細川忠利の死去の殉死を認められなかった阿部一族の反旗、絶滅を描く。
主従関係の重みだけでなく、殉死によるその後の一族の優遇措置、殉死への許可等、現在では理解し難い内容。
「堺事件」
1914年 幕末の堺事件を元とした歴史小説
フランスの水兵の暴挙に対抗した土佐藩歩兵隊。撃ち合いとなりフランス人に死者を出し、その罪を問われる。理不尽な処分に異議を申し立て切腹の許可を得る。くじ引きでの処分者の決定、切腹後の家族への恩恵など、混乱期の日本人の悲哀であるが、日本人・武士としての生き様がある。
鴎外の当時の西欧強国への批判なのかと思う。
「余興」
懇親会へ出向き、浪花節などの余興を楽しんでしんいるふりをする。盛大な拍手までする。そして、憂鬱になる。
ちょっと、気持ちがわかる。
「じいさんばあさん」
1915年大田南畝の随筆「一話一言」より歴史小説
年配の夫婦『じいさんばあさん』今は二人穏やかに隠居生活を送っている。
しかし、過去37年間、夫は罪を犯し越前へ。妻は一人家族を守り、武家奉公を続けていた。親をおくり、息子を亡くし、信仰を続けた妻。その人生の最後は、夫と穏やかに暮らす。
かくありたいという、ばあさんでした。
「寒山拾得」
1916年 寒山拾得縁起
これは高校現代国語の教科書で扱っていて、その縁起のラスト「パパアも文殊なのだが誰も拝みに来ないんだよ。」に、混乱した思い出がありますね。懐かしい。たぶん、この作品から森鴎外を、多少無理して読みましたね。年齢を重ねて、無理して読んでみるっていうのも若さの特権かと思います。