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ノンフィクション。
もう起こってしまった出来事を、なぜそういう結末になったのかを追っていくため、この女の子がどういうふうに人生を終えるのかを分かっているので、読んでいて胸が苦しくなります。
ここでこうしていたらとか、こんなことをしていなければとか、過去の出来事に対して“たられば”で後悔するのは良くない事と分かっていても、全ての出来事が彼女を異国の地で心中させるように向かっているようにしか思えず、いらいら、やきもきします。
もう一度同じようなことが起こったとして、今度は止められるか。
頁をめくり、最後行き着いた先、ドナウ川が静かに流れる余韻の中で、突然現れた、まだ先のことなど何も知らないような少女の写真に涙が出ました。
寝る前に読み終わったため、読後の余韻や事件の余韻や少女の人生やいろいろなことを考えてしまい眠れなくなりました。。。
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帯にノンフィクションって書いてあったけど、最後まで信じられなかった。
そして最後まで読んでなんだかぐったりしてしまった。
ほんとに起こった話だとあまりにも衝撃的すぎるから。
小説のようなノンフィクション。
そのように書いたんだろうけど。
カミィの本当の気持ちを表しているかは、本人しか分からないだろうけど、でも近いものだと思う。
読んだあとに明るい気持ちにはなれない、ずどぉ~んと重い気持ちになる本。
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19歳の少女と33歳の指揮者の男がウィーンで入水自殺をしたーーという新聞の小さな記事
何故遠く離れた地でこの日本人の男女は自殺しなければならなかったのか?
サラリと読み流せない何かを感じて調べてゆくうちに思いがけない人物に出会うこととなり
二人の男女の苦悩に近づいてゆく。『聖の青春』に続く大崎氏のノンフィクション。
読んでいてとても切なく苦しい。19歳で不本意ながらルーマニアに留学した渡辺日実。
見知らぬ土地で言いようのない寂しさに駆られ、知り合ったばかりの千葉師久と同棲を始める。
遠く離れた日本に住む日実の両親は素性のはっきりしない千葉との同棲に難色を示す。
そんな両親に反抗しつつ、心を病んだ千葉へ無償の愛情をそそいでゆく日実。
本当にこれが事実なのかと思うくらいに運命のいたずらが随所で起こる。悲しいくらいに負の方向に・・・
あのときにこうしていたら、二人は死なずに済んだかもしれない。
過去のifは言っても仕方がないこと。でも彼らを見てきた周囲の人たちは思わずにはいられなかった。
自ら死を選ぶことは残された人たちにとてつもない悲しみと後悔を与えてしまうものだと思った
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なぜ彼女は男とドナウに身を投げたのかドキュメンタリーな一冊。
小さな三面記事を突き詰めると壮大なドラマがあるのね。なんだかやり切れない気持ちになってしまった。思春期の頑なさが一人ぼっちの異国で招いた悲劇。
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大崎善生以第一人直述19歲的日實和相識不到半年的千葉一同殉情在多瑙河的始末,日實和千葉可以永遠活在多瑙河,ㄧ段無以挽回的命運,讓人唏噓。
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子どもをお金で育てた罪は重い。
読了後、真っ先に浮かんだ感想だ。
「(日本とルーマニア)どちらが自分の母国かわからない」という苦しみ、
家庭不和の過去からくる寂しさ、
そのすべてに、両親はまったくもって向き合うことをしていない。
いつもお金で場所や道具を用意して、あなたをしばることはしないから、と
遠巻きに見ているだけ。
千葉の不安定さを受け止め、深く愛し、彼を支えようと異国で
懸命にもがき続ける彼女の姿からは
「私もこうやって両親に受け止めてほしかった」という
叫びが聞こえる。
著者の大崎さんが、彼女の遺体が発見された地点へと歩みを進めながら自分の胸の中の思いを綴るシーンは、何度読み返しても、重く深く胸に迫る。
あまりにも悲しい、物語だった。
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事実を題材にはしているとしても、この作品は『小説』。生存者へのインタビューや、メール、手紙、各種題材から紡ぎ上げた、ある意味、歴史小説。
そういう意識で再読したが、これが『愛の軌跡』の話には読めなかった。
日実の心情を他の誰かが書くと、また違う日実が見えてくる気がしてならない。
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大崎さんのノンフィクションはじめて読んだ。かなりグイグイ引込まれてしまった。ただ誰にも共感できなかったけど。
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*
ドナウ川で心中した男女の軌跡を辿ったノンフィクション
安易に大崎善生の作品だからといった理由で選んだ本だけれど
しばらく実際にこんなことが起こったという事実を受け止めることができなかった
亡くなったのは私と同じ19歳の少女で
「女」というのに違和感を感じるぐらいの年齢なのに
どうしてこんなことが起こってしまったのだろうと
事件が起こったのは2001年8月3日
私が中学1年生だった頃
こんな事件があったなんてことも全く知らなかった
残される家族がつらい思いをするのを彼女はわかっていたのだろうか
彼と一緒に死ぬことが唯一の手段だと彼女は信じていたのだろうか
19歳の彼女が描く「愛」の形は一体どんなものだったのだろう
全てのレビューを見る(357)編
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自殺とか心中って不幸な偶然が重なって起きるんだなあと改めて思いました。心を動かされたのですがたぶんもう二度と読まない、というか読めないと思います。つらすぎて。
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あまりノンフィクション好きではないので、滅多に読まないんです。
でも大好きな作家さんのノンフィクションとのことで、自分が大学2年の頃に読んでみた。
内容はドナウ川で邦人男女が心中という実際に起こった出来事を筆者が追うというものでした。
その亡くなった女性が19歳の少女。奇しくもこのお話を読んだ私と同い年だったのが、とても印象に残っています。
どうしてこの少女は心中という道を選んだのか?それは自分の愛の形をこの世に残される人々に証明するためだったのかな、と私は思いました。でも実際の理由は誰にも分かりません。
残された家族の悲痛な気持ち。特に両親が相手の男性を憎む気持ちも痛いほど伝わってくるけど、その不毛さにも胸が痛みました。
残された二人の遺書からはその決意の強さが伝わってくる。
「私たちはすでに死んでいる。
ありがとう。
2001年7月30日
千葉師久
渡辺日実
私たちは理想郷にいきます」
そして二人の遺書の末尾に少女が両親に向けた言葉。
「渡辺正臣とマリアは人殺しだ。
テメェらおぼえておけ。のろってやる。死ね。
クソやろう。ぎぜん者ぶりやがって。死んでしまえ!」
どうしようもなく、ひどい言葉。
でもひどい言葉の中に哀しみと愛が籠っている気がするのは私だけでしょうか?
最後の方にに亡くなった少女の肖像写真が掲載されていて、この物語が実話だったのだと衝撃が走った。彼女のパワーの漲ったまっすぐな瞳に、心の芯の強さが伝わってきました。なんだかその写真を見たとき、涙が出てきました。
この本の内容、大人になった今でも鮮明に記憶に残ってる。
ぜひ10代の女の子たちにこの本を読んでもらいたい。
読んで疲れるという方もいるけど、それだけ人の人生が重いものだということなのだと思います。
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随分前に読んだことがあるが、すっかり忘れていて再度購入したため再読。
親の立場から言えば辛いの一言、耐えられない。相手のことも許せないだろうなと。ドキュメンタリーは辛い。
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19歳の少女が異国の地で遂げた最期の真実。
フィクションではなく、ノンフィクションであるということ。事実は小説より奇なりというけれど、これほど胸を苦しまされることなはいかもしれない。誰が悪いとか、こうすればよかったと思うことは簡単だけれど、ただ事実だけを見つめ、真実を知ることがいかに難しくつらいことなのか。
誰にも頼れず、二人きりになって選んだ最期の時。もっと違う道はなかったのかと思いを巡らせることは簡単だけれど、少女にとってはこの道しかなかったのかもしれない。
切なくつらい気持ちであふれるけれど、最後まで読むと、なぜか重苦しい気持ちだけでなくて、なんだか清らかなものをみたような気持ちになった。
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ノンフィクション小説。
33歳の自称指揮者の日本人男性とともにドナウ川に身を投げた19歳の少女。
取材により明らかになる彼女を取り巻く状況から、少女渡辺日実の思春期の葛藤と成長を深い洞察をもって描き出す。
両親、友人、誰も知り得なかった、一人の少女の生き様を掬い出した。これにより、多くの人が救われただろう。著者に敬意を表す。
パイロットフィッシュも面白かったが、ノンフィクションの方が彼の持ち場なのだろう。
読み終えた後、19歳と早くに人生を終えた日実だが、果たしてその人生の価値は、彼女の父・正臣と比べてどちらが重いのだろうか、と考えた。
おそらく、より懸命に人に寄り添い、人に必要とされ、愛を見いだし、人の人生に大きな痕跡を残したのは日実だろう。
質問をかえて、自分ならばどちらの人生を選びたいか、と考え直す。同時に、その質問は、人生の目的をどちらがより果たしているか、ということだと思う。
思い出した。
学生のとき、無人島で楽しく釣りをして暮らすという人生と、とにかく毎日胃が痛くなるような中で働きづめで人の役には立っているのだろうが個人としての幸せ感が得づらい人生であれば、どちらを選ぶか、と考えたことがあったが、そのとき、自分は後者を選んだ。人の中にいてしか自分の人生の意義を見いだせない、と思ったからだ。
ダライ・ラマは、人は社会的動物である、だから社会の中でしか生きられない、と言った。言葉を加えると、人は社会的動物である、だから社会の中でしか生きられない、なぜなら生きるとは生きる目的を果たすことであり、それは人との関わりの中でしか果たし得ないものだから。
内村鑑三が『後世への最大遺物』の中で記したように、自らを顧み、人と関わり、その生き様をもって、人にその痕跡を残していくことこそ、最大遺物であり、生きる目的であると思うから。
少し脇道にそれるが、山川草木悉皆成仏(山川草木悉皆仏性)という言葉がある。もし、人が山や川や草や木といったものとその仏性において交歓することができるのならば、私は無人島での生活を営むことでも良かったのだろうか、とも思った。そうなれば、人の中、社会で生きずとも、人生を全うすることができるのだろうか。
母・マリアは言う。
「日実にとっての事実と、あなた(夫)にとっての事実と、私にとっての事実は違う。」
その通りだと思う。私は客観的に明らかなものを「事実」と呼び、主観的なものを「真実」と呼ぶので、マリアとは言葉の遣い方は違うが、そうである。
周囲がどう見ようとも、日実は自分の真実の人生を生きた。だからこそ、輝き、周囲の人の人生にいまだなお影響を及ぼしている。
私はやはり日実の生き方に惹かれるのだろう。
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ルーマニアで命を絶った19歳の少女。彼女に一体何があったのか、著者がその謎を追いかけるノンフィクション。少女の周辺情報や現地での出来事、著者の考える少女の志向性などが丁寧に描かれ圧倒的に引き込まれた。その謎を追う旅の果てに著者が示した景色が胸に刺さる。友人から借りた本だが、出会えて感謝。