紙の本
優れた心理小説であり、また、当時の王朝や貴族のものの考え方や暮らしなどがよく描かれ歴史的な価値がある
2018/01/17 15:05
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
ようやくこの長大な物語を読み終えた。この巻十は、「宇治十帖」の後半である。私は、源氏物語の中でこの「宇治十帖」がドラマチックで一番面白いと思う。源氏物語を通しての感想は、この物語が登場人物の心の奥まで分け入った非常に優れた心理小説だということである。また、当時の王朝や貴族のものの考え方や暮らしなどがよく描かれ歴史的な価値があると思う。この物語に通底して流れる仏教からの強い影響も特色の一つである。
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圧巻のクライマックス
2021/12/27 09:09
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投稿者:藤和 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この巻ではおもに浮舟の君がメインになっていて、その数奇な運命が一番の見所。
ただ、終わり方が急で唐突だなと言う感じはした。
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瀬戸内寂聴訳
2019/12/08 20:41
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投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
瀬戸内寂聴訳、源氏物語10巻目。田辺聖子さんの訳よりも端折っている部分が少ないのでしょうか。長かった気がします。
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平安時代
2023/06/12 17:31
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投稿者:ないものねだり - この投稿者のレビュー一覧を見る
義務教育から義務ではない時間が長くなるほど、子供には言えない内容を扱うようになるのか。その事を早い段階で指摘した人もいた。
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瀬戸内訳源氏の最終巻。浮舟・手習・夢浮橋の三帖が入っている。二人の端的な男性に翻弄される浮舟の描写が素晴らしい。
瀬戸内の訳は大変わかりやすく、多少くどいくらいきちんと書き下されている。結構ストレートな性的表現もあって驚くこともあるが、万人に薦めることのできる訳と言えるだろう。しかし、これがベストかと言われると難しい。源氏のパーフェクトな訳はあり得ない。必ず訳者の色が出てしまう。いろいろな訳にふれつつ源氏の本質に近づいていかなければならないのかなと思う。
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初めて源氏物語を読み切ったあとで、源氏自身は狂言回しで主人公は物語に登場する数々の女君だったのだと知る。
のめり込んで読んでいるうちに、あっけないほどの長編小説の終り方や、1000年前も今もまったく変わらない人間ドラマとキャラクターの書き方に今もなお多くの人が虜になる理由には納得である。
優雅で華やかな源氏物語の世界に憧れるのと同時に、この長編小説が「出家物語」と言われるほどに苦しみ次々と出家していく女君たちの気持ちには共感させられてしまった。
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半年がかりでの全巻読了!
今までの源氏物語とは違う宇治十帖。
光源氏は恋愛に関しては何をも恐れなかった。しかしその孫の代である匂宮、名義上息子である薫の君は違う。どちらも浮船を遊び道具としかとらえておらず、匂宮は姉女一宮の女房にでもすればいいとしか考えていないし、薫も妻にしようなどという気は毛頭なく都合よく逢瀬を遂げられる気軽な女だと思っている。はたして光君が見たらなんというだろう…。
最初、浮船自身は都合よく遊ばれていることに気付かなかったが、尼となってからの彼女は強い。遊ばれたりなんてするもんか!という強い決意が見え、結局紫式部は何を伝えたかったのかがはっきりと分かる。
しばらくはこの大作を読み終えた余韻に浸っておきたいと思います。
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え!!!!!十巻も待たせたのに、こんな終わり方?!日本に誇る有名文学作品の終わりがこうだったとは。長い源氏物語の中で一番の衝撃がここにある。
歴史の授業を聞いていると、平安時代はとっても昔で、文明が未発達というイメージがあった。しかし、源氏物語の登場人物に触れて、現代に住む私たちと心はほとんど変わらないということがよく分かった。
源氏の栄華が語られる前半、そして宇治に舞台が移る後半。どちらも個性溢れる登場人物の心理が巧みに語られ、昼ドラさながらどんどん惹きこまれていく。特に宇治が舞台の後半は、頁をめくる手が止まらず、どこで休憩しようか迷った程だった。
寂聴氏は「男はせいぜいこの程度よ、という紫式部の声が聞こえてくる」と解説で書いているが、私には「あるよね~、そういうこと」という女房達の声が聞こえてきた。
そんな昔の物語を、こんなに生き生きとした文章で読むことができることに感謝しなければならない。他の訳本が進まなかった私にとって、寂聴氏の源氏物語は、抜きんでた名訳であった。話も面白いし、読みやすいし、是非色々な人に手にとって欲しい本である。
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「浮船」「蜻蛉」「手習」「夢浮橋」の4帖を収録した最終巻。
心が震えるほどに感動した。
四季折々の日本の風景、人情の機微、人を愛すること、そして命のはかなさなど、人が生きるということに関するおよそあらゆるエッセンスを紫式部は描いている。
それらが美しい言葉と和歌、音楽に乗せてつづられているところが本当にすばらしいと思う。
−−−−−
匂宮は、一目で心を奪われた女(浮船の君)のことが忘れられず宇治へ赴き、薫の君になりすまして浮船の部屋に忍び込むと、彼女を手に入れてしまう。
薫に申しわけないと思いながらも、情熱的な匂宮のとりこになっていく浮船は、追いつめられた末に宇治川に身投げをしてしまった。
『源氏物語』全体の中でもっともスリリングで面白いのは「若菜 下」であると思うが、「浮船」も同じくらいすばらしく、第2部である「宇治十帖」が本編に劣らず面白いと言われる理由はこの帖にあるのではないかと感じた。
浮船が死んだと聞き、悲嘆にくれる薫と匂宮。
ところが、49日を過ぎると2人とも浮船のことなどすっかり忘れたようにほかの女に心を移しはじめる。
寂聴さんによれば、作者はこの2人の様子に「男の愛などせいぜいこの程度」という皮肉を込めたようであるという。
だれからも見下げられた存在でしかなかった浮船は、紫の上よりも悲しい女性であるように僕には思えた。
「手習」では、行方不明になった浮船が実は生きていて、横川の僧都に助けられ、出家する話が書かれている。
そして、最終の「夢浮橋」で、薫は浮船の弟である小君に手紙を持たせて彼女のところへ行かせるが、浮船はつれなくするばかりで小君に会おうともしなかった。
それを聞き、おもしろくない気持ちになった薫が「誰か男が囲っているのだろうか」と想像する場面を最後に、この大長編は幕を閉じた。
意外にも唐突な、あっさりした最後に、かえって紫式部の手腕を感じずにはいられなかった。
人の一生って、本当に夢のようにはかないものなのかもしれないな。
−−−−−
2年以上かかって、ようやく54帖すべてを読み終えることができた。
僕はそんなにたくさんの本を読んでいるわけではないけれど、日本の歴史上、この『源氏物語』を超える小説はまだないんじゃないかなあと思う。
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先日、宇治川の流れの速さを見てびっくりしましたが、浮舟が身投げをしようとする山深い宇治の里、そこに流れる宇治川の流れが目に浮かぶように思います。宇治十帖の小説としての迫力には驚きです。浮舟が二人の男性の板ばさみになり、追い込まれてしまうということになるわけですが、その心の苦しさが迫真のリアリティです。浮舟の薄倖のか弱い美人ぶりの描き方が素晴らしいです。薫の君と匂宮の男性2人も魅力的な存在として書かれていますが、今の価値観からすると単なる女たらしであり、紫式部の価値観には違和感を感じます。私としては、どちらかというと人間の心を描く場面は冗長な印象を持つものの、四季の情景を描く文章力が秀逸だと思いました。特に秋風、名月、虫の音など、日本の美しさを表わすような情景表現は改めて感動します。
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巻一の読了が2009年3月10日であるから、2年8か月を費やして源氏物語を読破したわけだ。文献初出は1001年で、この長編なら執筆に10年は要したであろうから、ちょうど千年の時を経て読ませていただいた。
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さすがに長い年月にわたって多くの人にを読まれてきただけに、「源氏物語」はやっぱりおもしろい。巻六くらいから登場人物にも、流れにも馴染みおもしろくなった。数ある訳本のなかからこれを選んだのは、寂聴さんの小説も読んでいて身近だったから。各巻末の「源氏のしおり」があらすじと寂聴さんの感想があり楽しみだった。これをきっかけに他の訳本も読みたいし、源氏物語に登場する女性や男性について書かれたものも読みたい。
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いよいよ最終巻。およそ3ヶ月かけて読んできた。薫と匂宮の双方への思いをどうしていいかわからず入水する浮舟。きっとどこかで生きているのだろうと思った。だれかの策略かとも思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。どういうわけでか、いのちは助かり、記憶を失ったまましばらく生き続けていた。その後の出家。そして、薫にも知られることになり、さあ、これから話はどう展開するのかというところで、あっけない幕切れ。これだけ読んできてこのまま終わるとは。「明暗」のような未完というわけではないのだろう。「豊饒の海」最終巻「天人五衰」でも出家した女性と結局会えないまま終わるという、何ともすっきりしない思いをした覚えがある。さて、薫と匂宮。薫は光源氏の息子ではあるが、遺伝子的なつながりはない。匂宮は孫にあたるのか。ここはきちんとつながっている。女性への相手の仕方は匂宮が一枚上手と言ったところか。私は馬鹿正直な薫の方に共感が持てるかなあ。さあ、この長編恋愛小説を読み切れるのだろうかと思いながら読み始めたけれど、日々続きはどうなるのかと気になりながら読み進むことができた。社会的な背景に差はあれど、いつの世も男女の仲はおもしろい。胸がこがれるような「会いたい」という想いとか「嫉妬心」とか、そういうものは今も昔も変わらずに、人々の心の大きな部分を占めているということなのだろう。科学技術が進歩しようとも、人の脳はほとんど進化していないのだ。とあらためて思った。
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全巻4ヶ月かかりましたが読了です。
最終巻という趣は無かったですね。紫式部様もいろいろご多忙だったのでしょう。
宇治十帖が人気が高いとの事ですが、私的にはやはり光源氏と女性達のお話の方が好みでした。
あまりに有名な源氏物語の探究は研究者にお任せして。
この時代に、こんな長編を筆と和紙で描き続けた紫式部、手書きコピーしてくれただろう女官達。同世代のライバル清少納言、援助を惜しまなかった菅原道真。
もう少し他の訳者の作品も楽しもうと思う。
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橘の小島の色のかはらじを
この浮舟ぞゆくへ知られぬ
薫が宇治に隠しておいた浮舟(八の宮の三女。大君、中の君の異母妹。)を匂宮が探し出し、拉致し、宇治川の向こう岸の小屋まで連れていった。その時、匂宮は浮舟を抱きかかえ、小舟に乗せた。小舟の中で浮舟は匂宮にひしとすがり、澄みきった有明の月が空に上り、川水の面をきらきらと照らしていた。その中で、匂宮が詠んだ歌への浮舟の返歌が上の歌である。
宇治十帖の中で圧巻のこの「浮舟」の表題の謂れであり、ここでの主人公女君の“浮舟”というあだ名の謂れだ。
薫と匂宮の間で浮舟のように漂い、何処へ行くとも分からない浮舟の心。とても美しいのに、継父常陸の守の元で肩身狭く生きてきた浮舟。思いがけず出会った異母姉“中の君”を通じて、薫に目をかけられ、いずれ京へ呼び寄せるという予定で大事に大事に匿って来られた。薫の愛は勿体ないほどで、母も喜んでくれ、恩ははかりしれなかった。ところが、そんな美しい姫なら自分のものにしなくては気がすまない匂宮は、こっそり宇治の隠れ家を調べて薫のふりをして、浮舟を横取りしてしまった。
匂宮は許せない。だけど、そんなとんでもない真似をしても、美しさと品の良さと情熱で許されてしまうのが匂宮なのだ。
薫にはかりしれない恩を感じでいるのに、匂宮の愛に溺れそうになる自分を浮舟は恥ずかしいと思う。そして、二条の院で匂宮の妻となっている姉の中の君にも顔向け出来ないと思う。
薫、匂宮それぞれが京へ浮舟を迎える準備を進めていた。特に、匂宮の件を知らない薫は気の毒だ。
悩み苦しんだ浮舟は宇治川に身を投げてしまった。浮舟が急に居なくなった宇治の家では嘆き悲しみ、その日のうちに遺体も無しで葬式をしてしまう(ここが分からない。どうしてもっととことん遺体を探さなかったのか)。このことを知った薫も匂宮も悲嘆にくれた。
しかし、浮舟は生きていた。死にきれずに倒れていたところ、横川の僧都に助けられ、その妹尼君に大切に世話されたのだ。その庵にはその尼君の亡くなった娘の夫だった人が度々訪れ、そこで浮舟を見初めて自分のものにしたいと思うのだが、浮舟は頑として会わないばかりか、そんなことが煩わしくてさっさと出家してしまう。そして、人づてに薫にも浮舟が生きていることがばれ、会いに来るのだが、浮舟は尼となった自分の姿を今さら絶対に薫に見られたくなくて、手紙も「人違いでしょう」と返す。
浮舟の清々しい生き方。川に身投げしたところで、現世の自分の人生は終わったとして、誰になんと言われようと男のほうへ靡かない。そんな浮舟の気持ちを皆が邪魔する。浮舟の保護者となった尼君でさえ、尼なのに自分のほうが色めきたち、中将や薫からの手紙に返事すら書かない浮舟に「勿体ないこと」と叱る。
この巻の初めの「浮舟」では、薫の愛と匂宮の愛にはさまれている浮舟のことが羨ましかった。浮気っぽいと言われるが、それだけ情熱的なところが魅力の匂宮。恋愛上手ではないが、内に秘めた愛を貫き通す薫。
「私は薫派やわ〜」と思っていたが、浮舟が亡くなったあとの変化にはがっかりした。四十九日すぎると女一の宮の女房小宰相になぐさめられたり、女一の宮の姿を垣間見て、自分は女二の宮ではなくあの美しい女一の宮と結婚したかったと思ったり、さらには妻の女二の宮に女一の宮と同じ格好をさせて密かに愉しんだり…引いてしまった。結局、薫は中の君に対しても浮舟の対しても亡くなった大君の身代わりとして思いを寄せていただけだったのだろう。大君に対しても数奇な運命とか出家への思いとか自分と似ているところがあると思って引き寄せられたのかもしれないが、この三姉妹は尊い身分にありながら出家願望を気取っていた薫に「出家はそんな甘いものではない」ということを見せつけた。
宇治十帖は紫式部以外の人によって書かれた説もあるらしいが、私は解説で訳者の瀬戸内寂聴氏が言っているように、「道長の注文で源氏が亡くなったところまで書き上げて一旦終わらせ、何年か後にその後をゆっくり書いたのではないだろうか。そしてその時には紫式部は出家し、宇治に庵を構えていたのではないだろうか。」という説に賛成である。(原文を読んでないが)
源氏が亡くなるまでの“本編”にも沢山の女性が登場し、源氏の愛に翻弄され、運命が好転したり、出家したり、物の怪になったりと女としての大変な姿も描かれているのだが、そんな女たちの涙もかき消してしまうくらいの源氏の神々しい光が“本編”を覆い、男女ともに幾人もの人を踏台にして一族の栄華を極め続けた“一代男”源氏の人生を“善”とする“男目線”の小説である。それに対して“スピンオフ”である“宇治十帖”は源氏そっくりの行いをしている孫の匂宮、女性に対する愛の表現は匂宮とは異なる源氏の息子(表向き)薫と浮舟の三角関係に焦点を当て、女性としての愛の喜びを本編より赤裸々に描くと同時に、「愛」と言いながら、究極的には「我が物にしたい」という欲だけの男の振る舞いを冷やかに見る“女目線”の小説である。
紫式部は“本編”では道長を喜ばせる男目線の大作を書きながら、女目線でも書き分けられる、大物小説家だったと思う。
源氏物語 全10巻読了。