紙の本
「神さま」の意味はなんであろうか
2022/12/30 22:28
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投稿者:鎮文修 - この投稿者のレビュー一覧を見る
収められている話の多くが、ロシアへの旅行後の、ある一夜に書き上げられたものだそうである。
タイトルは仰々しいが中身は雲を掴むようなものが多く、理解するのが難しかった。
少なくともリルケを初めて読もうとするならこの本は推奨できない。
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難しかった。物語自体は簡単なのだけど明確に何を意味しているのかは解りませんでした。そのまま飲み込んだ感じだと、あたたかくて優しい話だと思った。もう一度よもう。リルケの言いたい事は?神様って何?日本人が信仰心の少ない民族になってしまったからそう感じるのだろうか。映画とかで外人が祈ってる姿を見ると羨ましく思う。
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かわいい。ポケットに入れて持ち歩きたい。そのくせドキリと背筋の冷えるようなことをいう。「あなたは、いまでも、神さまを、憶えていらっしゃいますか」たまらない。
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初めから終わりまで神さまの話ばかりです。
文章は詩的で美しいですが、読みにくいなぁと思うところもあります。
個人的には神さまの手についての話が読みやすくて一番好きでした。
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ドイツの詩人、リルケの初期短編集。ロシア旅行を終え庶民の敬虔な信仰姿勢に心打たれた著者が表した「神様の話」。序盤は詩人だけあって、時系列や空間をぶっ飛ばしたような表現に理解不可能な話が多かったが、後半に差し掛かるにつれ、文体に慣れたのか話の内容が砕けてきたのか、心に飛び込んでくる話が多かった。子どもに聞かせるために大人に語っている話。私たちが忘れた日常の感謝をよみがえらせる。
神様といってもキリスト教の教義的な内容よりも、本人の感じる感謝、感動を神様と呼び綴っているような感じ。素敵な話だった。
09/4/9
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日本人には馴染みのある内容。漠然とした『神さま』のある場面を、大人や社会と交差させて語らせる。現代批判的な日本昔話に近いのかな。
神様を全能なる者として書いていないのがいい。解説にあるように、何教のとは指定しなかったからできた事。
緑の多い時期に読むことをおすすめする、愛を感じられるようなときに。
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神様に関する寓話集。
たった200ページ弱の本に2年かかった。それぐらい自分には読みづらい本でした。
読んでると詩的な要素と発想が敷き詰められて、目がチカチカするんです。しかし、それこそが面白いところではある。
何がつらかったのだろうか。きっとキリスト教のように見せかけて、キリスト教とはまったく違う神様像が飲み込めない。むしろ少し気持ち悪い。きっと教義における神様ではなくて、ロシアの田舎などの民話的な神様のイメージってものが、日本人の私には遠すぎるのが問題なのかもしれない。そして私は寓話でも教訓が全面の話だと吐き気を催してしまうタイプの人間なのがいけない。
語り手は夕雲や闇に物語を語ります。聖フランチェスコか。
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この本に出てくる神さまは、どこか日本やギリシャのような神さまに感じる。
そのせいか、とても耳にやさしく、眠る前に子どもに読んであげるのにちょうどよさそうだ。
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不思議な不思議なおはなし。神さまとは元来そういうものであったはずだ。人間がことばを与えられたその時から、ひとは神さまとともに在った。
これほど、誰かに向けられた物語は他にあるだろうか。リルケの手紙もそうだったが、彼のことばには力がある。彼が何かを話し出せば耳を傾けずにはいられない。これが詩人というものか。
ことばというものの不可解さ、その偉大さを深く誰よりも味わっている彼だからこそ、紡がれる物語は、やさしさも切なさも、過去も未来もじっと沈められている、でも確かに存在する、深い水をたたえた泉のよう。
彼はこの物語の中で、語られた物語を何よりも子どもの耳に入れることを強く望んでいる。その豊かな想像力と鋭い知性、ことばに頼らずとも確かに神さまを誰より近くに感じていた子ども。いわゆるおとなが理解しているかのように振る舞う、話の筋とか流れなどなくても、子どもはことばがもつその豊かな響きでそんなもの簡単に飛び越えていける。彼が語る物語は、聞いた子どもたちひとりひとりがつくりあげていくのだ。その拡がりはなんて無限なのだろう。
別に彼は子どもを道徳的にどうこうとか、そういうのは全く考えていない。そんなものいちいちおとなが教えなくても、子どもは誰よりも知っている。むしろ、知ったふりをして教えるおとなより、はるかによく感じて実践している。
誰もがめいめいに神さまが存在している。信仰が違うとかそういう話ではなく、神さまということばをどういうわけか知っている。これは一体何なのだろうか。そして、いつの間に人間はそれをどこかへ葬り去っていってしまったのだろうか。どんなにつまらぬ指ぬきだって、その中にわたしたちは無限の神さまを見出すことだってできる。
この自分が、目に映るすべてのものが、存在しているということ。ことばのはじまり、神さまがいなければ起こるはずのないこと。それが人間を生かしている。リルケの天使ということばで潰えたあの詩が聞こえる。
ただただその不思議を伝えたい。詩人リルケはそうやって旅に出る。彼の仲間は至る所にいる。そして、彼のことばにまた無限の魂を込めてそうやって世界中どこでだって生まれ変わる。今もまた、リルケの物語が自分のなかで息づいている。そうしてまた、リルケはどこかへ旅に出る。
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童話でもなく、大人向けのもののようでもないジュブナイルな道徳小説みたいなもの。大人に向けて、寓話を語り、それを子どもに話すことに特別な意義を見出しているようでそういった機会が減っていくのをおそらく憂いて書かれたものなのかなと思わせる。神さまのいる景色。そのお話。という感じ。
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2008年11月5日~6日。
とっつきにくいなぁと思いながらも、読んでいるとグイグイと惹きこまれる。
電車の中で夢中になって読んでいて、久しぶりに降りる駅を乗り過ごしてしまった。
「指甲が神さまとなるにいたったこと」「闇にきかせた話」は絶品。
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「どうしてロシアへ裏切りなどがやってきたか」がお気に入り。書かれた時代からしても自分にとっては歴史の範囲ですが、語り部のような文章構成が全体的には印象的です。けれど、わりと読みやすい訳なので、聖書のような内容がお好きな人ならば読めるかと思います。ただ善悪という感じではなくって、どういう風に神という存在や教会を捉えていたのかという文章です。
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最後の方は、コールドプレイの、静寂の世界を聴きながら読みました。晴れた休日に。そのためか、何処となくロックリスナー的な感想なのですが、浅井健一氏の詩世界を彷彿としました。と言うのは、浅井歌詞には神がライトモチーフとして顕れ、かつ、それは、不可擬な善として描かれているわけではないからだ、と考えました。リルケの本書では、神は一義的な存在ではなく、時によっては姿を見せさえしないのですよね。でありながら、例えば浅井歌詞に、むしろ疑いのなかであれ、とうとう顕出するようにして、ほとんど疑いは裏返しであると言うようにして、物語、つまり世界と接続している。訳文のものがたさもあり、やや読み進めにくいのだが、ひかりのような、まさにリルケ体験でした。