1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
洛北街道、郡上・白川街道と越中街道、丹波篠山街道。堺・紀州街道、北国街道とその脇街道。本街道だけでなく道の隅々までも見て廻った回。
紙の本
タイトルが良いですね
2024/03/29 12:50
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
白川郷、五箇山は行ったことがあるので、情景をイメージしながら読めました。一昔前の描写なので、今は更に風景が変わってしまったことが推測され、生活し易さとの共存の難しさを感じました。
投稿元:
レビューを見る
転勤先の富山が終着点の旅「白川街道」が目当てで買ったのだけど、「洛北街道」の章がいちばん面白かった。応仁の乱を「日本史における、中世から近世の過渡期としての地殻変動」としてとらえ、フランス革命とのアナロジーで論じていくところが白眉。
投稿元:
レビューを見る
1978年(週刊朝日初出1972~73年)刊。
辿るは洛北街道。奥美濃の郡上・白川街道。丹波篠山。堺(紀州街道北部)。越前・北国街道。
白川・赤尾、僧でないのに浄土真宗を広めた道宗の足跡、堺の自由貿易港としての歴史的意味など、お目にかかれない叙述も多い。
また、地方の模様を描き出すと、あちこちの真宗の広がり具合が具体的に響いてくる。
しかし、食べ物ネタで、酒を入れた深皿に焼き岩魚を入れたコツ酒を、編集者だけが食べたのは兎も角、堺の某著名蕎麦屋は行ってみたら定休日だったというオチには…。わざわざ書かずも…。
投稿元:
レビューを見る
同じ兵庫県の丹波篠山街道が気になって読んでみたが、丹波を駆け足で通り過ぎるような印象で期待していたほどではなかった。代わりに、岐阜県から富山県へと抜ける「郡上・白川街道と越中街道」「北国街道とその脇街道」の2編は当時の山国の風景、生活が想像できて、読んでいて興味深かった。
投稿元:
レビューを見る
以下引用~
・真言密教は西洋でいう魔法である。東洋の場合、魔法が悪魔の側になくて体制の側にある。さらに西洋とちがっているのは、魔法が、真言密教という、思想を論理化したという点で完璧ともいうべき体系を背景にもっていることである。
・鳥羽院は当時一流の芸術家であったが、そうでないにしても芸術家を発見したり保護したりするパトロンとしては日本史上でも一流の存在であったことはまぎれもない。この院の北面ノ武士であった西行も、この院の異常なひきたてによって名が出たひとりである。
・日本の社会史で、この室町期の応仁・文明ノ乱ほど、ある意味では大事な時期はないかもしれない。日本にはフランス革命に相当する社会革命はなかったと思われがちだが、この室町末期におけるなしくずしの中世的諸体系の大崩壊こそそれに相当するものであったかもしれない。
・織豊期に、茶人として一世に名の高かった堺の富商が三人いた。千利休、今井宗久、そしてこの津田宗及で、織田信長に茶と貿易のすべてを指南したというこの宗及がその筆頭とされていた。