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紙の本
おとなのおとぎ話
2012/05/18 10:12
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「向田邦子全集・新版」第二巻めは、向田邦子の唯一の長編小説『あ・うん』。
支那事変前後の昭和前期の東京を舞台にした物語。暗いながらもまだいくばかりの陽光をとどめている時代背景そのままに、小さな製薬会社に勤める会社員水田仙吉とその妻たみ、一人娘さと子、それに仙吉の「寝台戦友」である門倉修造の、不思議な「四人家族」の人間模様を描いた作品である。
「四人家族」というのは正確ではない。仙吉の家は父親初太郎がいるが、門倉は別の家の人間だ。しかし、さと子の生まれた時から「影になり日向になっていつも門倉」がいた。だから、「四人家族」。
その訳は、門倉が仙吉の妻たみにぞっこんだからだ。
仙吉もそのことを感づいている。二人の間に立つたみもわかっている。
さと子だって、初太郎だって、あるいは門倉の妻君子だってわかっている。
全編門倉のたみへの想いに満ちた作品である。
しかし、門倉もたみも一線を越えることはない。
だから、この物語は恋愛小説にははいらない。もし、何らかの形でくくるとすれば、それはもうおとぎ話としかいいようがない。
この物語が面白いのはわき役たちの魅力もある。
仙吉の父初太郎、門倉の妻君子、だけでなく、門倉の二号禮子、初太郎の腹違いの弟作造、さと子の恋人義彦だって、いい。
みんながそれぞれの役柄を心得て、みごとに演じている。
主役たちの前面に出ようとするが、気がつけばすぅっと後ろにひかえている感じがいい。誰もが、この物語は仙吉たち四人の物語と心得ている風なのだ。
これもおとぎ話だからこそ、といっていい。
二人の友情など成立しないとかたみの気持ちが不十分だとかということは、この物語には通用しない。
たみを中心にした仙吉と門倉の関係が存在するとは考えられないからこれはおとぎ話であり、この物語に悪人が登場しないからおとぎ話なのだ。
つまり、時代が暗くなる前の一時の夢を、向田は描いたとしかいいようがない。
どんな時代であっても、人を幸福にするおとぎ話という夢を。
紙の本
面白くありません、なんでこんなに薄汚れた家庭を、人間関係を描くんだろう、夢も希望もないじゃないか、なんて思います。男の未練、女は理解しちゃいけないし、男はもっと毅然としなきゃ・・・
2010/04/29 20:05
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
妻妾同居という言葉を覚えたのは、たしか映画化された山崎豊子の『華麗なる一族』のポスターかなにかではなかったかしら。結局、映画を見ることも原作の小説を読むこともなしに過ごしてきてしまいましたが、私の中には「そういうのって、いやだなあ」という思いだけはしっかり残りました。潔癖症、とはいいませんが、それでなくともややこしい男女関係を、せっかく落ち着いた家庭に持ち込むなんて、とは今でも思います。
そのせいか、英国のアーサー王を中心とした騎士譚なんていうのも、どちらかというと薄汚い感じがして読む気がしません。不倫、というのに少しも憧れない。だから辻邦生の『背教者ユリアヌス』だって苦虫噛んだような気持ちで読みましたし、森博嗣のVシリーズなどに不快感を抱くのも同根なんだろうなあ、って思います。
私にとって、恋愛っていうのは疲れるものでしかない。だから家庭に入るっていうのは、恋愛から解放されて自分を取り戻すことなんです。男を意識しなくてすむ、っていうのは本当に気楽です。私自身、中高と女子校で過ごしてきたし、看護婦になる専門学校も女子しかいなかったし、そういうことも関係しているのかもしれません。
じゃあ、今、自分の家庭に突然、昔の恋人が訪ねてきたら? って考えると、胸がときめく、というよりは正直、鬱陶しい。今更出てくんなよ、なんて思ったりする。それならいっそ全く違う男の登場の方がいい。とはいえ、面倒くさいのが嫌いな私は、そんな疲れることするくらいなら旦那で我慢して、自分の仕事や勉強に精を出した方がいいや、なんて思います。ま、あくまでそういう事件が起きていないから言えることなんでしょうが。
じゃあ、結婚したあとの家庭に、自分を思っている男が毎日のように出入りする、っていうのはどうか、っていうと、はっきり言ってクソですね。未練たらしい男もいやですが、それを許している夫も嫌い。まして、それを唯々諾々として受け容れている自分に嫌悪感を抱いてしまうと思います。今の言葉でいえば、ウザイ。こういうのを何ていうのでしょうか、妻妾同居じゃなくて?
それを小説にしたのがこの『あ・うん』ではないか、って私は思うんです。だから、私としては読んでいて少しも楽しくない。苦々しい思いで読んでいます。馬鹿じゃないの、なに、この未練たらしさ、卑屈さ、そして相手の男を気持を知っていて自分の家庭に招く夫の心根の厭らしさ、正直、反吐が出る。そうなんです、私としては、少しもリアリティを感じないのです。
それは向田が描く小説すべてについて言えるのではないか、なぜこの人は人間をこんなにドロドロしたものとしてしか描けないのだろう、と思います。無論、向田がこういう人間関係の中で生きて来たとは短絡しませんが、どちらかというと普通の人たちとは恋愛観の異なる芸能関係者たちのなかで多くの時間を過ごしてきただけに、こういうことが彼女にとってはリアルだったのかな、とも思います(無論、それも芸能界に対する私たちの偏見でしょうが)。
それと時代が感じられません。話としては戦前、昭和10年代が舞台なのですが、戦争が始まっているのかもしれないけれど、それが門倉の会社の状態や、さと子の恋した男が応召するなどといった部分に出てくるだけで、あまり前面に出てくることはありません。もし、それらの記述がなかったら、戦後、それも昭和30年代前半といわれても納得してしまうのではないでしょうか。
男女関係、時代描写、私としてはどちらも肯けるものではありません。結局、向田の小説はエッセイには及ばないなあ、という今までも書いてきた結論になってしまうわけです。
最後はデータです。全集なので装丁関係は
カバー装画 上楽 藍
装丁 大久保明子
口絵写真 文藝春秋
協力 Bunko/ままや
編集協力 鳥兎沼佳代
と共通です。目次は
狛犬
蝶々
青りんご
やじろべえ
四角い帽子
芋俵
四人家族
あとがき
書誌一覧
となっています。初出は
あ・うん「別冊文藝春秋」昭和55年春季号
やじろべえ(あ・うん パート2)「オール讀物」昭和五十六年六月号
となっています。
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