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紙の本
向田邦子が、いかに生き、いかに生きようとしてきたか、いかに人間を見てきたか、いかなる人間ぶりであったか
2011/06/25 20:59
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ろこのすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「文は人なり」と言う。
文を書くということは、書き手の思考や思想、ひいては人柄までにじみでてくる。
エッセイの名人といえば向田邦子である。
本書は分厚い本である。よくこれだけの文を書いてきたものだとその分厚い全集の重さと厚さと中身に平伏するのだった。
戦中、戦後を通じて祖母、父、母、長女(邦子)、弟、妹二人の7人家族の様子はまるで昭和を代表する家族ドラマを見ているようだ。
独善的な頑固親父とそれに従順に従う母、父親の違う子供をそれぞれ二人もうけた未婚の母の過去を持つ祖母。長女として賢く気働きができた子供であった長女の邦子。弟と妹二人。
語るものは多く、その切り口は鋭い人間観察に根ざしているけれど、どこまでもまなざしは人間味に富んでいてあたたかく、この家庭だからこそ向田邦子が誕生したのだともいえる原点をみるのだった。
今まで多くの「文章読本」なるものを読んできたけれど、それから学ぶことはあくまでも文章の書き方であった。読み終わって分かったような分からないような気持ちになった。それは読み手に分かりやすいように書くこととか、何が書きたいのか的をしぼれというものから哲学的なものまであった。
しかし、いくら文を上手に書いたとしてもそれが何だ!という結論を向田作品を読んで発見した。文の上手下手などは瑣末なことなのである。
「いかに生きてきたか、いかに生きようとしてきたか、いかに人間を見てきたか、いかなる人間ぶりであったか」が文をなす最も重要なことなのだ。
小じゃれた文を書いたところでなんぼのものなのである。
文は人なりでなく、いかに生きようとしてきたかなのだ。
文を磨くのでなく人間を磨くこと。それにつきる。
向田邦子全集の随筆編を読んでつくづくそう思った。
紙の本
名エッセイ、ここにあり。もしかして向田は小説よりエッセイのほうがうまいかもしれません。まだ家というもの、家族のきずなが健在だった時代の、父親への思い、そして父親からの愛、昭和のよき姿がここにあります。
2010/02/27 21:14
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
実は向田邦子、一度も読まずに来ました。時代を共有したこともある作家さんはできる限り読むようにしているのですが、何となく躊躇っているうちに事故に遭われてしまった。私はどちらかというと、読み逃していた人は新作が出たときに手にする、をモットーとしているものですから、新作が出なくなってしまった向田とはそのまま縁がなくなってしまったわけです。
とはいえ、私の脳裏には「これから、というときに飛行機事故で亡くなった、なんとも惜しい作家」として刻み付けられはしていたのです。前回の全集が出たときにも心が動かされましたが、正直、本がゴツ過ぎました。あんな本、重くて大きくて、とっても持って通勤できないし。ところが新版は、気が抜けるくらいの頁数。
これなら新版・隆慶一郎全集みたいに、思い切って軽装にしたほうがよかったんじゃないか、なんて思います。特にカバーの優しい色合いはハードカバーには似合わない。ソフトカバーでも、上楽 藍のカバー装画は生きたんじゃないでしょうか、装丁の大久保明子さん? ちなみに、口絵写真は文藝春秋、協力はBunko/ままや、編集協力は鳥兎沼佳代だそうです。
初出は、あの銀座の店舗によく置かれている冊子「銀座百点」昭和51年2月号~53年6月号だそうで、カバーに猫の姿がプレスされているのがなんとも印象的です。収められているエッセイ各篇の初出と簡単な内容紹介を、目次にしたがってします。
父の詫び状(原題「冬の玄関」昭和52年11月号):生命保険会社の支店長だった父が自宅に招く客、彼らの靴を片付けながら・・・
身体髪膚(昭和52年5月号):久し振りに怪我をした私が思い出す、小学生に上がったばかりの自分がが怪我をしたときの父・・・
隣りの神様(昭和53年2月号):お土産をもらうと、直ぐに中を見たくなる、そんな父の血を引く私が誂えた喪服・・・
記念写真(昭和52年12月号):皆が笑顔のテレビドラマのポスター撮影、そこから思い出す家族揃っての集合写真・・・
お辞儀(原題「親のお辞儀」昭和52年10月号):留守番電話は案外面白い、間違い電話、親からの電話、そして黒柳徹子・・・
子供たちの夜(昭和52年9月号):父が夜遅くお土産をもって帰ってくる、子供たちは眠いのを我慢して・・・
細長い海(昭和52年7月号):小学生の時、海水浴で下着を盗まれた時、弟はなにもしてくれなかった弟に父は・・・
ごはん(原題「心に残るあのご飯」昭和52年4月号):身体が弱かった私に、病院の帰りに母がいつも連れて行ってくれた鰻屋・・・
お軽勘平(昭和53年1月号):家に来る客が多くて、そのせいか子供の時からお燗の加減を見るのが上手だった私・・・
あだ桜(原題「あだ櫻」昭和53年5月号):子供のころから使いながらその意味を知らずにきた言葉の幾つか、あらためて調べると・・・
車中の皆様(昭和53年4月号):タクシーの運転手に料金だと思って渡してしまったのは・・・
ねずみ花火(昭和52年8月号):昔、どうしても欲しかったのに手に入れることのできなかった劉生の晩年の絵「鵠沼風景」・・・
チーコとグランデ(昭和51年12月号):クリスマスの夜、小さなケーキを持って電車に乗った私が網棚に見つけたのは・・・
海苔巻の端っこ(昭和52年3月号):父の大好物は海苔巻や羊羹の端っこ。私が狙っていると、さっと手を伸ばして・・・
学生アイス(原題「アイスクリームを愛す」昭和51年8月号):学生の頃、アルバイトで売っていたのがアイスクリーム・・・
魚の目は泪(原題「魚の目に涙」昭和52年2月号):魚を食べるのは好きだけれど、どうしても目だけは見るのも苦手・・・
隣りの匂い(昭和52年6月号):転勤を繰り返す父が娘の教育も考えて選んだ住宅、右は歯科医、左は教師の家・・・
兎と亀(原題「リマのお正月」昭和52年1月号):一度だけ海外で迎えた正月、そこで日系の人と河の兎の話になって・・・
お八つの時間(原題「お八つの交響曲」昭和51年6月号):子供の頃、父親が作ってくれたのがカルメ焼き、たまに失敗もあって・・・
わが拾遺集(昭和53年3月号):初めて物を拾ったのが七歳のとき、そして女学校に入って上級生の鉢巻きを拾って・・・
昔カレー(原題「東山三十六峰静かに食べたカレーライス」昭和51年4月号):父親が食べるのは肉が多くて辛めの専用カレー・・・
鼻筋紳士録(昭和53年6月号):父親は鼻筋が通っているけれど、母親は団子鼻、そして私も母の血を継いで・・・
薩摩揚(原題「わが人生の「薩摩揚」」昭和51年2月号):転勤の多かった我が家が鹿児島にいた時分、よく食べたのが「つけ揚げ」・・・
卵とわたし(昭和51年10月号):私は一週間に4個の卵を食べる、とすると一年で200個、10年で2000個、ということはかれこれ一万個近い卵を食べていることに・・・
おわりに――連載のために
あとがき
書誌一覧
となっています。「兎と亀」を読みながら、飛行機の事故のことが書かれていて、あ、って思いました。それと時代です。ああ、そういう時代だったんだな、父親が本当に存在感を示していた時代。部下が上司の家を訪れるのが少しもおかしくない、親が愛情を外に出さない、そういう昭和の姿がよく伝わって来ます。目に浮かぶ様子がカラーではなく白黒、というのは口絵写真のせいでしょうか。
面白おかしいエッセイは沢山ありますし、そこで披露される情報に感心するものも数多くあります。でも、昨今、親子、家族というものを真正面から見つめたものは、案外少ないのではないでしょうか。昭和が終って平成になって、家族のあり方がかわり、その描き方も大きく変わっているのでしょう、それを再認識させられた、しっとりした味わいの、そのまま小説にでもしたくなるエッセイでした。
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