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久しぶりの内田樹さんの本でした。
この本では日本人について書いてありました。
せっかくなので自分の言葉で説明すると(内田さんの論とは変わってしまうかもしれませんが、、、)
日本人は、辺境人だそうです。
自分とは違う外部に「上位文化」や「正しさ」があると認識していて、文化的劣等感を持っています。
この文化的劣等感を持っているお陰で学びに対する過剰反応とも言える姿勢を持ち続けてきました。
本来であれば、学ぶものに対して事前に適否をチェックするなり、判断を留保するなりしますが、日本人の場合は、とりあえず宥和的な態度でそれを取り込もうとします。例えるなら、「これはすごい」と誰かが言うとそれがたちまち集団感染していくイメージです。
日本人には学ぶ力として最も必要な「先駆的に知る力」が備わっていました。
「先駆的に知る力」とは、今はまだその意味や有用性を示されていないものであるが、将来死活的に重要であると確信できるものを先駆的に感じる力です。
日本の基本原理・基本原則は「渾然たる一如一体の和」です。外国のように「理性から発した互いに独立した平等な個」ではなく、「全体の中に和を以って存在し、一体を保つところの大和」。言いかえれば、「相互の間に区別が明らかでなく、ぼんやり漠然と一体をなし溶けあっている」状態です。
この原理・原則があったからこそ、変わり身が早く、成功例を模倣する卓越した能力が持てたといえます。
日本の特徴とも言えることろは
「親しさに固執する」ということです。
自分のアイデンティティーの一貫性より場の親密性を重視すること
もっと言えば、
「何が正しいか」より「誰と親しくすればよいか」ということを優先する。
「メッセージのコンテンツの成否」より「発信者・受信者ともどちらが上位者か?」立場の差を注目する
ということ。
残念なことは、「私はあなたより沢山の情報を持っている。私はあなたより合理的な判断をとることができる。よってあなたの結論がどんなものであろうと、私の結論が正しい」というロジックが出回り、たくさんの場で使われ、
「それは、もう私は知っている」とうんざりしたフリをし、「私が上位者である」というポジション争いが多く行われていること(内容の争いではなく)。
そして、先ほどの先駆的に知る力を使わず、値札のついている商品(今、現在において価値のあるもの)にだけ注目をし、手持ちの貨幣でいかに値の高いものを交換できるかのみを訓練されている現在の日本人には、以前に較べ学ぶ力が衰えている。
そしてまた「敵」の話し。
ベストコンディションの私がいることを前提として、私のパフォーマンスを下げるものを「敵」として認識すると「敵」は限りなく無限に考えられ、理想状態が私以外いない状態。つまり絶対的な孤独のうちに引き籠ることになる。「原因」で「結果」を説明しようとするロジックそのものが「敵」であるといえる。
「私」、「他者」などとして捉えるのではなく、オーケストラをす���奏者の集まりのように「多細胞生物」としてある存在、生き方の提案
がある。
・・・本は、多細胞生物で締める形ではないのですが、私が紹介したいことをまとめるとこの流れになってしまいました。ごめんなさい。
文化的劣等感が、学びに対する過剰反応を作る要因の一つをなしている。
場の親密性を重視している。コンテンツの成否より立場の差に着目しており、現に立場の取り合いが行われている。というところが今回の大きな収穫であったように思います。
この本にも感謝。
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著者がこれほど政治的な話題に言及するのは、私にとってこの本がはじめてだったので、ある意味新鮮だった。
まあ、日本論なのだから当然かもしれない。
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いつもながらのネタも含めて、なかなか面白く読めた。
言葉を引っ張り出すと、
「日本人、日本文化はそれが何かというエンドレスの問の中でしか存在しない」
「アメリカとはアイデアである」
「私たちには立ち返るべき過去がない」
過去があり、今がある。
私たち日本人には歴史の中に、国家建設という主体性を持たない。
受動的な国民性が、中心と周縁という考え方に根ざした中華思想を受動的に受け止め、その周辺に自ら進んでなることで、自分たちの定位置を定めた。日本人は、常に、他の国がどうであるかという、中心と周縁の関係の中で、思想をめぐらしていきた。明治維新のときも、それが、欧米に変わっただけである。
オリジナルを作り出せない、常に模倣の中に自ら置き、それを日本風に解体、再構築することで、日本国を形成してきた。
だが、しかし、そうであるが故に、自分の有り様を相対的な関係のなかでしか、言い表せない。
たとえば、そこそこの国でよいのではないか、と高校生たちが論じたそうだが、この「そこそこ」ということばには、Aという一流の国でもないが、Bという三流の国でもない。という、他国との関係(しかも、このそこそこが、筋的な何かをさしているのか、文化的な何かをさしているのか、よくわからない、けれど、日本人てきには、このことばで、ある程度了解してしまう、何かを共有している)をいい表したそうだ。
明治維新という奇跡を起こした日本が、第二次世界大戦という暴挙を起こすにいたって、なぜ、それを起こしたのか?それを論理的に説明することができない。これを説明すると、明治維新は模倣であり、第二次世界大戦はオリジナルであるということだろう。欧米のスタイルを日本風にアレンジし、採用する力はずば抜けており、その力で明治維新を行い、急速にちからをつる。しかし、第二次世界大戦は前例がない。(第一次世界大戦では、日本は積極的な戦争行為に及んでいない)。当時の中華思想の日本版ともいうべき、アジアの進出を行い、真珠湾攻撃に及ぶ首脳部は「そういう空気だった(私は反対したが)」と口を揃えて述べたそうだ。もしくは、歴史的な解釈も、ABCDラインで戦争という手段に「追い込まれた」というような受動的なロジックを採用することもある。
日本は世界標準に追いつくことは得意だが、世界標準を作ることが苦手である。つまりは、そういうことなのだ。
戦争の話でおもしろかったのは、「皆、情報をとることができず、日本の優位な状況を信じ、戦争を支持したというが、これは嘘だろう。なぜなら、明治維新期はより、世界の情勢などを知ることは困難であったはずだが、次々とより有益な情報が世間をめぐったからだ。
戦争を選択するのを、だれもロジカルに思考し、行っていない。というような内田の意見であり、これがまさに日本人的であるという。
良くも悪くも、「勝てば官軍だろう。だから。ポーランドにだって進行するぜ!」というようなヒトラー的判断、口述は決してしないようだ。
(そういう彼も、アメリカの事例など(憲法のことなど)を引き合いに出し、日本人を述べているので、まさに、この日本人の典型として、日本人の本書で述べているのがおもしろい<本人も気づいているだろうが>)
また、途中に熱くなってしまったのか、日本人論が、師と弟子の話や、張良の話になるなど、横道であったような気もするのだが、今までの彼の著作との関係性を断ち切ることはできないので、これはこれで良いのだろう。今回はレヴィナスの話として、他者論があまり出てこなかったか。
武士道は、宗教に代替し、庶民まで浸透することで大和魂になる。
師は弟子にコンテンツを教えるのではなく、マナーを教える。
「良い質問ですね」という回答は、自らを上位におくことを意味する。
*空気が支配する日本 について述べられているわけだが、
その空気をだれが、どのように作っているかは述べられていない。
たしかに日本ではそうかも知れない。たしかにそういうものがある。
そして、逆に言えば、この「空気」を作為的につくることができたら無敵だろう。天下無敵。この内田的な言説においても。
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相変わらずの明快っぷりで嘆息。
日本人はコロコロと振る舞いを変化させる。
しかし、その変化の仕方はずっと変化していない。
「日本ノ新生ニサキガケテ散ル」
のくだりも必読。
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やきなおしばんざーい。
みんなおんなじこと言ってることは、わかった。
で?どーすればいいのさ。
アマゾンの書評がおもしろいので、そっちを見に行くべし。
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日本人ほど日本人論が好きな民族はいないと良く言われる。
常に外からの目を気にして、遅れていないか心配している。
なぜそんなメンタリティが生成されたのか。
著者は日本は古代から辺境国家であった事に着目する。
・他国との比較を通じてしか自国の目指す国家像を描けない。
・アメリカのように「我々はこういう国家である」というアイデンティティが持てない。
・私たちは(開戦のような)きわめて重大な決定でさえその採否を空気に委ねる。
・辺境である事を逆手に取り、政治的、文化的にフリーな立場を得て自分たちに都合のいいようにする〜面従腹背に辺境民としてのメンタリティがある。
・後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するが、先行者の立場から他国を領導する事になるとほとんど脊椎反射的に思考が停止する。
・辺境民の特質として「学び」の効率に優れ、「学ぶ」力こそが最大の国力である。
・辺境民の特質は、日本語という言語の影響が大きい。
説得力がある民族論。著者は決してこれを悲観的に捉えている訳でなく、逆に辺境であることを受け入れて、独自の文化を世界に示していく方がいいと語る。大いに納得させられた。
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日本人の国民性を、中華を中心とした世界感に置ける辺境性から論じる。
著者も言っているが、この手の論議は昔からあったそうです。
しかしながら、養老孟司はともかく丸山先生の本とかはなかなか難しくて手が出ないもの。
その点、この本はそれら先人の情報が上手くまとまっていて読みやすかったです。
日本は特殊な文化を持っているとは感じていましたが、それを地理的、文化的な距離感を使って説明するとだいぶしっくりする感じがしました。
ぜひご一読を。
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内田樹さんが、日本、日本人を辺境というキーワードから多種多様に論じてます。
日本人としてこれからどうふるまうべきか、そんなことは書かれてませんが、そういうことについても、考えさせられる一冊です。
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年末年始にかけて。
なんとなく色んな本を読んでいて、
(あれ、この展開に既視感覚えるぞ?)と思い、
たくさん読んでいるにもかかわらず、似たようなことを堂々巡りしている感じがしてしまうこと。
これってきっと、「日本人とは何か」を姿かたちを替えて幾度となく自分に、日本社会に問い給う人たちの作品を読んでいたんじゃないかと思う。
知識が上滑りしていく感覚。
何も深まらないような気がしてしまう感覚。
そこから抜け出したいと願うが何か抗えないものを感じてしまう感覚。
私がやはり「日本人」だからなのだろうか。
辺境魂故の利点を生かしつつ、
どうしようもない血肉化してる「行為のパターン」から生まれる悪しき点に抗ってみるのならば、
私はこの本を最後に、「上滑りしていく感覚のない本」を意識して選ぶようにしなくちゃならんだろう。
それはどんな本かって言ったら、ちょいと昔の本であり、今までお目にかかったことのない分野の本であり、海外の本であったりするのかもしれない。
「上滑りしていくような本」は、「読んでいて頭がすっきりするような気がする本」であり、「何だか安心する本」なのは当然なのだ。
「私も同じ気持ちよ!」って気分が味わえるのだから。
そんな本、もういいか。なんてこの本読んで思ったり。
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決してつまらなくは無いけど、『街場の中国論』を裏から書きました感が否めない。
個人的には、内田さんの作品は『レヴィナスと愛の現象学』と『ためらいの倫理学』と『死と身体』がぶっちぎりと思っている。面白い本が三冊も書けるだけで十分ではあるが。
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世界の中心である世界標準から真似たり改良するテクニックを身に着ける一方で、世界標準を自ら設定する思想を捨て去った日本の在りのままの姿が見えました。
http://d.hatena.ne.jp/separate-ks/20100203/1265203411
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家にあったから何となく読んでみた本。
単純に面白い。どんどん読んでしまう。この本では、日本人は建国していない。それに対し、アメリカは自分たちで建国した。そこに愛国心の違いがある。日本人には、オバマ大統領のような演説はできないだろう。独立国でありながらアメリカに守られた半端な存在。とにかくこの本では、アメリカや中国と比べて日本の位置を確認している本である。
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実に面白い日本論である。出羽の守が跋扈する環境にいる私としては、納得することしきりである。これまではそうした出羽の守的振る舞いをただただ苦々しく思っていたのであるが、なるほどそれにも順機能(われわれ日本人の知的パフォーマンスを高めるという機能)があったということがわかり、そうした振る舞いにも少しは寛容になれるのではないかと思った次第である。
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目からうろこ的な博学は読んでいて楽しい。
ただ、相変わらず、民族性(つまり性格)が遺伝性のものかどうかが問われないままに論が進められているのが残念。
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大変知的好奇心を刺激されて面白い!参考文献の幅の広さと解説もすばらしく、「勉強しなくちゃ」と思わされます。言い回し等知らない言葉が多く、辞書がないと着いていけない部分もありますます勉強です