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新書大賞受賞 内田樹 「日本辺境論」の内容紹介
2010/03/09 23:32
5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トグサ - この投稿者のレビュー一覧を見る
専門はフランス現代思想ですが、専門にとらわれず教育論など多くの著作がある内田樹(たつる)氏であるが、この度、この『日本辺境論』で新書大賞を受賞したようです。
「はじめに」で内田樹(たつる)氏は、この『日本辺境論』は「辺境人の性格論」は丸山真男からの、「辺境人の時間論は澤庵禅師(たくあんぜんじ)からの、「辺境人の言語論」は養老孟司先生からの受け売りであり、ほとんど新味がないとしています。
しかし、僕にとって丸山眞男 は馴染み深いものでありますが、澤庵禅師(たくあんぜんじ)や養老孟司氏 の言語論に疎い僕にとっては十分、新味のある論であった。
そして何故、そんな新味のないと言う日本人論を繰り返すのかというと、内田樹(たつる)氏はごみ掃除に例えています。
また、多くの先人たちが、その骨身を削って築いた日本人論を私たちは、まだ内面化していないのではないかと内田樹(たつる)氏は語っています。
そして中華または世界に対して辺境人である日本人をマイナスとして捕らえるのではなく、とことん辺境で行こうではないかという提案を内田樹(たつる)氏はしています。
<目次>
1 日本人は辺境人である
2 辺境人の「学び」は効率がいい
3 「機(き)」の思想
4 辺境人は日本語と共に
<内容紹介>
1 日本人は辺境人である
内田樹(たつる)氏は、「大きな物語」が失効した事を嘆き、本書『日本辺境論』を執筆した動機も、そんな「大きな物語」を語る知識人が減った事への異議申し立てだという。
そんな「大きな物語」が失効した主因は、内田樹(たつる)氏によるとマルクス主義の凋落だと言う。
僕はマルクス主義の凋落だけが「大きな物語」が失効した原因とは考えないが、日本の現代思想の期待の星である東浩紀などが、『動物化するポストモダン 』などで「おたく」などミニマムな素材にして「小さな物語」を語るのには、それはそれで意味があるだろうが、何だかイライラさせられてしまいます。
梅棹忠夫の『文明の生態史観』を引いて、本書の主張を内田樹(たつる)氏は「ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識に」に日本人が取り憑かれているとしています。
ただ、このことを内田樹(たつる)氏はマイナスばかりではなく、日本人のしたたかさも生み出していると主張します。
旧来のマルクス主義者に見られるように、このことを後進性とかいったような捉え方ではなく、古来からの日本人の基本的特性であるとした点に、この内田樹(たつる)氏の『日本辺境論』の新しさというものがあります。
外来思想を受け入れる時の、その変容のパターンには驚くほどある共通した態度がみられるとし、私たちはたえず新しいものを外なる世界に求めていると丸山真男の言葉を借りて表現しています。
また、私たち日本人は他国との比較「よその国はこうこうであるが、わが国はこうこうである。だからわが国のありようはよその国を基準にして正さねばならない。」という文型でしか語れないと内田樹(たつる)氏は指摘します。
最近の保守派の論客が語る「よその国はどうであろうと」とかや日本文化特殊論もやはり他国の比較で自国のことを考えるという点では同じかもしれませんね。
また、我が国のいわゆる現実主義者は既成事実しか見ておらず、自らが「現実」を作り出そうとしないことを、先の第二次世界大戦中の出来事を引いて興味深く語っておられます。
僕は無性にもう一度、丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」が収められている『〔新装版〕 現代政治の思想と行動』を読み直したくなりました。
憲法九条と自衛隊の矛盾についても、日本人が採用した「思考停止」についても内田樹(たつる)氏は日本人の狡知の一つだと位置づけます。
2 辺境人の「学び」は効率がいい
我々、日本人が「ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるもの」であると太古の昔から無意識下に考えて、その「ほんとうの文化」を学ぼうと考えていたらどういうことが起こるでしょうか?
そうです。聡い人は、もうお気付きですね。我々、辺境人は「学び」の効率がいいのです。
このことは、本書『日本辺境論』で初めて僕は気づかされました。
このことを、内田樹(たつる)氏は「優れた学習装置」である“道”について考察しています。
武士道、茶道などの指定と弟子らが織り成す“道”です。
また、学びへの過剰適応と呼ぶ、我々が「立場が上とされる人」への過剰適応についても。
3 「機(き)」の思想
ここで内田樹(たつる)氏は、「機(き)」という概念を手がかりにして、「時間意識の再編」という哲学的課題に宗教者たちがどう答えたかについて澤庵禅師(たくあんぜんじ)の考え方を引用し、我々、辺境人の主体について考察しています。
そして、そのように研ぎ澄まされてきた主体は、外来から受け入れるべきものとそうでないものについて先駆的に(アプリオリに)知っていると内田樹(たつる)氏は言うのです。
4 辺境人は日本語と共に
そして内田樹(たつる)氏は、日本の辺境性をかたちづくっているのは日本語という言語そのものであるという仮説を、ここで吟味します。
英語のIを日本語では、私、僕、俺とかいうふうに幾つもの人称代名詞が存在することを指摘することから始まり、日本語は、表意文字である漢字と表音文字であるかなを併用する特殊な言語であり、漢字と仮名は日本人の脳内の違う部位で処理されており、そのことが日本において「マンガ」という表現手段が特異的に発展した理由であると、養老孟司氏の指摘を借りて主張されています。
また、教養書において、時々見られる一般読書に解り易いように、難解な欧米等の哲学書の引用とかを噛み砕いて話法も、ここ日本だけに見られるものだそうです。
内田樹(たつる)氏自身が「あとがき」や「はじめに」で何度も繰り返されているように、この『日本辺境論』は大風呂敷で、議論もあちらこちらに飛び火するので、読んでいる時は、「まとまった意見」というようなものが見えず、面白みにかけているように感じたのですけれども、大風呂敷だからこそ、この『日本辺境論』内の議論は、大いに発展させるべきものが沢山あると思います。
僕のブログ記事より。
紙の本
語り口が絶妙
2017/02/24 19:24
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
このテの本はゴリ押し・決めつけの論調が多くて読んでいて疲れる事があるのだが内田氏の本は一見優しい語り口。それでいてなかなか厳しい視線でなかなか形に出来ないでいるモヤモヤした事象に切り込んでいる。こういう人 貴重だな。
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きゃー!久々にブログコンピじゃない本だー!
早く読みにかかりたい!
読んだー!
ブログで常々拝聴していることなのでさらりと飲み込めはするんだけども、自分が使うにはまだ理解が足んないなあ。本を開いている間は「そーよ!そーですよ!そのとーりですよ!」と感激してるんだけども。
自分を「無知で愚か」という位置に置くことで、代わりに自由を獲得する狡猾さ。すごくわかる気がする。
で、ちょうど師弟論も書かれていて、自分の中ではすっごいタイムリーでした。
読んでいて思ったんですけどー、「私はあなたをもう背負えます」とお師匠様に言ってしまうことは、つまりお師匠様から師の資格を剥奪することにほかならないのではないかと。それは決して成長ではなくて、成長の終了という悲しい現象ではないのかな。だって目標を達成しちゃったんだから。もうそこからの伸びしろは必要ないっつーか。ありえないってゆうか。
弟子は師を乗り越えてはいけないと言ってるんじゃなくて、そーじゃなくて、乗り越えられないものを「師」と呼ぶんだから、乗り越えたと宣言した瞬間に、それは文意上「師」ではなくなってしまって…
うがー!
ああそうさ「彼」の話さ!
こうやって「本を読んで自分の考えとして使おう」というふるまいこそが、日本人の特徴…ともこの本には書いてあります。
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11月12日発売。ブログ「内田樹の研究室」で発売を知り購入しました。
積み木を積み上げていくような独特の理論展開を読んでいるうちに、いつしかファンに・・・・・・。
「辺境」とは「中華」に対する概念。そこに住む「辺境人」は、中心たる「絶対的価値体」を
自分以外の外部に求め、その「絶対的価値体」を判断基準に、専らそれとの距離の意識
に基づいて思考と行動が決定されている人だといいます。主体との距離で物事を測る、
それが日本人なのです。したがって、その主体が変わればその思考・発想も変わるが、
この変化する仕方は変化しない、という日本文化論を展開していきます。
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はじめに
I 日本人は辺境人である
「大きな物語」が消えてしまった / 日本人はきょろきょろする / オバマ演説を日本人ができない理由 / 他国との比較でしか自国を語れない / 「お前の気持ちがわかる」空気で戦争 / ロジックはいつも「被害者意識」 / 「辺境人」のメンタリティ / 明治人にとって「日本は中華」だった / 日本人が日本人でなくなるとき / とことん辺境で行こう
II 辺境人の「学び」は効率がいい
「アメリカの司馬遼太郎」 / 君が代と日の丸の根拠 / 虎の威を借る狐の意見 / 起源からの遅れ / 『武士道』を読む / 無防備に開放する日本人 / 便所掃除がなぜ修業なのか / 学びの極意 / 『水戸黄門』のドラマツルギー
III 「機」の思想
どこか遠くにあるはずの叡智 / 極楽でも地獄でもよい / 「機」と「辺境人の時間」 / 武道的な「天下無敵」の意味 / 敵を作らない「私」とは / 肌理細かく身体を使う / 「ありもの」の「使い回し」 / 「学ぶ力」の劣化 / わからないけれど、わかる / 「世界の中心にいない」という前提
IV 辺境人は日本語と共に
「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか / 「もしもし」が伝わること / 不自然なほどに態度の大きな人間 / 日本語の特殊性はどこにあるか / 日本語がマンガ脳を育んだ / 「真名」と「仮名」の使い分け / 日本人の召命
終わりに
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日本人の特性を、地理的に辺境であることに軸をおいて論じている。
辺境であるがゆえに、恐るべき学びの構造(現在へのキャッチアップと理解の深化)を手に入れた一方で、決して未来を創造できない、というのが辺境人としての日本人の特性(?)。
新書なんだけど、内田マニア向けという感じで、内田語法に慣れていないと内容をフォローできなさそう。なので星は一つ少ない
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内田樹さんの本。
前半はあれって思ったけど、
後半になって内田節が炸裂。
内田さん得意の「師弟論」と
日本人の偏狭的特性を結びつけて話す。
「師弟論」とか「学習論」とかは
いつもの内容と変わらず。
それを日本人の辺境性と結びつけて
話しているところが、新しいところかな。
いつも同じこと書いているような気がするが、
(本人もそう言ってる)
何回聞いても面白い話ってのはやはりある。
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2009.11.28読了。
国の成り立ちから言って、世界を引っ張る中心になることはできないし、それをだれも望んではいない。だからとことん辺境で行こう!というのが氏のメッセージ。
無知であるふりをして、実を取る。そんな日本人の得意技をくりだして、世界の中でうまく立ち回る。そういう生き方に、大いに同意。
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091206
朝日新聞書評
日本人の行動パターン分析
世界標準を作らずその時々で正しそうな案に乗る?
模倣、応用する傾向のこと?
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2009年12月7日購入
うんちくがたいへんおもしろかった。
ことに日本語が会話になると
論理性を離れて位取りに終始するという話は
ちょっと身につまされるところもあり印象に残った。
論理性を離れてという点について簡単な例を挙げると
母親が味噌汁にみそを入れ忘れたとして
「おめえの味噌汁は味噌汁じゃねえ」
といった場合などが考えられる。
これは明らかに日本語として間違っている。
非常に合理的なコメントなのだが
合理性とは全く違う軸が存在する。
英語でどういうか考えて比較してみると
分かりやすかろうと思う。
まあええねんけど。
話が飛ぶなあ、と思うところもあったが
「辺境」という捉え方に
なるほど~と唸ってしまった。
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091206 by朝日 自分では世界標準を決して作ろうとせず、なんとなく体制に流されて、、、辺境人たる日本人の特性・行動パターンを分析して、なかなかスリリング。
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1 日本人は辺境人である(「大きな物語」が消えてしまった. 日本人はきょろきょろする ほか)
2 辺境人の「学び」は効率がいい(「アメリカの司馬遼太郎」. 君が代と日の丸の根拠 ほか)
3 「機」の思想(どこか遠くにあるはずの叡智. 極楽でも地獄でもよい ほか)
4 辺境人は日本語と共に(「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか. 「もしもし」が伝わること ほか)
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日本人とは辺境人である―「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。
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最初の章は日本人の思想の矛盾について書かれていて批判的な文章を読むのが苦痛だった。
でも読み進めていくうちに辺境にあるからこそ日本があるという風に思い返せた。
ひとつだけ思ったのは、アイデンティティは他者との関係性で分かるもので日本人が他国との比較でしか自分たちの国について語ることができないというのはそれほど不自然なことではないのかなと僕は思ったけど。
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決定的に面白い、日本人は「辺境人」【 赤松正雄の読書録ブログ】
2年ほど前に、内田樹『私家版・ユダヤ文化論』を読んで、「なぜユダヤ人は迫害されるのかとのミステリアスな問い」との見出しで、さっぱり分からないと嘆くばかりの読書論を書いた。その内田さんが今度は『日本辺境論』を出版された。養老孟司さんによる「これ以降、私たちの日本人論は本書抜きでは語られないだろう」との絶賛文つきの話題作だ。あとがきに、この本のタイトルは「私家版・日本文化論」でも良かったと書いているように、二冊合わせて「内田版・日本人とユダヤ人」になっている。日本人論が大好きな私は、かつて公明新聞記者時代に、識者に日本人論を書いてもらう企画をたて原稿取りに歩いた。岡本太郎さん始めいろんな人に会ったのは懐かしい思い出だ。そんな私が掛け値なしにこれまで読んだもののなかで、最も面白い日本人論だといえる。
「他国との比較を通じてしか自国のめざす国家像を描けない。国家戦略を語れない」のが日本人のきわだった国民性格で、「侵略相手の国民にさえ、空気の共有や場の親密性を求めてしまう」―などと指摘され、なるほどと納得し、それらが畢竟「辺境人」であることに端を発しているとの議論の展開にうなる。その辺境人の本質は、日本語と共にあるとの指摘はかなり痺れる。「外来のものが正統に地位を占め、土着のものが隷属的な地位に退く」―漢字(真名)と仮名の関係を説きほどいた最終章は圧巻だ。
「韓国でもベトナムでも、母語しかできない人にはしだいに大学のポストがなくなりつつあります」が、「その中で、日本だけが例外的に、土着語だけしか使用できない人間でも大学教授になれ、政治家になれ、官僚になれ」るのは、「世界的にはきわめて例外的」だとの指摘は息を呑む。それは何故なのか。ユダヤ人論とはまた違った意味でのミステリアスな問いかけの連続もあって、一気に読ませた。
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「辺境」という言葉を聞くと、大学時代に習った周辺理論を思い出す。歴史の中で、新たな文明の担い手は、現在の文明国の周辺でなく、辺境から生まれると。
この本は、新しい日本文化論である。日本人論としては、かつて「菊と刀」「日本人とユダヤ人」等記憶にある。それぞれ読んだと思うが、あまり記憶に残っていない。
本書は、「辺境」をキーワードに、歴史的な日本人の受身姿勢等日本人・日本文化の特質を説く。
一部哲学的な部分は難解であるが、全体的に分かりやすい文章になっている。
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内田先生の本はほとんど読んでますが、今回もとても良かったです。
ちなみにこれはブログをまとめた本ではないので結構固めの書き方してます。
この本を読んで、「そうか、だから日本はダメなんだぁ~」ってな感想はまさしく辺境人の感想なんだよねぇ~。
そんで問題はこの辺境人は国内の関係においてもキレイに入れ子構造になっていて、東京に対する地方の眼差しって辺境人の中の辺境人の眼差しなんだよね。
そんな私はスーパー辺境人。。。