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成長の過程の苦しいところ。
でも通らなくてはならない道。
それを乗り越えて、振り返り、また先を見据えて自分が固まっていく。
そのとき見守ってくれる人、支えてくれる人、慰めてくれる人、
そんな人がいるといいな。
でもきっと自分に必要な時、必要な人がいるはず。
それが縁だと思う。
必要がなくなると去っていく人もいる。
そしてまた、別の人と出会う。
その時はわからないけど、しばらく経つとそうだったのかなと思う。
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おばあちゃんも楓もいない。真一郎とは恋愛関係にはあるものの、それは何だか植物的な愛だ。雫石がそれを「私はこれからの真一郎くんとの関係がおばあちゃんとの暮らしにとても似ている」と語るくらいなのだから。つまり、この巻はドラマにきわめて乏しいのだ。ばなな自身にとっても、この時期は迷いがあったのではないか。エッセイではないので、あくまでも雫石のフィルターを通して、周縁の世界と人間観が語られている。そして、ひたすらに「語り」なのだ。なお、作中の「マルタのヴィーナス」は、「眠れる女神」の間違いではないだろうか。
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「なくなったものを惜しんでいるばかりで、得たものを考える余裕がなかった。ちょうど、閉じられたドアの前でじたばたして悲しんでいたら、新しいドアがすぐそこにあったというような気持ちだった。
何かが終われば必ず何かがはじまっている。それを見るか見ないかだけが私の自由なのだ。
ドアが開いた匂い、新しい匂いの中で、私はあせらずにゆっくり立ち上がり、少しずつ歩きながら、何かを探し続けよう」
ゆったりした、痛みと再生の物語。
ある分のエネルギーを使い果たして一日を終えてこそ、明日再び満タンのエネルギーに満ちる。
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雫石とおばあちゃん、雫石と楓、雫石と片岡さん、雫石と真一郎くん、その全ての関係が美しくて読んでいて幸せな気持ちになる。
雫石がそれぞれのことを、それぞれに愛しているのが分かる。
一つとして同じ関係も同じ愛情もない。
人との関係って本当に代わりのないものなんだ。
そのことが本当には解ってなかったなと反省。
そして雫石がテレビを見て発見したこと。
「あんなよどみを、あんなくささを飲み込んでもびくともしないなんて、そしてあの人たちが夜に光るコケ類のようにちゃんとそれぞれの美しさを持って生きることを許されているなんて、世界とはなんと包容力があって、すごい浄化作用を持っているのだろう。」
「私はただここで小さく輝いて、消えていくだけ。小さな小さな物語を作って。それでいい。」
この発見に私も許された気がした。
ここで生きていることを。
私のことも飲み込んでいるこの世界に。
そしてその世界で一緒に生きている人(雫石のような)に。
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火事でアパートを失い、楓の家に住み始めた雫石。都会での生活は山で得た力を鈍らせ、雫石を疲弊させていく。それでも片岡さんに励まし、寄り添う真一郎くんの存在があった。そして少年の楓の夢を見て、雫石はいよいよ確かに立ち上がる。人々を生かす「魔法」を描いたシリーズ第二巻。
第一巻のアンドロメダハイツはもう何年前に読んだのか忘れたくらいなんだけど、積読してるものを崩していこうと思いまして。アンドロメダハイツは文庫の方で再読しましたがそれはブクログ登録割愛しました。
新生活の始まるこのシーズンにはちょうどいい話。と言っても私が新しい生活なりなんなりを始めるわけじゃないけど、雫石がちょっとずつ都会での生活に慣れていく、馴染んでいくところを見ると私も頑張ろうと思える。雫石がテレビにのめり込んでいく辺りは、誰にでもこういうのってあるよね~と思ってた。私だったらネットとかかな。
商店街の描写好きなんですけど今時こんないい商店街あるのかな……って思ったりもしたんだけど、あるところにはあるんだろうな。もしもし下北沢とかジュージューとかもこんなの書いてたはずで(よく覚えてないけど)ばななさんはこういった人との暖かさがすごく好きで大切にしたいんだろうな…それがすごく伝わってきたしそれが私の好きなところでもある。都会と山との違いは確かにあるけどそれは違うというだけでどちらがいい悪いではない。都会の方が悪い面がいっぱいあるけど、人が人と暮らしていく意味は都会の方が強いんだろう。
夢では楓の目が見える、人の想いに触れることで彼はいろんなものを目にすることが出来る、だからこの仕事をつらくても続けてるんだって思うところいいなあ。あと片岡さん第一巻ではそうでもなかったけど今回いい人でした。
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はじめは、いまの私はよしもとばななを受けつけないな思いながら、ただ字を追うだけの読書だった。つまらないなー。早く終わらないかなーと。ものすごくよしもとばななの話にはいりこめるときとまったく受け付けないときがある。いまは後者だなと。
ところが読み進めるうちに、ばななワールドにどっぷりでした。ああこんなことってあるのね。だめだと思ってたのにすっかりばななワールド。雫石とおなじように光につつまれているような感覚。(お風呂にはいってきもちよく半身浴中ってのも効果的だったかしら?)人はひとりでは生きていないのですね。いろんな人とのつながりが感じられてハッピーになった。でも自分の現在をおもって暗くなる私。王国3に進もうか。
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(18.09.05)
イタリアに渡った楓と片岡。楓の家を守りながら二人の帰りを待つ雫石。真一郎に支えられ、遠く離れた二人や祖母の優しさに触れながら、失意のどん底から少しずつ回復していく。
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私は人が好きです。
人という心や色、繋がりは、触れると奇跡を見る様に涙が出そうになる。
だけどその前に、大前提として、イマの自分がいる。私はどんな色でどんな風にページをめくっていきたいのだろう。
大切なものは見失いたくない。
楓からみた私は何色なんだろうなぁと思いながら、自分で見つめて、育んでいかないとなと思います。
そして存在する全てと繋がっているのなら、丁寧に丁寧に暮らしていかないとなぁ。
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人との交わりに困惑をして、拒絶をしていた雫石が楓、片岡、真一郎、おばあちゃん、そしてサボテンを通して本当のあり方に目覚めていく巻。感想は次巻にて
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祖母と暮らしてた山を下りて、都会で生活することにした雫石。
住んでいた家を火事で失い、雇い主の楓も海外に行ってしまい、1人で留守番をすることになった。
慣れない都会の環境に戸惑い
たまたま抽選で当たったテレビに依存してしまったけれど
楓に片岡さん、恋人の真一郎、居酒屋の夫婦に祖母と
自分の周りにいる人たちによって、新しい環境での生活に馴染んで行くまで。
片岡さんの正論?がもっともだった。
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やっぱりよしもとばななの小説の良さは人と人とが関わる様なのかもしれない
雫石とその周りの人たちの関係性がとても丁寧で、みんなそれぞれに違う形でお互いを思い合っていて、素敵だった
TVのくだりがとても印象に残っている
私も丁寧に物に触れようと思った、すぐに忘れてしまうのかもしれないけど
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あー分かってる方
繋がってる方なんだなぁ、
吉本ばななさん(*^^*)
人生の普遍が物語を通してかかれてます
深いな〜
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「王国」第2部。前作からはそれぞれの登場人物の住む環境が異なり、それによってどのような変化がもたらされるのかが描かれている。
新しい環境というのは、本人が思っている以上に心に負荷がかかることであり、今まで上手くできていたことが急にできなくなったりすることも珍しくない。そして、環境の変化は人間関係にも変化をもたらす。それが自分にとってよい方向に向かうのか、それとも悪い方向に向かうのかは想像できない。しかし、周囲の人には案外その景色が見えたりしていることもある。その言葉に救われた経験は誰しもが持っているのではないだろうか。そんなことを思い出させてくれる作品。
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・大切なものを離さないよあにぎゅっとつかむのではなくて、お互いが気持ちいいと思えるくらいの力加減
・今しかないから出し惜しみなく生きていく
この2つのようなことが書かれている部分に深く共感し、胸が熱くなりました。
そして、植物を愛でたくなり、家にある観葉植物に話しかけるようになりました。
優しい言葉で温かい物語なのに、なぜか言葉が心にくる、、。王国シリーズは私のお気に入りになりました。