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紙の本
文字のむこうで作家が微笑む
2011/02/10 08:12
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
友人にじつに丁寧に文字を書く男がいます。そばで見ているとそのゆっくりとした筆の運びに苛々するのですが、蚯蚓(みみず)が這ったような我が文字と較べると、この男の気性の真面目さに思い至るのです。
字はその人の性格をよくあらわすものなのでしょう。だとしたら、我が蚯蚓(みみず)文字ははたしてどんな気質のあらわれなのか。
開高健の名作『夏の闇』を作者の自筆原稿(生原稿を51%に縮小して本作品は組まれています)で読めるなんてことは考えたこともありませんでした。ただこうして実際にほとんど修正もされていない完璧な原稿を読むと、開高健という作家がもっていた本質を感じとれるような気がなります。
この本の巻末に付された「開高健記念会会長」の坂本忠雄氏の解説から引用すれば、開高の直筆は「字の姿に人懐っこい円やかさと繊細さが兼ねそなわっていて、その字の連なりから独特の快感が伝わって」きます。
文字のむこうで、開高のぽっちゃりとした笑顔が浮かんでくるかのようです。それはまるでいたずらを見つけられた子供のようであって、「気取りのなさ、伸びやかさとともにユーモアが漂って」いる字体と共鳴します。
ただこの小説はそんな字体をみごとに裏切っています。贅肉をそぎおとした文体といっていいでしょう。
この作品に初めて触れた若い頃、この作品が映画化されるのであれば、この物語に登場する男女は日本人の俳優が演じない方が似合うだろう、と思ったことがあります。それほどに、冷ややかで知的で繊細な作品だという印象をもったものです。
作家というのは常に前を向いて歩く職業です。それはもしかすると己の自筆原稿を振り返ることの気恥ずかしさからくるのではないか。開高健の自筆原稿を見て、そう感じました。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。
紙の本
開高健と共にゆく苦吟の道
2010/07/06 17:20
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:碑文谷 次郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
得がたい読書体験である。均一・画一・整然の活字面で読んだはずの書物の頁が、突然、隆起して走り出す。開高健が走っている。一言一句の日本語と格闘し、節と節の間、文章と文章の間で呻吟し、時に停止し、時に後退しつつ、作家開高健は走っている。彼のじめじめした発汗と体臭が、読むものに伝わり、ゴールまで一緒にゆく他ない。
「開高健の直筆原稿はいつも書き直しや消しの殆どない完全原稿でした」とは、巻末に収録されているかつての担当編集者の言であるが、編集者に渡す前に相当な書き直しや消しがあったであろうことは、想像に難くない。本書は印刷直前まで、その上に更に推敲を重ねた最終原稿で、活字本ではとうてい窺い知れないが、ゴールへ到達するまでは、白く平坦な道もあるけれど、峻厳な起伏に満ちた崖と谷が沢山あったことが生々しく披瀝される。字体は、誰にも親しみやすく丸みを帯びて、端麗・達筆とは程遠いが、丁寧である。
直筆原稿ならではの余談だが、「憂鬱」「薔薇」「川獺」「霞」という漢字は書き直しなくサスガと思わされる一方、何度も出てくる「正確」の「確」や、「破壊」の「壊」、「専門」の「門」、それに「膝」の漢字はどうみても教科書的にはマチガイである。こういうささやかなマチガイ探しも、伴走者にとって、密かな愉しみなのである。
一番収穫だったのは、有名な締めくくりの一行。当初の「明日の朝、南行きの席を予約する。」は、最終的に「明日の朝、十時だ。」と改められたことが分かる。「夏の闇」は、この締めくくり以外にはないと思わせられる名文であるが、ここに辿り着くまでに開高健は、どれだけの長丁場に耐えたことだろうか。― 繰り返しになるが、作家がその作品を産み出すまでにいたる苦吟のプロセスを生々しく感じとることの出来る、稀有な読書体験であった。
紙の本
408枚をエネルギッシュに書きまくった生命力と創作意欲の燃焼力をつぶさに感得
2010/09/14 20:07
5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
あまりにも夏の暑さが続くので、開高健の代表作と称されているこの本を、そのタイトルに魅せられて読んでみました。
お話としては作者を思わせる肥厚な主人公が夏のパリで「私の玉門香ってる?」なぞとほざくむっちりとした肉体の持ち主(ただしあまり美人ではなさそう)と再会し、初秋のベルリンで別れるまでの男と女の精神と肉体のがっつりした格闘をリアルに描いた作家40歳の折りの大作です。
そりゃあ人間誰しも適切な異性と遭遇すればただちに全身を投げ出しさらけ出すような恋愛をするわけですし、そこで己の存在意義がひび割れてくるような深刻な体験もするわけです。
来る日も来る日もただただセックスをやるまくる日々もあるわけですし、それがとても気持ち良かったり悪かったり、セックスしながらベトナム戦争についてもっともらしいことを考察したり、激しいセックスの合間には湖で大魚をオーパ!と釣りあげたり、そいつを上手に料理して、レモンをぶっかけてワインで乾杯して満腹したり、そろそろこうゆう生活にも女体にも飽きたなあ、いよいよサイゴンも陥落しそうだからちょっくら現場に駆け付けようかな、などと考えて実行する話なら1970年当時にはざらにあったわけで、それをこの作者が書いたからといって作者自身にとっては格別の大事件だったのでしょうが、われら読者にとっては当時も今も別にどうということはありません。
作者が「第2の処女作」と解説しているくらいですから、それなりの思い入れを込めたのでしょうが、今は亡き江藤淳が「喪われたやさしさに対する悔恨の歌であり、愛を奪った時代への告発の書でもある」などとカッコつけて絶賛するほど素晴らしい作品とは思えませんでした。
確かに作者がおのれの魂の井戸の奥底のゆらぎを見据えながら発語していることはわかりますが、かの高名な批評家がおっしゃるようなセンチメンタルで悲愴な歌を絶叫しているわけではありません。
ウンコちゃんはお風呂の中でユーモラスな実存鼻歌を歌っているのですよ。
しかしながらこうしてモンブランの高級万年筆を握りしめ、おそろしく下手くそな書字で自家製400詰め原稿用紙に408枚をエネルギッシュに書きまくったその生命力と創作意欲の燃焼力をつぶさに感得できたのは、じつに貴重な読書経験でした。
まるで漫画のようなプロットの平板さはともかく、作者の恐るべき文才と卓越した小説操縦力、そしてその自在なインプロビゼーションを存分に堪能できる1冊です。
♪楽天的な革命家と革命的な楽天家いずれも困ったものなり 茫洋
紙の本
40にしても惑う
2015/07/30 13:03
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
開高健の代表作と言えば「輝ける闇」だろう。壮絶なベトナム戦争の体験記だ。本書はベトナム帰還後の筆者の虚脱感を描いた一冊だ。酒と女に溺れ、気づけば40歳をこえていた。どこまでも闇が広がっているが、ラストの一行を読むとわずかな光が見えてきた。
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