投稿元:
レビューを見る
1972年の中学歴史教科書と2006年の中学歴史教科書を対比。島原の乱→島原・天草一揆、セポイの反乱→インド大反乱、西南の役→西南戦争、東学党の乱→甲午農民戦争など、歴史的用語の変化とその理由を紹介。「戦後歴史学が民衆闘争の歴史を高く評価」、「欧米から東アジアへと経済的、文化的関心を移行」など。歴史学界では新説が通説となるのに30年かかるとの由。そのタイムラグが一律的にあらわないこともあるような。本書のなかでも歴史のとらえかたとして相反するトピックも。とにもかくにも、「こんなに」は変わってなかった印象。もちろん「変わった」とは思うけど。
投稿元:
レビューを見る
一つ一つの記述が短いので、なんとなく歴史を学び直そうかな、程度の人向け。
淡々と書かれているので、楽しく学び直すと言うよりは、教科書を読み直している感じ。
投稿元:
レビューを見る
昭和47年と平成18年の中学の教科書を比較したとのこと。僅かの間に試験の解答が変わる。まる暗記ではなく、歴史って時代が変われば解釈が変わる、悪人とされた人物の評価は変わることがあることを授業で教えれば、楽しいと感じる子がもっと増えるだろう。13.12.15
投稿元:
レビューを見る
おお、そうだったのか! といっぱい言いたかったけれど・・・。
こちらが散漫な読書をしたせいか、意外と驚けなかった。
鎌倉幕府の成立が1192でないかもしれない、という話は、昭和の教科書で育った私も、いつの間にか知っていたことだったし・・・。
そもそも、昭和(末だけど)の教科書で育った世代だけれど、その昭和の教科書をそれほど覚えていないということもあるのかも。
他の方なら楽しめるかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
教科書というとなんとなく味気ないもののように思うかもしれないが、実は、その一言一句には、多くの史実と学説に基づく蘊蓄が込められているし、長い年月を経れば史実に対するその評価、記述は変化する。本書は、1972年の昭和教科書とほぼ30年後の2006年の平成の教科書を比較しながら、その間の記述の変化を追う。それはたとえば縄文時代が意外に弥生と重なる時期があったとか、稲が朝鮮半島だけでなく、大陸からも伝わったとか、旧一万円札の聖徳太子像は別人かもしれないとか、元寇では2度も神風が吹いたのかとか、長篠の戦いで武田騎馬隊は存在したか、信長の鉄砲三段打ちはありえたかとか、多少はテレビや本で聞いていることもあるが、こんなに歴史事実の評価が変わったのかと驚くことばかり。「踏絵」も「絵踏」に変わったそうだ。「踏絵」は絵であり、本当は「絵踏」でないといけないからだそうだ。たしかに、「踏み絵を行う」は漢語ではなく和語表現ではあるが、「読書をする」と同じように、動詞+目的語構造と考えられているのではないだろうか。ぼくはそれほど違和感を覚えなかった。
投稿元:
レビューを見る
平成生まれの自分としては変わってしまったあとの歴史を学んだため特に目新しいものはなかったけれど、昭和から平成にかけてどのように研究が行われてきたのかはなかなか興味深かった。文体がちょっと硬くて読みづらく感じた。もう少し軽い文体で書いて欲しかったかな
投稿元:
レビューを見る
歳を取るにつれて歴史は連綿と続いていて、今自分の見る世界の複雑さと同じなんだなという気づきがありました。
本書を読んで、教科書という小さな枠の中に複雑な世界を切り取るのは、やはり難しいんだなと思いました。歴史教科書に人間味を感じられます。
また教科書を作成するのにすごく苦労されていて、であれば歴史教科書は単に記号を学ぶだけのものではなく、もっと日本人の教養の入り口になるようなモノになっていったらいいのにと思いました。
投稿元:
レビューを見る
年号の暗記を要する歴史が苦手だった。だから教科書は無味乾燥なものであった。史料を基にした歴史小説を読んできた今、日本の歴史にいくらかでも馴染んだ気がする。昭和と平成の歴史教科書を対比させながらの記述はたいへん興味深い。しかし、古代から近代まで納めなければならない制約から、例えば坂本龍馬などは本書では一切触れられていない。教科書に+αの話を盛り込んでくれる教師がいたら歴史が最初から好きになっていたかな~?
投稿元:
レビューを見る
長年歴史教科書を執筆してきた著者が、中学校における昭和47年(1972)の教科書と平成18年(2006)の教科書との違いを比較すると共に、現在でもドンドン更新されている最新の歴史の見直しの一端を披露することにより、教科書の簡単な記述の中に込めた多くの思いを語った本である。
最近時々TVでも紹介されているように「聖徳太子」「源頼朝」「足利尊氏」らの画像は「・・・と伝えられる肖像画」と、特定を避けた記述になっていたり、「島原の乱」は「島原・天草一揆」、「西南の役」は「西南戦争」と変化している。
幾つかの具体例を上げると、
人類の出現⇒人類登場の年代はドンドンさかのぼる
昭和の教科書:「よくわからない」
平成の教科書:「400万年前」
化石の新発見とともに、人類の出現はドンドン遡っており、近年では700万年前まで遡っている。
百万年単位で動くのが凄い。
大和朝廷⇒ヤマト政権・ヤマト王権
まず「朝廷」には天皇が政治を行う場所という意味があり、天皇を中心とした国家が成立していない時期の用語としては不適当という考えから「朝廷」という文字が消えた。
また「大和」は8世紀頃の行政区画名で、それ以前には「倭」「大倭」の文字が使われていた。4~5世紀の政治勢力の中心範囲と異なることから、最近では「ヤマト政権」や「ヤマト王権」と表記されるのが、一般的になりつつある。
私の世代では「ヤマト」と書くと、「宇宙戦艦ヤマト」や「クロネコヤマト」を連想してしまう。
また、私の棲む「彩の国」は江戸時代以前は、歴史の不毛の地かと思っていたら、「さきたま古墳群」の中の稲荷山古墳出土の鉄剣に金象嵌の銘文が発見された。この発見により、5世紀後半にはヤマトの大王を中心とした政治連合に関東から九州までが参加していたことが分かったそうだ。まさに世紀の大発見だった。
長篠の戦い⇒武田騎馬隊は存在したのか
昭和の教科書:「織田・徳川の連合軍の鉄砲隊は武田の騎馬隊を狙い撃って大勝利を得た」
平成の教科書:「鉄砲を有効に使った戦法により、武田氏を長篠の戦いで破り」
と、鉄砲隊に関してはグーンとトーンダウンしている。これは近年の研究成果により、「鉄砲三千挺、三段撃ち」も「武田の騎馬隊」のいずれも存在しなかったとの説が有力になっているのだそうです。
また当時の日本の軍馬の体高(首の付け根までの高さ)が126cmと「ポニー」並みの小ささで、人が騎乗したままの戦いは無理で、闘う時は馬から降りたそうだ。
第33回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した黒澤明監督、仲代達也主演の映画「影武者」のラストでの織田・徳川連合軍と戦う武田軍の壮絶な騎馬隊の戦闘シーンはどうなるのでしょう。
因みにこの映画の撮影には体高が170cmもあるサブレッドが使われたそうだ。
ああ! 夢がドンドン壊れて行く・・・
投稿元:
レビューを見る
昭和と平成の歴史の教科書がどう変わったかの差分説明。
○○と伝えられていた人物画は今は違う人物の画と判定されているなど。
面白いと言えば面白かったが、残念でもあった。
昭和の授業を受けた身としては、何を勉強してたんだと言う気にも。
歴史というものは断片的な情報をかき集めて、そのときの人がそれっぽいと思ったものが採用されているのだなと感じた。恐らくまた20年もしたら別の内容になっているのだろう。
国の成り立ちと言う意味で近代の歴史は要るだろうが、それより前の不確かな歴史を授業としてするのは必要なのだろうかと思ってしまった。
とはいえ、なぜそう判定されたかも分かりやすく書かれていて、内容は面白かった。
投稿元:
レビューを見る
歴史研究が進んだ結果、昔と今とでは歴史教科書の記述が変わってきていて、足利尊氏だと、源頼朝だと信じてきた肖像画が実は別人だったとか、鎌倉幕府は1192(いいくに)作ろうじゃないとか、仁徳天皇陵が今は「大仙古墳」だとか、「大和朝廷」じゃなくて「大和政権」だとか…昔当たり前だと思っていたことが、ことごとく訂正されて、あの時覚えたあれは何だったの?と思うものの、なぜ違ってきたのか、何がどれだけ変わったのかという話には、興味があるし、面白いと思う。
で、なぜ、教科書の記述が変わったのか、または曖昧になったのか、研究資料やその解釈の変化の過程やらから分かりやすく説明してくれている本です。
学校の授業でも丁寧にやった、古代から明治維新前後あたりはおもしろく読めるのですが、授業でも駆け足になる近代以降になると、ちょっと不完全燃焼になる。
それまで、資料を示しての丁寧で論理的な説明だったのが、何やら雑な説明になったような。
「今」に続く近代だから、色々配慮しなければならなくたったということなのでしょうが、比較としての「昭和教科書」の記述がなくなり、「平成教科書」ではこうです、という説明に留まっていて、タイトルの「こんなに変わった」はどこに行ったのかと。「変わった」比較ができないなら、近代の章はなくても良かったんじゃないかと思う。
投稿元:
レビューを見る
昭和と平成の中学校歴史教科書を比較して、変更された部分と変更理由である歴史学研究の成果を学ぶ本。
新旧の歴史教科書を比較することで、歴史学がどのように進化していったのかを本書で知ることができます。
投稿元:
レビューを見る
新説が登場してから教科書に反映されるまでには30年程度かかるらしい。そこで、昭和と平成の教科書を比較して、どのぐらい記述が変化したのか、要するに昭和から平成にかけて歴史がどのように書きかえられたのかを説明。40代以上には驚かされる事も多いので読んで損はない。「はじめに」の慶安御触書の話からイッキに引き込まれれる。尚、著者の専門領域である近世に重点が置かれている事に留意。(この中世・近世の時代区分にも色々と問題がある事がわかった事は収穫であった。)