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主人公と作者が同じ名前ということで、主人公に自分を投影しているのだろう。主人公は古典文学に精通しているのだが、同年代の友達との趣味の違いに純粋に引け目を持っている。ただ、おれ残念ながら古典が好きなんだよねーつまらない男だから古典好きなんだよねーという作者のドヤ顔が浮かんできてムカつく。
優等生キャラ、学生運動とはこういうものという枠、それらを抜けられないすべての人・社会を批判する気持ちはわかる。前半はそんな社会に迎合してしまう自分、後半は社会をダイレクトに批判する自分、最後に申し訳程度に(おそらく1日ばかりの)穏やかな心を取り戻す自分を描く。つまり、自分とは違う、くだらない社会に対する非難が主。
東大まで行って、そんな選民意識しか身につけられなかったなら可哀想だね。
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1969年、学生運動真っ盛りの時代。
日比谷高校を卒業し東大へ、という当たり前に用意されていたはずだった進路を学生運動によって絶たれてしまい、突然人生に迷ってしまう薫君のお話。
文体は軽くてシニカルで村上春樹っぽくて正直あまりすきじゃないけど
とてもよかった。
基本的に思春期自分語りモノには弱い。
自立した知性とはなんだろうか。
数寄屋橋でゲバ棒を握りシュプレヒコールを唱える学生たちを見て、薫君は考える。
彼らは本当に、自分だけの胸で考えつくし、判断し、決断した結果ここにいるのだろうか。
そして、たとえそうだとしても、その決断を単に青春の過ちとして見殺しにすることなく、一緒背負い続けていけるのだろうか。
彼らはその決断をした自分自身に対する責任をとれるのだろうか。
薫君が彼らに対して抱いた苛立ち。
彼らはその若々しい決断に対して責任など取りはしない。
彼らは若さを免罪符に猛々しく社会に立ち向かっていくが、ばかばかしい現代社会に行く手を阻まれ、ゆくゆくは挫折し、そのばかばかしい現代社会に溶け込んでいくのだ。
あの頃は若かった、おおわが青春の日々よ、などど自らの行動を勲章のように携えながらも、その行動を決断した若き頃の自分自身はすっぱりと切り捨ててしまえる。
「いつでも自分を「部分」として見殺しにできる恐るべき自己蔑視・自己嫌悪が隠されているのだ。」p153
と薫君は言う。
薫君にはそんなことはできない。
彼は自分自身の胸で考え、それが本当に、自分だけではなく皆のために必要だと分ればいつだって立ち上がる。
しかしその時は、中途半端に挫折したりせず、あらゆる手を使って必ずや敵を倒し息の根をとめるだろう。
だかこれも薫君の捨て台詞である。
それをやって開き直ってはおしまいだ、という薫君の諦念めいた呟きがなんとも若々しくてきゅんとする。
若いころの物の考え方はとても真っ直ぐで純粋で、ゆえに極端である。
人は自分だけのことを考えて、時には自分自身の決断すらも切り捨てて生きていくことができる。
その時々の自分のささやかな幸福だけを望み、周囲の人を気に掛けるそぶりは見せても本当に心から他人の心配をしたりなどしない。
ましてやみんなを幸福にするにはどうしたらいいかなど考えもしない。
それは現実の社会ではごく当たり前のことであり、そうやって生きている社会の人々はみな幸せそうに屈託なく生きている。
薫君だって、そんなややこしい考えは打ちやって、皆と同じように適当に物事をこなし、世の中を泳ぎ渡ることだってできる。
「みんなみんな簡単なとっても簡単なことなのだ。そしてなにもぼくが、そういつもよりによって難しいやりにくいことばかり選ぶなんて必要はどこにもないんだ。誰にも頼まれたわけじゃもともとないんだから。」p156
そうして自棄になった薫君が少女と出会ってまた前を向いていく流れもきらきらしていてきゅんとするのだけど。
次から次へと溢れるように紡がれる若い薫君の思想が少し気恥ずかしい��うな気もするけどよかった。
あれくらい物事を色々と考えられるような学生でありたかった。脳みそ空っぽのまま大人になってしまった自分を反省しつつ。
学生自体に読んでおきたかった。できれば高校生。きっとショックでしばらく打ちのめされてたと思うけど。
全然関係ないけど最近こうやって読後に文章を書いていると、自分が大人になったことを自覚しているのだなと思う。
つい最近までまだ自分は高校生のような気持ちで本を読んでいた気がするのだけど、ここのところ大人になった気持ちで何か懐かしい感じで呼んでいる気がする。
でもなんだか大人になりすぎて40前後のお母さんが思春期の息子の心の中を盗み見ているようなよくわからない感覚。
でも23ってまだまだクソガキだなと思う。これからだ。
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2014.1.30〜2.6
最初はがまんしながら読んでたけど、最後に向かって、なんだがすがすがしく面白くなってきて、最後はよかったなと思った。ただ続きがあるらしいけど、またそれを読むかは別。
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庄司薫の4部作は、ずいぶん昔に読んだきりだったと思う。後半の2作は手元にあるので時々読み返していたが、前半2冊はとんとご無沙汰であった。最初に読んだときには、そちらの方が楽しく読めたにもかかわらず。朝日新聞に記事が載っていたのをきっかけに、改めて読んでみた。
ともあれ、懐かしい饒舌な文体。僕自身の文章の書き方、ずいぶん影響されているんだなと妙な発見をした。ぐだぐたと話が混乱していったり(もちろん庄司薫の場合は確信犯)、断定をしないで保留を繰り返す感じが、思考のあり方とぴったり合っていて、妙な快感がある(時々いらつくけれど)。
そしてその特色ある文体で描かれるのは、もうある意味で時代小説と言っていいような、ある一時期の男の子の一日である。
僕はかろじてその時代の気分を味わっているつもりでいる。で、そのことを少しうれしく思っていたりする。この作品の中で書かれている「鼻持ちならない」日比谷高校の姿なども、わりあいリアルにわかる。自分もそういう風に吹かれていて(もう止みそうなそよ風だったが)、それに影響されていたと自負していると言ってもいいかもしれない。だから、主人公庄司薫君の独白は、ほとんど自分の独白のような気持ちで読むことができる。
まあ、彼のような高みにいけたことは一度もないし、彼のように真剣に試作していただけではない。ただ思考の道筋とか、土台となっているものとか、そういうものがよくわかるのだ。そして、僕自身もそういった年代で、多かれ少なかれ同じような自問自答を繰り返していて、たぶん今もそれが続いているのだとはっきり感じる。
そういう意味で、うんとなじめる本だった。また、今の自分について、ちょっとした発見をくれた再読だった。
が、小説としておもしろかったかどうかは別。女医さんとの出来事のような楽しいところもあるけれど、至極淡々と一日が過ぎて行くような印象で、特に終わり方がもうひとつピンとこない。一人で勝手に盛り上がり(盛り下がり?)、一人で勝手に解決しているような気がしてしまった。個人の中で大切なことって、横から見ているとそういうことが多いのかもしれないけど、小説としては少し物足りないように思う。
そういう点では、4部作の序章って感じがする。単独で読むのでは、本当の魅力は伝わってこない物足りなさがある気がした。
注 四部作の順番は、僕的には赤白黒青です。出版順では白と黒が入れ替わるのですが、作中時間と主人公の成長でこっちの説です。
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先日「戦後の幸福」がテーマの話を聞きにいった。その時に、村上春樹、エヴァンゲリオンと並んで、またサブカルチャーの走りと紹介されていたので興味が湧き手にとってみる。
高校三年生だった主人公が、志望していた東大が入試中止になり、大学進学を辞める話。文は主人公の思考がずらずらと続く。共感できず、面白さが分からない。学生運動の時代の人にはウケた話なんだろうな。「回りには熱い奴が沢山いるが、同調できない感」が共感を読んだのだろうか?
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娘に、どうして高校生時代に薦めてくれなかったの、と言われたけれど、母の薦める本なんて読まない、っていう感じの健全な高校生だったね。
何十年たっても若者の心に残る作品だとはわかっていたけれど、いくつになってもその頃の自分にタイムスリップさせてくれる作品だとわかったのは、娘達が手にとってくれたおかげ。
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日本版ライ麦畑って感じ。
「ぼく」という一人称に代表される、口語体で、周りの定型化された大人を軽妙にからかったり、定まってない自分が見え隠れしたり。時代の雰囲気がよく伝わります。
ライ麦畑は背伸びしてるちぐはぐさまでうまく出てたけど、これはなんか冷めてる気がして好みではなかった。
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男の子はいかに生くべきか。優しくてお坊ちゃんで素敵な薫くん。今は亡き日比谷高校(日比谷高校はあるけど、それの象徴する制度)に読みながら憧れる。こういう世界が昔はほんとに普通にあったようで、古き良き時代ってやつなのかな。
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これは俺の話だ!と途中までは思ったんだけど、読み進めるにつれてなんか鼻につく部分が増えていってしまった。
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前半は若きウェルテルの悩みのようにつまらない。後半はきれいな小説になる。泣かせてくる。あとがきが意味不明。つける必要あるのか。
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表紙はほとんど映りませんが、第11話(11月17日放送)に登場。青年の眼を通して現代社会の価値観の揺らぎを直視した、この伝説のミリオンセラーを読みながらも、真琴の心は、父のリストラで退学の危機に直面している教え子・根岸に向いているようです。
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自分のことは自分でする、ひとに迷惑をかけない
高校生の頃、父親の本棚で見つけて読んでみたら見事にはまってしまった一冊。何度も読んでいる。大学の講義で「ライ麦ばたけでつかまえて」の類似作品として紹介されていたときには違和感を覚えた。ライ麦のホールデンくんの求めていたイノセンスを薫くんは求めてはおらず、どちらかというとパターナルな考え方をもっているように思ったからだ。青春小説の皮をかぶった政治小説というと聞こえは悪いかもしれないが、表面だけでも十分おもしろい。電話をするとお母さんが必ず出るとか、足けがしているのに自転車に乗ってみたりだとか、クスクス笑ってしまうところもあれば、感動するような決意をする場面もある。
海のような男ってなんだろう?
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自分の生まれ年、1969年の芥川賞で、若者を中心に一大ブームとなった作品。タイトルは耳にしたことはあったけどここまで触れ合うことはなし。偶然手にした雑誌で吉田照美が絶賛していたのが目にとまり、主人公が日比谷高校3年で、東大封鎖で受験できなくなった18歳ということで、息子に読ませようとレンタルした。
息子の感想は今ひとつだったが、彼が読みづらいと言った当時の若者言葉、饒舌的な文体はいまだ古くさくなく、みずみずしく輝いてるのに、私は感動。当時、相当な革新的な文体だったんだろうと、影響力の大きさが想像できる。ほかでも言われてるが、読み始めてすぐに、ライ麦畑でつかまえてを彷彿とした。村上春樹らにも影響を与えたらしい。
当時の文化、流行、人気女優の名前もふんだんに使われていて、それを見るだけでも興味深い。半分くらいは意味不明だったから、後でググって復習。「あなたって、ケーコートーね」というのは、「あなたって鈍いわね(灯りがつくのに時間がかかることから)」という意味らしく、今新たに使いたくなってくる。
それはさておき、筆者の知力は圧倒的だ。当時の日比谷高校スゴイ。もっと知らなくちゃいけないことあると、一人反省会中。
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東京紛争という混乱の時代に生きる青年の精神面の葛藤を描いたもの。といっても、主人公は紛争に参加するわけでもなく、さしたる事件もドラマもなく、内容は彼の内面にある青臭かったり政治的だったりとした心情、若い日の戯言を文章化したもの、という印象。
人によっては「そういう頃もあったかな」と共感出来るかもしれないが、私には合わなかった。
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なんで読もうとしたか忘れたが(たぶん著名人による紹介)、どんな本かも知らずに読んだ。知ってたら敢えて買わなかったかも(笑)
話が古いのね。。で、一人称で、自分の考えをひたすら縷々述べる。それが飽きてしまう部分もあるけど、その心の起伏が、なにか昔の自分に投影されるところもあって。
最後に、赤ずきんちゃんに足を踏まれる。思考から感覚への移行。単なる妄想ではなく、確実な実感。ここの流れが良かった。