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さがしています みんなのレビュー
- アーサー・ビナード (作), 岡倉 禎志 (写真)
- 税込価格:1,430円(13pt)
- 出版社:童心社
- 発売日:2012/07/20
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紙の本
「ピカドン」という言葉がレンズの役割を果たした
2019/07/11 07:17
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
この絵本は絵画ではなく、写真で構成されています。
写っているのは被爆者の遺品。
ことばを書いたのはアメリカ出身の詩人アーサー・ビナード。
アメリカ人が原爆のことを書くのか、と最初は意外でしたが、
この人の書くものには、被爆した側によりそいながらも
被害者側だけではない視点があるように感じます。
広島平和記念資料館の地下収蔵庫から選んだ14点の遺品の写真と、
それに添えられた詩。
さがしているのは、失われた未来であったり、殺された人であったり、
奪われた夢であったり、防ぐためのてだてであったり、さまざまです。
写真をじっくりと見てから、詩を読む。
そしてもう一度写真を見る。
写真と詩だけから想像してもいいでしょう。
巻末には遺品のもう少し詳しい背景説明があります。
それを参考にしながら読むのもいいですね。
作者のアーサー・ビナードは、人が物について語るのではなく、物が人について語る、
つまり擬人化した物が語るという手法で詩を書いています。
リニューアルした広島平和記念資料館は、ホンモノの遺品に出合わせるというコンセプトで展示しています。
それとつながるものがあります。
遺品になりきって文章表現するという行為は、
第三者的に(他人事として)原爆を見るのではなく、
主観的に原爆を見ることにつながり、
その見方は原爆をわがこととして考える
当事者性を高めることにつながるのではないでしょうか。
そういえば、この本の「あとがき」でこんな意味のことを作者は書いています。
自分はアメリカの学校で「原子爆弾」あるいは「核兵器」という、
原爆を作って落とした側の言葉を使って、原爆の正当性を教えられた。
しかし日本で被爆者が使う「ピカドン」という言葉に出合った。
生活者が自分の体験に基づいて使っている「ピカドン」という言葉がレンズの役割を果たして新しい視点を与えてくれた。
この絵本は
悲惨なこととして目をつぶるのではなく、
同情心や被害者意識にどっぷり浸かるのでもなく、
過ぎた時代のこととして遠ざけるのでもなく、
仕方なかったこととして忘れるのでもなく、
他人ごととして目を背けるのでもない、
原爆への
新しい向き合い方がさがせる本です。
紙の本
『さがしています』
2016/10/16 20:31
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:百書繚乱 - この投稿者のレビュー一覧を見る
8時15分で時のとまった時計がさがしているのは
「おはよう」のあとの「こんにちは」
トシユキの足を守って「ただいま」と家にたどりついた革靴は
「いってきます」をまっていて
炭化したご飯の入ったアルミの弁当箱は「いただきます」を
とけてまん丸じゃなくなったビー玉は「なにしてあそぶ」を
さがしている
原爆の遺品に「さがしている」ものを語らせる写真詞集
ビナードのことばと岡倉の写真がこのうえもなくひきたてあって
アメリカ兵をとじこめた独房のカギがさがしているのは...
ひとを とじこめて なにになる?
ほんとうに とじこめなきゃならないのは
ウランじゃないか……
おれたちは やくめを さがしてるんだ。
紙の本
「もの」は雄弁な語り部になる。
2012/11/30 17:17
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大型絵本に分類されていますが、詩のついた写真集、あるいは写真からインスピレーションを受けて書かれた詩集です。「さがしています」と言っているのは、広島の原爆の跡に残された「もの」たち。
食べられることなく残ったお弁当は、食べてくれる人を「さがしています」。
解けずに残った鉄瓶は、「お湯を沸かすため」のほんものの火を「さがしています」。
はいていた子供がいなくなり、またはいてもらえるのを待っているかのような靴もあります。
表紙の鍵は・・・何をさがしているのでしょうか。
あの原爆を伝えようと作られた作品は数多くあるけれど、こんな風に語る声もあったのですね。
「もの」というのはときに雄弁な語り部になる。聞く耳を持つものにとっては。ビナードさんは、かすれていくこれらの雄弁な語り部の言葉を聞き取り、届けてくれました。重い、聞きたくない、忘れたい言葉だけれど、聞かなくては、覚えていなくてはいけない言葉を。
詩を書いたビナードさんにはベン・シャーンの第五福竜丸関係の絵にも文章をつけた「ここが家だ」という作品もあります。どちらも、忘れてはいけないものにもう一度私たちをつなげてくれる作品です。