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文学作品は個人的に苦手というか、何を伝えたい作品なのかを読み解くのに苦労する。
この作品も一体何の話なのだろうと時間をかけて読んでいき、解説を読んでようやく納得できた。
簡単に言ってしまえば少年の成長の物語。
ただし、少年の目線で書かれた物語には様々な伏線が散りばめられ緻密な構成によって織り成されている。
少年期に見える大人が感じるよりも何倍も膨れ上がった現実が繊細に鮮やかに描写されていて、ジョエル少年が感じているうすら寒さみたいな恐怖を一緒に体験した気がする。
ジョエルが『自我を得るまで』の過程と、彼を取り巻く『時の囚人』達の物語。
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表現は美しいけど内容はあるのかないのかよくわからない。途中まではけっこうおもしろかったけど、小人と観覧車に乗ったあたりからなんかわかんなくなった。ジーザス・フィーヴァーは好きです。
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乾燥して、ピリピリするようなイメージと肌にまとわりつくような湿度の高い空気とが同居した不思議な作品。中学生の時とても時間をかけて読んだ。読み直したい。
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カポーティ大好き人間の僕なのですが、内容をほとんど覚えていません。なんとなく読みずらかったのかもしれない。なんか、どこかの家へ遊びに行く話だったかなぁ、違う作品とごっちゃになっている可能性が大いにあります。
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妖精の涙でふちどられた 刺繍のような一冊。
その美しい文体は、原本では韻さえ踏んでいるそうです。
読者の心の秘密を言い当てる事の出来る作品は、本当に特別の一冊。
そしてそれを表現出来る作家は、本当に特別のひとり。
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この本は私が殆ど始めて美しい装丁で欲しいと思った一冊です。
革は勿論白い毒蛇、モカシンで。
そして裏表紙には発売当時そうであったように
ジョエルを思わせるカポーティ自身の写真を入れて。
そう思わざるをえないほど美しい。例えるなら朝露が落ちる瞬間の物語。
本そのものも美しくないと、内容と釣り合わないと感じずにいられなかった。
そのくらい、この小説は
あまりにも繊細で、涙のように美しくみずみずしいです。
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カポーティの小説に出てくる女性はとびっきり魅力的なひとが多いのですが
(逆に男性はダメ男が多い気もするけど)
その中でもアイダベルは屈指のヒロインのひとりだと思います。
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想像の中のアイダベルは
手入れの悪い赤毛で、こちらをしかめっ面で睨んでいる。
あの乱暴なアイダベルが汚い野良犬を必死に庇っているさま
「実は時々泣くけれど、それは誰にも言わないで」と頼むところ
誰もがきっとアイダベルを好きになる。
上辺だけが愛らしいフローラベルではなく。
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『誰もが私を通り過ぎて行ってしまう。
大人の男性は大き過ぎて…少年は必ず大人になってしまう』
物語の終盤の小人の彼女の台詞。
その比喩の本質がせつなかったです。
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私はゴシック、バロックが好きなのだと思います。
不自然に歪んだ表現、とも揶揄される様式美ではあるけれど
率直に言って
バロックの香りの強いこの小説の多少幻想めいた表現が
全く苦ではありませんでした。
寧ろその幻想めいた表現が
心理の内面を突いているように思われ、とても共感出来るのです。
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そしていつも思う事だけれど、カポーティの物語は色が綺麗です。
そしてそれを表現していると言う事は
カポーティはいつも色彩の取り合わせを感じ、その印象を受け取っていたと言う事なのでしょう。
(彼が白と黒の舞踏会を催したのは納得出来る事です。)
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処女作としては、確かに”真夏の航海”よりはこちらの方が(あれもとても魅力的な作品だけど)
相応しかったかもしれません。
17才の少女グレディよりも、14才の少年ジョエルの方が。
処女作、アンファンテリブルだと騒がれる事の多いこの作品ですが
カポーティは子供の頃からずっと書き続けていたらしいので
言うなれば、この小説は彼の初めてのコンサートとの事。
(つまり、昨日今日、急にピアノを触って弾いたのではなく
ずっとその練習を何十年も続けて来た結果の演奏との事。)
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再読、のはずだけれどこんな話だっけ?と思いっぱなしだった。細部はきらきらしていて美しい宝石のよう。しかしところどころに見え隠れする残虐さ。少年時代の豊かすぎて毒となる感受性が閉じ込められている。多分凄く精密に計算され尽くしてかかれた作品だとは思うけれど、わたしには突拍子も無い展開に思える部分が多々あって悲しい。誰かあのアンバランスで気まぐれに思える突然の展開の真意を解説してほしい。
本の終わりに仄めかされる少年時代の終わり。カポーティーは永遠の少年を生きた人だったんだろうというのがつくづく分かる作品であり、天才はやっぱりこわい。
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南部の架空のド田舎、ヌーンシティに惹き付けられる。お父さんを探しにやって来た少年がちょっと大人になる話。
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物語の後半から、強烈なエピソードの連続で目がまわってしまった。
その一つ一つのエピソードにどんな意味があるかは私にはよくわからなかったけれど、ランドルフが言っていた、「たいていの人間の生涯は、未完成な挿話のつづきじゃないかい?」という言葉を思い出して、これがジョエルの人生なんだなあと考えても仕方のないことを変に納得した気がしました。
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自らの幸せや不幸を決めれずにいたり決めかねていると、不幸を避けようとし、幸せはやってくるものだと感じるのかもしれない。
子どもにとってまた自らの幸せや不幸を決める事は困難であり、それもあって親の存在というのは重要なのだろう。
そして親が与える幸せや不幸が子どもにとっての道徳や倫理、それに近いものには十分になり得る、だから同時に親は子どもにとっての永遠の監視者にもなり得る。
その道徳や倫理のもとに生きる事はともすれば易き事かもしれず、またそれにすがりたくもなるであろう。
ただその道徳や倫理の囲いがとれた先に、自分で掴む最初の幸福は待っているのかもしれない。
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なんとも不思議な小説でした。
カポーティのデビュー作。「ティファニーで朝食を」とはまた違った印象の小説でしたが、ある種のイノセントな世界を描いている点では近いものもあるよーな気もします。
少年が大人へと成長していく複雑な心理を美しい文章で表現している。正直、意味がわからない部分も多々あり、読みやすい小説ではないと思いますが、文章から伝わってくるみずみずしい感じがとても素敵です。内容は暗いんですけどね。
ただ、訳がちょっと古臭い感じがしました。新訳でたら欲しい。
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カポーティ23歳の時のデビュー長編。アメリカ南部のヌーン・シティ(時が止まったかのような名前だ)のさらに郊外に位置するランディングが舞台。著者の半自伝的な小説とされるが、その本質はけっしてリアリズムにはない。ランディング自体が半ば時間を超越したような地であり、13歳の主人公ジョエルの視線もまた、時として土地の背後にあるものを幻視する。物語は、最初はジョエルとアイダベルとの間に愛が芽生えるかのように展開してゆくが、どの登場人物もそして風景も、実にアメリカ南部的な熱とけだるさの倦怠の中に溶解してゆくのである。
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1948年発表、トルーマン・カポーティ著。父からの手紙を頼りにアメリカ南部の町、ヌーンシティーを訪れる13歳の少年ジョエル。そこから更に馬車に揺られ到着した父の住む屋敷。そこは外界から隔絶され、過去にしばりつけられた人々が住む、幽霊屋敷のような場所だった。ジョエルはそこに住む姉妹のうち妹のアイダベルに惹かれていき、その果てに破滅的な幻想世界に囚われ、そこから脱出した時、自分が大人になったことを知る。
非常に詩的で美しい小説だった。カポーティの作品は「ティファニーで朝食を」だけ以前読んだことがあったのだが、正直あまり面白くなかった。しかしこの小説はそれとは全く異なった雰囲気を持っている。
まず比喩表現がすばらしい。午後の光の退廃的な雰囲気、廃墟や荒れ果てた庭の泥臭い匂い。単純に描写するだけで伝わらない抽象的な部分をうまく掬い上げている。まさに「濡れた文体」といったところだろう。しかし描写がジメジメしているわけではなく、むしろ幻想的でキラキラしている。こういったところに、少年の純粋な目で見た世界、という雰囲気がよく出ている。
そして時折に飛び出てくる哲学的な考察が鋭い。一見気づきにくい配置のされ方をしているが、よく注視すると小説全体の暗喩になっている。こうした文章はともすると説教臭くなりがちだが、それを大人のキャラクターに語らせたり幻想性でぼやかしたりして作品の雰囲気に馴染ませている。おそらくかなり気を使って書いたのだろう。
この小説のテーマは「少年の成長」だとよく言われるようだが、私には何だか少し違うように思える。「少年が大人になる」のと同時に結局「大人は根本的に少年性を心から切り離すことができない」と言いたいのではないだろうか。だから最後ジョエルは屋敷に戻っていくし、過去の自分という少年の幻影を振り返ることしかできない。そうしておそらく年老いた少年モドキとして生きた幽霊となる。この小説を書いた後の著者の末路を考えると、彼がそれを体現してしまったとしか私には思えないのだ。
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傷つきやすい少年が映す世界はどんなだろうか。子どもの頃、夢見る頃へのカポーティの追憶は陽の下に転がったビー玉みたいに綺麗で、はかなくて、あまりに切ない。
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カポーティは23歳にして自分の最期の姿をはっきりとみていた
美しい少年も、桃肌で身体の弱い中年男も、突然泣きわめく女も、男の子に生まれたかった女の子も、雪のみたかった黒人も、みんなカポーティ自身だった
何にでもなれるけれど、何ものでもない。私の想像を超える想像力で、想像の限界をもみていた
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カポーティの本に初めて出会ったのは、短大に入った頃。英文読解の授業でミリアムを読んで、よりどころのない、奇妙にねじれた世界の虜になってしまった。
その後、幾つかの短編を経てこの本を手に取った。
カポーティの物語は、都会で孤独にさいなまされている大人の物語か、「草の竪琴」に代表されるような、田舎で過ごした満たされた少年時代を懐かしむような物語に大きく区分されると思うけど、こちらは後者寄りの話。しかし、物語中盤でジョエルが自分の想像とはまったく違う病床の実父を見出し、自分の拠り所を失っていく過程は、前者にも近い。
女装癖のあるランドルフや、ただ寝たきりで生きているだけの父親、小人症の美しい女性、首に大きな傷のある黒人の召使いズーイ。悲しく歪んだ人間たちが、ジョエルの目には時に恐ろしく、時に魅力的に映る。
時々、13歳主人公ジョエルは止めどない妄想の世界に引き込まれてしまうのだけれど、それが、とてもビビッドでゴシック。特に沼に沈んだ屋敷を妄想する文章は、息をのむほど美しい。
物語終盤、主人公は大人へのドアを開け、そっと後ろを振り返る。恐れを抱いていたランドルフも、誰かの助けが必要な人間でしかなく、魅力的だったズーイもその輝きを失っている。あの不可思議で輝いていた世界はもうどこにもない。本を閉じる時、胸が疼いてちょっと泣きたくなった。
いつか村上春樹が翻訳すればいいなって思うし、コーエン兄弟が映像化すればきっとすてきって思う。