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投稿者:メイチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
一トンの塩を舐めるようにひとや本と付き合っていく。ほんとうに「深い」ものは、時を経て再び向き合っても受け止めてくれる。
というようなことが、読書日記や書評といった形式をとおして書かれています。
須賀さんがが本を読むときは、こういう読み方、視点なんだなぁ、とひとの頭のなかを覗いているようでもあり楽しいです。
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投稿者:aki - この投稿者のレビュー一覧を見る
須賀敦子さんのように深いところまで本を読むことができたら、読書が何倍も楽しめるだろうと思います。
谷崎潤一郎の『細雪』について書かれた章は読み応えがありました。
随筆家であり、イタリア文学者でもあった須賀敦子氏の興味深いエッセイ集です!
2020/05/14 10:55
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、随筆家であり、イタリア文学者でもあった須賀敦子氏のエッセイ集です。本書の表題は、一見、奇妙なのですが、同書を見て思わず納得しました。というのは、「人を理解するには塩一トンをなめるほどの時間がかかる」という事なのだそうです。同書は、そのそのコンセプトに基に、様々な対象に向かって穏やかで柔軟さも含んだ感性を照射して著者なりの考えを表したエッセイなのです。同書の後半からは、書評となっており、谷崎潤一郎氏や矢島翠氏の作品、司馬遼太郎氏の作品についても触れられています。なかなか興味深い一冊です。
初めての須賀敦子
2018/09/03 20:58
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投稿者:飛行白秋男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
メッチャ読みやすい文章だし、「深い」です。
上品な方です。
エッセイのような書評
2017/03/22 10:48
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
本屋さんで先頭の数ページを読んで引き込まれたので購入しました。
静かな語り口でイタリア、アメリカ、日本などの作品を評価しつつ、自身の思いや経験を合間にそっと添えるような文章で、落ち着く一冊でした。
また、緩やかなだけでなく時にはっとさせられる文章もあり、考えさせられました。
まずは先頭の表題作だけでも読んでみてほしいです。
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投稿者:猫目太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
読後、付箋を貼った箇所に記載された本を数冊検索。そして購入。残念ながら、価格が高いので諦めた本も多数。著者の「深く広い読書」に感銘を受けた。
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須賀敦子の読書に関するエッセイと書評を再編集した1冊。文庫版の全集を入手したので、一度読んではいるのだが、須賀敦子の文章は読んでいて気持ちがいいので、再読も気にならない……というか、逆に楽しい。
『塩一トンの読書』というタイトルは、著者が姑から聞いた表現が元になっている。ユニークな表現だが、イタリア語には本当に『塩一トンの~』という言い回しがあるのだろうか……。
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「一トンの塩」をいっしょに舐めるうちにかけがえのない友人となった書物たち。本を読むことは息をすることと同じという須賀は、また当代無比の書評家だった。好きな本と作家をめぐる極上の読書日記。
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全集2〜4巻を底本に、書評・映画評などを中心に編まれている。気軽に持ち歩ける文庫本になってうれしい。
表題作の随筆は何度も読み返し、つねに心に留めておきたい内容。次から次への新刊に溺れてあれこれ濫読しがちだけれど、人生とともに関係を深めていく読書も大切にしなければ。
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イタリア人の夫とその故郷を愛し、数々のエッセイや翻訳を手がけた著者。海外文学も日本文学もひとしく読み込んで考察したこのエッセイ集は、良書を読むことのよろこびと奥深さを教えてくれる。
こんなふうに作者の人生に入り込み、その想いを斟酌しながら1冊の本を読めたら、それはとても豊かな経験だろうなぁ、と思う。
「読んでみたい」と思うには難しそうな本ばかりだけど、興味がわいたのは、
*ピカソやヘミングウェーなどが登場しながらレシピが書かれているというアリス・B・トクラスのクックブック
*若い人にも読んでほしいという、丸谷才一氏と中村真一郎氏の各「文章読本」
*翻訳者について系統的に書かれ、「翻訳はひとつの疲弊した文明を他の新しい文明へ繋いできた」という指摘が示唆に富んでいる、とする「翻訳史のプロムナード」
*震災から20年の今年、あらためて読みたいと思った「昨日のごとく――災厄の年の記録」
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塩を1トン舐めるように夫婦を共にするという言葉を姑から言われたそう。そこで、筆者は読書に置き換えたそう。
筆者は晩年新聞等のコラムに書評を書いていたそうだ。
いい読書のとっかっかりになると思う。
読書だって塩1トン舐めるようなもの。
いろいろな本を読んで、少しずつ消化したい。
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本を巡るエッセイである本書は、読むというより須賀敦子さんの語り口を聴いているかのようだ。「ひとりの人を理解するまでには、少なくとも、1トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」姑に何となく言われたその言葉は書物に対しても同様であり、塩だけでなく辛酸も舐めてきたからこそ発することのできる滑らかな理知と厳しくも優しい温かさが込めれている。それは古典の様だと思いながら、解説にもある通りこんな風に言われている気がしてくるのだ。あなたの声を見つけなさい。それは弱く、か細くとも構わないのだから。あなた自身の声を。
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神楽坂のかもめブックスで購入。初めての須賀敦子。
「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」
ではじまる冒頭の節は、これからも何度か読み返す文章なんだろうなあと思う。
他のエッセイがどうなのかは分からないけれど、この本に関しては荒川洋治を彷彿させる。次々と本を読みたくなる。読んでない本に関する書評なのに、説教臭くもなく、次々読んでみたいと思わされる。書物へ向かう好奇心が尽きない人が書く文章だからこそ、読み手も影響されるんだろう。
そして、書評としてだけではなくて、エッセイとして面白いということ。そこが大事なポイント。
次は「コルシア書店の仲間たち」を読んでみよう。
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「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」
ミラノで結婚してまもない頃の筆者に諭したという姑のこの言葉、そして本、特に古典とのつきあいにも同じことが言えるという筆者の解釈に強く感銘を受けた。
読書は大好きだけれど、自分の読書はスイーツを食べる感覚に似ている、と思った。
時には精進料理のようなものや、ステーキみたいなご馳走にも手を伸ばすし、まがい物はある程度見分けられる自身も多少なりとあるので味音痴ではないと思う。
けれど、どのくらい深く味わっているか、を問われると正直自信がない。
この本も、少し前に読んだ書評本も、読んでいて素直に面白いと思うとともに、自分の読書の経験値の低さ、知識不足に気の遠くなる思いに落ち込む。
書物の大海の広さに愕然とするだけではなく、その先に待っているであろう未知の世界や新たな出会いにワクワクする気持ちももちろん湧いてくるけれど。
私の読み解く力はまだまだ未熟で、大海の遥か沖まで漕ぎだせるほどのチカラは持っていないけれど、楽しみながらも深く味わい、いつか一トンの塩を舐めきる日が来ると良いと思う。
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「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければならないのよ」
著者の須賀さんが結婚して間もないころ、姑に言われた言葉がこの本のタイトルに。
一トンという大変な量の塩をともに舐めつくすには、途方もない時間がかかる。一人の人間を理解するというのは、生易しいことではない、ということ。
そして須賀さんは古典文学に触れたとき、この姑の言葉を思い出すのだそう。理解しつくすのがひどく難しい、という意味で。
海外で暮らした経験を持つ文筆家、須賀敦子さんの読書エッセイ集。
日々の生活や人とのふれあいのなかには常に本が存在していて、それはけして特別ではなく当たり前のことなのだけど、その当たり前を切り取って文章にしているような本。
シンプルに本が好きな人の側には確かに、ごく自然に本が存在している。そこに多くの出逢いや発見があり、年々大切な本が増えていく。
私はどちらかというと海外の作品よりは日本の作品を多く読むほうだけど、このエッセイでは海外の作品が多く紹介されていて、読んでみたいと思った本もいくつか。久々に付箋の出番でした。
本当は、一冊の本を理解するのにも、一トンの塩を舐めつくすくらいの時間が必要なのかもしれない。
日々たくさんの本にふれあいながら、一生をかけて理解したい唯一の本を持つというのも、いいのかも。