玩具ロボットSF
2019/06/05 22:03
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投稿者:かんけつ - この投稿者のレビュー一覧を見る
高い場所から歌う玩具のロボットが落下するイメージ。それを描いた連作。ツインタワーのテロを再現するため人格をコピーしたDX9を使うとかもはやリアリティなど軽々飛び越えている。
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投稿者:yukiちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
落下し続ける少女型楽器?
全く何のことか分からずに読み始めたが、短編ゆえの息抜きも忘れ、物語の持つ迫力に引き込まれ一気に読み終えてしまった。
読後感は、「せめてもう一話」。伊藤計劃にも似た無情感と寂寥感、そしてカタルシスがないまぜになった感情のシャワー。
一番印象に残ったのは、9・11を追体験するためにDX9を落下させるという、まったくもって意味も必然も現実性もない話を、そう、でっち上げる筆力の凄さ。
そして「二つのタワーの間には、何があるのだろう?」という問いかけ。
それこそが、事件以後の世界に住む我々みんなの生きるキーワードではないだろうか。
この本は、まさに多感な少年少女に読んで欲しい一冊である。
SF・文学性の両面で優れた作品です。
2015/09/02 00:26
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
直木賞候補&日本SF大賞特別賞受賞作で、表題作の他に4作品が収録されています。日本製少女型ロボットDX9が普及した近未来の南ア・アフガニスタン・ニューヨーク・東京を描いたSF短編集で、各国を代表する建築と各国が抱える紛争を「DX9の落下」を通して描く技巧派作品です。
この「落下」っていうのがミソで、南アの場合は日系企業が見捨てた耐久試験場で落下し続ける大量のDX9、東京の場合は疑似的な飛び降り自殺をするための意識の筐体として毎日団地の屋上から落下するDX9が描かれています。論理的な作品じゃないですけど、伊藤計劃に似たような訴えかけてくる凄みがありました。
また、解説に載っている宮部みゆきさんの
「人間が神に問いかけるように、DX9が人間に、「かほどの試練を与えるならば、なぜ我らを創り賜うたか」と問いかけてきても何の不思議もありません」
という引用文がとても印象的でした。
ただのSFと侮れない作品でした。ぜひ一読を。
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の得意分野の本である。
表題作は。
淡々とした語り口であるが、戦場と埃とゴミの臭いがする部隊をうまく表現している。
その舞台の中の人形との対比が見事である。
そのほかの作品も各々個性はあるが同じ基調を持っている。
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投稿者:ゐづみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
DX9が連作全体を通底するガジェットな訳だけど、過度に主張してきていないなという印象を受けた。アンドロイドを題材にしながらも、やはり氏の描きたいのはそれに対照されるヒューマニティなんだなと改めて。特に表題作と「ロワーサイドの幽霊たち」が印象に残った。前作収録の「人間の王」を読んだ時も思ったけど、この人は虚実の混交が本当に卓越している。
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SF大賞特別賞受賞作。
5編を収録した連作短編集で、1編1編はさほど長いものではない。文庫としても分厚いものが珍しくなくなった昨今では薄い方に入るだろう。
紛争地域を始め、舞台となっているのは、荒廃しているか、崩壊しかかっている場所、そこにDX9というロボットという共通のモチーフが登場する。
作中で描かれる世界は暗いが、全体的に希望の持てるラストだった。
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SFは現在と地続きなんだと実感させられる作品。紛争地帯、テロの現場、そして斜陽の北東京の団地が描かれます。そう遠い未来ではないですが、実感を持って迫ってくる。
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日本の某メーカーが愛玩用として開発した少女型ロボット「DX9」。歌うことが主な機能の彼女らは、安価で改造しやすい低スペックの製品であったことから、世界各地で大量に購入され、本来の用途とは異なる目的のために改造・使用され、世界各地で降り続ける。ヨハネスブルグの高層ビルから、ニューヨークのツインタワーから、アフガンの戦場から・・・DX9が「降る」光景を共通項に、不穏な世界情勢の中でもがく人間像をリリカルに描き出す連作短編集。
少女型ロボットが、空から降ってくる。それも、時によっては雨のように大量に。
SFとジャンル分けするには、あまりに詩的で幻想的な世界。その一方で、舞台となるのは戦場であったりテロの現場であったり、現実の国際情勢を強烈に意識せずにはいられない設定となっています。読後感は「かなり伊藤計劃」ヽ( ´ー`)ノ伊藤計劃以降、こういうムードの世界観が流行っているんですかね。ただし、未来に多少なりとも希望を残すストーリーが多いところが、伊藤計劃との大きな違い。
確かに面白い作品です。洗練された筆運びにはただならぬセンスを感じます。この世界観が好きな人には、たまらない作品だと思います。
が、鴨的には残念ながらどうしてもしっくりこないところがあり、手放しで絶賛するには至りませんでした。しっくりこないところとは、語弊を恐れずに言えば「SFとしての説得力」です。耐久性の試験をするためだけに高層ビルを買収して毎日数千体もロボットを落っことすって、その会社はどんなコスト管理してるのか?安価で低スペックが売りのDX9に、どうやって人格転写できるだけの容量が確保できるのか?あの「9・11」をロボットを使って完全再現する意味って、結局何?・・・などなど、イメージ重視の人にはおそらくどうでも良い細かいことなんでしょうが、鴨にはそのリアリティの無さがどうしても引っかかってしまい、せっかく現実社会と地続きの舞台設定を採用しているのに何だかもったいないなぁ、という印象を得るに至った次第です。
と、ここで鴨がくどくどと述べるまでもなく、巻末の解説で大森望氏が「最後のところで論理よりも美を優先する反SF的な作風」と端的に表現しておられました。正にその通りの作風で、SFとして評価すること自体が筋違いなのかもしれませんね。気になる作家であることには違いないので、これからもチェックして行こうと思います。
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5篇全編に渡って、ロボット「DX9」が建築物の上から落下し続ける様子が描かれている。
物語の中には9.11以降、そして伊藤計劃以降の「閉塞感」みたいなものが漂っている。
「そこに留まり朽ちていくか、道を切り拓くべく出て行くか」。物語中で建築物からの落下を繰り返し続けるDX9は「留まり朽ちていく」ものの象徴として描かれていると思う。対比として描かれている作中の主人公たちは最終的には「道を切り拓くべく出て行く」ことになるが、全てがハッピーエンドとはなっていないように思う(シェリルは凶弾に倒れ、ザカリーは死に、璃乃はDX9へ接続するようになる)。
ある意味で「俺たちの戦いはこれからだ」的な展開とも言えなくもないが、未来への希望を描いているようにも感じる。
作中では史実と架空が交差して、フィクションとノンフィクションの間をゆらゆらと揺れるような浮遊感も読む人を不安にさせるのかもしれない。
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日本製のロボットDX9を媒介に世界各国のテロや紛争地区の近未来を描いた連作短編。
民族問題や宗教問題などの歴史的背景と問題の複雑さが各短編で描かれるので、正直作品を理解しきれたかどうかは自信がないのですが、それでもこの作品に備えられている力というものは十二分に感じました。
その力の理由に作品の独創性がまずあると思います。現代においても未だ解決の糸口が見えない民族や宗教の問題、それを近未来とDX9というSFのガジェットを使ってどう描くか。表題作や「ハドラマウトの道化たち」でのDX9の利用法や政治の統治法もすごいなあ、と思ったのですが、なによりすごかったのが「ロワーサイドの幽霊たち」。虚実を織り交ぜて語られる壮大な物語に心を奪われました。
そしてそうしたアイディアだけでなく文章も独特の詩情があります。だから理解しきれなくても、これは力のある作品なんだな、というのが分かるのです。
『盤上の夜』を読んだ時も思ったのですが、宮内さんは今までのSF作家とはまた違った世界を目指しているように思います。作中のSF要素もその世界を表現するために一番都合がいいのがSF的な世界観なだけであって、そのうち分類不能な新しい文学が宮内さんの手から生まれるのではないか、読み終えてそんな考えがふと湧いてきました。
第34回日本SF大賞特別賞
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≪本の感想ではありません≫
東西冷戦が指導者・思想家に引っ張られた対立なら
昨今の紛争は人々の民族、宗教の意識に姿を変えて
湧き上がり、制御不能になった状態なのかと。
そこに米国中心の指導者たちの思想に動かされる
人々、国々と民族の意識がが互いに異なる地平で
ぶつかり、決して交わることない視点で争う。
で、日本はというと機械、技術の面で世界にかかわり、
思想や意識とは距離を置きながら、なんとなく
世界に組み込まれ、覇者側に染まる、と。
いや、この短編とは直接関係がないのだけど、
この本を読んで、場を支配する空気というか、
なんとなく、現代の世界と安倍以前の日本の
立ち位置がそんなかんじだったかと。
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近未来、ディストピア、軍隊、久々にSFを読んだ人間からすると、伊藤計劃以降のSFって似過ぎてる気がする。まぁ別に伊藤計劃が発端ってワケやなくて、攻殻機動隊とかブレードランナーとかからつながってるんやろうけど。
初宮内悠介、最初の感想はそれ。似てるからアカンいうことはなくて、おもしろかったりカッコよかったりすればそれはそれでええわけで、アフガン→イエメンの連作とかなかなか良い。ヨハネスブルグと北東京、降ってくる少女型ロボットを見ている少年少女、というほぼ相似のシチュエーションからどうなるのかと思ったら、それほど虚をつかれた感じはしない。もう少し大風呂敷でもええんちゃう?という印象。どうも頭の中のSFが小松左京だの筒井康隆だの星新一だので止まってるおっさんからすると、誠実かつ繊細過ぎる。もっとええ加減でええのにもったいない。
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前作『盤上の夜』以上にハードなSFであった。ストライクゾーンはものすごく狭いけど、好きな人にはたまらない作品になっていると思う。
テロ・紛争・格差などの今日的な問題を想起させる世界各地の建物から、少女の外見をして甘ったるい声で歌う初音ミクをモチーフにしたような日本製ロボット・DX9の雨が降ってくるお話が5編続く。9.11の再現と思われる「ロワーサイドの幽霊たち」を筆頭に、よくもまあこんなアクロバティックな作品を描いたなあというのが率直な印象。
一話一話はそれほど長くないけど、結構大事なことがさらりと書いてあったりするので、惰性で読んでいると物語についていけなくなる。細心の注意を払って読む必要がある、読み手の読解力が試される作品だと思う。そういう自分にとっても結構難しかったのだけど。
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文章が詩的過ぎるな、というのが気にかかっていたが、それは自分がSFとして期待をしていたからであって、意図していたのはSFチックな設定を借りた文学だったのだろうなと、読み終える段になって気付く。
DX9に仮託されているものは明記されないが、いずれの短編でも死後の永遠性と、肉体と現実を超越した普遍的な「意識」の世界の象徴として描かれている。宮内が描きたかったのは911以後の血生臭い世界において、脱臭された世界を目指す人々の思いと、それを実現し得る技術の存在であり、ここで数々描かれるその他ガジェットや設定は、そのための装置でしか無いように感じる。
そしてDX9を経て人々が得るものは、そのモデルたる「初音ミク」によって、ここ10年の日本音楽界が経た過程と酷似する。だからこの物語が夢想であるとも、浮足立ったSFだとも思えず、ただ愚直にこの世界線の先にある未来として、心の通わせられる文学の世界として読み取ることができた。傑作と呼んで良いのではないか。
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読解力の問題かもしれないが、少々読みにくさがあるものの伊藤計劃の再来かと思える内容で、近未来SFではあるがSFは舞台装置でしかなく、人間的というか生身の物語だった。