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紙の本
こんなにおもしろかったとは
2021/02/08 16:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hid - この投稿者のレビュー一覧を見る
NHKでドラマ化されてたんだよな。
こんなにおもしろいストーリーだとわかってたら、もっと真剣に見ればよかった。
ユースケ・サンタマリアさんは適任ですね。
紙の本
ほんわか
2017/10/31 17:50
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:deka - この投稿者のレビュー一覧を見る
特にテレビを観ようとも思わなかったが今の時代にドラマ化するなどという原作はどんなものなのだろうかと興味を持ちつつ読み始めました。
は?と思うような困った父親と娘の最後はほんわかとなる楽しいものだった。時々こういった本を読んでみるのもいいなあと思えた。
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いきのいい昭和ことば
2017/08/24 16:10
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投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「てんやわんや」「自由学校」「大番」等で知られる獅子文六の作品。ひところお目にかかれなくなっていた彼の作品は最近復刊し始めているようだ。本作は昭和11~12年に報知新聞で連載されたもの。当時大変な評判をとったという。鶴見俊輔によると、1945年以後の大衆小説はブルジョワ小説やプロレタリア小説と異なり、権力側に身を寄せてきた10年からゆっくりさめて行った、獅子文六、石川達三、石坂洋次郎、大佛次郎らの作品は日本の大衆にとってはぴったりするものであった、という。大衆小説を決して見下すことの無い鶴見一流の褒め言葉だった。勿論、仮に彼らに分厚い思想があったとすれば、深刻な「転向」も含むのであるが、徐々なる内発的変化は別に糾弾されるべきではなく、そのしたたかさはまさに大衆の深層意識を体現してもいる。(例えば大佛の未完の大作史伝「天皇の世紀」は、苦渋に満ちた自身への反省が込められていたとも読める。)
さて本作は、母を亡くしたけど決して暗くならないお転婆な少女「悦ちゃん」が、売れない高等遊民的(財産はないがプロレタリアではないことを自覚している大学出で、だらしがないが人好きして憎めないタイプの)作詞家の父親「碌さん」の後添いにと、偶然知り合った気立てのよいデパートガールのお姉さん「鏡子さん」にママになってもらおうと奮闘する物語である。実母に対する慕情をからりと捨てて新しい母を欲しがるというのは、現代の感覚ではドライすぎるような気もするが、当時が大勢の大人にかまわれながら子供たちが成長するのが当たり前な時代だったことを考慮したい。さらには、新興の大型店舗形態であるデパートや父親が関わるこれまた新興産業であるレコード会社といった昭和初期のハイカラ産業の実態、東京では大家族が解体して核家族化していく庶民生活の先取り的変化があったこと等、背景設定にはかなり説得力を持たせるべく、細部までヴィヴィッドに描写しているのは好感が持てる。中国大陸の戦争も泥沼していき、軍靴の音が大きくなってきており、それは大衆心理の深い部分に暗い澱になりはじめていたはずであるが、予想外にも表面的には庶民はそれを意識しなかったのだと実感する。その約80年前当時の日本の妙な明るさが本作の魅力でもある。ジレットの替刃カミソリはすでに普及していたんだとか、男装の麗人・水の江滝子(ターキー)の国民的人気とか、シャーリー・テムプルちゃんは日本でもすごい人気だったんだとか、陸軍には「花嫁学校」なるものがあったのか、村岡花子(本作では花岡ムラ子)の子供向けのラジオ番組の最後のセリフの「では、サヨーナラ」を揶揄したり、等々細部の「発見」はこよなく楽しい。ことに、陸軍花嫁学校出身の「花嫁候補」のことを、肩の肉付きは隆々として、眉は遥か満州を望むように、高く揚ってる・・・などと茶化す描写には、まだ発禁や言論弾圧の重圧が少ない中で、リベラルな批判精神が読者向けサービスとして大衆に受け入れられていたことが示されていると思う。このあたりの権力との距離感を、彼の戦前の作品にみることができるのは重要なポイントではないか。
彼の小説の特長には、会話文における発音の忠実再現性があり、そこに大衆性が際立っているわけだが、本作も例外ではない。特におませな悦ちゃんの喋る言葉の男の子のような乱暴さ(例えば「きまッてらア。そんなことがわからなけりア、尋常四年生じゃないや。」とか)、多くの登場人物の言葉における撥音便の多用には、昭和40年代頃までは残っていたが今はほぼ絶滅状態の口調があり、何とも懐かしい。文化遺産を愛でる気持ちで味わいたい。