紙の本
犠牲者が多すぎる
2018/02/05 19:20
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投稿者:飛行白秋男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒトラーのすべて(?)がたんたんと書かれている凄い本だ。
多くの人に読んでもらいたい。
歴史は繰り返されないで………。
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著者のセバスチャン・ハフナー氏は、1940年代から80年代まで、新聞、雑誌のコラム、ラジオ、テレビの討論、講演、歴史著述等で活躍した稀代のジャーナリスト。ドイツ現代史を語らせたら右に出るものはいないといわれ、一定の教養を備えたドイツ人なら知らぬ人はいないとさえいわれる。
本書は、ハフナー氏が晩年の1978年に書き上げ、1年間に旧西ドイツで30万部を売り上げたベストセラーである。年代に沿って事実を書き綴った伝記ではなく、ヒトラーを分析するために本質的な要素だけに還元し、そのテーマ(遍歴、実績、成功、誤謬、失敗、犯罪、背信)毎に章を設けて分かり易く分析している点が特徴である。
まず著者は、「長いあいだ希望のない無能な人生を送ってきた男が、やおら天才政治家として一国を支配し、そのあとふたたび希望のない無能者として生涯を終える。おなじ一人の人間にこんなことがありうるのだろうか。どうしても解明しなくてはならない」と、本書を記した理由を語る。
そして、「二つの相反する理由から、ヒトラーの世界観はなんとしても追究しておかなくてはならない」とし、「第一の理由は、いま追究しておかないと、ヒトラーの世界観がわれわれの想像以上に、ひろく大きく深くこれからも生き続けてしまう危険があるからである」、「第二の理由は、ヒトラーの世界観のうち、まちがったことと、ある程度妥当なこととをきちんと区別しておかないと、たとえ正しいことでも、ただヒトラーがそういったというだけで、タブー視されてしまう危険があるからだ」と述べる。
私はこれまで、ヒトラーについて詳しく知ろうとしたことはなかった(むしろ、避けていたかもしれない)が、本書を読んで、①ヒトラーが“余人をもって代えがたい自分”を作るために、意図的に国の仕組みや後継者を作らず、国の将来にも配慮しなかったこと、②ヒトラーは極右・階級政治家ではなく、むしろ左翼的ポピュリストであり、その唱えたものは極めて社会主義的な「人間の国有化」であったこと、③今日の世界は、気に入ろうが入るまいが、ヒトラー(の失敗)が作ったものであり、ヒトラーがいなければ、ドイツとヨーロッパの分裂も、イスラエルの建国も、植民地の早期解放も、ヨーロッパ社会の階級解体も起こらなかったこと、④ヒトラーにとって、モスクワ陥落を目前にした対ロシア戦敗北後の3年半の戦争は、ヒトラーがユダヤ人絶滅をやり遂げるのが先か、連合軍がドイツを打ちのめすのが先かの“駆け比べ”であったこと、➄ヒトラーは、自らの期待に応えられなかった“弱い”ドイツ民族に対し、最後にはその滅亡を企図したこと等、多くの再認識・発見があった。
現代のドイツ、ヨーロッパ、更には世界を理解する上で、一読するべき一冊ではないだろうか。
(2017年10月了)
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この男の本当の怖さを知っていますか?
同時代を生きたジャーナリストによるもっとも刺激的で、もっとも明快な決定版ヒトラー論。ヒトラー評伝の古典的名著、待望の文庫化。(2017年刊新訳版)
・第1章 遍歴
・第2章 実績
・第3章 成功
・第4章 誤謬
・第5章 失敗
・第6章 犯罪
・第7章 背信
ヒトラーについて、体系的に知っているわけではないので、本書の内容がどの程度、的を得ているのかは、分からないが、同時代を生きたジャーナリストの著書ということで、興味深く読む。ステレオタイプの論じ方ではないので、一読の価値はある。
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*ネタバレ云々の本ではないので、内容に触れています。
作者のセバスチャン・ハフナーという人はヒトラーと同時代を生きたドイツ人のジャーナリストということですけど、第一章を読んで思ったのは、まさにそれ、「あー、いわゆるそういう人が書いた本か…」でした。
つまり、ヒトラーの悪口を必要以上に書き連ねる作者の文章を読んでいて、日本で戦後、進歩的文化人と称する人たちやマスコミ、あるいは作家が、戦前の日本や日本人を悪く言うことで自分(たち)は正義なんだと主張する、あるいは植民地支配した国々の人に免罪符を得ようとする、あの一連の言論や行動と同じだと思ったんです。
ジャーナリストなんてもんは、日本もドイツも変わんないんだなーって(笑)
ところが、第二章、第三章でそれがガラリと変わると。
第二章は「実績」、第三章は「功績」と、定型のヒトラー=全て悪!という論調ではなく、ヒトラーがやったよいことはよいこととして、ちゃんと紹介するわけです。
ただし。ここが面白いところなんですけど、所々、まさに定型なヒトラー=悪!的な貶す文言が入っていると(笑)
前に『帰ってきたヒトラー』を読んだ時、これは第二次大戦から70年が経ち、東西ドイツの統一、さらにEUの盟主となったドイツ人のヒトラーの再評価(称賛ではなく、あくまで評価)なんだなーと思ったんですけど、つまりこれは、ドイツ人(西ドイツ人)によるヒトラーの評価(称賛ではない。あくまで評価)なんでしょうね。
ただ、これが書かれたのは、まだドイツが東西に分かれていた70年代後半ということですから。
ヘタにヒトラーの実績なんか書こうもんなら、「あいつはヒトラー信者だ」とレッテルを張られて、ジャーナリズムの世界から追放されかねないと、わざとヒトラーの定型の悪口を文章のあちこちに散りばめたんだろうなーと(笑)
やっぱり、そこは70年代後半という時代なんでしょう。
それ以降を読んでいくと、作者のスタンスがその時々で無意識に変わって論じているように感じました。
つまり、時にはヒトラー=絶対悪!の現代人として。時には、ナチスを反省した大戦後の西ドイツ人として。
あるいは、戦後に戦勝国と称する国々から押し付けられた正義や体制の理不尽さや手前勝手さはわかりすぎるくらいわかるんだけど、ヒトラーとナチスがなした悪行に自己批判するしかなかったドイツ人として、等々。
『帰ってきたヒトラー』を読んでから、ヒトラーに妙に興味が湧いてきて。ヒトラーに関する本をこの本を含め何冊か読んでみたわけですが、個人的にはヒトラーというのはごくごく普通の人だったように思います。
普通の人が何であんなことが出来る(功罪含め)んだ?というのはありますが、それはあの時代が異常すぎたからなんじゃないかと。
2年前、アメリカの大統領選挙でまだトランプさんとヒラリーさんが互いに選挙運動していた頃、TVでアメリカ政治だったかの日本の学者が「トランプは現象ではない。症状だ」と言っていたのが印象に残っているんですが、それはあの時代のヒトラーにもあてはまるんじゃないでしょうか。
むしろ、よくあるヒトラーを悪のオールマイティーのように、ある種ロマンチックな存在としてしまう傾向の方が危険だと思いますね。
この本の作者であるセバスチャン・ハフナーは、ドイツの敗戦が色濃くなった時、ヒトラーは世界の支配民族たりえないドイツ人を滅亡させてしまおうとしたとして、
最終章を「背信」としていますが、そこは最後の最後にヒトラーをとらえ損ねてしまった、あるいは、ありがちなヒトラー=悪のオールマイティ―論でオチをつけてしまった気がしました。
ヒトラー=悪のオールマイティ―という、ある意味都市伝説的な話はアニメや漫画にいくらでもあるわけで、今さらそんなオチをつけられてもなーと思うんですよね。
つまり、第二次大戦で戦争を暴走させた軍部等の人たちがびっくりするくらい普通の人だったように。
あるいは、オウムの松本智津夫が陳腐な普通の人だったように、その辺りはそれらを知っている日本人の方が意外とストンと落ちるのかもしれません。
ヒトラーが普通の人だったからこそ、ドイツの敗戦の予想がついた時、街やインフラを敵に利用されないように破壊したり、徹底抗戦をしてドイツ人は滅んでしまえとするしかなかったということだと思うんですよね。
それは、どこかの国の「一億玉砕」と同じで、むしろ「全然同じじゃん!」と感心しちゃたくらいです。
作者は、敗色濃くなった頃にはヒトラーは無気力になっていたという説を紹介してから、むしろ最後まで意気軒高で「こんな弱いドイツ民族なんか、他の強い民族に滅ぼされてしまえばよいのだ」と言っていたと否定していますが、それは違うんじゃないのかなぁー。
だって、ヒトラーだって常に意味のあることを言っているわけじゃないでしょう。
その時々で気持ちが突っ走ったこと言うことだってあるわけですよね。というか、むしろそういう人ですよね、たぶん。
そういう人の言動の内、自分(作者)の意図に沿うものだけ集めて、自分の見解に沿った「物語」を事実としちゃうのはどうですかねぇ…。
それは、なんだかN●Kのニュースを見ていると必ず出てくるニュースのフリした、記者個人の見解を示したドキュメンタリーみたいだよなーと思ってしまうわけですが、まぁなんだ。そこがジャーナリストと称する人たちの限界(ジャーナリスト・ロマンチズム)なのかなぁ…とも思っちゃいました(笑)
ただ、その反面、70年代の後半のあの時代に“ヒトラーを不用意に右翼政治家に位置付けてしまうのは禁物だ。彼はむしろ左翼政治家だ”と書いていたというのは驚きました。
ネットでファシズムの定義が簡単にわかったり、もしくは『ファシズムの正体』なんて本が新書で手軽に読めてしまう今の時代ならともかく、ちょっと前まではヒトラー・ナチス=ファシズムこそが一般常識でしたもんね。
実は私、恥ずかしながらナチズムとファシズムは別と知ったのは今年です(笑)
あと、第二章にある、1939年4月のヒトラーの演説の抜粋。
ついこの間、トランプさんが国連で物議を醸しだした演説に妙に似ているのに、思わず目が点になっちゃいました(笑)
だからと言ってトランプさんとヒトラーは別物でしょう。それは、作者が「彼はむしろ左翼だ」と書いている通りだと思います。
もちろん、単純な論理で敵を設定し大衆を煽ることで、その熱気を自分のエネルギーに変えちゃうとこなんかはそっくりですよね。
(『戦争を始めるのは誰か』という本を読んで、トランプさんはむしろルーズベルトに似ているという意味で危険だと思いました)
ヒトラー(というドイツ国民の選択)が悪も悪、それも最悪だったのは確かでしょう。
ただ、個人的には、ヒトラーというのはすごく真面目な(純朴なor単純な)人だったんだろうなーという気がします。
そういう人って、あの時代、普通の人としてどこにでも普通にいたんじゃないのかなーと思うんです。
その不遇な青年時代の鬱屈にから極端なナショナリズムに走って、短絡的にヨーロッパに昔から根付いているユダヤ人排斥を解決策として、政治(世間に訴える)の世界に入っていくのを見ても、そんな気がします。
そして、それはトランプさんは言うに及ばず、ここ数年ヨーロッパ各国に台頭した極右政党の人たち、あと、(こっちは左右逆ですけど)オカシオ・コルテスなんかに代表されるブルー(だか、ピンクだか)ウェーブの流れなんかをみてもそう言えるんじゃないでしょうか。
普通の人が普通の人の感情に訴えかけてくることこそが危険、つまり、“〇〇を食えば痩せる”とか“〇〇を3分すれば健康になる”みたいなことは大概ウソであるように(あるいは、ブ●ログの広告でやたら出てくる「今日だけ0円の有名人愛用サプリ」が、その広告のバカ丸出しっぷりからして絶対効果ないようにw)耳障りのいい話は絶対詭弁!くらいに思っておかないと、私たちはヒトラーみたいな人をまたつくってしまう、ということなんでしょうね。
ていうか、私たちってみんな、あのヒトラーは大嫌いだけど、新たに出てくるヒトラーみたいな人は大好き!
みたいなとこがある……、
のか?(爆)
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30歳まで無職で職歴なし、友情や愛情とは一切無縁、ユダヤ人を基地外なほどに嫌悪、一切反省しない、すべての行動がひらめきと直観で一切思考しない...etc、恐ろしいのはこんな1人の人物が人間をコントロールし何百万もの虐殺を引き起こしたという事実、そして多くの人間がコイツを支持していた事実だと思う。人間の動物的な臆病さと脆さ、人間に生まれたからにはそれに絶対に屈したくないと思った!
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著者は、ナチス政権下にロンドンへ亡命したドイツ人ジャ-ナリストである。〝ヒトラ-とは何者か〟を自問自答した本書は、1978年にドイツ本国で出版された。学歴・職歴もない孤独な放浪者だったアドルフ・ヒトラーが、ドイツ国民を扇動し奮い立たせ、奇跡的な経済復興を成し遂げた功労者となった。この時点でヒトラ-が急逝していたら、戦争犯罪の極悪人とならずに終わったろう。1945年5月、総統地下壕に追い詰められたヒトラ-は、裏切りのドイツ国民と自らを共に滅ぼしさることだった。
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まだまだ理解ができない。
このような人物が国のトップに立つ事ができるのか。敗戦を覚悟してなお、戦争を続けたのはもう一つの目的を達成させる為、、、。
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勉強になった。単に善だ悪だの二元論にとどまらず、冷静に歴史の流れの中でヒトラーがどんな存在で、何に影響を及ぼしたのかが、述べられている。そして、事実を書いてあるのだけれど、なぜか読みやすかった。
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ドイツから亡命した同時代のジャーナリストによる評伝。
「長いあいだ希望のない無能な人生を送ってきた男が、やおら天才政治家として一国を支配し、そのあとふたたび希望のない無能者として生涯を終える。同じひとりの人間にこんあことがありうるのだろうか」
著者が漏らすこのような驚きが、読後の感想と一致する。
ヒトラーにとっての政治は、通常の為政者たちにとっての政治とは根本的に全くの別もので、彼個人の思想を体現するための道具に過ぎなかったようだ。彼の決断は、憲法をはじめとした国家機能の破壊、後継者の不在、勝ち目のない宣戦布告など、彼自身が亡き後を考慮していたとは考えられないものばかりである。そして、その最後においてドイツ国民が殲滅されることを望む姿からは、彼にとっての政治活動が、あくまで彼個人のためでしかなかったことは明白である。
本書を読むと、人生の前半を生活無能者として過ごし、親しい人間を持たず、一個人としては異常なまでに無味乾燥な人生を送ったヒトラーにとって、政治というよりその人生は早い段階から、イチかバチかの破れかぶれだったように見受けられる。そのようなヒトラーが指揮したナチス・ドイツにおいては、「その過程のどこかで正しい判断がなされていれば」といった歴史のIFは想定しづらい。ヒトラーの選択は一般的には歪なものが多々含まれていたとしても、彼の行動原理としては整合性が取れていたはずだ。通読して、政治家というよりはカルト教団の教祖の生きざまを見たかのような思いである。