紙の本
砂浜に船が坐り込む
2023/04/17 07:35
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
短篇を8篇。震災とか津波が背景にあって幻想的な雰囲気のものが多かった。でも長篇に比べると、あれを取り上げてみましたとの印象も拭えない。あまり好きではない、かな。
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投稿者:イシカミハサミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
おじさんの文。
あー。世のおじさんこういうの多いなって。
ユーモア不足で。
過去が大好きで。
エゴを隠せない。
“座礁船”って、小説的にとても美味しそうなガジェットだと思ったんだけれど。
ちょっと過去に思いをはせるマクガフィン的な扱いにとどまった。
しかも超ショート。
あとは震災関係や急に平安に飛んだりする。
とにかく墓巡り。
どう読めばいいかわからない括弧とじ(ちょうどこんな風な)
全体的に。
タリぃ。
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砂浜に坐り込んだ船/大聖堂/美しい祖母の聖書/苦麻の村/上と下に腕を伸ばして鉛直に連なった猿たち/夢の中の夢の中の、/イスファハーンの魔神/監獄のバラード/マウント・ボラダイルへの飛翔
目の前に在る物にふと意識を向けるとそこに思い出が揺蕩っている。辛いものも楽しいものも懐かしくそこにある。ひと時を緩く過ごしたら、また歩き出そう今を思い出す時まで
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・座礁した船は美しかった。
場違いであることを少しも恥じず、自分がいるところが世界の真ん中と言わんばかりに堂々と、周囲をうろつく人間たちを完全に無視して、優雅にそこに坐っていた。
・彼が心に傷を負っているのはまちがいない。骨折ならば正しい位置で固定しておけばやがて繋がる。場合によっては骨にピンを入れる。切り傷は縫合する。皮膚は移植もできる。衰えた筋肉と神経はリハビリテーションで元に戻す。でも、治すのは身体の中から湧く力だ。極言すれば医師は手を貸すだけだとは言えないか。
では、心の場合はどうなのだろう。
・「実際にはね、きみが今もいたとして、それで君に話して、それでどんな助言が得られたとも思わない。悩みが深い時に欲しいのは助言ではない。ただ聞いてくれる相手だ」
「あの時、そうしてくれたね」
・渡し守は何も言わない。弊衣をまとった壮年の男で、もう何十年も艪を操っているように見える。まさか何万年ということはないだろうが。
見ようとすれば自分の周りに水面の波紋やら舟の底に落ちた短い縄やらいろいろなものが見えるが、本当にそれがそこにあるのかどうか確信が持てない。渡し守だって本当にいるのかどうか。さっきから自分は見えるという言葉を多用している。見える・見えない・ある・ない・・・・・しかしそれらの間にくっきりとした境界線はないように思われる。灰色が濃くなったり薄くなったりするだけ。
いくら時間がかかってもいいんだ、という声が頭の中で聞こえた。誰の声なのだろう。
・何年かの間、いい仲でした。
それを終わらせてしまった。一時は何があっても終わるはずがないと互いに信じていたものを、ぼくの側から終わらせた。
愛するというのは心の行為だから担保するものが何もない。心が変わればそれまで。
そう言いました。
別れると決めて、そう伝えて、それはあり得ないことだったからびっくりしたと言われました。いきなり足をすくわれてきっとわたしは転んでしまう、と言った。手を貸してと。
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苦麻の村が特に好きだが、全編に渡ってどこか浮遊しているようなそれでいて落ち着いているような不思議な感触が作品の中に一貫してある。
何かに「座礁」した時、人は何を見るのか(または誰といるのか)。砂浜でただ動かずじっとしながらそれでも思考は飛び回れる。
「座礁」しても「難破」しないための物語のように思えた。