紙の本
西洋から東洋へ 理性と感情 共鳴する世界
2020/07/30 15:24
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
デカルトにはじまり理性に重きを置いた哲学は邪魔者として感情を扱ったが、行き着く先でその理性すら疑い始めた。そこで感情こそが人間の本性であるという流れになった。人間の本性は理性にあるのか?感情にあるのか?そのプロセスを追いかけられる良書。近代編はなじみの対象が多いだけに、変わった角度から論じているのがよくわかって刺激的。中国パートは石井剛の第9章「中国における感情の哲学」。性と情の問題について、朱熹と戴震をベースに、王守仁、梁啓超あたりもまじえつつていねいにとかれていて、紙幅からみても無理のないしあがりになっている。
紙の本
今日的な問題へ
2023/01/24 13:39
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
西洋では近代に入ると啓蒙や社会契約論など、哲学はこれまでの神学とは離れ、統治など政治権力などが問題となっていく。イスラームにおける啓蒙思想は歴史であるのとともに今日的なものでもある。
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『世界哲学史6』は近代Ⅰで啓蒙と人間感情論について概説されている。理性と感情という人間精神の2つの柱の間の揺れ動きを世界哲学史というパースペクティブにおいて捉え直すというのが、本巻の目的である。スコットランド啓蒙の話、社会契約論のロジック、啓蒙と革命、啓蒙と宗教、植民地独立思想、そしてカントの批判哲学の企てまでで一区切り。第8章〜10章でイスラーム世界での啓蒙主義、9章では中国の感情の哲学、最終章では江戸時代の「情」の思想が取り上げられている。
それぞれに興味深いが、個人的には徹底的に理性主義と普遍主義を追求したカントの批判哲学に惹かれる。「スミスの道徳感情論にも、知的能力による自己批判という要素が含まれることになる。「道徳的」であるためには、「自己批判的」であることが求められるのである。そしてその一般性を厳密な普遍性にまで高めるために、理性に規準を求めたのがカントの立場であ」(p.199)り、「批判哲学の意義とは、多様な地域・時代の哲学を比較検討する際に参照されるべき、西洋近代哲学の基軸を示した、という点に求められる」(p.206)からである。
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西欧中心となりがちな哲学を世界規模で、文明間での同時代的な関係(かならずしも影響関係ではない)をみながら、8冊でその歴史を辿ってみようというチャレンジングな企画の6冊目。時代は、「近代」になって、18世紀を中心とした話。
最初の3巻くらいは、なるほどね〜、この問題って、今でも形を変えて、議論しているよね〜、と興味深く読んでいたのだが、4〜5巻になると議論が専門的になってくる感じがあって、「頑張ってお勉強のために読む」みたいな苦行になりつつあった。しかし、時代が「近代」にかわって、また視界がすっきり広がってきた感覚。
18世紀になると、良くも悪くも、世界の中心は西欧+アメリカになる。資本主義、自然科学、産業革命などなどで、まさに西欧が先端に飛び出していく時代だ。その勢いは哲学の分野でも起き、人間の思考もなにか突き抜けた感じがあり、「現代」の社会に直接的につながっていくような議論が多い。
西欧の哲学者的には、第5巻でも扱われたデカルトやライプニッツ、スピノザなどを起点としつつ、ルソーやヒュームを経て、カントへ至る流れで、ほんといわゆる「哲学!」という感じのビッグネームが続く。
主な議論は、啓蒙主義、社会契約論、人権、理性的な認識の限界みたいな話しなのだが、人間の理性的な側面よりも、むしろ感情的な側面、そして理性と感情の関係というところにフォーカスがあたっている。
というわけで、総論の次の第2章は、いきなり「道徳感情論」がでてきて、ハチスン〜ヒューム〜スミスというグラスゴー学派ともいうべき議論が紹介される。この流れの完成者として、アダム・スミスが位置付けられる。(「普通」なら、社会契約論とか、百科全書派あたりからスタートしてもよさそうなところ)
そして、フランス革命に影響を与えたルソーもいわゆる理性や科学主義とは距離のある思想家なのだが、そこを起点としてアメリカ独立やフランス革命への流れも整理されるとともに、哲学的には、カントへの流れが整理されている。
哲学だけではなくて、ニュートンなどの自然科学との関係、植民地の独立や革命といった政治との関係が同時代的に整理されているところがわかりやすく、かつエキサイティングで、一気に読んでしまった。
特に、カントはそうだったのか!と目から鱗がたくさんおちた。これまで、本人の書いたものはいうまでもなく、解説書を読んでも全く理解できなかったカントが、ついになにを言っているかはわからなくとも、なにを問題にしているのかがわかった気がして、かなり感動した。ちなみに、カントについては、1章まるごと当ててあって、このシリーズのなかでは、これは別格の扱いだな。西欧哲学は、カント以前のすべてがカントに流れ込み、そして、カントから、すべての哲学が流れ出る、みたいな話しをどこかで読んだ気がするが、ほんと、その意味がおぼろげながら、実感できた。
ここで扱われている話題って、ほんと今でも未解決というか、アクチュアルだな〜と思えて、やっぱ、私たちが今いるのは、以前、この18世紀以降の世界システムのなかなんだなと思った。
さて、そういうふうに西欧+アメリカが、政治経済+自然科学で世界システムの中心になるだけでなくて、哲学において、突き抜けた時代で、イスラムや中国、日本の状況をみると、ちょっと「遅れている」感じがしてしまうのも事実。それでも、中国や日本で、微妙に儒学や和学が変化していくなかにも、なぜだか、「理性」と「感情」の関係がシンクロしているところも面白い。
次の「近代」は、19世紀の話しになるのかな?最終巻の「現代」は、どの辺の話になるのだろう?シリーズのあと2冊が楽しみ。
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理性偏重に感情の価値を認める。このテーゼの元、西洋とイスラム、中国、日本をなぞっていく。なかでもイスラムが興味深い。また、西洋哲学はその時代の問題意識の解説に理解が深まる。
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理性批判の巻で、感情の哲学が面白かった。ロックの統治論も立派だなと思ったし、イスラームの「啓蒙」の「統一された人間」も面白い。戴震や本居宣長の感情論もいいなと思う。
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17〜18世紀を主な舞台に、「啓蒙」にまつわる思想を展開している。「理性」と「感情」の問題は通奏低音で、現代にも続く議論の背景が丁寧にまとめられている。
カントの批判哲学を扱った章は特にわかりやすかった。
終盤、中国、日本に目を向け、「儒学」「朱子学」を起点に感情論を展開した点は、読者の思想につながるいい構成だった。
ところどころで垣間見えた現代における「理性・感情」にまつわる議論を追ってみたい。
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個別のトピックを一個でも理解できる人ならそれとの対比で読めてもっと楽しい・有意義だろうな。
唯一アダムスミスの道徳感情論は新書で読んだことがあったけど、同列で論じられているハチスンとヒュームの感情主義もまあ似たようなこと言ってるな?という感想を抱くレベル…
理性と感情が対立するに至った経緯がもっと詳しく知りたくなりました。「自然の光」というキーワードから理性主義が発展してそれに対する反対論としての感情主義、というとこまではつかめた。
なんとなく議論が進んでるけど、各哲学者は理性と感情をどういうふうに定義してるんでしょうね。
「自然の光」って相当狭い意味を持つ言葉のように思えましたが、それに対して「いや感情がないと」って言うのは至極当たり前では?
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第1章 啓蒙の光と影
第2章 道徳感情論
第3章 社会契約というロジック
第4章 啓蒙から革命へ
第5章 啓蒙と宗教
第6章 植民地独立思想
第7章 批判哲学の企て
第8章 イスラームの啓蒙思想
第9章 中国における感情の哲学
第10章 江戸時代の「情」の思想
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近代Ⅰ 啓蒙と人間感情論
本書は、18世紀の哲学を扱っています。
近代における西洋世界の文明上の優位は、17世紀の科学革命から始まり、18世紀の政治的な大革命、19世紀の産業革命と帝国主義的植民地化への加速して、地球全体の規模へ拡大した。
気になったことは次です。
・啓蒙とは、ものごとに通じていないこと、その無知をなくすこと、正しい知識を与えることである。
・西洋近代の啓蒙思想は、イギリスの名誉革命、アメリカの独立戦争、フランス革命らの変革のうねりに、バックボーンとしての役割を果たした。
・産業革命と帝国主義的植民地政策を通じて、啓蒙主義もまた、世界のすみずみまで伝播していく。
・17世紀にガリレオやデカルトが登場すると、自然理性の働きによる真理こそが、それまでのスコラ哲学やアリストテレス主義がもたらした、偏見、誤謬、迷妄、混乱から我々を全面的に開放するということが強調されるようになってきた。
・ルソーは、西洋近代民主主義の父として、カントは、道徳哲学の先駆者として知られる。
・カントは、「エミール」の中で、人間には良心という正義と美徳についての生得的な原理が備わっている。この原理を知るのは理性でなく感情である。という
・ヒューム曰く、「理性は情念の奴隷であり、そうであるべきである」。理性だけでは人間は行為の選択も善悪の判断も十分にはできないことを主張するとともに、極端な孤独、不安、絶望へと導きかねない理性の働きに自然な回復をもたらすのは、情念、すなわち感情であると主張した。
・西洋の懐疑論。大航海時代は、自らと別の文明があることに気付き、宗教改革によってカトリシズムとは異なる、プロテスタンティズムの可能性があること見出した。
・18世紀は、啓蒙の世紀である。また啓蒙を唱えた思想家たちが人間の理性を重んじたことから、「理性の時代」ともいわれる
・スミスは道徳感情論の中で、道徳感情の本性や起源について論じている。また、共感を論じている。
・人は、自分のうちに公平な観察者を想定し、この観察者の立場から自分を眺めることで自分について判断する。この想定された公平な観察者が良心にほかならない。
・スミスの道徳感情論は、現代のメタ倫理学につながっている。徳倫理学というのがあって、徳を道徳の原理とする考えは、幸福を道徳の原理とする「功利主義」や、義務を道徳の原理とする「義務論」に対抗する第三の立場として唱えられている。
・理性主義の対局にあるものは、感情主義であって、理性主義の人間観に異を唱える
・社会契約論は、アメリカ独立戦争に影響を与えたり、明治の自由民権運動に影響を与えた。
・スピノザの民主論は、市民全員から構成される共同体を主権者とみなすことである。この共同体は自分自身は法的に制限されることなく、市民に対して法律に従くことを要求する。
・ロックの社会契約論も自然状態における人々の性格という思考実験から始まる。
・ルソーにとって、近代社会とは、人々の間に不平等が進行していった到達点である。ルソーは、近��社会を私有に起因する腐敗の極みと見なしたが、だからといって社会生活を捨てて自然状態に回帰せよというわけではない。
・唯物論とは、世界に存在するものは、すべて物質的なものであるという考えであり、観念論とは、世界に存在するあらゆるものは、何らかの仕方で心的なものだという考え方である。
・カントは、神の存在証明を整理して3種類しかないとした上で、それぞれを批判し、そのどれもが成立しえないことを順次明らかにしていく。存在論的証明、宇宙論的証明、自然神学的証明の3つである。
・アメリカは独立宣言によって、独立戦争を、単なる本国対植民地の争いではなく、人間の権利を求める闘争へと昇華した。
・フランクリンの13の徳目は、節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲である。
・フランクリンは徳目を唱えるだけにとどまらず、それを実際に身につける方法を考案している。フランクリンからすれば、いくら素晴らしい徳目を唱えても、それが実践されなければ無意味であった。
・フランクリンにとって理性とはただ物事を理解するために使われるのものではなく、人間の状況を改善するために実用的に使われるべきものであった。
・カントの純粋理性批判、実践理性批判とはなにか、観察・実験という経験的な手段によらない純粋な推論だけで、神、世界の限界、魂についての各門的認識が果たしてなりたつのかどうかを問う書である。
・啓蒙は、イスラーム世界にも、もたらされた。それは、ナブタとよばれて、啓示と理性の調和、寛容の精神などが論議された。それは、女性の解放、宗教と慣習の分離などの説により現代にとつながっている。
・中国については、孟子の感情の哲学。朱子学が理の学問であるに対して、理と情のバランスを孟子は唱えた。
・孟子は、情について、心を養うのに最もよいのは欲を少なるすることであると説く。情欲をほしいままにするのではなく、押し殺して無欲になるのではなく、少なくすることである。
・礼:孟子は人は、もとから善なる徳目が具わっているのだからではなく、人間らしく成長していくことができるからこそ性善であると説く。学んで成長することによって、善たる本性を認める。
一方、荀子は、対極的に性悪説を説く。人は生まれながらにして欲をもっており、それが争いにつながらないように礼が定められてそれによって「人の欲を養う」ことになる。熟慮を重ね、偽をくりかえすことによって礼が生まれ規範が生じるといっている。
・日本では江戸期において、「情」論が生じている。
・本居宣長は、「物のあはれをしる」とは、「物の心を知る」こと「事の心を知る」ことの2つだという。「物の心を知る」とは、たとえば花を見て美しい花だなと趣を理解することをいう。「事の心を知る」とは事の哀しい出来事があった時に悲しいと考え、悲しい出来事にあった人に対して、さぞ悲し過労とその心情を推し量り、ともに悲しむことを指す。
・他に江戸には、粋と、通という概念がある。
粋は水とも表記されあか抜けない山だしのガチ(月)=野暮に対して、水のように融通無碍な人品をさす
通は、人情に温和で様々な軋轢を丸く収める人をさす
情の中でも特別深いものは、恋の情であり、情の道といえば、恋の道、色の道を指す
目次は以下の通りです。
はじめに
第1章 啓蒙の光と影
1 はじめに
2 啓蒙における理性と感情
3 理性の闇
4 人間感情論の射程
第2章 道徳感情論
1 道徳感情論の形成
2 道徳感情論の展開
3 道徳感情論の完成
第3章 社会契約というロジック
1 17~18世紀のヨーロッパにおける社会契約論
2 ホッブズとスピノザ
3 ロックとルソー
第4章 啓蒙から革命へ
1 はじめに 「世界哲学史」のなかの啓蒙と革命
2 モンテスキューの専制批判
3 新たな政治的正統性の模索
4 革命と政治的自律の実現の困難
5 おわりに
第5章 啓蒙と宗教
1 ニュートンの自然神学
2 ニュートンとライプニッツ
3 ヒュームとカント
第6章 植民地独立思想
1 18世紀アメリカにおける啓蒙主義の受容
2 フランクリンの実用主義
3 ジェファーソンの自由主義
4 植民地独立思想の遺産
第7章 批判哲学の企て
1 批判哲学とは何か
2 「純粋理性批判」の問い
3 「実践理性批判」の問い
4 啓蒙と理性主義
第8章 イスラームの啓蒙思想
1 「時代の精神」の中の啓蒙思想
2 「他者」を鑑といて「自己」を知る
3 ナフダ第2世代における実践的な応答
4 第3世代における啓蒙派とその継承者たち
第9章 中国における感情の哲学
1 「中国のルネサンス」
2 性と情をめぐる中国哲学の議論
3 日常の中で学ぶこと
第10章 江戸時代の「情」の思想
1 「情」の解放?
2 儒学の「情」論
3 「物のあはれを知る」説と「粋」「通」
4 「人情」理解論と「振気」論
あとがき
編・執筆者紹介
年表
人名索引
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・『ペスト』に登場する人々は、互いに職種や信条をまったく異にしながらも、最後には、人間にたいして世界が暴力的に押しつけてくる「厚み」と「異質性」への抵抗に向けて、連帯の道を選ぶことにする。私たちの大災害においてもまた、人間の英知のもとでの連帯が、危機克服へとつながることを祈りたい。