紙の本
家族の形もいろいろ
2023/05/03 14:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トマト - この投稿者のレビュー一覧を見る
(上下巻)
これは確か、新聞連載小説だったと思います。
子どもの頃に主人公の父親が失踪してからの、それぞれの家族の思いがつづられています。
いったい、あの父は何を考えていたのか?
父に対する屈託を抱えながらも自分の家族にも影響が多かれ少なかれ出てくる。
それが淡々と描かれています。
何があっても、日常は過ぎていくものだ、と言わんばかりに普通に流れていきます。
紙の本
父と息子との関係性
2023/03/05 11:19
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
48年前に家族を捨てた父が、亡くなり、自分の人生の中に飛び込んできた息子としての主人公の気持ちは、冷めているようで懐かしさを求めるようで複雑だ。父親と息子との関係性をどのようなにとらえるかは、個々の問題だろうが、物語に現れる幾組かの父息子を追うこととで、共通する思いがあらわれてくるのかもしれない。後半に著者の考えが明らかにされるのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
序章 こいのぼりと太陽の塔/
臨月/旧友の時計/父、帰る/和泉台ハイツ205号室/
息子、祖父になる/カロリーヌおじいちゃん/
父の最後の夢/ノブさん/トラブルメーカー/
迷って、惑って
洋一郎が小学校2年生の時にいなくなった父。48年ぶりに連絡を受けた父の「今」は……
父を嫌う姉の思い、父に関わった人のいろいろな思い、そして父の思いを考えていく洋一郎は何を思うのか。
投稿元:
レビューを見る
ずっと昔に別れた父親が亡くなりその
痕跡を辿っていく話。主人公の姉や娘
友人などの色々な家族の形を描いている
投稿元:
レビューを見る
どんな親でも、例え亡くなったあとでも、親。厄介なこともたくさん。洋一郎はどんな風に向き合うのだろう。下巻へ。
投稿元:
レビューを見る
久しぶりに読む重松清さんの作品。その上下巻の上。
ひこばえっていう言葉の意味も初めて知りました。
自分より少し世代が上の主人公の親子の物語。
少しずつ見えてくる父の姿。
様々な人々との出会い。
下巻ではどんな物語が、と期待を感じながら読み終えました。
投稿元:
レビューを見る
小学2年の時に家を出た父が亡くなった、と知らせを受けた、長谷川洋一郎。
48年間、音信不通だった父・石井信也の晩年の生活が見えてくる。
自分史を書こうとしていた父・石井信也。
何のために…
誰のために…
48年、しかも子供の頃の記憶もほとんどない。
家族を捨てた父親。
父がいなくなってからの苦労。
特に母親の苦労を考えると、『父親だろ』って、言われても…
他人に何がわかるって、もんだろう。
洋一郎の姉や石井信也の兄弟の対応が当たり前だろう。
洋一郎は父・石井信也の存在をどう捉えていくのか…
これからどうなっていくのか。
投稿元:
レビューを見る
重松清さんの作品が小学生の頃から好きで、流星ワゴンなどの他作品も大好きです。
今20代半ばになり、自分も結婚をして、将来とか、老後とか、自分の親の介護とか、そういうことを考えているタイミングでこの作品に出逢えたこと、とても感謝しています。
離婚して、母親に引き取られ父親とはそれ以来会うことが出来なかった息子が、父親がどんな人生を送ったのか、父親とは、息子とは、何か探していく物語で、何度も何度も涙が溢れるシーンがありました。
上巻でトラブルメーカーに悩まされ終わる…その展開がまた面白く、すぐに下巻を読み始めました。
下巻の感想は下巻の方に書きます。
投稿元:
レビューを見る
作者と同年代なので、いままでの作品も、時代背景で、そうそう、そうだったと思うところが多かったが、この作品では父親の歳も一緒で、死んだ父と重ね合わせて読んだ。上巻では、何も起こらず、下巻を読まないと何も進まないのがもどかしい。
投稿元:
レビューを見る
主人公の長谷川洋一郎は55歳。小学二年生の頃に父はいなくなった。洋一郎は父が出ていった後に離婚を聞かされたため、いなくなったという気持ちが強い。父の記憶は多くなく、あまり悲しみや寂しさを感じていなかった。洋一郎の姉は当時小学六年生で、両親の喧嘩を見たり母から弱音を聞いたりしたことで父を憎んでいる。母は再婚して、再婚相手の息子たちと暮らしている。48年ぶりに父の死を知り、それまでの父の人生を追うことになる。父と関わりがあった人たちと繋がり、聞かされる父と記憶の中の父とが結びつかない。かなり年月も空いているので、戸惑い不承不承といった感じである。
上巻を読了。この時点ではまだ大きく心を揺さぶられたり、心を掴まれることも無かったが、ちょっとウルっとくる場面はあった。自分の人生のほとんどの中でいなかった父と死後対面するのはどんな気分なんだろう?亡き父の人生を追う話が主題ではあるが、様々な親子の関係も描かれているので、下巻で直接的にも間接的にも色々と心情的に関わってくるのだろうか?洋一郎の家族(娘に子供が産まれる)、母の再婚相手の家族、姉の家族、職場である介護施設併設老人ホーム入居者の家族。そして、亡き父の最後の住処の大家、古い友人、自分史に関わった編集者など、洋一郎が知らない父を知る人達との繋がりがどのような結末を迎えるのか下巻を読んで確かめよう。
投稿元:
レビューを見る
ひこばえ
という単語を初めて知りました。
重松清さんの作品はいつも(私の勝手な期待を)裏切らない。重くまじめに向かい合い、人って...と考えさせられる。
ほんと好き(*^^*)
投稿元:
レビューを見る
「くちぶえ番長」に続く重松清作品。またまた職場のパートさん(もうすぐ60歳)が、「私たちの年代の方が合うかも。」と貸してくれた。どれどれ。
しっとり穏やかに、懐かしさ、哀しさ、寂しさ、辛さ、優しさ、色んな感情が胸を打つ。物語設定自体もそうなんだけれど、重松清さんの文章が、そうさせている気がする。重松清さんの文章は、礼儀正しく、柔らかい。そんなイメージ。
主人公は長谷川洋一郎、55歳。洋一郎には小学2年生で生き別れた父親がいて、長い時を経てその父親が亡くなったとの知らせが入る―。
洋一郎の幼い頃の父との思い出は、昭和のその時代を直接知らない私でも、懐かしさに胸がいっぱいになる。なんでだろう、やはり重松清マジックか。そんな父親との少ない思い出の描写もありつつ、洋一郎の今が少しずつ明らかになっていく。
洋一郎の友人で、一人息子を若くして亡くした友人「佐山」が洋一郎に相談にくる場面は、佐山とその奥さんの癒されない哀しみが、ただただもう苦しかった。誰が悪いわけでもないのに、と思うと人生とは苦行だと思ってしまう。
そして父親の死の知らせが入ってから、その父親と母親が離婚した後の洋一郎のこれまで人生が少しずつ分かってくるのだが、母の再婚、再婚相手とその子供についてなど知るうちに、洋一郎の複雑な半生がだんだんと見えてくる。ここらへんの構成もうまいなぁと思ってしまう。なんというか、徐々に情報がでてくるというか。ここ、という場面で必要な情報が出てくるというか・・・うまく言えないけど。
まぁ、なんて複雑。洋一郎は苦労をしているんだなぁ、としみじみとわかってくる。
父の死をきっかけに知り合う人たち(大家さんの川端久子、遺骨を預かってくれている和尚、父が通っていた地域の文庫の職員、田辺さん親子、そして父の友達だという神田さんなど)が、みんないい人で、その人たちが語る父親もいい人で、幼い頃に別れた父親と違いすぎて戸惑う洋一郎。何より、周りから「お父さん、お父さん」と呼ばれても全くピンとこない。洋一郎の中に父親が不在・・・という状況。
そんな中、勤め先の介護施設併設老人ホームに、面倒な人が入ってきて、その人の背中と覚えていないはずの父親の背中が重なるー
まだ半分だけど、「さすが重松清さん」と言い切りたい。誠実に真剣に人間に向き合ってその人生を観察し、丁寧に読者に伝えてくれている気がする。
下巻に続きます!
投稿元:
レビューを見る
詳しい感想は下巻も読み終わってから。
ただ、上巻だけでも十分楽しく読めた。
人物の書き方がうまいな、と改めて感じながら読んだ。
投稿元:
レビューを見る
人は、ある日を境に得るものより失うものが多くなる。それまで与えられ、または自らの意思で得たものの多くが蒸発するかの如く失われてゆく。それら全てが存在を示す証であって、失う度に心には穴があき、心許なさが募る。失ってしまうのは人との繋がり、心の穴は寂しさ、この過程を老いという。あいた穴の埋め方で老いた時の居場所や居心地が変わるのだが、それは人との繋がりを如何に保って行くかということ。最たるものは血の承継。これだけは何事にも揺らぐことのない、逆に言えば決して断つことのできない、理屈抜きの繋がりなのだ。
「おい、息子。わかったようなこと書いてんじゃねーぞ。」
「やっぱり干物ですよ。水分の抜き方が大切ってことです。」
「あんたね、そんなこと書いてる暇あるなら、他にやることあるでしょ。」
「いや、どうでもいいことなんですけどね。うちの息子なら、もう少し気の利いたことが書けますよ。」
「これでいいの。老いるってね、難しいのよ。」
(合掌。念仏・・・)
濃ゆーいキャラクター達の声が聞こえてきます。私もお近づきになりたい。
長編ではありますが、とても読みやすく、残りの人生についてあれこれ考えさせられます。心に残るフレーズが沢山出てきます。老若男女、全ての人に読んでいただきたい作品です。老いたら迷惑じゃなく面倒かける。いいなこれ。
週末は墓参りに行ってこよう。
投稿元:
レビューを見る
久しぶりの重松清さん。
少年少女の悩める心に向き合った作品が多い作家さんだが、今回は現代の家族が抱える問題を描いた作品。
「ひこばえ」とは?
伐った木の切り株などの根元から新たに生える芽のことを「ひこばえ」と呼ぶ。もともとは、太い幹に対して、孫(ひこ)に見立てて孫が生まれる=孫生(ひこばえ)という意味。ひこばえは、眠っていた芽(休眠芽)が起き出したもの。
『ひこばえ』上巻
長谷川洋一郎は小学2年生の時の両親の離婚を機に、父親が2人いて苗字が3度変わる人生を歩んでいた。洋一郎も55歳になり初孫誕生が間近になったある日、母と離婚以来、音信不通となっていた実の父親の訃報が届く。
父は生前「自分史」を作ろうとしていた。
記憶も思い出も朧げな実の父親・・・
空白の48年間父は何を思いどう生きたか・・・
様々な葛藤を抱えながらも、洋一郎はその人生に向き合うことを静かに決意した。
下巻へ続く
※下巻を読み終わってから纏めてレビューします。