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  3. 甲斐小泉さんのレビュー一覧

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先月(2017年8月)

甲斐小泉さんのレビュー一覧

投稿者:甲斐小泉

35 件中 1 件~ 15 件を表示

若い世代が述べるからこそ説得力のある戦争の罪

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

若干30代前半の著者は中国残留日本孤児の二世・・・とは言え、父幹氏(中国名孫玉福)はニュースに残留孤児の話題が数多く上る以前に日本に戻ることが出来た人で、著者は二世と言っても、父と帰国後に日本人女性である母との間に生まれた日本人であり、残留孤児の親と中国人の親から生まれるケースの多い二世の中ではむしろ異色の存在と言えました。

 学校時代、お父さんは中国人ではないの?という問いにこたえたあたりから、中国に対しての著者のもやもやが始まり、それはやがて旧満州国の長春への留学という形でより深いかかわりを持つことになるのですが、その前段階として、父幹氏がどのような経緯で親の手を離れ、孤児として中国人養父母に引き取られ、どのような子ども時代、青春時代を送ったかが描かれています。


 NHKドラマ「大地の子」の陸一心と同じように慈愛深い養父母(養父は早世しましたが)に育てられた幹氏はむしろ幸せなほう。しかし、一心同様、文化大革命の萌す時期から、日本鬼子として差別を受け、進学、就職について大きな支障を来たすようになり、それがひいては日本への帰国の念と結びつきます(が、著者は後で、父は日本への念が強かったからこそ、敢えて日本人である事を認めたのではないかと気付きます)。

 著者は最初はホームステイから、続いて国費留学生となって長春で過ごし、養父母の親戚や父の親友達から熱烈歓迎を受け、「家族」と言われ涙する一方で、全くテーマ違いのディベートをしていても、誰かが「日本人は嫌い」と言った途端に大学生達が次々に日本に対する憎悪をぶつけ、とどまる事をしらない中国人の心性に驚きもします。愛国教育を受けたが故に、あくまでも「日本」という国を憎む一方で、個人である日本人を知り合った途端に親戚同様に篤くもてなす中国人の不思議さに対し、後々著者は折り合いをつけることが出来たようですが、自分が日本人であるが故にいたたまれない思いをした英語の授業を取るのをとうとうやめてしまった事件もありました。

 また、著者の祖父、つまり幹氏の父が軍人だったと聞いた途端に凍りつくような反応を見せる人々を見て、著者は幼い頃になくなった祖父の事も追い始めます。こちらは故人を知る人も物故し、父と祖父の出会いのきっかけを作ってくれた祖父の軍隊での後輩にあたる人の語りと、資料を当たるしかなかったものの、祖父が責任感の強い人だったと知るのです。(それなのに、満州の日系軍人として恩給も随分差をつけられたようで、残留日本人孤児として帰国に際しての船賃程度しか支援が得られなかった父の思いと祖父の思いが重なるようです。著者は触れていませんが、正規の日本軍として恩給等はしっかり受けながら、実際は棄民を行った関東軍に対する批判も言外に込められているように思われます)

 何不自由なく育っていた著者が、父の人生を丹念に追い続け、人間として成長していく様も伝わり、また著者の父幹氏への愛情や、父幹氏の養母への愛惜の念など、深く伝わって来ました。

 戦争の風化が懸念される中、私よりずっと年下の著者がこれだけの労作をなしたことに尊敬を感じると共に、若い著者の作品だから、若い世代にも読んで欲しいし、戦争のもたらしたものの大きさを語って説得力があるのではないかと思います。

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紙の本累犯障害者 獄の中の不条理

2006/11/26 11:38

弱い立場の者が幸せに暮らせない国、ニッポンを象徴する本

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 衆院議員在職中の秘書の給与流用事件で服役した経験から「獄窓記」で描いた著者、山本さんが「獄窓記」でも特に重点的に触れていた障がいを持つ犯罪者をめぐる諸問題について、いくつかの事件の当事者や身辺に行った取材を通して多くの問題点を抉り出している。
 多くの事件で、センセーショナルな取り扱いだったものが、障がい者の犯罪と分かった途端にマスコミの報道がふっつりと途絶えるのは、タブーに触れるからだろうと著者は言う。しかし、タブーの闇に隠され、見てみぬふり、存在しない者として扱われる障がい者が、犯罪に走る、あるいは利用されざるを得ない情況がある。(むろん、著者が何回か繰り返しているように、障がいのある人たちの多くが地道に暮らしており、もしも犯罪に絡むとしても、加害者となるより、被害者になる方が多い)
 例えば、衝動的な殺人犯として世間を怯えさせたレッサーパンダ帽の男。彼が自閉症者であるというのはそれなりに知れ渡ってはいるが、その頃からマスコミは事件の背景を追わなくなったと言う。下関駅放火犯人も知的障がい者。ムショから出たてで、また入りたいと「食い逃げや泥棒みたいに悪いことはしたくない」と火を点けたのが思いがけないほど燃え広がり、文化財級の駅舎を炎上させてしまったために、また懲役を食らって・・・そうしてまでもムショに戻りたい程、世間は彼には辛いところなのだ。さらに、事実誤認の逮捕の話や知的障がいのある女性の売春の話など、障がいを持つ故に差別され、虐げられて来た人々の、居場所を提供出来るのが犯罪絡みの場所ばかりだというのが何とも切ない。
 一番、悲しいなと思ったのは、人生で楽しかったことは一度もなかったというレッサーパンダ帽男の妹。やはり知的障碍を持つ父と、事件加害者である兄を中学生の頃から支え続けた挙句、若くして癌に倒れてしまう。最後に捨て身の民間人ボランティアの手によって、楽しい日々を過ごせたのがまだしもの救いだが、それも、兄の起こした事件があっての事だから素直に喜べない。
 知的障がい者のみならず、聾唖者による内輪の事件や、聾唖者だけで構成された暴力団員が、障碍を持った者同士の打ち解け易さをいいことに、お金がありそうな聾唖者を狙って強奪を繰り返していた話など・・・福祉は何をしてるのだ!という著者の叫びを裏付ける話が次々に出てきて、読んでいて気が重くなるものの、この実情は、出来るだけ多くの人たちが知っておく必要があると思う。
 誘導尋問をされると、自分がやってない事ももやったと言ってしまいがちな上、一見して反省した態度が見られないために刑が重くなりがちな知的障がい者の裁判。その後の更正・再出発に向けて何のサポートもされない懲役の実情ひどいが、聾唖者に対する裁判の場合も、健聴者を中心にした現在の制度では、手話通訳も不完全な状態で、本人の言いたいことがきちんと伝わっているか甚だ心もとないと言う。これらの情況は、そもそも裁判所に出向く機会もない一般人には想像もつかない状態である。福祉の網から漏れてしまった人たちの人生は悲惨であり、「俺達はむしろここの方が生きやすい」と刑務所で言う障がいのある受刑者達の言葉がこの国の福祉の脆さを語っている。

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紙の本阿片王 満州の夜と霧

2005/10/31 14:40

ラストチャンスをものにした力作。

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 戦後の高度経済成長がこんなにスピーディだったのは何故だろう、それは満州国で全て下ごしらえが済んでいたからではないか、と言う著者は、その満州国の基盤となる大金を生み出し、戦後は殆ど無名のまま消えていった里見甫(はじめ)の謎を解き明かそうと動き始める。
「カリスマ」や「東電OL殺人事件」などで、著者の取材力には感心しているが、今回も、多方面に取材を重ねている。
 晩年の里見の秘書的存在だった、伊達家の出自を名乗るスパイ事件を起こした男からあたりをつけ始め、里見の義理の息子、1人息子、満州時代の里見のそばにいた男装の麗人、梅村淳の親族など多岐にわたる。
 残念ながら、里見と親交があった大物の係累は1人として登場せず、かつては名が知られていても、その子孫が普通の人になってしまった人ばかりが被取材者である。例えば、里見からしょっちゅう金を貰っていたという岸信介の子孫(ポスト小泉と盛んに言われてる阿部さんは岸さんの孫だ)や、ロッキード事件で名をはせた児玉誉士夫や、晩年まで「世界人類みなきょうだい」とCMをやっていた日本船舶振興協会の笹川良一の子孫などの話も入って入れば、さらに面白かったのにと思うが、彼らの立場から思えば、当然、取材に協力なんてしたくないだろうし、出来ないだろう。
 多方面から里見の実像を削りだして行くと、そこに出て来るのは、阿片という巨悪を操りながら、私利私欲におぼれる事がなく、好色であるのにもかかわらず、不思議と清々しい雰囲気を漂わせてさえいた人物である。
 例えば、中国人に対し、裏切りの密約の報償として払う金を、偽造した紙幣で行えば良いとした軍部に対して、武士としてあるまじき行いと怒鳴りあげるなど、阿片の密貿易をなしながら、一方ではスコーンと抜けた清廉潔白さがあった。今の単位に直さないままでも文字通りの巨万の富を操作出来る立場にいながら、私腹を肥やす事もしていない。また、阿片王と呼ばれる身でありながら、その類の名を冠される身にありがちは居丈高なふるまいをする事もなかったようだ。

 戦後はGHQが民間人第一号のA級戦犯として、里見の身柄を捕捉するが、著者が呈示する記録を見る限り、GHQの取り調べに対しておもねったり、嘘をついたりというイヤらしい操作をしている気配が全く感じられない。大罪を犯しながら、刑に処せられる事がなかった理由については、本書を読んで確かめて欲しい。
 金に困った時に、かつて恩を売った人達に一言言えばどうにでもなったはずなのに、それもしなかったし、匿名で届く新聞紙に包まれた金にも手をつけなかったと彼を知る人達は言う。ただ、戦後になって妙な事件が起こると、しばしば里見の名が勝手に使われるのには参ったと本人も語っていたと言う。
 里見を知る人達から見れば「段違い(に人柄が悪い、あるいは小人物)」であった満州ゴロ達が、戦後名を成したのと正反対に、里見自身は多くを語らぬまま歴史の闇の中に消えて行った。
 著者があとがきで語っていたように、今こそ記録しておかねばという執念で描かれた力作である。取材を始めてからも協力者が亡くなったり、面会前に亡くなられていたりという事で、壁に当たる事も多かったようだが、まさしくラストチャンスを捕らえた作品ではないだろうか。

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どんなに困難な状況にも幸せは必ずあります。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

  昨秋上映されたドキュメンタリー映画「ちづる」は大学生の兄が知的障がいと自閉症を併せ持つ妹と、彼女の世話をする母親を卒業制作として撮ったもので、何よりも監督である本人の心の成長ぶりが伝わって来ましたが、この本はご母堂自身によるもので、ご自身のホームページ、ブログからの抜粋と新たな書き下ろしで構成されています。

 ちづるさんの幼少期から、現在までが、映画を撮ったお兄さんや亡くなられたご主人との生活も含め、ほぼ時系列で描かれていますが、とてもラッキーでいらしたと思うのは、当時は障害児教育の先進地域だった横浜市の公的療育機関にいらした自閉症の専門医師である佐々木正美先生に診ていただくことが出来たという点です(今は自閉症を含む発達障害の概念が広く知られる一方で、専門施設や専門家が足らない事もあって、早期に診断、療育が出来ないという話を多く聞きます)。

  早くに的確な診断を受けることが出来た分、当初は辛かったと思いますが、著者の障害の受容は早く、それが、はたから見てもかなり大変な状況下でも、落ち着いて明るく過ごしておられる(ように見える)事に繋がっているのではないかと推察します。

 実は、この本を読む前に、図書館に予約を入れて、臨床心理士である男性が自閉症の一種であるアスペルガー症候群の娘さんの療育を行うという本を借りた事があるのですが、正直なところ、途中で読めなくなってしまいました。というのは、専門家であるという圧倒的なアドバンテージを持って入手した情報を使うことが出来、なおかつ、サラリーマンに比べて時間の管理がしやすいという立場でおられるのですが、その療育への並々ならぬ力の入れ方が、まるで営業成績をあげるためにひた走るタイプのようで、娘を「普通」にする事を、あたかも点数や売上ではかっているような記述に感じられ、非常に息苦しくなってしまったからでした。

  発達障害というのは完治するものではないと言われています。色々な条件を整えたり、本人のくせをうまく生かして、順応したり、適応するようにという療育ならば、納得も共感も出来ますが、「普通になった」とあたかも完治したように言う事に関しては疑問を感じざるを得ません。また本書でも、超早期療育にもかかわらず、ちづるさんが養護学校へなかなか通えなかったとあるように、頑張ったからと言って、確実に成果が得られるとは限らず、個人差が大きいものですから、頑張れば必ず結果が出るように誤解させて、結局のところ家族、多くの場合母親を追い詰めかねないような発言が、専門家を名乗る人から時折発されることに対して強い違和感を感じます。

 対しまして、著者の述べている療育の過程は、他地域より環境に恵まれていた事はあるにせよ、ごく一般的な家庭の人が子どもに障害があると分かった時に取りうる手段や療育であり、頑張ってはいるけれど、あるところで障害を受容して、頑張り過ぎてはいません。
 
 ちづるさんのようなお子さんがいると、本当に大変なのは、私の親しい友人にもちづるさんとほぼ同じ年齢で、知的障害に加え二次障害による精神病をもつ娘さんがいるのでよく分かります。が、著者は問題行動を起こす事も多いちづるさんと根気よく付き合いながら、自閉症の共通の特徴を述べると共に、ちづるさんだけの個性、出来ごとをつづっていて、時としてほのぼのとした感じも与えてくれます。

 障害のある子どもがいるという事は、スタート地点では大きな苦労がありますが、家族の理解に加え、様々なサポートを得て、概ね落ち着いた暮らしを営めるようになると、定型発達の子どもだけのいる家族とは違う点も多いけれど、子どもの成長を楽しむという点では同じような日常を送れるものだと感じました。サブタイトルの「娘と私の『幸せ』な人生」は誇張ではないと読んでいて感じました。

 映画の中でちづるさん一家の父上が亡くなられた事が分かり、何とむごく切ない運命なのだと思いますが、映像の中のお母さんはとても健気で、普段は苦悩の影を封印されているのが心に残りました。大事な人を奪った悲劇的で理不尽な事故については本書でも触れられていますが、その描き方を見ても、著者は非常に聡明な方だと分かります。

 映画を撮ったちづるさんのお兄さんの正和さんについては後半からよく出て来ます。障害のあるきょうだいがいる場合、どうしても、障害のある子に手がかかるために、きょうだい児の心には大きな負担がかかる事は知られています。ちづるさんと別々の小学校になると分かった時のにがっかりした彼ですが、後にクラスメイトの障害者差別をあらわす心ない言葉に傷つきました。さらに父親を突如奪った事故に対する憤りもあり、大学時代には心の中に袋小路が出来てしまったとのことです。長らく障害のある妹の事をオープンに出来なかったものの、信頼できる教師の指導により、専攻の映像制作で卒業制作を始める時には自閉症を取り上げることにし、心の中のバランスを取り戻して行ったという正和さん。就職活動をしつつ、妹を対象にして作品を作った、それがマスコミに取り上げられて・・・という事で私もマスコミ報道で映画「ちづる」を知って観賞したのですが、このくだりを読むと、母親は障害のある子だけではなく、勿論、きょうだい児にも心を砕いているというのがよくわかります。

 巻末で、著者は将来起こるであろう首都圏直下型地震の時、ちづるさんはマンション暮らしでは対応しきれないだろうと思い、親御さんが高齢化している事、故郷への里ごころもあって、引っ越しを考えますが・・・映画でも大活躍したバナナという犬を飼う時に「飼う!」と決めたが如く、環境変化に弱いと言われる自閉症なのに、ちづるさんは「引っ越す!」と抵抗なしに賛意を示しました。何としたことか、著者の予感は3月11日の大震災で当たってしまい、ちづるさんは停電をはじめとする非常事態により心にダメージを負ってしまいます。都内の介護施設への就職を決めた正和さんと別れ、著者は被災地の自閉症者の苦難を思いやりつつちづるさんと故郷への引っ越しを実現します。

 「ちづる」を見た映画館でこの本を販売しているのを見て、その場で購入して読みましたが、苦労も喜びもいきいきと、しかし冷静に描かれていて、一気に読了出来ました。自閉症とその周辺の障害を持つお子さんの親御さんやサポーターの方には勿論ですが、首都直下型地震が近未来で起こる確率が大変に高いと報じられている今だから、大災害が起こるとより困難な状況になってしまう自閉性障害を持つ人に対する理解を深めるためにも、多くの人に読んで欲しいと思いました。

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紙の本天国からはじまる物語

2005/10/25 00:58

死後の世界がこんな風なら、いつか来る日も怖くない。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 死というのは、現代日本では、日常と切り離されてしまっているが故に、タブー視される事も多く、それがまがまがしい気持ちや畏れを呼び起こすが、この本を読むと、そんな気持ちがスッと晴れるかも知れない。
 突然の事故で生を絶たれた主人公、エリザベスが船に乗ってたどり着いた世界。そこは今までいた世界と、あまり違和感のない死後の世界「ドコカ」だった。
 エリザベスはそこで沢山の不思議に出会う。薬物中毒で死んだ大好きだったロックバンドのボーカリストや、早世した母方のおばあちゃんなどの「ドコカ」の住民。「ドコカ」で暮らす上の禁止事項や独特のルールなど。
 最初のうちは自分が死んだ事実を受け入れられず、見晴台にある双眼鏡から自分が去った後の「この世」を見るのに没頭していたエリザベスだが、様々な「この世」の人々の様子を見ているうちに、次第に自分の死を受け入れるようになる。また、その頃、犬のセイディと出会った事で、犬と話が出来る能力があると分かり、死後の犬の世話をする犬担当課の職を得るなど、徐々に「ドコカ」での暮らしに順応して行くのだった。
 あの世でも友情や恋があり、結婚もある。そして時には禁を破って、「この世」の人々との接触をしようという動きがあり、それがうまくキャッチされる事もある。エリザベスの場合、接触をキャッチしてくれたのは、弟のアルヴィだったが、初回はうまく行かず、弟は父親から叱られるハメとなる。
 エリザベスは1人の青年オーウェンと出会い、愛し合うようになる。オーウェンの助力で、エリザベスの父への思いがアルヴィを経由して伝える事が出来た下りは、押さえて書いてあるが、心がほっこりして来る部分である。彼らは苦難を経て結ばれ、やがてこの世への再生へ向けて時を重ねて行く。
 死後の世界を信じてる人にとっては、この物語に描かれている事に作り事とは思えないリアリティを感じるかも知れない。死後の世界に不安を感じている人達は安心するかも知れない。死後には何もないと考えている人達は、最初、抵抗を感じるかも知れない。けれど、そう思っている人達にこそ、読んで貰えたら、と思われて来る心温まる物語である。

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満州国最後の妃:彼女は負けじ魂で生き抜いた。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ものごとには二面性があるという事をこの本を読んで深く感じる。清朝最後の皇帝にして、満州国の皇帝として担ぎ出された宣統帝溥儀の周辺については、映画「ラストエンペラー」や溥儀の弟溥傑の妻となった日本の華族出身の妻による本などで見ていたが、それらの中では溥儀の妃の一人であった李玉琴については、取るに足らない卑しい出自という事でくくられていたと思う。この本はその玉琴について、彼女の側から語られた本である。
愛新覚羅浩は玉琴については関東軍がどこかで拾ってきた素性の知れない女という事で、共に暮らした時期があったのにもかかわらず、ほとんど無視に近い態度を取っているが、玉琴は確かに関東軍に拾われたというのにふさわしい選抜方法で妃として選ばれた。
極貧とは言えないまでも、貧しい家庭の中で助け合って暮らしてきた家族に対し、妃になる事で得る栄達で孝行をしたいという健気な思いを抱きつつ、「あたしは〜がお出来になります」といった珍妙きわまりない言葉遣いしか出来ない玉琴は、次第に妃であるという自負を抱くようになって行く。
が、嫁したといっても溥儀とは夫婦の契りもなく、満州国の崩壊に伴い別れ別れになり、逃げたり隠れたりの日々を送る事になる。妃らしい生活を送っていた日々ですらも、貴族の生活に虚飾と窮屈さを感じていた彼女だが、富と栄華を手放した後は、庶民にはない貴族のいやらしさをまざまざと感じさせられながら、そこしか頼るあてのない苦しい暮らしを強いられる。
元々天津爛漫怖い物知らずの彼女は、負けじ魂と思いつくと鉄砲玉のように飛び出して行く気質で、他の少女達が辞退した宮廷入りも何とかこなした訳だが、日本の敗戦後、新中国の建国に至る混乱期、文化大革命の時期などに、その気質と平時なら好ましかったかも知れない単純な思考が災いして、かえって立場が悪くなったりした。
一方で、清朝の過去の栄光に配慮し、溥儀の一族に対しては穏便に当たらざるを得ない中、庶民の怨嗟の部分を彼女一人に背負わせようという動きもあり、恩恵が著しく少ないのに、都合良く元妃であったと引き合いに出される損な役回りを背負わされたりもする。めまぐるしく変わる状況に、何回も揺れ動きながら最終的には溥儀との離婚を選び、再婚した彼女は最後はまずまずの幸せをつかんだようだが、それも彼女のたくましさがあっての事だろうと思う。
ひとつ印象的な部分があった。インタビューに高額な謝礼を要求するという彼女の「その情報を元に高額の印税や原稿料を得るはずなのに、タダで情報提供は出来ない」という理屈である。著者はこの論にむしろ納得して高額な謝礼を払って彼女と直接の接触を持ったとの事。このエピソードも彼女が浅ましいという論に貢献したに違いないと思うが、彼女の言葉は取材する側が陥りがちな勘違いを鋭く突いており、合理的で筋の通ったものだと、私はむしろ共感を覚えた。

玉琴を主人公とした本でありながら、決して過剰な思い入れで美化する事もなく、彼女の持つ生来の欠点や、生まれ育った境遇から来るこすっからい部分などをきちんと描きつつ、溥儀側が描くような、卑しく、浅ましいだけの女ではなく、魅力的な部分も沢山持ち合わせていた事が十分に分かるように描かれている。彼女の素っ頓狂な言動によって、囚われの皇帝溥儀がつかの間の慰めを得たらしい事、彼女が単なる虚栄心と策略で溥儀と行動を共にしようとしたわけではなく、尊敬と一種の愛情を持っていたという事実を知る事が出来たのは、溥儀側からの情報しか知らなかった私にはとても新鮮であると共に、一方的な情報にたよる危うさを改めて感じる事が出来た。
著者が最後に「生前の彼女に目にして貰う事が出来なかった」と述べているが、この本を見て、彼女が喜んだかどうか甚だ怪しいとは思う。その率直さがこの本の魅力である。

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神様は歌手ひばりには微笑んだが・・・

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 戦前の女優だった初代美空ひばりを絡めて、周辺への取材を元に描いた(おおもとのネタは著者の義理の叔父が提供してくれたとの事だが)美空ひばりの人生。
 歌手「美空ひばり」には神が微笑んだが、1人の女性「加藤和枝」には微笑まなかったという事実が胸を打つ。
 若干17才程度で、地方興行で嫌がらせをするチンピラにお尻をなぜられながら、セクハラ発言に「あ〜ら、お兄さん、うれしい事言ってくれるわね」と堂々といなせたひばりが悲しいし、ひばりをスターとして売り出した後の家族の崩壊の様も痛々しい。
 浴びるように酒を飲み、あのような短命に終わってしまった彼女だが、あれは孤独を埋めるための酒だったと。「悲しい酒」を歌いながら涙が目元に光っていたひばりの生前の姿は子ども心にも印象深かったけれど、本当に自分の姿と重なっていたのだろうなぁと思う。
 超一流、大物と言われなくても、市井の人として落ち着いた暮らしをした初代美空ひばりの方が幸せな人生を送った事になるのだろう。
 芸能界は興業を通して暴力団とのつながりが深いというのは、知識として知っていたし、ひばりが暴力団絡みでNHKから干された時期があったのも覚えているが、ひばりの発掘にも、大スターへと駆け上がる時も、そのスジの人、およびかなり近い人々が周囲を取り囲んでいたところまでは知らなかった。
 一卵性双生児、難物と揶揄されながらも娘を守ろうとした母、喜美枝、マネージャー、最大のスポンサーであった山口組三代目、そしてひばり本人も、と関係者の多くが亡くなった後だからこそ、書ける話だろう。
ネタを提供してくれた叔父にそのスジの親しい友人がいたという事もあり、かなり暴力団関係者に肩入れして書いてあるのが気になる点ではあるけれど、戦後のどさくさの中から立ち上がった暴力団のトップというのは、かなり幅広く活躍していたようで、山口組三代目組長と手を携えていた人の名前にあっと驚かされ、昭和裏面史という面からも興味深く読まされた。

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小塚ファン必携書ですが、全てのフィギュアスケートファンにも読んでいただきたい本。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 祖父が旧満州国の、父が全日本のチャンピオンと言う家庭に生まれ、フィギュアスケート界のサラブレッドと呼ばれてきた小塚崇彦選手。コーチや周囲のサポートでスケートを続けて来た第一人者の高橋選手に比べ、恵まれていて、いかにもすんなりと苦労無く才能を開花させたイメージがあります。

確かに環境的には非常に恵まれていて、練習の場や道具の用意など、一からスタートするのとは違ったと思います。 それでも、いわゆる二世、三世と言う、しばしば親の七光りと揶揄される人たちが全て成功する事は無いどころか重圧に潰れてしまう人たちも多い事、特に実力が成績で具体的に表されてしまうスポーツ界では、七光りが通らない事は周知の事実です。

小塚選手もある時点まではサラブレッド家系ゆえの重圧に悩まされたようですし、自分がトップスケーターになると言う意識は低かったようです。が、高校進学辺りから、むしろ積極的に父親を目標に据えて練習に励むようになったと述べています。

遊びたい盛りの子どもらしさから試合で失敗をしたり、忘れ物によるヒヤリハットがあったり(忘れ物の方は昨年のアイスショーで衣装忘れの罰ゲームとして女装させられた位で、いまだに健在(?)のようです(笑))、反省しつつも同じような失敗を繰り返したり、いろいろあったようですが、一方で、数々の試合に出場したり、一人で海外へ遠征し、著名指導者から指導を受けるなど様々な経験を経ている様子が語られています。タイトル通り、一歩一歩、努力を積み上げていった事がバンクーバーオリンピック入賞、全日本選手権で金メダル、世界選手権銀メダル獲得などの活躍に繋がっているのが分かります。

好青年らしい飾らない筆致の中に、目標を定めてコツコツと積み上げて行く大切さー望みを叶えるための努力を継続する様子が述べられている一方、マスコミでの露出度が増えて垣間見られるようになった優等生だけではないお茶目な部分も語られています。かわいらしい幼少から、少年期を経て、精悍さを感じさせる現在までの写真も数多く掲載されているので小塚ファン必携書と言えそうですが、フィギュアスケート界の様子も垣間見られ、多くのフィギュアスケートファンが楽しんで読めるのではないでしょうか?

この本を読んでから、ヒョウタンから駒のような感じで名古屋で開催された国体のフィギュアスケート観戦に行きましたが、同僚の無良選手を応援する姿や(彼のスケーティングも素晴らしかったです)、表彰式で見せた、引退後に自治体に乞われて出場した先輩スケーターへのサプライズご挨拶などに若者らしいお茶目さがふんだんに現れていて、実力はもとより、場を引っ張り盛り上げる力を含めて、名実共に小塚選手が日本のエースに成長している事を実感しました。

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高度経済成長期の青春群像を描いた秀逸なマンガ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

日本が高度経済成を遂げた大阪万博の頃の高校生の青春を描いたマンガ。マンガというよりは、ほとんど小説と言っていい圧倒的な文字量で読み応えがある。
セブンティーンに連載されていた頃の読者は団塊の世代から少し下から新人類と呼ばれる前位の少女達だろうか。私は連載終了後、総集編を別冊で読んで魅了されたクチである。読んでいると、今となっては時代の一こまとなった出来事にも多数触れているので、非常に懐かしい気持ちになった。
主人公の奈々子は3人姉妹の末娘。少子化などという言葉がなかった時代のマンモス高(そういえば、いつの間にかマンモス校は死語になっている)に通い、のんびりモードで幸せに暮らしている。父が出版社の部長という当時の典型的な中流家庭で、病弱な母に代わり家事の切り盛りをするのがOLである美人の長姉。次姉は長姉とは違う路線を行こうとして当時としては「女だてらに」と形容されるような姿をして美大でカメラをいじっている。両親はやや影が薄いが、若干年上の先輩としての二人の姉のそれぞれの人生も押さえている。
奈々子は向かいの家に住む幼なじみの好少年ゴクロウ君ともいい感じで付き合っており、仲良しグループのこけし、オメガ、エクボと友達にも恵まれている。超美人ではないのだが、どういう訳か、学年一、二を争う美女が取り合っている憧れの君とも接触するし、隣に越してきた当時としては型破りなアメリカ国籍の日系少年にも気に入られ、さらに苦学している少年にも気に入られ、ゴクロウ君をやきもきさせる。
異性の友人達、同性の友人達と、様々に悩みつつ、色々な人々に出会い、考えながら成長していくという青春群像を描いた作品で、今の高校生とのあまりの違いにはしばしばギャップを感じてしまう部分は多い。
例えば、夜8時に女子高生が悩みを抱えている女子高生が盛り場でぼんやりしていたら危ない目に遭うかもという可能性は現在ならほとんどないだろうし、当時のキスと言う行為の重さも、今の子には「ばっかみたい」かも知れない。また、今なら「こんな人、この学校にいるはずないわよ」というようなお嬢様方が公立のマンモス高校に通っていたりするの部分に時の流れを感じたりもする。
これらをはじめとして現在とのギャップを感じさせる数々のエピソードも、当時の読者が読めば懐かしく、ひょっとすると「あのころは良かった」と思い、日頃手を焼きつつ対応している奈々子と同じ年齢の我が子達に登場人物の爪の垢を煎じて飲ませたいと思うかも知れない。
が、表面に現れた部分は現状と異なるかも知れないが、青春とは悩み多く、様々な出会いを重ねて大人へと向かっていくという大筋は変わっていないと思う。
かつての読者層には若い頃の色々な出来事を思い出す宝箱のようなマンガとしておすすめしたいが、若い人達にも、親世代がどんな青春を過ごしていたのか大づかみに捉えるため。また、「プロジェクトX」の伝説が生きていた時代の息吹を知るためにも、読んで貰えたらなと思う。

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これが最後の収納本!?

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本を読んで「目からウロコが落ちた!」という人と「そうそう、そうなのよ」とうなずく人とおおよそ二通りの反応が出てくるのではないかと思うが、私は圧倒的に後者である。何となれば、片付かない、すっきりした家に住めないのは自分の怠慢のせいか?と思いつつも、若干の疑問を抱きつつ収納本・番組の類を見ていた私にとっては、誠に痛快なのである。

 各章の最後の部分に太字で書かれたポイントだけ見ていても楽しめる。例えば最初のうちに目に止まったのは「しまうためだけの収納はおしゃれじゃない。手間もかかって続かない」「収納家具、手作りするのはもともとまめな人。片づけだってできる人」「名人のほんとに見事なDIY。だけど、われらにゃ向いてない」等々、カルタのような言葉を見て思ったのは「よくぞ代弁してくれました!」である。

 この他にも標語のような面白い言葉が続々と続くが、著者がライターとして関わってきた人たちの暮らしぶり、さらにそれを報じる側の裏話などをつきあわせての事実が描かれている。例えば「収納関連では、読者や視聴者の目をひくために、現実から離れたワザが多発」という話にはすこぶる納得。また、ストレスと片づけ度合いの結びつきの深さを言われれば、我が身を振り返ってうなずける。

 「そう、だから我が家は片付かなかったのだ!」と思った後には、元々まめじゃないを自認する著者によるコツを実践するしかない。中には、贈答品は貰ったところでお役ご免で、即ゴミへ直行を良しとするなどという、私にとってはいただけない話もないわけではないが、多くはサックリとした無理のないものなので、気軽にやってみようかなという気持ちにさせてくれる。

 更に、ビジネス関係の部分もあり、「整理、分類にうるさい人に仕事が出来る人がいますか?」という投げかけを始めとして、なかなか興味深い事実と観察が描かれているので、女性だけでなく男性が読んでも面白いと思う。(勿論、男性も家庭内の片づけに大いに関わっているので、他の部分こそまじめに読んで欲しいが)

 読み終えてホッとしたところで終わるのか、それとも実践まで行くのか。先を選ぶのはあなたである。

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滋味あふれるスローライフなエッセイ

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 八ケ岳山麓の蓼科ハーバルノートのオーナーである著者が地元の長野日報で連載していたエッセイとレシピをまとめた分厚い文庫本である。

 面白い本を見つけると、一気に読む習性のある私なのだが、この本に限っては、毎日少しずつ読んでいた。それは、絶対につまらないからではないのだ。地元のとれたての野菜、ハーブ、果物などを中心に、八ケ岳山麓の風物や、著者が時折訪れる各地の描写などが加わった短めの文書なのだが、あたたかい落ち着いた語り口で、しみじみと味わいながら読むために、一気読みが出来ないのである。

 新聞連載のコラムだけあって、一つ一つが短いので、どこから、いつ読んでも、きちんとした一つのまとまりになっているので一気に読まなくても、脈絡がつかめなくなる懸念がないというのも、のんびり読書が出来る理由として大きいと思う。

 レシピについても、いわゆる料理本と違って、こまごまとした決め事がなく実におおらか。料理下手を自認する私にも「ひとつ作ってみたいな」という気持ちを起こさせてくれる。著者の身の回りの素材のおいしそうな描写に、そんなイキイキとした材料で作られた料理はさぞおいしいだろうなぁ、と思う。が、だからといって、決して自分から遠いものとは思われないのである。おおらかなレシピを読んでいると、例え地元産の新鮮な素材がなくて、自分の身の回りで調達できる野菜や果物でも、それなりの味わいのものが出来るだろうなぁ、と思われて来るのである。また、時にはレシピなしのコラムもあるのだが、それはそれで味わいがある。

 各コラムごとにスタッフの方々による線描のイラストも添えられ、シンプルでおいしそうな料理を引き立てているのも、じっくり一つ一つ読んで楽しめる理由かと思う。

 書店に並ぶベストセラー本の中にはスピードを要求される現代に相応しく、時流に合う、いわばファーストフード的な趣の本も多いが、このエッセイとレシピは、いつ読んでみても、ほのぼのとあたたかくなる、いわばスローフードな本だと思う。
 
 寒さがつのり、家の中で過ごしがちになる晩秋から真冬にかけて、あたたかい飲み物を片手にこの本を読むと、ほかほかな気分を味わえる事と思うし、春先から読めば、近所の野山に足をのばしてみたい気分にさせられる事と思う。

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子育てに悩む親に新たな視点を教えてくれる本

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タイトルからすると、英才教育の本かな?と思ってしまうが、サブタイトルの「脳生理学者の子育てメッセージ」というのが内容には相応しい。

 今、現在子育てをしている身として、体罰をも厭わない厳しさで行こうという論と、子どもの要求を満たしてやろうという論をはじめとして、さまざまな説に右往左往することが多い。著者は、教育評論家や小児科医などとはまた違った、脳生理学者としての立場から、子育てを説いているので、読んでいて「そうだったのか」と思ったり、「これは心せねば」と思うなど、新たな視点を教えてもらえて良かった。

 例えば、遺伝と思われる子どもの性格については、親の考え方や世間の流れが大きな影響を与えているという話は印象的だった。世間の考え方の移り変わりも考慮しなくてはいけないし、親の態度いかんで、子どもが生きていこうとする意欲、自信が違ってきてしまうとの事。さまざまな教育論の中で、何を選び取るかの責任は結局は親が果たさなければならないのだなと思う。

 また、今どの親も子どもに聞かれてなかなか適切に答えられない「何のために勉強をするか」という事にも科学的な面から答えを出してくれているので、子どもに聞かれて困ったときなど、引用させてもらえるな、と思った。

 現在、最も悩まされている、親をどこまでも自分の意のままにしようとしているとしか思えない際限のない甘えも、ヒトが進化する上で獲得した新しい脳ではなくて、動物として形作られた最も古い脳の部分に確固として築き上げられた生存と同じくらいの本能と知れば「そうだったのか」とホッとしたりもする。もちろん、これをカバーする理性を得て大人になっていくための手助けをして行くのに重要なのが親などの人生の先輩なのであるが…。

 タイトル、見出しなどを見ると、ぎょっとする表現もあるが、中身は決して過激な決め付けではなく、また、著者の顔をコラージュしての脳の情報の捉え方や、そこから起こる感情の反応といった説明を始めとして、説明図も豊富で、本来はむずかしい話なのだと思うが、素人にも分かりやすく、大変におもしろく読めた。

 巻末に「親が子どもの味方であるということをはっきり示せば、子どもは叱られてもそれで性格がゆがむなどということはない、と確信をもつべきです」と結んであるのは、とても嬉しい言葉であった。

 教育論の洪水の中で、自分の子育て方針に自信がなくなっている私のような親御さんには、ぜひお勧めしたい本である。

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縫いやすくスッキリ見える服

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手ぬいのカリスマと呼ばれる著者による最新刊。 一枚断ちという独特のパターンや、袖付け無しなどのデザインにより、縫うところがすくなく、手ぬいながら、ハードルが高くありません。型紙を写し、裁断までが一番気を使うところでしょうか。縫い始めると、ミシンと違って糸調子に苦労したり、出し入れが大変という事がなく、手芸感覚で手軽に縫えます。立体裁断なので、適宜なゆるみもありつつ、すっきり着られます。従来型の型紙を使用する洋裁と比べると、布地の使用量が多くなる場合が多いですが、お揃いの小物を作ったりして楽しめます。

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富士山が見えると得した気分になる人ならば必読書です。

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 富士山というのは日本人にとってかなり重要な存在のようです。

 以前読んで面白かった地理のムックでも富士山のために大々的にページを割いていましたし、私のような富士山可視圏の在住でも、富士山が見えるとその日がとてもラッキーに思われますし、つい目をこらして見てしまいます。富士山が日常的に見えない地域にお住まいの方にとってはなおさら感慨深い存在かも知れません。

 その富士山が見える一番遠い地域はどこかというのを可視地域を持つ都府県について、カシミールというソフトを使って検証。著者自身や篤志家による写真という証拠と共に披露してくれています。一方で、可視地域なのに見えない「消え富士」のラインなども掲載していて、なかなか面白いです。

 お隣の県にもかかわらず我が家からは「消え富士」となってしまって見えない富士山、何と和歌山県や福島県からも見えるのですね。


 まず富士山可視地域の都府県別に紹介。カシミールによるデータ上で見える事になっているという事で、いまだ検証されてはいない京都なぞも紹介されています。

 続いて、都内の富士山についてが大きな章となっていますが、こちらは建築物等から見えるのではなく、路上から見える(道路の延長と考え橋はOKだが、鉄道のホームなどはNG)富士山のかつての見どころが今どうなっているか。新しい見どころなどが多くの写真と共に紹介されています。かつて高層建築がなかった時代の富士山は東京からは見放題だったのが、今は非常に難しくなっているというのは納得です。

 葛飾北斎の富嶽三十八景の図柄、有名な「桶屋富士」。俗に言うトンネル富士(木の洞から、トンネル、モニュメントまで、何らかの額縁を通して見える富士をそう呼ぶのだとはじめて知りました)の元祖だそうですが、何と、実は富士山はその画の元となっている地点からは見えないのだそうです。どうやら南アルプスの一部ではないかと言う話ですが、見えないものを北斎がなぜ描いたのか・・・地名が富士見原だったから、素直に見えなくても見えるものとして描いたのか、それとも分かっていたのか・・・ちょっとしたミステリーですね。

 ほかにも赤富士として有名な「凱風快晴」や黒富士の「山下白雨」などはどこから見た富士山なのか・・・など謎解きたっぷりで、楽しめます。

 最後に乗り物から見える富士山と題した章があります。乗り物には自動車も含まれるので東名高速道路、中央高速道路など私にとってはなじみ深い場所も紹介されていて、より一層親しみを感じながら読めました。

 富士山を追う、という行為で、こんなに大きな楽しみが広がるのですね。人に語る程の趣味と言えば、とかく道具購入などにお金をドカンとかけて行うという風潮がありますが、こういう一見して地味なコツコツ系の趣味、奥深くて、極めて行くのには実は行動力を要し、とても素敵な事だと思います。

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ナゲキバト

2003/12/08 17:17

大切な人への贈り物にしたい本です。

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 アメリカの片田舎が舞台の、少年と祖父の交流を描いた、なんとも心温まる物語である。読んでいる間に、心の中に暖かいものが静かに広がる気持ちになった。

 主人公の少年ハニバルは不幸にも、交通事故で両親を亡くし、一人身の祖父ポップの元に引き取られる。ポップは名もなき庶民の一人ではあるが、非常に深い知恵をもった人で、ハニバルの心の成長に非常に大きな力を発揮する。

 例えば、遊び相手がいなかったハニバルの友達となったチャーリーは、いわば社会の最底辺の与太者の父親と暮らし、虐待もされている。私だったら、あんな子とつきあってはダメととめてしまうと思う。だが、ポッポは目くじらを立てることなく、父親は気の毒な人だからそうっとしておいてチャーリーとはいっぱい遊びなさいと言う。その気負わないさらりとした対応に子ども達への深い愛情を感じる。

 またある時は、ハニバルは主を失い廃屋になった両親の家を祖父にいざなわれて訪れる。二人がどんなに一生懸命生きていたか、自分がどんなに愛されていたか、ハニバルは残されていたものたちから再確認する。

 動物達との交流から、無益な殺生の意味を知る下りには、ただ甘いだけで、自分のした事の責任を取らせない現代の子育て風潮に、静かな抗議をしているようにさえ思われた。

 ひとつひとつのエピソードに愛情があふれ、いわゆるドラマティックな事件が起こるわけではないが、生きることの尊さや悲しさを教えてくれる文字通り珠玉のような物語である。自費出版から始まってベストセラーになったというが、この物語の良さを認めた人が多いというのは、世の中もまだまだ捨てたものではないと思う。

 今の日本は「勝ち組」「負け組み」と経済面だけで人を分けるのが流行になっているようだが、経済面では決して豊かではなくても、ポッポのような素晴らしいおじいちゃんは間違いなく人生の勝ち組である。こんな心の暖かな人がたくさんいるのが本当に豊かな社会というのだろうと思う。

 ギスギスした風潮が続く日本でこそ、もっと広く読まれたらいいのに、と思うが、先ずは大切な人に読んでもらいたい本である。シンプルで上品な装丁の本なので、素敵な贈り物になると思う。

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