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  3. つなさんのレビュー一覧

つなさんのレビュー一覧

投稿者:つな

38 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本さむがりやのサンタ

2005/12/16 10:03

サンタさんの生活

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 どうですか!この表紙の赤い丸い鼻、もっさりとしたひげ、つぶらな(?)丸い点のような目。この表紙は、熱い紅茶を入れた水筒持って、サンドイッチのお弁当持って、着膨れてクリスマスのプレゼントの配達に向かうサンタさんの図。
 サンタだからといって、冬や雪、寒い所が好きだとは限らない。「おやおや、ゆきかい」、「ふゆはいやだよ まったく!」とぼやくサンタが居たっていい。
 プレゼントを皆の所に届けるのは、とっても大変!「えんとつなんて なけりゃいいのに!」だし、「すすだらけになっちまった」とぼやくのもむべなるかな。
 そうそう、そしてこのサンタさんに感謝の気持ちを表すのならば、ジュースを置いておくよりも、パパのお酒を置いて飲んで貰うほうが良さそう。凍えた体もあったまるしね。
 動物の世話をするところ(トナカイ含む)、日常の細かい仕草、ぼやきながらも頑張ってプレゼントを配達するところなどが、細かいコマや、時には見開きの二ページを使って、細部まで丁寧に描き込まれている。クリスマス前にはいつも読みたくなる、子供の頃から大好きな絵本。

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紙の本博士の愛した数式

2005/11/28 16:55

喪う

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 過去形で書かれた物語には、何だか切ない匂いがする。
 この物語は、80分の記憶しか持つことの出来ない博士、家政婦の私、その息子ルートの交流を描いたもの。博士は不慮の事故により、それまで持っていたものの殆どを喪ってしまった。残されたのは、事故に遭う以前までの記憶、研究していた数学の知識、子供に対する限りない慈しみの情、そして80分の記憶しか保つことの出来ない脳。
 博士から語られる数の話は、静謐で美しい。また、そっと博士に寄り添う家政婦の私の姿、博士に全幅の信頼を寄せる息子ルートの心も、優しく、ただ切ない。本当に美しい魂の物語。
 博士が喪ったものは数多いけれど、残されたものは削ぎ落とされた美徳だったのだろうなあ、と思う。どちらが幸せだったのか。普通に考えれば勿論事故に遭う前だと思うのだけれど、この物語を読むとどちらなのか分からなくなってくる。美しく静謐な世界が広がります。

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紙の本クラバート 改訂

2005/12/16 09:59

愛と勇気と友情と

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この物語は著者プロイスラーが少年の日に出会った、ドイツのある地方に伝わる、<クラバート伝説>をもとにしたものであるそうだ。<クラバート>はヴェント人の伝説であり、ヴェント人とは、独自の言語や服装、特色のある慣習、豊かな民族的な伝統を持った西スラヴの小民族。早くからキリスト教化が行われたのにも関わらず、在来の異教の信仰の風習を色濃く留め、口頭で伝承された多くの民話を有し、魔女や魔法使いの伝説も豊富に残っている。
 これはプロイスラーの解釈による、新しい<クラバート物語>であるが、やはり民話独特の暗い色彩を帯びているように感じられる。同作者の「小さい魔女」「大どろぼうホッツェンプロッツ」などとは、趣きの異なる作風である。児童書ではあるけれど、大人の読書にも耐えうるものだと思うし、強く引き込まれる作品だった。
 仲間の少年たちと、浮浪生活を送っていた14歳の少年クラバートは、夢に導かれ、コーゼル湿地の水車場の親方の弟子見習いとなる。水車場の職人は、クラバートを入れて十二人。水車場の生活は、定められた暦にしたがって続く。クラバートが水車場に来た時の、職人頭はトンダ。トンダは仕事に慣れないクラバートを何かと手助けしてくれるのだった。
 水車場の生活、そこで起こる出来事、それらの全ては繰り返し。水車場の職人たちは、毎年元日の朝に、親方の代わりに必ず一人が死なねばならず、その代償として魔法の技術を教えて貰っていたのだ。親方を倒すということは、今まで教えて貰った魔法の技術が無に帰すということでもあり、また失敗した場合は自分の命はない。
 クラバートは誠実な友人と、恋した少女の力を借りて、親方を倒し、これまで倒れていった仲間の敵を討つことを決意する。
 在来の<クラバート伝説>から決定的に離れた点は、親方の魔力からの解放に、母ではなく、少女が重要な役割を担ったことだそう。そう、だから、これは「愛と勇気と友情」の物語なのだ。

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紙の本ノーザンライツ

2005/11/01 12:49

アイデンティティ

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

自然や動物の写真で知られている著者であるが、文章にも非常に味がある。穏やかで、思慮深い人柄が伝わってくる。本書は、シリアとジニーという二人の年老いた女性が、「アラスカに遅れてやって来たミチオ」に語る、開拓時代のアラスカのお話を綴ったもの。この二人の女性は、年老いたといってもまだまだ元気。彼女達の若き日の話には、そんな昔にこんな女性が存在したのか、と衝撃を受ける。
アラスカの過去の話、現在の話が丁寧に語られていく。「アラスカはいつも、発見され、そして忘れられる」。単純な自然賛美の本ではなく、過去の痛み、喪失も語られる。
星野氏の人柄によるものか、周囲の友人たちがとても素敵だ。彼らは、痛みや喪失を越えて、再生を果たしている。厳しい自然と対峙して生きてきた人々の中には、きっと何らかの人生の真実がある。
特に印象的だったのは、この中の「タクシードライバー」と「思い出の結婚式」の二編。
「タクシードライバー」は、白人でありながら、誰よりも遠い昔のエスキモーの心を持っている若者・セスの物語。彼は老いてゆくことが無用な存在になってゆくアメリカ社会と、それが重要な存在になってゆくエスキモー社会との違いを身を持って感じる。
「思い出の結婚式」はアサバスカンインディアンであるアルの物語。アルはインディアンである自分と、白人であるゲイから産まれた一人息子カーロに、古いインディアンの歌を聞かせながら、こう語りかける。「一緒に歌わなくてもいいから、今自分がやっていることを止めて、ただ黙って聞け・・・」
先住民の人々の暮らしの中には、それまでの彼らの知恵が沢山詰まっている。急激な開発は、彼等の内、特に若者からその知恵を奪ってしまう。
静謐なアラスカの美しさもさることながら、アイデンティティについて考えさせられる本である。

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紙の本春にして君を離れ

2005/10/24 12:03

あなたが見ているのは真実の世界ですか?

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

良き夫、子供に恵まれ、有能な主婦であると自認する、ジョーン・スカダモア。彼女はこれまでの努力の成果により、満足すべき充実した生活を送っていた。いつまでも若々しく、朗らかなまま・・・。
末の娘バーバラの病気見舞いに行ったバクダッドからイギリスに帰る途中、ジョーンは学生時代の旧友ブランチ・ハガードに会う。その時から、世界は少しずつ違った様相を見せ始める・・・。
バクダッドからイギリスへの帰路は遠い。テル・アブ・ハミドで汽車の不通のために、足止めを食ったジョーン。これまで「忙しさ」にかまけて、気付かないふりをしていた物事が、彼女の他に人もいない砂漠で頭の中に溢れ出す。何を聞いても何を話しても傷つかない、つるつるのプラスチックだったような彼女の心が動き出す。
「常識的」で「現実的」、「有能な」彼女は、周囲の人々にどう接していたか?そしてそれは、どう影響していたのか?
ジョーンがここまで、「気付かなかった」のは、また周囲の人のせいでもある。あまりにも揺るがない人を見ると、人は「話しても無駄だ」と諦めてしまう。彼女と周囲の人間の思惑が積み重なって、彼女の世界は歪められたのだ。
そして更に怖いのが、この黙示録を味わったはずの、ジョーンの帰宅後の生活。彼女が生きていくことにした世界、あの選択は正しかったのか?
自分は周囲の人に、諦められていないだろうか、と不安に思う小説だった。自分の見ている世界は真実のものなのか?

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紙の本わたしを離さないで

2006/11/19 20:20

この無慈悲な世界の中で、実を結んだのは何だったのか?

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 1990年代末のイギリス。
 十一歳だったキャシー・Hは、ジュディ・ブリッジウォーターの『夜に聞く歌』に収められた「わたしを離さないで」を飽くことなく聴く。「ネバーレットミーゴー・・・・・・オー、ベイビー、ベイビー・・・・・・わたしを離さないで・・・・・・」。彼女が思い浮かべるイメージは、一人の女性。子供に恵まれなかったのに、奇跡的に授かった赤ちゃんを胸に抱きしめ歌うのだ・・・。勿論、ここで言う歌詞の「ベイビー」は、赤ちゃんを指すベイビーではない。しかしながら、キャシーにとっては、母親と赤ちゃんの曲だったのだ。
 三十一歳となった「介護人」のキャシー・Hは、「介護人」としての生活と、彼女が過ごした子供時代を語る。彼女が子供時代を過ごしたのは、ヘールシャムという施設。
 癇癪持ちだけれど、明るい気質を隠そうともしないトミー、いつも思わせぶりながら、多大な影響力を持つルース、他の子供たち・・・。厳格なエミリ先生、率直なルーシー先生、子供たちにとって少々不気味な存在でもあった「マダム」。教えるべきことをきっちりと押さえた丁寧な授業。異様に力を入れられる、「創造的な」図画工作の時間。詩作・・・。繰り返されたトミーへの苛め。毎週の健康診断。外部から遮断され、入念に保護された生活。一風変わった寄宿舎生活にも見える、この施設での生活の秘密が徐々に明かされる・・・。そして、ヘールシャムからの巣立ち。彼女たちは十六歳でこの施設から巣立つ。
 抑制の利いた筆致は最後まで崩れる事がないけれど、ここで語られ、やがて立ち上がってくるのは驚愕としか言いようがない世界。この世界の中で、ヘールシャムの子供たちはどう生きたのか? そして、その他の施設からやって来た「子供たち」の間にも根強かった、ある噂。噂は果たして真実なのか?
 抑制の利いた筆致は、しかし残酷で無慈悲な世界をきっちりと暴き出す。知りたがり屋のキャシーとトミー、それに反して信じたがり屋だったルース・・・。人にとって「最善」とは何なのか?
 面白くて読むのが止められなくなる本は、そう多くはないけれど、まぁ、それなりに数はある。しかしこれは、切実な意味で、読むのが止められなくなる本。抑制された筆致ながら、胸に迫り繰る切迫感は凄まじい。小説というものの威力を感じる一冊。

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紙の本ごくらくちんみ

2005/12/06 12:12

酒飲み必読

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ここで取り上げられている「ちんみ」は、順に青ムロくさや、たたみいわし、とうふよう、さなぎ、またたび、がん漬け、ふきみそ、ふぐこぬかづけ、うばい、からすみ、かぶらずし、このこ、ふなずし、とうふみそづけ、ほやしょうゆづけ、きんちゃくなす、しおなっとう、などなどなどの全68品・・・・。
 最初に杉浦氏の「ちんみ」の美しい絵と簡単な説明がつき、2、3頁ほどの小品が載せられるという構成。そこに出てくるのは、微妙な関係の男女、女友達や、家族の風景など。どれもごく短いのだけれど、いずれも印象深い味わい。人物たちの距離感が、実に程よい。
 そして、ほとんどの場合、「ちんみ」にはそれにふさわしいお酒が登場する。これがまた、その飲み方、食べ方を含め、お洒落と言うよりも、粋という言葉が似合う感じ。グラスの選択や、お酒の選択も素敵。
 巻末には、「ごくらくちんみ」お取り寄せガイドつき。美味しいお酒を呑みたくなること請け合いの一冊。

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紙の本オーデュボンの祈り

2005/10/24 11:49

カカシを殺したのは誰?

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「カカシを殺す」という表現は、通常の場合おかしい。けれど、この場合、それはおかしくない。なぜなら、この「カカシ」はただのカカシではなく、ものを言う、預言するカカシだから。
それは、私たちが知る普通の世界では有り得ない出来事。そう、この物語の舞台は、外界から隔絶した「荻島」という島。島の住人はここで生まれ、このまま外に出ることもなく死ぬ。
主人公・伊藤は、百五十年ぶりにこの島にやってきた、二人目の人間。日本の開国とほぼ逆行するように、百五十年間も鎖国を続けているこの島には、『ここには大事なものが、はじめから、消えている。だから誰もがからっぽだ。島の外から来た奴が、欠けているものを置いていく』という伝説がある。
物言うカカシ・優午を殺したのは誰?
荻島に欠けているものとは何?
島の人間たちは、みな、どこか変わっている。それは伊藤を案内してくれる日比野だってそうだし、その他にも、嘘しか言わない変人画家・園山、唯一人外の世界と行き来をしている、熊の様な男・轟、島のルールであり、武力を行使する男・桜、あまりに太りすぎてその場から動けない女・ウサギ、地面に寝転がって心臓の音を聞く少女・若葉、妻である百合ちゃんを盲目的に信仰する郵便配達員・草薙、鳥が大好きで足が不自由な男・田中などなど、どれも一癖ある人物ばかり。
更に、伊藤のいた元の世界の住人である、強迫的に仕事に没頭する元恋人・静香、伊藤とは中学時代からの因縁がある、最低の警察官・城山が加わって、物語は進行する。
伊坂氏得意の全てが繋がっていく物語。少々馬鹿馬鹿しくもある設定だけれど、美しい島の描写のせいか、どこか淋しげな日比野のせいか、はたまた優しい優午のせいか、とても優しく好もしい物語に仕上がっている。

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紙の本アラビアの夜の種族

2006/10/15 22:16

「物語」を愛する全ての人に

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 物語はそれを聞くことを望む者の前に姿を現し、物語は語られることで不滅の存在となる。そして、物語を識り終えた者は、今度はその者自身が一冊の本となり、またその者自身の物語をも含んで、物語は続いていく。これは、そんな物語。きっと永遠の物語。
 ナポレオン・ボナパルトに侵攻される直前のカイロ。イスマーイール・ベイに仕える、一人のマムルークの若者、アイユーブが夜毎暗躍していた。イスマーイール・ベイは、二十三人いるベイ(知事)たちの間で、現在三番手のベイ。一番手、二番手の、ムラード・ベイとイブラーヒーム・ベイは、煌びやかで美々しいマムルーク騎馬隊の能力を、露ほども疑わないが、しかし、イスマーイール・ベイただ一人は、「騎士道」が廃れた近代戦をおぼろげながらも知る。美が即ち強さそのものである、騎士道の世界は、西洋では既に終焉を迎
えた?
 命ぜられる前に、常にイスマーイール・ベイに先んじて策をとるアイユーブが、近づくフランク族の脅威に対してとったのは、一冊の稀書。それは類稀なる書であるという。読み始めた者は、その本と『特別な関係』に落ち入り、うつし世のことを全て忘れ去る、別名『災厄の書』。これをあのフランク人に、献上しようというのだ。そう、公式の歴史には決して残らず、非公式の歴史にのみ、語られるこの書を・・・。それは誰も知らぬ刺客となる・・・。
 『災厄の書』を語るのは、夜(ライラ)とも呼ばれる、夜の種族、ズームルッド。その声は甘い蜜の舌で語られ、夜毎語られるその言葉を、流麗な書体を操る書家と、助手のヌビア人の奴隷が余さず写しとる。そして、物語を聞く、アイユーブと書家、ヌビア人の奴隷もまた、夜の人間となった・・・。
 語られるのは砂の年代記。砂漠の歴史。『もっとも忌まわしい妖術師アーダムと蛇のジンニーアの契約の物語』と呼ばれるその物語には、複数の挿話が織り込まれ、その一遍一遍は主人公を異にする独立した物語である。しかし、語りが進むにつれ、それは巨きな物語に収斂する。別名、『美しい二人の拾い子ファラーとサフィアーンの物語』、『呪われたゾハルの地下宝物殿』としても知られるこの物語の運び手は、わずか少数の選ばれた語り部、聖なる血を秘めた夜の人間のみ。そう、まさにズームルッドのみが、この物語の運び手である。
 語られる物語は、二十数夜にも及ぶ。夜の物語にとっぷり漬かった後、夜が明ければ、待つのはカイロの危機的状況。ズームルッドの語りが佳境を迎えるにつれ、カイロの状況はますます悪くなる。すっかり夜の人間となった書家とヌビア人の助手は、カイロの危機的状況も知らずに、美食と美しい物語に耽溺し、充実した時を過ごすのだが・・・。アイユーブの計略は、さて、実を結ぶのか?
 夜の間に語られる、長い長い物語をとっぷりと楽しんだ。純粋な人間としては、完璧の極みに辿り着いた、呪わしく醜い呪術師、アーダム。無色(いろなし)の皮膚(はだ)を持つ麗容の魔術師、ファラー。無双の剣士、美丈夫のサフィアーン。彼ら三人の物語が混じり合い、撚り合わされる様は圧巻。
 魔法や妖術が入り乱れるこの物語は、実は彼ら三人の愛の物語でもある。
常に疎外されるものであった、ファラーの受容、美が善である世界において、醜く生まれ付いてしまったアーダムの純情、見事な珠の如きサフィアーンの純真さ。
三者三様の世界が、色鮮やかに立ち上がる。
 彼ら三人の物語が終わっても、物語は続く。
 なぜなら、語り手と聴き手がある限り、物語は存在するのだから。物語は不滅なのだから。

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戦場外科医という仕事

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 タイトルにある「ちょうちょ地雷」とは、空からやって来る、おもちゃのように見える地雷のこと。ちょうど、この表紙に描かれたように、空の下では子供たちが歓迎しているのかもしれない(売れる金属製品と間違われる地雷もある)。両脇に二枚の羽根がついた地雷の形状は、うまく飛ぶためのものであり、これでヘリコプターから投げ出されても、垂直には落ちずに、あちこち広い範囲へと舞っていく。この地雷は、繰り返し指でいじくり、羽根を押すと作動するのだという。拾った子供が家に持ち帰り、興味津々の友達に見せ、手から手へと回して遊び、そしてそこで爆発が起こる…。おもちゃ地雷は、こどもの手足を奪うために考案されたという。手足のない、目の見えない子供が増えれば増えるほど、人は打ちのめされ、損害を被り、屈辱感にさいなまれる。
 この本の著者、ジーノ・ストラダは、現在に至るまで、戦場外科医として数々の紛争の場に居合わせた人物であり、また地雷や戦争による負傷者の治療とリハビリを行う、非政府人道組織「エマージェンシー」(本部ミラノ)を立ち上げた一人でもある。戦争外科医とは耳慣れない言葉だけれど、それは戦場で医療行為を行う医者のことで、紛争の場で自らや他のスタッフの身を危うくしつつも、そこには英雄的な悲壮感はない。
 著者は祖国イタリアに妻と娘を残す、父でもある。この本は、時系列、場所もバラバラな、スケッチのような44の短編で綴られている。記憶を頼りに、記憶が蘇るに任せたまま、書かれたこの本には、時に家族に対する責任を果たさないまま、遠く離れた戦場で働いているのが正しいことなのか、自らの身を危険地帯におくのは、単に自己実現のためなのか、その自問自答も書かれている。その仕事、行いはあまり「普通」とはいえないかもしれないけれど、その悩みはごく普通の人間のものである。
 「戦場」外科医と言っても、ここに出てくる患者の殆どは兵士ではない。その殆どが子供、または老人である。彼らは泣き叫ぶこともなく、黙って痛みを耐え忍んでいる。著者らが立ち上げた、エマージェンシーの人道援助は、当初から対人地雷による犠牲者の手当てとリハビリテーションを主眼とした。これはかつて、イタリアがこの爆破装置の主要製造国であったからだという。エマージェンシーはイタリアからこの種の武器を追放するよう働きかけ、1997年、政府は対人地雷の製造及び売買を禁止する法案を承認した。しかし、かつて67カ国にまき散らされた一億一千万個の爆破装置が、今も人々を傷つけているのだという。
 現代に生きるものとして、平和な日本に生きる自分たちとて武器、内戦とは無関係ではないだろう。知っておくべき話である。

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紙の本神様の、くれた犬

2005/11/01 12:51

共に生きるということ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

捨てられたハスキー犬との出会い、Poohと名づけたその犬との交流の日々、突然の病によってPoohを失ってしまうまで、そしてPoohを失ってからの日々が書かれている。
ハスキー犬Poohへの愛情が沢山詰まった一冊。
ハスキーという犬種は、一時のブームにより数多く飼われたけれど、今では殆ど姿を見かけない。
この犬種の特性を無視し、適切な育て方をしなかったせいで、多くの不幸な結果が生まれてしまった。ハスキー犬は、「ひたすら大人しく従順で扱い易く、その上、自立心に乏しく人間に依存したがる犬」ではない。ただ可愛がればいい、愛玩犬には不向きなのである。犬の特性、魂、またそれを尊重した躾について、考えさせられる。
自分には残念ながら犬を飼った経験はないけれど、小動物を飼った幾らかの経験も、喪失の時の痛みは同じだと感じた。どんなものであっても、それが占めていた場所というものは確かにあって、種類が同じだから等という理由で、他のものが身替りになることは決してない。
ペットショップなどで不幸な扱いを受けたり、捨てられる動物達がいなくなることを願う。

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紙の本ナルニア国の住人たち

2006/03/01 21:33

ナルニア国の世界

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「ナルニア国ものがたり」の挿絵を描いていたのは、ポーリン・ベインズ。この本は、ルイスの原作をもとに編集した文章と、ポーリン・ベインズが新たに描きおこした絵からなっており、「ナルニア国ものがたり」をまた更に違った形で楽しむことが出来る。
 ポーリン・ベインズは、「ナルニア国ものがたり」の挿絵を全て描いた人。「ナルニア国ものがたり」は、文章のイメージも勿論素晴らしかったのだけれど、この挿絵の魅力も大きかったように思う。その他の仕事には、「床下の子どもたち」のシリーズ(装丁)や「アラビアン・ナイト」の挿絵、絵本「ビルボの別れの歌」がある。
 ナルニア国の住人たちを、大きなカラーの絵で見ることが出来て、大満足の一冊。ルイスの文章を元に編集された文で紹介されているから、「これは誰だっけ?」と思う事もない。巻末には、用語集と年表、地図付き。
 私が特に気に入った絵は、「のうなしあんよ」、「コルネリウス博士」、「松露とり」、「竜になったユースチス」、「泥足にがえもん」、「タムナスさん」、「リーピチープ」、「トマドイ」などなど(勿論「アスラン」の絵も素晴らしい)。「竜になったユースチス」は、なんと見開き二ページを使って描かれる。悲しむユースチスの鼻からは、しっかり煙が立ち昇っている。文章で読んだ時も、子供心にとっても印象的だった。

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紙の本O嬢の物語

2006/03/28 21:21

隷属させられるが故の自由、穢されるが故の美しさ、そして複雑な愛というもの

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ごく普通の若い恋人同士であったOとルネ。ある日、Oはルネに連れ出され、ロワッシーの館へと送り込まれる。裸に剥かれたOは、体の各所に化粧を施され、首輪と腕輪により拘束される。館には妖しげな男たちと彼女と同じような女たちが住まい、女たちの体は昼夜を問わず開かれている。この館では女は物でしかなく、沈黙を強要され、縛られ、鞭打たれる。また、通常使われる部分だけではなく、肛門までをも、ルネだけではなく見知らぬ男性にまで犯される。
 これらの事、全てはOにとって屈辱的なことなのか? 必ずしもそうではない。Oはそれほどまでにルネが自分を愛し、ルネが自分を完全に支配していることに、共に酔う。
 ロワッシーでの時が終る。事情を知る者共通の奴隷であるという印の指輪を携え、街に戻ってきたOは、既に以前の彼女ではない。一部をのぞいて、普通の生活に戻った彼女に、ルネは兄とも慕うステファン卿を紹介する。しかし、これはただの紹介ではない。敬愛するステファン卿と、Oを共有したいというのだ。灰色の髪をしたイギリス人、ステファン卿は、こうしてOの主人となる。ステファン卿は、ルネのようにOを鞭打つ事も出来ない軟弱な主人ではない。Oはルネではなく、ステファン卿を愛するようになる。
 ステファン卿もまたOを愛す。愛するが故に、ステファン卿はアンヌ・マリーの協力を得て、Oに彼個人の奴隷であることを示す刻印を施す。それは下腹部から絶えず重たくぶら下がる鉄環と、尻に施された二度と消す事の出来ない刻印。裸にふくろうの仮面をつけ、エジプトの彫像のような姿となったOは、鉄環に付けられた鎖でもって、パーティーへと引かれていく。ここにOの奴隷としての姿は完成を見る。
 ちょっと意外だったのが、Oがとても進歩的な女性だったこと。彼女はモードの世界でカメラを操り、学生時代から男性だけでなく、女性とも奔放な関係を持っていた女性であった。そんな彼女だからこそ、この一連の殆ど屈辱的とも思える出来事も、彼女にとっては単なる屈辱ではなく、かえって、ルネやステファン卿と共に、客観的に「O」という一つの芸術品、美術品を作っているようでもある。であるからして、人によっては恐怖や軽蔑の念しか引き出せない彼女の姿も、彼女にとっては非常に誇らしく、晴れがましいものである。異様な場所に付けられた鉄環も、焼印を押された尻も、蚯蚓腫れが走る腹も、彼女にとってはこの上なく美しいもの。
 痛い話、こういった話を汚らわしいと思う人にオススメはしないけれど、これもまた一つの愛の形なのかもしれない。見知らぬ世界に酔う一冊。

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紙の本空中庭園

2006/03/06 20:17

砂上の楼閣

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 京橋家のモットーは秘密を作らないこと。全ては「ダンチ」のリビングの、蛍光灯のもとに晒される定め。姉のマナの初潮だって勿論そう(初潮晩餐会が催される!)、弟、コウの性の目覚めもそう。
 わざわざ「秘密を作らないこと」をモットーに掲げるだけに、実は京橋家には沢山の秘密が存在する。一番の秘密は、このモットーを作った母、絵里子がひた隠しにしていること。絵里子は、夫、タカシには避妊の失敗により結婚したと思わせ、またマナたち子供には、ヤンキーだったから早くに結婚したのだ、と説明していたが、実はそれは両方とも真っ赤な嘘。自らの家庭に絶望していた絵里子は、早く自分の家庭を作り、育った家庭を捨てるために、虎視眈々とその機会を狙っていたのだ。彼女のバイト先に現れた、平凡な大学生タカシは、絶好のカモだったというわけ。これはそんな京橋家を巡る人々が語る物語。
 「ラブリー・ホーム」は娘のマナが、「チョロQ」は父タカシが、「空中庭園」は母絵里子が、「キルト」は絵里子の母が、「鍵つきドア」はタカシの浮気相手ミーナが、「光の、闇の」は息子コウがそれぞれ語っている。
 母、絵里子には「こうあるべき」という家庭の理想の姿があった。子供たちを真っ暗な家に帰らせたくはないし、ベランダに設けた庭園には、いつも花が咲いているべき。ところが、毎年花を咲かせるはずの植物すら、この「空中庭園」には根付かない。必死に明るい花を咲かせる絵里子であるが、その背中は他の家族から見ると、鬼気迫るもの。
 絵里子は自分の生涯のある部分までを、なかったことにしたいと思って生きている。母にされた事の逆をすれば、良い子育てが出来ると信じている。絵里子の歴史の曖昧さを意識するからか、娘のマナも「自分が仕込まれた場所」を聞くし(それはなんと近所のラブホテル「野猿」!)、夫タカシもいつまでもフラフラしたまま実家の仕送りを受け続け、息子コウは同じ間取りでも全く違う顔を見せる家庭や建築に異常なまでの興味を示す。ここに出てくる大人は、タカシの浮気相手ミーナを含め、人生のある時点での過ちを、なかったことにしたいと思って生きている。しかしそれは正しいことなのか?
 キルトで語られる絵里子の母の話を読めば、絵里子が信じ込んでいたほど、彼女の育った家庭が酷くはないことが分かる。絵里子の母は不器用だっただけ。懸命に生きていたが、それが娘の絵里子には全く伝わっていなかった。後半で、絵里子の母が倒れ、母の言葉から、また絵里子の兄の言葉から、これまで絵里子が信じていた母の像が毀れる。絵里子は、京橋家はここから、空中の、砂上の楼閣ではなく、しっかりと地に根付いた家庭を作ることが出来るのだろうか。ここで、読者もまた空中に放り出される。絵里子の母の苦労、気持ちが、絵里子に伝わるといいな、と思う。「家族」について、考えさせられる本だった。

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紙の本禁じられた楽園

2005/10/24 11:52

怖い怖い怖い怖い

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

季節は凶暴な夏。
噎せ返るような緑の中、和歌山の山中深くに作られた、『神の庭』に招かれた捷と律子。『神の庭』は、世界的アーティストである烏山彩城が作った、場所や空間全体を作品として体験させる芸術(インスタレーション)であり、一大テーマパークでもある。
しかし、そこは誰もが入ることが出来る場所ではない。彼らをそこに呼び寄せたのは、何の意志なのか? なぜ、ごく一部を除いて、平凡な人間である彼らが、烏山彩城の甥であり、やはり世界的アーティストである、烏山響一から『神の庭』への招待を受けたのか?
烏山響一と、捷と律子との関係は、知人ではあるが、親しい友人ではない。
ほぼ同時期に、『神の庭』プロジェクトに関わった、大手広告代理店勤務の淳が失踪する。彼の婚約者である夏海、大学時代の友人和繁も、淳を追う
うちに『神の庭』に足を踏み入れる。
彼らがそこで見たものとは?
全編に散りばめられた負のイメージや引力、圧倒的なインスタレーションのイメージが、とてもとても怖い小説。憎悪、悪意、暗く隠しておきたい部分。
ラストはそれまでの緊張感に比べると少しあっけない。そこは惜しい点ではあるのだけれど、怖い、不思議な感覚は途中までで十分味わうことが出来る。この本の中のインスタレーションは、絶対自分では体験したくない。自分の中からは、どんな暗い記憶が呼び覚まされるのか?
恩田氏は、どこからこんな怖いイメージを生み出すのか、とても怖く、不気味でもある小説。

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