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  3. k-kanaさんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年5月)

k-kanaさんのレビュー一覧

投稿者:k-kana

121 件中 1 件~ 15 件を表示

こんなにも静かな痛哭の絵があったのだ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

画家・香月泰男の一連の作品群「シベリア・シリーズ」を、マルセル・プルーストの大作「失われた時を求めて」に匹敵すると、立花隆はいう。普通の絵画のカテゴリーをはるかに突き抜けた芸術作品であると。自分のある時期の体験——シベリアでの抑留生活——にこだわり、それをあらゆる角度からながめ直し、記憶の細部にわけいって、自分の過去をしゃぶりつくし、それを形象化することに熱中し、一生それをやめず、ついに巨大な建築物を作りあげたと。

シベリア・シリーズは、香月泰男が自分にとってのシベリア体験の本質的意味を問いつづけた悪戦苦闘の記録のようなもの。はじめからこれで自分のシベリア体験を描ききろうという明確な意図をもって制作されたものではない。もうやめよう、もうやめようと思いながら、一枚描くたびに、「ああ、あれも描いておかなければ」と、別のモチーフが思い浮かんできて、いわば、なしくずし的にシリーズ化していったものである。

シベリアでの苛酷な抑留生活は、終戦直後から1947年の帰国まで2年にわたる。最初のセーヤ収容所では、ほんの3カ月の間に集中して死者が出た。ろくに食糧も支給されず、ほとんどが栄養失調だ。当時、ソ連の収容所全体で、囚人がだいたい1千万人いたと言われる。700万人がソ連人、次に多いのがドイツ軍の捕虜で240万人。日本人捕虜は60万人。そのうちの10パーセント強の7万人前後が亡くなったという。

シベリア・シリーズには独特の強い印象を与える「顔」が描き込まれている。例えば、「北へ西へ」(1959年)。格子のはまった列車の窓のなかにいくつもの顔が見える。どこへともわからぬ収容所へと送り込まれる兵士たちの絶望の表情が。香月泰男は、「この作品で、私ははじめて、”私の顔”を描いた」という。この顔に行き着くまでにはいろいろな試行錯誤があった。はじめての欧州旅行で見た中世のキリスト像に非常に影響を受けたようだ。

本書は立花隆の言うとおり、画集ではない。シベリア・シリーズはどのようにして生まれたのかを語っている。しかし「世の中にこんなにも静かな痛哭の絵があったのだ」と教えてくれる。たしかに「鎮魂歌」だ。丁寧なレイアウト編集でもある。本文中で話題の絵は、重複を問わず、図版の大小を問わず、何度でも見せるようにしている。

いま「香月泰男没後30年記念展」が全国を巡回中。シベリア・シリーズは山口県立美術館が全点を所蔵している。

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立花隆秘書日記

2003/03/29 12:27

メカニズム志向の分析に納得

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Webで一番人気があるのが日記。ボスに仕える女性秘書。しかも、そのボスがあの立花隆とあってはいやでも興味津々だ。著者・佐々木千賀子さんが、立花隆の秘書の職にあったのは1993年5月から1998年末の5年半。500人の応募者から選り抜かれた経緯は本書にも詳しい。そして、何といっても田中角栄 死去の日を活写した文章が印象深い。また「メカニズム志向」だという分析にも納得する。

田中角栄の死は、1993年12月16日。この日、立花隆は昨夜からのぎっくり腰で動けない状態。午後1時半頃、ある出版社から第一報が入る。その直後から事務所の電話は鳴りっぱなし、受話器を置いたとたんにベルが鳴るというありさま。新聞の取材や各テレビ局からの出演以来が堰を切ったように雪崩込んできた。

事務所の3階で、急遽マスコミを集めて合同記者会見を行うことになった。会見に臨む立花は、全身の神経が一点に向かって緊張し、目にはぎらっとした輝きが宿っていた。会見は2時間以上続く。ようやく終ったのは午後十時近くになってから。嵐のような記者会見だった。立花は疲れた様子もなく、呆然としているスタッフに冗談を言った。
「もう、大丈夫。角栄はそう何度も死なないから」

立花隆はメカニズム志向だったという。不思議な現象のメカニズムを解きたい、知りたいという個人的な興味に動かされていたと。田中角栄研究にしても、脳死問題がそうであったように。「メカニズムの解明」、それが仕事に取り組む大きなモティベーションだったのだ。精力的に資料を集めて、わかりにくい事柄を解き明かしていくそのプロセスはスリリングで面白いのだけれど、その結果に力点が置かれない。ある程度自分なりにメカニズムがわかると、憑き物が落ちたように急激に興味を失う。子どもが古い玩具に興味をなくすかのようだと。

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「かんばん」は「情報」なのだ

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ついに、あの世界最大の英語辞典と言われるOED(オックスフォード英語辞典)に、「kanban」(かんばん)と「kaizen」(改善)が載ったそうだ(1997年、追補版第3巻)。Japanese manufacturing system ……との説明。広辞苑を引いても「かんばん」は「看板」としか出てこないのだが。今や、「かんばん」で代表されるトヨタ方式が、我々の固定観念を飛び超えて、日本生まれの世界標準の生産技術とまで認知される状態になったのだろうか。

この本が、巷に溢れている凡百の「トヨタ本」と大きく違うのは、著者の熱意である。かんばん=トヨタ生産方式に共感する著者は、この方式が日産にも名前を変えて浸透していることを確認する。そして、日本のみならず、グローバル・スタンダードへと展開していることを。いま話題のデル・コンピュータの「ダイレクト・モデル戦略」の基盤でもある。単に自動車製造方式に限定されず、社会のインフラ・システムにトヨタ生産方式が組み込めるだろうという。あたかも伝道者を思わせる熱い心で説く。

「かんばん」の生みの親である大野耐一と著者は親交があった。ロング・セラー『トヨタ生産方式』(大野耐一著、ダイヤモンド社、1987/5)のゴースト・ライターだったとのことだ。だからこそ、この本から溢れる熱気を理解できる。大野耐一に対する敬意が伝わってくる。自らの力で生み出した方式を、現場から猛反対を受けながらも試行錯誤を繰り返し、ついに確立したこと。

「情報」をキーワードにして、「トヨタ生産方式」を復習して見よう——旧著『トヨタ生産方式』には「情報」という言葉を見つけることはできないのだが。大野耐一は、「ものをつくるに当たっては、“注文という情報”なしにつくってはならない」と。「トヨタ生産方式」の基本理念は、「徹底したムダの排除」。それを達成する要になる二大思想が、「ジャスト・イン・タイム」および「自働化」である。「かんばん」は「情報」なのだ。

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紙の本主語を抹殺した男 評伝三上章

2007/01/08 07:04

象は鼻が長い

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三上章といえば主語否定論。三上の主張を援用すれば「私はあなたを愛しています」は悪文である。日本語は述語だけで文が成り立つ。だれのことかわかっていればいう必要がないのである、省略ではない。だから「愛しています」あるいは「好きです」だけで立派な文なのだ。文脈であきらかにわかるのに、不要な補語がついている——悪文だ。
『象は鼻が長い』(くろしお出版)は1960年に出版された三上の代表著作。今も続くロングセラーだという。そこで展開するのは、主題をしめす「は」のこと。”象は鼻が長い”では、「は」が表すのは主語でなくて、「主題」(トピック)だと主張する。
主題とは、述語との間に文法関係も持たずに、たんに聞き手の注意を引くために文から切り取って「いいですか、これについて話しますよ」としめすためのものだ。「は」は、「文からある語を取り出してきて旗のように聞き手にしめすスーパー助詞」であると。「日本語の文にも主語はあるが、発話においてそれを省略する」という発想自体が英文法であると説く。
三上章は山口県に生まれた。山口高等学校から三高へ。数学は頭抜けてできたそうだ。音楽にも興味を示しピアノを習う。東京大学工学部建築科に入るが、これは叔父の指図による。後年、三上は建築家にならず、女子高校で数学と音楽を教えることになった。晩年には、大谷女子大学の国語学の教授として招かれる。亡くなるまで一介の教師でありつづける。「ボクは日曜文法家」だと。
九州帝国大学の佐久間鼎教授が書いた『日本語の特質』に衝撃を受け、三上は日本語文法に一生を賭けようと決める。38歳であった。佐久間の本職は言語学でもなく国語学でもなく、心理学者であった。本職は高校の数学教師であった三上と共通していないか。
三上章の文法研究を支えた最大のデータは新聞の切り抜きであるという。細かく切った記事を手帳にどんどん貼りつけていくそうだ。言葉がじっさいに使われた現場に材料を求め、そこから驚くべき法則性を結晶化させていったのが三上文法なのである。三上文法の説得力はその主張がすべて具体例で支えられたものだからだ。
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紙の本危うし!小学校英語

2006/07/05 04:53

畳の上の水練が役に立つ

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通勤時にラジオを聞いている。「聴くスポーツ新聞」と称する早朝番組には英語のコーナーがある。本当に使える英会話のフレーズを紹介する、とのうたい文句である。
先生がお手本を先生が示して、生徒が復唱するスタイルだ。簡単な一言——step by step とか——、それを若旦那と称する口跡のはっきりしない、おじさんが真似する。
これで、英語が身につくなんてとても思えない。単発的なフレーズが役立つ局面がそんなにあるか?
中央教育審議会が、小学校での英語教育の必修化を提言したそうだ。数年後には、小学校で授業が始まるとのこと。なにかこのラジオ番組と同じような危うさを感じる。
著者は、この小学校英語の最大の推進力は、産業界と親だと喝破する。ビジネスの世界からの圧力と親の英語コンプレックスだ。
それにこの見解は初耳だ。
……近年、文法・訳読中心からの脱却が叫ばれ、1989年の学習指導要領改訂で、「オーラル・コミュニケーション」科目が取り入れられ、中学・高校では「実践的コミュニケーション能力」重視の教育が行われてきた。これが皮肉にも、リスニングでさしたる成果を挙げないばかりか、文法と読解能力の低下をもたらした。まさに「虻蜂取らず」とはこのことだという。
英語は中学からで充分とするのが著者の考え。まずは文法と音声をしっかり教えること。「畳の上の水練」だって効果的だと。

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ノモンハン前夜が明らかになる

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司馬遼太郎が晩年ノモンハン戦争をテーマに小説の構想を練っていたことはよく知られている。しかし結局このテーマは結実することはなかった。本書から浮かび上がってくる、闇に閉ざされていた陰惨な歴史は司馬遼太郎の世界にはまったくそぐわない。

ノモンハン戦争の敗北について、日本ではひた隠しにされてきた。ソ連、モンゴル側にも、大きな問題が隠されていたはずだ。今までノモンハンについて書かれた一般読者向けの本では、ひとりの著者もオリジナルな文献を読みこなしていなかった。だから、あの時の部隊の動かし方はどうか、この指揮官のやり方はまずかったというような、日本軍内部のうちわ話しの域にとどまっていたという。

著者の意図は、あの戦争はいったい何だったのか、背後には何があったのか、どのような状況によって戦争に至ったかを、ロシアやモンゴルで発表された最近の研究成果にもとづいて、客観的に示そうというものだ。著者は言語学者であるが、説得力がありかなりの自負を感じる。

1939(昭和14)年、満洲国とモンゴル人民共和国とが接する国境付近で、国境地帯の領土の帰属をめぐって、4カ月にわたって死闘が繰り返された。敵対したのは、日本・満洲連合軍とソビエト連邦・モンゴル人民共和国連合軍であった。ソ連の圧倒的な数量の戦車・航空機に対し、日本軍は貧弱な装備で立ち向かった。150台の戦車に対し、日本軍はサイダーびんにガソリンを詰めた火炎ビンを戦車の下に投げ込んで炎上させるという、捨て身の戦術でしか抵抗できなかった。何千という死体、死馬の山、無数の砲を戦場の置き去りにして敗退したという。

そのときの関東軍のかまえは、一部の参謀たちによる単に思いつきの好戦的な冒険主義に近い、定見のないずさんなものだった。一方、ソ連とモンゴル人民共和国は、日本軍のたくらみははるかに深いものだと外部に言いつのっていた。モンゴルをまず占領し、それを足がかりに、日本はシベリア、中央アジアにまで進もうという大規模な侵略計画の第一歩であると。

近年、ノモンハン前夜の1937、8年ごろの陰惨な粛清の状況が明るみに出てきた。現代史家のS.バートルはこう言っている「20世紀のモンゴル国の歴史上、最大のハルハ河の戦闘(ノモンハン戦争)でさえも、モンゴル人民革命軍は237人が殺され、32人が行方不明となっただけだった。ところが、この戦争に先立つ1年半の間に、国家反逆罪で有罪とされた者はその117倍に、処刑された者は88倍の多数にのぼった。特別査問委員会の50回にのぼる会議だけとって見ても、19,895人を処刑したということは、毎日398人を処刑したことになる」と。

ソ連はモンゴルを意のままにするために、抵抗するモンゴルの首脳たちに、あるときは激しい拷問を加え、自分が日本にやとわれてスパイになったと自白させた。そして、あらかじめ準備されていた名簿に同意を強いた。そこには、その組織に加わったとされる人物が並び、その自白書に署名するだけでよかった。

人民共和国の首相その人が日本のスパイと手を組んで、自らの国をくつがえすという最大級の国家反逆者の汚名をかぶった例さえあった。モンゴルの独立を切実に願うため、コミンテルンの意のままにならない、最高指導者をソ連に連行して療養させ、亡き者とする方式も存在した。「反ソの陰謀に荷担し、日本のスパイとなった」とする国家反逆罪のかどで銃殺されたという。

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紙の本甘粕正彦乱心の曠野

2008/10/27 09:15

甘粕正彦って誰なんだ

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戦後生まれにとって「アマカス」と聞いても何のイメージも喚起されない。映画「ラストエンペラー」で、坂本龍一が演じた甘粕正彦の印象が独特ではなかったか。いかにも暗黒世界の住人。社会主義者を虐殺した冷酷非情な元憲兵という設定であった。

この本を手にした理由は、もっぱら著者・佐野眞一への信頼からである。綿密な取材をバックにした重量感のある数々のノンフィクションのファンであった。著者はこの評伝を教養小説として構想したという。大正、昭和という時代に翻弄されたひとりの人間の魂の成長の物語として執筆したと。充実した読後感に期待を裏切られることはなかった。

世に「甘粕事件」と言われるのは、関東大震災直後の瓦礫のなかの大正12年9月16日、憲兵大尉の甘粕正彦が社会主義者・大杉栄を殺害したとされる事件のこと。これが、甘粕の人生の暗転劇のはじまりだった。残忍なイメージを付着された甘粕は、これ以降「主義者殺し」の汚名を生涯にわたってひきずる悲劇の人生を歩むことになった。

この事件の主犯として甘粕は軍法会議で懲役10年の実刑判決を受ける。しかし、甘粕が軍のスケープゴートになったという見方は、いまやほぼ定説となっている。彼は上官を守り、部下を庇って、自ら捕縛される道を選んだのではないか。

甘粕が再び歴史のなかに姿を現すのは、突然勃発した満州事変の直後だった。昭和6年9月18日の柳条湖に始まった満州事変は、軍人たちが仕掛けた大掛かりな謀略劇だった。甘粕は溥儀を連行し満州建国に導く。関東軍にはさしさわりがありすぎて出来ない特殊任務を、甘粕は率先して遂行する。満州事変を拡大させ、その後15年にわたる泥沼の日中戦争に引きずり込む一つの端緒をつくった影の主役であった。

「満州の昼は関東軍が支配し、満州の夜は甘粕が支配する」とまで言われた。満州に現れる以前の甘粕と、満州の甘粕はまったくの別人だった。甘粕にとって謀略の大地の満州は、初めて生を燃焼できる乱心の曠野だったのだろうか。

理事長に就いた満映は、甘粕にとって、自分の理想を実現する小さな王国だったのだろう。抜群の事務処理能力を発揮する。機構改革を行い、合理主義とスピードで事を運こび、赤字だった経営を黒字に転化する。彼には不思議な魅力があったという――どんな人物でも惹きつけてしまう。人との信義は絶対に裏切らないパーソナリティーでもあった。

昭和20年8月9日、ソ連軍が国境線を越えて満州への侵入を開始。甘粕は翌々日の8月20日、青酸カリをあおり54歳の生涯を自ら絶つ。甘粕は自分の運命を決めた大杉事件の秘密を曠野に埋め墓場まで持っていってしまったのだろうか。

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紙の本ピアニストは指先で考える

2007/05/22 11:52

どうしたら楽譜を見ないで弾けるのか

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青柳いづみこには、『青柳瑞穂の生涯』などの異色の大冊もある。中村紘子といい、この青柳いづみこといい、女性ピアニストに筆が立つ人が多いのはなぜだろう。
エッセイの注文などを受けると、その場で言葉が浮かんできて、音楽を聴いている間も頭のなかをかけめぐるそうだ。パソコンに打ち込むスピードも、ピアニストだからものすごいらしい。1分間に300字ほどか。指先から流れ出る点では音も言葉も同じだという。
この本のターゲットは、三十代の女性ピアノレスナー(ピアノ教師をこう言うらしい)とのこと。帯に附けられた惹句——ピアニストの身体感覚に迫る!——にうなずく。
しかし、ピアノを自ら弾くなんてことにはとんと縁のない、もっぱらCDを聞くだけの人間には、こんな文章におもわず引き込まれてしまう。ドビュッシーの『版画』の第3曲「雨の庭」のことだ。
「指先だけのテクニックでは、ドビュッシーの音楽は水から上がったおたまじゃくしのように干からびてしまう。ドビュッシーが大切に思っていたのはひとつひとつの音ではなく、それらが集まってできる音響体なのだから、そこには、ペダルの使用が不可欠となってくる」。
また、こんなのあり!?とばかりの天才音楽家や演奏家のエピソードにビックリする。あのアルゲリッチは、プロコフィエフの『協奏曲第3番』を睡眠中に聴いただけで弾いたそうだ。いままで1回も演奏したことがなかったのに。
最終章の、演奏家は聴衆を拡大する努力をすべしとの提言は、日本の実情をふまえてなかなか骨っぽいのではないか。音楽界には人材が溢れているが、需要と供給のバランスがくずれている。優秀なピアニストは多いがかんじんの聴衆が少なく、演奏の機会が極端に少ないと。これは、日本のピアノ界が長い間、自分のたちの周囲にのみ聴衆を求め、マーケットの拡大に努力してこなかったツケがきているというのだ。
日本には独自の自主公演制度がある。依頼されなければステージに立てない欧米に比べて、日本では自主公演によってアーティスト主導でことが運べるという。自分のアイディア次第で聴衆を開拓することができるわけだ。プログラミングを考えて、何かストーリーをつくるようにするとか。アンケートにも工夫を。
その演奏家と「知り合いだから」コンサートに来るのではなく。その演奏家のステージに感動するから、惹かれるものがあるからホールに足を運ぶ「本当の聴衆」を一人一人の手で育てる努力が必要だという。
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紙の本日本語の歴史

2006/08/13 11:13

鎌倉武士が日本語を変えた

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日本語は論理的ではない、あいまいな言語である、という説がある。著者は真っ向から反論する。日本語は決して非論理的ではない、ただ論理的に話しを進める訓練がなされていないだけだと。日本語自身は、論理的な構成力を持つように変わって来ているのに、日本人は、まだ話しの場で、その遺産を十分に生かしていないのだと。
日本語が大きく変革したひとつの転換点が鎌倉・室町時代であるという。このときから、主語がどれであるか、目的語がどれであるかをきちんと明示する言語に変化した。接続詞も使い、文と文とをしっかりと論理的につないで文章を書いている。論述に耐える言語として成長したのだ。
「係り結び」を取り上げて、著者はそれを例証する。「係り結び」というのは、係り助詞——「ぞ」「なむ」「や」——があったら、終止形ではなく、連体形で結ぶこと。「こそ」が来たら、已然形で結ぶ形。卒業式で歌われる《あおげば尊》の「……今こそ別れめ、いざさらば」、が已然形の形だ。
この「係り結び」による強調表現は平安時代には愛用されたが、武士の時代にはやわらかさ故に避けられ、使われなくなった。また、係り助詞は、主語とか目的語という、文の構造上の役割を明確にしない文中で活躍できるものだ。しかし鎌倉時代には、主語を示す格助詞「が」が発達し、文の構造を格助詞で明示していく傾向が生まれた。係り助詞と格助詞は構造的に馴染まないものだ。
「係り結び」が消滅し、しっかりと格助詞で論理関係を明示するように変わったこと。さらに、「しかれども」「されば」などの接続詞によって、文と文の関係を明示するようになったこと。情緒的な文から、論理的な文へ変化した。日本語が論理的構造を備えるようになったのだ。
——私見を加えれば、「戦さ」という武士の活躍する世界で、文章が明確な意思伝達の道具として大きな役割を担うようになったということだろう。
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立花隆の昭和史観

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『坂の上の雲』のあとがきで、司馬遼太郎はこう言っている。「頭の中の夜の闇が深く遠く、その中を蒸気機関車が黒い無数の貨車の列をひきずりつつ轟々と通りすぎて行ったような感じだった」と。この立花隆の上下2巻の大冊を読み終わった感想もこれに近い。
現代日本は、大日本帝国の死の上に築かれた国家である。大日本帝国と現代日本の間は、まだ無数の糸でつながっている。大日本帝国はとっくの昔に朽ちはて分解して土に返ってしまったようで、実はその相当部分が現代日本の肉体の中に養分として再吸収され、再び構成部分となってしまっていると、立花は言う。
いまこそ、近現代史を学び直すべきときなのだ。現代日本の成り立ちを知っておけよというメッセージをこめて、この本を書いたと。たしかに、われわれは、きちんとした近現代史の教育を受けていない。
東大の歴史を語るという形式をとりながら、近代国家日本の国家論的歴史をたどっているる。一方の主人公は東大だが、もう一方の主人公は天皇である。制度としての天皇、国体としての天皇という意味である。
五・一五事件(1932)で日本の政党内閣の時代は終わる。以後、軍人内閣ないし軍部と妥協した内閣がつづく。そして天皇機関説の翌年が二・二六事件(1936)であり、そのまた翌年が盧溝橋で日中戦争(1937〜)がはじまる。満州事変以降、日本は切れ目なしのテロと戦争の時代に入り、太平洋戦争(1941〜)の時代へと突入していく。
とめどなく空虚な空さわぎがつづき、社会が一大転換期にさしかかっているというのに、ほとんどの人が時代がどのように展開しつつあるのか見ようとしない。たとえようもなくひどい知力の衰弱が社会をおおっているため、ほとんどの人が、ちょっと考えればすぐわかりそうなはずのものがわからず、ちょっと目をこらせばみえるはずのものが見えなかったのだという。
そして、立花はこう締めくくる。あの時代は、後世の我々が考えている以上に右翼的、国粋主義的であったと。世の中一般の人々のものの考え方、感じ方が、今の我々には想像を絶するほど、右翼的であり天皇崇拝者だったということだ。みんな本当に信じきっていたらしいのである。
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大航海からローマを歩く4人が見える

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大航海時代の真っただ中、1582(天正10)年、イエズス会の巡察師に率いられた4人の少年使節が、ちっぽけな帆船に乗りこんで、ローマをめざして日本を発った。大洋をきりわけイベリア半島をわたり2年を要してついにローマに至る。袴をはいて刀を差し晴れがましい様子で少年たちは教皇に拝謁する。

この壮大な計画をたてて実行したのは、イエズス会巡察師のイタリア人ヴァリニャーノである。ヴァリニャーノは日本と中国を西欧とは異なっているものの同じように高い文明をもった国として尊敬していた。東西の文明の相互理解をめざしたのがこの使節派遣の大きな目的だった。

出発から8年後に彼らは日本に帰り、西欧の知識・文物と印刷技術を日本にもたらす。しかし、当時絶頂を誇りキリスト教を保護した信長も今は亡く、時代は急変する。迫害のなか、4人は運命に翻弄される。病死する者、殉教に倒れる者、棄教した者もいる。物語は、少年使節のひとり(すでに60歳になっていた)の苛烈な死と、マタイ伝からの引用句で終わる。感動的だ。

著者の若桑みどりさんはイタリア美術史が専門でもある。惜しくも2007年に亡くなっている。単行本は2003年に刊行されており、今思えば壮大な遺書だったのか。若桑さんは、ローマの輝く空の下にいた4人の少年のことを書くことは、まるで私の人生を書くような思いであったという。彼らは、描かれたばかりのミケランジェロの祭壇画を仰ぎ見、青年カラヴァッジョが歩いた町を歩いたのだ。

大航海時代以降の世界では、一国の歴史がもはや一国史ではとらえることができなくなった。世界経済と世界布教というふたつの大きな波が16世紀の戦国時代の日本にも怒濤のように押し寄せてきた。イエズス会のザビエルが鹿児島に上陸した1549年から、江戸幕府が第1次鎖国令を出す1633年までの八十余年、日本はまさに「キリスト教の世紀」を迎えていた。そのときほど日本が世界的であったことは明治以前にはなかった。そのシンボルとして少年使節の派遣があった。

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日本中を歩きつくした男・宮本常一の評伝

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本書のカバー写真は小舟に乗る宮本常一である。小さなカメラを手にしているように見える。確か、愛用のカメラはオリンパスペンだったと聞いた覚えがある。何気なく日常の風景を切り取って撮影するには、もってこいのはずだ。昭和37年撮影とあるから、オリンパスペンの発売された昭和34年と年代的にはつじつまが合う。

とにかく写真を撮りまくった。なんであんな変哲もない風景を一生懸命撮るのかと当時は言われたようだ。宮本がよく撮ったのは洗濯物だった。一見みのがしがちな洗濯物には、その地方の生活の程度と人々の好みがよく現れていた。宮本は言う、「昭和35年ごろまではまだ木綿が多く、それも手縫いしたものが主であったが、37年ごろから既製品が多くなり、急速に地方的な特色はきえてきた」と。

本書は民俗学者・宮本常一の評伝である。宮本は、強大な足跡を、日本列島のすみずみまで印した。民俗調査の旅は、1日あたり40キロ、のべ日数にして四千日に及んだという。著者・佐野眞一は、宮本の足跡を追い旅を重ね、膨大な資料を徹底的に渉猟している。ゲートルばきの宮本の姿が浮かび上がってくる。それに、宮本を取りまく人間像の描写が細密で人間味あるものだ――転機となった大宅壮一との出会いとか、恩師となる渋沢敬三とのつながりを忘れることはできない。

宮本は全国各地を歩くとき「山口県大島の百姓だ」の一本槍で押し通したという。古老の話を一言ももらさず記憶にとどめ、宿に帰って、頭に刻みこんだその記憶を一心不乱にかきとめた。宮本の取材方法はいつもこうだった。話し手の前にノートをひろげては相手は絶対本当のことを語ってはくれず、ましてテープに録音するなど論外というのが、聞きとり調査の基本的姿勢だった。宮本の記憶力は超人的だったという。

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紙の本その数学が戦略を決める

2008/01/27 19:46

大量データ解析は万能なのか?

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大量データを解析しその結果を経営戦略に結びつけること。この実用例は、すでに日本のあちこちのコンビニで見られる。POSを活用して商品のデータ管理を徹底する。そして売れ筋・死に筋の商品をきちんと分析し棚の回転率を上げ在庫を減らす。品揃えの戦略こそコンビニの生命線だといえる。本書の中心テーマは、大量データ解析――「絶対計算」と呼んでいる――が、今やあらゆる分野で意志決定に活用されているということ。企業は絶対計算(データマイニングとも)を駆使して収益に結びつく要因を掘り出し、競合他社をうち負かそうと苦闘している。

絶対計算の企業活動への適用例が豊富にとり上げられている。例えば、レンタカー会社は、クレジットカードの返済実績の低い人にはサービスを拒否するそうだ。データマイニングの結果から返済実績の低い人は事故も起こしやすいからだという。このような大量データ解析が行き着くところ、個人情報が思わぬ形で悪用されたり、人種差別につながるリスクだってあり得る。データ分析に全面的に依拠することの危うさを、著者は指摘することを忘れてはいない。

絶対計算を支えている統計技法は回帰分析と無作為抽出テストの2つ。回帰分析は、実績データを使い、一つの変数に他の因子がどのように影響するかを計算する統計手法。回帰分析は大量の実績データを前提とするが、無作為抽出テストはリアルタイムで必要データをつくり出す方式である。テストを行う前に仮説を立て、その結果を大量データによって検証するのだ。無作為抽出技法の普及は、インターネットによって大きな母集団を確保するのが容易になったからだと言える。

一方で、人間(それぞれの分野の専門家)は、コンピュータによる絶対計算(回帰分析や無作為抽出テスト)から導かれた方程式よりも優れた結果を出せるのだろうか?という疑問がある。人間とコンピュータを対話させるのが最高の方式かもしれない。ただ、人間はシステムに優越感をもち自信過剰なので、コンピュータの予測を無視して誤った思いこみにしがみついてしまうことがある。著者の見解は――両者の意見が分かれたら、最終判断はコンピュータの統計予測に任せるのが良いと、冷静である。

人間に残された最も重要な役割は、統計分析にどの変数を入れるかを、知恵をしぼり直感を使って推測すること――仮説立案である。どんな因子が何を引き起こすかについての仮説を組み立てること。コンピュータは回帰式を使って、そこに因果関係があるかを試しその影響の大きさを教えてくれる。

それにしても、”絶対計算”という訳語が気になる。回帰分析や無作為テストをひっくるめての概念としては違和感がある。原著ではどう表現されているいるのだろう。

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脳の進化を支えたのは肉食だった

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人類は700万年前ごろ、直立歩行する霊長類としてアフリカで誕生した。われわれホモ・サピエンスは、20万年前ごろアフリカで出現し、2万5千年前ごろにはネアンデルタール人らを圧倒して現在の繁栄にいたる、というのが人類進化の通説である。本書はこのような人類の歴史をたどり、従来の通説に加えて最新の研究成果をバランスよく紹介する。著者は朝日新聞の科学部記者であり、この辺は要領がよい。
なぜヒトの起源はアフリカにあるのか。アフリカ独特の大地溝帯に理由があるという。イブ・コッパンの人類進化説はこうである。アフリカの森林には何種類もの類人猿が住んでいた。800万年前ごろから、谷の陥没とその周りに隆起が起こり、地溝帯が形づくられる。西は熱帯雨林、東は乾いた草原が広がるサバンナになった。地溝帯によって、すみかを東西に分断された類人類の集団は、それぞれに独自の進化を進めるようになる。西は森で暮らすチンパンジー、ゴリラ。東ではサバンナという新しい環境に適応する種に——それがヒトだったというわけだ。
ヒトの最大の特徴は大きな脳である。霊長類のお産はわずか数分だが、ヒトでは短くても数時間。これは脳が大きくなったからだ。ヒトの赤ちゃんはうまれたばかりでは何もできないのに、1年近く育ち続ける。そして、この赤ちゃんの未熟さを支えることが、雌雄の関係、あるいは集団のあり方などに大きな影響を与え、ヒトの生活史を変えていく原動力になったという。
ここで興味深い社会脳仮説が紹介される。知能進化には社会的知能が重要だということ。つまり、多くのライバルがいる集団では、ライバルたちとあるときはうまく協力したり、あるときは出し抜いたりしないと生き残れない(あるいは子孫を残せない)。このような社会的競合が、知性が発達するきっかけであったと。社会生活とそれがもたらす複雑な問題を解決するために、脳のモジュールのうち社会的知能がより高度になってくるというわけだ。あの権謀術数に巧みだったイタリア人の名前をとって、「マキャベリ的知性」ともいうそうだ。
思いもかけず、ヒトが進化の過程で肉食を選んだ重要性を指摘する。脳はたくさんのエネルギーを消費する器官である。豊富な脂肪とタンパク質で短時間に栄養が取れることが重要。大きくなりつつ進化する脳を支えたのは肉食だったと。ヒトが生きていくのを植物食で支えられるようになるには農業の発達を待たねばならなかった。
脳が発達して知能が高まれば、多くのヒトが協力して複雑な戦略を編み出し、狩猟を進めることもできた。この進化のサイクルに入るためには、栄養の問題が重要だった。ホモ属進化の初期に肉の味を覚えていなかったら、ネアンデルタール人もわれわれも今、存在していたかった可能性は大きいという。
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ステレオ時代の新しい聴衆の発掘

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巻を措く能わず、とはこのことか。500ページを越す大冊を一気に読み進んでしまった。CDに先立つレコードの黄金期を知るものにとって、たまらない本である。当時、デッカ(ロンドン)レーベルのクラシックレコード——なかんずくオペラ録音——は絶対的な信頼を勝ち得ていた。
ステレオ最初期1959年、デッカから発売されたワーグナーの《ニーベルングの指環》の第1夜《ラインの黄金》はショッキングな録音もあって、世界的なベストセラーとなった。終幕で打ち下ろされるハンマーの巨大な響き!その頃のカートリッジのほとんどが、この箇所で針が飛んでしまいトレース不能と言われたものだ。
本書は、このデッカのレコード・プロデューサーであった、ジョン・カルショーの回想録である。カルショーは、ステレオ黎明期にあって、まったくの新しい聴衆を掘り起こしたと言えるだろう。全曲盤なんかまったく考えられてもいなかった時代に、ワーグナーの楽劇を、それも鮮烈な録音とともに世に送り出した。
カルショーはステレオの将来性は確信していた。初めてステレオの音を聴いたときから、定位の明確さと空間の拡がりを、とりわけオペラにおいては無限の可能性があると思えたという。しかし、自らがプロデュースした《ラインの黄金》が予想を遙かに超える——幾分かの自負はあったにしても——衝撃的な売上げを世界中で記録するとは思ってもいなかったはずだ。ワーグナーをスピーカーで聞きたいという聴衆が多数存在したのだ。
カルショーのオペラ録音の成功の鍵の一つは綿密な計画力だろう。オペラ録音の現場に、オペラの設計図とも言うべきスケジュールを初めて持ち込んだ。それまでのオペラ録音は、ただの偶然に委ねられていたのだ。スケジュールは、何が、いつ行われるのかを一覧にしてプロジェクトを確実に進行させるものだ。それには、音楽家の急病や事故に対処できる余裕がなければならない。また、ソプラノ歌手が2つの難しいアリアを立て続けに歌うのを避けるとか。歌手の負担を最小限に抑えるように曲の配列を考慮しなければいけない。
もうひとつは集中力だろう。《トリスタンとイゾルデ》では緊張して録音に取り組んだあまり心も体もへとへとに疲れてしまった。どうにか医者の特別な注射によって録音セッションを完了するが、その後ベッドに直行し、それから2週間以上も寝たきりになったという。
プロジェクトを完遂させる強烈な意志も忘れることはできない。ショルティとのコンビによって壮大な《ニーベルングの指環》4作品を1958年から65年まで足かけ8年を要して完成するが、かならずしも順風満帆だったわけではない。カルショーの粘り強い取り組みがあってのことである。《ラインの黄金》の成功にもかかわらず、デッカの重役たちは一人として、全曲録音を続行しようとはしなかったという。「あれは線香花火みたいなもんだったんだよ」と。カラヤンが《ニーベルングの指環》全曲の録音を企画しているという脅しにも近い噂を流すことによって、重役連はようやくカルショーに次作の《ジークフリート》を準備する許可を与えたという。
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