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桐矢さんのレビュー一覧

投稿者:桐矢

67 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本かめくん

2001/03/03 10:40

じんわりしみじみひたっていたい

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 小松左京賞最終選考に残った作品。
 カメ型アンドロイドが主人公のファンタジー的な作品と聞いていたのだが、これは確かに他の入賞作とは一味もふた味も違う。
 本を読みたくなるいろんな動機があっていいと思う。たとえばおおげさなカタルシスを得るためではなく、ほんわりとじんわりと小題を一日一つずつ読みたいような感じ。
 「ほんものではないが、ほんもののかめに姿が似ているから、ヒトはかめくんたちのような存在をカメと呼んでいるだけなのだ。だから、カメではなく、レプリカメと呼ばれたりもする。……木星戦争に投入するために開発されたカメ型ヒューマノイド・レプリカメ」
 これが主人公のかめくんのキャラクター。
 かめくんは、近所の猫に笹身をあげたり、火星みやげの饅頭をもらったり、フォークリフトを運転したり、図書館に通ったり、川原の土手を散歩したりする。時にはとりとめもなく、世界の仕組みについて考えたりもする。そんなかめくんの毎日が淡々と描かれている。
 イラストがなんともいい味を出している。

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紙の本天使の囀り

2001/03/03 10:38

気持ち悪い系が怖い人に

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 むちゃくちゃ怖かった!
 同じ作者の『黒い家』は面白かったが、それほど怖さを感じなかった。この作品は怖い。怖いといっても、ホラーでもスプラッタでもなく、あえて言えば、「気持ち悪い系」。食事は先にすませておくことをお奨めします。
 アフリカ探検に行った落ち目の作家、高梨のメールから物語は始まる。読者の想像を超えた方向へ進んでいくので筋は明かせないが、怖さをあおっていく過程自体、非常によく出来ていると思う。
 題名も今となってはぞーっとする。
 細かいところまでリアルに出来ているのでうそっぽくないだけ、怖い。 一つだけ言わせてもらえれば、この作品、絶対、映像で見たくない! 怖すぎる!

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紙の本性的唯幻論序説

2001/03/03 10:35

唯幻論で性を読み解く

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 人間は本能がこわれた生き物である。ゆえにかろうじて「幻想」で補っている。という唯幻論にもとずいて著者は、国家、親子、近代などをするどく分析してきたが、今回は性本能にスポットを当てた。
 もちろん、人間の性本能は幻想であると言い切る。性差別、不能、売春、倒錯した性など全てが、性がその時々の文明によって作られた幻想であるとすることで説明できる。
 性のタブーは「自らの不能を隠すため」にあるのではないか、という。性本能が壊れている人間は本来、不能である。(紛らわしいが身体構造が…ではない。行為を遂行するための本能が壊れているという意味である)。そして自我は、能力がないためではなく外に原因があるので出来ないのだというふうに自分を欺く。よって、世の中は性のタブーで満ちている。
 だが、著者も何度も、括弧で(いまの若い男女はそうでもなくなっているようだが)と言っているように、今、性をとりまく幻想がはがれて? あるいは変って? いきつつある。飽食時代の若者が戦後の食糧難時代を想像も出来ないように、性のタブーがなくなった現代に生きるセックスレスカップルには、まさにそのことしか考えられなかったという四十年前の青年の渇望は分からないだろう。
 ならばこれからの男と女にはどんな未来が待っているのだろうか。最終章で著者は言う。「性交は趣味である」やるのでもやられるのでもなく、好きな人もいて、嫌いな人もいて、趣味のあったもの同士が好きな方法でお互いの責任においてやればよい。それなら単純明快。
 私的な感想としては、文化とは人間にとって非常に重要な構成要素なのだと強く思った。生物の形態的な進化は何万年のオーダーでしか実感することが出来ないが、文化は数年でがらっとかわりもする。ふくれあがった幻想にかなりの部分、依存している生き物としての人間は、短い期間でずいぶんと変化を遂げているのかもしれない。

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紙の本心はなぜ苦しむのか

2001/03/03 10:31

異色の面白さ

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 著者の講義(和光大学)で、ニセ学生を十数年やっているという編者が、インタビュー形式で、かなりつっこんだ話をした本。
 単独で書いた本では分からない、「相対的な岸田秀」が見えてくる。なんとなく前から感じてはいたのだがやはり、岸田秀の母親に対する毛嫌い方は半端じゃなさすぎる。まるで化け物扱い。その点を編者が同じように感じたらしく、つっこみを入れる。その時の、たじたじした感じ、受け答えの硬さ、などから、母親に関してのことは、まだほぐれていないテーマなのだとすごく思った。
 この本は岸田秀の本の中でも異色のおもしろさを放っている。インタビューする方もされるほうも神経症の経験者…という理由もあるかもしれない。

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紙の本子どもと悪

2001/03/03 10:26

悪とはなにか?

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 『平気でうそをつく人たち』という本がある。生まれつき邪悪な人間がいると仮定した衝撃的な本だったが、この本の基本的なスタンスは、それとは全くことなる。これが、西洋キリスト教的立場と、東洋アミニズム的立場の違いというものなのだろうか?
 偶然にも、この本には、最近再読したばかりの『デミアン』が、とりあげられている。子どもと悪を語るにはそもそも「悪」とは何かを明らかにせねばならず、そのために著者は、悪とは何か…という一項を設けている。
 「ものの考え方には、対立する二つの考え方があって、どちらが正しいか簡単に言えぬ時がある。(中略)実のところ、どちらかが「絶対に」正しいなどと言えないと私は思っているが、往々にして、ある社会や文化は、片方を善とする。そうなると、それと異なるものは、悪と考えられたり、いじめの対象になったりする」
 もちろん、著者は、悪…うそ、ぬすみ、暴力、いじめ、などをそのまま容認するわけではない。ただ、一方的に善と悪とを線引きして、片方を排除することなど出来るのかという問いを投げかけているのではないだろうか。私自身は、『平気でうそをつく人たち』の著者よりも、河合隼雄の主張の方がよりなじみやすい。
 ただ、現場では実際に悪に対して机上の理想論が何の役にも立たないことは、臨床の場で荒れる子供達と付き合ってきた著者は、よく分かっている。そこに、辛さがある。ここからは善でここからが悪!と言い切れたら、さぞ楽だろう。
 西洋で善そのものであった「神」はもう死んだ。日本で関係性の中で善と悪のバランスを保つ働きをしてきた「家族」はもう解体した。
 私たちは、今、どうすればいいのだろう。

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紙の本昔話と日本人の心

2001/03/03 10:20

日本昔話にはなぜハッピーエンドの恋愛が少ないのか

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 ユング派である河合さんが、日本の昔話、つまり日本人の深層を日本ならではの方法で構造化しようとした試み。誰にでも身近な昔話を例に、手際も鮮やかに種を明かしてみせてくれる。
 たとえば、日本民話には結婚のテーマが非常に少ないことから、日本人は、男女の結合を重要なテーマとしていないという考察が導かれる。それはなぜか? 日本人の意識が、男女、無意識と意識、自然と文化というふうに明確に分かたれていない為、補償作用を必要としないせいであろう、と河合さんは言う。
 昔話に見る日本人の自我は母権的意識が重要な位置を占めている。その自我は、何ものをも取り入れて全体性を目指そうとする。だが、悪を排除した完全性をも取り入れることになり、必然的に内部に矛盾を抱えることになる。だから明確に把握しようとすれば全体を失い、全体を把握しようとすれば明確さを失う。つまり、常に変化する状態としてしか理解し得ないのだ。
 日本昔話に、王子様(若殿様)とお姫様のハッピーエンドの話が少ないのは日本人の自我の構造ゆえだったのだ。

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紙の本預言者

2001/03/03 10:18

珠玉の言葉を味わいたい

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 予言者は、未来を予言する者で、預言者は、神の言葉を預かる者のことだ。預言者、アムスタルファが人生のさまざまな場面について語った珠玉のような言葉が散文詩の形式で綴られている。へたな解説をぶつのはやめて、一部を引用する。

結婚について
「愛し合っていなさい。しかし、愛が足かせにならないように。(中略)お互いの杯を満たし合いなさい。しかし、同じ一つの杯からは飲まないように。(中略)一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。しかし、お互いに相手を一人にさせなさい。ちょうど、リュートの弦がそれぞれでも、同じ楽の音を奏でるように」

子どもについて
「あなたの子は、あなたの子ではありません。(中略)あなたの家に子どもの体を住まわせるがよい。でもその魂は別です。子どもの魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢の中にでも、そこに立ち入れないのです」

施し(ほどこし)について
「施しを受ける人たちよ。…およそ、ひとはみな、受ける者。…重んじすぎてはならない。感謝する事を。自分にも施す人にもくびきを負わせないように」

自由について
「暴君を廃絶したいというのなら、まず見てください。あなたがた自身のなかに据えられてきた暴君の玉座が砕かれたか否かを」

善と悪について
「あなたは善。(中略)しかし、あなたが強く速いとき、足の弱いひとの前でわざと足を引き摺らぬように。それが親切なのだなどと思い込んで。(中略)憧れの激しい者が、そうでない者に向かって、なぜ君は遅いのか、なぜ立ち止まるのか、などと言わぬように」

 まだまだ引用したいが、これくらいにしておく。
 作者、カリール・ジブランは、レバノン生れの、詩人、哲学者、画家。最初アラビア語で書かれた『預言者』は、作者の手で英語に書き直され、世界中の三十カ国以上で出版されている。ちなみに、本の中身はクリーム色の上質紙で、表紙は黒い布張りに金文字の製本である。(850円の携帯版もある)

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紙の本百年の孤独

2001/03/03 10:14

百年の重さ

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 まず、時間の単位が違う。一夏の純愛物語とか、一週間の旅行記などとは訳が違うのだ。百数十年の時間が一冊の本に詰まっている。マコンドという村を作り上げ、マコンドの終わりと共に消滅したブエンディーア一族の盛衰記だ。
 たくさんの登場人物の一人一人に感情移入したりして読んではいけない。あっという間に、子供だった彼は壮年になり、頑固な老人になり、惚けて立ち小便をしながら死んでいく。それが、三世代か四世代繰り返される。それに、繰り返し付けられる同じ名前。二十人以上登場する「アウレリャーノ」の血縁関係を混乱しないようにメモに取りながら読んだ方がいいかもしれない。
 そして、なにより読者の頭をくらくらさせるのは、緻密にリアルに語られる村の細々した出来事、自動ピアノが響くパーティ、淫売屋や、トルコ人街、バナナ農場の労務者達、壁に巣食う白蟻、などなどの日常の中で超常現象が当たり前に語られ、幽霊がそこらを歩き回るその違和感のなさ! 物語がすすんで、飛行機が飛びパリのモード雑誌を読んでいるそのわきにも、村の創始者の亡霊が歩き回る。
 このへんはもしかしたら、あらゆるものに神が宿り、精霊(妖怪?)と、祖霊に守られているというアミニズム的感覚を古来より持つ日本人には理解しやすい部分かもしれない。
 「むかしむかし…」で始まるおばあちゃんの長い長い繰り返しのお話、そんな印象を受けるこの物語の主人公は、マコンドという村そのものなのだ。

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紙の本私はなぜ狂わずにいるのか

2001/03/03 10:07

机上の空論でなく

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 「精神病は直らない、だから隔離することしか出来ない」という考え方、あるいは、人生相談の「すべて気の持ちようです」というどちらの極端さでもなく、現場(臨床)を踏まえて一精神科医が人間として語った本。その率直で謙虚な姿勢には好感が持てる。医師にありがちなおごりを感じない。
 狂気ということについて、そして、精神科医がどのように患者に関わっていくのかについて、新しい見方を教えてくれる。
 そして、つくづく思うのは、人間には「物語」が必要なのだということ。狂気さえ、その当人にとっては、大切な物語なのだ。
 もう一つ気づいたのは、小説からの引用が多いこと。この作者は、よく読む人なのだと思う。「狂わずにいるために」読みつづけているのかもしれないが。

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紙の本ビート・キッズ 2

2001/03/03 10:05

さらに魅力的なキャラ登場で

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 前作『ビートキッズ』では中学生だったエイジが、高校2年生になって帰ってきた。
 軽音楽部のロックバンド「ビートキッズ」のドラムのエイジが主人公。ボーカルのゲンタは、可愛い顔ながらやる事は子供そのもので女子には悪ゲンタと呼ばれている。リーダーのシゲは老け顔で中身も一番のしっかり者。ギターのサトシは、成績優秀の頭脳派で前作の七生をちょっと思い出させる。ロックコンテストに出る事になったり、エイジが他のバンドに引き抜かれそうになったり、今回もなにかと騒動がおこる。
 キャラクターが生き生きと弾けるくらい飛び回っている。一気に読ませる小説というものの力がキャラクターの魅力によるものだということがよく分かる。
 全編大阪弁、笑いあり涙ありで、前作をさらに上回るパワフルなエンターティメントに仕上がっている。作者は実際に仲間とバンドを組んでいて、もちろんドラマーである。

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紙の本ビート・キッズ

2001/03/03 10:02

活字なれしていない中学生にプレゼントしてみては?

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 全編大阪弁で笑って泣かせる人情ドラマ。
 講談社児童文学新人賞受賞作品。多分マンガで育った中高生にもスムーズに読めると思うし、大人が読んでも楽しい。やっぱり大阪弁の一人称には独特の味わいがある。これが東北弁だったら全然違うものになっていただろう。
 主人公は横山英二、中学二年生。天然ぼけが入ってるが優しくて明るく、リズム感は抜群。ついふらふらと誘われて入った吹奏楽部でパーカッションを任されることになる。もう一人の主人公、菅野七生は、成績優秀、超クールで音楽センスも超一流の二枚目。ぼけの英二と突っ込みの七生。この二人が所属する、顧問に見放された吹奏楽部がさまざまなトラブルを乗り越えて、万博公園ドリルフェスティバルですばらしい演奏を披露する。
 吹奏楽部が野球部になったりバスケ部になったりすればストーリーとしてはわりとメジャーな路線だと思う。この作品の面白さは話の筋よりもその魅力あるキャラクターによるところが大きい。主人公の二人の他にも、アル中ぎみでひょうきんな英二の父ちゃんがいい味を出している。読者の要望でパート2が出版され、さらに3が出る予定もあるそうだ。2001年、舞台公演も決まっている。
 なんといってもいきのいいキャラが読者を引っ張っている。

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紙の本教養

2001/03/01 09:04

虚無回廊のネタばれいいんですか?!

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 知の巨人、小松左京氏を囲んで、宇宙・生命・進化・知性・文明・死について聞く。対談集だから、読みやすいし、温泉のお座敷で話している三人の会話を横で聞いているような楽しさがある。そのくせ、内容はぶっ飛んでいる。
 環境汚染なんてほっておけばいい。二億年もすればもとに戻る。
 今、炭酸ガス過剰だというが、植物にとってはまだまだ炭酸ガス不足の飢餓状態なのだ。
 小松氏の家の猫は花を愛でる(食べるのではない)。
 自分の肝臓を肝臓バンクにあずけておいて、培養して増やして将来使えばいい。2個作って1個は食ってもいい(フォアグラ?!)。
 少子化なんてどうってことはない。それより宇宙がいつ壊れるかが心配だ。
 もういつ死んでもいいじゃないか、ブラジャー見たんだから。
 「宇宙の中で自分とはなんだ」と問うことが出来る存在は、人類だけなのか? その答えを知るまで人類に生き延びて欲しい。
 SF作家の大風呂敷は向こう一千年。科学の成果に素直にすごいなと思う一方で、それを茶化し、相対化出来ることの健全さ。
 しかし一番ぶっとんだのは、虚無回廊の今後のネタばらしだ。いいのだろうか?!
 ちなみに、この本は小松婦人が「あらおもしろいわね」とさらさらと読んでしまって知人のご婦人方にお勧めしているそうだ。子供から老人まで、本当の「教養」に触れたい人にお勧めしたい。

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紙の本薄紅天女

2001/02/22 23:58

勾玉三部作完結編

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 流れは複雑に入り組み、絡まり、そして読み終わったとき振り返ってみると、織りなされた作品の緻密さに感服してしまう。
 勾玉シリーズ三作目。
 シリーズに共通するタイプがある。男の子キャラは、一見超然としていて、でも天然ボケがかわいい。女の子キャラは活発、感情の幅も大きい。阿高と苑上がそういう子達。
 今回は阿高がそうなのだが、人の力に余る力を持たされて生まれてきてしまったことへの深いあきらめと重みがいつもある。そして、勾玉ストーリーだからかもしれないが、女の子が彼を支えて、癒す役。
 脇役も魅力的だ。藤太。チキサニ。そして、田村麻呂、賀美野、安殿親王など歴史上の人物も登場する。平安時代の枠組みを借りていながら、悩み成長する主人公に感情移入して違和感がない。
 主人公の成長の仕方は、空色勾玉と同じだ。男の子は、何も知らずそして知ったことで苦しみ、超えて、豊かな存在へ。女の子は、初め女でもなく男でもなく子供の状態から、男の子に会い、反発しながらも、彼を救うことで、女である自分を認めることが出来るようになる。
 そして、いつもハッピーエンドなのがいい。
 それにしても、今回で勾玉の力は天に帰ってしまったし、勾玉ストーリーは完結ということで、もう読めないのが残念。

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紙の本万延元年のフットボール

2001/02/22 23:53

密度の濃い時間を

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 エンターティメント系の作品を読み慣れていると、やはりこういうのは初めとっつきにくい。文章の間の密度の桁が違うのだ。
 それでも、途中からは一気に読めてしまった。翻訳家である「僕」と弟の「鷹」が、故郷である四国の村に帰る。近代的なスーパーマーケットの天皇に卑屈に接しながら、人種的な優越感を隠そうとしない村人達。閉鎖的な空間は、地続きで万延元年の百姓一揆の時代に繋がっている。
 話をひっぱるすじは、その百姓一揆の首謀者であった、曾祖父の弟の真実。彼は、卑怯者だったのか。それとも、鷹が切望する通り本当の英雄であったのか。
 幼児のように、内側に丸くこもってあくまで傍観者であろうとする僕にくらべて、鷹のキャラクターが魅力的だ。暴力的な自分を極限まで演出することで自らの中にある地獄の縁を乗り越えようと模索する。そのぎりぎりの危うさに結末まで読者は目が離せない。


 それにしても、大江健三郎の作品に繰り返し、同じような登場人物が出てくるのはなぜだろう?
 「頭を赤く塗って肛門にキューリを差し込んで縊死した」友人。こんなにインパクトのある人物を違う作品にも登場させている。その他にも、S兄さんや、ギー、少しずつキャラクターは違うが、やはり、他の作品に登場している。それから、大江健三郎の作品にいつも出てくる祖母。(今回は大した出番は無かった)「……ですが!」という方言がなんとも言えず、わたしは好きだ。

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誰にでもおすすめは出来ませんが、しかし

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 センセーショナルな本である。
 今まで自分が全て悪いのだと思い込み、けれど、アダルトチルドレンという言葉によって、新しい自分についての物語を掴みかけて、その先にわずかな希望を見出しているような人…、には本書を薦めない。掴みかけた希望を打ち砕くことになるかもしれないからだ。
 けれど、ACという言葉を知り、自分を育てた親を怨み、非難し、怒りをぶつけることが出来るようになってもなお変わらない自分に、少しずつ疑問と新たな苛立ちを感じはじめている人には、条件付きで薦めたい。
 その条件とは、著者自身何度も繰り返していることだが、「親に傷つけられた子どもは一生消えないトラウマを負う」という神話が万能でないのと同じく、この本で述べられている「傷つきにくい子ども、復元力を持つ子ども」というモデルも万能でないということ。この世は、数式ではあらわせない。微妙な違い、環境の影響、偶然、さまざまな要素がからまり合わさり、今の自分がある。
 それともう一つ、この本はドイツで出版されたが、ドイツと日本のセラピーの状況は、全く違う。少なくとも日本では、子どもを虐待したと告発するセラピストに対して、親達の会が逆にセラピストと子どもを告訴する…などという事態にはまだ、なっていない。
 それでも何年後かへの警告として、本書は、多くの人にとって読むに値すると思う。
 「幸せな子ども時代は、もちろん、巨大な資本であり、理想的な場合、一生その利子で食べていくことが出来る。だが、当然、それがそのまま自動的に充実した人生を保証するわけではない」
 「子ども時代のトラウマという信仰から(中略)(解放され、新しい子ども時代像が見えてくることによって)多くの人は、犠牲者という役割から解放され、自分の人生を自分で作り上げる力を得るはずである」

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