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  3. うみひこ:さんのレビュー一覧

うみひこ:さんのレビュー一覧

投稿者:うみひこ:

27 件中 1 件~ 15 件を表示

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4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

短歌と科学。この文系と理系のような対立すると思われているものが、それぞれ同時に、この世界をいかに見つめ、探求し、すくい上げてきたかが如実に感じられる本だ。
 著者は歌人たちの歌を引用しつつ、エッセイの中で普通の読者が知らない科学的な言葉を解説してくれる。歌人の中には科学者や医学やそれを学んでいる人たちもいて、初めて聞く言葉も多いのだ。そして、その言葉を日常としている人の思いや、その言葉を知った喜びや驚きを教えてくれる。そして、気がつけば著者に手を引かれて、人間の赤ちゃんから始まって、いろいろな生物が生きている世界とその生物が見ているだろう世界を教えてもらったり、広大な宇宙を知る科学の営みを教えられたりしていくのだ。
 考えてみれば、少し前まで、インフルエンザのワクチン注射の前ぐらいにしか気にしなかったA型とかB型とかのウィルスの変異というものが、コロナのおかげでこの三年あまりに日常的な関心事となってしまった。私たちが生き抜くために知らざるを得なかった科学的な知識や身につけた予防医学を思うと、私たちの日常がいかに科学に守られているのかと愕然とする。
 さらに、東日本大震災と福島原子力発電所の事故を思うとき、知っていたのになぜ防げなかったのかという強い反省は、あのとき著者だけではなく日本中に吹き荒れたと思うのだが、現在の無反省な再稼働への様相をみると、暗い気持ちになる。そして、ここにある歌人たちがあのとき歌った忸怩たる思いを、これからも何度でも口にしていかなくてはならないだろうと思うのだ。
 それにしても短歌というのは実に不思議なものだ。そんな日常を短歌が歌い上げるとき、悲しみや絶望に満ちたものになるかと思いきや、少しユーモアが漂うのはなぜだろう。言葉が歌い上げると、この世界が少し開かれていくのを感じてしまう。
 ここには短歌約三百首が納められているのだが、あまり現代短歌になじみのない私でも、このエッセイを読むうちに、いつの間にかお気に入りの歌人を見つけることができて、そのことも実に楽しかった。最後に、暗澹とした思いから見事に新しい扉を開けて見せてくれた一首を記載して、この歌を教えてくれた著者に感謝したいと思う。
 
「マスクしてコロナウィルスに抗へば不要不急のものらかがやく」
 
 驚きを持って世界の美しさを見つめていこうよと、このエッセイは誘いかけてくれている。

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紙の本ジャーナリスト与謝野晶子

2022/12/05 14:21

新しい晶子像

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本を手に取ったとき、思わず表紙の与謝野晶子の写真に見入ってしまった。何度か見たことがある晶子の眉を寄せ、首をかしげた少し険しい表情とは全然違うのだ。たくさんのきれいな反物や帯に囲まれている様子は、まるで平安時代の几帳に囲まれたお姫様のよう。きりりとカメラを見る眼差しや首を傾げた様子はいつもと変わらないが、ふっくらした頬は優し気だ。そして足元に目をやると、白足袋の思ったよりしっかりとした足指が見えて、ああ、明治の女だなあと思うのだ。彼女はこの足で、日本全国を回り、パリにも行ったのだった。この写真が写された高島屋の百選会については、はやがて解き明かされるのだが、この少しいつもより幸福そうな晶子の写真を心に留めて読み進めてほしい。
 著者がまず描くのは、日本の新聞の発展状況と、女性が新聞を読むことが異様なことと思われた時代に、晶子がいかに新聞に読みふける少女だったかだ。そんな彼女が鉄幹に出会ったのも、新聞紙上に発表された鉄幹の短歌によるものだった。やがて歌人となった晶子は、新聞紙上に短歌を載せるように求められるようになる。
 著者はこの後、「灰色の日」という短歌の連作を解き明かし、その時代と政府の姿勢への晶子の怒りを物語っていく。この晶子の中にある現在を見る目の確かさと批判力の鋭さを解き明かしていく過程は、恋愛を情熱的に歌った歌人として見られてきた晶子像をどんどん覆していく……。
 この本は、読み進めていくうちにいろいろな意味で晶子について感じていた謎を見事に解いていってくれる。晶子がなぜパリに行ったのか?鉄幹への恋慕だけでは説明がつかない何かがあったのではないか?そしてそこで彼女が得たものとは何だったのだろうか? その答えは、まさしくこの本の主題ともいえるだろう。
 さらに、有名な平塚らいてうとの「母性保護論争」で彼女が本当に言いたかったこと何なのか?長い間、らいてうよりの言説ばかりを読まされてきた身にとっては、ここで、はっきりと晶子側に立ったこの論争への筋の通った説明がなされたことは、実に画期的なことだと思えるのだ。
 著者は、一労働者として自分をとらえ、そしてその労働者が楽しく働き生活できる未来を目指していたという、思いもかけない晶子像を読者に示す。大阪の商家のお嬢様で何不自由なく育った女性、などではない晶子。姉たちのお古ばかり着させられ、地味な身なりを悲しんでいた晶子。兄のように進学させてもらえなかった晶子。実家の店でひたすら働く日々を過ごすしかなかったという、そんな初めて知る晶子の姿に驚く。
 著者はさらに彼女の生きた時代を生き生きと描いて見せ、広告というものが成立した時代に、どう晶子がかかわってきたかを見せてくれる。ここでやっと、表紙の写真の晶子が現れる。彼女がつけた流行色の名前にうっとりしながら、晶子とともに百選会を楽しんでほしい。
 この本を通して、いかに晶子が独学で自分を作り上げていったか、ジャーナリズムの時代の流れとともに知ることができて、とても楽しく、力づけられた。ところどころ、晶子とともに現代を見やって批判する著者のまなざしも素晴らしい。
 新しい与謝野晶子像、幸福そうなほほえみを持つ美しく力強い晶子像を手に入れられるこの素晴らしい書物の扉をぜひ開いてほしいと思うのだ。

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胸が熱くなる自伝

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

浜野佐知監督、三百本以上の映画を作り上げたこの女性の自伝が
なぜ戦記と称されているのか、わかる気がする。
なにしろ、その戦いっぷりには圧倒されるからだ。
前半の映画監督になろうとがむしゃらに進んでいく章でも、
すさまじいばかりのピンク映画の現場での章でも、
その戦いっぷりに、確かにこれは戦記だと感じる人は多いだろうと思う。
けれども、浜野佐知監督が戦っているのは映画界だけではないのだ。
男性たちの中にある古い女性像との戦い、一般社会の中にある女性
への偏見との戦いが次々と現れてくる。

 それだけではなく、一般映画の制作場面でも、『第七官界彷徨-
尾崎翠を探して』では、古い女性観で尾崎翠という作家を貶めている
編集者と戦うし、『百合祭』では、この映画を上映しない日本の男社会に
戦いを挑むのだ。本当に胸がすく思いで読み進んでしまう。

さらに、それぞれの作品について立ち現れてくるシスターフッドにも感動
してしまう。さまざまな映画制作の場面のエピソードを読みながら、
ロケ先や現場で手助けをしてくれる人々の思いが反映されてこそ、
あの映画の名場面が作られたのだなとわかっていく。

そして、国際映画祭での数々の評価を見ていくと、現在の日本社会
での価値観があまりに古臭いことが痛感されてくる。
ぜひ、巻末の『百合祭』映画祭&上映会リストを見て実感してほしい。

 浜野佐知監督は現役の監督だ。これからも映画を撮り続け、
観客の中に感動だけではなく、社会に対する疑問をゆすぶり起こして
くれるに違いない。

 さらに、彼女は、誰もが映像化できるわけはないと思っていた幻想文学
の尾崎翠の世界を二度にわたって映画化した人である。
『百合子、ダスヴィダーニヤ』への思いを足掛け15年に渡って、
あきらめずに制作して見せた人でもあるし、さらに、
「とんでもないバーさんがやりたい」という吉行和子さんの一言で
『雪子さんの足音』を制作し、新しい女性像を露わにした人でもあるのだ。
その多様性に満ちた道程には、魅了され励まされる人も多いと思う。

 伝記であり、戦記であり、そして映画という夢の世界の物語に満ちたこの本で、
夢見ることのすばらしさと力を感じて、共に前に進んでほしいと思うのだ。

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紙の本彼の名はウォルター

2022/07/31 16:24

読むのを止めるな

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

そろそろ夏も本番。と、なれば背筋も凍るような怖い話が読みたくなるのも当然だろう。
この夏のおすすめはと訊かれたら、私が第一に挙げるのはこの本だ。
 怖い本には何種類もの恐怖の要素があるのだと思うけれど、まず最初に、ジェットコースターに乗った時のように身動きできない状況で立ち向かわなければいけないという怖さがこの本にはある。まさしく、読み続けるのを止めたら大変なことが起きるという予感の中で、この本を主人公たちと共に読み続けなければいけないからだ。
実は、私はうっかりこの本を夕方から読み始めてしまって、とても後悔した。読むのを止められないし、そして読めば読むほど物語の世界でも現実でも夜の色が黒さを増していき、しみじみ怖くなるのだ。思いがけない世界が、ここには待ち構えている。
 さらに、ここに繰り広げられるのは不思議なお伽話のような世界なのだが、ご存じのようにお伽話の背景には恐怖はつきもので、グリムの世界も黒々とした森を背景に展開されている。そして、この物語の中にある恐怖や悲哀は、アンデルセンの物語を思わせる種類なのだ。どんなに恐ろしい結末があるとわかっていても、愛を求める心が主人公たちを運命の中に引きずり込んでいくのだ。誰も、あらがえない。
 物語を見てみよう。
 主人公のコリンは転校生。遠足に行く途中バスが故障して道で立ち往生している。他の生徒と先生は歩いて行ったけれど、松葉杖をついていたり、体調が悪かったりした生徒と一緒にもう一人の先生と、故障車の傍でタクシーが迎えに来るのを待っている。けれど車は来ず、仕方なく丘の上の屋敷で嵐が過ぎ去るのを待つことにする。
 屋敷の中は荒れ果てていたけれど、塔があったりシャンデリアがあったり昔は豪華だったのがうかがえる。そして、古い家具が好きなコリンが机の隠し引き出しを開けて、一冊の本を見つけたところから、恐怖に満ちた一夜が始まるのだ。
 その本はとても美しく不思議な挿絵が描かれている。蜂の家の物語から始まり、王様の戦争や、魔女の家での日々、そして愛らしい雀との恋などが続いていく。
 でも、問題は、この物語を読み進めるにつれ、奇妙な妨害が起きてくることなのだ。そして、この不思議な屋敷の魔力が現実の生徒にも及んでくる。苦難を乗り越え、物語を最後まで読み続けたとき、大きな謎が現れてくる……。
 恐怖の一夜の中で、全然知らなかった同級生の個性が発揮されて行く様子や、現実の中で明らかになって行く幾重にも重なった謎の仕組みなどに、さすがエミリー・ロッダと感じずにはいられない。
 児童書ではあるけれど、この中にある恐怖は大人ならば今の現実と重ね合わせて、尚更切実に感じられるだろう。
ぜひ、この本を手にとって、夏休み最高の恐怖の一夜を過ごしてほしい。

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バレンタインデーの翌朝に

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

主人公がおばさんの遺産としてもらったのは、可愛いいんだか可愛い
くないんだか何かわからない、不思議なキューピー人形。
どうしてこんな人形をもらったのかわからないのだが、なんだかこの人形
が来てからというもの、パパとママはラブラブな感じでピンクの服を着て
お出かけしたりするようになるし、サンタさんに渡してとキューピーの手に
持たせた手紙はちゃんとなくなっているし、お礼を言ったら、キューピー
がにこりとした……ような気がするし、不思議なことがいろいろ起きて
くる。
 
 そして、ある日、くさんというくしゃみが聞こえて……。
そこからが、お人形と主人公の楽しい生活の始まりだった。

この物語にはなんだか、ほんわかした気持ちになるバレンタインデーの
様子が描かれていて、2月の14日につらい思いをしたことのある人に、
読んでもらいたくなってしまう。挿絵も絶品で、夜鍋するサンタの後ろ
姿など、魅力満点だ。

 誰もが嫌な思いをしないで不思議にふんわりとしてしまう魔法の一
日が手に入る、そんな世界が待っています。

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紙の本仮面の陰に あるいは女の力

2021/12/06 16:10

ゴシック作家としてのオルコット

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ルイザ・メイ・オルコット、あの『若草物語』で知られたオルコットが、アメリカン・ゴシックの作家だということを知っている人はどれだけいるだろうか?

実は、オルコットは『若草物語』で成功する以前に、彼女の言葉を借りるなら「血と雷」のスリリングな小説を書きまくっていたのだ。そのうちの一つが、この『仮面の陰に あるいは女の力』なのだ。
 
 物語は、裕福なコヴェントリー一家に女性家庭教師(ガヴァネス)が到着するところから始まる。未亡人と二人の息子と末娘それに姪からなるこの家にやってきたのは自称十九歳のジーン。彼女に対して迎えの馬車も出さず、着いてもお茶一杯飲ませることもなく、いきなりピアノの技量を確かめる雇い主のやり口には、ガヴァネスの地位の低さが見えて暗い気持ちになる。
 ところが、そんな同情心もすっ飛んでしまうほどの場面が次に現れる。部屋に一人になったジーンは付け歯を外し、三十女の疲れた顔を曝すのだ。そして<小さなトランクを開けるとフラスク瓶を取り出し、強い薬草酒(コーディアル)>を作り、それを楽しみながら企み事を練り始める……。
 物語はジーンが次から次へと男たちを虜にしていく様と、そんな彼女の正体を暴こうとする企みが進行していく様が描かれて行き、手に汗を握る場面が見事に展開していく。そしてジーンが強い決意と策略で自分の幸福を手にしようとして行くその過程は、悪女の物語でありながらも胸がすくような気分を起こさせるものがある。
 『ジェーン・エア』好きな人なら気づく名場面へのオマージュや登場人物の名前の妙。そして、身分による差別の厳しさがある英国で、その差別を逆手にとって結末をつける主人公の奸智の見事さが、見ものの小説でもある。
 
 オルコットは初めての欧州旅行から帰った直後に、雑誌が求めるような「血と雷」の小説を次々と書いていったのだという。それは、家計が火の車になっていた家族の為と言われているのだが、それよりも、初めて見たヨーロッパのデカダンスが、オルコットにこれらの作品の着想を与えたとみていいのではないだろうか?そんな影響を垣間見ることのできる作品ともいえるだろう

 児童文学者の仮面の陰に隠れたオルコットのもう一つの顔を堪能してもらいたい。

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牛車ってどう乗るの?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

みなさんが牛車と聞いて思い浮かべるスピードはどんなものだろう。
葵祭やドラマで見かける現代の牛車は、のろのろと優雅に動いて
いるようだが、私が思い浮かべる牛車は、かなりな速さで動く印象
がある。
 初めて牛車を知ったのは『今昔物語』の「頼光の郎党共紫野に
物見たる語」。武士の男たちが乗りなれない牛車に乗ったはいいが、
牛飼童にスピードを上げられて車酔いする話だった。
車に弱かった子供の私は、そうか、平安時代でも、みんな苦しんだ
のねと思い込んで、とても共感したのだった。
 それからしばらくして知った『枕草子』でも、「五月ばかりなどに山里
にありく」で、さっそうと牛車でドライヴに出かけ、帰り道で藤原公信
に声をかけて、相手が追いかけているのを振り切って走らせていく姿
などが書かれているので、牛車は意外にハイスピードな乗り物なんだ
と思い込んでいたのだ。
 大人になって、様々な物語や日記を読んでいくと、みんな身をやつ
して粗末な車に乗って女性のところに忍んで行ったり、女車に乗って
人をだまそうとしたり、なんだか車についての決まり事がある上で、不
思議な使い方をしているようだった。身分を隠そうと粗末な車に乗っ
たせいで、ひどい目に合う物語もある。
 そんな牛車にかかわる色々な決まり事を知りたいなと思っていたと
ころで見つけたのがこの本!
牛車が何で作られているか、どのような身分ならそれに乗れるか、ど
うやって乗り込むのか等々、牛車にかかわるあらゆることが載っていて、
実に面白い。
それだけではなく、日記などに見られる、宮中における「輿」や「輦車」
について抱いていたそこはかとない疑問もここで、明快に解き明かされ
て行って、平安時代の乗り物についての知識が深まっていく。
 そして、何よりもあの松平定信が輿や牛車についての『輿車図考』
という研究書をものしていたことに驚かされる。老中を退いてからという
ことなのだが、あの寛政の改革の定信が貴族文化の象徴のような牛
車を?という驚きも感じずにはいられない。
 きっと私の物語の読み方もここから変わって行くような気がする。
そんな、平安時代について知ることができる貴重な一冊の本なのだ。

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紙の本龍彦親王航海記 澁澤龍彦伝

2020/02/04 11:23

感謝の念を込めて

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

書評としては異例の始まりになるだろうけれど、私は著者に深く感謝の念を表さずにいられない。澁澤龍彦の評伝は、書かれるべき書物であり、心の中の奥底で待ち焦がれていた一冊なのである。

 多くの読者がそうであるように、私も澁澤龍彦亡き後の混乱をなんと名づけていいかわからなかった身なのだ。彼に変わる作家や指標を追い求め続け、彼の周囲にいた作家や友人や家族の書いた書物を買い求めた日々がその後十年以上続いた気がする。

 澁澤が切り開いた異端というもののへの魅力的な道のりを辿ってきたものにとっては、彼がなぜそこに至ったかを探ることは、自分自身を問いかけることになると思う。その皮切りとなる書物として、この評伝は、澁澤研究への入り口を指し示す一冊となるだろう。

この伝記は渋澤の交流録でもある。そこを読むことによって、戦後の昭和という時代の、知に飢えた大衆の一人であった自分や、日本の純文学というものへの違和感をどう語っていいのかわからなかった自分を救い上げてくれた書物や著者が、澁澤の周囲にいたことを再確認することもできるのだ。

もちろん、もっと、今生きている人々の生の声を盛り込んでもらいたかったとか、著者の知る様々な澁澤像をまとめた章を設けて欲しかったとか、ないものねだりはしたい気がするのだが、まずは、ここを皮切りに、新たな澁澤研究への様々な声が沸き起こるのを待つことにしたい。

澁澤の数多くの著作を眺めながら、これはすべて膨大な注の様なものではないかと思う事がある。彼が翻訳した書物が成り立った根底にあるものを指し示すために、参考となる文献だけではなく、その国の歴史、伝説、そこから派生した数々の文学を語り、解き明かして行く。読者は導かれるまま楽しみ、道に迷い、やがて自分だけの道筋を見つけ出す。そして、澁澤と同様、読者もやがては独自の物語を生み出し始めるだろう。

この本を読み終った後に、巻末にある膨大な参考文献を手に取るもよし、もう一度澁澤作品に戻るのもよし、さらに楽しみが深まるだろう。

いざ、異界への旅へ。

その為の道しるべがここにある。

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時計と時間の秘密について考えたくなるファンタジー

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ホテルやまのなか小学校に泊まるのも二回目。そうなると、実にゆったりした気分で、ここでの生活を楽しめる……。

 二巻目となると、そんな長期滞在者になった気分で、勝手知ったるホテルで、ほかの客の様子を眺めているような気分で読んで楽しめた。

 何せ、このホテルは居心地がいいし、たまらなく懐かしい匂いがする。だって、ここは本当の小学校だったところだからだ。その建物を利用してホテルに仕立て上げたのがミナさん。この小学校の卒業生で、とても小柄で丸っこくって、若いけれどしっかり者で、年は、あれ?百五十とか口走っていたようだけれど、どういうことなのだろう?そのほかの大工見習のコンタが手伝って作り上げた元教室の寝室や、保健室を変身させたスイートルームは魅力たっぷり。何かあれば、村のコンビニ経営者のうさ子さんがすべて取り寄せてくれるし(何やら月と地球にあるものすべてと口走るところが怪しいが)、長期滞在者としては、満足してこのホテルの時間割に身を任せて過ごせばいい。時間割と言っても、朝起きて軽く体操をして、十時になったら庭の大きな菓子の木の下のテーブルでお茶を飲み、気が向いたら三時のお茶も楽しむ。それだけなのだけれど、今度の滞在客は、なかなかそれを楽しみに出てこない。

 と言うのは、二人がそれぞれ「仕事」を持ってきたからだ。そして、その仕事での世界一を目指しているから、お茶どころではないのだというのだ。

 わき目を振らずにレース編みで世界一を目指すアミさんは、部屋いっぱいに作品を編み上げ、もっと広い部屋が欲しくなるほど編み続けているし、時計職人のカチコチさんは、仕事の傍ら、ホテルの大時計が気になっている。

 この二人が、仕事を通して目指していたものの本質が分かってくるというのが多分物語の紹介としては正しいのだろうけれど、長期滞在者の私としては、このホテルの中に流れる時間の不思議と、時計というものはどうやってできたのかとか、そもそも時間とは何なのかということを、カチコチさんと一緒にホテル中を歩き廻りながら考えていくことがとても楽しい。
 
(こっそり教えてしまうが、カチコチさんが最初に作った時計は本当に魅力的だと思うのだ)

 ここまで長くここにいると、元校長先生で校医さんの山中先生にも、好奇心が湧いてきた。このホテルの中を流れる時間に秘密があることが分かった今となっては、続く第三巻目の物語の中で、そこらあたりが、明らかにされるといいなと思っている。

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紙の本ほんとうの願いがかなうとき

2020/01/15 15:56

願い事の方法を知りたいあなたや、ちょっと怒りっぽいあなたに

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

夏にクリスマスの話を書くのは大変だと言ったのは、
確かケストナーだったけれど、逆に真冬でも秋でも、
何なら春や夏真っ盛りの頃だって、夏休みの話を
読むのは楽しい。
 
 この物語は、正確には夏休みの直前から始まる。
それでも、夏の田舎町の様子が、
何か不思議な期待感をかもしだしていく。

 主人公のチャーリーの父親は、けんかのせいでで拘置所に
入れられたらしい。母親は一日中家にこもってベッドから出て来ず、
育児放棄の状態のようだ。
そこである日、ソーシャルワーカーのおばさんが来て、
田舎の伯母夫婦の家に行くように言われる。

 チャーリーは、怒っている。
たった一人で、一度も会ったこともないバーバラとガスの家に行くことに、
すぐに夏休みなのに、田舎の小学校に行かなくちゃならないことに、
姉がローリーの町に残って離れ離れにされたことに、
ずっと、怒っている。

だから、学校でもけんか腰で、かっとなる自分を抑えようとしない。

 そんなチャーリーが毎日しているのは、「願い事」。

ふと見た時計の針が十一時十一分を指した瞬間や、
道ばたに落ちていた一セント硬貨を見つけた時、
「願い事」を唱えるのだ。
毎日、どんな瞬間でも教わったことのある方法を思い出して、
「願い事」をしないではいられないチャーリーなのだ。
 
 小学校でチャーリーの「お世話係に」選ばれたハワードは、
学校や教会の日曜学校で、どんなにつっけんどんに突き放しても、話しかけてくる。
チャ―リーが、ケンカしないで済むようなおまじないも考えてくれるのだけれど、
チャーリーはうまく自分が抑えられない。

そんなある日、田舎になじめないままのチャ―リーが見つけたのは、
自分と同じように帰る家を持たない野良犬。
ウイッシュボーンと名付けたこの犬を捕まえるようとするチャーリーを、
バーバラもガスもハワードも手伝ってくれる……。

 物語はこんな風に進んでいくし、チャーリーのおかげで願い事の方法を
山ほど知ることができるのは嬉しいけれど、少し切なくなる。
願い事をする方法なんて、私たちはいくつ知っているだろう?
せいぜい、流れ星を見た時ぐらいではないだろうか?
けれど、チャーリーは毎日毎日、いろいろな方法で願い事をしている。
そんな切実な思いが叶えられるときは来るのだろうか?

それにしても、田舎での生活が、チャーリーにも楽しくなってくる様子は、
実に魅力的だ。

 ハワードが住む荒れ放題で泥だらけな田舎の家も、
五人兄弟の男の子たちが、それぞれ好きなことをしている楽しそうな家に見えてくる。
おやつのかけらを床にこぼしても全然気にしないお母さんも、
(まあ、男の子五人だからね)実におおらかなのだ。
いつ訪ねて行っても大歓迎で、ハワードと何かをしていると、
みんなと同じようにその日のおやつに手渡してくれる、
そんなお母さんがいる家で過ごす夏休みの楽しさ。
ああ、わたしにも、「マグカップに入れたオレンジゼリー」を、
渡してくれないかなと思ってしまう。

 それでも、かっとなるとひどいことを言ってしまったり、ケンカをしてしまう、チャーリー。
でも、みんなが、そんな自分を必要としてくれることもだんだんわかって来るのだ。

そして、ガスがチャーリーに「ちびすけ」と呼びかける時の、ガスの気持ちも。
少し大人のあなたなら分ってくれるだろう。

チャーリー―の願いがかなうように、、思いを込めながら読んでいきたい。

そして、いつか大人になった時に、そっと読み返してみたい本なのだ。

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「ティファニーの服が違うの、気づいてた?」

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

トミ・ウンゲラーときいて気が付く人は少ないかもしれないけれど、
『すてきな 三人ぐみ』のあの真っ黒な山高帽の山賊の絵本を書いた人だと言えば、
たいていの人は、ああ、と言うに違いない。
それほど、一度あの絵本を手に取った人には忘れられない絵を描く人なのだ。
 何故なら、彼の絵本は異端なのだ。
絵本というのはカラフルなものと思っている人には、信じられないほど、
彼の絵本は黒々としている。
そして、主人公は恐ろしい武器を持った山賊や、朝ごはんに子供を食べるのが
何より好きな人食い鬼だったり、なんだかはげでまんまるなつきおとこだったり、
夜空を飛ぶ蝙蝠だったり、毒はないけれど大蛇だったりするのだ。

 でも、子供たちの心を、そして子供だった時のある大人の心を放さない。

 それが、どうしてなのだろうという事を、著者は一緒に考えて語ってくれる。
と、いうのは、子供の時に気づいた謎を著者がずっと持ち続けていたからなのだ。
この『すてきな三人ぐみ』は、三人の山賊とティファニーちゃんという女の子が主人公。
この女の子が描かれているのはたった四ページ。
それなのに、そのすべての場面で衣装が、それだけでなくティファニーちゃんの顔も
違っているのだ。
そのことに気づいた子供の時だという。それ以来著者がずっといだいてきた謎を
この書物の絵本論は解いてくれるのだ。
なんだか、衣装や顔立ちまで違うことに今更ながら気づいた私も、
うれしくなってその語りに耳を傾けてしまった。

 実は最初にこの本を手に取った時、後半の絵本論が論文だと知って臆してしまった
のだけれど、絵本を読み解く楽しみが満ちていて、心の底から嬉しくなってしまった。
例えば、あの『ゼラルダと人食い鬼』の中で、嬉々として様々な料理を発明していく
ゼラルダの中に、ただの料理人だけではなくて、魔女の姿を見ていくことができる
なんて、今まで思いつきもしなかった。
そう、お城の中で料理する姿が、料理人というより科学者みたいだな、
と思ったことはあるのだ。
そうか、魔女か、と思わず膝を叩いてしまった。
そして、それに気づくためには、
絵本の中の黒猫や烏に注目することが必要なのだと言われてみて、
ああ、絵本論とはこんなに面白いのかと思ったのだ。

いつか、この本を子供と一緒に読むとき、
「ねえ、なぜ烏が鳥かごにいるの」
と、きかれたら答えられるなと思うとわくわくしてしまう。
 
 前半の、ウンゲラーの生涯を読みながら、
著者の指摘する、アルザスに生まれたことで、
ウンゲラーが「様々な価値観の中で自らの個性を認め生き抜く力」
を獲得したのだという事に、深く感動させられた。
 アルザスについて、『最後の授業』のような
フランスの国粋主義な見方しか知らなかったので、
アルザス人として生きることについて書かれたこの伝記部分は大変驚きだったし、
多様な価値観という言葉の意味を考えさせられた。
そして、絵本に込められたウンゲラーの子供への信頼を感じさせられた。

 ぜひ、この本を手に取って、私のように本棚から絵本を持って来て、
広げながら読んでほしい。
絵本の世界が限りなく広がって行く思いがするだろう。

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紙の本がいなもん 松浦武四郎一代

2018/09/13 10:53

奇人が山ほど出てきて

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

面白い本です。

めちゃくちゃ面白い本です。


でも、殆どの人は、この人を知らない。

私も全然知らないのだけれど、 ある日、アイヌの伝説について調べている人から、
その名前を聞いたことがある。
膨大な資料があるのだがうまく手に入れられず大変という話だった。

江戸時代に、北海道を探検しカラフトまで行った人とされているが、
とにかくあまりに彼の持つ世界が広すぎて、
簡単にどういう人だとは言えない人なのだ。

武四郎の生涯について考えると。
実はあまりに面白すぎて今まで本にならなかったのではないかと思えるところがある。

それをわからせてくれたのが、この本だ。

語り手は、河鍋暁斎の娘お豊。

いきなり暁斎のお気に入りの弟子コンドルも出てくる。

この三人だけでものすごいドラマになってしまうくらいなのだが、
暁斎の上をいく奇人だというところが、
凄いぞ武四郎という感じで話は進んでいく。

武四郎は、伊勢の出身だ。

この伊勢の出身という事が、江戸から明治にかけてとても重要だったことがわかる。
江戸時代に、何の規制も受けずに旅ができる唯一の方法は、
この伊勢への「おかげ参り」をすることだったのだ。
そんな人々がある時、山のように押しかけてくる町。
そこから来たというだけで、一度も旅をしたことのない人々には、
驚きや憧れを抱かれて、親切にされたのだという。

さらに、武四郎は生まれながらの旅人だった。
あるき周るのをやめられず、速歩術を習い、
江戸に行き、そこから全国を歩きまわり、
そして、気が付いたら北海道は樺太まで行ってしまった人なのだ。

最初は変わったものの蒐集家として現れるこの武四郎。
各章ごとに、自分の人生のエピソードを語る形になっているが、
その導入部の明治の初めの町の風景や好事家の人々、
河鍋暁斎の家や交流の様子なども面白い。

武四郎はやはり文化人類学的に貴重なものを収集していて、
特にアイヌについて調査し蒐集したものは大変重要なものだったらしい。

そして、松前藩に苦しめられるアイヌの味方になろうとし、
松前藩から憎まれ、様々な妨害に会い、最初の妻を暗殺されたという。


とにかく江戸時代の話では、お庭番や新鮮組についても語られるし、
幕末から明治には、西郷隆盛から始まって、坂本竜馬も吉田松陰も現れるし、
なんと最後の締めくくりは永井荷風という、
登場人物の豊富さだけでも目が回るような人生なのだ。


最後に武四郎が用意した自分のお棺だという一畳の書斎が、
ICUにある泰山荘の茶室だと知って私はとてもうれしかった。

この金持ちが数奇の限りを尽くして作ったように思えた茶室が、
実はお棺だったということを知ったからだ。
さすが、奇人のすることはスケールが違うと思うこの話、
是非、最後まで読んで楽しんでください。

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白い魔女のプリンのレシピまで手に入ります

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

イギリスの児童文学が大好きなあなたには、まずこう言おう。

「白い魔女になって、例のプリン=ターキッシュディライトが作りたくない?」

 可愛いクマのぬいぐるみが好きなあなたには、

「クマって蜂蜜だけじゃなくマーマレードも好きなの知ってる?」

 公園でふと触ってしまったローズマリーの一枝から立ち上る香りに気を惹かれたあなたには、

「昔そのハーブが床にまかれていたのを知ってますか?」


 そんな風に色々と声をかけて誘ってみたい本を手にした。

この本は、イギリス児童文学の十一の(実は続編がある物語もあるのでもっとたくさんの)物語について書かれている。

物語の中に現れるお菓子や食物についての解説書でもあり、
物語の舞台についての解説書でもあり、
実際にその場所に著者が訪れて感じたことについて語った随筆でもあるこの本には、
最初に語った通り、各章にひとつずつ、物語の中に現れる、とっておきのお菓子の
作り方まで載っている、レシピ付きの書物でもある。

 私は、子供の時から著者と同じように物語の背景にある舞台や食べ物に興味が
あって、色々なことが知りたくてたまらなかった。だから「註」が大好きだったし、
自分で調べるという事を知らない頃は、親を質問攻めにして困らせた。
もっとも、調べると言っても、今のようにインターネットもろくな書物もない時代だったか
ら、大人になるにつれて、だんだんに書物の中に現れる食べ物や風習や舞台につい
て知って行ったと言っていい。

 もしあなたが、これからイギリスの児童文学とまで言わなくてもいい、
クマのプーさんやパディントンの絵本をお子さんに読んであげたり、
ぬいぐるみを手渡したりする前に、この本を読んでおくと、
このクマたちの大好物について話してあげたり、
もし質問攻めにあっても答えてあげることができるだろう。
 
あなたが、お菓子作りの好きな人ならば、
レシピを参考においしいお菓子を添えてあげることもできるかもしれない。

 私はもちろん、C.S.ルイス著の『ライオンと魔女』の白い魔女のように杖を一振り、
ではなく、レシピ通りに「魔女のプリン=ターキッシュディライト」を作りたいし、
最後のP.L.トラヴァース著の『風にのってきたメアリーポピンズ』の
コリーおばさんが作ったなにやら魔法めいた星のシール付きの
「ジンジャーブレッド」にもどきどきしてしまう。
これは、食べ終わったあとが重要なお菓子だからだ。

 
けれど、やはり最も心惹かれるのは著者の専門でもある、
ハーブについて描かれている章だ。
大伯母の農場にやって来た少女が、十六世紀にタイムトラベルしてしまう物語
『時の旅人』についての章だ。
西洋料理を作るのにかかせない月桂樹やローズマリーを床に撒いていたという
風習や、ハーブガーデンやビールに使われるハーブの話など、
初めて聞くことが沢山あって、もう一度どうしてもこの物語が読み直したくなる。

読めば読むほど、お腹がすいたり、旅に出たくなったり、もっともっと本が読みたくなって
しまうこの本を、ぜひ手元に置いて、いつかイギリスの児童文学の物語を読んだ子供
たちの質問に答えてみたいものだと思う。

「ねえ、シードケーキって何?」

そんな可愛い声が未来だけではなく、記憶の中からも聞こえてくるような本なのだ。

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紙の本さよなら、スパイダーマン

2018/05/15 23:14

大人にも読んでもらいたい児童書

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は、ふたごの知り合いが多いので、この本にはとても思い入れを持って読んでしまった。
 ふたごが生まれたとき、親はたいてい喜んで、わけの分からない名前をつけたがる。
二人が対になるような名前で、いわゆる今で言うキラキラネームの走りなのかもしれない。
金さん銀さんはもとより、桜子に菫子とか、海彦山彦とかね。

 遥か彼方の英国の地でも思いは同じらしく、
二人の少女はローズにジャスミンという薫り高い花の名前をつけられ、
そして本人たちの好みがどうであれ「可愛い」おそろいの服を着せられて育てられた。
親はどこかへ出かけるたびに、二人の写真を撮りまくり、親戚たちの行事に行くたびに、
何かお役目をさせられて、結婚式のフラワーガールなんて写真が溜まっていく。
 
 ところでこの物語は、そんな両親ご自慢の可愛いふたごの一人ローズが、
イスラム過激派のテロで亡くなって五年たったところから始まる。

語り手は、主人公の弟のジェイミー、十歳。

父親と母親は離婚して、父親とジャス(ジャスミン)とジェイミーの三人は、
ロンドンから湖水地方のアンブルサイドに引っ越すことになる。

ローズの死は誰にも責任がないのに、父親は母親を責め続け、酒浸りになり、
母親は遺族のサポートグループで出会った男の人の元に去っていったのだ。

 そんな父親の元でも、ジャスとジェイミーの姉弟二人は転校先の新しい学校に通い始める。

 ジェイミーはもともと友人が少なく絵を描くのが得意な男の子。
新しい学校でもあっという間にいじめっ子に目をつけられてしまうし、先生は何も気づかない。
そんな日々の中で、ジェイミーにただ一人話しかけてきて、きらきらした目で笑いかけてくるのは、
ヒジャブというイスラム教徒特有のスカーフを被った女の子スーニャだけなのだ。

 父親は、自分と一緒にいつまでもいつまでもローズを追悼してくれる人以外は、
裏切り者としか思えないようになっている。
そして、犯人たちへの怒りをイスラム教徒全体への憎しみに変えてしまっている。

本当に、ここまでが物語の始まりなのだけれど、
こうやって語って行くと重いように思えるこの状況が、
ジェイミーののんきなところのある語り口の中で明かされていくので、不思議につらくならない。

そして、ジェイミーとスーニャの友情や淡い恋心が受けるだろう試練の予感や、
ジャスが手に入れた恋の行方などが絡んで、物語は楽しく弾んでいく。
でも、ここは本当に、読んでからのお楽しみにとっておこう。

家族が崩壊する中で、女の子が家庭の中で果たす役割などを考えていくと、
父親が酔っ払ったときの後始末をするジャスの辛そうな表情に、胸が締め付けられ思いもするし、去って行った母へのジェイミーの思いや信頼について考えると、これも辛いことが多い物語なのだ

が、それでもなぜか、ジェイミーの十歳らしい思い込みや語りに、
はははと笑いながら読み進んでいってしまうのだ。

オレンジ色の髪の少年ジェイミーを描いた表紙と、
ピンクの髪の少女ジャスを描いた中扉の絵が魅力的なこの本は、
主人公と同じ十歳以上の人、特に中高校生や大人の人、
そして、ふたごの親に読んでもらいたい気がする。

子供が成長するという事は、親も成長できるのだという事を感じさせられた物語でもあるからだ。

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お夜食にぴったり

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

このところ、寝る前のお夜食としてこの本を、ちびちび読んで楽しんで読んでいます。

著者の 青木 直己さんは、私の愛読する『和菓子を愛した人たち』
の虎屋文庫で菓子の歴史を調べたり書いたりしていた人でした。

どおりで、不思議に落ち着いた文体に覚えがあるはずです。

この本は、和歌山から江戸に出てきた紀州和歌山藩の下級武士、伴四郎の、
日々の食生活と、日常を、日記の抜粋を見ながら書いているもの。
とても、面白くて意外で、ささやかな驚きに満ちています。

時は万延元年。
江戸時代の最後の方。
桜田門外の変があり、
外国人も江戸の町を歩いています。

でも、これを読んで何に驚いたかというと、
私にとっては、

「おい伴四郎、お前、豚鍋なんて、江戸時代に食っているのか?」

と、いうことでした。

食べています、平気で四足を外食で食べているのです。

明治になって食生活がいきなり変わったわけではなかったんですね。

伴四郎は屋敷内の長屋に住み、自炊生活。
ご飯は共同で炊いて、おかずはそれぞれが調達します。
こういう様子を見ていると、江戸は単身赴任者の町なんだ、
だから、お惣菜を売っているのだなということが、 よく分かってきます。

伴四郎はがんばって、にんじんの煮物を作って、しばらく食いつなごうとしますが、
なんと上司である伯父に、大事なおかずを食べられてしまいます。

そんなふうに、日々倹約しながらも、
小唄の師匠には毎回みやげ物を下げて教わりに行く生活。

こんな日々を見ていくのが、何より寝る前のお夜食にぴったりです。

だんだん、彼の仕事が「衣紋の方」という着付けの指導であることが分かってきます。

「衣紋道」は、呉服商の三井などにも教えを請われたりする立場らしいけれど、
でも下級武士に過ぎない仕事でもあるようで、たいして働かない伴四郎でした。

百人町、大久保の町が出てきて、
いまも皆中神社のある鉄砲方の町は、
実はつつじを育てる内職をする鉄砲撃ちの人々の町でもあったのです。
まるでモーリス・ドリュオン 著の『みどりのゆび』みたいな話です。

鉄砲を打つ手で、花を育てる。

江戸の平和が尊く思えます。

この文庫版には伴四郎のその後があって、
伴四郎も戦争にいったとあります。

平和が崩れる前の一瞬の生活ではあるけれど、
江戸時代末期、平穏な江戸の町を、
伴四郎と一緒に口をあんぐりあけて、物見遊山をするように、
毎晩さまよい歩いています。

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