Skywriterさんのレビュー一覧
投稿者:Skywriter
紙の本三国志曼荼羅
2009/09/07 23:29
歴史としての三国志の面白さを縦横に語る、絶好の正史入門書
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
著者の井波さんは、ちくま学芸文庫に収められている正史三国志のうちの蜀書を訳したことで知られている。その著者が幾つかの場所で発表した文章を集め、整理したのが本書。
成り立ちが成り立ちのため、内容としてはやや雑多な印象が無いわけでもない。しかし、逆に考えれば、三国志を多角的に眺めている、とも言えるのだ。
魏・蜀・呉の性格の違いのように三国鼎立の背景に切り込んだものもあれば、時代きっての個性である曹操と清流派や女性との関係や周瑜や諸葛亮、所謂五虎将軍(関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠)、詩人たちといった、三国志の魅力を高めている個人にスポットライトを当てたものもある。また、中国の民衆がどう三国志(演義)を受け入れたか、日本人に孔明ファンが多いのはなぜか、といった文化論の立場から論じたものもある。
広い論点があるため、三国志の魅力を改めて感じさせてくれるのが大きな魅力。
また、演義についても正史についても深い知識を有している著者らしく、話に深みがあるのも大きな魅力だろう。時代解説についても懇切丁寧に行ってくれているので、演技を読んで正史に興味を持った方には最適の正史入門書になっていると思う。
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紙の本ユダの福音書を追え
2009/06/12 23:33
歴史の奥に眠っていた古代の写本が辿った数奇な運命と、そこに描かれた驚嘆すべき内容に引き込まれる
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ユダといえば裏切り者の代名詞である。僅かなカネと引き換えに、キリストを売り渡して処刑させた、キリスト教史上最大の悪人。ユダを擁護する人など誰もおらず、ダンテがユダの地獄で永遠に苦しむ姿を表現したように、ユダの評価はマイナスでしかありえない。
ところが、ユダは裏切りものではなかったと主張する書物が、歴史の奥から忽然と姿を現したのである。それこそ、『ユダの福音書』。初期キリスト教の時代に書かれたこの知られざる福音書によれば、ユダはキリストの望みを叶えるためにキリストを官憲の手に引渡した、とされる。その辛い役割を果たすことになるユダは、むしろキリストの友人であり理解者であった。
この衝撃的な書物の発見から内容の理解までには実に長い時間が必要だった。本書は福音書が辿った運命と、明かされた新たなキリストとユダの像を余すことなく伝えている。発見されたユダの福音書が辿った数奇な運命は、それだけで小説になりそうなほど波乱に満ちている。そこに加えて異端とされたグノーシス派の教義とユダの福音書の内容が明らかにされている。
勿論のこと、ユダの福音書に書かれていることが絶対的な真実というわけではないだろう。ユダの福音書自体、グノーシス派によって作られたものであり、実在の人物が行った実際の行動を正しく書いているのではないからだ。それでも、初期のキリスト教内において正統派と全く意見を異にする論があり、ユダを高く評価する人々が存在したということは知的好奇心をくすぐってやまない。
歴史に興味がある人なら一気に引き寄せられる、素晴らしいノンフィクションと思う。
本書執筆時において、まだユダの福音書の復元・解読は完了していない。今後をフォローするのが楽しみである。
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2009/01/28 23:02
陳倉の戦いを魅力に溢れたストーリーで現代に甦らせた快作
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出師の表を奉り決死の覚悟で北伐を敢行した蜀の諸葛亮は、味方の失策もあって軍を引かざるを得なかった。しかし、諸葛亮は決して北伐を諦めたわけではない。再び軍を起こすと、陳倉に向かったのである。陳倉を守るのはカク(赤β)昭が率いる僅か三千の守備隊のみ。これを蜀の二万の軍勢が囲む。果たしてカク昭は陳倉を守りきることができるのか。
本書は魏将・カク昭の息子であるカク凱を主人公に進む。武人としては功を挙げつつも、不器用な故に十分な出世のできない父を苦々しい思いで見詰める息子は戦いを通して父に何を見るか。
そもそもが三国志ファンには堪らないシーンに加え、大胆な人物設定と迫力に満ちた先頭描写によって物語に引き込まれる。加えて陳倉攻防戦を縦糸に息子から見たカク昭の姿を横糸にすることで、広がりと奥行きを感じさせられる。
三国志の英雄達を生き生きと甦らせた力には脱帽。これがデビュー作というのは本当に凄い。今後の作品も楽しみだ。
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紙の本実録三国志
2008/08/13 23:41
後漢末から三国初期までの政権中枢の動きを克明に追う好著
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三国時代の幕開けはいつかと問われれば、多くの方は184年に発生した黄巾の乱を挙げるのではなかろうか。曹操、劉備、孫堅といった部将が活躍し、歴史の表舞台に姿を現す。やがて洛陽での混乱に乗じて董卓が実験を握り、東方では軍事同盟が組まれて袁紹がリーダーとなるが、成果を上げられず解散。その董卓は配下の呂布に殺され、群雄割拠の時代が始まる。
しかし、冷静に考えれば黄巾の乱は後漢王朝にとって少なからぬ衝撃であったことは事実だろうが、それは王朝をすぐにも終焉に導くものではなかった。むしろ、それ以前から若くして世を去る皇帝が続いたことで皇帝の持つ巨大な権力が外戚や宦官に分散され、皇帝との力関係を逆転させていたことに少なからぬ要因がある。
本書は、まずこの三国前夜とでも言うべき時代が、政治的にどのような時代だったかを明らかにしている。宦官が権力を掌握していく過程、そして宦官から権力を奪おうとする官僚(士人)の動き。政権内で権力を巡っての暗闘が続くが、暗愚な霊帝は事態を収拾などできない。この雰囲気を知ることで、後漢末の群雄達の行動原理が理解しやすくなると思う。
以後、権力を握った人物たちがどのような制約の中で政治的な決断を下していったかが丁寧に説明されている。特に、触れられることの少ない大将軍何進の政権運用の狙いと限界は、漢王朝が隘路に陥り、並の方法ではそこから脱することができない状態だったことを感じさせる。
董卓政権についても、董卓が好き放題やっていたような雰囲気があるが、董卓は董卓なりに行動を掣肘されていたことが分かる。宦官対官僚の戦いから、軍人対官僚へ様相が変わっていくのである。東方で結成された対董卓軍事同盟は、結局目だった成果を残すことがなかったのだが、それも各群雄の政治的な狙いを明らかにすることで上手く説明されているのは嬉しい。
曰く、軍事同盟の中心に合った思想は、17歳で即位し、董卓によって廃された少帝を霊帝の跡継ぎとしようとする運動であり、後少帝が殺されてしまえば中心軸がなくなってしまった、ということである。確かに袁紹らは北方の劉虞を皇帝に立てようとの運動をしていたことなどからも、著者の指摘には頷かされる。
その後の曹操政権になっても、曹操が就いた魏公の制度面からの問題、跡継ぎ騒動などといった、政治権力の動きに焦点が当てられている。それにより、曹操の権力が拡大していく過程が見え、ファンには大変興味深く感じられるのではないか。
ただ、三国志と銘打ってはいるが、後漢末期の各政権の性格を追ったという方が正しい。触れられているのは曹操の息子で後漢から帝位を奪った文帝の即位直後まで。その後の明帝は勿論、諸葛孔明による北伐などには全く触れられていない。そのため、蜀漢や呉のファンにはやや物足りないかもしれない。しかし、三国志の成り立ちを知るには格好の本なのではないか。
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紙の本韓非子 上巻
2008/05/03 09:21
法家思想を完成させ、中国の統治原理に多大な影響を与えた韓非の思想
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韓非子は戦国時代末期の思想家である。戦国時代に先行する春秋時代には沢山の小国が林立していたが、それらはやがて大国に吸収されて姿を消していく。戦国時代初期には生き残った秦、楚、斉、燕、趙、魏、韓の七大国が並び立っていたことから戦国の七雄と言われたが、韓非子の時代には秦が頭一つ抜きん出ていてた。一強六弱の世界で、弱い方はどう生き残っていくかが常に政争の中心で、秦以外の国々で結んで秦を封じ込める合従策と秦に庇護を求める連衡策が凌ぎを削っていた。
特に韓の国は秦に隣り合っていたために早くから領土を削られていつ滅んでもおかしくないほどにまでなっていた。韓非はその韓の公子である。母国の状況をなんとか打開したいとの篤い思いが、韓非を徹底した法家とさせたのだろう。性悪説で知られる荀子に学び合理的思考を身に付け、道家の思想を背景にしながら法家思想を完成させた。
一言で纏めてしまえば、官吏が民衆をコントロールすための法と、君主が臣下を使いこなすための術。この二つの重要さと使い方を説いていくのが韓非子という著作の内容と言って良い。徹底して磨きをかけた思考の跡からは、今も学べるところが少なくない。
韓非はまた、例え話の才にも恵まれていた。
堯と舜という伝説の帝王を取り上げてこう説く。堯が完璧な聖人だとしたら、その下で舜が活躍することはありえない。なぜなら堯が全ての問題を解決してしまうからだ。なのに堯も舜も聖人だという人々がいる。これはおかしい。
これに続いて、かの有名な矛と盾を売る商人の話をするのである。どんな盾でも打ち破る矛とどんな矛でも防ぐ盾、これらは両立できない。堯と舜を同時に聖人とすることはできないのだ、と。
他にも”まちぼうけ”で知られる話や逆鱗など、誰もが知る言葉や話が織り込まれているので、短編集を読んでいるかのような楽しみがある。
しかし、その思想のあまりの苛烈さにはついていけない、というのも事実だ。例えば、韓非は厳罰主義を説く。軽微な罪でも死刑になるとなれば、ほとんどの民衆は決して罪を犯さなくなる。これによって社会の安定は保証される。だから賢い君主は刑を重く用いるべきとする。刑と対になるのは賞である。この賞も与え方は慎重にするべきだ。なぜなら罰と賞の権限を一手に握ることが君主の権力を保たせるからだ、という。
だから何も無いのに恩賞を与えてはいけないとする。それは確かに言うとおりだろう。しかし、飢饉になっても食料を供出すべきではない。なぜなら、民衆を救うためとはいえ功の無い者に何かを与えると信賞必罰のルールが崩れ、ひいては社会から真面目に働く者が居なくなってしまうからだ、というのである。ここまでくると諸手を挙げて賛成することはできない。
韓非に国を救うための熱烈な思いがあったのはひしひしと伝わってくるし、そのために思考を巡らせた事も分かる。だが、その議論は机上で組み立てられたものであって、現実性という点では欠ける点が多いな、と思わされた。
この韓非は、始皇帝の元に趣き、そこで兄弟弟子だった李斯に讒言されて死を遂げることになる。皮肉なことに、法家思想を社会に広め完成させたのは、この李斯だった。更に秦の後に成立した漢が秦の法律を引き継いだことで、韓非の思想の少なからずはその後の中国を形作った。そういう点からも興味が尽きない著述である。思想に共鳴するかどうかは別問題として、読んで面白い本であることは間違い無いと思う。
紙の本パンダの死体はよみがえる
2007/11/05 23:29
死体を調べることで生きた動物をより深く理解できることを示す好著
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あの愛くるしいパンダは、熊の仲間である。そして熊の仲間であるということは、親指が他の指と対向していないことを示している。だとすると、パンダはどうやって竹を掴んでいるのだろうか。
パンダの手には人間の親指に相当する骨がある。そしてその周りを筋肉が取り巻いている。この偽の指のおかげでパンダは円筒形の竹を掴むことができるのだ。
と、信じられてきた。
この神話を打ち破ったのが著者である。パンダの遺体をCTスキャンにかけることで詳細な骨のデータを手に入れ、解剖することで筋肉の動きを理解することで、パンダをより深く理解する。本書はパンダの”親指”の謎を解明したことで一躍名を馳せた解剖医による、解剖学の魅力の解説書である。その立場について、著者はこう述べる。
「生きとし生けるものは、今日も遺体に変わり果てる。それを文化の源泉ととらえるか、それとも不要不急の”生ごみ”として廃棄してしまうか。いうまでもなく私は、人類の知を生み出す根源として遺体を大切にしていくのが正しいと信じるが、それは学者が社会を変革し、社会を説得し切って続けていくべき、アカデミズムの闘いなのだ。(本書P.216より)」
著者の信念は「すべての遺体は学問に、文化に、そして人類の知に貢献する」だという。実際に数多の遺体と格闘して知の世界を切り拓いてきた著者の言葉だから重みがある。
本書で取り上げられている例だけでもパンダ、象、レッサーパンダ、モグラ、ツチブタ、イリオモテヤマネコなどが挙げられ、それぞれがユニークな生物であることがとても分かりやすく表現されている。また、ハプスブルク家のコレクションにあるコウモリ、忠犬ハチ公、かわいそうな象、テディベアに名を残すセオドア・ルーズベルトなど面白い話題が目白押しだ。
扱っているのは遺体だとしても、本書に動物への愛と知への飽くなき探究心が込められているのは間違いない。科学博物館に行って知的好奇心を広げたくなる、そんな一冊。
2007/09/19 23:31
化学の魅力をスパイスに贈るオリヴァー・サックスの珠玉のエッセイ
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神経科医で、『レナードの朝』で知られるオリヴァー・サックスは優れたエッセイストでもある。私は脳に損傷を持った患者達との触れ合いから生まれた名著『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』を読んで以来、医学的な探究心と患者への暖かい思いやりを強く感じさせる著者のファンになってしまった。
本書は著者が子供の頃を振り返ったエッセイである。多くの人には馴染みのなさそうなタイトル、「タングステン」の正体を知れば、サックス少年が科学、とりわけ化学の世界に魅惑されたことが理解できるだろう。
自前の少年の頃から自前の実験室を構え、ナトリウムなどの反応性に富んだ金属を水に放り込んで燃焼させたり、炎色反応を楽しんだり、希ガスのような反応性に乏しい元素やハロゲンのように激しい反応をする元素の間の違いについて思いを馳せたり、といったことを心底楽しんでいたとは意外だった。そこには後に神経科医として縦横に発揮されることになる知的好奇心が見られるのではあるが、興味の対象が余りにも深く化学に特化されているように思えてならないのである。
私も化学を学んだ身ではあるが、ここまで化学を楽しいと思ったことはないのではないか。我が身の不明を恥じつつそう思わされた。
さて、サックス少年を化学の世界にいざなったのは伯父達の影響が大きいようである。その一人が本書のタイトルともなった”タングステンおじさん”である。タングステンの持つ独特の力にビジネスと魅力を感じたであろうこの科学の徒によって、若きサックス少年は化学の世界に誘われることになる。その魅力の伝え方は学校ではとてもできないほど。(どうして学校ではできないかというと、かなり危険な実験も自由にさせてあげていたことなのだろうから仕方がない面もあるのだけれども)
戦争や身近な人々の死によって動揺した当時の心境を重ねながら化学に魅せられていた日々をつづった一級品のエッセイだと思う。実に驚くべきことに、サックス少年は子供の頃に判明していた化学の知見を幅広く習得し、自らも実験を行っていた。化学を楽しんでいたからこそできることだろう。化学の世界の面白さを縦横に語り尽くしている名著であると思う。異才に驚かされながら、身をもって知ることの楽しさを感じさせてくれた一冊。
紙の本信仰が人を殺すとき
2006/12/13 23:19
信仰とは何かということをある残虐な事件から真摯に問いかける良書
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1984年7月24日、おぞましい事件が起こった。一人の女性と、そのわずか1歳3ヶ月の娘が惨殺されたのだ。犯人はこの女性の義兄たちだった。彼らは神からの啓示を受け、冷静に犯行に及んだのだった。
犯人はこの残酷で無慈悲な犯罪から、全く心の痛みを感じていない。彼にとってこの殺害は神から命じられたことを淡々と実行しただけのことで人界の法になど関わっていないのだ。
犯人が信じていたのはモルモン教から派生したモルモン教原理主義。モルモン教の創始者であるジョセフ・スミスが当初唱えていた、信者と神との直接の対話を重要視するモルモン教の一派である(ただし主流派のモルモン教徒は一緒にされるのを嫌がるらしい)。
事件からショックを受けたのか、著者は犯人とモルモン教原理主義に関して調査を進める。とすると、必然的にモルモン教についても光を当てることになる。モルモン教の経典はどうやらトンでもないものらしい。しかし、なぜそんなトンデモを人々は信じるのか(モルモン教の信者数はユダヤ教のを上回るという)。
信仰にはどのようなものであっても必ず疑うことなく信じることが付きまとう。信じることこそが信仰を持つ人々が持つ信仰への誇りなのだから仕方がない。
本書が取り上げているのはあくまでモルモン教から派生した原理主義の問題だが、それがモルモン教だけに留まるものではないことは明らかだろう。アメリカには他にもプロテスタント系の原理主義が根強い勢力を張っている。モルモン教もプロテスタントも共和党の強い支持基盤であることは、彼らが根絶されることがないと思う根拠になるだろう。日本でもオウムに引き起こされた悲惨な事件の数々や足裏占いなどのインチキによって命を失う人々までいたことが大きく報道されたではないか。原理主義という、批判を受け付けず理性に耳を貸さないのはなにもイスラム原理主義に限ったことではない。
また、日本では余りなじみのないモルモン教についてその成立から現在までの歴史を紹介していることは大変に貴重なことだろう。その非合理的に思える教義(特にインディアンは神に呪われたせいで色つきの肌になったことなど)に加え、権力と非合法的な対立を辞さず、多くの殺人に関与したらしきことなどは全然知らなかった。多くの世界宗教が狭いコミュニティでのみ支持を受ける段階から規模を世界に広げる中で多くの者を取り込めるように変貌していったのと同様、今では過激で人種差別主義的な色彩は薄れているようである。しかし。それでも我々はモルモン教がどのような成立をしたのかを知って損をすることはないと信じる。
本書はモルモン教全体の持つ怪しさとモルモン教原理主義者の起こした特定の事件を章毎に渡り歩くことで特定の事件の背景に潜むモルモン教の影響を浮き彫りしていると強く感じさせる。
信仰とは何か。それを考えるのに、本書のような冷静かつ緻密な本はとても役に立つのではなかろうか。ぜひ、他の方も正しい信仰というものがありうるのか、考えてみてもらいたい。
2006/11/19 18:47
記憶と情動、一見して関係なさそうに見える二つの言葉を結びつける脳科学の最前線
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記憶力が優れていれば、と思う方は多いのではないか。かく言う私も自分の記憶力の弱さにはいつも嘆かわしい思いを抱かされている。記録装置に書き込まれたような、経験したあらゆることを全く忘れずにデータとして保存したいというわけではなく、読んだ本のポイントやエピソードなどがあっという間に失われていくことさえ防げれば良いと思うのだ。そんな悩みを持つ方に、本書は丁度よいのではないか。
記憶について、その物理・化学的な詳細に立ち入ることなく初心者に大変分かりやすく説明してくれている。記憶の作られ方や種類、固定されるまでの様々なことは多くの動物実験を通じて明らかになっている。実験そのものも示唆することが多く、読んで面白いし、そこから導き出される推測には意外な話や自らの経験と照らし合わせて腑に落ちる話など実に様々で、読んでいて飽きない。
脳科学はその症例の面白さが特筆すべき分野でもあると思う。漫画や小説でしばしば記憶喪失がテーマになるが、実際の記憶喪失の事例から記憶のメカニズムが調べられるとはなんとも面白い。前向性健忘と逆行性健忘、脳の一部が破壊されることで新しいことを覚えられなくなる症例、さらに覚えたこと全てを忘れられない人々、などなど読み物として面白い話題に加えて、どのようにしたら記憶を最も保つことができるかという実際的な話も載っている。記憶に関して分かっていることの最前線を網羅していると言っても過言では無いだろう。
そして、読み終わったあとには不思議と多くを記憶することがそんなに素晴らしいこととは思えなくなっている自分がいるのもまた面白い。脳も上手く進化してきたものだとつくづく思う。脳科学や記憶に興味がある方は迷わず手に取ってもらいたい。実に優れた脳科学の入門書で、面白く理解しやすい。著者は勿論、訳者の労も労いたくなるそんな一冊。
紙の本ジーニアス・ファクトリー 「ノーベル賞受賞者精子バンク」の奇妙な物語
2006/11/03 00:44
遺伝とは、家族とは何かという問題に精子バンクを通して一つの回答を与えるノンフィクション
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性格や能力について、遺伝の大きさはもうずいぶん解明されている。おおよそ50〜80%が遺伝の影響というが、一卵性双生児の性格の一致は50%よりも高いところでの遺伝率を示しているように思われる。そうした事実からも、性格が良い、あるいは能力が高い(ついでに見た目が良い)配偶者を選ぶことが大切であることが知れる。
しかしながら、誰もがカタログじゃなくて実際の人間でやる品定めが、スペック表と一緒に宣伝されるとなぜこれほどにも不思議な感じがするのか。
本書はノーベル賞受賞者のみを対象として発足した精子バンクの辿った不思議な道筋と、精子バンクに関わりを持ったスタッフ、ドナー、レシピエントたちの姿を描いたノンフィクションだ。同一人物の精子から誕生した子供たち(当然ながら卵子はそれぞれ別だ)が能力も性格もバラバラであることが面白い。能力や性格に及ぼす遺伝子の複雑な振る舞いの結果だろう。一卵性双生児ならほとんど性格は同じだが、二卵性双生児であれば一卵性双生児よりも性格の一致度は半分程度に下がる。それを考えれば、単純に精子だけノーベル賞受賞者のものを持ってきたからといって、そこから期待されるような能力がただちに導かれるというものではなかろう。
少なからず存在する環境の影響はどうか。それも本書で触れられているが、やはりそのような遺伝子を欲しがる女性は教育に熱心だろう。であるからには、環境の点では平均的な家庭よりも高い教育を受ける土壌は整っていると想定されるので、この精子バンク経由で遺伝子を引き継いだ子供は平均よりも能力が高いことが推測される。遺伝の影響を除くとしてもそう。
こういった点を総合的に考えれば、母親の期待は少なからずはかなえられるだろうが、それは遺伝子の影響ではないかもしれない、という面白い結論にたどり着く。願ったとおり、優秀な父親からの遺伝子の影響かもしれないが。
優秀な人々を集めた精子バンクから生まれた子供の実際の姿は、本書に余すところなく書かれている。そして、どのような人々が、どのような動機で精子バンクに参加したのかも。
だが、私の心に残ったのは、“優秀な遺伝子”をもらった家庭が辿った道のりである。夫婦の間も、親子の間も、普通の家庭よりも緊張が強いようだ。片親だけの場合にはそれほどでもないかもしれないが、それでもやはり精子バンクを考える際にはこれが無視し得ないこととなる、ということを、私は本書を読むまで思いもかけなかった。子供ができない夫婦にとっては合理的な選択肢ではないか、としか考えていなかった自分の考えの浅薄さが身にしみる。
天才を増やしたい、それが急務だと考えた創設者の意志は現実の人間の持つ複雑さの前にむなしく敗れ去った、というべきか。精子バンクに関与した人々の姿は面白くもあり、哀しくもあり、頼もしくもある。世の中が複雑であるのと同じように、この世界も複雑なのだ。
ただ、著者が(アメリカ人らしいといえばアメリカ人らしいのだが)能力や性格の遺伝性をあまり考慮しておらず、環境の影響を強く見積もっているように思えるのは残念。アメリカこそ養子が多いことから双子の性格調査などが多いので、考慮に入れて欲しかった。政治性が絡んでくるのは避けられないのが残念な話題なのではあるが。
ノンフィクション的な手法で次々と明かされる精子バンクの実情はなかなかに興味深く、面白い。想像よりもずっと複雑な姿に、生殖という分野はどうしても合理的判断だけではやっていけないものだと感じさせられた。性格の遺伝性などに興味を持つ方も楽しんで読めると思う。そして、生殖産業について冷静に考えるには、日本よりもはるか先を行くアメリカの現状を知っておくのに損はないだろう。
紙の本オルガスムスのウソ
2006/09/13 23:55
オルガスムスについて、分かってきた全てのこと
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多くの人が興味を持ち、心地よいと感じていながら開けっぴろげには語ることが出来ないことがある。性の世界、それもオルガスムスについてである。
なぜ男の方がイクのが早いのか、女はなぜしばしば達したふりをするのか、男と女ではどちらが快感を得ているのか、セックスの後の心地よい眠気はなぜあるのか、といった身近に体験する話題から、動物のマスターベーションおよびマスターベーションの利点、オルガスムスに関する脳科学というように、大変に幅広い話題を扱っている。
一般に誤解されているテーマとして、フロイトの影響で広まったヴァギナ・オルガスムスというものは存在しないこと、論争の続くGスポットに関しては解剖学的にそれに対応する器官は見つかっておらず、科学的な審査には耐えられないこと、女が快感を得るには女性上位が適していること、平均余命から見た最適な相手の数(浮気性の方には残念なことにその数は1である)、セックスが健康をもたらす、などを俎上に上げているので読んでいてどんどん興味が沸いてくる。
性と性のもたらす快感についてここまで本格的に多角的かつ徹底的に論じているという点で本書は非常に貴重である。それどころではなく、論じにくいテーマを科学的に解明しているところも面白い。私が特に興味を引かれたのは、禁欲は抑鬱や自殺傾向などの悪影響を引き起こすが創造力など良いことはなにも引き起こさないということ。
考えてみれば、セックスは必要なものとして進化してきた。そして、生物をセックスに向かわせる報酬として快楽も共に進化してきた。この快楽は生きるのに必要なこととして組み込まれているとしても全く不思議は無い。
男は量、女は質を問うようで、性の満足感と人生の満足感はかなり一致するとのこと。快楽をただ貪るのではなく、中世キリスト教のように性を排除しようとするのでもなく、性と快楽がなにをもたらしてくれるのかを正しく知ることで、より豊かな生活を送ることが出来るのではなかろうか。
2006/08/20 23:43
裁判傍聴の記録、という堅苦しい印象を吹き払う、完全部外者による人間観察としての裁判傍聴記録
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人生の縮図が現われるシーンというのはそうそうあるものではない。我々自身の生活もそうだと思うのだが、傍から見て眺めていられるのは日々のルーチンワークではなく、恋愛模様であったり、プロポーズだったり、果ては修羅場だったりする。だから非日常を描く映画やドラマでは、日常でもありうる生活のうち見て飽きないシーンだけを集めているのだ。
しかし、そんな人間模様が顕わになるところがある。それが、裁判所である。言われてみるとその通りで、判決とはそれによって被告の人生に多大な影響を与えうるものなのだ。極端な場合には、判決が下されるまでの攻防によって生死が分かれる、なんてことすらあるのだから、当然皆必死になる。
検察は己の正義を貫こうとし、被告は自分の権利を最大限に護ろうとする。民事裁判では双方が自分の利益を相手の利益より如何に大きくするのか凌ぎを削る。
そんな法廷を、いっそのこと見ものにしてしまおうというのが本書である。なにせ、著者自身が裁判を傍聴する理由について「誤解を招かれそうなので書いておくと、執念深く大事件を追いかけていたとか、知り合いの裁判を見守っていたわけではない。ただただ、自分とは縁もゆかりも無い事件を、興味本位に見続けていたのだ」と言い切ってしまうくらい。
赤の他人の有名でもない事件の裁判を覗きに行って楽しいの?
そんな疑問が沸くのは当然のことだろう。答えは決まっている。面白いのだ。なにせ、裁判傍聴を楽しむ霞ヶ関倶楽部なんてものまであるくらいなのだから。
部外者として見て楽しむというには不謹慎すぎる裁判も確かにある。面白い裁判もあれば退屈極まりない裁判もある。その中から印象に残った裁判だけを取り上げているのだから、本書が面白くならないわけがない。麻薬、DV、詐欺、殺人、強姦、買春、痴漢、離婚と様々な裁判があり、事件ごとに人間ドラマがある。中にはつい笑ってしまうエピソードもあれば、憤りを感じることもある。人間ドラマである以上、当たり前かもしれないが、本書を読むまではそんなことまで想像できなかった。
右も左も分からないところから傍聴をスタートさせた著者が、やがて判決をほとんど予想できるまで成長する様もまた面白い。
そして忘れては行けないのは、事件に深入りしない部外者だから出来る、冷静な観察である。勿論、卑劣な事件では加害者側に同情できないような書き方になるが、それ以外は傍聴人として距離のある観察をしている。裁判の過程は当然のこととして、事件そのものすら記事にならないような犯罪。当事者にとっては深刻であっても、社会的関心は引かないような些細な事件。そんな事件を中心に裁判の模様を垣間見せてくれる本書は、裁判員制度開始を前に読んでおいて損は無いと思う。
なお、法曹関係を目指そうと思っている方には役に立たないであろうことは付言しておく。
紙の本脳とセックスの生物学
2006/05/11 22:00
専門知に深く踏み込みながらも大衆向けに分かりやすく書かれたバランス感覚絶妙の名著
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まだまだ分からないことがあるからこそ科学に惹きつけられる人は多い。なにせ、セックスが必要になった理由すら、まだはっきりは分かっていないくらいだ。その一方ですでに分かっている面白いこともある。分かったこと、まだ分かっていないこと、どちらにも共通するのは生物は驚きに満ちており、知ることは純粋に楽しいということだ。
見出しを書き上げただけで読む気をそそられるような、そんな話題が目白押しである。性と生殖ではゾウムシのペニス、男と女のセックス戦争(遺伝レベルで見たら隠微さはなく冷徹な計算と競争が待っている)、進化の項ではアリジゴクやクジラの進化、ヒトの妊娠ではつわりの功罪、胎盤内の♂♀競争、病気・健康・医療ではHIVワクチンの可能性、摂食障害と自己免疫疾患、脳と感情でテレビが与える影響、ギャンブラーの生理学的背景、最終章人類進化では人類の進化や理想のカップル条件について、と本当に面白い。
しかも、すばらしいことに語り口が平易でウィットに溢れている。専門知識の領域に踏み込みながら深く入り込みすぎない絶妙のバランス感覚。40の話題しかないのが残念で、倍あってもまだ飽きない。そんな読んで楽しい一冊。自然科学が好きな方はぜひ。
2012/04/30 00:36
化学をとことん利用する生物の凄さを知ると同時に自然環境の保全の大切さを教えてくれる名著
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ヘッピリムシをご存知だろうか。ミイデラゴミムシ,ミイデラゴミムシの俗名で、捕まえようとするとあたかもスカンクのように臭いガスを発射する。その正体はキノンと過酸化水素を反応させたもので、なんと100℃にもなる刺激性のものだ。気体が発生する時に、屁のような音がすることからその名を冠されている。
生物がこれほどの高温の武器を使用するというのは驚きだ。
武器の背後には、これまでの説明で明らかな通り、化学がある。そうやって自然界を見渡してみると、多くの生物が化学を上手に利用していることには驚くばかり。配偶者を見つけるための手段として、フェロモンを利用する蝶や光の信号を使うホタルがいる。捕食者への防御として毒を持つ生き物もいれば、寄生主を誤魔化すために偽装を図る種もある。
色も光も匂いも免疫も毒も、コントロールしているのは化学なのだから当然だろう。
逆に言えば、化学という切り口から、生物の生存戦略を知ることができるということになる。だから、本書は魅力的な自然界のガイドになっている。ふと気がつけば、ヘッピリムシの屁の威力に驚き、クモが配偶者を得る方法に目を見張り、ホタルを捕食する生き物の不思議に感じ入ることになっている。
おまけに、本書はどのような現象が起こっているかについてはきっちりと述べている一方で、(多くの人が敬遠したいであろう)化学反応については触れていない。だから、化学について知りたければ専門書に当たらなければならないだろうが、まずは興味を持つための入門としては実に優れていると思う。ルシフェリンの化学式を知らなくても、ホタルの光の幻想的な雰囲気を楽しむことは可能なのだから、生物の不思議を語る本書にはふさわしい方法であろう。
生物に興味がある方には、表面からは窺い知れない奥底にまで自然の妙が隠されていることに感心させられるに違いない。進化の奥深さを改めて教えて貰った。
それだけではない。マラリアの特効薬であるキニーネ、細菌感染と戦うための格好の武器である抗生物質も、生物由来の化学物質だ。今も人知れぬまま秘められている化学物質の数は、想像も及ばないほどだ。それが、主に熱帯雨林の破壊によって永遠に失われていく。その危険性を指摘することで、本書は優れた環境保全運動の啓蒙書にもなっている。多くの人に読んでもらいたい一冊。
2011/12/05 22:44
海や空といった、これまでデータ収集の難しかったところで生きる生物の姿をデータロガーで解き明かす格好の生物学の入門書。翼竜に触れたページは少ないけれど、翼竜にだけ興味が有る方も読んで損はありません。
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『ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ―ハイテク海洋動物学への招待』で、データロガーという武器を引っさげ、地上からの限られた観察ではすべてを把握することなどできない動物の生態を明らかにした著者が、更に新しい実験結果でパワーアップして帰ってきた。
前著では、ペンギンとクジラという、種もサイズも食べものも異なる生物が、同じほぼ同じスピードで泳ぐという、意外な事実を紹介していた。ところが、本書では、この結論の否定から始まる。総論として、秒速1~2メートルで泳ぐというものは変わらないが、それでも種の中で比べてみると、サイズの大きい種の方が小さい種より速く泳ぐ、というのだ。
本書で提示されているグラフを見ると、確かにペンギン類の中ではサイズが大きくなるほど遊泳速度は速くなるようだ。何故そのような違いが現れるのか。その背後には、物理的な根拠がある。その根拠を素人にも分かりやすく(入門書ゆえ、数式を用いずに)説明してくれているので、説明に筋が通っていることが分かる。
得られた結果そのものも面白いのだが、その理由もきちんと説明するところは前著に共通する良い点だ。パワーアップしているのは、扱う動物が水棲動物だけではなく、鳥類にも拡大されているところ。
ウミガメやマンボウでデータロガー回収の見込みが経てば、次は鳥。そんなわけで、国内外の鳥類調査に乗り出す。その好奇心の広さは驚くばかりだ。悪く言えば節操がないのだろうが、こういう横断的な研究は、きっと動物学の世界に新風を吹かすに違いない。
その好奇心の行き着く先は、既に絶滅した翼竜。タイトルには翼竜が冠されているが、実際に翼竜を論じているのは最終章のみ。だが、翼竜の項に辿り着くまでに、様々な知見が積み重ねられているので、著者が翼竜がどのような生物だったと考えているかがわかりやすくなっている。その結論は、翼竜は仮に古生物学者が提示しているサイズと重さが正しいならば、空を飛べるわけがない、ということだ。一方で、翼竜が空を飛べなかったわけがない(飛べなければ翼は無用の長物となり生存競争に不利になってしまう)。では、翼竜はどうしていたか?その答えは是非本書を見て欲しい。
新たな面白い知見に加え、データを取るための苦労を織り込んでいるのも嬉しい。押しかけてきた女子学生に無理難題を吹っかけるつもりが見事な成果になって返ってきたり、鳥のデータを集める時には手を散々につつかれて生キズが耐えなかったり、講演でアメリカに行ったら用意されていたホテルがインド人と同室で、自分は熟睡したけどインド人は眠れなかったみたい、といった、研究にまつわる思い出話が楽しい。生物の素晴らしさと不思議さ、そして研究の楽しさが生き生きと書かれた、格好の入門書だと思う。
興味を持たれた方には、前著の『ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ―ハイテク海洋動物学への招待』も併せてお勧めしたい。