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  3. 紙魚太郎さんのレビュー一覧

紙魚太郎さんのレビュー一覧

投稿者:紙魚太郎

40 件中 1 件~ 15 件を表示

火星への夢

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いやー、面白かった。ここのところ、早川書房は、サイエンス関係で良い本をいくつも出している。「エレクトリックな科学革命」、ドーキンスの一連の著作、全部面白いのだが、旨く訳文と読み手としての僕の感性が一致するものは少ない(原文で読めばいいのだろうがなかなか難しい)。この本は訳文も良くこなれており、とても読みやすいことに好感が持てた。2004年に火星に着いた探査ローバー「スピリット」と「オポチュニティ」があげた大きな成果については日本でも多くのメディアが取り上げた。その映像にテレビにかじりついた人も多かったのではないだろうか。本書は火星探査計画「マーズ・エクスプレーション・ローバー計画」の研究代表者が著した、その立案から、火星探査までのサイエンスドキュメントである。あのようなミッションはNASAが最初の立案から最後まで計画を立ててやっているものだと思っていた。しかし、その実際は、日本人の僕たちが想像もできなかった一般公募であった。しかもそれが現実になるまでの気の遠くなるような道のり。火星は距離的にも(光でも10分もかかるのだ!)、夢の現実化への道のりとしても遙かに遠い星なのであった。夢の競争相手との熾烈なプレゼン争い、予算の制限、相次ぐトラブル、。火星に到着するまでの長い道のりと、到着してからの様々な問題。火星に夢を託す人々と、国家の威信をかけたNASAの姿勢。ここに記されいるのは、まさに自分たちの夢の実現にかけた人々の悪戦苦闘と至福の時間の物語である。日本でも是非こんな本を出してほしい。「かぐや」でも「はやぶさ」でも、いくらでも面白い本がかけるはずだ。そんな努力をしないと、なかなか社会の理解と感心は得られない。何年か前に日本のロケット打ち上げの失敗時に、多くのメディアがその損失金額だけを取り上げて避難めいた報道をした。そんなときこそ、「負けるな日本」、「頑張れ日本」とエールを送りたい。日本ももっと世論を得るための努力をすべきだろう。しかし、アメリカの底力は凄いなあ。

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研究のフロンティア

8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

20世紀、ローレンツ、ティンバーゲン、フリッシュらにより動物行動学が確立された。彼らは刷り込みや餌付けにより人に慣れた動物の行動を間近に観察することで多くの業績を上げ、その後の動物行動学の礎を築いた。猿に関しても今西錦司らを祖とする京都大学チームが自然、飼育下にある猿の行動をつぶさに観察、記録することにより大きな業績を上げた。その後、野生動物の行動を観察することとゲーム理論との比較によって多くの知見がもたらせられる。バイオテレメトリーの発達により対象は鳥類にまでも広がった。しかし、それはあくまで人間が直接観察できる世界に限られていた。魚類でも多くの行動観察をもとに様々な理論が作られたが、その多くは沿岸域の定着性の魚類に限られていた。海に住む多くの生物の生態は依然として、その大部分が謎なのである。考えてみればおかしな話だ。何万光年も離れた宇宙空間の様子が高精度の望遠鏡や観測装置でわかるようになり、それまでの惑星形成理論を覆すような太陽系外惑星の存在が明らかになる。宇宙という広大な空間から見れば塵のような惑星についてさえ仮説とそれに対する検証が行われる時代だというのに、大海原を生活にしている大部分の生き物たちについて観測をもとにした検証を行うことが難しい。海は宇宙という気の遠くなるような距離より厚いベールを人間に突きつける。本書はその謎を会間見ようとあがき続ける一研究者の、面白くもおかしい苦闘奮戦の記録の一部である。その行動を直接見ることができないウミガメやペンギン、アザラシに様々な記録装置(データロガー)を装着し、そのデータから彼らの行動の一端を明らかにしてゆく。本当に面白い。仮にペンギンの刷り込みに成功したとしても人間はペンギンと同様に深く潜り、早く泳ぐことはできない。各種記録装置によるデータ解析は隔靴掻痒の感はあるが、その隙間からみえてくる海洋生物の生態の多様さには、読者はみんな驚くべきである。また、アザラシの装着に関し日本の研究でも厳しい倫理委員会が設置されていることも一般啓蒙書としては始めた目にした。以前「死体に付く虫が犯人を告げる」で、厳しいアメリカの倫理規定に感心した身としては、南極のアザラシに対して行われた取り決めに、なぜかほっとしたのである。しかも、このハイテクが人間の日々の労力というローテクに支えられている現実。カミオカンデや、スバル、ゲノム、グレープなどのビッグプロジェクトだけでなく、このような、先にどのように使えるかわからない博物学的なデータを集めるという基礎研究にもなにがしかの予算が組み込まれていることはとても嬉しい。これが億単位ではなく数十億単位であったなら、日本もまだまだ捨てたもんじゃないと安堵できる気がするのだが。先端の研究は、それが基礎であれ応用であれ、理論であれ、実験であれすべてがフロンティアである。巻末の著者のおばあちゃんの意見もなかなか鋭い(どんな家庭だったのだろう?)。筆者の若い世代へのエールが行間から聞こえてくる好書である。難点をあげるとすれば題がやや長いか。著者の意気込みを買って「携帯圏外、ハイテク動物行動学」なんてどうだろう。これも長いかな?

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その次の進化

9人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

現代の進化論にとって、パラダイムシフトともいえる発見が少なくとも二つある。一つは恐竜絶滅に関与したと言われる隕石の衝突説であり、もう一つがこの本に述べられる地球凍結説である。どちらも異論はあるにせよ(異論があり得るというのは少なくとも健全な科学的思考であることの査証の一つとなる)、徐々にその様な事実(どれほどの規模であったかについて異論はあるが)が有ったことは受け入れられつつあると言っててよいだろう。いずれもダーウィンの自然淘汰説を超えるものではないにしろ、大きな視点の変更を迫った。それは生命進化は生命の持つ適者生存的な力だけでなく詰まるところ無機質(と思われてきた)な地球環境との密接なコラボレーションによって作り上げられたものであるということだ。最新の進化論に関して言えば、もう地球の惑星システムとの共進化の視点ははずせない(この点に関して言えば日本の研究はトップを走っている)。地球上で生まれた生命が地球という惑星全体のシステムに組み入れられることの自然さは考えるほどに納得せざるを得ない。隕石衝突説に関して言えば宇宙システムとのコラボレーションと呼んでも良いだろう。しかし、地球凍結にしろ、隕石衝突にせよ、なんと一般の想像力を超えた出来事であることか。現代の科学技術のすべてを持ってしても地球の大部分を凍結させることが即時に可能だろうか。しかもそれがちょっとしたバランスの崩れからくるものであろうとは。このような地球環境の激変(実際には長い時間が必要なのだが)が自然に起こることを考えると現在人類が地球に対して行っている勝手な振る舞いは何なのだろうと思う。もっともそれで人類が滅んでしまった後も、そのニッチを求めて新たな生物が進化を続けてゆくのであろうが。

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紙の本中島敦全集 別巻

2003/01/04 03:37

思い出

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

25年ぶりの出版となる「中島敦全集」。このような全集は出版されること自体に意味があり、内容その他について善し悪しを語るべきものではない。まして中島敦の作品と人については多くの優れた研究があるのでそちらに譲るとして、ここでは個人的な思い出を少し。
 高校の授業で「山月記」に触れた時の驚きは今でも忘れない。彼の他の作品が読みたくて本屋に行くが田舎の小さな本屋には残念ながらおいてなかった。学校の図書館で探したら筑摩書房から出ている日本文学全集の中に彼の名を見つけ早速借りてむさぼるように読んだ。やがて、同じ筑摩書房から「中島敦全集 全3巻」が出ていることを知った。1冊5000円前後。今から20年近く前の高校生にとって決して安い買い物ではない。少しずつ貯めた小遣いとお年玉でようやく第1巻を買った。寝床の中でも抱え込み、むさぼるように読んだ。嬉しかった(ちなみに今年、うちの長男に聞いてみたらお年玉の総額は3万円である。親は3千円しか与えてないのに。何を買うのかと聞いたらゲームソフトだそうだ)。大学に進み魚市場のアルバイトで金を貯め、3巻までそろえたのが20才の誕生日である。あれから何年たったのだろう。この3冊は今でも僕の青春の宝物である。新しく全集が出ると聞いて、町の図書館にリクエストを出したがなかなか購入してもらえず、意を決して、新全集を購入した。新発見のエッセイや書簡を含め、今まで知らなかった中島敦が私の目の前に広がってくる。別巻は前の全集にはなかったものだ。しかし、値段は各巻以前の1.5倍。別にお金に困っているわけではないのだが、少し寂しい。主な作品は文庫で入手しやすくなっているとはいえ、やはり、今の高校生にもたやすく手が出る値段ではない。今の時代にこれだけの全集が出版されることになったことに驚きを感じ得ないが、もう少し若い人たちが買えるような値段に出来なかったものか。中島敦は若者の文学だと思うからこその思いである。同時にこれぐらいの値段でないと採算割れしてしまうのであろう今の世を少し悲しく思うのである(この値段でも採算割れかもしれないが)。先日、久しぶりに母校を訪ねる機会があった。予感がして図書館に行ってみた。昔借りた日本文学全集がまだ書架にあったので開いてみたら、貸し出しカードは20年前のまま。未だに借りたのは僕一人であった。

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題に偽りあり?

9人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

うーん、評価は分かれるところだろうが、僕はこの本を支持しない。だって、「今までの本と比べたら、詐欺と言っても良い内容だよ、高野さん。」と、言いたい人は多いのではないだろうか。文章は面白い。読んでいて笑ってしまう部分も多い。でも、この内容で文が面白くなかったら本当に腹を立てているだろう。せめて、副題の「インドへの道」を「遠かったインドへの道」と改めなさい。読者は題と、著者を見てその内容に期待を弾ませて本を手に取る。「幻獣ムベンベを追え」、「巨流アマゾンを遡れ」、「アヘン王国潜入期」など一連の著作を読んだ高野ファンなら、当然著者のインド現地でのウモッカ調査と原住民との交流、その過程での七転八倒の旅路を期待するでしょう?でも、そこまで行ってないんだもの。実際に海外での活動はリスクがつきものだろうし、私のような実際に行動してない者が言ってはいけないとは思うけど、だから期待しながら本を手に取るのです。自慰的内容と言われても仕方ないでしょう。たとえば「ワセダ三畳青春期」に胸躍る冒険談は期待しませんよ。題が題だから。もっと別のものを期待して読みます(そして期待通りでした)。でも、この題は違う。まあ「探検記」ではなく「格闘記」となってはいるのだが…。はたして、高野さんはこの本を出版したかったのだろうか。出版社から「なんか面白い話無いですか?」なんて言われ、無理矢理書かされたのではないだろうかと考えてしまう。決して面白くない本ではない(正直、面白いと思う)が、題と期待と内容との間に大きなギャップが有りすぎる。そのための失敗作。

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紙の本機龍警察

2010/11/11 23:40

浅すぎる

7人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 何が書きたかったのかはっきりしない。というか、小説を書きたかったのかアニメを描きたかったのか?
 小説とアニメの決定的な違いは何だろうか。その一つは、イマジネーションの豊富さである。登場人物、メカ、場面、すべてにおいて読者独自のイマジネーションが豊富に何通りもわき上がることが小説の醍醐味だと思う。だから人と議論できるのだ。この小説はそのイマジネーションがわき上がってこない。人物しかり、メカしかり。メカに関して言えば、この程度のものは十分にアニメ化されている。固定概念の範疇をでない。人物についても、アニメのキャラクター的な掘り下げで終わっている。アニメがこれだけ豊富な世界を提供しうる現在、この程度のイマジネーション小説は余り意味がない。アニメ化したいならその意図はわかるが、改めてアニメ化するほどの新鮮さもないであろう。

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紙の本黄金旅風

2010/11/12 00:01

この小説は凄い!

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

飯島氏の新刊を読む度に思う。なぜ、彼らはこのような人生を歩まざるを得なかったのだろうかと。
「飯島に間違いなし」の格言はこの小説にも確実に生きている。読んで損はない。国姓爺合戦…自分の父親から祖父の代までは明確に諳んじている。から始まり、やがて威信へ続くわずかな時代。その裏にあった歴史の細部に宿る弱い立場(少し語弊があるかもしれないが)の人々の姿を描き続けている作者の一つの到達点かもしれない。と言うのは、今までの作品と違い、読み終わったときの感動や爽快感があまりないのである。非常に興味深く、読んでいて面白いのだが最後に中途半端なやりきれなさが残る。これこそが歴史ではないだろうか。決して、英雄や悲劇のヒーローに祭りたてることもなく淡々としかし途中で止められないおもしろさを保ちながら物語は進んでいく。しかし、氏はどのようにこの時代をここまでいきいきとよみがえらせることができたのだろうか。氏の取材ノートを是非とも除いてみたい。

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千石先生の優しいまなざし

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

テレビでもお馴染み、千石先生が紹介するガラパゴスとマダガスカルの動物たちである。この本の魅力は3つある。一つ目は珍しい動物達のカラー写真である。カバーまで入れるとなんと143枚もある。旅行記風のユーモア溢れる文体のガラパゴス編では、タイミング良く挿入される風景写真や生態写真が臨場感を与え、生物相の説明が多いマダガスカル編では全体の6割以上の写真が使われ、理解を助けるとともにマダガスカルの特異な生物多様性を目の当たりにすることが出来る。二つ目は、この本の隠れたテーマである進化について、とてもわかりやすい説明がされていることだ。種分化が起きるには、隔離という過程が重要とされる。小笠原諸島もそうだが、大陸から遠く隔てられた(マダガスカルは400キロ、ガラパゴスは1000キロ)孤島は、生物進化について絶好の実験場なのだ。この二つの島は成因が違う。海底が隆起して出来た海洋島であるガラパゴスは、最初は生物は存在せず、進入に成功した少数の生物たちが独自の適応放散を遂げた。一方、古くはアフリカ、南アメリカと陸続きだったマダガスカルの生物たちは、より進化した動物たちの進入から守られながら大陸とは異なる独自の進化の道筋をたどる。二つの島の生物相の共通点と相違点は孤島であることと成因の違いによるものだ。ガラパゴスのフィンチ類とマダガスカルのオオハシモズ類などの放散が前者の例であり、マダガスカルの多様な原猿類や美しいカエル類に対して、ガラパゴスには両生類やほ乳類が存在しない(移入種を除く)といった違いが後者の例である。このような孤島での進化には遺伝的浮動という現象が大きく関係してくると考えられるがこの概念の説明も、とてもわかりやすい。魅力の3つ目は、著者の視線である。読者はきれいなカラー写真を眺め、進化について勉強していくうちに、自然がいかに素晴らしく掛け替えのないものであるか、人間の活動の前にはどれほどもろいバランスの上に築かれているかに気づく。千石先生のまなざしは限りなく生き物たちに優しい。そのまなざしは、同時に強烈な文明批判となって僕たちの生活の中の愚かさと傲慢さを照らし出し、警鐘を鳴らす。全体として主役が爬虫両生類になっているのは、千石先生の専門から見て当然だろう(卒論テーマは桑園にすむアマガエルの生態だそうだ)。ちょっと残念なのはマダガスカルの代表的住人アイアイの写真がわかりにくいことと、オオハシモズ類の写真と説明が少ないことだろうか。ぜひ、これからの地球を背負って立つ若い世代に読んでもらいたい。そして、次のステップに進んで欲しい。参考文献は書いてないが、ガラパゴスとマダガスカル、進化や環境に関する本なら、ちょっと探せば簡単に手にはいる。

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紙の本アラビアの夜の種族

2003/01/04 00:08

現代のアラビアンナイト

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

物語は進む。果てしなく。ページが尽きることを恐れてはならない。なぜなら、物語はこの本の中で完結し、転成し、輪廻するのだから。
 「アラビアの夜の種族」。圧倒的な物語。文字通り物語は語られるものであって、読むものではない。この書を読みながら、読者は読者ではなくなる。ページをめくっているのではなく、「夜のズームルッド」の語る譚に耳を澄ませている自分に気づく。第一部とも言うべき「アーダム」の物語の美しさはどうだろう。神話といっても良い、自由さと奔放さのうちにゆったりと進む物語は「譚」の文字が似つかわしい。全てを忘れ、のめり込み、最後のページにたどり着いたとき、読者は自分が新しい物語の入り口にいることを悟る。ここからは、あなたが物語を紡ぐのだ。「糸杉」にかわって「アイユーブ」の物語を。正に、現代の千一夜物語。これだけの物語が日本で書かれたことに素直に喜びたい。「単行本は高いからなあ」と考えているあなた。600ページ以上の2段組である。文庫になっても、各巻800円の全3巻ぐらいにはなる。なにより、この本は1冊になっていることに意味がある。決して高くはない値段だ。小さい頃、物語に夢中になった時の幸福感にどっぷりと浸かることのできる1冊である。
 疑問点が無いわけではない。注文だってつけたくなる。「アーダム」から続く物語を、「ファーン」の子供達がどのようにして知り得たのだろうか。しかし、野暮な質問はせずに自分で物語を作って行こう。「サフィアーン」からに違いない。「サフィアーン」の中に眠る「アーダム」の記憶が何年か後「サフィアーン」に語らせたのだ。話を聞くのは「ファーン」の子供達。ひょっとすると、またどこかで2人の拾い子は、会っているのかもしれないぞ。それとも大魔術師の血がすべてを悟らせるのかも。「サフィアーン」の子孫と「ファーン」の子孫はやがて夜の種族として闇の世界に生きる。物語を作るものと語るものに分かれて。「ファーン」の血が「サフィアーン」の血を語ることにより、2人は永遠に生きてゆくのだ。書物はやがて著者の手を放れ、それぞれの聞き手の中に独り立ちして行くのである。

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とにかく読むべし

3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「お、親分、てーへんだー!」
「なんでい、ハチじゃねえか。こんな朝っぱらから何のようでぇ」。
「そ、それが親分、う、家のカカアが宇宙が膨張してるってんで」。
「なんだ、そんなことかよ」。
「へ? 親分、ご存じだったんで?」
「あたりめーよ。赤方偏移って言ってな。1929年に遠くの星ほど地球から速く離れていくってことが、ハッブルさんによって確認されたんだよ」。
「へー、親分、物知りですねえ。それじゃあ、ブラックホールってのは?」
「ん? えーとだな、つまり何でも飲み込んじまう、宇宙の穴だ」。
「へー、そいつはいいや。ゴミ問題も解決だ。名古屋市に教えてやりたいですね。でも、なんでそんなもんがあるんですかい?」
「そ、それはだな、ものすごく重い星がだなあ、こう、ぎゅーっと」
「ぎゅーと?」
「そう、ぎゅーっと潰れて、穴になんだよ」。
「落ちたら?」
「出られねえ」。
「ふーん、でも、エネルギーが出てるらしいですよ」。
「誰が言ってたんだ」。
「裏の長屋のホーキングさん」。
「まだ生きてんのか?」
「ところで、インフレーション宇宙ってのはなんですか?」
「へ? あ、それはだなあ、最近の不景気な世の中のことだ」。
「本当ですかあ、親分ごまかしてません?」
「馬鹿野郎、この俺を疑うのか」。
「いえ、そういう訳じゃないすけどね。それじゃあ、ヒグス場ってのは?」
「ヒ、ヒグ…何?」
「超対称性ってのはなんですか? 暗黒物質ってのは? 超ひも理論って? 量子のゆらぎは? 超空間、地平線問題、ルービン・フォード効果、波動関数、Xボソン、大規模構造、対称性のやぶれ…、あれ、親分、どこいくんすか? おやぶーん!」

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日本の誇り

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「ベロ毒素」をご存じだろうか。1996年、岡山県に始まり大阪堺市で大発生した腸管出血性大腸菌O157による集団食中毒事件。その後も毎年のようにこの大腸菌による食中毒事件は発生しているが、この大腸菌の出す毒素として有名になったのが「ベロ毒素」である。正しくは「Vero毒素」であり「ヴェーロ」と発音するのが正しいらしい。これは「ヴェーロ細胞を殺す毒素」、と言う意味である。このヴェーロ細胞こそが本書の主人公である。
 主題から、電子顕微鏡の歴史を想像される読者もいるかもしれない。確かに1939にドイツのルスカによって発明された電子顕微鏡は、それまでの光学顕微鏡では不可能であったウィルスの姿を捕らえることに成功した。しかし、そのためにはウィルスを手元で増やすことが必要なのだ。細菌と違い自己複製装置を持たないウィルスを増やすには、どうしても生きた細胞が必要である。いつでも入手可能で、経歴が明らかで、さらに各ウィルスに対する感受性が高い細胞となるとその数は限られる。本来、真核生物の細胞には寿命があり、人の場合50〜60回分裂すると分裂を停止して死んでいく。医療に使える継代培養可能な細胞は少なく、その代表格がヴェーロ細胞なのだ。
 この細胞は日本生まれである。安村 美博により1962年、アフリカミドリザルの腎細胞から継代培養され、世界中に無償供与されたヴェーロ細胞は、免疫に関する特殊な性質と相まって最高のウィルスハンター細胞として、各種ワクチンの製造、エマージングウィルスの追跡に大活躍する。本著は安村の隣の実験室でヴェーロ細胞の誕生から現在までを見続けてきた著者によるオマージュである。文章は読みやすく、高校程度の生物の知識があれば十分に読み進むことができるだろう。索引や注の資料もしっかりしている。また、本文中に、別ページで解説してある内容については、その参照ページが書かれており、読み進む上でとても親切な作りになっている。著者や編集者の良識がよく現れた好著といえるだろう。「ヴェーロ」はエスペラントで真理の意味だそうだ。この純国産の細胞が世界中の人々の命を救っている様子を知って誇りに思わない日本人はいないだろう。

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第一級の科学ノンフィクション

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 何人であれ、死は避けることの出来ないものだ。自らの存在を意識し始めた瞬間から「死」との対峙も始まる。どのように生きるかは、自らの意志で選び取ることが可能だが、死は待ち受ける運命を黙って迎え入れるしかない。しかし、人として生を受けた以上、人として死んでいきたいと願うことは、ごく自然なことだろう。そんな願いを無惨にうち砕くむごい死がこの世には存在する。痴呆症である。その人の一生を彩ってきたすべての記憶を消し去り、思考も、感情も奪い去ってしまう。残された家族には、深い悲しみと絶望、いつ果てるともしれぬ介護の日々だけが残される。
 本書は、痴呆症の70パーセントを占め、21世紀半ばまでには4500万人を越えると言われるアルツハイマー痴呆症の解明に取り組む科学者達の物語である。筆者は、この病気の遺伝子研究が始まるちょうどそのときに、後にアルツハイマー痴呆症研究の中心の一つになるマサチューセッツ総合病院のグゼラ研究室にはいる。そして、ハンチントン舞踏病の遺伝子マーカーを発見するという幸運に恵まれ、加速度的に痴呆症研究の渦の中に飛び込んでいく。筆者の研究人生を中心にアルツハイマー痴呆症に取り組む科学者達の情熱、熾烈な研究競争など様々な人間模様が描かれ、その中からやがて悪魔のような病気の複雑な正体が徐々に浮かび上がってくる。読み進むにつれ、「長く生きたい」という人として自然な欲求そのものが原罪なのではないかと思えてくる。
 食事の時間に本を置くのも惜しいくらいに面白い。まさに第一級の科学ノンフィクションだ。巻末には詳細な索引と原注、参考文献および用語解説がもうけられており、わかりやすい丁寧な作りになっている。資料性も高く、この手の本を出版する出版社は見本として欲しい。ただ、原著が2000年と、研究スピードが早いこの分野としてはやや以前のものになるため、最新の研究に関する日本の貢献などがあまり書かれていないのが、やや歯がゆい。
 なお、本書でも触れられているハンチントン舞踏病やガンなどの遺伝子マーカーを使った研究や具体的方法、多くの科学者の物語については、「遺伝子の狩人」(化学同人1992年刊)に詳しい。やや古いがこちらも非常に面白くわかりやすいので是非併読をおすすめしたい。

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人間が駆るもの

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著者2冊目の写真集である。1冊目の「フォト!フォト!フォト!」と同じくモノクロ写真によるロードレースの写真集であるが、あくまでモノクロにこだわるところに華やかなレースではなく泥臭い人間模様に焦点を合わせる著者のポリシーがにじみ出ている。あくまでヨーロッパに居を構え報道写真による真実のロードレースの情報提供にこだわる砂田氏は、日本にいて、いい加減な情報でものを述べる多くの似非文化人に対して、痛烈なメッセージを送り続けている。
 とはいえ、本写真集はジロ・デ・イタリアというレースに焦点が絞られており、前作に比べ初めての人でも馴染みやすい。どの写真に於いても、選手がジロという自転車選手最高の舞台に賭ける思いを把握しやすいからだ。前作は、選手よりも筆者の思い入れによる構成が強かった分、共鳴できない人には馴染みにくい分があった。また、初めてヨーロッパの自転車競技会に接する人にとっては、各レースについて自分なりに情報を仕入れることがなかなか難しく、全体をトータルに見渡しにくい部分もあった。テーマをジロという一つのレースに絞ることにより、素人にもわかりやすくなっている点は評価したい。また、ツール・ド・フランスではなく、ジロという点にも著者の反骨精神が見て取れる。マスコミに踊らされるなよ…と。
 しかし、ロードレースというのは本当に人間くさいスポーツだ。日本では文明開化のあと、自転車時代を経ることなく自動車時代に入ってしまったため、一般の人々の自転車に関する知識や理解は嘆きたくなるほど薄い。この写真集に収められているのはヨーロッパの歴史の積み重ねそのものなのだ。この写真集を見るとき、写真に写ることもなく消えていった多くの選手達の姿が浮かび上がってくる。そして、今も多くの少年達が花の自転車乗りを夢見て歯を食いしばっていることだろう。何よりも沿道の人々がすばらしい。一人でも多くの人たちがこの写真集から自転車競技のすばらしさを感じ取ってくれたらと思わずにはいられない。
 ただ、やっぱり、カラフルなカラー写真集も見たいなあ、と言うのは私のわがままだろうか。前作に劣らない傑作写真集だ。

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哲学は死なず

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どんな人間でも、年をとるにつれ、「時間」と「自己同一性」の問題について考える。しかし、現代物理学では「時間」と「空間」は区別することができず「時空」という、一つのまとまりとして考えなくてはならない。本書のユニークな点は、時空についてニュートン→アインシュタインとつながる物理学的枠組みでではなく、ライプニッツとニュートンの対立から始まる空間と時間に関する哲学的論考から見直すという、異色の内容となっている点である。ライプニッツの先見性はさておき、質点の関係から時空を捉えるという方法論が着実な成果を上げてきた点については目から鱗であった。先見性に関していえば、たとえばデモクリトスの原子論をいかに高く評価するかといった問題がある。おそらくライプニッツの先見性の高さがその後とぎれることなく続いた思考の流れを作った点で評価されるのだろう。決してライプニッツ自身が自分の後に続く思考の流れを予測していたとは思えない。そこの評価の仕方に筆者のひいきが出てくるのだろう。しかし、私が感じたおもしろさは何が正しいのかではなく、ものの考え方の根本を考える哲学のおもしろさである。現在に生きる私たちは哲学という言葉に対し時代遅れのレッテルをつい貼ってしまいがちである。しかし、どんな思考も現象を捉える視線の原点に関しての疑いをぬぐい去ることはできないのではあるまいか。その意味で時空問題は哲学の基本問題なのであろう。新書では惜しい。マッハについても電磁気学についてならまだしも、ふつうの教科書しか読んでない人にはその力学に関してはわかりにくい。「アインシュタインでも理解に2年かかった。」部分がほんの数行では消化不良もいいところである。単行本で300ページ以上でじっくりと論考したい

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これからの楽しみ

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新書の役割と何だろう。最新の知識をわかりやすく、廉価に提供することではあるまいか。そういた意味で本書はその役割を十分に果たしているといえるであろう。前半(ほぼ7割)については「宇宙はこうして始まりこう終わりを告げる(白揚社)」のダイジェスト版である。ただ、単なるダイジェストではない。非常にわかりやすく、また、「宇宙は…」で不満のあった最新宇宙論に関する日本人研究者の貢献分野も気持ちよく補ってくれている。むしろこちらを先に読んだ方が理解が早いだろう。後半のマグナム計画については痛快であると同時に研究者の直面する行政問題を浮き彫りにしてくれる。研究費の使い道を規制するより、あらかじめ使い道を明確に国民に示して、賛否を問えば、圧倒的賛同が得られるのではなかろうか。とにかく、研究者の心意気が心地よく伝わる1冊である。本書を手がかりに「宇宙は…(前出)」、「なぜ、ビッグバンは起こったか(早川)」、「エレガントな宇宙(草思社)」あたりを読めば、一般人が手に届く最新宇宙論は手にはいる。1冊の書物として不足に思えるのは、その辺の邦訳本の案内に関する不丁寧さだろうか。何年か先に筆者のマグナム計画のその後に関する本が出版される日を待ちたいと思った。

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