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ゆうどうさんのレビュー一覧

投稿者:ゆうどう

83 件中 1 件~ 15 件を表示

糖質を減らそう

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ビールを飲みながらダイエットができるなんて、ビール党にとっては最高の本だ。しかも、おいしい食べ物を我慢しなくていいという。そのへんの理屈を、最新の研究結果に基づいて分かりやすく、丁寧に解説してくれる。

 その要諦は、摂取する糖質の量を制限すること。男性なら1日150g、女性なら1日130gに抑えるのがコツである。糖質は、炭水化物や果物に多く含まれるので、朝食のご飯の量を半分にする、昼食のラーメンは控える、つまみでポテトチップやポップコーンを避ける、などなどがその処方箋である。一方、肉や魚、野菜やナッツ類は十分に食べるようにとのお達しである。特にお薦めは豆腐やねばねば食品。

 食べる順番にも注意が必要で、糖質の多いご飯や麺類を先に食べてはいけない。野菜、スープ、肉・魚、糖質類の順番が良い。そして最後に果物を適量取るのが最高の食事法である。まさに、フランス料理や中華料理のコース料理の順番ではないか。

 そしてビールはロング缶2本(1,000cc)! 食事に気をつけるのはいいとして、これはちょっときついんじゃない? 「まずはビール、しかる後にビール」、これが合言葉のビール党としては、白い泡の浮かぶ琥珀色の飲料水を、浴びるほど呑みたいのに!!

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紙の本なでしこ力 次へ

2012/05/31 08:51

女子サッカーが男子を上回る日

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

なでしこジャパン監督による、北京五輪後のチームの軌跡を綴った書。分量は少ないながらアルガルベカップまでをカバーし、ロンドン五輪に向けて、なでしこジャパンを盛り上げる。

 しかし、本書の底流を形成するのは、女子サッカー論、女子組織論である。選手個人や各試合のチーム戦術について語るのではなく、多くの頁が「女子にサッカーは向いている」「日本は世界一を維持し続けられる」「組織の中での女性との接し方」という視点で書かれている。同時に佐々木監督の人柄も伝わってくる内容だ。

 では、なぜ、サッカーは女性に、しかも日本人にあったスポーツなのか?

 まず、男性と同じ大きさのピッチ、同じ大きさのゴール、同じ大きさのボールを使うサッカーにおいて、男性と同じやり方で戦うことは決して得策ではない。女性は、一般的に男性に比べて身長が低く、筋力などの身体能力も劣るのだから、同じようなサッカーをやっても男性にかなうわけがない。男性と同じサッカーをやっても魅力的な競技にはならない。むしろ、女性の長所である、「複数の情報を同時に処理する能力」「細部によく気がつく能力」「共感しあう能力」「反復作業を根気よく続ける能力」を活かして戦うべきだ。そうなってこそ、女子サッカーが、男子のサッカーとは異なる魅力をもった競技となり、男子とは異なる次元に到達できる。上記の特性から考えると、「本来女性は、ピッチ上に起きる現象が複雑で、かつ激しく変化するサッカーという競技に、非常に適しているのではないか」ということになる(p.218)。そして、まさに日本がその女性的なサッカーを極める上で最前線にいるのである。なでしこ=日本女性こそ、女子サッカーの魅力を大いに発揮できる特質を多くもっているからだ。著者は、そんな「なでしこ」的(日本的女子)サッカーを、「ソーシャル・フットボール」と名付ける。

 なでしこジャパンが、「バルセロナFC」の女子版と称えられたように、男子の世界でも最先端のサッカーはボールポゼションを優先するパスサッカーだ。その観点からすると、女子も男子も同じような傾向のサッカーを目指しているように見える。ただ、男子と女子ではサッカーの歴史の長さが違う。テクニックでも身体的・頭脳的スピードでも、まだ男子のほうが上だ。しかし今後、女子のテクニック、スピードが向上し、上記に挙げられた女子の特質を十分に活かせるようになったら、女子サッカーのほうが男子サッカーよりも魅力的な競技になる可能性は、高いかもしれない。その際には、男子は男子の特長を生かし、テクニックやパスではなく、パワフルでスピードを優先させたサッカーを展開するようになるのであろうか。う~ん。

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原発には「愛」がない

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「原発断固反対」の書である。著者は、明治天皇の玄孫にして「皇統保守」を自認する国粋主義者である。その超保守派が、原子力発電に断固反対を唱える。曰く、「原発には『愛』がない」から。

 しかし、そんな情緒的な言い方に反して、反対する理由を理路整然と説く。原発推進派の言い分には5つの嘘があり、日本に原発がふさわしくない理由が3つある、というのだ。

 嘘その1……核兵器を持つためには原発が必要。

 嘘その2……原発が止まったら電気が足りなくなる。

 嘘その3……少量の放射線は身体に良い。

 嘘その4……原発のコストは安い。

 嘘その5……二酸化炭素を出さない原発は地球を救う。

 これら原発推進派の言い分に対して、データを駆使し、論理的にその嘘を暴いていく。例えば「その2」、日本から54基(「Fukushima」以降は、51基??)の原発がなくなっても、火力発電などの他の発電施設をフル稼働すれば十分に電力はまかなえるのだという。総電力に占める原発の割合は3割、すなわちそれ以外の発電が7割だ。一方、年間の水力発電の稼働率が2~3割、火力発電が4~5割程度だという。発電設備容量でみても、2009年の統計で、火力と水力の合計が1億8779万キロワットに対して、この年の最大需要は8月7日の1億5913万キロワットだった。つまり、原子力に頼らずとも、2900万キロワットの余裕がある。

 また、日本にふさわしくない理由は次の3つだ。

 理由その1……原発の安全は労働者の死に支えられている。野宿者が放射性物質のぞうきん拭きをやっている。

 理由その2……国土が失われた。福島原発の事故によって、福島第一原子力発電所周辺の土地は半永久的に利用できないだろう。

 理由その3……原子力は神の領域を冒すもの。人間の手に負えない。

 私も原子力発電には反対である。その大きな理由は、現在の科学技術では核廃棄物を無害化できないからだ。将来、科学技術が発達しても、それが可能なるかどうかは分からない。その点に関して楽観視するのは現代を生きる人間のエゴである。

 使用済み核燃料は、「高レベル放射性廃棄物として、最短でも1万年以上、地下水から隔離した状態で保管する必要がある」という(p175)。地中深くに埋めたとしても、収納容器が破損していないか、1万年にわたって監視しなければならないのだ。標準的な100万キロワットの原発1基を80パーセントの稼働率で1年間運転すると、核分裂性ウランが1トン必要になり、30トンの使用済み核燃料(高レベル放射性廃棄物)と、ドラム缶1000本分の低レベル放射性廃棄物が生じるという。日本では、これが約50基分になるわけだ。しかもその量は、原子力発電を続ける限り、年々増え続けることになる。

 これは、子孫にツケを残すことにほかならない。自分たちの世代で解決できない問題を将来の世代に押し付けるというのは、あまりにも無責任ではないか。しかも、この問題を放置しておくと将来世代が住む環境を侵害しかねないのだ。自分たちの快適な生活が、孫子の世代の安全な生活を奪うことになりかねないのである。

 また、今回の福島原発事故の例が示すとおり、近隣諸国も迷惑をこうむる。同様に核廃棄物による環境破壊も、一国内で収まるという保証はない。原発は人類共通の問題である。だから、原発は「日本にふさわしくない」だけでなく、「世界にふさわしくない」のである。

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紙の本ウイスキーは日本の酒である

2011/12/10 04:21

世界が認めたジャパニーズ・ウイスキー

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日本は、世界的にも立派なウイスキーの一大産地である。しかも、世界の五大ウイスキーの一つに数えられる。ちなみに他の4つは、言わずと知れた本場スコットランド、そしてアイルランド、アメリカ、カナダである。これらに次いで5番目に日本が加わるところが味噌だ。もしかすると、それ以前は「四大ウイスキー」と呼ばれていたのかもしれない……。

 しかし、消費量ではインドが世界一で、それなりの生産量もあるらしいのだが、インドを差し置いて日本が「五大」の一角を占めているのは、それなりに世界的な評価を得ているからだ。2010年には、世界的な酒類コンペティションである「第十五回インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(ISC)」において、「山崎1984」が「シュプリーム・チャンピオン・スピリット」を受賞したという。これは、ウイスキー部門のみならず、同コンペティションにエントリーした全部門、約1000点の頂点に立ったことを意味する。文字通り、世界一の蒸留酒(スピリッツ)という評価を得たということだ。しかもこれは単なるフロックではなく、2003年に「山崎12年」がISCの金賞を受賞して以来、毎年のように日本のウイスキーが最高賞トロフィーや金賞に輝いてきた成果の結晶なのである。さらにはこの年、サントリー酒類株式会社が「ディスティラー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、ダブル受賞となった。

 本書では、そのサントリーのチーフブレンダーが、ウイスキーに関する薀蓄と、日本のウイスキー作りの特徴を余すところなく語ってくれる。

 1983年をピークに、サントリーのウイスキーの売上げは下降線をたどる。著者が研究所や蒸留所の品質管理部門、貯蔵部門で過ごした後、ブレンダー室に異動になったのは1991年であるという。すでに40歳を過ぎていた。ここがサントリーという会社のすごいところだ。日本酒ブームや焼酎ブームや押されてウイスキーの人気が落ちていく中、負けずにさらに良いウイスキーを作るべく、布石を敷いているのである。それが、樽と熟成の研究に従事し、いくつもの現場を経験した輿水のブレンダーへの抜擢だったのである。

 ブレンダーは、当時社内に5人しかいない、要の仕事である。それまでのメンバーは、ブレンダー一筋という職人たちであった。ここに、現場と一体となったウイスキー作りを推進するため、輿水が送り込まれたのである。将来、ウイスキーの捲土重来を期した会社の戦略だったのだと思う。そして、こうした諦めない物作りの姿勢が、前述したような世界的な評価につながっていくのである。

 本書を読んで、焼酎党の私も、バーに行きたくなった。その思いが嵩じ、ジャックダニエルのストレートを舐めながら本文を書いている。残念ながら我が家にはサントリー・ウイスキーがなかったのである。なんせ、焼酎党なので……。

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紙の本悪党 小沢一郎に仕えて

2011/12/03 12:36

真実の「小沢一郎」を知ろう

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 「悪党」とは、副題にもあるとおり小沢一郎のことだ。しかし、「悪者」「犯罪者」の意味ではない。南北朝時代に南朝・後醍醐天皇の忠臣として北朝・足利尊氏に反旗を翻した、楠木正成を中心とする野武士集団のことである。時の政府、官僚組織に戦いを挑む小沢一郎を楠木正成に見立てたのである。そもそもは、佐藤優が言いだしっぺだ。佐藤優に私淑し、自らも「悪党」になることを心に誓った元私設秘書の石川知裕が、側に仕えて文字どおり同じ釜の飯を食った素顔の小沢一郎を語る。

 本書執筆の動機について。

 〔私がまだ民主党に属していたら、この告白譚は焚書坑儒のような扱いをされただろう。それでも、私は筆を執った。権力批判を超えた「集団リンチ」さながらの、子どもに見せられないドラマを平気で垂れ流す言論状況に一石を投じなければいけないからである。
 それで「悪党」と呼ばれようと、私はもう構わない。〕(p17)

 つまり、小沢一郎に対する世間の誤解、マスコミによって造られた「虚像」を覆すのが狙いである。日本には、まだ「小沢一郎」が必要だから、その真実の姿をみんなに知ってもらいたい、ということだ。

 しかし、単に政治的な主張を述べているのではない。むしろ、主義主張よりもエピソードを中心に書かれているので、とても読みやすい。石川知裕の自伝的な要素もあり、政治家の仕事についても知ることができ、その面でも読む価値がある。

 それにしても、〔日本のリーダーにふさわしいのは、官僚を動かせないがカネに清い菅直人か、カネに汚いが官僚を動かせる小沢一郎か〕(p217)と書いているが、小沢擁護の本書(本人は、「小沢擁護」でも「小沢排除」でもないと述べるのだが)で、そこまで言ってしまっていいの?

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紙の本日本の大転換

2011/11/17 21:56

生態圏の「外部」から「内部」への転換

7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 東日本大震災による、東京電力福島第一原子力発電所の事故をきっかけとして日本は大転換しなければならないという主張が展開される。

 その際に核となるのが、エネルゴロジーである。エネルギーの存在論である。今後、〔地球科学と生態学と経済学と産業工学と社会学と哲学とをひとつに結合した、新しい知の形態〕を創っていかなければならないと著者は説く。

 ポイントは、原子力のような生態圏の「外部」のエネルギーを使うのではなく、生態圏内の物質と技術でエネルギーを作らなければならない、ということ。つまり、太陽の内部で行われているような核反応というエネルギーの生成(生態圏外部の現象)を模倣するのではなく、地表からせいぜい数キロメートルに過ぎない生態圏の内部で生成可能なエネルギーのみを用いるべきだ、というのだ。それが太陽光の利用であり、太陽光からエネルギーを取り出す光合成の模倣である。また、太陽エネルギーを媒介として発生する風力発電であり、波力発電である。「第八次エネルギー革命」である。

 文明学者アンドレ・ヴァラニャック(Andre Varagnac、1894-1983)は、人類の経験したエネルギー革命の歴史を7段階に分類しているという(『エネルギーの征服』)(本書p26)。

 第一次革命……火の獲得と利用。

 第二次革命……農業と牧畜が発達し、農業は余剰生産物を生み出し、交換経済が発達。

 第三次革命……金属が作られるようになる。冶金のための火を工業的に利用するため、家畜や風や水力がエネルギー源として使われる。

 第四次革命……火薬の発明。化学反応の速度を高めて、燃える火から爆発する火への移行。

 第五次革命……石炭の利用、蒸気機関を動かす技術の確立。産業革命が起こる。

 第六次革命……電気と石油の利用。

 第七次革命……原子力とコンピュータの開発。

 そして、原子力という生態圏外部のエネルギーではなく、地表すなわち生態圏にそそぎこむ太陽エネルギーを変換・媒介させることによって生み出されるエネルギーの創出が、「第八次エネルギー革命」である。それが私たちの使命であり、日本が率先して取り組む課題である。

 原子力発電には、核廃棄物の問題もある。現在の技術で処理できない廃棄物を放置することは、危険を将来に先送りして子孫に禍根を残す行為に等しい。地中深くに埋めても、深海に投棄しても、解決したことにはならない。想定外の地殻変動などで容器が壊れ、放射性物質が漏れ出す可能性を完全に否定することはできないのだから。つまり、生態圏の外部の「技術」を使うということは、問題が起きたときに生態圏内では処理しきれない可能性があるということだ。それがまさに福島原発の事故だったわけである。

 あれは設計ミスによる人災だったという説もあるが、そもそも惑星衝突も含め、自然現象、森羅万象すべてを人間の「想定内」に収めることは不可能であろう。たとえファイブナイン(99.999%)の安全性を実現したとしても、残り0.001%の事故が起きてしまえばそれまでだ。そもそも確率で安全性を語ること自体、ナンセンスなことだ。まだまだ人類には予測不能なことがあるし、それはどれだけ科学が進歩しても、0%にはならないであろう。

 また、著者は「超生態圏」、「生態圏の外部」の存在の問題を一神教とのアナロジーによっても語っている。つまりそれは西欧・中東で発明された思想に基づいている。一方、日本は、西欧的な文明とは異なり、多神教を保持し、一種の「生態圏文明」という特質を備えている。日本のようなリムランド多神教の世界に生き日本人にこそ、生態圏外部の技術の放棄と、新たな「第八次エネルギー革命」の推進が可能であるという。福島原発の事故の教訓が、まさにそれを強力に推進する原動力となる。

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ミステリーか、ノンフィクションか

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 一級のノンフィクションだ。題材が題材だけに、ミステリー小説を読むようなスリルがある。映画やTVドラマで見るような、囮を使った犯罪捜査が実際に行われているとは驚きだ。その囮役の潜入捜査官として、FBIで美術盗難を専門に扱ってきたのが、まさに本書の著者、ロバート・K・ウィットマンなのである。母親が日本人であり、父親は日本の骨董品の蒐集家だった。

 もっとも著者によると、実際の美術品の盗難とは映画と違って華麗なものではなく、「芸術に対する愛だとか、才気走った犯罪などというものとは無関係」で、美術品泥棒は、「美のためではなく、金のために」に盗む、ということらしい(pp.22-23)。美術泥棒に共通する点は、「とてつもなく強欲であること」だとか。身も蓋もない。そうした我利我利亡者たちと「友になり、裏切る」ことを任務とする潜入捜査官とは、どれだけ大変な仕事なのか。そのことを四百数十ページに及ぶ記述で、本書が教えてくれる。潜入捜査官になるには、天賦の才が必要であるという。

 本書の「ミステリー小説」的趣向は、全体の構成にも由来している。冒頭の章が、合衆国最大の窃盗事件、1990年3月の日曜日に起きた「ガードナー事件」の潜入捜査の一場面、ペリカン号というヨット上での取引のシーンに当てられている。読者は、この事件の結末を求めて、終章にまで導かれていく。その途上、「ガードナー事件」について随所で仄めかしながら、無関係のさまざまな窃盗事件や、著者の来歴や家族のことなどが語られる。これはまさにミステリー小説の常套手段であろう。それでいて、語られる事件のすべてが読み応え十分である。

 「事件の細かい部分には省略や多少の変更を加えてある」(著者注)と記すが、事件の背景や進展など、かなりリアルに描かれている(ように思える)。その一部は国際的な犯罪組織の話である。登場人物や本人と家族たちの身の安全は大丈夫なのだろうか。偽名を使っているのかもしれないが、読む人が読めばすぐに分かるだろう。また、もし、事実に脚色が加えられているとしたら、その部分に誤解を生み、かえって不測の事態を招いたりしないのだろうか。ちょっと心配である。それくらい、具体的で迫真の描写なのである。

 そして、FBIの官僚的体質、縄張り争いなどについても随所で描かれる。ガードナー事件の捜査をぶち壊したのも、FBIの他部署とフランス警察の縄張り意識だった。事件は迷宮入りになろうとしている。こうした組織批判をスパイスとして加えたことが、本書を単なる興味本位の「ミステリー小説」(もちろん、本書は小説でないのだが)に終わらせず、一級のノンフィクションとしての価値をさらに高めている。

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「崩壊」が許されない現代社会

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 過去そして現在の人間社会において、崩壊した集団(社会)と存続している集団(社会)の違いについて比較し、考察する。分析のための観点は、(1)環境被害、(2)気候変動、(3)近隣の敵対集団、(4)友好的な取引相手(の不在)、(5)環境問題への社会の対応、という5つの要因である。特に著者が強調しているのは、「環境問題への社会の対応」である。
 現代社会の喫緊の課題は環境問題であることは論を待たない。この点に関して警鐘を鳴らすために、数多くの過去の社会の崩壊の様子を事細かに描写する。そして、崩壊を免れた現代の例を少しだけ紹介する。
 これまで人類には、さまざまな要因でひとつの社会を崩壊させた後、別の場所に移って新たな「崩壊」を開始する、という選択肢があった。未開の土地や、征服すべき新天地が十分にあったからだ。しかし、人口が70億にまで膨れ上がった現在の宇宙船「地球号」には、その余地はほとんど残されていない。過去の教訓からいかにして学び、崩壊を繰り返すことなく、循環的で持続可能な社会をどのように作り上げていけばよいのか。それは人類の試練と言っていいかもしれない。
 次に来る社会の崩壊は、人類そのものの崩壊、すなわち滅亡につながりかねないのである。

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第6の波はテクノロジーではなく「マインド」?

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 シュンペーターが唱えたコンドラチェフの波に関して、いよいよ第5の波が終焉を迎え、第6の波がやってくる、という主張を展開した書。環境に配慮した持続可能な循環社会が、ビジネス的にも実現可能である、ということを豊富な実例を挙げながら説いている。つまり、「コンドラチェフの波」に照らし合わせて言えば、次のイノベーションは「資源効率性」である。そうすると、これまでの五つの波(イノベーション)はテクノロジーに負っていたが、第6の波はマインドの問題ということになる。革新的なテクノロジーが出現するわけではなさそうだ。

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紙の本とんでもなく役に立つ数学

2011/08/14 14:00

数学から社会に連なるいくつかの溝

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 「渋滞学者」西成活裕先生による、数学の授業。生徒は、東京都立三田高校の1年生12名。そういえば、新進気鋭の脳学者、池谷裕二による『進化しすぎた脳』(2004年)という本があった。ニューヨークの高校生に大脳生理学の最前線を講義する、という内容だ。本書と同様、こちらも朝日出版社である。同社お得意の企画のようだ。手軽な企画のようありながら、授業を受けてくれる学校と生徒を見つけるのは結構手間がかかりそうだ。もっとも、プラトンやアリストテレスに遡るまでもなく、もともと学問的な著述というのは講義録の類であった。すなわち、そもそも著述(本)とは、学校での講義が原点なのである。

 本書のテーマはタイトルどおり数学で、あまり数式を使わずに、微分や三角関数の概念的な部分を講義している。微分は、スローモーションのように現実の動きを分解して考えることであり、三角関数とは、円を転がした時の円周上のある一点の動き方である、といった具合である。カオスとか複雑系につながるセルオートマトンの話も出てくる。

 さらに発展して、数学をいかにして社会に生かすか、という点について説く。数学者が象牙の塔に籠ることなく、研究し、明らかになったことをいかに社会で役立てるか、ということである。その最適な例が著者の研究分野である渋滞学なのである。

 また、実社会への還元の道筋として、数学から物理学、物理学から工学、工学から実社会という段階を示している。しかし、それぞれの間には溝がある。まず、数学者は理想的な世界を規定して思考するのに対し、物理学者は生の現実を相手にする。物理と工学の間の溝は、Why(なぜこうなるのか)ということに関心が向く理系的な志向性と、How(どうすれば解決するか)ということに興味を示す工学的な志向性の違いである。最後の溝は、研究の成果が社会のニーズにマッチするか、という点である。いくら優れた研究や技術も、社会で必要とされなければ日の目を見ないのである。

 西成教授は、社会でいかに役に立つかということを常に念頭において、数理物理学を研究しているのである。

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江戸幕府の視点で幕末維新を見る

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 坂本龍馬は薩長側ではなく、幕府寄りの人間だった?

 龍馬は倒幕による薩長独裁の新政府を目指していたのではなく、大政奉還後、公武合体による連合政権を目指していた。徳川慶喜も含めた、諸侯による合議制の政体である。決して徳川幕府を滅ぼそうとしたのではなく、オール・ジャパンの政体を志向していたのである。それゆえ、武力による倒幕を目指した西郷隆盛は龍馬を受け入れることができず、龍馬を暗殺させたのだと説く。龍馬暗殺に関する西郷黒幕説だ(ただし、その物的証拠についてはほとんど言及されていない。憶測と状況証拠だけだ)。

 また著者は、開国、尊皇攘夷の混乱を招いた根本の原因は、攘夷に固執した孝明天皇にあるとまで言う。日米修好通商条約の勅許を与えず、幕府に攘夷決行を迫ったことにより、安政の大獄という事態を招き、それに対抗するために攘夷の嵐が吹き荒れ、社会は混乱した。孝明天皇が幕府の開国案に理解を示していれば、多くの尊い血を流さずに済んだのかもしれない、というわけだ。

 しかし、通常の歴史観では孝明天皇に同情的だ。勅許もなく条約を結んだ井伊直弼は悪者である。そりゃそうだ。幕末維新の歴史は、勝利した新政府に都合よく解釈されたものばかりなのだから。歴史を語るのは常に勝者の側である。敗者は沈黙する。

 それに対し、著者の視点は、敗れた徳川側から幕末~明治維新を見よう、というものだ。勝者である薩長目線の明治史に対する反論である。そういった視点から坂本龍馬を捉えてみると、決して薩長による維新をお膳立てすることが目的ではなく、平和裏に日本を再構築することを目指していたと考えられる。勝海舟や大久保一翁らと通じる思想である。
 開国、そして公武合体による新政府。神仏習合を壊すことなく、江戸時代の高度な文化を継承しつつ、海外とも対等に処していく。彼らの理想が成就していれば、そんな日本が作れたのかもしれない。そうなれば、軍国主義に邁進することもなく、第二次世界大戦に突き進むこともなかったかもしれない。

 薩長独裁政権が作った明治は、それまでの日本の歴史の中で異質な時代であった。それは天皇を奉じたからではない。聖徳太子が貴ぶべきとした「和」を捨て、侵略と闘争に走ったからだ。秀吉の朝鮮出兵以来の暴挙だったかもしれない。

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子どもは社会の宝

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 日本経済の抱える問題点を30の論点に整理、その処方箋を提示する。問題の所在と提言は見出しに端的に表されている。

 もっともだと思うことが多いが、子ども手当てに対して一言。子ども手当てを短期的な経済効果という観点から論じているが、この補助金にはもっと大きな視点が必要だと思う。

 子どもは誰のものか? 子どもは親だけのものではない。社会のためにも必要な存在なのである。将来の社会の担い手だからである。つまり、子どもは社会全体で育てなければならないのであり、そのために子どもを持つ親に相応の援助をすることは理にかなっている。それが子ども手当の本質的な意義だと思う。

 年功序列型の賃金体系が崩れつつある現在、年齢と共に所得が増えることが期待できなくなり、子育ての経済的負担は増している。子どもの養育費が扶養家族手当として勤務先から支給されるケースも多いが、これもまた問題を含んでいる。子どものいない従業員にとっては不公平な制度だからである。企業にとっても負担であり、その分の支出を他に回したほうが経営効率が上がるかもしれないし、社員の士気も高まるかもしれない。

 税金によって子どもの養育費を援助する仕組みができれば、企業の扶養家族手当(この恩恵に浴していない人も多いと思うが)は廃止してもいいかもしれない。

 また、子ども手当てに対して子どものいない納税者からは不満が出るかもしれないが、いずれ子どもたちが成長した暁には、彼らの負担によって医療費や年金が賄われるのである。子どもがいない人も将来は子どもたちから恩恵を受けるのであるから、その分を今、先行投資するという考え方には納得してもらえるはずだ。

 企業負担の扶養家族手当を税負担の子ども手当てにシフトすることにより、企業内での不公平感が解消し、社員の士気も高まり、生産性も増すかもしれない。子ども手当てからそんな経済効果は期待できないか?

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日本こそ21世紀の世界の手本  成熟

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社会の手本として、21世紀の世界をリードするのは日本である、という主張が込められた本である。豊かな自然に恵まれた辺境であるがゆえに独自の高い文明を築き、成長段階から成熟段階の社会へと向かいつつある日本は、世界の手本にならなければいけない、と著者は述べる。21世紀のキーワードともいうべき「環境」「安全」「健康」に関して、高い技術力を持つ日本は世界の先進国である。それを世界に広めていくのがこれからの日本の役割である。日本人は、自信を持って日本の良さを認めよう。そして、世界に対して発信していこう、というわけだ。

 辺境という意味は、中国文明や近代西洋文明という世界の中心から離れた位置にある、ということである。これらの「表」「正」の文明に対して、日本は独自の「裏」「負」の文明を築いてきた。世界の中心にある「表」「正」を認めつつ、辺境の「裏」「負」を日本独自のものとして育ててきたのである。それが日本の二重性、デュアル・スタンダードを作り上げた。しかも、日本が外国と戦争をしたのは、国家らしきものが成立して以来千数百年の間に3度しかない。白村江の戦い(663年)、元寇(1274、1281)、朝鮮出兵(1592、1597)である。このうち、日本を戦場として戦ったのは、元寇のみである。他国に侵略された経験がないのだ。日本海の荒波が異民族の侵略を阻止し、平和が維持された。これも辺境ゆえの特権であり、そのおかげでぬくぬくと独自の文明を築くことができたのである。

 その独自の文化こそが、自然を大切にする環境意識、人々が安心して暮らせる平和で安全な社会、豊かな食生活による健康長寿を生んだ。まさに、これからの世界が求めるものばかりである。西洋は再び没落しつつある。20世紀の覇者アメリカにもかげりが見られる。そんな状況で、世界が日本に注目しているのである。

 ところで、日本の良さを論じるために料理や海産物に多くのページを割いている点はどうかと思う。本筋のテーマからの逸脱を感じる。全体的な構成が甘いのだ。

 また、後半になると、引用ばかりである。テーマに関して著者自信の思考が熟していないという印象を受ける。もう少し論点を整理し、論証をしっかり組み立てるべきだったと思う。その点が残念である。

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秀忠こそ、徳川家繁栄の功労者

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 徳川秀忠は、忍耐強く律儀に父・家康の意向に従ったために二代将軍としての地位を保つことができたというのが一般的な評価だ。その通りであろうが、家康亡き後、厳格に幕府の掟を適用し、それに違反した者は容赦なく処分し、徳川家支配の体制を盤石なものに仕上げていった。その意味で、秀忠こそ徳川幕府の基礎を築き、260年に及ぶ支配を可能にした功労者と言えるであろう。そんな秀忠の行跡を数多くのエピソードを交えて紹介した評伝である。
 秀忠の律儀で厳格な性格は、乳母(養育係)の大婆局(おおばのつぼね)の影響によるところも大きかったようだ。彼女は賢く慈悲深く、しかも懐の深い女性だった。それでいて厳しさも兼ね備えていた。臨終の際、配流されていた自分の息子を許してはいけないと、秀忠にきっぱりと言っている。天下の大法を曲げてはいけない、というわけだ。そんなしっかりした女性に育てられたおかげで、二代目としての器量を涵養することができたのだろう。

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紙の本エベレスト登頂請負い業

2011/05/26 07:05

エベレストの雪豹

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 日大山岳部出身の登山家であり、フリーのカメラマンでもある村口徳行による、4人の著名人とのエベレスト登頂記。

 村口氏は、プロのカメラマンであるとともに高所登山の専門家でもある。エベレストのような過酷な山は登るだけでも大変なことなのに、重い機材を担いで行って撮影までするのである。常人のできることではない。しかもこの人は、ただ登るだけではなく、同伴者に合わせてタクティクス(行動予定表)を組み立てたり、必要な資材の手配や登頂に必要な手続きまでやってしまう。

 もっとも本人は、エベレストに登ることは、「ある程度の体力と技術さえ持ち合わせている健康な人」であれば十分可能だと述べているが(p222)。しかし、実際にエベレストに登ろうと思ったら、体力と技術にプラスして、十分な暇と莫大な資金が必要である。現地入りしてから頂上にたどり着くまで、高地順応のトレーニングを含めて2か月はかかる。また、多数のシェルパを雇い、必要な物資を揃えるには、それなりにおカネがないと無理なのである。

 エベレストに登っているといろいろなものに出会う。不幸にして亡くなった登山者の遺体との遭遇は日常茶飯事だ。極限の高所では、遺体を回収したくてもそのすべがないのである。それでもワシの死骸程度なら大丈夫だ。石を積み上げて葬ってやったりする。生きた生物としては、6600メートル地点でユキヒョウを目撃した(p11)。ヘミングウェイは、キリマンジャロの頂に、死んだ豹の亡骸があると書いたが、それよりも高所である。キリマンジャロは6000m弱。何を求めてここまで登ってきたのか。おそらく、そこに「餌があるから」、だろうと思う。

 ところで、通常エベレスト呼ばれている山は、チベット側ではチョモランマ(「母なる女神」という意)、ネパール側ではサガルマタと呼ばれる。エベレストは、イギリスがインド(ネパール地域を含む)を支配していたころに、インド測量局長官にちなんで命名された呼び名だ。1988年、村口氏2度目のエベレスト遠征の隊の名は、「中国・日本・ネパール チョモランマ/サガルマタ友好登山隊1988」というものだった。

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