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長崎夏海さんのレビュー一覧

投稿者:長崎夏海

25 件中 16 件~ 25 件を表示

紙の本

紙の本口で歩く

2001/08/24 17:13

人の中で生きる

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 障害者のタチバナさんのたくましさがユーモラスで、一緒に散歩してみたくなる本。人は支え合って生きていること、人と共に生きていくことを、一瞬の出会いの中から語ってくれる。
 タチバナさんは、20歳すぎても小さな子どものような体です。寝たきりなので、生まれてこのかた歩いたことがないので、背骨も足もニボシのように曲がっています。
 でも、タチバナさんは、散歩が大好き。なまけん棒で障子をあけ、さわやかな空を見て、さっそく出かけます。お母さんにへんてこりんなベットのような車にのせてもらって、玄関の外へ。そこからは一人。のんびり空を眺めながら、だれかがくるのを待つのです。
 はじめに通りかかったのはにきび面の青年。青年はしぶしぶ車を押しはじめ、なんとはなしにしゃべっていくうち、だんだんと話もはずんできます。「大変だなあ」と言う青年に「べつに。だってぼくはこうしてねそべっているだけですから」と答えるタチバナさんのまわりには、ゆったりとした空気が流れているようです。青年は「もっと先まで押していく」と言いますが、タチバナさんは断ります。
「いや、きみはここまでの人。ここからはまつぎの人。そしたら、ぼくはもう一人、また別の人と知り合えるだろ」
 タチバナさんは、頼んで、しゃべって、そう、口で歩いていくのです。ノートには、そうして知り合った人の名前がたくさん書かれています。散歩というより旅のようです。
 タチバナさんの出会いは続きます。神がかりのおばさんにはまいってしまって、いたずらをして追い返しました。公園で出会ったおじいさんはひとしきり愚痴をいうと、「また、わしの話しをきいてくれよ」と車は押さずに帰ってしまいます。でもタチバナさんは思うのです。——おれも捨てたもんじゃないぞ。こんなおれをたよりにしてくれる人がいるんだもんな——と。
 学校に行っていない男の子に出会った時は、いろいろ質問して、途中で帰られてしまいます。タチバナさんは心の中に土足でふみこんでしまったと、ため息をつきました。それから、自分から声をかけてくれた美人にぼうっとしたり。「あなたと話をしていると心がやすらぐ」と言ってくれたご婦人にも出会いました。「わたしがあなたをささえているようにみえて、実はあなたもわたしをささえてくれているのですよ」と。そのご婦人が書いてくれたノートをひらくとひまわりの絵が描かれていました。
「人の世話になってまで散歩するな」とどやされた時は、くやしくて落ち込みます。
でも、帰り道は、さっき車を放りだした男の子が待っていて黙って車を押してくれ……とにかくいろんな人間がいて、いろんな考えがある。その中に飛び込み、人のぬくもりを感じていくタチバナさんがとてもすてきだ。

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紙の本

紙の本かみなり雲がでたぞ

2001/07/27 14:29

がんばるっていいな

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 二年生のいさむのこわいものは、かみなりです。きょうも、サッカーをしているときにかみなり雲がでました。かみなりは遠くでごろごろなりだし、夕立がきそうです。
 いさむの家ではかいこを飼っていて、夕立の前にハウスのこもをはずし、ビニールをおろさなければなりません。それは、いさむの仕事でした。
 いさむは、急いで家に帰って、仕事を始めます。なんとかおわらせたとき、雨が強くなりました。かみなりもだんだん近づいてきます。いさむは、りゅうのようなかいぶつが空でうねって、よわむしのいさむをねらっている気がしてなりません。こわくてふるえていたとき、カツンと音がしました。ひょうです。ひょうがふると、ハウスのビニールをやぶってしまうので、こもをかけなければなりません。いさむは、前にひょうがふったときのことを思い出しだしました。おとうさんとおかあさんが必死で働いていた姿です。いさむは、おとうさんの合羽をきて嵐の中にとびこみました。かみなりはこわいし、大変な仕事でしたが、いさむはやりとげました。びしょぬれで冷たいはずのいさむのからだは、あつくてほこほことねつがわき上がってくるようでした。
 がんばったあとの喜びを、真正面からとらえたすがすがしい作品。そして、がんばる力になっているものも作者は伝えてくれる。ひとつは、おとうさんとおかあさんの姿——理屈ではなく、日々働き、生活している当たり前の姿だ。いさむは、自分の足で立つ誇りを、毎日の中からしっかりと受け取っていたにちがいない。それからもうひとつは、自分を弱虫と知っている力だ。
「こわいものをもっていることは、まけられないと思って、いきていくことじゃないだろうか」という作者の言葉が、じんとくる。

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紙の本

紙の本からだっていいな

2001/05/25 18:54

からだの声

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 たとえば、手のデッサンをしようとしてじっと見つめていると、自分の手なのに自分のものではないような気がしてくることがある。そして、なんだか手ってふしぎだなあと思ったりする。さらに見続けていると、こんな手を持っていることが、楽しくてうれしくて、笑いたくなってくる。
 そんなふうに、ふだん意識していない自分の体の存在に気がつかせてくれる絵本。読後の感想は、まさに「からだっていいな」だ。
 ページをひらくと、インパクトの強い男の子の絵。かわいい絵ではなく、どちらかというと汚くさえ見えるのだが、体温と命の鼓動を感じさせる絵だ。そしてリズミカルな文章。
『めがさめた。ちきゅうといっしょにめがさめた。ぼくのからだのたいようものぼりはじめた。めがさめた。』
 木にのぼって、犬をだいて、おならをして、かけっこをしてころんで、くるまいすのれいちゃんとピクニックして、笑って、眠って……。
 感情からでなく、体で感じること、感触から人間にせまっているところが新鮮だ。
 じぶんでくすぐってもくすぐったくないのにだれかにくすぐられるとくすぐったくてたまらないのは、どうしてだろう。だれかになでてもらうときもちいいのはどうしてだろう。そんな不思議。
 おねしょや、むしにさされてかゆくてがまんできなくなって、ときどきからだがいやになるときも、やっぱり自分の体を、意識する。
 じっとして、かぜの音に耳をすませる場面は、体の上をさらさらと風がとおりすぎていく感触を思い起こさせてくれる。
 体があることがうれしいし、自分の体をだきしめたくなる。それは、命とまっすぐにつながっているという実感だ。

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紙の本

紙の本竜と舞姫

2001/04/06 17:52

運命に翻弄されながらも自分を生き抜く物語

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 時は宝亀8年(777年)、遣唐使節団の翼の従者として唐にわたった14歳の小麻呂は、唐に残って修行し、医薬を学び、りっぱな医師となって日本に戻る夢がある。父は、まじめで従順な下級職人。駄馬のように使われて家族には布の一反も残さず死んでいった。そうはなりたくないのだ。なんとか出世して、母や妹に楽をさせてやりたい。「たとえ今は泥の中のどじょうでも、竜門の急流をのぼりきり、天翔る竜になってみせる」という野心=意地が、泣かせる。
 しかし、そうそううまくいかないのが人生というもの。唐で果てるか、夢を捨て帰国するか——。選択を迫られ、小麻呂は帰国の船に乗る。唐と日本の両方の血をひく少女、喜娘もまた、日本で生きる決意のもとに同じ船に乗っている。ところがその船は、なんと嵐にあってしまう。銅銭の穴より小さい生きるのぞみを信じ生き抜いていこうとする人の強さと、生き残るために他人の死を願ってしまう弱さが、ぐっと胸に迫る。
 翼の唐によせる想い、弟さがし、翼と小麻呂との亀裂と信頼。そして身分ちがいの恋。
さまざまな物語が交錯し、わくわくどきどきする物語になっている。と同時に、それは、人は、さまざまな事柄、時代、人間とかかわりあって生きていくものなのだと実感させてくれる。
さて、喜娘は、山部親王の側女になるよう迫られている。それが名誉だし、唐と日本の友好に役立つと。だが、喜娘は思う。男が一方的に女を求めるところに、友好などありあえない。愛のない名誉などいらないと拒む喜娘だが、それは許されぬこと。・・・すぱっと身分をすて、自分を貫く喜娘のいさぎよさがカッコイイ!!!! 喜娘は、唐人と日本人の血を受け継ぐ者として、ふたつの国の架け橋となる生き方を模索していく。そして、あれほど出世を夢みた小麻呂も、どじょうのためになにかできる人間でありたいと、あらたな夢を抱いていく・・・。
 運命に翻弄されながらも、自分の生きる道を選び取っていく姿が感動的。
 遣唐使の役割、食事、献上物、胡旋舞、宦官の存在など、細部も興味深い。(継人のキャラもしぶいぞ!)

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紙の本

人生は、へんで愉快でパワフルで哀しくてしあわせだ!

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 つるつるしわしわの1才から、つるつるしわしわの80才になるまでを描いた絵本。といっても、昔を思い出してしみじみなんて話じゃない。「年をとっても、はらはらどきどきはやめられない」というこの老夫婦、なにしろぶっとんでて、お年寄り=枯れてるというイメージをぶっちぎってくれている。
本をひらくと、老夫婦と孫の絵。洗練された線で描かれた子どもの顔はかなり不気味。そこにつけられた言葉は、「おじいちゃんもおばあちゃんもどうしてそんなにつるつるでしわしわなの」。丸っぽい字体の、丸っこい言葉と不気味な絵がらのバランスが、これはなんだかへんな本だぞと予感させる。
 さて、予感は的中。学校はかいじゅうがバクバクかじってるし、生まれた子どもは火の輪くぐりをしているし・・・。おじいちゃんはナイル川でワニあいてのレスラーになっちゃうし。
 「へんすぎる」と笑っちゃうけれど、反面妙に納得しちゃう。たとえば「はしったりとんだりするようになってねえ」という言葉がついた絵は、赤ちゃんがへびの上で片足立ちしているのだけど、そういえば、走ったり跳んだりするようになるって、「こんなにすごいことだよねー」っと思えちゃう。そんなふうに、その時の気持ちや気分を含めた絵なのだ。
 くすくす笑いながらページをめくりながら、「人生」を感じさせてしまうのだから、ほんとに、この作者、ただものではない。
 ラストは、「死んだらリサイクルにでもまわしてくれ。タコにでもミミズにでも玉葱のつけものにでも・・・となって、一番最後の言葉でホロリ。人生って、へんで愉快でパワフルで哀しくて、しあわせだ!

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紙の本

紙の本故郷

2000/10/27 16:08

自分をつくった故郷への深い愛

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 北海道の農村。一九五〇年代末から六〇年代初頭を過ごした作者の自伝的作品。
 家族と暮らし、人とかかわり生きていく中で見てきたものの豊かさが、時代、風景とともに描かれている。
 こきつかわれる百姓を呪いながら過ごした日々をも含めた故郷への愛と、目の前の現実から出発する力強さが胸を打つ。
 りんご畑、とうきび畑。台風。嫌な仕事、楽しい仕事、りんごや小豆の選別、草刈り、とうきびもぎ……。働きながら聞く、目の見えない祖母の語り。開拓のころの話、じいさんの話、父が進駐軍の兵隊と英語で話し合って酒と酢をまちがえてわたした話、熊がぺかーんと鳴く話。
 農業の近代化。農業の未来について話し合う兄。百姓の女は、簡単に死なないと言い切り、持病を押して働く気丈な母。政治にも商いにも手を出して一家を離散させ、息子や娘たちの家を転々としている森谷の祖父。美しい言葉を並べた徒会の演説原稿を「ことばのあやばかりだ」ときっぱりと言い放つ祖父の言葉は重みがある。
 百姓に学問は必要ないといわれる中で、大学受験をめざす主人公。「なんでおれは百姓なんだ」と呪いながら、畑にでる。「家の仕事さぼってえらくなったって、どうせろくな人間にゃなれない」との言葉を心のどこかで認めながらもかたくなに拒み、具体のちっとも見えない自分の人生を求めていく。
 主人公は東京の大学に行き、母の死で故郷に戻る。しっかりと足をつけていきている妹たち。離農する決心をした父。
 故郷にむかって、人にむかって語る言葉=中身のある言葉を欲っする主人公の思いが、感動的だ。

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紙の本

紙の本ムシの方舟

2000/10/27 12:24

生命の炎

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 中途半端な「癒し」なんかいらない! という人に、おすすめの本。眠れない夜に、しんとした音の中で、ぜひ読んでください。
 六編の物語からなる短編集。どの作品にも傷ついたものが登場する。人間、鳥、狼、森・・・。
特徴的なのは、場面がビジュアルとして見えてくるところ。たとえば、森の木にびっしりとまっている炎のような「ボウボウ鳥」。たとえば、コタツになる猫、空を飛ぶ羊・・・。イメージがぱっと浮かんで、心に残る。もしピンとこないものがあったとしても、何かの時にふとその場面が浮かんできて、ああそうだったのかと、納得したりする。
 表題作の「ムシの方舟」の主人公は、傷つけられた鳥をたくさん身体にとまらせている。まわりの人は主人公を変な目で見るようになり、主人公はその目におびえたあげく怒りの目でまわりを見るようになってしまった。殺伐とした心の救いを求める主人公を迎え入れたのは、森の中の方舟。作ったのは「ムシ」という老人。主人公は、ムシがだしてくれる美しいものばかりの中で幸せな時をすごすのだが・・・。ある時、ムシの中から赤く燃えるような鳥が出てきた! 自分の力でなにひとつしようとしない主人公に怒りをぶつけ、崩れ去るムシ・・・。
 
 ぎょっとさせられながらも、なぜかつらくない。人を責めようとはしていないし、「本当のことが書かれている」と思わせるからだ。
 生きていくのは、なんらかの形で他のものを傷つけ、ふみにじっている。そんな自分を、他人を許すとはどういうことか。
 心の闇をかかえながら、どう生きたらいいのか。命とはなにか。 他のものと生きることとはどういうことか。
 そうしたすごく大切な問いかけが、この本の底に流れている。そして、それを感じ取ったとき、なんだかとても優しい気持ちになれる。

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紙の本

紙の本ねこざかな

2000/10/02 15:37

ナンセンスで、楽しくて、かわいくて、そして人生

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 くいしんぼうのねこが、さかなをつりました。にんまりしながら、おおきな口をあけてさかなをたべようとしてびっくり。さかなもまけずに大きな口をあけたのです! ぺろりっとのみこまれたのは、なんと、ねこのほう。
 さかなの中にすっぽりおさまったねこ。ねこざかなのたんじょうです。こうなったらなったで、これもまたいいんじゃない? という二匹。「ふんふふーん」とさかなが歌えば、さかなの中にいるねこも、「にゃんにゃにゃーん」と歌います。
 なみのりをしたり、木のぼりをしたり、フラダンスをしたり、おひるねしたり・・・。青と黄色とオレンジで描かれた絵がなんともしあわせそう・・・。

 それでもやっぱり、ねこはねこ。さかなはさかな。よりそいながらも、自分を生きることを忘れない誇り高き二匹なのです。
 となりのだれかと生きること、いまある状況をうけいれて楽しむこと、自分を生きること・・・。ねことさかなの出会いと別れが、人生を語ってくれる。

 ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞推薦・ミュンヘン国際児童図書展優秀絵本推薦。

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紙の本

紙の本ないしょ!

2000/09/01 17:09

いつだって胸いっぱいの子どものないしょ話。

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いつだって、胸いっぱいの思いをかかえている子どもの心を、ないしょ話をするように描かれている絵本。
 だれにもいえないひみつをかかえて、ありさんをぎとぎとにふみつぶしちゃう思い。万引き。やきもち。地球がサバクになっちゃう恐怖。なんだかやるきがない感じ。なんだかなっとくしない思い。
 良いとか悪いとか、そんな判断はいっさいなし。だってそう思うんだもの……というところがていねいに描かれている。だから、私って嫌なやつかも……と落ち込んじゃった時に読むと、ほっとできる。自分の中に生まれた感情は、全部自分のもの。責めたり、落ち込む前に、大切にしようよ。そんな気分になれる。
 楽しいないしょ話もたくさんある。雨のさかいめを見たり、ゆうくんをすきってむねをはったり、りんごの木が飛ぶ話をした男の子と出会ったり、ぜんぜんできなかったテストのうらに書いた落書きにはなまるをもらったり……。
 芽をだしたあさがおをみてよろこぶおかあさん。赤とんぼをゆびにとまらせるおとうさん。人って、いろんな風景と、いろんな人と、いろんなできごとのなかで生きてるんだねと、思わせてくれる。
 絵は長谷川知子。毎日を精一杯おくる子どもを生き生きと描いている。

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紙の本

毎日はこんなにも輝いている!

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 主人公は、北海道に住む高校三年の芙雪。人の心の震えを感じ取り、だからこそ黙ってしまう不器用な少女。どこにでもいる目立たない、どちらかというとぼおっとした感じの少女のなんでもない日常が、とてもきらきらと輝いていて、ああ毎日ってすてきだなあと感じさせてくれる。

 好きな人への思い。進路についての悩み。家族との葛藤。夢。友情。きっとだれもが体験し、またはだれもが体験するだろう出来事。芙雪の感情、感覚のひとつひとつに、「わかる、わかる」「そう、そう」と、うなずきたくなる。日常の中で漠然と感じてていて、言葉にはできなかった気持ちを、「私の言いたかったのはこれなんだよねー」とピタッと言ってくれてるのだ。

 自分がこの世の中で一番むだな存在に思えて、ためいきをついちゃう気持ち。そんな気持ちをそっちのけにして選択をせまってくる現実。気持ちの通じない大人へのいらだち。芙雪は、うずくまりそうな思いをかかえながら、自分が何を大切にしてきたいのかを見つめていく。
 
 恋することでひろがっていく自分。ささいな仕草や言葉でドキドキする心。自分以外の人を大切にしたいと思う心。守ってあげたいと思う気持ち。キスをして、人間ってあったかいんだなあと発見したこと。みっともなくても電話せずにいられないせつない気持ち。
どれもが、芙雪の大切な想いだ。自分の中に生まれてくる感情をありのまま受けいれて、新しい自分を発見していく。そのおおらかさ! 物語を読みすすめるうち、「どこにでもいる」少女は、芙雪でしかない個性だと気づかされる。
 
 友だちの胸の痛みを自分のうずきと受け止め、なにもできないけどそばにいたいと思う気持ち。好きな言葉。通りすがりの人。雪の匂い・・・。自分をとりまくすべてのものを抱きしめたいと思う芙雪。やっぱ、大切なのは愛、なのだ!

(長崎夏海/児童文学作家)

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