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  3. 更夜さんのレビュー一覧

更夜さんのレビュー一覧

投稿者:更夜

201 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本

紙の本琥珀捕り

2016/05/04 18:20

だまし絵のような世界

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

めくるめくような物語がまるで百科事典のように詰め込まれた、まさに凝縮された琥珀そのもの。
これが小説か、と言われると起承転結のあるものではなく、これほど内容を説明しにくい
物語もありません。

あえて言うならば「琥珀についてのあれこれを語り尽くします」

キーワードが各章AーAntipodes、Bーberenice・・・とアルファベット通りにZまで26章。
父が著者に語った物語もあれば、ギリシャ神話、歴史、宗教、発明とにかく百科事典的蘊蓄満載。
しかし、そこはかとなく漂う諧謔味。
頭固い学者の言う事なんか全然気にしていませんという一種の開き直りすら感じます。

次々と博覧強記の叙述もあれば、冒険王ジャックの怪談話もあれば、オランダ絵画についての
蘊蓄もあり、バラエティに富んだ、トンデモ物語。

次々と繰り出される物語に流されて、急いで読むとすぐに前が何だったか忘れてしまう・・・
しかし、それが著者の狙いなのではないでしょうか。
毎晩、一章ずつ読んでいく、千夜一夜物語。

とにかく物語を語るヨロコビにうちふるえているような、うっとりとした、時にぴりりと
皮肉とユーモアを効かせ、ホラ話もあれば、昔話もある、怪談話、奇譚もある。
「琥珀」をキーワード物語が紡げるんですよねぇ、とでもいわんばかりの
あふれだす言葉。

著者はもと詩人だった、というのがよくわかる言葉の選び方と日本語訳のなめらかさでもって
読者は困惑しつつも、この物語の数々にひきこまれていく。

各章が独立しているかと思えば、最後までよむとしりとりのようにつながっているのがわかると
いうパズルのような物語集。
だまし絵という表現もいいかもしれないです。

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紙の本

紙の本キップをなくして

2016/05/04 18:00

日本版行きて帰りし物語

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者の池澤夏樹さんは、イギリス児童文学を目指した(『ホビットの冒険』『指輪物語』
『ナルニア国ものがたり』など「行きて帰る」物語)との事ですが、池澤夏樹さんらしい
スマートさがあるけれど、イギリスの児童文学はもっとしつこくて、こってりしているかも。

 時代は1980年代。
小学生のイタルは趣味の切手コレクションの為に有楽町へ行こうと山の手線に乗るが
降りる時にキップをなくしていることに気がつきます。
その時、年長の少女に声をかけられ、ついていくと東京駅に。
東京駅には「キップをなくして外に出られない子供たち」がステーション・キッズとして
集団生活をしていました。

 イタルも仲間になって、東京駅での生活が始まります。
大体の子は、キップをなくした子ですが、ミィちゃんという女の子はホーム転落事故で
死んでしまった女の子。

 物語はミィちゃんが天国に行くという決心をして函館にみんなで行く所までひろがります。
東京駅からは日本各国どこへでも行けるのです。
ここら辺は北海道出身の池澤さんが子供の頃大好きだったという鉄道の様子が生き生きと
描かれています。

 後半、生と死という児童文学(特に日本)ではタブーとされている事柄について
触れていますので、完全子供向けではないかもしれません。
死んでしまったらどうなるのか?子供たちの素朴な疑問。
それについては、少々、理屈っぽくなっていて、それでも嫌味ではないからさらりと
読めます。

 朝の通勤ラッシュの駅のホームで、目に見えない子供たちが走り回っているのかも
しれません。ネバーランドのピーターパンのように。

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紙の本

紙の本小さいおうち

2016/05/04 13:27

よい女中なくしてよい家庭はない

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「よい女中なくしてよい家庭はない」

  昭和の初め、山形から東京に出て来て、景気の良かった玩具会社の常務の家の
女中となったタキさん。
女中やお手伝いという言葉には、どうも身分が低いというイメージがありますが、
一生、独身で色々な家庭の女中や家政婦をしたタキさんから言わせたら
「百の夫婦がいれば百の家庭がある」それくらい女中という仕事もピンからキリまで
多岐にわたっていた、ということが最初に語られます。

 現代になって、年老いたタキさんが昔を思い出して手記を書くという形をとって
14歳で初めて東京に出て、女中奉公した家の思い出を語ります。
昭和3年生まれの田辺聖子さんの『欲しがりません勝つまでは』とあわせて読むと
興味深いのですが、もちろん後から知る歴史的には日本はずっと戦争ばかりして
いたのです。

 しかし、当時の上流家庭では戦争の影はなく、むしろ景気がよくて再婚になる
けれど旦那さんと奥様はとても仲むつまじい。
連れ子であるけれども恭一という男の子もかわいがられて、女中のタキさんも
「タキちゃん、タキちゃん」と呼ばれて家族同然の暮らし。
全体的に明るい雰囲気が漂っていて、タキさんが、家事から何からきちんと
きれいに「頭の良い女中」である、ということがよくわかる細かい描写が
すばらしい。

 どんなお料理をどんな季節に出していたか、奥様から何を学んだか、女中といっても
親同然の責任を持つという昔の裕福な家庭の女中という立場がとてもよく
わかります。
幸田文の『流れる』は、落ち目の芸者の置屋の女中になった中年女性の物語ですが
しっかりものでないと勤まらないという点では同じ。

 タキさんの手記を甥の次男の健史が読んで、戦争中なんだからこんなはずはない、
などと口を出すのが、最初はイライラするのですが、これが最後まで読むと
タキさんの意志を継ぐのは健史だったのだ、という中盤からと後半の流れががらっと
変わる凝った構成です。
お金持で仲の良い夫婦だけれど、奥様の前に美術学校を出たという若い板倉という
社員が現れる。


 昭和初期の日本の浮かれ具合と、だんだん敗戦色濃くなってからのきつさが
よい対比になっています。
今でも家政婦さんがいるような家庭というのは、限られているけれど、普通の家庭とは
違う奥様の様子に敏感になる、まだ若いタキさんがやはり賢い女性だったと
つくづく思うのです。

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紙の本

紙の本海うそ

2016/05/04 13:24

静けさとさびしさをなくしてしまった現代

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

昭和初め、南九州近くの離島での人文地理学のフィールドワーク。
その行程が土地の人との交流を含め、ゆったりと描かれます。
自然、気象、生活、歴史、地理なんでも調べる事になりますが、主人公は急がない。
期限のない、終わりのない調査。
鳥の声に耳を澄ませ、海うそと呼ばれる蜃気楼を見る。
時を経て、なくなってしまったものを丁寧に書き出しますが、それを元に
戻そうという事もしない。淡々と受け入れる。
そんなしんとした心持ちになる物語。

 梨木香歩さんの小説はだんだんストーリーはシンプルになっていくけれど
文章は奥深くなっていくようです。
架空の島を舞台に、声高ではなく自然や人との関わり合いを描きながら
ふと、さびしくなるような気がします。
鳥が鳴き、カモシカが音なく近づき、山の中は異界という風に
どんどん異界の中へと入っていく。

 昭和の初期から50年後の開発計画真っ最中の時代へ。
昭和初期といっても、明治の時代からすれば変わってしまった離島。
さらに50年、観光地化が進む島。
一時期、気難しくなってしまった梨木香歩さんの小説ですが、
この物語は、気負いなくすんなりとしていて、奥深いけれども
押しつけがましくない。
娯楽性はないかもしれませんが、文学性はある、という物語。

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紙の本

紙の本考えるマナー

2016/05/04 08:58

マナーは法律ではないものの・・・・

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

自己啓発本のようなタイトルですが、読売新聞に「たしなみ」として12人が書いた
コラムを集めたもの。
町田康さんがいるのだもの、単なる自己啓発本にはなりません。
マナーといっても「そうめんのマナー」とかこういう見方もありなのね、という
エッセイ集に近いかもしれません。

 新聞連載時は最初が佐藤優さんで次が穂村弘さん、鷲田清一さん、
町田康さん、三浦しをんさん、赤瀬川原平さん、平松洋子さん、
楊逸さん、高橋秀実さん、劇団ひとりさん、井上荒野さん、
最後の津村記久子さんが2014年3月まで。
本ではそれがばらばらになっています。

 読んでみるとかなりボリュームがあり、平松洋子さんの視点が非常に興味深く読んだので
まとめて読みたかったですね。
以下、気になったものをいくつか。

町田康さんの「目線のマナー」
私は目線という言葉が嫌いで使わないのですが、町田康さんは逆に視点や視座という
言葉はもう使われないから目線という言葉を使うそうです。
ただし、条件があって
「目線というのは、その特質上、低ければ低いほど尊いのである。そして高ければ
高いほど無礼なのである」
だから「国民目線で・・」というのは逆に国民を低く見ている(使い方によっては)
という「目線」という言葉の使い方の難しさを書いています。納得。

平松洋子さんの「スポーツジムのマナー」
平松洋子さんの書くことは楽しい事ばかりでなく、はっとするような気付きを
促してくれます。
長年通っていたスポーツジムで学んだ事。「古株のお歴々の御機嫌を損ねない」
馬鹿丁寧な言葉使いから、非常に気を使われた事がうかがえます。
人の集まるところ、(ネットでも同じ)常連さんとか古株とか必ずいますよね。
牢名主的存在。序列というか。
気にならない人は気にならないので、威張りまくりの世界というのを鋭く見抜いて
います。

穂村弘「いちゃつきのマナー」
電車の中で人目をはばからずいちゃつくカップルを目にして戸惑う穂村さんが
目に見えるようなエッセイ。
穂村さんは恥の人だから、日本人には「公共の場でいちゃつく」は今の日本では
まだだろう。という考察が脱力していてうなずきつつも笑ってしまいます。

大体が軽いノリで書かれていますが、佐藤優さんは重いです。
「裏切りのマナー」では「裏切りにマナーはない」とばっさり。

楊逸さんは、中国と日本のマナーの違い、こんな所が違うのか、という文化比較が
興味深い。お辞儀、スリッパ、書店のブックカバーやスーパーのボリ袋、割り箸・・・

まとめて読むと結構、空気を読むとか人との距離について考えてしまうので、
前半は電車の中とかぽつぽつ読んでいたけれど、後半は一気読みして
少々疲れました。マナーは法律ではないから人それぞれの部分があって
ただ自分のルールを押し付けるのではなく、マナーを守って人と接する心の広さが
必要なんですね。

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紙の本

紙の本眺めのいい部屋

2016/05/03 19:38

ラブロマンスと身分差と。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1987年日本で公開になったジェイムス・アイヴォリー監督の映画『眺めのいい部屋』の
原作です。
1908年に刊行されたというもうイギリスの古典というべき小説かと思います。
映画は結構、公開時話題になって「素敵なイギリス」という印象でした。
キャストが主人公のルーシーが、まだ、魔女役とかやらない若々しいヘレナ・ボナム・カーター、
婚約者のセシルをダニエル・デイ・ルイス、ルーシーのイタリア旅行の付き添い、
シャーロットにマギー・スミスといい役者さんをそろえていました。

 原作を読んでみるとイギリスの階級制度の微妙さというのがよく描かれていました。
ストーリーはシンプルなのですが、階級をまたいだ人間関係の煩雑さが丁寧に
描かれており、日本にはない感覚だと思いました。

 亡き父が弁護士だったということは、UPPER MIDDLE である主人公の若き女性
ルーシーは、付添人シャーロットと一緒にイタリア、フィレンツェに旅行に来ました。
残念な事にホテルの部屋は庭に面していて「眺めがよくない」
そこで同じホテルに泊まったエマーソン父子から、眺めのよい部屋とかわってもいい、と
申し出られます。

 ここで問題なのは、エマーソン父子がLOWER MIDDLEらしいという事で、
もう、ルーシーはともかく老婦人のシャーロットは関係を持とうとしない、
親しくなろうとしないのです。だからえんえんと話しがこじれてしまう。
気まずい会話の空気、イタリアに来てもイギリス人同志で固まっているくせに
その中には階級差がある、というややこしさ。

 イギリスに戻ったルーシーは、働く必要のないUPPER(貴族や大地主など)クラスの
男、セシルからプロポーズされ、婚約。
しかし、近所の空き家にエマーソン父子が引っ越してきました。
エマーソン氏の息子であるジョージは寡黙ながらルーシーを愛し、その気持に
気づいていながらセシルという婚約者を持つルーシーのぎくしゃくとした関係。

 ジョージは言います。
「君はヴァイズ(セシル)とは一緒に暮らせない。彼は知りあいというのが一番
ふさわしい男だ。社交界と教養のある会話だけで生きる男だ。彼は誰とも親密に
なれない男だ。まして女と親しくなるなんてことはできない」

 ルーシーとジョージはひかれあうのですが、作者フォスターが力を込めて
描くのはセシルという男の性格だったり、外見だったりして、ジョージには
そんなに筆を割きません。
だから、セシルは確かに教養と身分を振り回す嫌味さをもっているけれど、
古風な騎士道精神も持ち合わせて、身なりも洗練された、しかも結婚すれば
働く必要などない貴族クラスの男であることが強調されるのです。

 時代はヴィクトリア朝が終わって新しい20世紀を迎えようとする時代。
ルーシーやジョージは新しい時代を、セシルやシャーロットは古い時代の
象徴のように感じました。

 映画を観た時はきれいな映像だという印象でしたが、原作を読んで日本には
ない階級差というものを考えてしまいました。
基本的にはみなさん、上流階級に属するのですが、その中でも細かく分かれていて
違う階級だと言葉も違い、敬遠しあう様子など大人の人間関係が興味深いのです。

 多分、作者もそうだと思うけれど、「身分の高いふられ男」セシルが
実に細かく描かれていて、映画ではダニエル・デイ・ルイスが演じていて
靴ひもを結ぶにも小指をたてて几帳面に直す所を思い出しました。

 解説には、その後の登場人物たちという続編のあらすじもあり、こういう解説は
初めてで興味深かったですね。

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紙の本

紙の本インドクリスタル

2016/05/02 21:21

グローバリズムとは。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

グローバリズム:
現代では、多国籍企業が国境を越えて地球規模で経済活動を展開する行為や、自由貿易および市場主義経済を全地球上に拡大させる思想などを表す。

 この本を読んで改めて、グローバリズムであるとか、グローバリゼーションといった国際的とどう違うの?と不思議に思っていたカタカナ言葉の意味を考えたような気がします。

 甲府の産業用人口水晶の製造販売を手掛ける中企業、山峡ドルジェの社長、藤岡が精度の高い水晶振動子の開発の為、インドを訪れた所から物語は始まります。
観賞用の水晶細工ではなく、産業用水晶の為、マザークリスタルと呼ばれる高純度の水晶を手に入れる必要がありました。

 大企業なら社員が行く所、山峡ドルジェ社は社長みずからが海外を飛び回っています。

 インドの田舎村で、素晴らしい水晶とめぐりあい、買い付けるのですが、そこまでが実に綿密に長く描かれていて、日本の一企業がインドに入り込むのがいかに難しいことか、大変な事か、がびしびしと伝わってきます。

 藤岡は、インドの採掘会社の社長の接待を受けますが、そこで、メイド兼性接待の為、夜、部屋にきた少女、ロサと出合います。

 身分の低い階級の孤児、ロサが実は素晴らしい記憶力、分析力、理解力を持っていることに気がついた藤岡は、なんとかロサが教育を受けられるようにならないか、と思う。
鉱山産業は、採掘権や法的権利、地元民、政府、行政などが複雑に絡み合うのに、ましてやインドの田舎村です。
根強い迷信や反政府軍、テロリスト、盗賊などが跋扈し、インド人との仕事感覚、金銭感覚、文化、歴史、言語の違いなど問題は盛りだくさん。

 たくさんある問題をひとつひとつクリアする藤岡のビジネスマンぶりを描く企業物でもあり、なんとかロサをメイドから解放して、教育を受けさせる人に預けますが、ロサは不思議な才能を持つ、神秘的というかよくわからない部分がいつまでたっても払拭できない過程が描かれます。

 篠田節子さんの入念な執拗とも言えるほど細かく調べぬいたリアリティあふれる文章に圧倒されて長い物語ではありますが、目をそらすことができません。

 カースト制度、貧富の差、根強い信仰や迷信、テロリストや反政府軍がいつ襲ってくるかわからない環境・・・そこを日本の一企業が乗り込んでいくことの難しさと大変さがびしびしと伝わってきます。

 海外へ企業が進出する、と書くとなんだか格好いいような感じもしますが、言葉よりもまず、体力勝負であることが藤岡社長という人を通して描いています。
外交力、交渉力、体力、判断力、メンタルの強さ、グローバリズムに必要な物は言語だけではありません。

 しかし、この物語を書くきっかけになったのは、ネパールに今でもある風習、選ばれた幼女が、生き神様となる風習を知ったからだそうで、ただの虐げられたインドの美少女と日本のビジネスマンの出会いは書きたくなかった、と作者が言っている通り、ロサは一筋縄ではいかない秘密を持っています。
インド、カースト制度の中で、貧しい階級の女性の立場は非常に低いものでした。
どこか人を扇動するようなカリスマ性を持つ不思議な黒い女神、ロサ。

 安直なグローバリズムに警鐘をならす企業ものであり、ミステリでもあり、女性問題も描き、これだけの要素をひとつの物語に収める手腕はさすが篠田節子さんです。

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紙の本

紙の本東京飄然

2016/04/30 09:28

自然に飄々は難しい・・・飄然じたばた

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

不眠症で眠りたくても、眠れないように「飄然」としたくても、
ついあれこれ屁理屈を考えてしまう頭の中。
なかなか余裕に飄然なんてできるものではない、ということがよくわかりますし、
飄然としてる、なんて他人から言われるもので自分で言うのはおかしい、と思いつきました。
串カツ一本の後悔から東京に帰ってきてリベンジしようと思っても・・・ああ、日曜昼間の新橋なんてどこもお店やってないのに。
夏目漱石気取って芸術に超然としようと美術館に行ってもあらら。
ロックを感じに高円寺に行って沈没。飄然じたばたが書けるのは町田さんだけでしょう。

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紙の本

紙の本ブッダ 今を生きる言葉

2016/04/23 21:29

言葉だけでなく写真も美しい本

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

たいそう美しい本です。
この本を手にとったのは、ブッダの言葉よりも多い六田知弘さんの写真の美しさ。
ブッダの言葉を現代語にしてわかりやすくしたものですが、
ブッダの思想は現代ではあまり受け入れられないといいます。

『ブッダの言葉は厳しすぎる』
ブッダの言葉はいわゆる「宗教的」ではないかもしれない。
そこに直接的な慰めの言葉はない。癒しの言葉もない。

たしかに下手な慰めの言葉は、逆に気持を逆なでされるような事がある。
何も言わず、一人にしてくれた方がいい場合もある。

ブッダの言葉に戻ると

ジャスミンの花が
しおれた花びらを落とすように
欲望と怒りを捨てなさい。

と言う風に「捨てて無になる、空になる」という事を繰り返し言っているのですね。
確かに、すぐに出来るような事ではなく、あくまで理想を追求する、というものが多い。
ただ、その通りに行動せよ、というマニュアルではなく、
「気づきを促す」というものが多いのです。

今の所、私は無宗教だし、お祓いに行くつもりもないし、自己啓発本は読まないけれど、
この本は、押しつけがましくない、そっと一人にしてくれるような本。
言葉がわからなければ、美しい写真をぱらぱら、見る。
それだけでもいいような気がします。

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紙の本

紙の本数えずの井戸

2016/04/23 20:31

人それぞれの欲、人それぞれの満足。

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満たされているはずなのに「足りない」「数が足りない」「もっと何かあるはず」
そういった持てる者の憂鬱をよく描いています。
ベースとなっているのは番町皿屋敷の怪談ですが、実は詳しい前後を知らない・・・
奉公した先の大事な皿を割ってしまって、手打ちにされる女中が井戸から現れ
皿を数える、一枚、二枚・・・くらいしか知らなかったところを京極夏彦は丁寧に描いていく。

京極夏彦は「数が足りない」「いつまでも数える」といった事を何度も繰り返しながら、
満たされない者の欲求を描き出しています。
金はいくら稼いでも満足は人それぞれ。
そのように、きりのない慾を抱えて生きる武家社会と蔑まれても、そこにあるもので
満足な町人たちの世界の分離がなんとも切ない。

京極夏彦氏は私と同じ年。
32歳でデビューしたとき、同じ32歳がここまで書くとは・・・と驚愕。
歌人の穂村弘氏も同年代ですが、私達が10代終わりから20代にかけて
それはバブル期と重なります。
穂村さんは、エッセイでバブル期に目覚めた「自己実現」という欲求を書いていますが、
衣食住だけではなくプラスα・・・それが「自己実現」というもの。

この小説の武家の者たちは、「自己実現」に固執している。
衣食住は心配ない。では、さらにプラスαを求める気持が高まって、故に不満です。
満足しない。何か足りないと思う。欠けていると思う。それにいらいらする。

青山播磨は、何をやっても物足りない。何かが欠けていると憂鬱。
その家臣、柴田十太夫は、「褒められたい」という欲求が高い。新しい主人、播磨は叱りは
しないけれど、喜ばない、だから、褒めない。褒められたい・・・その一心です。
播磨の朋友、遠山は、次男で部屋住。生き殺しのような武家社会に呪の思いを持っている。
播磨に嫁する話が持ち上がった大久保吉羅は、強慾。といっても手に届かないものは求めない。
しかし、手に入るものは全て欲しい。だから手に入れる。青山播磨を「手に入れたい」と望む。

しかし、町人である菊や幼なじみの三平は、衣食住で精一杯。
だから他に何をのぞむのだ?日々、食べていけるだけで、十分ではないのか?
比べられても、莫迦としか蔑まれない身分の違い。それがこの悲劇のもとのような気がします。

菊はひょんな事から青山播磨の家の女中となる。
しかし、そこに吉羅がのりこんできて、菊を目の敵にする。
なぜ、欲しいものがない、と言えるのか。慾が人を生かすのではないか。
食べたい。贅沢したい。褒められたい。認められたい。そんな慾のない菊は吉羅にとっては
めざわりなだけ。

そこに青山家家宝と言われる十枚ひと組のめずらしい皿の存在とその行方。
十枚一組だからこそ、価値のあるもので、一枚でも欠けたらそれは意味がない。価値を失う。

さて、本当の価値とは何か。
満たされるというのはどういう事か。
何を基準にしたら満たされるのか。
怪談話としての怖さより、人それぞれの慾の違いが生み出す悲劇。
そこに自分の慾を底の見えない井戸の底をのぞきこむような恐怖を感じます。

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紙の本

紙の本刺青の男 新装版

2016/04/23 20:27

刺青から見えてくる物語。

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旅をしていた「わたし」は、ウィスコンシン州の徒歩旅行の終わりの時、
全身に刺青をした男と出会う。
刺青の絵は美しく、男が言うにはそれぞれに物語があり、じっと見つめていれば
たくさんの物語が見えてくる・・・そして「わたし」が見た物語とは・・・

そうして始まる18の物語。
驚くのはこの物語の普遍性です。
この本は1951年に出版されたのですが、ということは昭和26年。
よく読んでみるとレイ・ブラッドベリは機械を描かない。
ロケットもタイムマシンもアンドロイドも出てくるのだけれど、機械を描くのではなく
あくまでも、その機械を使った人間を描くから、何の矛盾も感じないのです。

SFの大御所と言われる人、アイザック・アシモフか、アーサー・C・クラークかだったと
思うのですが、ロケットを描くとき「どうやって動くか」を書くだろう、と
ブラッドベリは語っているのですが、ブラッドベリの描くロケットは「夜空に浮かぶ花火」と
などと表現される。

花火。
クリスマスの七面鳥。
イリノイ州の夏の日差し。
金星に降り続ける雨。
イメージ通りに風景を出す部屋のアフリカ。
ポォやディケンズといった古典作家たちが生き延びる火星。
焚書と炎。

特にブラッドベリが、車と電話を意図して描かなかったのは、この短篇集が
今の時代でも新装版として発行され、全く古びていない要因のひとつでしょう。
SFの中には、機械がどういう仕組みかを、えんえんと描くものがありますが、
コンピューターを扱うとその日進月歩の進化に作品がついていかない結果になることが多いのです。

良い例が『火の玉』
これは新装版の『火星年代記』にも載っている話ですが、描いているのは宗教、キリスト教です。
地球から火星に人々が行くようになると、当然のように、宗教も普及しようとする教会が
出てきます。
新大陸だ、と発見されれば宣教師がその地に普及に行くように、ペレグリン神父たちも
キリスト教を火星人に普及させるべく、火星に旅立つ。

しかし、火星にいたのは、火星人とは「青い火の玉」でした。
ペレグリン神父は考える。
「白人の世界で、神が白人だからといって、異郷の地で通用するだろうか?」
火星人が火の玉だったら、神となる、シンボルとなるものはやはり「火の玉」ではないか?

この短篇はとても好きなのですが、あくまで地球の、アメリカのキリスト教にこだわる
神父たちとペレグリン神父の会話でもって成り立っているんです。
そして、ペレグリン神父に火の玉は穏やかに話しかける。
「わたしたちはすでにもう、神とも言える、肉体もない、欲望もない、火の玉なのだ」と。

ブラッドベリは、SFでありながらも、機械を避けてきた。
そのかわり、豊かな詩情性でもって、古典を語り、家族を語り、想いを語る。
プロローグとエピローグで語られる刺青の男とわたしの物語がつながっているように
ブラッドベリの描きたいものは、機械ではない。進歩ではない。
描きたいのは、きっと詩なのだろう、と思います。

「上機嫌な宇宙馬鹿と呼ぶには、あまりにも知的で繊細な芸術家」
とあとがきで書かれているように、ブラッドベリの物語はひとつの文学なのであって
スペースオペラやハードSFと一緒にはならない。
そういう思いを、読む度にかみしめるのです。

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紙の本

タイムトラベルものには恋愛がよく似合う。

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時間というのは、人間がどうしようもないもの。
それなのに、時間を速く感じたり、遅く感じたり人間の五感を刺激するもの。
または、年をとるというどうしようもない事に抗おうとするのも人間。
だからこそ、時間ものというのは「もし~だったら」が多いし、楽しいのです。

海外のSF短篇の中から大森望さんが厳選した13編。
タイムスリップのもから、同じ時間が何度も繰り返す(タイムループ)もの、
もし、過去が変えられるならば・・という仮定ものなどカテゴリを設け、有名作家よりも
本邦初公開のものもたくさんあって、知らない作家の方が多かったりします。

時間ものにはロマンスがよく似合う・・・と最初の4編はタイムトラベル・ラブストーリーもの。


「商人と錬金術師の門」
SFというより、アラビアンナイトの一話のような不思議物語。
時間を扱うのはとても難しいのに、それを上手く使って整合性はばっちり。
それでもって、とても浪漫。
タイムトラベルものは、過去は変えられないということもあって切ないものが多いのに
福福とした物語。

「彼らが生涯最愛の時」
このユーモア感覚。タイムマシンがマックドナルド・・・Mcdonaldではなく、Macdonaldね、
小物の使い方ー特に本の使い方が秀逸で、伏線の張り方が上手いけれど、ちょっとした
切なさの滴もあって、いい話。

こういうアンソロジーは、好みのものばかりではない、というのは仕方ない事ですが、
個人的には、機械ものとか、宇宙軍隊ものなどは硬質で読みにくいものもありました。

しかし、こうして読んでみると、人間が時に想いを馳せるのは、千差万別ですね。
若い時には気がつかないのですが、中年と言われる年になりますと、
若さにこだわるのとどう向き合うか・・・という問題に直面します。

いつまでも若いと大人になれないは違うと思うので、自分としては年相応でいたい
と思っていますが、行きすぎた若さへのこだわりは危険、というのもこの短篇集は
教えてくれます。

自分の若い頃は、もう恥ずかしくて戻りたいとは思わないのですが、
唯一、若かったらなぁと思う時があります。
老眼になる前にもっとたくさん、本を読んでいればよかった。
若い時に買った文庫本の活字の小ささに愕然とする、なんて20歳の自分には
想像もつかない事でした。
若い内に本はたくさん読んでおきましょう。特に字が細かいものをね。

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紙の本

紙の本肥後の石工

2016/04/23 20:19

永遠に古びない小説

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

肥後ってどこ?日本の地理・歴史知識の底の浅さにとほほ。
熊本県です。
申し訳ない。

日本の児童文学に歴史ものが少ないのは何故でしょう。
「時代小説」というジャンルはあるのに、子供向けに書かれたものはとても少ないのです。
その中でこの『肥後の石工』は、古典と言えるでしょう。

江戸時代末期。
九州には、美しいアーチ型のめがね橋がたくさんありました。
薩摩藩に呼ばれて、肥後から石工がやってきて橋をたくさん作ったそうです。
しかし、当時は他県=他国。
橋には工夫がしてあり、その秘密を持ち帰らないように『永送り』というものがありました。
工事が終わって、橋ができると石工たちを帰らせますが、刺客を送って国境で斬り捨ててしまう。

著者がこの物語を思いついたのはこの『永送り』の事を知ったからだといいます。
石工というのは、江戸時代では身分の低い者だったのです。

主人公の石工頭だった岩永三五郎は、他の石工たちが永送りになったと知らず
生き延びて故郷に帰ります。
永送りにならなかった三五郎は、ひとり生きて戻ってきたのを悔やみます。
そんなときに肥後で、新しい石橋を造ろうという計画が起きました。

自分のせいではないのに、生きて帰ってきてしまった三五郎の苦悩と村人たちとの確執。
三五郎のせいでみなしごとなってしまった、里と吉のきょうだい。
永送りの刺客が嫌になって、脱藩したもと農民の仁。
木造ではない、石の橋を造る工事の行方。スリリングです。

江戸時代の土木工事の実際を注をつけずにわかりやすく説明しながら、
三五郎を軸にして、新たな石橋造りが始まります。

著者の今西祐行さんは、戦争の時、徴兵されて南国に行く途中でふとしたことから
ひとり出発が遅れ、隊で生き残ったのは今西さんともうひとりだけだったそうです。
そんな思いが、この物語の三五郎に被さっているのでしょう。
ひとり、生き残ってしまったけれど、生きるしかない。仕事を続けていかなければならない。

薩摩の言葉と肥後の言葉の使い分けなどが、とても流暢で九州出身の方かと思ったら
そんな事はありませんでした。
江戸時代を石工から見て、児童文学にしましたが、読み応えがあって、十分
大人にも通用します。
初めて出版されたのが昭和40年。今でも古びない傑作だと思います。

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紙の本

紙の本あの日、パナマホテルで

2016/04/23 20:12

アメリカと祖国のはざまの小さな恋。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

戦争中の収容所ものといえば、第二次世界大戦のドイツによるユダヤ人収容所が有名で、様々な小説や映画になっていますが、この物語は第二次世界大戦時のアメリカの日本人収容所が描かれます。

 1942年と1986年が交互に描かれますが、主人公は中国系二世のヘンリー。
1986年では57歳で、半年前に妻を癌で亡くし、息子は大学生で離れて暮らしていて一人暮らし。
シアトルのチャイナ・タウンに住んでいますが、そこに古いパナマホテルというホテルがあります。
その地下室から大量の古い荷物が発見されました。
かつてはチャイナ・タウンと日本人町はとなりあっていたのですが、戦争の勃発で日本人は強制収容所に移動。その際、持ち出せなかった荷物が40年の歳月を経て、発見されたのです。

 その荷物にヘンリーは、1942年、12歳の頃の思い出がよみがえってきます。

 英語を話せと父から命令され、アメリカ人(白人)の学校に通っていても、人種差別は根強くて、学校でもなにかと虐めにあうヘンリー。
文句や愚痴を言わないから、厳格な父親は息子はアメリカ人だと満足しています。
しかし、両親にとっては故郷は中国。母は広東語しか話せません。
中国人であり、アメリカ人である、という事の苦労を押し付けているのに反抗できないヘンリー。

 そんな時、出合った同じ年の日系二世の少女、ケイコ。
学校でのけ者にされていたヘンリーは、同じアジア人であるケイコと行動を一緒にすることが多くなります。ケイコもアメリカ生まれのアメリカ人。日本語は全くできない。

 そんな時にもとから中国と戦争していた日本が真珠湾を攻撃。
アメリカ、中国にとって敵国となった日本。
アメリカに住む日本人は全て財産を没収され、収容所へ。
ケイコも家族と一緒に収容所へと離れ離れになります。

 人種、ナショナリティー、移民、戦争といったものを描いていますが、あくまでもヘンリーとケイコの淡い初恋がベースになっていますから声高に意見を主張することはありません。

 作者はアメリカ人でありながら大変なリサーチをしたらしいです。珍妙な日本語や日本人名など一切なく、物語はどちらかというと淡々と語られます。
移民の国アメリカ。自由の国アメリカ。ただ、人種問題は根深いものがあってそれは今でも変わらないのかもしれません。
この物語は、人種差別という問題に一石を投じる物語でもあります。

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紙の本

阿川佐和子さんの対談いろいろエッセイ

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阿川佐和子さんのエッセイや対談集はよく読んでいたのですが、新書でこのタイトルでベストセラーと聞きまして、なんだか薄っぺらいなぁと敬遠しておりました。
この一冊読んだから、即、聞き上手、コミュニケーション力がつくわけない、と考えていたのです。

 この本は自己啓発本にジャンル分けされるかもしれないけれど、興味深く読めたのは阿川佐和子さんが実に様々な失敗を重ねて、長年対談の仕事をテレビ、ラジオ、雑誌で続けてきた、その経験値の高さゆえ。

 象牙の塔の偉い学者とか、ワンマン社長が語る身につかない、面白くもない、コミュニケーション力の本ではなく、いかに対談前に緊張するか、最初は入念な準備をしていたのが、そのやり方を変えていく過程、聞きたくない、聞きにくい事を聞かなければならない時のプレッシャー、様々な失敗や成功、色々な人たちとの話、相槌の打ち方も一通りではなく、相手によって臨機応変に変えていかないといけないといった経験、厳しい経験・・・ああしなさい、こうしなさいはほとんどありません。

 やはり、人に話を聞くというのは相手が100人だったら100通りあってマニュアルはない、ということを阿川さんは自身で十分経験されているから説得力があります。
よく簡単に「傾聴しましょう」なんて言われますけどね。
色々な人のエピソードがありますが、知ったかぶりをしてもすぐにメッキははがれる、という事からデーモン小暮閣下に正直に「ヘヴィメタって何ですか?」という直球質問をした話が好きです。
私も、知らなかった事で、お答えが実に理路整然。

 タイトルで敬遠していたけれど、ヒントになるというより興味深いエピソード集でした。

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