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ばーさんのレビュー一覧

投稿者:ばー

66 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本夜は短し歩けよ乙女

2009/10/08 23:05

現代恋愛小説かくあるべし。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 森見登美彦のヒット作。
 
 主人公こと「先輩」と、その後輩である「黒髪の乙女」のお話。物語は「先輩」パートと「黒髪の乙女」パートの二つに分かれて進む。
 主人公は冴えなくてモテなくて堅物。頭でっかちかつ恋愛には慎重。なのに、その思考ゆえか、その存在がコミカルに映る。童貞男の妄想全開、夜の京都、古本市、学園祭でひたすら黒髪の乙女を追いかける。いや、ストーカーではなく。決して。男たるもの、ってな感じです。
 ヒロインの「黒髪の乙女」は、純真かつ天真爛漫。とぼけているのか素で天然なのか。こんな女いねーよ!いや意外にいたりするんだよね、こういう娘。ふらっと恋してしまうんです、男は。哀しいけど。9割くらい報われない恋だけど。

 キャラクター小説。それで終わらないのは、森見の文章力。言葉の選びと、文章の流暢な(こんなにこの言葉が似合う人もいない)流れ。コミカル懐古的文章というか、戯曲・演劇的というか。読みやすい。

 作者は太宰治が好きなんだなあ、と思う。
主人公を戯画的に扱い、ひたすら滑稽に扱う。矮小化し、おもしろおかしく失敗を滔々と饒舌に語らせる。
 なのに、プライドは高いのである。自分の論理がぶれるということはない。そこから来るひずみがドタバタ劇となり、哀愁とおかしみが漂う。
 太宰にあまり無いのは、この小説のようなハッピーエンドだけど、「黒髪の乙女」の存在も大きい。彼女との恋愛小説に終始したおかげで、生活臭より空想物語のような浮揚感がある。

 太宰のように地べたを這いずり回るのではなく、ふわふわと地上5センチくらいを漂い、ぽんぽんと宝石箱のような幸せと甘酸っぱさをこちらへと。

 願わくば、二人は付き合わないで!とか最後まで思ってみたり。
 おもろい話でした。

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紙の本猿駅/初恋

2009/10/04 17:59

猿・猿・猿

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 グロ7割。エロ2割。その他1割。

 表題にもある2つの短編はやはり完成度が高い。

 『猿駅』は、母親との待ち合わせで訪れた町の駅を出たら、一面の猿景色だった、というもの。冗談のような設定だが、この冗談は笑えるようなものではなく、辺りは血と脳漿と獣臭、そして、猿で塗り固められた塊である母をひたすら殴打する主人公の気狂いシーン。
 狂気である。不浄である。支離滅裂である。
 だがページが進む。この地獄のヘドロのような場面が続くのに、ぐいぐい文章にひきつけられる。
 連続で続く主人公の心情を描いたスピード感溢れる狂気の描写は、それでいてなおかつどこか静か。
 悪夢のような超短編。

 一方の『初恋』も、タイトルとはかけ離れた、異常そのものを描いている。
 「寄合」に初めて参加することになった主人公は、村の常軌を逸した因習を目の当たりにする。奇しくも、今回の「寄合」の犠牲者となったのは、初恋の少女。恐怖と興奮の中、聖そのものと言える美少女を切り刻む描写は、読者をも不浄な背徳感に誘う。
 物語が展開するにつれ、時間や時代などの時系列がごちゃ混ぜになっていく。物語そのものがやはり悪夢となっているかのような錯覚を覚える。最後のシーンを見る限り、それは、主人公である老人の、交錯した記憶のようにも取れるのだが、私個人としては、このシーンそのものが物語の終着点になってしまっているように思え、それはそれで納得いかない部分がある。錯乱したままのほうが個人的には好きである。

 エログロナンセンスとして、秀逸であるのは、やはり『げろめさん』だろう。
 これも『猿駅』と同じく長短編だが、この鳥肌モノの不浄感は、ある意味たまらない。

 『ハイマール祭』、『羊山羊』は、同じエロでくくってしまいはしたが、設定が面白い。この人の作品は全てのテーマが特殊で、それだけで読む価値あると思うのだが、この2編も、エロだけでない、発想の豊かさが窺える。

 『猿はあけぼの』のような初期の作品も捨てがたいが、いかんせん作風の変化に戸惑いを隠せない。まるで倉坂鬼一郎だ。ようは、ラノベ作家としてデビューしたが、作家に何らかの変化が起きて、作風が変わった、ということか?やむをえない事情ならともかく、ここまで変わるとまるで別人である。そもそも『猿はあけぼの』をあえて幼く書いたということだろうか。

 生理的な嫌悪感、土着的な恐怖などを書いたものが多かったが、まさに想像力の文学と呼ぶにふさわしい作品集。

 はまるわー、これ。

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紙の本とらドラ! 10

2009/03/22 22:27

超弩級ラブコメ、終幕!

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 何が悲しいって、

 「次回は完結編だな、ははは」

なんて言ってた『とらドラ!』が本当に終わってしまったのが悲しい。無駄に予言すんじゃねぇよ、俺。「ハルヒも次回で完結だな、まとめきれんくてまだ出してないんだよ、谷川さん、ははは」もういいから。いらんこと言わなくていいから。

 そんなわけで、『とらドラ!』完結編、10巻目。
 短編で続くようだけど、いやー、大河のツンデレがデレデレになっちゃったからなあ、長編じゃあ本当にこれが最後だろうね。デレデレ大河と竜児のラブラブ大学生活(なんか無駄に死語っぽい…)ってのも見たかった感は、ある。

 何が悲しいって、大河のツンデレがデレデレになっちゃったのも悲しい。大河と言えばツンデレで、ツンデレブームの偶像(アイドル)になっちゃうんじゃなかろうか、なんて思ってたのに…想ってたのに…。まあ、いいんだけど。二人ではデレデレ大河が外ではツンデレっていうシチュエーションもいいなあ(気持ち悪いったらありゃしない)。

 10巻のテーマは「社会の壁」。二人で逃避行をしようとする大河と竜児の前に、様々な社会の壁が立ちふさがる。それは、大河の母親だったり、大河の家族だったり、竜児の母親だったり、学校だったり、教師だったり、金だったり、住居だったり、様々。ライトノベルらしい、青春真っ盛りな彼ら。言ってることも、やってることも、青春。冬の川に飛び込んだり、学校を集団エスケープしたり、母親にひどいこと言っちゃったり。ちくちくと我が胸に忍び込む「青春だからと言ってやっちゃった感丸出し」の多くのメモリーズ。やったやった。こんなこと俺だってしたよ。無駄に道路で寝そべったり、学校の備品壊しまくったり、母親にひどいこと言っちゃったり。
 そんな私だからこそ、竜児と泰子の和解には涙がとまりません。あかん…そんなこと言っちゃあダメだよ、竜児さん…。

 勝てるわきゃ無いのである。たかが高校生の二人に社会に打ち勝つだけのスキルがあるわきゃ無いのである。
 それでももがく二人。シリアスで押しに押した10巻目は、だからこそ二人の戦いが胸を打つ。
 ちょっとでも前へ。少しでも前へ。よりよい方向へ。みんな幸せになるように。
 竜児と大河の葛藤と願いが感動を誘う。

 超弩級ラブコメは、幸せに幕を閉じた。青春そのもののお話だったけど、始めてリアルタイムでラノベを読んだ私は、久しぶりに、続刊が出るというわくわくを味わった気がする。 
 ツンデレツンデレと連呼している私だけど、それだけじゃなく、作者のすこーしブラックな(社会の厳しさ的な)味付けは巧いと思う。

 ラノベ史的にはどういう扱いになるかは知らないが(きっと詳しい人がまとめてくれるに違いない)、一連のポストハルヒ作品群の一つになるのだろう(ハヤテとかゼロとかシャナとかと同系列?それともそれの後?)。なんというか、あまり萌えに走りにくい作品だったんじゃないかな?ツンデレ、幼女(主に大河だけれど)は近年のサブカルチャーにおける重要な萌え要素の一つだけれど、それを打ち消す粗暴さ、泥臭さ、汚さが、大河にも実乃梨にも亜美にもあったと思う。その「黒」の部分の集大成が社会人である恋ヶ窪であったではなかろうか。女性ならでは、と言っては叩かれそうな気がするけど、女性作者特有の作風なのだと思う。そういう意味では貴重だし、一筋縄ではいかない。

 これが普通のツンデレだったらここまで惹かれない。はず。きっと。ツンデレ好きの自分に、社会へのとりあえずの免罪符を投げ置いておく。

 なにはともあれ無事完結。

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紙の本のぼうの城

2009/03/22 21:38

戦国で優しさを説く

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 どこかにいるよねこういうひと。
 
 それがこの『のぼうの城』の主人公、成田長親に対する印象だ。

 傍から見ても何を考えているか分からない顔、その顔は決してお世辞にも容姿端麗とは言えず、つまり醜男。背格好は大きく、だが、ただ大きいだけ。機知に富んだ性質ではなく、その言動、姿は百姓にも小馬鹿にされる始末。「でくのぼう」を省略して「のぼう様」。超然としているのか、ただぼーっとしているだけなのか。
 ただ、そんな「のぼう様」、成田長親は人気だけは篤い。無論、信頼等ではなく、上下関係、主従関係、などを取っ払った人望。それはまさしく、なにやらよく分からんが現代でもたまーに見かける「しかたねぇなあ、あいつは」である。

 長親の為に百姓達が【「しょうがねぇなぁ、あの仁も」】と戦に進んで参戦していったのには、思わず「いいねいいね」と喝采。そして、民を想う長親の策が三成軍を退けたのにも喝采。武士らしい爽やかな終幕には、心がすかっとする。ハリウッド的?ええやん別に。本当に史実かどうか分からんけど、実際忍城は最後まで落城しなかったし。ちょっとぐらいの脚色はええやん別に。この本の場合、要は、その構成や筋書きよりも、「長親のような人物が主人公で、大いに活躍する」ことに意味があるんじゃなかろうか。

 理知や力や才ではなく、人望で戦に勝つ。普段は百姓にまで小馬鹿にされるけど、実は思わぬ才を持っている。そこは確かにいい。

 私がこの小説をめちゃくちゃ良い!と思ったのは、めちゃくちゃ長親に肩入れしてしまうのは、長親も、長親の周りの人間もとっても優しいからだ。不器用な長親が百姓の手伝いをして失敗ばかりやらかしても、ため息ついて「手伝わなくて良いからそこで見てて」と言う百姓たち。どんだけ愚図でも、友として怒ってくれる馴染みの友人。結局はそこらを含めて人望、隠れた才なのかもしれないが、その優しさは見てて気持ちいいものである。それに応えるかのように、自分の命を賭して戦を終わらせようとする長親。優しさが伝播して広がっていくのが気持ちいい。

 峻烈な戦国時代の中の、恐らくは「if」の話だけど、だからこそ良いよね、こういうの、と際立つ。
 最近の激烈な世の中には、長親のような潤滑油が必要だ!なんて思ったり。すれてすれてみんな擦り切れてしまいそうな時こそこういう人材が必要なのではあるまいか。理想論だが。
 
 百姓たちは長親に才を見ずとも戦った。臣下の者は長親に才を見ても小馬鹿にした。それは長親の策か、と言われれば答えづらい。それでも長親の、人望を盾に取ったあくどさが全面に出ないのは、長親が愚者であり、愚者であることを自覚した将であるからだ。そこをつけこませる余裕、うーん、無意識なんだろうね。

 愚者を装う才人には私はピンとこない。隠れた才を持った本当の愚者の方がいい。しかも「やっぱり馬鹿は馬鹿か」なんてな結末になったら最高である。それは私が愚者であることへの慰めなのかもしれない。だからこそこの物語は痛快なのかもしれない。
 長親という一見愚者の才人を描いたこの本は、優しいに溢れるいい物語だった。
 

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極上のまどろみは魔力を秘めている。

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 昨年度後半から本年度にかけて(丸1年!)、常に注目を浴び続けているであろう本作、『ゴールデンスランバー』。
 伊坂幸太郎はこの一作で、本屋大賞、山本周五郎賞、『ミステリが読みたい!』第一位、『このミステリーがすごい!2009』第一位、という快挙を成し遂げた。去年の時点でこの一冊は、ポスト直木賞を取った、書店員が最も売りたい一冊であったわけだが、ついに『このミス』をも制し四冠を達成した、ということになる。

 首相が仙台凱旋パレードの最中、爆発物によって暗殺される所から物語は始まる。主人公は事件の一切の濡れ衣をかぶり、執拗な「国家」の追跡から逃げる、という話だ。物語の題材としては、ケネディ暗殺があり、BGMとしてビートルズがある。つまり、主人公はオズワルドであり、過去の良き思い出は、ビートルズの『アビーロード』のメドレーと共に思い起こさせる。

 私は伊坂作品は初めてで、特に何の気負いも無く、無心の気持ちで読み始めたのだが、それでもページを繰る手は止まらなかった。特に好きでもなく、嫌いでもないのだが、純粋に物語に引き込まれていく自分を読書中は感じていた。
 面白いから、とか優れているから、とかではなく、続きが気になって仕方がない作品だ。文章自体は読みやすく、会話のアクセントが巧み、地の文も変なもたつきが無い。情景描写はスマートで、主人公の心理描写は極力粘着質にならないようにしている。だからと言って薄っぺらいわけではなく、確かに500ページの物量で攻めてきている感は否めないが、逆に言えば、このペースでこの物量を、最後まで一定のテンションで上手く書き上げているように思う。それは、村上春樹がかつてエッセイで述べたように、まさしく長距離走だった。変な気取りが無いし、飄々としながらも、決める所は決めている(ラストの件)。若干の出来すぎ感、キャラクター小説感も感じたが、それを見越しての【伊坂敵娯楽小説突抜頂点】なのだろう。氏の他の作品を読んだことが無いので、なんともコメントしにくいが、愛読者だけが分かるくすりと気付いてしまうポイントもあったようであり(5年前の女弁護士逃走事件とかか?)、そういうのが分かった上で読んだら、更に面白いのだろう。

 この物語は薄っぺらではない。一人の男が傷つきながらも、他者を巻き込みながらも最後まで国家に抗う姿は感動を誘う。そして、主人公を含む、彼・彼女の姿はそれだけで一つの物語が書けてしまうほど、魅力的に写る。伊坂氏は、並行世界の日本、IFの日本を作り上げ(それが氏の作品全体を包む、「仙台」という世界観かどうかは分からないが)、なおかつ情報化社会、監視社会、暴力装置としての国家権力、などのソリッドな事象をまとめあげ、その中でキャラクターを走らせている。
 言うなれば、本当は借り物の言葉なのでヤだけど、それこそ伊坂ワールド。現実からは少しずれているからこその面白さが氏の作品にはあるように思う。

 濃度100%のエンタメ。

 読み終わってみれば、時間の経過に驚くだろう。それでいて、どこか充実、どこか不満足、どこか静謐な感触にも気付く。 
 私が氏の作品を読んで最も驚いたのは、こんなにも満足しているのに、こんなにも平静でいられたことだ。地震の振動のような感情の高ぶりではなく、静かにそっと揺さぶられ続けているようなイメージ。何度も言うが、薄っぺらの静けさではない。本を持つ手も、文字を追う目も、咀嚼する頭も疲れている。それは間違いないのに、静かに引き込まれる。

 魔力を持つ文章とはよく聞くけれど、伊坂氏の文章がそれではないだろうか。私はそう思う。

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序説・オンライン古本屋

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「古本屋になりたい!」
もしくは、
 「本に囲まれて生活したい!」
 はたまた、
 「本に埋もれて死んでもいい!」
 と思ってる人は一度この本を読んでみた方がいい。
 現職(?)の古本屋でもある、ライターの北尾トロ、つまりは我らのトロさんが、古本屋になる方法を懇切丁寧に教えてくれているからである。

 現在の出版ギョーカイは、皆さん耳にタコができるまで聞かされていると思いますが、相当厳しいらしいです。出版社は潰れていくし、老舗の古本屋は潰れていくし、そもそも本が売れないし。元気なのは毎日出版される新刊の数字だけ。うーん、不安だ、不安で仕方が無い。このまま本という媒体をめぐる環境はどんどん先細りしていく一方なのだろうか。

 などと、暗い話は置いておいて。そんな暗い雰囲気に活路を見出したのが、このオンライン古本屋というショーバイ。実際、私はそんなに利用するほうではない。利用したとしてもAMAZONが精一杯。数多くのオンライン古本屋を見回る気にはなれない。なぜか。
 一利用者として言わせてもらうならば、まず、時間の節約。現物を手に取る新刊書店とは別に、わざわざオンラインで見回る気にはなれない。そんなことするよりか、大手のオンライン古本屋(例えばAMAZON)でダーッとおおまかに調べればそれで良い気分になってしまう。この本が初めて世に出た2000年に比べ、オンライン古本屋の数は相変わらず多い。どこの古本屋が良いかは、必然在庫の数にかかってくるのだが、それを調べるのが億劫。目録形式のオンライン古本屋が多いため、丹念に「ここはどんな物が置いてあるのかな~」が出来ない。「当店はこういう本を扱っています!」は確かにトップページに書かれているが、それでも結局目録を調べることに変わりはない。店頭の品物を実際見て取る(視覚からの情報が多い)のに比べ、タイトルを読まなくてはならない(視覚からの情報が少ない)オンライン古本屋は、そこが依然としてネックであると思う。またAMAZONを引き合いに出してしまうが、その物量、その検索能力、その集客力からしても、現状ではやはり、AMAZONの一人勝ち状態であり、「オンライン古本屋」という肩書きには、どうしても「副収入」のイメージが付きまとう。そこからの脱却を図る為、新たに商品価値を付加した店舗だけが頭一つ抜きん出ている。マジでオンライン古本屋をやるには相当の覚悟が必要だ。トロさんのように、他に職業がある人なら、「好きなことをやって楽しい」状態になれるかと思われるが…。

 魅力的な内容で、私などは、すぐさまにも「オンライン古本屋になりたい!」と思ったが、以上のような不安もある。出版業界先細りの状況では、確かに画期的で、これからの時代を見越したショーバイだと思うのだけど。
 
 オンライン古本屋の楽しい点(「仕事は忙しいけど、それもまた楽しい」を含む)は分かった。次はオンライン古本屋の負の面をベンキョーしたい、と欲張りな私は思ってしまうのである。マジでオンライン古本屋をやりたい人は、くれぐれもこの本だけを読んでショーバイを始めてはいけないと思う。

 とは言いつつも、オンライン古本屋の始め方、仕事内容を理解するには充分な良書ですよ。

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紙の本人類は衰退しました 1

2008/03/31 14:29

自虐的な欲望。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人間になってもう随分経っている。
 なんだかんだと頑張ってきていて、現実では、「地球は大事!」という動きも確かにあるけれど、やっぱり人間中心主義だと思う。
 そのような現実を基に描かれる、たくさんの創作の場では、人間中心主義、「地球は大事!」主義、はたまた、イデオンやエヴァに代表されるような「一度人間皆殺し」のような作品など、実に様々なものがある。

 この作品は、ほんわかした「妖精さん」が出てくるライトノベルなんて言われてますが、実際私もそれを聞いて読んだのだけど、ところがどっこい実際は、「一度人間皆殺し」に近いSFです。
 著者の田中ロミオはPCゲーム(美少女ゲーム含む)のシナリオなどを書く、フリーライター。本格的なシナリオライターのライトノベルへの進出ともあり、内容は「文章が上手い」という評判通り。既存のオタク的知識ほぼゼロ。独特の言い回しが面白い。

 主人公は一人の少女。美少女ですが、背が高く、極度の人見知り。仕事は「調停官」。「人類が衰退した」後の地球の支配者である妖精さんとコミュニケーションを図り、適時監視、又は(内政干渉にならない範囲での)指導を行うのがその職務。新米調停官の少女と、「新人類」となった妖精さんとの触れ合いを描く、というのが、この作品の大まかな内容。

 なんですが。
 ほんわかしたビジュアル、文章とは違い、よくよく考えてみるとこの内容。ものすごく破滅的。(旧)人類はもうこの先何の未来も無く、衰退し、絶滅するしかありません。やるべき仕事は調停官のように、新人類である妖精さんに地球支配のバトンを渡すだけ。「監視」、「指導」なんて偉そうな上から目線ですが、徐々に物語内で明らかになるように、(旧)人類から妖精さん達にすべきことは何も無いのです。ありえない程の技術を持ちつつも、一定の野望や野心などを持たない(甘いものが好き、楽しいことが好き、というのは本能)妖精さん達は、これからが彼らの春、衰退している(旧)人類の言うことなんか聞く必要無い。主人公は衰退していく種族(我々の種族)の少女でありつつ、傍観者。この物語は、「自由きままに好き勝手やる新種族を、衰退していく旧種族が眺めるだけ」という物語であり、なんだかそれは、人間中心主義に当てはめると、とても悲しいような、空しいような、怖いような、そんな物語であるように思える。

 すっきりどかん、ぼかんのライトノベルや、ちょっと切ないほろろのライトノベルなどとは違う、独特の作品(まだそんなにラノベ読んではないけども)(有名どころしか読んでないけれど)ではないのかな。
 ほんわかが強調されがちな今作ですが、そのほんやかさが相まって、うすら寒い未来の恐怖がどんどん出てくるような。妖精さんとのほんわか会話、少女の客観的な姿勢なんか、読めば読むほど薄ら寒くなって。ラノベ定番の伏線、前ふりも、次巻以降で明らかにされるよりは、このままの方が深読みできて面白い。ペーパー人間のエピソードで締めくくられてるけど、「次巻に続く」ではなく、「完」の方がますます破滅的な世の中になりそうで、面白い。

 人間中心主義の視点から言えば、「もうどうしようもない世界」なんだけど、それはそうなんだけど、倒錯的だ、なんて言ってしまうのは言いすぎなのかどうなのか。めちゃ自虐的な楽しみが味わえると、私は思いますよ。

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紙の本空を見上げる古い歌を口ずさむ

2008/03/18 17:46

パルプの町のふしぎな話。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 懐かしい、と思うのは人の勝手で、それらが持つイメージは多種多様。だけど、それを確実に想起させる、もしくは想起させずにはいられないもの、というのは確実に存在する。漠然とした、「懐かしさの塊」みたいなものはどこかにあるし、それらのひとつが物語になることもある。

 この作品を読み始めた時、まず頭に浮かんだのは「いしいしんじ」で、あっ、似てるかも、なんて思った。彼の文は童話的で、だからこそどこか薄ら寒いほど残酷で幻想性を持っている気がするんだけど、小路幸也のこの作品から醸し出されるのは、童話というより民話に近く(完全に私のイメージの話ですが)、そう思っていたらやっぱり、「稀人」なんてキーワードが出てきた。もちろんミステリなんだから人は死ぬけど、ありがちな殺人ではない。ミステリでありつつ、雄大というかなんというか、どこかのほほんとした雰囲気がある。だからかどうか、器用なぼかし方で、重要な所が描かれていない。煙に巻く、というより、「そうなっているのだから、そうなのだ」なんて超自然的な作為を感じる。民話や伝承などをアイテムに、というのではなく、あくまで描かれるのはその内部なのであり、やっぱりそれらにミステリがくっついていると私は感じる。

 「ぼく」の息子がある日、「人の顔がのっぺらぼうに見える」と言った。
 「ぼく」は20年前に別れてそれっきりの兄に連絡を取ることにする。
 なぜなら彼は、「もしも身の回りで人の顔がのっぺらぼうに見える人が現れたら呼んで欲しい」と「ぼく」に言ったからだ。
 再会を果たした兄は、自身の秘密と共に、過去の事件を語りだす。
 そう、全てはあの「パルプの町」で起こったことなのだ。

 第29回メフィスト賞受賞なのですが、ミステリ的な観点というのは、この作品に対しての幾分的外れな意見になるとは思うけど、とりあえず。「のっぺらぼう」という誰もが知ってる超自然をミステリで読むのは初めて。そうなんです。たとえ犯人を見たとしても、「顔が分からない」んだから推理の幅が狭まる。これは盲点でした。ただの能力ではなく、それにまつわる苦労などもちゃんと描かれてます。かといって湿った話になるのでもなく、小学生(回想の中の兄)が話の主役なので、深く潜ったりはしません。「ただ身についてしまったものだから」という雰囲気。明かされる主人公の秘密、世界の秘密と共に、超自然でまとめてます。

 誰が悪で、誰が善か。
 【解す者】、【違い者】という二つの極みの間に【稀人】として主人公は放り込まれ、嫌でもその二項対立に悩まされますが、これは普遍的で、しっかりとしたテーマです。解説でも触れられているように、これは現代社会の様々な物にあてはめる事が出来、たくさんの事例から教訓を学べますが、ではこの作品の懐かしさはなんなのか。

 「ぼく」の兄は、【稀人】として生きる上で、間接的にとはいえ、父を殺しました。人類の調停者として親族を殺し、家族の元を去りました。
 冒頭で述べられているこの事実からも、「話はそう簡単に折り合いがつくもんじゃないんだよ」なんて声が聞こえてくる気がします。一番大変なのは、善悪どちらかなのではなく、そのどちらにもならないものであり、兄の【稀人】としての20年の歳月は、そのままその苦労を忍ばせています。
 それでいて、その事実を「回想」として偲ぶ兄の姿に、懐かしさの裏にある、ぼんやりとした強さを見受けずにはいられないのです。

懐かしさには本当にたくさんの顔があり、それこそ我々の顔のように、のっぺらぼうではないということを強く感じさせてくれる、そんな物語です。

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紙の本笹塚日記

2007/12/15 02:52

本好きメモワール

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

さてさて、この日記のことを知っている、っていう人は、相応の本好き(文学好きではなく)なんでしょうね、やっぱり。もちろん、私も本好き(文学好きでもある)なので、「本の雑誌」掲載中は毎号楽しみにしていました(と言ってもここ一年くらいになって「本の雑誌」を読み出したので、ファン歴は実は長くないのでそんなに大声で言えない)。

 『笹塚日記』は、「本の雑誌」に1999年~2007年まで掲載された目黒考二の日記をまとめたものだ。全4巻であり、この本はそのシリーズの一作目にあたる。

 笹塚、というのは地名であり、本の雑誌社がある所(現在も笹塚にあるのでしょうか?この本の中に「永住の地」と書いてあるけれど)です。
 日記というと、なんだか日々の生活で見つけた教訓とか、著者が日々考えた事、出かけた事、出くわした事件などが書かれていると思われるかと思いますが、この『笹塚日記』はそうではない。
 では何が書かれているのか?というと、著者の目黒さんの「本当の」「ただの」日常であり、編集者、業界人としての目黒孝二の日常なんです。
 月曜日には一週間分の荷物を持って出社し、日々の仕事に追われながら会社に泊まりこみ、飲みに行ったり、出張したり、講演会に行ったり、麻雀したり、週末には競馬に行ったり、という日常。それをただ淡々と書いていく。日記というよりかは、あった出来事のメモ帳のようなもの。「面白いのか?」面白いんですよねぇ。なんだか脚色が無いだけ、事実だけが書かれているだけ、目黒さんの本当の日常がここにはある気がする。

 「○○出版社からの原稿依頼」「週刊△△からのゲラが届く」など、もちろん「非・業界人」の私にはそれがどれだけ大変なのかは分かりませんが、それが毎日ボンボン入ってくる。なんだか分からないけど、この部分でも私は面白く感じる。「~読了」「朝の6時ダウン」「おやおや」「ふーん」など、目黒さんがよく使うフレーズも読んでて楽しい。
 
 そしてなおかつ、(仕事の一環ではあるのだろうけど)本もばしばし読む。目黒さんは北上次郎でもあるので(私は最近になって知った。びっくりだ)、読書傾向もややミステリ方面に傾く。ぽんぽんと読んだ本、買った本などが出てくるが、そういった他人の読書傾向を知るのは楽しい(やはり覗き見趣味か?)。
 仕事の為とは言え、これだけ本に囲まれた生活はうらやましくも感じる。
 
 本を読む為の生活、生活の為に本を読む日々。
 『笹塚日記』を読んで感じるのは、同じ本好きへの親愛の情なのである。

 カムバック!『笹塚日記』!終わってしまってなんんとも悲しい。

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紙の本笹塚日記 親子丼篇

2008/09/28 13:04

それでも私は本を読む。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『笹塚日記』第2弾。と言っても、2000年から2002年の出来事。ミレニアムでもやはり目黒さんは本を読んでいたんですねぇ。うんうん。今回の目玉は、なんと言っても目黒さんの自炊生活。ハイペース読書の軌跡を楽しめるのはもちろん、後半は「男の自炊生活」と言っても過言ではない程の目黒料理の数々を楽しめる。
 
 この本をどんな時に読んだらいいのか。私の場合、どうしても寂しくて仕方なく、誰かと話したい、触れ合いたい、といったなんともワビシイ状態の時に読む。エッセイの覗き見感覚は、読むものを癒してくれる。ありがたい。副作用として、主に『笹塚日記』限定だが、めちゃくちゃ本を読みたくなる。くそう、こうしちゃいられないばい!というよーな気持ちにさせる。自分が遅れをとっているような気分になるのだ。誰に対してかは不明だが。

 前回の書評時は大学生、今回は社会人。立場が変わると視点も変わる。微妙に分かりづらかった雰囲気とかが良く分かるようになっている。FAXとか。仕事の感覚とか。特に、週末競馬。やっとその感覚が分かったのである。これは嬉しかった。平日一生懸命仕事をして、休日はどばっとすっきり遊ぶ。そしてまた月曜日から頑張る。目黒さん自身も「セミリタイア」と言っているように、少し環境は違うかもしれないが、それでもギョーカイ人。絶対に忙しい中、それでも遊ぶ、その心意気には頭が下がる思いである。私なんて、週末は本を読んだりドライブしたり。「休みなんて便利なもん、こちとら持ってねぇよ!」なんて方には、全く当てはまらないかもしれないが、時々「本ばかり読んでいて、これだけでいいのだろうか」なんて思うときも、ある。目黒さんもそのような心境になったことがあったようだが、「もういいんだ」。ザッツオール。本読むのが楽しいんだから、別にいいよね。

 あと、微妙に笑えたのが、各ページの下についている、本の雑誌社社員の杉江さん、金子さん、そして目黒さんでの対談(というか、『親子丼編』で書かれていることへの社員二人の突っ込み、質問に対して目黒さんが答えるという対話型式の質疑応答)。金子さんの容赦なき(?)突っ込みが面白い。そういうこと言うか?とこちらがハラハラしてしまう箇所が何度かあった。無論、私が心配性なだけかもしれないが。それに対しての目黒さんの回答…目黒さんは天然なのでしょうか?びみょーに、本当にびみょーにすれ違ってる。(笑)で流してしまっていいのかな。ま、いいか。みたいな流れ。いいですよね、こういうの。

 今回もこちらをやる気(読む気)にさせてくれた、笹塚日記。残りは二冊か。読むのがちょっと惜しい気がする。そんなこんなで思わずWEB本の雑誌をちら見したら、なんと、読書相談室が終了するというお知らせが。確かに時代の流れを感じることが出来ましたよ、目黒さん。願わくば、私も目黒さんに質問を答えて欲しかったなあ、と感慨。

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紙の本土の中の子供

2008/03/14 13:42

【だが、私はいい予感のしない自分の人生に、他人を巻き込むわけにはいかなかった】

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 第133回芥川賞受賞。
 著者中村文則は、1977年愛知県生まれ。福島大学行政社会学部卒業。『銃』で新潮新人賞、『遮光』で野間文芸新人賞、『悪意の手記』で三島賞候補、いずれも芥川賞候補。
 収録作は、表題作『土の中の子供』、『蜘蛛の声』の二作。このレビューで触れるのは前者の方。

 幼児期に養父母に虐待を受け、常に恐怖に直面していた「私」。彼の人生は確信的な自暴自棄のまま、「白湯子」と行きずりの関係を続けながら、その関係を断ち切れないままでいる。恐怖の先、死の先の「何か」を見つけようと、「私」はもがき、苦しむ。

 芥川賞の特質(暗い、死生観、純文学)を踏襲していながらも、この物語は「次の更なる段階」が結末に用意されている。その結末が、作中で「私」が追い求める「死の先」と関連しあっている。

 主人公である「私」にとって死の恐怖は日常的なものだった。養父母によって行われる壮絶な虐待は、常に死の一歩前まで及んでいた。現在の「私」の生活の隅々でその影響が見られる。他者にとってそれは、「死の恐怖を求める」ようにも見られるが、実は違い、それは「死の恐怖を克服する」ものである、と明かされる。自ら恐怖に触れ、恐怖を体験しているのは、恐怖を恒常的に体験することで恐怖を飲み込むためである、と。被虐的な人間性をもっているようにも感じる「私」の取ったこの指針は、世界の「よわいもの」からの反抗のようにも思えて興味深い。

 物語を絶望で終わらせず、自分自身の力で絶望に打ち克とうとする主人公の姿を書いた点は、非常に評価できるかと思われる。しかし、非常に物語的な(つまりは、主人公が必ず幸せになるという結末を用意していること)結末は、真実を安易に用意した、とも言える。
 物語的な要素を欠落させ、「ほんとうにあるかもしれないつらいげんじつ」を描くということが純文学、芥川賞の役目であると、私はどこかで考えている。
 単刀直入で言えばこの物語は、非常に芥川賞的な体裁を取っているけれど、その実非常に芥川賞らしくない。
 
 物語としてとても良いというのは分かる。ちゃんと絶望から再生へと向かっているのは、読みやすいし、納得できる結末だ。
 (だーけどどこかハルキ臭いというのは考え過ぎか?だって主人公最後で泣きそうになるし…再生と涙はワンセットなの?)

 自分を捨てた父の存命が判明することから話は始まり、その父との対面を拒否することで話は終わる。死の恐怖と共に、親子についてもこの物語は多くを割いている。また、それの内部で死の恐怖との最大の接触と、その克服が書かれていることになる。
 養父母からの虐待を含む過去を清算し、新たな人生(新たな自我)を獲得した主人公は、過去とつながる実の親をも拒否する。これは新しい過去からの逃避なのか、それとも別の新しい道なのか?

 【だが、私はいい予感のしない自分の人生に、他人を巻き込むわけにはいかなかった】と物語前半で語った「私」。

 父との対面を拒絶した私には、最後までいつまでも、非常に狭い世界が広がっているような気がしてならない。そういう効果を狙っていたとしても、だ。どこか上滑りのような暗さ、物語を読み終わった後もそんな感じが糸をひいていた。

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本好きなら読むべき本。

4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 2012年本屋大賞ノミネート作。
 作者の三上延は私にとって初めての作家。刊行書リストを見ると、がっちがちのファンタジー書いてる人なんですね。
 この本もそうだけど、ファンタジー書いてる人は、しっかりと調べて本を書いてるイメージがある。
 宣伝の仕方等からものっすご本屋大賞獲りそうな予感がします。

 無職の俺がひょんなことから、美人の女店主・栞子さんが営む古本屋で働くことになった。本の話以外は致命的に人見知りな彼女の元で働く内に、古本にまつわる怪しい事件が次々と舞い込んできて…。

 タイトルの一部を見て、表紙を見ただけだったので、内容に少し驚く。これミステリなんですね、しかも今のところ安楽椅子探偵ものの。なぜ気づかなかった俺。
 そして天然の人見知り栞子さんもすごく頭の切れる人だとは二重の驚き。表紙見ただけだと冷静沈着なイメージがあるので、ある意味表紙通りだと言うべきか。
 「本屋さん」が好きそうな話。

 本書の中身は全5編。
 1編毎にテーマとなる古本が出てきて、その物語と奇妙に絶妙にリンクしながら事件が語られていきます。
 読んだことあればなおさら共感できますが、そうでなくても認知度が低そうな古本については、それなりの救済措置があるので、読書の障害になることはありません。

 第1話で主人公・大輔の出生の秘密が夏目漱石の『それから』に交えて語られる。
 この導入部こそがこのシリーズの始まりであり、大輔が栞子さんと出会うきっかけともなるものなのだが、話が巧く作られていて引き込まれた。
 読後に、事件の背景と『それから』を照らし合わせてみると、なるほど良く出来ているなあという印象が強くなる。
 私自身『それから』をおぼろげに覚えている程度の知識だったが、十分に楽しめる。

 また、関係ないかもしれないが、「栞子」という妙に安直なネーミングが持つ記号性と、「大輔=代助」の置換性に見る記号性が、変にマッチしているように思えて気になって仕方なかった。そういう所に目をつければ、後で出てくる笠井の偽名等も怪しく思えてきて、そういう突っつきたくなるところが多々あった。逆に言えば、そういう批評眼もどきというかなんというか、誰もが持つそういうものを突っつかれているのかもしれない。ラノベというジャンルからあまり気になっても仕方ないところかもしれないが。突っつき突っつかれと訳わからんくて申し訳ない。
 
 どの話も本好きなら喜んで食いつきそうな話だが、良い味出している話ばかりで読むのが楽しかった。
 個人的には三話のしのぶさんの無邪気で奉仕的な愛がぐっと来た。もう、本当に、こういう「頭が良い旦那さんとちょっと頭が弱い奥さん」系に弱い僕には、もうダメなんですよ…。男のエゴとは分かっているが、泣けるもんは泣けるのである。
 一巻なので、ラノベの法則通り、これ一冊で終わってもおかしくない終わり方にしてるが、これはどんどこ続きを書いてほしい。
 願わくば、サザエさんばりに物語の進展が無く、ずーっと古本の話ばかりしていてほしい。
 そういう話が一番見たい。ラノベで読みたいのだ。

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紙の本犬婿入り

2011/08/28 23:00

鮮やかな異界入り

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

面白い。

表題作と「ペルソナ」の二作収録。
「犬婿入り」で芥川賞受賞。

「犬婿入り」の主人公は、自由人のもう若くない女性。
塾講師の主人公が子供達に聞かせた「犬婿入り」という話と同じことが主人公の身におこる。

場面設定等はどこにでもあるものだが、「なんだか変」という歪みが物語全体にある。
途中から、歪みが、さも歪んでないかのように変容していく。
「犬婿入り」が現実化したように、一般的な、善良で卑小な人間が、どこか違っていく。
その様は、まさに「憑かれて」いくようだ。
何よりすばらしいのは、抜群にその入りがスムーズで歪みの原因が本か私か分からなくなることである。
すーっと変になっていくのである。
こういう異界入りを正常に静かに描ける作家はすごいと思う。

そしてこのラスト!
まったく何も解決していないのに清清しい!
完全に「ラストもやもや系」だが、それでいてそんな不自然なことに自然と納得してしまう自分に驚く。

また、「ペルソナ」でもそうだったが、おそらく主人公の投影かと思われる、主人公の女性がイイ味出している。
非常に、魅力的な文系女性。
そういう点も本書を勧めるポイントの一つである。

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紙の本ボックス!

2009/11/29 16:25

男たるもの。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 興奮冷めやまぬまま、ページを閉じた。
 久しぶりに「ものすごく」引き込まれる作品に出会った。一気に読み終えたことも幸いしてか、久しぶりに「ものすごく」読書はしんどい、と感じた。もちろんだが、良い意味でだ。

 なんというか、「俺も男やったら体鍛えなあかん!」って思った。
 上手く言葉に出来ないけれど、「ものすごく」ごつごつした、男性的な文章だと思った。

 テーマはボクシング。
 大阪の高校生が主役の、青春スポーツ小説。

 主人公は真面目で努力家だが、いじめられっ子の木樽。
 もう一人の主人公は、ちゃらんぽらんだが天才的なボクシングセンスを持つ鏑矢。
 物語はこの二人の主人公を幹にして、圧倒的なスピード感で進む。

 一方は、努力の結果めきめきとその才能を開花させ、もう一方は、自分の才能に溺れた結果、大きな挫折を味わう。
 一人の少女の死をきっかけに、天才肌の少年が、本当の意味で男になる瞬間は、思わず目頭が熱くなった。

 努力、友情、勝利全てがこの小説に含まれているが、読後の感想はそういった物語がもたらす爽やかさとはかけ離れたものだ。
 そういった爽やかさではなく、もっと、なんというか、原始的なもの。
思わず目をそむけたくなるような、酷く無残なもの。

 「真に強い軍鶏は嘴が折れても闘う。腹を切り裂かれてはらわたが飛び出しても闘う。頭を割られて脳みそが飛び散っても闘うんや」
 
 作中、あるボクシングジムのトレーナーの老人が言う言葉だが、本来人間も、ましてや男、オスもこのようなものでは無かったか。
 元来弱肉強食のこの世に生れ落ちた男ならば、胸の奥には、煮えたぎる闘争本能があるはずだ。

 まるで、その真理を我が物とせんとでも言うかのように、一人の天才がなにもかもかなぐり捨てて、勝利に飢える獣に変貌するシーンは、思わず息を飲む。
 闘技場で血まみれになって剣を振るう、かつての猛者たちのように。
物語後半で「惨劇」と銘打って描かれる闘いは、なんとも言えぬ余韻をもたらす。勝利をもたらした死闘はまぎれもなく、現代から見ると、「惨劇」だ。

 かつてとは比べるもなく、狭く、不自由になった四角い闘技場の中で行われる決闘は、ボクシングというスポーツが、スポーツ小説という枠をこじ開け、これこそが闘いだ、と盛んに主張しているようだ。

 これでいいのか。
 男が思わず自問自答してしまうような小説。
 男性だったら読んでおいて損はない。

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紙の本とらドラ! 1

2009/01/18 19:01

文句不要の超弩級ツンデレラブコメ! (シリーズ一気読み)

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 文句不要のツンデレラブコメ。
 現在本編が9冊、スピンオフが2冊刊行されている。
巻を重ねる毎にあれやこれやの新展開。恋愛模様が次々と露になっていってます。

 主人公、高須竜児は父親譲りの強面を持つ、他は至って普通(でも主婦に劣らぬ家事能力+綺麗好き)の高校生。高校2年生への進級と共に、竜児は運命の出会いを果たす。手乗りタイガーこと逢坂大河(小さいのに凶暴獰猛)に関わったその日から、彼女との恋愛運命共同体の生活が始まった。
 想い人・櫛枝実乃梨(マイペース勤労少女)や親友・北村祐作(天然メガネ委員長兼生徒会副会長)、現役モデル高校生・川嶋亜美(性格極悪、驚異的二重人格)らを巻き込んで描かれる、超弩級ラブコメ。

 ちっちゃいのに超ツンデレ。これは絶対に外しません(私の中では)。ハルヒもツンデレだけど、バイオレンスが無かったからなあ。真っ正直なツンデレラブコメを求めていたのです、私は。

 9巻終了時点で主人公・竜児とヒロイン・大河の相思相愛ぶりがようやくはっきりとし出しました。周囲の人間も、読者も気付いていたであろうその事実をやっと自覚し出した二人。と言っても最初から大河は竜児のことが好きで、竜児も気付いていたけど認めていなかった。二人とも意地を張るかのように、お互いのお互いへの恋愛感情を黙殺していたんです。その心情や、お互いの恋を成就させようと奮闘する様がずーーっとこれまで描かれていたので、この9巻の展開に読者もやっと一安心でしょう。
 っていうか、本当に大河と竜児はラブではないのか!?などとこの物語の傾向を疑った時期もありました。それほど巧妙に(?)描かれているので、恋愛模様に弱い私はすっかり騙されていた気分。もうね、女の子の気持ちは分からんよ…。揺れ動く女心。友情と言う名の自己犠牲。ハマったハマった。むさぼるように一気読み。

 スピンオフを含めると、高校2年の一年間をふんだんに使った感が拭えない。嗚呼、終わってしまうのか、とらドラよ…。スピンオフでいいからなんかこう、ずっと続くような気配を、出せ、ないのか…?

 次の10巻でおそらくラストでしょうし(大河と竜児のカップルぶりを書いてくれるのなら話は別だけど)、みのりんとの恋愛は一段落したから、亜美の想いも書いてくれないかな。

 超弩級ラブコメの名に偽り無し。ラブコメ好きはもちろん、ツンデレ好きにも必読のシリーズ。

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