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  3. 道楽猫さんのレビュー一覧

道楽猫さんのレビュー一覧

投稿者:道楽猫

34 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本阪急電車

2011/04/19 22:51

電車で出会った人々が織りなす人間模様…着眼点はとても良い、のだけれど。

14人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

阪急今津線は、あのあたりに住んでいる私にとって、これまでに何度も利用したことがある馴染深い路線である。
とはいえ私は今は阪急ではなく阪神沿線に住んでいるのだが、下町のニオイがぷんぷんしている阪神とは違い、阪急は、山の手を走っているだけあってどことなく落ち着いていて、ちょっと高級感がある。
電車の色や内装も、同じくおっとりした感じ。
なので、感情的になる画面が非常に多く描かれるこの物語の登場人物たちは、私には"阪急を使う人"としてはかなり違和感があった。
あんなに感情をむき出しにしているような場面は、少なくとも私は阪急電車内では見たことがない。
阪神電車ではしょっちゅう見かけるが(苦笑)。
結果として、非常に残念なことに、阪急らしさが微塵も感じられない。
唯一「小林駅」だけが、"らしさ"を醸し出してはいたが。

これって、舞台は別に阪急今津線じゃなくてもいいのでは…

というのがいちばん初めに感じたこと。
結構致命的欠陥ではなかろうか。

まぁそれは、単なる私見であり、私にとっては致命的でもお話自体が面白けりゃ別に文句はない。

実はこの本は2度読んだ。
最初に読んだとき、
「面白くなくもない。しかし何か引っかかる。」
という漠然とした違和感があり、そこには単に阪急らしくないからという言葉だけでは済まされないナニモノかが潜んでいる気がしたのだが、上手く言葉に出来ずそのままになっていた。なので感想も書かなかった。
書けばなにやら「この外道めが」とよってたかって袋叩きにされそうでちょっと怖かったというのもある。
それぐらい正論に満ちたお話なのだもの。

それが、この小説がこのたび映画化されるとのことで何やかやと話題にのぼり、ムスメが「面白かったよねー」と話しかけてきたので「うーんそうかな」と応じたところから、色々考察するに至った。
で、もう一度読んでみた。

別にほっこりもしないし心にも沁みない私って…。
どんだけヨゴレてるんだ?
というかね、正しくありたい、という気持ちはとっても良いとおもうんだ。
だけどそれって、人の道に外れたことをすると他人から白い目で見られるからそうありたいと思うもの?
なんだかね、この物語の登場人物たちって、どいつもこいつも「人が見たらどう思うか」ってそればっかり。

私は電車の中でヒマなとき、しょっちゅう妄想をする。
前に座った人を主人公に見立てて色々楽しいストーリーを組み立てて心の中で一人でにやりとしたりする。
(文章にするとかなりアブナイな…)
でもそれは妄想だからこそ面白おかしいのだ。そこに重い現実を持ち込んじゃいかんのだ。
このお話は、妄想にしてはやたらと現実的なお話のクセして人物がステロタイプで薄っぺらい。
一方向からのみ見ているのだから仕方ないけど、「こちら側にいる人」はみんな善人で「あちら側にいる人」はみんな悪人なのかい?
会ったばかりの婆さんに「くだらない男ね」と切って捨てられた男にも、色々言い分はあるだろうに。
確かにね、赤の他人のたった一言で救われたり変われたりって、それはあると思う。そこは認める。
だけど、世の中見えている部分が全てじゃないし、私だったら、ひと目会っただけの人のことをそこまで悪く言う相手の言葉を取り入れたりしない。ていうか、相手のオンナだって見かけに踊らされた、かなり安い人間じゃないか。
いやいや、これはきっとひっかけなのだ。まだ後半があるじゃないか。折り返しでは、たぶん立場を逆転した新しい展開があるに違いない
…と期待していたんだけどね。
折り返しは、前半の人物たちのその後が描かれるのみ。
うーん…なんともはや…。
というのが、再読後の感想。初読時のもやもやの原因がはっきりしたのみ。
人間って、そんな薄いものなのかい?
電車で出会った人々が織りなす人間模様、という着眼点はとても良いのだけど、それならば人物にもう少し深みがほしかった。

最後に、苦言ついでに苦情をば。
阪急今津線は、今津が終点なんだけど?
確かに西宮北口でいったん途切れるけれども、今津線というぐらいなんだから、きっちり阪神国道と今津も書いてほしかったなー。

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紙の本

紙の本おやすみラフマニノフ

2011/10/23 07:23

行間から音は聞こえど心の声は聞こえず。非常に薄味。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「さよならドビュッシー」の続編と銘打たれているが、同時系列でのお話なので、続編というより姉妹編だろう。
前作が面白かったので、こちらも期待して手に取ってみた。

が…。

かなーり薄味。

「さよならドビュッシー」のエッセンスと中の具をちょっと使って10倍ぐらいに薄めてみました、なイメージ。
謎解きの重要人物としてちゃんと岬先生は出てくるし、あの「プチ子ヘミング」も登場するんだけど、
なんというか、とっても軽いのだ。

もちろん音の表現は今回も素晴らしかったんだ、うん。
臨場感もばっちりだし、バイオリンをよく知らない私にも、その音の凄さは十分に伝わってきた。

でもね。
なんだか途中で飽きちゃった。
前回は、主人公がそれこそ死に物狂いで、崖っぷちに立っての挑戦だったから、延々と一曲丸々表現されても手に汗握る感じで読み進めることが出来たわけだけど、今回はね…まぁ本人にとっちゃ死活問題だったんだろうけど……結局のところ、コンクールというわけでもなく、定期演奏会だもんなぁ。
で、作者には本当に申し訳ないけれど、何ページにもわたる素晴らしい音の表現の部分は、ついつい読み飛ばしちゃったのだ(すみません)。

犯人も、途中で目星はついてしまうし、ミスリードもちょっとミエミエな感じだったのでさすがに引っかからず、ミステリーとして読むとしても中途半端でつまらない。

何より致命的なのは、やはり前作同様、人物表現が巧くないこと。
セリフがセリフにしか聞こえないのだ。血の通った人間が自分の想いを語っているようには到底思えない。
そしてかなり説教くさい。この部分で一気に興醒め。
言いたいことはとてもよくわかるし、良いこと言ってるんだけどね。

主人公の、初音さんに対する想いもあまり伝わってこないし、柘植学長の人となりも見えてこない。
そんなこんなで感情移入が難しいため、肝心のクライマックスもまったく心を打たなかった。
ていうか、演出に凝り過ぎていてクドい。

結局最後まで、酔った作者の一人語りを少し離れたところから冷めた目で眺めているような置いてけぼり感満載で、前作がとても良かっただけに非常に残念だった。

でも何故だか次作も懲りずに挑戦したいなと思っている私がいる。
「残念」だと言うのは、やはりこの作者にどこかしら期待しているからこそ、なのだ。

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紙の本

紙の本幸福な食卓

2011/10/04 07:45

もわんとした窒息しそうなよそよそしいぬくもり

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

なんともキモチワルイお話であった。

もちろん、主題は家族の再生なんだろうけども、全然清々しくなく、すっきりしない。
なまあたたかい風がずっと顔に当たっているような不快感。
そう、なんだかエアコン暖房のような、つくりもので、無理矢理なイメージ。
もわんとあったかいけど、窒息しそうでちっともぬくぬくしない。

そいでもってここの家族の食卓が、タイトルにそぐわず、ちっとも幸福な気がしないのはどうしたことだろう。
そうだな。割れちゃったお皿をセメダインかなんかでくっつけて、接着剤のニオイが明らかにしてるんだけど、みんなその事には触れずにニコニコとガマンしながらお料理を平らげる、みたいな。
もしかして、これって、実は家族という形をとったお人形が、そろって食卓を囲んでいるというオカルト話なのだろうかと思ったほどだ。

ああでも。
"家族"って、ひょっとしたら元々そういうものなのかもしれない。

「百鬼夜行抄」という漫画の中に、こんな印象的なセリフが出てくる。
親子だと思っていた男女が実はそうではなかったというくだりで、主人公のお婆ちゃんが
「そうじゃないかと思っていた。親子ってもんは、もう少し遠慮があるものよ。」
とつぶやくのだ。
読んだ当時は、ちょっと腑に落ちない気がしたもんだけど、よくよく考えれば確かにそうなのだ。
親子だから、家族だからこそ言えない、触れられないことがある。
暗黙の了解がまかりとおる狭い狭い領域。

そう考えれば、こういう形の思いやりは、理解できる。
お互いを思い合うが故に、父親は父親をやめ、母親は家を出る。
それもまたひとつの家族の在り方なのだろう。
けどなぁ。
理解できる、ということと、賛同する、ということは別問題であり、私はこういうキモチワルイ解決方法は好きではない。

別に体育会系のノリで
「みんな、もっと腹を割って話そうぜ!」
なんて能天気なことを言うわけではないけれど、何故、もっと単純に夫は妻を抱き締めず、母親は娘を抱き締めないのだろう。どうしてこんなにお互いの距離が開いているのだろう。

うちの夫婦喧嘩は時にとてもヒサンで
夫が星一徹のように卓袱台をひっくり返し、私は醤油差しをぶん投げて応戦し、かべ一面が醤油とカレーまみれになってしまったことさえある。それで
「あんたなんかとはもう一緒に暮らせない!別れてやる」
とお互い喚き倒すのだが、小一時間もすれば、そんなことはすっかり忘れて一緒にテレビを観て笑っていたりする。

子どもたちからすればとってもハタ迷惑な両親だろうが、たぶん夫は自殺しないし私は家出をすることもない。
もちろんべたべたくっつくだけが良いわけではない。
家族にはそれなりに距離もありお互いに秘密もあるだろう。
何を幸福と感じるかも、人それぞれである。
けれど、ムスメの最大の悲しみに、あんな形でしか寄り添えない父親と母親は、私にはとてももどかしく腹立たしい。

少なくとも、私があの家族の一員であれば、幸福な気持ちで食卓を囲むことはないだろう。

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紙の本

紙の本さよならバースディ

2011/05/24 20:15

面白いストーリーとは裏腹に、人間たちに翻弄されるバースディが憐れで哀しい

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

(※若干のネタバレを含みますので未読の方はご注意を。)
バースディというのは、ボノボという種類の、一匹の猿に付けられた名前。
東京霊長類研究センターでは、彼に人語を教え、言葉によるコミュニケーションを試みる「バースディプロジェクト」が実施されていた。
ところが、このプロジェクトの初代代表であった助教授が突然自殺し、後を任されることになった主人公の恋人もまた、主人公からプロポーズをされた当日の夜に、バースディが見ている目の前で、センターの5階の窓から落ちて死んでしまうのだ。
結局彼女の死も、助教授同様自殺という判断が下されるわけだが、それに納得がいかない主人公は、僅か100語に満たない言葉しか習得していないバースディに、事件の夜のことを聞きだすべく孤軍奮闘する。
そんな頃、主人公の元に、死んだ恋人から一枚のDVDが送られてくる。
そこには死んだ恋人からの、とあるメッセージが隠されていた。やがて、唯一の目撃者バースディにより明かされる悲しい真実とは。
そして、所長からプロジェクトの打ち切りを告げられた主人公とバースディの行く末は如何に。

動物実験について語るには私には知識が足りないしどうしても偽善的になってしまいそうなので、バースディプロジェクトの是非については特に触れない。

しかし、この物語、主人公とその恋人があまりにもバースディに対する誠実さに欠け、その点に於いて実に腹立たしい。
バースディの行く末を案じ、彼を生まれ故郷(いや、彼は日本で生まれているので、母親の故郷ってことかな)に無理矢理帰そうとした人物を毛嫌いしていたくせに、いざどうしようもなくなったら、手のひらを返すように彼にすり寄り、「実はずっとアンタのこと好きだったんだぜ」みたいに豹変する主人公。
生きているうちに何も行動を起こさず、死んだ後にとんでもない形で真実を告げる恋人の由紀。その死に加担させられたバースディの胸中を思うと胸塞がれる思いがする。
所詮猿には人間のような細やかな感情がないと思っているからあんな酷いマネができたんだろうね。
彼女の行動には決定的に思いやりというものが欠けていて、読んでいて怒りを禁じ得ない。何が、どこが純粋なんだか。

皮肉なことに、物語中で悪役として描かれる人物のほうがよほど首尾一貫しているという始末。
なんだかなぁ。

ただ、バースディの言語習得能力に隠されたトリックは面白かった。
面白かっただけに、いっそうバースディが哀れでならないわけなのだが。
感情移入を避け、淡々と筋だけを追うのなら、とても面白いお話だと思う。

私には、とても出来ない芸当だが。

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紙の本

紙の本神様からひと言

2011/07/23 06:46

神様と闘い、神様に救われる。大丈夫「死にゃあしないさ」。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

社会人になって間もない頃、当時の上司から言われた言葉がある。
「たとえ今、自分がお客様の立場でも、もしかしたら明日は相手が自分にとってのお客様かもしれない。常にそう肝に銘じていなさい。」
その言葉を、ン十年経った今でも忘れていない私からすれば信じられない話なのだが。

巷には、神様になりたがる人たちがあふれている。
ほんの些細な商品の瑕疵に目くじらを立て、或いは店員の態度に難癖を付け、彼らは「責任者を出せ」「弁償しろ」と喚く。
"神様だから何でも通る、許される"と思っている。

私もかつて受電専門のテレオペの経験があるので、クレーマー対応には慣れている。
中年のオジサン相手ならば、とにかく相手を持ち上げる。
「お客様のおっしゃる通りでございます。さすがよくご存知でいらっしゃる。」
オバサマ相手なら、とりあえず気持ちに寄り添うフリをする。
「お気持ちお察しいたします。」「お怒りはごもっともでございます。」
そして心の中で「けっ」と毒づき、中指を立てるのだ。
我ながら性格悪いと思うが、わけのわからない"神様"を毎日相手にしていると、どんどん性格が歪んできて、すさんでもくるのだよ。

この本にも様々な形のクレーマーが描かれていて、クレーマーの実態を知らない人からすれば、こんなのはただの小説の世界の話であり、誇張されているだけだと感じるかもしれないが、実はこの本に出てくるクレーマーなんて、まだまだカワイイものなのだ。世の中には本当に想像を絶する"オモシロクレーマー"が存在する。
私など、話の通じない相手に何度も何度も辛抱強く説明を繰り返しているとき、頭の中をずっとひとつの言葉がリフレインしていた。

「バカの壁」

だけど、本来クレームは企業にとっては宝の山であり、それを生かすことができれば、それこそ"お客様は神様"となり燦然と光り輝くことだろう。何故か。それは、一人のクレーマーの影にはその何倍もの「サイレントクレーマー」が存在するからである。
現在、ほとんどの企業には「お客様相談室」という名のクレーム受付窓口が用意されているが、自社の社員が対応しているところは少なく、表向きは苦情のフィードバックをしている体裁をとっているが、実際にそのクレームを品質向上に役立てているのかと問われれば、私の知る範囲に限ればそういうところは皆無であった。
旧態依然の会社の体質、自らの進退にばかり汲々とする情けない上司たち。
若い主人公にはまどろっこしくイラつくことばかりだろうが、このトシになってつらつら考えるに、背負っているものの重さを思えば、それも致し方ない面もあるとは思う。

作中の「おでん」の喩え話の通り、社長だ専務だと威張ってみても、所詮、自社の「おでん」の中だけのこと。
みんな一皮むけば、ただのオヤジであったり年老いた婆さんだったりする。
そして「おでん」の中では光り輝かない具も、それが主役となる場も必ずある。
時には鍋から飛び出し、新しい道を探すのもいい。すっかり味のしみたコンニャクや大根には難しいだろうけど、新参者のじゃがいもなら、うまくいけば「肉じゃが」として主役級の人生を歩めるやもしれない。
失敗したって、なに、今の日本なら「死にゃあしないさ」。

読み終えたときには、なにやら清々しく、思わず空を見上げて深呼吸をした。
うん、大丈夫。「死にゃあしないさ」。


"本物の神様"は、ジョン・レノンの「イマジン」に、ひとり静かに耳を傾ける。


天国なんかない

ただ空があるだけ

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紙の本

紙の本プリンセス・トヨトミ

2011/06/25 08:20

ぶっ飛んだ設定ですが、有り得るかも。だって大阪だもの。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

大阪ええとこ一度はおいで。酒は美味いしねーちゃんは……
オモロイで。

とか言いつつ、実は私、大阪が嫌いでした。
高校生の頃、父親の仕事の都合で四国から関西に移り住むことになり、生まれて初めて身近に接した大阪民族(?)そして何より大阪弁に、最初は強い拒絶反応があったのです。
大阪弁が、非常に馴れ馴れしく、かつ高圧的に感じたんですよね。
それが今やすっかり大阪になじみ、ボケにボケ返し、あまつさえノリツッコミまでこなしてしまうという、"大阪のおばはん完全体"と化してしまった私。こんな私に誰がした。

大阪という場所は、遠巻きに眺めていると、なんだか怖い異質なところ。でも一歩中に踏み込んでしまえば、これぐらい愉しいところもないのです。
確かに、日本の中で国として成立するのは、大阪と、あとは独自の文化を持つ名古屋ぐらいかなと思う。
だからこそ、このお話のような突拍子もない設定も、「大阪ならあるかもなぁ」と受け容れられるのでしょう。

ただ、このお話、序盤のテンポがあまり良くなくて、物語がなかなか滑り出さない。
「プリンセスはいつ出てくるん?」「大阪全停止せぇへんやん」
前評判で散々宣伝されていただけに、その分なんだかイライラが募るのです。
中盤に入ってようやくストーリーが進みだすと、後は終わりまで一気に疾走してくれるので、それまでのガマンなのですが、もう少し序盤でぐいぐい引っ張ってほしかったなぁ。

「大阪国」の成り立ちや秘密を守り続ける理由については、普通に考えるとあんまり説得力はありません。
でも、これもやっぱり「大阪」だったら有り得るかもしれない、という気はします。
ただ、あるとしたらそれは作中のような高尚な理由ではなく、
「なんかオモロそうやし」
みたいなノリかもしれないなぁと思うのです。
"わかる者だけにわかる符丁"って、なんだかわくわくするし、秘密の共有はみんな大好きですやん。

でもなぁ。
なんかなぁ。財政的な面で、本当にそれでいいのか「大阪国」…
ツッコミどころ満載だし、なんだかどさくさに紛れてムリヤリ納得させられてしまったような点が残念。
なので、打ち上げられた花火は派手なのに、どことなく不完全燃焼感が残ってしまった。

ま、最後に大阪のおばちゃんの溜飲も下げられたわけだし、

終わりよければすべて良し、かな。

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紙の本

紙の本植物図鑑

2011/04/25 21:39

女子のツボをがっちりおさえている、とろけるような激甘小説

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まずは、
きちんと生活しなきゃなぁ、と反省した。

あちこちで「激甘」と評されるこの本を読んで最初の感想がそれってどうよ
って感じなのだが、それぐらい今の我が家の食生活は乱れておるのだ。
旬のものを自分たちで調達し、手をかけて下処理をしてきちんと最後まで食べる。
ま、"自分で調達"は、都会に住んでいてフルタイムで働いている私には少し難しいけれども、"食に手をかける"ことを疎かにし過ぎていたなぁ、と。
これからはもう少し、食べることを大切にしようそうしよう、うん。

お話自体は、皆さん口を揃えておっしゃるように「あんまぁぁぁい」。
とろけるように甘い。
まるで少女漫画の如きご都合主義にあふれている。
ふつー道端にあんな"躾のできた良い男"は落ちてません。
拾ってくれなんて言いません。
けれど、このお話が好きか嫌いかと問われれば、

好き。

ゼヒとも羽海野チカさんに漫画にしていただきたい(熱望)。
さすが女性の作者さんだーと思うぐらい、女子のツボをがっちりおさえている。
というか私のツボを知っているのかこの人は。
というぐらい好きだこーゆー話。
私はきちんとした男(イケメン限定)に弱いのだ。

というわけで、途中までは夢中で読んだ。久々にわくわくした時間を過ごせた。
でもあのラストはいけない。
私としては、これはハッピーエンドにしてはいけない話だと思うのだ。
ハッピーエンドにしてしまうから、甘いだけの妄想小説に堕してしまうのだ。
最後まで、女子的願望にまみれた少女漫画であれば、小説である必要がない。
(だから羽海野チカさんに…以下略)
特に最後の一章は蛇足だ。と私は激しく思うのだが、違うかな。あれは絶対に必要なのだという納得できる理由をだれか教えてくだされ。
まぁ、元々ケータイ小説らしいから、それでいいのだと言われればそーゆーもんですかと引き下がるしかないのだけれど。
実に惜しい、と私は思ってしまうのだ。

それと。
「阪急電車」を読んだ時にも感じたことなのだが、この人の書くものって、ニオイがしないんだなぁ。
あまり情景が浮かばない。
言葉で色々と説明を尽くしているにも関わらず、である。
そういうところも、とても残念。
なんでだろうな。
「料る」なんて、あんまり普通じゃない言葉に凝るより、もう少し巧みな表現を使えるようになれば、もっといいと思うんだがなぁ、私は。

…以上、かなり上から目線ですみませぬ。

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紙の本

紙の本姑獲鳥の夏 文庫版

2011/11/15 21:20

京極堂マジック全開!

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「この世には不思議なことなど何もないのだよ」

いやぁ、痺れます。
この世界観、たまりません。

正直なところ、ミステリとして読めば、こじつけめいた部分が多く突っ込みどころはいっぱいある。
しかしだね、冒頭から京極堂の語りのみでどんどん主人公を、そして読者を別の世界へと引き込んでゆくこの魔力は圧倒的。
認識論と量子力学を駆使して、脳が見せる仮想現実の世界、この世の不確実性を関口相手に滔々と語って聞かせる。

キミが今見ていると信じている世界は果たして現実に存在するものなのか?と。

それを聞かされる関口は、次第に現実と虚構の境目に自信が持てなくなってゆき、ついには我が身の存在自体にさえ疑問を持つに至る。
否、そう誘導されるのだ。

それにしても関口君は京極堂マジックに簡単に引っかかり過ぎだなぁ。
なんだか読んでいる間ずっと、「動物のお医者さん」の二階堂を思い出してしょうがなかったよ。
そりゃあ人をあんなに簡単に操れるなら楽しいだろうな。
京極堂はとても魅力的だけれど、あまりお近づきにはなりたくないなと思う。

その京極堂の語る様々な薀蓄の中でも「憑物筋」の解釈は殊に面白かった。
「座敷童子」が、富の隔たりを説明するための「民族装置」であるという説など、なるほど大変に説得力がある。
人は何にでも意味を求める生き物だものね。で、その理由はたいてい後付けなんだよね。
幽霊も妖怪も、現われるべくして現われ、時がくれば自然に消滅する。
人は、見たいもの、その時見る必要のあるものしか見えないものだからね。

そしていよいよ京極堂の圧倒的な憑き物落としのクライマックス。
黒の着流しに晴明桔梗の五芒星を染め抜いた黒の羽織姿で颯爽と登場する京極堂。
絶妙のタイミングで鳴り響く風鈴の音。

最高です。

私も関口君のことを笑えないなぁ。
京極堂マジックにすっかり惑わされ、あのようにしれっと語られる"密室の謎解き"も「そんなムチャな」と呆れつつついつい許しちゃうんだから。
納得いかんよ。開いた口が塞がらんよ。でもそういうところ大好きだ。

それにしてもそれにしても。

"見えない"関口と対比する形で"見える"榎木津を配置することで
巧妙に罠を張り巡らせ、読者をミスリードする作者の手管には素直に「参りました」と言わざるを得ない。

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紙の本

紙の本少し変わった子あります

2011/04/09 22:18

美しくもミステリアスな文学作品

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

びっくりするぐらい美しい「文学作品」でした。
それはそれはもう、極上のお料理を上品な器で味わったよう。
で、文学作品でありながら、どこかしらミステリアスで、そこはかとなくホラーテイストも加味されている。

毎回場所が変わる、名前のない料理屋。美しく整っていながら何故か印象に残らない容貌の女将。
客はただ一人。そして、毎回異なった女性が一人、食事のお伴をするという趣向。
行方不明になった同僚から、かつて紹介されていたその店をなんとなく訪ねてみた主人公の大学教官は、その不可思議な空間に、初めはとまどい、訝る。
食事のお伴をする女性もまた素性を明かさない。"その類"の店のように酔っ払いの愚痴を聞いてくれるわけでもない。特になんの特典もない。ただ、何故か皆、所作が非常に洗練されていて美しい。
「こんな趣向になんの意味があるのだろう。」
しかし、"ほんの少し物足りない"その余韻に何故かまた足を向ける気になり、2度3度と回を重ねることとなってゆく。

"一期一会"という言葉を突き詰めたようなシチュエーション。
膨大な時空の中で、今在る不思議。ここで出会う奇跡。
そして、そうでありながらも、詰まるところ自分は一人であり、最も愛しているのは孤独なのだと気付く。
厭世観とはまた違う。
見ず知らずの女性と相対して食事をしつつ、そんなふうに主人公は実に様々なことに思索をめぐらせる。
食事で支払う金額以上の何かを、彼はきっと得たのだと思う。
そして、同時に、日常という次元に於いて「何ものか」を失った。


私は人と差し向かいで食事をするのは苦手だ。
相手に見られている、というのは、相手を意識しているようでいて、結局は自分を顧みていることに繋がるからだ。
ゆるゆるの躾で育った私は食事のマナーもあんまりちゃんと知らないし、相手がきちんとしていればいるほど、いろんな意味で自己嫌悪のカタマリに陥ってしまうのだ。
この主人公が女性で、相手の、"所作の美しい人"が男性だったら、こういう店は成り立たない気がするなぁ。
この大学教官みたいに色んな思索に耽る余裕もなく、食べた気もせず落ち着かないだけだろう。
美しいけれど、やっぱりこれは男性視点の作品だな。

ただ、私も、所作の美しい人を眺めるのは好きだ。
小学生の頃だったと思うが、風邪かなんかで訪れた病院の看護師さんの手つきが、非常に洗練されていて美しかったことを思い出す。
脱脂綿の入った容器のふたを取る。
注射器に薬液を満たす。
それらのすべての動作が実にムダがなく流れるように綺麗で、思わず見惚れてしまったのだ。
なんにしろ、美しいというのは心地よいことなのだな。

ラスト近く、なんだか違和感を覚えてきたな、と思ったら
やっぱりな展開。
ここで一気に背筋が寒くなった。

まったく違うお話ではあるけれど、解説者と同じく、私も
「注文の多い料理店」
を思い出してしまった。

余談であるが、「四季」シリーズを読んでいると、ちと色んな妄想が展開しそう。
女将の正体って…とか。
もちろん森先生は、そんなことどこにも書いていないし、ただのファン的迷妄に過ぎないのだけど。

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紙の本

紙の本順列都市 上

2011/08/14 11:52

人は神になれるのか。永遠の生命は実現可能なのか。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

人は決して神にはなれない。
たとえある"種"の創世の神となれたとしても、作り出したものは、神の手を離れた時点で最早別の存在。決して創世者の思い通りには成長しない。
けれど、一人の人間の中には、原因も結果も過去も現在も未来も、そのすべてが内在し、なにもかもを自分で選び取ることができる。

かもしれない。


ふぅぅぅぅぅ。
ようやく、です。ようやく順列都市から抜け出すことができました。
いやー長かった。ひとつの本にここまで時間をかけたのは初めてです。さすが難解と言われるイーガンさんです。
わけわからない言葉がこれでもかと登場するんですよ。
「塵理論」「セル・オートマトン」「エデンの園配置」…。
頭の中を「?」が延々と左から右へ流れ、数ページ読むごとに頭がぼんやりしてきて、がくりと頭が下がる(つまり寝ている)。そしてはっと目を覚まして慌てて本に目を戻す…の繰り返し。

みなさーん「水飲み鳥」が電車にいますよー

状態でした。
それでも投げ出さなかったのは、やっぱりラストが気になったから。
惑星ランバートはどうなるのか。永劫に続く生命は存在するのか。
で、読み終えた後、冒頭の考えに至ったわけです。

そもそも。
生命はコピーできるのか。
人間の脳を丸ごとスキャンすることで、その人の感情や記憶や人格までコピーする。
感情が脳の働きの一種であれば、脳の状態をそのままコピーすることで、それは理論的に可能かもしれない。
だけど、私は、「生きてる」ってそういうことではない気がする。
攻殻機動隊で言うところの「ゴースト」。
魂は、その生命の、いつ、どこの時点で宿るのか。

萩尾望都の「アロイス」という漫画があって、主人公の双子のうちの片方であるアロイスは生まれる前に亡くなってしまうのだけど、もう一人のカラダに精神だけが憑依し、次第にカラダを欲するようになり…というお話。
果たしてこれは単なる多重人格のお話なのか、それとも…。
というわけで、読んだ当時非常に様々なことを考えたものです。

多重人格といわれるものは、「障害」と名のつくように、本当に単に一人の脳の働きの異常がもたらしたものなのか。
ひょっとすると、魂は必ずしも一人に一つ、ではないのかもしれない。
でもそもそも魂って何だ?…などなど。

その答えは、未だ闇の中。
でも何となく、量子力学の世界がそれを明かしてくれるような気がしている。
残念ながら、私の存命中にはきっと無理だろうけど。
誰かシュレディンガーの猫を連れてきておくれ。
(特に意味はないので突っ込まないでください)


それにしても"永遠の命"か。

古来から様々な人間がそれを欲したというけれど。
「生きている」って、元々「死ぬ」ことが前提ではないのかな。
永久に存在するものは、そもそも「生きて」などいないのかもしれない。
終わりがないってことは、始まりもないのでしょう。

※上下巻を読んでの感想です。傑作ですが、難解すぎて★マイナスいっこ。

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紙の本

紙の本アクロイド殺し

2011/07/09 15:04

フェアもアンフェアも関係ない。心地よく酔えればそれで良し。

19人中、19人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私の姉が、高校生の頃一時海外ミステリにハマっていて、特にアガサ・クリスティは大のお気に入りだったので、家にはほとんどの作品が揃っていた。
にも関わらず、当時中学生だった私は、そんな姉を「下賎な民よのぅ」とナナメに見下ろして、トルストイだのブロンテだのを知ったかぶりして読みふけっているスットコドッコイな似非文学少女だったので、姉のコレクションなぞには全く興味がなかった。
なんて勿体ない。クリスティもクィーンも読み放題だったのに。今から思えば宝の山だよ。
人は、失ってから無くしたものの価値に気付くのだよね。(しみじみ)

月日は流れ、今やすっかりミステリファンとなった私だが、読んでいるのは日本の作家の、それも最近の作品ばかり。海外ミステリにはとんと疎い。
作家の名前だけは色々知っているが、実際に読んだことは全くと言っていいほどなかった。
で、まずは、かつて姉が大いにハマっていたクリスティを読破しようじゃないか、と思い立ったわけだ。

「アクロイド殺し」(姉が持っていたのは「アクロイド殺人事件」というタイトルだったと思うが)は、その中でもクリスティを一躍世に知らしめることとなったという意味で、金字塔とも言える作品である。
とは言え、まったく予備知識はなし。
「オリエント急行」と「そしてだれもいなくなった」は何故か犯人を知っているのだが、こちらは「なんだか評価が分かれて揉めたらしい」「クリスティずるい」と言われたらしい、というぐらいしか知らなかった。

で、読み終えて、「なるほどなぁ」と唸った。
今でこそ、こういった仕掛けは珍しくもないが、当時としては実に画期的で、しかも大冒険だったんじゃなかろうか。叙述ミステリーの先駆けとも言える本作品は、なるほど確かに実によく練り込まれていて隙がない。

そして、人物描写がとても巧みであることにも驚いた。
ほんの少しのセリフと仕草でその人物の人となりを的確に表現する。簡単そうでこれはなかなか出来ることではない。クリスティはそれをさらりとやってのけている。
ポアロは、私のイメージとちょっと違っていて意外だったのだが、なるほどなかなか食えない探偵だなと苦笑した。

さて、前述の「クリスティずるい」の部分だが。
私は「別にずるくないよね」と思った。ミスリードに引っかかったのは読者の勝手な思い込みのせいだし、伏線は至るところにばら撒かれているので、気付かないのは、これも読者がマヌケなせい。
でも「ずるい」とじたばたしてしまう気持ちもよくわかる。
そしてそれこそが叙述ミステリーの醍醐味なのだ。
人は騙されると腹も立つが、逆にその毒に引き込まれ、「もっと巧く騙してほしい」と望むようにもなる。
手品は、タネも仕掛けもあることをみんな知っている。それでも騙されたいと一流のマジシャンの元に人は集まる。
思えば、お酒だって人の感覚や感情を騙すものだよね。
きっと、みんな何かに"酔いたい"んだなと思う。

本格ミステリの真髄に触れたい人は、この本を読むといい。
心地良い酩酊に、頭の芯が熱くなる。

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紙の本

紙の本さよならドビュッシー

2011/07/04 07:22

心の中がドビュッシーのアラベスクで満たされる

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

行間から、
ピアノの音が確かに聞こえた。

ピアノは、小さい頃から今に至るまで、私にとってずっと憧れの楽器である。
小学生の頃、ピアノが弾きたくて弾きたくて、でも貧乏だった我が家ではピアノを習うなんてそんな贅沢が許されるわけもなく、私は、近所からいただいた中古のオルガンをブーカブーカ鳴らしてピアノを弾いているつもりになって悦に入っていた。
今の私は知っている。ピアノという楽器は、もちろんそんなに簡単に弾きこなせるほど生易しいものではないということを。

解説者は"スポ根"と評していた。
確かに、火事で大火傷を負い、ほとんどの皮膚を移植するはめに陥った主人公が、最終的にピアノコンクールに出場するに至る過程は、実に過酷なものだ。
しかしそこには、単なるスポ根とは違う、きちんとした(かどうかピアノを習ったことのない私にはわからないが少なくともそう思わせるだけの)理論の裏づけがあり、"努力と根性"だけで何事かを成してしまうというような荒唐無稽なお話ではない。

そしてこの物語は、秀逸な叙述ミステリーでもあるのだ。
ミステリー読みなら、この程度のトリックには気付かなきゃ、と思う方も多いだろう。
だが私は気付かなかった。
あの犯人のことは、もちろんわかった。で、ミステリーとしては凡庸だなと思っていた。
ところが、なのである。
気を付けて読んでいれば、ところどころのエピソードに違和感を覚えて当然なのに。
うっかり、ピアノのほうにばかり気を取られていて、見事に作者の策略に嵌ってしまった。
今から思えば…そうだよね、おかしいよね。なんで気付かなかったのか。うーん悔しい。

でもそこに気付くと、物語はまた違う輝きを放ち始める。
主人公の、そこに至るまでの想い、葛藤、苦しみ、そんなものが一体となったクライマックスは圧巻だった。
主人公が目指していた、聴衆に風景を見せることの出来る演奏が見事に再現されていた。
確かに私にはその時ドビュッシーのアラベスクが聞こえたのだ。

ただ、なんだろう。登場人物には、ミスリードとは違った意味で違和感のある人物が多かった。
お祖父ちゃんにしてもみち子さんにしても、何故か台本をしゃべっているような作り物感が満載なのだ。
特にみち子さんは、それまで全くと言っていいほど人物描写がなく、イメージが固まっていないところにいきなり滔々と方言で語り出すので、「この人どうしちゃったんだろう?」とビックリしてしまった。
そりゃ、作者にはちゃんとしたイメージがあってのことだろうが、読み手にはきちんとそれを文章で提示していただかないと伝わらないし、違和感が募るだけで感情移入ができなくなるよ。

それと、もうひとつ。
「車椅子に乗ってる人がくると、みんな一斉に道をあけ、見て見ぬふりをする。」
というくだりがあり、それは確かにそうなんだろうけど、その理由として
「みんな関わりたくないんだ」
と切って捨てる。
けれどそうだろうか。
中にはもちろんそういう人もいるだろう。でも、みんながみんなそんなんじゃないと私は思う。
「儀礼的無関心」という言葉がある。
電車の中で泣いている人を見かけたとき、どうしたんだろうと気になりつつも必要以上にそちらを見ず、気付いていないふりをする、というのはみんなごく普通にやっていることだろう。それはある種の思いやりである。
明らかに相手が困っていれば手を差し伸べる。邪魔だろうから道もあける。けれどもそれ以上はお節介になる可能性があるし、ジロジロ見るのは明らかに失礼だろう。だから見ない。
でもそれは決して「関わり合いになりたくない」からではない。私はそれは一般的な思いやりなのだろうと理解している。
なので、この部分については、私は大いに異議を申し立てたい。

…すこし熱くなり過ぎた。
クールダウンクールダウン。

タイトルの「さよなら」の意味は最後に明かされる。
けれど、それは決して悲しいだけの言葉ではなく、希望に満ちた未来への約束の言葉でもあった。
涙が一筋こぼれ、読後もずっと心の中にドビュッシーが鳴り響く。

このシリーズを、もっと読みたいと思った。

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紙の本

紙の本向日葵の咲かない夏

2011/05/11 09:49

誰だって、自分の物語の中にいる

14人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

だ、騙された……。
向日葵というタイトルに騙された。
向日葵には、真夏に凛と上を向いて咲く、元気な花というイメージがあるのだもの。
よもやこんなダークでホラーなお話だとは。
そう思って改めて見返せば「咲かない」なのだよね。そうか、咲かないのか(しょんぼり)。
しかしよくよく考えれば、向日葵って結構怖いかも。特にあのデカイほう。
あれも何かの生まれ変わりなのかもね。たとえば、日の目を見たかと思えばすぐに死んじゃった生き物とか。

向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ(前田夕暮)

どっしりじゃなくゆら~りだもんね、結構ホラーだよ。
という主旨の感想を、この短歌について書いたら、「それは間違っている」と国語教師にさくっと斬ってすてられたなぁ。ああ、遠き高校生時代。

それはともかく。
冒頭からして、相当怖いのだこれ。
夏休み前の終業式の日。学校を休んだS君の家に、担任に頼まれ、学校から配布されたプリントを持って行ったミチオ。しかしそこでミチオはS君の首吊り死体を見つけてしまう。S君の遺体は、庭に咲く向日葵を凝視しながらぎぃぎぃと揺れている…。
ところがそのことを知らせに学校に戻っているあいだに、何故かS君の遺体は忽然と消えてしまう。

人は死んだら7日ごとに転生の機会が訪れるという。ちょうど7日目、死んだはずのS君が、なんとクモとなってミチオの前に現れる。
そしてクモの姿のS君は、ミチオに「僕は自殺ではなく殺された」のだと告げる。

ひぃぃぃぃぃぃぃ。

私はホラーが全く以ってダメなのだ。
この時点でもう、この本を手に取ったことを悔やんだ。ムンクの叫び状態だった。
だけど続きが気になる。S君を殺したのは果たして誰なのか。そして自殺に見せかけたのならどうして遺体を隠したのか。
同時期に近隣で繰り返されていた犬猫の不審死とのつながりは?何故死んだ動物は一様に足を折られ口に石鹸を詰め込まれていたのか。

この物語では、自分を守るため、だれもが嘘をついている。
ひとつの嘘が暴かれても、また次の嘘が重ねられ、様々な糸が絡み合って、ミチオじゃないが、どんどん何がなんだかわからなくなってくる。
いったい真相はどこにあるのか。
通勤電車の中で読み始めたものの、気になって気になって仕事が手につかないほど。その夜一晩で一気に読んでしまった。

やがて明かされる真相。すべての事柄がひとつに繋がる。
ああそうだったのか。
3歳の妹に感じた違和感の正体も、壊れた母親の真実も、あれもこれも。
これは本当に見事な叙述トリックだった。
あれ?…ということは、もしかしてスミダさんも?
いやいやミチオ自体、既に狂気の中に立っているのだろう。

「誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか」

ミチオの言葉にいきなり頭をがつんと殴られた気がした。
そう、だれだってみんな自分に都合の良いストーリーを組み立て、ある意味自分だけのファンタジーの世界を生きている。
嘘をつかない人間などいないのだ。
できるだけ傷つかないように、壊れてしまわないように、自分を守って生きている。

怖いけれど、切ない。
胸がきゅっと苦しくなるそんなお話。後味は決してよくないけれど、心の中にずしっと残る重さがあった。

ただ一点。これは私自身が今現在「母親」という身であるからこその違和感。
ミチオの母親が壊れてしまったのは、理解できる。
しかし、怒りの矛先がむかうのは、決してそこじゃないはず。

母親なら、ああはならない。

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紙の本

紙の本恋文の技術

2011/06/11 10:00

ラブリーラブリーこりゃラブリー♪

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

相変わらず森見さんはすごい人だ。
(「凄い」というと何だか怖い感じなので、ここではあくまでも「すごい」。)
書簡形式の小説なんてイマドキ別に珍しくもないけれど、一方からの目線の、しかも手紙のみでこれほど季節感を表現し、それぞれの登場人物の性格を表現し、物語の経緯を語り切っているものにはなかなかお目にかかれない。

ラブリーラブリーこりゃラブリー♪

で、もう終わりにしてもいいぐらい、この一言がすべてを物語っている。
(実は、この言葉だけは絶対書こうと思ってまず書いておいたら、なんだかもうこれだけでいいような気がして、ほんとにこの一言で終わりたいという発作に襲われたことはヒミツ)

登場人物はこのお話でも皆愛らしい。
「ぷくぷく粽」「天狗ハム」「マシマロ」など、そこかしこに散りばめられた森見さんならではの「小道具」も黒光りしている。
(うっかり検索してみたら「天狗ハム」は実在するが「ぷくぷく粽」は見あたらなかった。そりゃそうか。)

そして、それぞれの手紙の最後の宛名と署名がまた笑える。
中でも、非常に小ネタになるけれども「一級ナメクジ退治士」に私はヤラレた。
電車の中で思わず噴き出してしまった。ナメクジ退治士て!しかも一級て!
そう、モリミーの小説にはこういう小さい爆弾がたくさん仕込まれているので人前で読むときには十分注意が必要なのだ。

それにしても主人公の守田クンは本当にシャイな人だよなぁ。
寂しくて人恋しくて伊吹さん恋しくて仕方ないくせに、この文通は「恋文代筆業」を始めるための修行なのだとうそぶく。そして友人に、先輩に、かつての教え子に、森見登美彦宛てに(!)手紙を書いて書いて書きまくる。
その内容は、と言えば、やせ我慢あり、誇張あり、哀願あり、ドヤ顔あり、とバラエティに富んでいて、飽きることがない。中には、読んでいるうちに「この先、ど、どうなるの?」とハラハラする内容もあり、いつしか次の守田クンからの手紙を心待ちにしている自分がいたのだった。
(と言っても、ページをめくればすぐに手紙を手にすることはできるのだが。なんとなく、まだ来ぬ手紙を待つ気分。)
中でも、伊吹さんに宛てて書いたものの出せなかった「失敗書簡集」は抱腹絶倒だった。
こんなの出したら大変だったろうけど、よくこれだけ考え付くものだ。

で、いったいこの物語、どのように着地させるつもりなのか、まさかこのままダラダラと?と少々心配だったのだが、それは杞憂だった。
守田クンが辿り着いた「恋文の極意」。
それは本当にシンプルなものだったが、それだけに目からウロコで、彼の真摯な想いに胸がきゅんとした。

そういえば、その昔、私もドキドキしながら手紙をしたためた。相手が喜びそうなレターセットを選び、気持ちを込めて丁寧に言葉を選んで文章を書き、時々は写真や栞などを添えたりもした。ポストに投函する前の一瞬のためらい(だってコピーでもとらない限り、手紙って手元には出した内容が残らないのだもの。)返事を待って何度もポストを覗くわくわく感。久しぶりにそういう高揚感を思い出した。
手紙って本当に良いものなのだ。

最後の手紙は、果たして思う相手にきちんと届けられたのか。
そして受け取った人はどのような返事を書くのか。
ともあれ、守田クンの未来に幸いあれ、と祈ってやまない。

読み終えた今、心の中は何故かほんわかあったかい。
主人公はお約束のむさくるしい鬱屈した男子学生なのに。

ラブリーラブリーこりゃラブリー♪

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紙の本

紙の本トマシーナ

2011/10/10 07:20

大切なことがいっぱい詰まった名作。1000年読み継いでもらいたい。

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ずいぶん前に書かれた本だけれども、100年、いや1000年読み継いでもらいたい名作。

かの「ジェニィ」を大叔母に持つ由緒正しきトマシーナは、気高くも慎み深く礼儀正しく、猫の良いところをギュッと濃縮したかのような愛すべき雌猫。
「ですます」調で丁寧に話し、飼い主宅への宿賃として献上するネズミを捕獲する手段を、何日もかけて用意周到に実行する辛抱強さとアタマの良さも兼ね備えている。そして世話になっている家の娘メアリ・ルーに、自分の計画を邪魔されあちこち引っ張り回されたりしても文句も言わずに大人しく従っている。トマシーナはメアリ・ルーのお守り役も果たしているのだ。

けれども、一家の主であるマクデューイは、そんなトマシーナには目もくれず、トマシーナの素晴らしさに気付きもしない。
むしろ、彼が唯一溺愛している娘のメアリ・ルーが、自分よりもトマシーナにべったりであることを快く思っていないフシがあり、トマシーナを邪険に扱ったりする。
そんなマクデューイの職業はなんと獣医。
本当は人間のお医者さんになりたかったのだが、獣医だった父親の跡を無理矢理継がされた形であるため、獣医の仕事には全く熱意を持っていない。むしろ最愛の妻を動物からの病気感染で亡くしてからは、彼の動物嫌いには益々拍車がかかり、少しでも治る見込みがないと診断した動物は、飼い主の気持ちも考えずさっさと安楽死させてしまう始末。

そして運命の日。
憐れトマシーナは、多忙なマクデューイのおざなりな診断で「髄膜炎でもう治る見込みがない」とあっさり安楽死させられてしまうのだ。
その日からすべての歯車が狂ってしまった。
トマシーナはただの猫ではない。幼くして母親を亡くしたメアリ・ルーにとっては母親であり姉であり大切な友達。かけがえのない存在だったのだ。
メアリ・ルーは、トマシーナを手厚く葬ると同時に、敬愛していた父親も心の中で殺してしまった。それは彼女にとっては自分自身をも殺すことと同義の行為であった。
最早生きる希望のすべてを失ってしまったメアリ・ルーは、食べ物も受け付けず次第に衰弱し、やがて死を待つばかりとなってしまう。

無神論者で傲慢だったマクデューイの苦悩がここから始まる。
牧師である友人のアンガスとの非常に有意義な対話にも、心を動かされはしても道を拓くことはできない。
医者にも匙を投げられてしまう。

転機となったのは、人里を離れ、森に住む"魔女"と噂されるローリーとの出会い。
彼女は自然を愛し動物を愛し、傷ついた生き物を優しく癒す。
彼女と触れ合う中で、マクデューイは長い間閉じていた目と耳を開かれ、次第に大きく変わってゆくこととなる。

祈ることを知る

生かされて今が在ることを知る

しかしもうすべては遅過ぎるのか…。


クライマックスは、まさかの大ドンデン返しに震えるほどの驚きと大感動の嵐。
ファンタジーと現実の見事な融合に大いに魅せられた。

猫が好きならもちろん、猫が好きではない人も楽しめること請け合い。
もう一匹の主人公ともいえる神様猫「タリタ」こと「バスト・ラー」の、神秘に満ちた語りと共に、その豊かで示唆に富んだ魂の物語を、じっくりと堪能してみてほしい。

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