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「武士道とは何か」を当時の日本の状態,すなわち武士道が消え去る運命だと分かっている状態で書かれた本である.ゆえに,これは現代でも通じる部分が確実にある.
伊達に旧5千円札に描かれている訳ではない.
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使われている言葉が難しく、内容が理解できてるかどうか怪しい部分もありますが一応読了。今こそ日本人のアイデンティティー云々!の流れから読んでみたけど、これは肩肘張らずにサラっと読むべき本。
元々は日本文化を海外に紹介するため英語で書かれた本だったそうで。日本人には当たり前でも外国の人や、今の僕たち、そしてたぶん最近の若者たちにも摩訶不思議で違和感のある「武士道精神」の合理性や有効性が淡々と論理的に書かれています。
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(1997.04.14読了)(1992.03.10購入)
*解説目録より*
新渡戸博士は、最も深く日本を愛した日本人の一人であり、おそらくまた、西洋の人々から最も深く敬愛された日本人の一人であった。本書は、「太平洋の懸橋」たらんと念願したこの人物を代表するにふさわしい労作と言えよう。これは、広い世界的視野と深い学識、そして何よりも、日本民族への深い愛情から生まれた日本精神論である。
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【レビュー】精神、哲学、慣習、制度など、様々な側面から「武士道」をできるだけ客観的に捉えることを試みている。
そのため、西洋史に限らず、西洋にて著名な思想家や西洋の憲法・制度など、博学な著者の様々な知識が総動員されており、読者がそれらの知識をほぼ知っている前提で説明が成されている。
一番衝撃を受けた部分は「切腹・仇討」のくだり。現代の日本人とはかけ離れた精神性が、本当に当たり前のようにそこにあったのだなと深く感じ入った。
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書いてあることは、日本人として非常に共感でき、なるほどと思うところも多いのですが、全般的に言葉が難しすぎる…。3割程度理解できていない気がします。欧米人との比較は、なかなか面白いです。
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読んだつもりになっていましたが、「武士道と云うは死ぬことと見付けたり」の『葉隠』と勘違いしていたようです。
ルーズベルト米大統領がこの本に大変感銘を受け、日本の要請を受けて日露戦争講和に乗り出したと知ってから、内容を知りたいと思っていました。
国内よりも海外で名が知られている新渡戸稲造氏。
病気の療養中、妻の質問に答えたものをまとめたとのことで、妻は外国人なのだろうと考えます。
(調べてみたらアメリカ人でした)
つまり日本に関する知識がほとんどない外国人たちに、日本の精神を伝えようとしている本。
現在の私たち日本人にとっても非常にいいテクストとなっています。
武士道をChivalry(シヴァリー)と訳しているのが、なんとも洋風。
西洋の騎士道(ホースマンシップ)とは似て非なるものだとの定義付けが続きますが、ノーブレス・オブリージェ(身分に伴う義務)の点では共通すると明解に解説しています。
武士道は仏教と神道、そして禅や仁の教えの影響を受けていると、逐一言及しています。
仏教からは慈悲思想、運命に任すという平静な感覚、神道からは主君への忠誠、禅からは瞑想、仁思想からは道徳的教義。
さまざまな思想が土壌にあり、独自性を帯びて発展していったことに、納得がいきました。
また、神道の神学には「原罪」の教義がないと、キリスト教との根本の違いも指摘しています。
謙信が敵の信玄に塩を送った逸話や、須磨の浦の戦での敦盛と直実のエピソードも織り交ぜて語られます。
菅原道真が失墜した時、一族を根絶やしにしようとするライバルにより、彼の子供も殺されかけたところを、年格好がそっくりの少年が身代わりになり、命を落としたという話は知りませんでした。
日本の愛する桜と欧米人が愛するバラは、華麗さ、香りの強さが対照的で、正反対の花だとしています。
控えめにはかなく散っていく桜に自己を投影する日本人像を、外国の読者はどのようにとらえたのでしょうか。
著者によると、騎士道はアンリ二世が殺された1559年で廃止され、武士道は1870年の廃藩置県で終了したとのこと。
もはやどちらも、過去の美学となってしまいましたが、形を失った今でもなお、その香りは残っているという表現で、文章は締められています。
古めかしく、多少読みにくさはありますが、格調高い美麗文。
著者は英語でしたためたとのことで、原語もさぞかし美しいのだろうと思います。
日本の中で、日本人に囲まれて暮らしていると、当たり前にしか思わない考え方でも、海外の異文化に身を置いて日本を鑑みる著者のような国際人にとっては、その思想や感覚は客観的に独特であり、文章にして広く世に伝えるべきものと思えたのでしょう。
今はもう失われた武士道精神だけに、私たちにとっても過去の武家社会の思想を知るよすがとなる、貴重な資料となっています。
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日本人の美学を海外に向けて紹介した本だが、日本人の僕が読んでもその真髄が何であるのかはわからない。また、武士道が良いものなのか、そうでないものなのかはよくわからない。
またいつか読む。
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旧5千円札の人、新渡戸稲造氏が何者であるかを知る人はあまり多くないように思う(かく言う私もそうだった)。農学者、教育者、哲学者という肩書きが並ぶのであるが、氏を有名にした大いなる実績の一つが本著である。
この本は元々新渡戸氏が海外で出版した英字文であり、海外の人々に当時の日本の道徳観念(つまりそれは武士道だとした)が何であるかを紹介するために書かれた本だった。それが後に和訳されるという逆輸入?的著作である。
氏はある日ベルギーの法科大家との会話で「日本では宗教教育なくしてどのように道徳的観念を教えているのか?」と甚だ疑問としてぶつけられた問いに答えられなかったことから、それを説明するものとして封建制度と武士道の理解が不可欠であることに思い至り本著を認めた。
義・勇・仁・礼・誠そして名誉・忠義・克己といった心のあり方から切腹、仇討ちの慣習に至るまでを、他の宗教の教え、神話、史実を引用して比較論で他国の人に受け入れられやすいように展開されている。
現代に生きる私達にとって、武士道の精神はもはや過去の遺物になりつつあるものであるため(もちろん、今も日本人の魂の奥底に脈々と流れていることは疑いようがない)恐らく当時の他国の人間と近い感覚で読めるだろう。
日本人としてこれらを知らずして日本の未来を考えることは能わず。ただし何しろ1938年に初版が出ており、当時の解釈を残すべく古い文体のため非常に読みにくいが、頑張って是非読んでいただきたい1冊である。
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日本人的な考えた方、昔からの考え方が武士道に多かれ少なかれ根ざしていることが分かる。
また海外との比較も多く書かれており参考となる。
文章が難解でした。
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子供の時に親から言われたこと、道徳がこの本の中にあった。
日本人の宗教は?と言われて言葉につまることがあったが、自分が信じてきたことが書かれたこの本に出会い、日本人としてのアイデンティティに出会えたと感じた。
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学生の頃、読んだことがありますが、最近、某旧財閥系の新入社員が読むことを薦められる書物になっていると聞いて、再読しました。
文章が読みずらいことは仕方がなく、また逆に、日本語の美しさと、日本語を用いて概念を説くことの難しさを感じます。
いくつか項目はありますが、「義」「名誉」などの感覚はなくしてはならず、また、大人が子どもたちに対して、みっともない、恥ずかしいと教えるために、背中で見せる必要があるのでしょう。
「人は才能ありとても、学問ありとても、節義なければ世に立つことを得ず。」
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とても綺麗な本でした。新渡戸稲造が日本には宗教がない。どうやって道徳を学ぶのだ。と言われ、外国人向けに英語で書いた本。
綺麗と言うのは文章と、ここに書かれる武士道と言う生き方の事です。
それに、飛び回る様に方々からの知識歴史を引用、比較する事で、鮮やかに描かれています。
心に残った事 メモ
封建制度によって生まれた武士道と言う精神は、仏教から「運命に任すと言う平静なる感覚、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面してのストイックなる沈着、生を賤しみ死を親しむる心」を寄与される。
剣道の柳生但馬守は、門弟に「これ以上の事は指南の及ぶ所ではなく、
禅の教えに譲らねばならない」と言ったそうだけれど、とても内省的な物である。
モムゼン曰く、ギリシャは礼拝の時目を天に上げるが、ローマは頭を物で覆う。前者は凝視、後者は内省で、本質的には後者に入る。
孔子、孟子の影響も大きい。(本書では元々あった物を、これらの教えで確認したに過ぎないといっている)
ただ、これらを知る事より、知識を学ぶ者の心に同化し、その品性に現れる時にのみ、真に知識となると考えられていて、「論語読みの論語知らず」「学問は臭き菜の様なり、よくよく臭みをとらざれば用い難し。」など、知識は手段として求められた。
・義
義理とは、元来「正義の道理」であった。例えば、親に対する行為に、愛が必要であるが、それの欠けたる場合、義理によって孝を実現する。
勇気は、義の為に行わなければならない。義をみてせざるは勇なきなり。
また、勇とは義しき事をなすことである。
・仁
敵に塩を送るなど、勇が仁に繋がる。義が厳格なる正義であれば、仁は慈愛と柔和と説得性を持つ。
伊達正宗「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる。」
「最も剛毅なるものは最も柔和なる者であり、愛あるものは勇敢なる者でる。」
また、それらの心を涵養する為、詩歌が奨励された。
・礼
それらの優雅な感情は礼を生む。真の礼は他人の感情に対する思いやりの外に現れたる物である。それらの精神修養として、茶道の芸術がある。
例として、アメリカ人は贈り物の際、品物を称賛して渡す。それは良い物意外を相手に送るのは侮辱と考えるからであるが、日本人は品物を蔑んで渡す。それは、相手の精神を最上の物として、如何なる善い物もあなたには及ばないと言う論理である。
・誠
また、礼を真実とする為、誠も重要視された。それは商業の発達を妨げ、開港場では多くの高潔な武士が、駆け引きを知らず失敗した。貧困を誇り、富を口にするは悪趣味と考えられ、各種貨幣の価値を知らざるは善き教育のしるしとされていた事もある。
・名誉
誠で無い事は弱さであり、不名誉とされた。その為、名誉は至高善とされ、青年達は如何なる精神的、肉体的苦痛にも堪え、名誉の為には命も廉価と考えられた。
・忠
そして、忠義が、これら封建の諸道徳を結んだ。
刀は名誉と忠義の象徴で、名前を付け、床の間に飾られ、礼拝の対象となった。
読んだだけで、背筋が伸びる。
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ある授業で、"What is the national narrative of your country?"と聞かれたことがある。アメリカ人の学生は、「自由の国」とか「アメリカンドリーム」とか、そんなことを答えていた。他の国から来た学生たちもぽんぽん答えていくのに、私には日本のそれが思いつかない。「サムライの国?」とか「Code of honor?」とか、周りの学生が助け船を出そうとしてくれたものの、どれもしっくりこない。結局その時はわからないまま終わってしまった。
この本を読んで、この問いへの答えが、完全とは言えないにせよ、形になってきたような気がする。
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難しかったけども、自分の思考のルーツを何となく理解出来ました。
自分はどこの国の人間でもなく、日本人としてきちんと思考しているんだなと思えました。
桜っていつから日本の象徴の花になったんだろう。
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日本の上流階級の道徳規範だった武士道を欧米の知識人に紹介するために書かれた本.明治32年初版.原文は英語.武士道の特殊性をあげるのではなく,世界的に見た時の普遍性を裏付けることに著者の意図はある.そのために古今東西の文献からの引用,または参照がとても多い.(私には必要以上に思われる).
明治以降も教育の大衆化を道徳面から支えた武士道がどのように変遷したかを述べた最後の2章が私には興味深い.ただしこの2つの章には著者のキリスト教徒としての見方も色濃い.
私はこの本を「海外に武士道を紹介した本」として以上に評価する気持ちにはなれない.もちろん武士道の凛とした精神からくる清潔な倫理観は気持ちのよいものだけれども,それをもはや「武士道」とよぶ必要はない気がする.あまりにも時代は変わってしまった.
さて,ここからはこの岩波文庫版について書く.(ちょっと長文).
多くの方が書かれている通り,この岩波版はとても読みにくい.その一つの理由は上に述べた「古今東西の文献からの引用」のうち,東洋の古いものは古文,漢文の読み下し文で引用されるため,「漢文漢字の素養の一層乏しくなれる現代日本人にとりて難解である(矢内原)」ことであるように思われる.難しい言葉は辞書を引けばすむが「金は羽より重しとは,あに一鉤の金と一輿の羽との謂を謂わんや」の意味は辞書をひいても私にはよくわからない.もしこの翻訳自体を古典として現代に残そうというのであれば,ぜひともこういう箇所には注釈が欲しい.原文を少しのぞいてみると,高度な語彙を駆使するとともに,長い挿入や関係代名詞の多用されたあまり読みやすくない文章なので,それにふさわしい訳文なのかもしれないが,不必要に難解だったり,意味の通じない文章もやはり多いのではないか.例えば,p.158「武士道の日はすでに数えられたように思われる.」原文は the future of Bushido, whose days seem to be already numbered とあって辞書を引くと「数えられた」のではなくて「限られた」のであることがわかる.たぶんこういう箇所がまだ多くあるのではないだろうか.
結論として,私は「武士道」の内容を知るのに,この訳本を勧めない.