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投稿者:ペンギン - この投稿者のレビュー一覧を見る
乞食の姿に身をやつしたオデュッセウスが、求婚者たちを誅殺するところがすさまじい。下巻の一番の見どころだと思う。命乞いする輩、血に染まる宴席、登場人物が生き生きと、惨劇生々しく描かれている。ことに及ぶ前から、オデュッセウスが終わった後のことを心配しているところが印象深かった。オデュッセウスの思慮深さを象徴するためのシーンだとは思うのだが、女中であっても裏切り者をあっさり処刑するとか、自国で殺人を犯したものは国外へ亡命するのが習わしとか、現代国家とはまた違った慣習が興味深い。
最後はスッキリ。
2019/07/28 19:04
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投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
長きに亘るオデュッセウスの漂流譚が終結に至り、求婚者たちの成敗のクライマックスを迎えます。
最終章(第二十四歌)の是非については、個人的にはエピローグという意味合いがあり、章自体に違和感は薄いと感じます。
上巻は中盤から正直中弛み感を覚えましたが、下巻からはスピード感があり、楽しめました。
ところで求婚者たちは、よくあんなに二枚舌をぬけぬけと使うなぁ!と思いました。またオデュッセウスにすがり付いて命乞いをする者もいたり、オイオイって突っ込み処満載でした。
ともあれ、エンターテイメント的に楽しめる読み物としてお薦めです。
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投稿者:ただの人間 - この投稿者のレビュー一覧を見る
故郷にたどり着き、関係者に徐々に自分の正体を明かしていきながら求婚者たちに制裁を加える。関係者そろいもそろって正体を明かした瞬間は疑ってかかる。平然と財産のやり取り(贈ったり贈られたり)に関する話が随所に出てくるのも印象的。話の終わりはやや唐突とも感じた
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「イリアス」と並ぶホメロスの叙事詩。下巻ではいよいよ帰郷し、愛する妻ペネロペイアに群がる求婚者どもを皆殺しにします。
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遂にオデュッセウスの帰国、そしてクライマックスへ…。息子・愛犬・乳母・そして妻・実父…との再会シーンは、どれもそれぞれの感慨深さがあります。旅から帰って一回り成長した息子・テレマコスにも注目〜。
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ホメーロスの言わずと知れた英雄叙事詩。
下巻ではオデュッセウスが故郷イタケーにようやく帰り着く。
オデュッセウスとその家族の認知場面、そしてクライマックスの求婚者誅殺はさすが知謀に富むオデュッセウスだと言える。
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10年に及ぶオデュッセウスの旅も終わりを迎える。
第23歌での妻ぺネロぺイアとのやり取りが涙を誘う。
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ここで終わるのか~!
ギリシャの神様面白い!
この文章の作り自体も、枕詞が人によって違っているところとか、慣れると読みやすくなってくる!
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ジョイスの『ユリシーズ』を読むにあたっての再読です。
『オデュッセイア』は、言わずと知れたホメロスの『イリアス』と並ぶ長編叙事詩。
ポセイドンの逆鱗に触れたオデュッセウスは、トロイア戦争終結後、10年もの間、苦難の冒険を続け、やっと妻子の待つ故郷のイタケ島に帰り着く。
『オデュッセイア』12110行から成る英雄叙事詩であり、『イリアス』よりのちに誕生したものらしい。
オデュッセウスといえば、トロイア戦争で、トロイの木馬と呼ばれることになる木で作った大きな馬を城内に運び込み、味方を勝利に導いた英雄である。
トロイア戦争勃発時、オデュッセウスには、若く美しい妻ペネロペと生まれたばかりの息子テレマコスがあった。
オデュッセウスは、後ろ髪を引かれる思いで出征する。
予想以上に戦は長引き、10年も続いた。
しかし、オデュッセウスは、そののち、ポセイドンの怒りはおさまらず、10年、海上及び諸国を漂流し、やっと故郷に帰り着く。
オデュッセウスの留守の間に息子のテレマコスは20歳の若者に成長し、妻のペネロペは夫の無事帰還を信じて待ち続けるが、城は厚顔無恥な求婚者で溢れ、妻子は悲嘆の日々を送っていた。
そこに、オデュッセウスが乞食の身なりで現れ、彼自身の弓で、矢を12本の斧の穴に通し、無礼者たちを格好よく成敗する。
叙事詩は、オデュッセウスの漂流中の数ある冒険談と、帰国後の彼の活躍ぶりで構成されている。
とにかくオデュッセウスは格好よく、英雄のなかの英雄であり、絵画の素材としても多く描かれている。
近世、映画として、フランシス・F・コッポラ製作総指揮で、「オデュッセイア 魔の海の大航海」が作られている。
1922年刊行のジョイスの小説『ユリシーズ』は、『オデュッセイア』を下敷きに描かれている。
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ご存知イリアスの続編。
堅忍不抜の英雄オデュッセウスが、イリオス戦争のあと、故国イタケへ20年かけて帰り着くまでの物語。うーん、これも面白かった。イリアスの感想の繰り返しになりますが、決まり文句が相変わらず気持ち良い。気に入っているところでは、「夜が開けると」という表現は「朝まだきに生まれ指薔薇色の女神が姿を表すと」と(毎回必ず)表現されます。慣れてくると、鬱陶しいどころか、これが無いと物足りない、くらいの気持ちになってきます(これが無い、ということは無いのですが。。)
物語の面白さもさておき、夜が来たら寝る(「そうではあるが、今は夜の帳の言うことに従って、洞なす船の脇で夕餉の支度をしようではないか」)、とか、どんなにつらいことがあっても、「胃の腑がせっつくので」腹は減るもんだ、とか、そういう肉体と大地の言うことに、きちんと耳を傾ける古代ギリシャ人のバランス感覚、というようなものが、とっても心地良い。
そして、やっぱり飲み食い大好きの身としては、「飲食の欲を払う」描写はなかなかに興味深かったのですが、分けても、「混酒器で酒を水で割る(古代ギリシャではワインを水で薄めて飲むのが一般的だったようです)」という描写を繰り返し読むうちに、なんだかとっても美味しそうに見えて来て困ります。いつか、ワインに水を割ってしまいそうだ。
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上巻と同じく登場人物達が自分の身の上の不幸に対してとにかく泣きます。そのくせ、オデュッセウスの行動が高貴な身分のものというよりは盗賊の理屈に近い気がするので、余計にたちが悪いと思ってしまいます。まあ、神様も善悪がきっちりと別れていない上に完全な存在という風には描かれていないなので、そう考えると不自然ではないのでしょうが。例えばアテネの行動は素晴らしい思いつきという表現の割には毎度行き当たりばったりだし。こういう古代のギリシャ神話の有り様を知れたのは良かったかな。
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『イリアス』と並ぶホメロスの大叙事詩。下巻ではオデュッセウスのイタケ帰還から大団円まで(第十三歌~第二十四歌)を収録する。上巻で多く含まれていた神話的要素は薄れ、下巻では専ら求婚者たちに対するオデュッセウスの報復が描かれる。
オデュッセイアを通読して思ったのは、オデュッセウスは女神に愛されてこその英雄なのだという事である。オデュッセウスは女神アテナから様々な恩恵を受ける(それこそ知恵や策略といったものから、美貌や背丈といったものまで)。あまりに女神からの恩恵が多いが故に、オデュッセウス自身の武功がやや霞んでしまうほどであった(無論、彼が人に長たる能力を持つ人物である事は否定しないが)。
また、「美貌」や「背丈」といったものまで与えるというギリシャ神話の神々の姿も驚きであった。
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女神アテナはなぜ、あれほどまでにオデュッセウスの帰郷と復讐に尽力したのかけっこう謎だった。仮説ではあるが、現代でいうなら、アテナは運という名前で呼ばれるそれであろうかとなんとなく思った。
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トロイヤ戦争後のオデュッセイアの冒険談。やたらややっこしい名前の神やら怪物やらが登場してきて、登場人物(?)の把握に往生しますが、オデュッセイアは運命の赴くがままに旅を進めます。ギリシャ神話の知識がないと、流石にきついかも。
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ロシア軍のブチャにおける蛮行のニュースを観た後で、「血湧き肉踊る」クライマックス・シーンを読んだ。
平時なら、僕だって楽しく読めたのかも知れないが、今読むと悍ましさが鼻を突く。
どうみても、求婚者達の攻撃に対するオデュッセウスの反撃(復讐)の刃は過剰であり、あまりにも悦びに満ち満ちている。
やはり、ロジェ・カイヨワが『戦争論』で書いた通り、人間は戦争が好きなのだ。人間とは、ホモ・プグナ(戦う人)なのかも知れない。
いずれ、遅かれ早かれ、その脳内に埋め込まれた致命的なプログラムゆえに、人間は滅びるだろう。
同族を殺戮する悦びに打ち震えながら。
残念ながら、蝶とちがって人間は決して「変態」できないのだから。
【1人の殺害は犯罪者を生み、100万の殺害は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化する。】
チャップリンの映画『殺人狂時代』の名台詞だが、ホメロスの物語には「英雄」が多過ぎる。