食料自給率の八百長。
2008/11/10 18:50
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投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
養老孟司と竹村公太郎の対談。対談ならではの細部に宿る語りが光っています。でもって、いろいろ引用したいのはやまやまなのですが、かえって散漫になるのを嫌って、ここでは一箇所にしぼって。竹村氏の発言。
【竹村】ところで、食料自給率40%というのはトリックの数字です。極端な表現を使えば八百長です。1987年までは農林水産省は自給率を生産額ベースで発表していたのです。生産額ベースで出すと当時は80%でした。ところが、88年から94年まで生産額ベースとカロリーベースを併記するようになった。生産額ベースで70数%、カロリーベースでは40数%というように。そして95年からは、生産額ベースが隠されカロリーベースだけになって、その結果、みんなが『日本の食料自給率は40%』と刷り込まれてしまった。最近は生産額ベースの数値も出すようになりましたが、論調は依然としてカロリーベースの40%です。
国民が自分の国の食料自給率を40%と聞いたら、誰でも腰から脚の力が抜けていきます。ところが、生産額ベースで計算すると、70%あるのです。生産額ベースとは、わかりやすく言えば、私が一万円で食料品を買ったら7千円分が国産だったということです。なぜカロリーベースの自給率を流布させたのか?これは、『農水行政は大事だ』と思わせるための操作だと思います。農水行政の重要性を私は理解しているつもりです。しかし、農水行政の重要性を強調したいがため、都合の悪いデータは隠し、都合の良いデータだけを出す。それはいけない。それによって国民が自立していく気概を損ない、自信を失ってしまった。『食料自給率40%』という国民の自立への気概を損なう宣伝は罪深いと思います。
ウナギとか牛肉とか、カロリーの高いものは外国依存率が高いし、コンビニなどがどんどん食べ物を捨てるでしょう。そういったことを考えると、カロリーベースの自給率は贅沢を示す数字と思った方がいいです。アフリカの貧しい国のカロリーベースの自給率は100%になります。なにしろ自分たちの消費しているカロリーが極端に少ないのですから。
・・・日本は生きていくことはできるのです。食料事情をより良く表わす生産額ベースでは70%近いのだから、日本国民は頑張って食料自給に立ち向かっていくべきなのです。
ちなみに、養老孟司さんは、2004年1月4日の毎日新聞書評欄で竹村公太郎著「日本文明の謎を解く」(清流出版)を取り上げておりました。そこでの養老さんの書評をすこし、ここに引用しておくのも、まんざら無駄にはならないでしょう。
「・・・こうした問題を、著者は一生懸命に考える。そして自分なりの回答を出していく。その真摯さが自然に伝わってくる。この本のよさは、まずそこだと思う。それぞれの職業に従事する人たちが、こうして態度でものを考え、当面の問題にぶつかっていけば、社会はおのずから良い方面に進む。そういいたくなる。」
「データを提示して議論するから、それぞれの具体的な問題について、読者もまた自分で考えることができる。」
「著者の論じているような問題を、英語ではオープン・クエスチョンと表現することがある。だれにでも『開けれている問題』なのである。答えたいと思う人が、それなりに答えていい。この場合、人文・社会学だと、ご託宣になることがある。理科系・技術系だと、データを出して議論しなければならない。それだと議論が生産的になる。おたがいに参考になるからである。」
さて、この新書にもどると、後半には鼎談も用意されており、枠から外れてゆくようなスリル感も味わえるのです。養老さんの会話の手綱さばきも見ものです。
これからの世界のあり方
2008/12/14 00:34
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投稿者:ゆきはじめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
主題を見る限りでは自己啓発本のようですが、副題にあるとおり「環境・食料・エネルギー」問題の実態と解決の方策が石油の話から農業の話まで対談形式で綴られています。
それが単なる問題提起に終わらず、具体案と実行するための心構えを問うているところが貴重に思います。
手段を選ばない金融錬金術の破綻による地球規模での経済災害が爆発した今、これからの世界のあり方を決心するためにも、誰もが読んでおくべき一冊だと思います。
ひとつのモノに落とす態度
2008/11/03 00:06
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投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本質に迫るという「そもそも論」はややこしそうに思える。
現代社会を問題の根っこまで論理的に遡っていくには、日経新聞を
毎日精読しないとわからないような気もする。そもそも論に
あんまり触れずに、誰もがとりあえず目先のコトの流れを追って
わかったふりをしてしまいがちになる。
でも本質はそんなに複雑なものではない。
脳だけで世界が制御できそうな幻想はどうやら急速にしぼんできた。
これからの世界を生きていくための本質的作業は、現代文明を成り
立たせている下部構造に目を向け、鼻を向け、耳を向け、触って
舐めてみることから始めてみたい。養老さんは言う、大事なことは
五感で感じられる「モノ」だと。なんと当たり前でなんと本質的な
言葉だろう。
共著者である竹村氏曰く、文明の下部構造とは、安全・食料・
エネルギー・交流の4本柱で、政治やら経済やら文化などというものは
全てこれらの上に成り立っているという。そして近代文明とは、便利さを
極限まで追求するためにひたすらにエネルギー=動力源となりうるモノを
奪い合ってきた歴史でもあった。石油だけでなく、木も、水も。
本書はイデオロギーの系譜で語られがちな日本と世界の歴史をモノの
争奪戦の観点から語り直し、木が足りなくて遷都した平城京の話や
江戸時代の利根川東遷(関東を乾燥させるために家康が利根川の河口を
銚子にまで持って行ったなんて知ってました?)、石油の枯渇による
太平洋戦争開戦に至るまで、モノがなければ生きられない人類の本質を
炙り出していく。議論は、鎖国中に鍛えられたコンパクトなニッポンに
着目しなおし、現代の官僚的農政の機能不全状態を嘆き、食と農を通じて
アジアへ目を向けることに進む。本気の憂国放談がここにはある。
さてさてそれでは日本に住む我々はこれからどうするのか。
それはもうこの雑多なモノにあふれた世の中を徹底してモノの来歴で
考えていくことでしょうね。カロリーベースの食料自給率40%を
騒ぐなら、まず自分が食べてるモノの来歴とカロリーを知る。
エコロジーが気になるなら、エネルギーを少しでも抑制できるように
カラダというモノを鍛える。そんな風にして、「ひとつのモノに
落とす態度」がこれからの日本の行く道を決めていくのでしょう。
さらっとそんな覚悟を迫られる、実に本質的な本でした。
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投稿者:ZATO - この投稿者のレビュー一覧を見る
『バカの壁』の養老猛司氏と『日本史の謎は「地形」で解ける』の竹村公太郎氏の対談です。二人とも、従来の歴史家や経済学者とは異なる視点で、様々な事象にアプローチしておりハッとさせられますが、その根本にはモノから考えるという発想があるそうです。わが国の直面する環境、食糧、エネルギー問題について、世のマスコミに溢れている論調とは異なる見解にやはりハッとさせられます。
本書の最後の方で、「正しいやり方」があるのではなく「正しい受取り方」があるだけとの示唆は、色々な場面で本質を見抜くための発想のヒントになると思います。また、地理学の重要性を説いている点にとても共感します。
「抽象的な概念を積んだだけでできる社会はあやうい」
2008/12/10 21:36
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投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
二人の著者の、一方は解剖の専門家、もう一方は土木工学が専門である。 社会・経済・政治・歴史といった人間がおこす「現象」は、確かに「どう思い、どう考えたか」という人間の研究から理解しなくてわからない部分もある。しかし、この本では、「モノ」からみれば、歴史も見方が変わる、ということを「水」「食料」「燃料」などを具体的に取り上げ、対談で説明していく。
だれそれの勢力から離れたい、という「動機」で行われた「遷都」と言うようなものであっても、実際に「ではどこへ」になれば「もっと便利な」とか「水が豊富」などの「モノ」要因が入ってくるのは納得できる。違う考えもあるでしょう、と異論のでそうな部分、例えば「(幕末)日本には資源が何もなかったから列強の餌食にならずに済んだ」という仮説などもあるが、「モノ」でみてすっきり理解がしやすくなる部分がたくさんあった。
対談ではあるのだが、武村さんが話題提供、養老さんがまとめを主張という雰囲気が強い。鼎談の部分は、若干養老さんが神門さんに引っ張られる感じであるが。
タイトルにふさわしい、認識論的に面白い内容は「第七章 いま、もっとも必要なのは「博物学」」だと思う。
確実なものから考えを伸ばしていくこと。形而上学とは反対の方向から考えることが「本質を見抜く力」である、という本書の主張の、第六章までが各論とすると、この章が総論というところだろうか。「社会科学はしばしば恣意的な学問になり、自分が書いた筋書きに都合が悪い要素を全部無視する。」「どうやってみればいいのか。そこを鍛えるのが博物学の一番基本的なトレーニングです。でも、それが今は流行らない。」など、養老さんの自論が飛び回る。
頭の中であれこれと理論を練り上げて行くばかりではあやうい、という主張は、そう書いてみればあたり前のようにも思える。人間を体の構造から考えていき、「唯脳論」にたどりついた養老さんの考えが書かれているものとしては、本書は比較的理解しやすいのではないだろうか。
「モノ」から本質を見抜いていくこと。解剖学者の養老さんには、武村さんの専門の地学は「地球の解剖学」としてみえるのだろうな、きっと。
この本にもだまされないようにしよう
2008/12/18 23:17
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投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
石油,温暖化,農林水産業など,さまざまな問題がとりあげられている.新聞にだまされずに「本質を見抜く力」をやしなおうという趣旨はよい.しかし,ほんとうにこの対談によって本質が見抜かれているのかどうかについては,疑問がおおい.この本にもだまされないようにしよう.
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石油高騰、地球温暖化、食料問題、少子化・・・今世界規模で起きている問題を、具体的なものやデータをもとにして問題の本質を探っていく。資源争奪という観点から見た歴史や、水という観点から見た地政学を論じているのは新鮮な話題で面白かった。問題の本質を見逃さないで、将来への対策を立てていける智慧を磨いていきたいと思った。
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少し難しいが、コメ、農業、環境、水などを語る上では外せないであろうデータがある。
深い内容なので、一気に、章ごとに読むといい。神門先生との3人の対談がとてもためになった。ただ、難しい。
08年10月5日19時4分1秒より更新
イミダスと平行に読むと面白い。この本はいい。教養になるし、考える基準になる。
比較対象を考えようと思った。無意味な比較が多すぎると思った。
09 0218 11時20分50秒
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著者二人の対談。モノとう現実から日本を考える。竹村氏は、国土交通省の河川局長を勤めた人。石油や水、森林や河川などの下部構造から日本の文化や歴史を洞察する。いままで知らなかった独自の視点による情報が新鮮で、興味深く読んだ。江戸時代末期、日本のエネルギーとしての森林利用は限度に達し、いたるところ禿山だらけだった。その限界を打ち破ることが出来たのは、黒船来航による開国だった等々。文科系の人間が見落とすような発見に満ちている。
たとえば、アメリカ自由経済は原油価格が上がらないことを前提として成り立っていた。それを視点にするといろいろなことが見えてくる。戦後7回あった不景気のうち6回は原油価格値上がり後に起きている。その原油に限度が見えてきたから、バイオエタノールに必死にシフトしようとする。そこから穀物の値上がり等の問題も起こった。しかしアメリカとエネルギー問題は解決不能で、インフラが石油依存(たとえば自動車依存)のため、それが切れたときのショックは大きいという。
さらに、地球温暖化問題の具体例の一つとして水問題がある。日本が水に恵まれているのは、国土の70パーセントを覆う森林の恩恵によるが、地下水を利用するアメリカ農業はやがて限度に達するだろう。中国は、水の限界のためこれ以上発展することはできないだろう。北京の砂漠化も近い将来深刻化する。日本も、水に恵まれているからといって安閑としていれば生き残れない。森林、河川、海岸、海域等の環境を守っていくことが必要である。
この他、なるほどと思わせる発見や洞察が随所に見られる。最近読んだ本のなかでもとくに興味深く読めた。
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養老先生は博識 さらに国土にくわしい竹村氏
お二方の対談は 自分の知らないこと
一歩奥の事がたくさんあって 楽しく読めました。
偏らず 事象 モノを一つ一つ捉えていくこと
それらの累積が知になっていく っと思います。
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社会の変化の表層を追いかけている。いつでも足元がグラグラと不安定だ。
養老先生は現代社会のさまざまな課題を概念ではなく具体的なモノやデータに即して考えれば本質が見えてくると言う。ダム行政に手腕を発揮してきた国土交通省河川局長との対談や農業経済学者との鼎談で見えてくる事象に、そうだったのか!!と胸に手を当ててしまった。
あの昭和天皇は「先の日米戦争は油(石油)で始まり油で終わった」とか「雑草という草はない」など自然科学者として健全な精神を持っていたとの部分も記憶に残る。
日本の環境や食料、エネルギーについてきちんとした視点を持つことを学んだ。
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『本質を見抜く力』環境・食料・エネルギー 養老孟司 竹村公太郎
対談集だ。養老氏の前書きには「自分が生きてきた時代、様々なイデオロギーに翻弄された」とある。その上で氏は五感を重視するか、概念を重視するか、の違いを指摘した上、五感すなわち知覚できる実感や事実、「ヒトから見たモノ、それで社会を論じたい」という。オビには「日本の将来を本気で考える」とあるから、どうしても「ご高説賜ります!」と読む前に力が入る。
しかし構成が対話形式ゆえか、日本語特有の話法も手伝い否定肯定が不分明で、二人の立場の違いもわかりにくい。対話の流れは速く、もうちょっと知りたいと思っても、話は強制的に先に行ってしまう。総じて何となく飲み屋で放談中の知的オヤジにお付き合いさせられているような……。
だからお酌でもするつもりで、あえてゆっくり読む。二人の知見を味読するのがいい。前書きには「モノという現実」から日本を見ようとする最初の試み、ともあって、今回はその最初のゲストとして竹村氏が招かれて話をした、と捉えてから読むことを勧めたい。そう読むと、ゲストが養老さんに何を理解して欲しいかがわかるのだ。
今回のゲスト竹村氏は、東北大工学部土木工学科修士課程卒で元国土交通省河川局長。前に『aqua』の水に関する書評で触れた、世界水フォーラムの事務局長でもある。主張に通底しているのは国土の開発という立脚点か。
竹村氏は、マスコミの煽りなども含めた通説や俗説を表面的な情報として、教えられた歴史の解釈も一旦は排す。その上で、日本国ではなく、日本列島という「モノ」としての資源や状況、実力、事実を「解剖」し、その本質を整理する。
基層もしくは下部構造のことをインフラと呼ぶが、食料やエネルギーを語る場合のインフラとしての「国土」を量的質的に論じようとする観点には、養老さんの「モノの見方」との共振性が感じられる。
が、国が国土をどのようにイジったかについての実践編となると疑問符もつく。100年前と今では日本列島の緑が濃いと国家事業を称えても広葉樹林の激減に触れなかったり、官僚という方々には、持論と国論の両立という隘路が見え隠れする。どうしてもマクロな整合性を求めてしまうように思えた。
養老氏は言及しないが(例えば植林の成果について)、昆虫の生態系は100年では回復しないなど、あくまで自分の五感で情報を評価する態度を崩さない。
さて、全体感としては、地球温暖化対策も、エネルギー問題も、食料も、世の対応や解釈、歴史認識に対して批判的な立場で話が進む。
戦争は石油争奪が主因、主義主張の違いは表層で、資源のない日本という前提でのエネルギー利用に活路がある。温暖化はデメリットだけではない、日本列島が南北に長いメリットが生きる。日本は小さいことに価値を見出してきた。少子化も、大きくなるよりはるかにマシだ。日本のは水の国。水資源は足りているというモノサシで利用を組み立て直す。カロリーベースの自給率はまやかし、米も野菜もなんとかなる、問題は動物タンパクとしての水産資源だ…etc.
そんななか、農業につ��て論じた農業経済学の神門善久氏を交えての鼎談は異色だ。氏は、日本農業の可能性はとても大きいとしながら現状を憂い、「公明正大で公平なルールのもと最大限の自由を担保すべき」と論じる。その中心に農地、雇用、加えて日本の民主主義の問題を据えて、無秩序化が進んでいる今の農政を正面から糾弾する。
鼎談ではその体系化された中身の入り口を垣間見るが、ぜひ氏の著書『日本の食と農』で、その本質を読み解いてほしい。
今後このシリーズが続いて、養老さんの「ヒトから見たモノ、それで社会を論じたい」という「モノの見方」が、多方面の事実と結びつき体系化されていくことを期待したい。
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値段(760円)の割に相当お得な本である。
きっかけ:石破茂農林水産大臣のすすめ
普段考えてもみなかった視点を得られ、世の中の見方に関して相当考えさせられた。自分たちの存在のベースになっているものはエネルギーということに気付かされた。
○アメリカの言う自由経済は、原油価格が上がらないという前提あっての概念なんですよ。(p14)
アメリカの言う自由経済には、実は「無限にオイルを供給する」という条件があった。
ex;70年代から石油の輸入国になる フランクリン・ルーズベルトが、40年代半ばにすでにサウジに行っている。
○先の日米戦争は油で始まり油で終わった。(p20)
ヒトラーがバルバロッサ大作戦で旧ソ連に入っていったことも、おそらく石油が原因。
昭和天皇は、「先の日米戦争は油で始まり油で終わった」とおっしゃています。
○禁煙ブームの裏にあるのは自動車業界と石油業界のたくらみ(p24)
油の命を長らえてなおかつ収益を上げる。そうするのが一番効率いい。ヨーロッパははじめから排出権取引で儲けようと思っていた。
○何かをやりとげようと思ったら、敵を作らないこと 誰かの信用を得るには直接その人と会わないとだめ
○日本は水に関してニュートラル。国際河川を持った国と丁寧に、忍耐強く話し合うことが日本の国際社会での任務なのです。(p123)
○みんなが「日本の食糧自給率は40%」と刷り込まれてしまった。生産額ベースで計算すると、70%もあるのです(141)
○先の省庁大編成のいちばんの問題は、省庁が少なくなって、事務次官がみんな東大法学部になったことです。しかも年齢も同じです。東大法学部の同窓会、同級会で会議をしても緊張感はなかなか維持できません。(156)
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『本質って何だろう?』って思ってたので、読んでみました。
前半はメチャ面白かったです♪
後半は、失速気味、かなぁ?
いやいや、僕の経験知が足りなかっただけです。
いい本です♪
以下、メモ。
________________________
肺がんの発生の原因は、タバコよりも排気ガス。
アメリカの自動車業界は、日本車が売れないように、燃費の悪いトラックタイプを税金を安くして販売した。
日本の石油使用量が減りつつある現在も、アメリカの石油使用量は増える一方。
アメリカの農業はいずれ立ち行かなくなる。
エネルギーがなかったことは、今となっては幸いだった。日本はきっと生き残れる。
青木ヶ原は、できて1200年ほどしか経っていない、若い森。
富士山の噴火後にできた森なので、虫はほとんどいない。
離島の住民のために、税金がかなり使われている。
だから、離島は居心地がいい。
列島中に水が流れている日本は、太陽エネルギーの満ち溢れた国。
アメリカの火力発電所はとても古く、減価償却が済んでいるので、動かせば動かすほど儲かる。
今の米どころは、かつて、ほとんど海だった。
金をかけていまのシステムの中で、炭酸ガス排出量を減らせると思っていること自体がおかしい。
自給率を高めることと、フードマイレージを低く抑えることは必ずしもイコールではない。
北海道から九州に運ぶより、韓国や中国から買った方が、フードマイレージは低く抑えられる。
国という枠を作るから話が違ってくる。
本当に環境問題重視するのなら、フードマイレージを優先すべき。
分権していくと、全体の自給率なんて意味がない。
温暖化が進むと雪がなくなる。
雪がなくなると、水の問題が起こってくる。
西日本の生態系は温暖化に弱い。
東日本の生態系は、温暖化が進んでも、北に逃げられる。西日本では、すぐに限界が来る。
温暖化した未来では、北海道は大穀倉地帯として、日本人にとっての切り札となる。
人間には多様性が必要。日本人が全員、東京人になってはいけない。
『国際競争力をつける』というスローガンは必要ない。
どうしてまだ膨張する必要があるのか。
「縮小しよう」というと元気が出なくなるからか。
野心的で枠から外れた人間を残しながら、どうやって国家規模を小さくするか。
『日本もEUに加盟してみてはどうか?』
『そのとき、何が問題となるか。』
そういう視点で物事を考えることが、本当にグローバルに考えることにつながる。
日本が将来を見据えて根本的に政策を見直すなら、一切のドル依存をやめるべき。
踊りや祭りを利用する。
基礎から考えることが大事。
何かをやり遂げようと思ったら、敵を作らないこと。
味方は少なくてもいいが、敵を作ると、その敵に対応するエネルギーが必要になり、前向きな自分のやりたいことへのエネルギーを消耗させてしまう。
誰かの信用を得るには、その人に直接会わないとダメ。
ある見方から言えば、身体を使ってものをつくっている国は二流。
『俺たちは二流で行く』と腹をくくれるか。
そこが勝負。
中国の金持ちは、日本のお米を食べている。
日本人は、細工をしないと『不細工』といい、詰め込まないと『つまらない』という。
細工をして、詰め込むことは、日本人の美意識になってしまっている。
中国人や、韓国人は、大きくすることが好き。
日本人は縮んでいるときが一番成功していて、外へ広がろうとすると失敗する。
問題を直視することはつらいことだが、目をそむけずにジッと見ていれば必ず解決策はある。
移動の自由というのは、人間の自由の権利の中で、もっとも大きなもの。
途上国の人たちにも、移動の自由を認めるべき。
ウナギなんて土用の丑の日にだけ食べればいい。
牛肉も、昭和の初期には3週間に1回くらいだった。
そんなものでいい。
今の人は食べすぎ。
あえて、正しい字があるという教育を日本はしている。本当は「正しい読み方」しかない。
「正しい受け取り方」はあっても、「正しいやり方」はない。
言葉には根っこがある。
つまり、表に表れている部分だけでなく、裏に隠れているものがある。
「100人いれば、100人が異なった視点でものを見ている。言葉はそれを一般化する」
人はその一般化した言葉で、共有の概念を築いていく。
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ファクトベースの大切さ を国土・エネルギーなどをテーマに論じた本。
文型人間の抽象的思考は大層批判されています。
確かに仕事とかだとfact baseの大切さは理解してるんだけど、自分の生き方を考えてるときはファクトベースじゃない気がする。
でも実際は多分ファクトベースで、しかもディベートで培ったdead body countingで世の中のimpactを捉えていると思う。それ以外に異なる価値を適切に比較する手段がないと思うから。
但し、1人を殺して10人を生かせばよい、という功利主義を採用しているわけでなく、命を奪われないということは、人である以上最低限守られるべきことだと思っている。
つまり、世界でもっとも価値のある行動は、そのままでは命が奪われてしまう人をなるべく多く救うことだと思っている。そういう意味で、飢餓を解決することは日本の派遣労働者を救うより価値のあることであり、やるべきことだと考えている。
当然生きたくても死ぬ人が生きたくなくて死ぬ人より優先される。
だから、自殺が多い社会はおかしいし改善されるべきだと思うけど、最重要な案件ではない。
要は地球全体の「人間」にとってのnet benefitを最大化することが善だと考えていて、その結果、世界の死にゆく人を救うことがもっとも大事だと考えている。
ちなみに、主語を人間に限定するのは、突きつめると自分が人間であるから、以外に理由はない。アニマルライツを主張する人には種のエゴだと言われるだろうが、その通り。逆に人間という種の優越性を根拠にすると、障害者の権利が実現されないのは正義論の教えるところである。
高度な文明を持つ宇宙人に殺戮が支配されるのを容認しなくてはならない、という言説に対抗できるのは種としてのエゴだけである。