ドイツのロマン派を代表するフケーの興味深い幻想譚です!
2020/05/11 10:08
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、18世紀から19世紀にかけて活躍したドイツの初期ロマン主義作家であり、詩人であったフリードリヒ・ド・ラ・モット・フケーの代表作です。1811年に発表された中編小説で、水の精霊ウンディーネと騎士フルトブラントとの恋と、その悲劇的な結末を描く幻想譚であす。あらすじを紹介すると、ある人里離れた岬で老いた漁師が釣りをしていると、不吉なものが棲むと言われる森を通り抜けて騎士フルトブラントが現れ、一晩の宿を求めます。フルトブラントは、老夫婦の家で、養子である不思議な少女ウンディーネと出会いたちまち恋に落ちます。次の日から大水が起ってフルトブラントは漁師の家を出られなくなるのですが、その滞在の間にウンディーネとの仲を深めていき、ついに彼女と結婚することが決まります。結婚翌日の床でウンディーネは、自分の正体は水の精であり、大水やその間の不思議な出来事も自分の仕業だったと打ち明けるのですが、フルトブラントは変らぬ愛を誓い、ウンディーネを妻として町へ連れ帰ります。りますその後、この二人はどうなるのでしょうか?ドイツ・ロマン派の傑作を、ぜひ、楽しんでいただきたいと思います。
ドイツ文学の金字塔
2024/03/15 06:54
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投稿者:こっこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
フケーという作家を知らず、ドイツ文学ということで読んでみたのですが、心が洗われるような純粋なファンタジーでした。語句も話の流れも読みやすい翻訳のおかげでかもしれませんが、ストーリーが染み入ってくるようでした。フケー本人が複数の女性に恋心を抱いていたことが、この小説に反映されているとのことですが、不倫のドロドロ感が一切感じられません。最期もある意味キレイさっぱり終わります。
現実は厳しくも…
2022/10/24 17:17
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投稿者:けいと - この投稿者のレビュー一覧を見る
題名のとおり「水」と女性像とのリンク性は、女性の生来的に持つ柔らかな質感を手触りとして思わせる。中世の幻想的且つ幽玄なその世界観は、『読書』を勉学の手段とする者にも、或いは充足を得る為の目的と捉える者にも平たく、僅かながらも逃避には適している。そしてページ数的にも文体的にも読み手を選ばず、幅広い年齢層に受け入れられまた読み易くある。
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1811年刊行。騎士物語と異種婚姻譚が混ざったもので、精霊が人間に愛されると魂を得るという設定や、婚姻の誓いを裏切ると、死に値するという点で話しが展開し、人間の娘の嫉妬がからむ。全体として、貴族的で悲劇的なロマンスで、後世に大きな影響を与えた。アンデルセンの人魚姫もこれに影響をうけているし、ジョージ・マクドナルドなど、ファンタジー小説の草分けの作家もこの作品をリスペクトしている。『若草物語』の登場人物の一人がほしがっているのもこの作者の本だそうだ。
作者の祖先はフランスのノルマンディー地方の貴族だったけど、プロテスタントに改宗して、ドイツに移ったそうである。物語は中世なので、カトリックの神父がでてくる。作者じしんの結ばれなかった恋愛が反映されていて、私小説的な側面もあるのだそう。フケーは三回結婚しているが、どれもうまくいかなかった。三番目の妻は作者を「飲んだくれのブタ」よばわりして、公然と愛人を出入りさせていた。フケーは一時期、流行作家としてもてはやされたそうだが、晩年は騎士道小説は時代おくれとされて、失意のなかで死亡した。ただ、この作品だけは世界文学のなかで重要な位置をしめて、なんども芝居やオペラにされているそうです。
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キリスト教の背景を踏まえてないと、生き物なのに魂がないっていうのがしっくりこないと思う。
なので、ウンディーネの結婚後の心清らかぶりは素晴らしいけど、これはなかなか難しいなというのと今一つ盛り上がりにかけるおとぎ話っぽい話だなと思いました。
でも何かと芸術作品のモチーフとして使われるって言うのは納得
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涙で殺めて甘い痛み、浪漫だあ〜
作者の恋愛経験がもう劇的で小説だなと解説読んで思った。天真爛漫な初恋→騎士、貴族らしい戦略結婚→離婚、初恋への未練→文学に理解ある歳上貴族とデキ婚→暮らし捨ててスーパー歳下庶民と再々婚→妻に愛人、初恋の死、アル中…
好きになるって自分への誓いであるはずなのに、それを貫き通す強さは先天的なものではなく、常に愛情に揺らぐ。魂があるからこそ弱くて、寄り添い合うけど、そういう弱みを精霊は揶揄するとも受け取れるなぁ。
悍しい森、勇敢な騎士、美しいプリンセスなど、西洋の世界観に久しぶりに触れてなんか懐かしい気分。
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若い頃読んだことがあったような、知ってるようなつもりで読み始めたところ、
知ってるつもりの物語の、何倍も面白かった。
年老いた漁夫ののもとへ、緋色のマントを肩にかけ、白馬にまたがった騎士がやってくるところからはじまる。
若く美しい騎士フルブラントは、森の中で迷い、ここに辿り着いた。森の中には妖しげな白装束の男や、醜い小人や子鬼たちが…馬を鎮めながら、白装束の男に追い立てられたるようにして森を抜け出た。
そしてこの親切な老夫婦のもとで、
"この世のものとも思われぬほど美しい金髪の少女”
ウンディーネと 宿命のようにであうのだった。。
この物語は、魂(こころ)とは無縁に育ってきた水の精の子ウンディーネが、フルブラントと出会い、愛を知り、魂を得てしまうが故に、不幸を知ってしまう物語。。
ウンディーネの生まれたての純粋な魂と、人生の波の中をだだよってきた、フルブラントとベルタルダの魂との対比が、物語を深く悲しくしていた。。
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ドイツロマン派の代表作。
フケーの水の精は、アンデルセンの人魚姫などにも影響を与えているらしい。
三島由紀夫の小説や、若草物語でも出てくる。
フルトブラントはひどい男だと思うけど、心変わりはするものだし、人間でない得体のしれないものを一生愛し続けるって難しいのは確か。
そしてウンディーネはいきなり素行の良いかつ悲劇的な人間になったけど、かえって人間じゃない感が生まれた。人間ってもっと自己的だし、変わっていくものだよなぁと。
でも、泣いたしとても素敵な小説だった。
水の精を題材にした、映画『水を抱く女』も観てきた。バッハのAdagio, BWV 974が美しい。
これは、ウンディーネがフルトブラントにあたる男性を殺し、水に帰るまでに、もう一人心優しい男性に出会い恋をする話。人生でたった一人しか愛せない、それが間違いでも運命を引き受けなくてはいけないって酷だなぁ。
だって、出会うタイミングに左右されるし、愛するって感覚がわからないまま人生がスタートしてゴールまでいってしまう。
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アニメARIAのウンディーネという曲が美しかったので読みました。
追記: ウンディーネはオンディーヌか!と今さら気づいた。
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フケー著/識名章喜訳「水の精(ウンディーネ)」(光文社古典新訳文庫)
※他作品のネタバレにも言及していますのでご注意ください。
2020.3.27読了
三島由紀夫著「仮面の告白」の中に、主人公に好意を寄せている園子という女性が、この本を読んでいた。もっとも、園子が読んでいた本は岩波文庫版(柴田治三郎訳)だったであろうが、本書は訳が非常に読みやすく、ですます調で翻訳されてあって、意味を理解しやすい。
さて、本書の主人公であるウンディーネは水の精である。水の精であるウンディーネは人間と違って魂を持たない。魂を手に入れるためには、人間の愛を受け入れなければならず、ウンディーネは騎士フルトブラントの熱烈な求婚を受け入れて、魂を手に入れることになる。
それまで天真爛漫で愛とは無縁な世界で生きてきた少女ウンディーネは、魂を得ることで、大人の女性へと成長し、慈悲深くて一途な愛をフルトブラントに捧げるようになる。その様は、蛹が蝶に羽化するが如く、女性の変態の神秘を物語っているように見える。
ウンディーネははじめ、魂を持つことをひどく怖がり、「魂(こころ)は重いもの」だと言って嫌がっていた。心とは愛らしくも恐ろしいものだ。少女から女性への変態の起点が心を得ることだとするのならば、心が少女時代に永訣をもたらす刃だったとしても不思議ではない。自分を好いてくれる人を前にしてひどく怯えてしまうのは無理からぬことだろう。心ほど移ろいやすいものはこの世に二つとしてないのだから。
ウンディーネが魂を得る過程には既に伏線が張られている。「あたしを見捨てないでくださいね」と言うウンディーネの言葉の裏には既に破局が暗示されているのだ。いや、伏線というよりも、心とはかくも重たく、人間はその重たさに耐えきれないということを、ウンディーネはアプリオリな直感で見抜いていたのかもしれない。
だが、悲しくも人間ではないウンディーネの心は、一途にも騎士フルトブラントを想い続ける。人間が持つ移り気というものをウンディーネは知らない。そして、フルトブラントは、徐々にベルタルダという別の女性に心を寄せていくのだ。かつて永遠の世界で生きていたウンディーネは、愛が永遠ではないことを知らない。だから、ウンディーネは「姉妹」のようなベルタルダを自らフルトブラントのそばに近づけてしまう。事ここに至って、もともとフルトブラントを良く思っていなかったウンディーネの叔父キューレボルンの怒りが頂点に達し、ウンディーネは、フルトブラントを伯父の魔の手から守るために、自らフルトブラントのもとを去ってしまう。
フルトブラントは悲しみに暮れるが、愛と同じように悲しみさえ永遠には続かない。なぜなら、悲しみとは愛情の裏返しだからだ。永遠の愛がない以上、永遠の悲しみもない。もし、永遠の愛がこの地球上にあるとすれば、それは愛する者を自らの手で殺めることでしか手に入らない。愛する人に殺されることで永遠の愛が完成する。愛する人を殺した者は罪悪という十字架を引き受けることで、永遠の悲しみを手に入れることができる。
死を持たないウンディーネは、自らの手を汚すことによって��か永遠の愛を得ることはできなかったのだ。
このように考えていくと「仮面の告白」の「悪行(ソドム)の理想」も「聖母(マドンナ)の理想」も二項対立的なものではなく、むしろ一体的なものに思えてくる。愛する人を殺せば、永遠に凍結された愛を得ることができる。これは性倒錯ならぬ愛倒錯と呼ぶべきものなのだろうか。何もかも移ろい消えていく世の中で、永遠の愛を真摯に求め続けることが異常者だとするならば、異常者にでもならない限り、永遠の愛は手に入らなそうだ。
追記(2021.10.4)
※「心を持つ/持たない」の関係については、ほかに業田良家作「ゴーダ哲学堂 空気人形」が面白い。
※「愛する者を殺めることで永遠の愛を手に入れる」という主題は、諌山創作「進撃の巨人」のエレンとミカサに通ずるものを感じる。
URL:https://id.ndl.go.jp/bib/027437074
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古典作品だけど訳の良さで読みやすかった。映画「水を抱く女」を観たので元ネタが気になり読んだ。フルトブラントを殺したくないのに殺さなければならなかったウンディーネ、愛する人を2人とも失くしたベルタルダ、どちらのヒロインも悲しくて何とも言えない後味でした。
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水の精霊と騎士の悲恋を描いた物語です。
哀しく美しいファンタジーとして味わうか、
キリスト教的なお話と受け取るか、
それとも人間の愚かさを描いた作品として読むか、
近代、現代文学に慣れ親しんだ身には
かなりもの足りない感じがしますが、
文章が簡潔であるだけに、
その分、想いを巡らす余地が
ふんだんにあることに気づかされました。
この小説は1811年に発表された作品で、
ドイツロマン主義の名作と言われているようです。
本作が世に出ると
たちまち数か国語に訳されるほど
当時の評判はすごくて、
あの文豪ゲーテも〝ドイツの真珠〟と絶賛したとか。
また、この物語は戯曲やバレエ、
オペラにもなっていて、
絵画のモチーフにもなっています。
近年も映画化されるほど人気のある作品のようですね。
べそかきアルルカンの詩的日常
http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a
べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
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