- 予約購入について
-
- 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
- ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
- ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
- 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。
政治に翻弄された少女たちを通じて描く、見事な東欧現代史
2006/10/09 08:11
15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
1960年代、マリはプラハのソビエト学校に通う日本人少女だった。同級生の中でもとりわけ仲がよかったのは3人の女の子たち。共産主義者の親とともに亡命してきたギリシア人のリッツァ。ルーマニアの外交官の娘アーニャ。そしてボスニア・ムスリム系ユーゴスラビア人のヤスミンカ。本来ならば無邪気で無垢な少女時代を送るはずの彼女たちは、鉄のカーテンの「向こう側」に身を置く者の宿命として、大人たちの政治的思惑とともに生きざるを得なかった。
そして90年代、東欧を一気に襲った民主化の大きなうねりの後、マリは3人のその後を訪ねて歩くことにした。3人の旧友たちはどんな大人になっていたのか…。
今年5月に亡くなった米原万里氏の著作を私が手にするのはこれが初めてではありません。しかし残念ながらこれ以前に触れた書は、どうにも露骨な下ネタが多くて、おもわず引いてしまうようなものが多く、本書も食わず嫌いなままきてしまっていました。
しかしこの大宅壮一ノンフィクション賞受賞のエッセイは違いました。1960年代にプラハのソビエト学校で机を並べた3人の個性的な同級生たちのその後を通して、現代東欧民衆史を鮮やかに切り出してみせる名エッセイです。「アーニャの嘘」に隠された真実を追う過程は、日常のささいな謎を解き明かしていく北村薫のミステリーを読むような高揚感と、真実の持つ悲しさとを味わわせてくれます。
ですが、30年近い時を経て知る旧友たちの真実は、それでもまだ確たる真実とはいえないのかもしれません。ひとつのものをある一方向から見たものでしかないのかもしれない、というやりきれなさも感じます。アーニャの一家のその後の経緯をどう見るか、真実はひとつであるはずなのに、兄のミルチャの言い分、アーニャの母の言い分、そしてまたアーニャ自身の言い分はまるで違います。彼ら家族は互いに心にわだかまりを抱えて今を生きています。過去において共産主義とどう向き合ったのか、その度合いによって生まれた心の亀裂は、共産主義が終焉した後も決して埋まりません。
家族を引き裂いたまま共産主義は去っていったということを、痛ましくも感じさせる少女たちの物語です。
確かに名著です。
マリの親友それぞれが歩いた人生の道を思うと、胸に迫るものがあります。実に読みごたえのある一冊でした。
2010/01/05 00:07
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:東の風 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤースナ。著者が10歳から14歳の五年間を過ごしたチェコスロバキアのプラハ、その八年制ソビエト学校の親友たち。お互いにまだ子ども同士だった彼女たちとの交流と、彼らと三十年ぶりに再会した時のことを綴っていくなかで、民族意識と愛国心、それぞれの人生の変転が鮮やかに立ち上がってくるノンフィクション作品。
<まだ一度も仰ぎ見たこともないはずのギリシャの空のことを、「それは抜けるように青いのよ」と誇らしげに>言うリッツァ。「あなたは、チースタヤ(純粋な、生粋の)ルーマニア人?」と、相手は軽い冗談のつもりで言ってるのに、目をつり上げて怒りまくるアーニャ。学校の地理の時間、見事なプレゼンテーションで祖国ユーゴスラビア連邦のことを語っていくヤスミンカ(ヤースナ)。異国の地にあるからこそ余計に、自国と自分の民族を誇りに思う子ども時代の彼女たち。日本人のマリの目を通して、そうした彼らの心情が生き生きと活写されていたのが、まず、素晴らしかったなあ。自分でもどうにもならない望郷の思い、自分を自分たらしめているアイデンティティーとしての民族意識が、後半の再会の場面へとつながっていくところ。読みごたえ、ありましたねぇ。
収録された「リッツァの夢見た青空」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「白い都のヤスミンカ」それぞれに、冒頭のシーンが何らかの形で三十年ぶりの再会のシーンにつながるところも、印象深いですね。<「ハハハハ、ザハレイドウが走っとるわ、走っとる」>という一行からはじまる冒頭の場面が、後半、奇跡の一瞬のように再現される表題作など、殊に魅力的。目頭が熱くなりました。ちなみに、ソビエト学校時代のアーニャが写った写真が、“米原万里”を特集した『ユリイカ』に載っています。
でも、収録された三篇の中、私が最も魅力を感じたのは、おしまいの「白い都のヤスミンカ」でした。最初は近寄りがたい存在だったヤスミンカが、「ヤースナと呼んで」とマリに近づいてくる出会いのシーン、ヤースナのパパが語る思い出話(この話がまた、すごくいいのです)、「私の神様は、これ!」と言ってヤースナが突き出した北斎の絵。著者の心の中にあるヤースナとの色んな思い出が、後半、ユーゴスラビア連邦崩壊に端を発する多民族戦争の中にあって翻弄されるところ。はらはらしながら頁をめくっていくしかなかった。
そして、三つの作品すべてで感じた、国も違えば民族も違うマリと彼女たちが再会するシーンの素晴らしさ、彼女たちが見せる喜びの大きさ。異国でともに少女時代を過ごした彼らの強い心の絆が自然伝わってくる再会の場面は、特に胸に迫るものがありました。
3人の少女の姿がそのまま世界を映し出す鏡のようだ。
2004/08/13 00:04
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぶんこ虫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
東西冷戦中、ベルリンの壁が崩壊する前の、東欧社会、なんて興味を向けたこともなかった気がする。まだ、社会主義の理想を多くの人々が信じていたころ、東欧チェコスロバキアのプラハにソビエト学校なんてものがあり、そこで世界各国の子供達が学んでいたなんて、しかも、その中に日本人がいたなんて、想像をはるかに超えた話だ。
ここでは3つの物語が語られている。著者のソビエト学校時代の友人たち。やがて日本に帰った著者が、長い年月を経て、もう一度彼女達に再会するまでの物語だ。ギリシャ人でありながら、ギリシャを見たことのないリッツァ。ルーマニアの高級官僚の娘アーニャ。ユーゴスラビア人のヤスミンカ。…冷戦後、彼女達が暮らす国々は、急激な社会変革や民族紛争を引き起こすことになる。
「白い都のヤスミンカ」は3話の中でもっとも痛切な物語だ。その昔、ベオグラードの美しさに魅了されてトルコ軍が町への攻撃を断念した、という逸話には、何か人間性への信頼のようなものが内包されていると思う。けれど、昔話ではない現代、20世紀の終末に、アメリカとNATOはついにベオグラードを爆撃した。「明日にも命の危険にさらされるかもしれない、恐ろしくてたまらない。けれど、国を捨てようとは思わない。たくさんの友人、知人、隣人と築いてきた日常を捨てることはできない」…まだ爆撃される前のベオグラードで再会したヤスミンカの言葉が痛切に胸に響く。
この本を読んで、世界に絶えることのない戦争というものの理不尽さを思わずにはいられない。民族、宗教、思想の違いが、どうしてこんなにも果てしない争いを生むのだろう。どうして人々をこんなにも苦しめ、悲しませてもなお、戦争は終わらないのだろう、と。
可愛くて切ない東欧史
2015/05/05 12:57
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アムちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の万里さんは10年ほど前、急逝されましたが当時からずうっと気になっていました。テレビでもある時はワイドショーのコメンテーター、ある時は同時通訳として度々お見かけしましたが、一種余裕というか大人物の大らかさが異色で、彼女のバックボーンは何なんだろうと思っていました。幼い頃、東欧に住んでいたので、ロシア語が達者ということだけは知っていました。
この本とは書店での特設コーナーであいました。東欧の雑貨本の中にピンクのカバーが可愛らしく、御縁を感じ、購入しました。
東西冷戦時代の真っ只中、プラハのソビエト学校に通う著者と3人の友達との交流とその後。少女達の学校生活は可愛らしく、微笑ましく、ピンクのカバーに相応しい内容です。でも彼女達のそれからはソビエト崩壊後の激動の現代史に直結しています。3人の少女の母国、ギリシャ・ルーマニア・ユーゴスラヴィア、様々な問題を現在も抱えています。国籍だけでなく民族問題も抱えるこの地域は日本人にははっきりいって難しい。日本人のマり(著者)とリッツア、アーニャ、ヤスミンカ、それぞれ30年後再会しますが、それはそのまま、東欧史を語る上でも貴重なノンフィクションでした。
惜しくも亡くなりましたが、この本を残してくれた万里さんはやっぱり素敵な方でした。
まるで小説
2016/01/25 13:55
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:メロリーナ - この投稿者のレビュー一覧を見る
まるで小説を読んでいるようだった。それも、とびっきりのを。プラハでの少女時代の話。共産主義の親を持つ、様々な国の子との交流。国の事情で急に帰国した子がいたり(ソ連と中国の緊張など)、そういう出来事を通してもこの時代の情勢がわかる。でも、やはり、東欧。三十年後、著者はプラハの学校で仲の良かった友人たちを探しに東欧へ。ソ連崩壊後、時代に翻弄された彼女たちの人生。この本は激動の東欧史であり、ミステリであり、友情の物語だった。最高!
何度も何度も読み返しました
2016/11/03 16:52
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たいこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
それだけの深い味わいと価値のある贅沢なエッセイでした。これからも折に触れて繰り返し読むことでしょう。
こういう本を読んでみると、何か豊かな気持ちになる
2019/01/16 22:10
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品は、作者が9歳から14歳の多感な時代にチェコスロバキアにあったソ連の外国共産党幹部子弟専用学校に通っていた時代に出会った3人の少女との学校時代の思い出と、再会をまとめあげたものだ。ギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカ、それぞれがそれぞれに激動の10代、20代を過ごすことになった。作者は、チェコという異郷の土地で生活するからこそ、みんな祖国を愛することになるという。なるほどそうなのだろう。その愛国心に満ちていた3人のその後の体験、とくにユーゴスラビア人のヤスミンカの語るユーゴ崩壊の話は辛い。昨日まで硬い友情で結ばれていたはずの友人が宗教、民族の違いから敵対関係になる、こんな世の中はたくさんだと思っていたら、頭の中にトランプが浮かんできた、もうたくさんだ
「東欧ジョーク集」愛読者としては・・・・
2016/12/29 02:54
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オカメ八目 - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸落語を、しっかりと聴き込むと、江戸の人たちの人情や心理の動きが判るように、本書を「東欧ジョーク集」好きの私が読むと『ああ! あのジョークたちは、こんな人情や心理の動きの中から、ひねり出されたんだ!!』と強く感じた次第だ。 「東欧ジョーク」とは、そりゃ中には「かわいい」のもあるが、平均的に洒落がキツくて、激辛で、こころ優しき人等は、下手すりゃ「笑い死ぬ」かもなと言う位の凄さがある。 旧・東欧とは、そりゃ自然も厳しいかもしれないが、「政治的災害」の厳しい所らしい。 そんな中での「東欧ジョーク」の故郷の現実の話。 また、文体が、締まってていい。
あまり
2024/10/29 19:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ケロン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ロシアという国は未だに謎が多い国というイメージですが、子どもたちの生活はどこでもあんまり変わらない。
それぞれが個性的で魅力的。
人と人は違うということ
2008/07/23 23:16
10人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:helmet-books - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近地元を歩いていてよく思うのが、
以前にも増して外国人が増えたこと。
東京ならわかるとしても、
この千葉の田舎町でとなるとなんだか不思議だ。
アジア系の労働者が、
工場行きのバスに乗って行くのを見たことは何度もあったが、
今日は、白人の典型的な若い女の子(肌が白くて金髪で目が青い)が、
日本人のお婆ちゃんと、一言も交わさずに歩いていた。
なんでこんな何にも無いところにと思いながら、
横目でチラチラと観察していた。
そういえば、以前ニューヨークに住んでいたとき、
道に迷い、ふと気がつくとユダヤ人街に紛れ込んでいて、
しかも、日曜だったので教会にでも行くのであろうか、
たくさんのユダヤ人がぞろぞろとおそろいのスタイルで、
僕の前を通り過ぎていった。
こうやって、外見から人種の違いを認識し区別していくと言うのは、
差別とは呼ばないのだろうが、こんなことがきっかけで人種差別と言うモノが発生するのだろう。
今回の作者、米原万里は、
当時のチェコスロバキアの在プラハ・ソビエト学校に、
小さい頃5年間通っていた。
そして、そこで当時感じた文化のギャップや、
当時の時代背景を題材に、主人公マリとして登場してくる。
当時の時代背景と言うモノが悲惨で、
共産主義に振り回されている人民が、マリの友達でもあった。
マリが日本に帰国してから数年が経った時、
チェコの社会情勢が悪くなったと耳にする。
友達とも連絡が取れなくなったことを心配に思い、
再会を信じ再び、チェコスロバキアに戻ることに。
そして感動の再会。
そこで、語り合った空白の期間には、
悲しいほどの人間ドラマがあった。
アイデンティティが揺さぶられる
2021/04/13 12:34
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Clarice.S - この投稿者のレビュー一覧を見る
多感な少女時代を、激動の東欧で暮らす。それが残酷なまでに自分のアイデンティティや母国語の大切さを実感する。私達がふだん何気に使っている言葉が私達の魂のよりどころになっていた。様々な状況に翻弄されていく少女をそっと抱きしめたくなります。