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投稿者:おどおどさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
いつか読みたいと思っていたので、現代語訳で読めるのはすごいうれしい!雨月物語は映画で見たことがあるけれど、文で読むと恐そう。
これを入口に西鶴の好色シリーズなどの現代語訳もどんどん読みたい!
春色梅児誉美が結構面白い
2020/08/10 21:04
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
池澤夏樹氏編集による日本文学全集、これまでも「竹取物語」「伊勢物語」といった平安時代のものから武田泰淳や井上ひさしといった昭和の作家までを読んできたが、今回は初めて江戸時代の作品「好色一代男(西鶴)」「雨月物語(上田秋成)」「通言総籬(山東京伝)」「春色梅児誉美(為永春水)」の原作をそれぞれ島田雅彦氏、円城塔氏、いとうせいこう氏、島本理生氏という豪華な顔ぶれが現代訳している。なかでも、後の2作は、このふたりでないと味が出なかっただろうなという出来栄えだ。今でいうところの業界通(風俗業界通)の男たちの猥談なんて、いとうせいこう氏以外に訳せる人を思いつかない。島本氏もさすがなのだが、この終盤にあの人とあの人が実は・・・という展開、どこかで読んだ気がしていたら、坪内逍遥の「当世書生気質」だった。洒落本、人情本の形態にまだまだ明治初期の文豪は引きずられていたのだろうか
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投稿者:ROVA - この投稿者のレビュー一覧を見る
この巻は「作家と楽しむ古典」の方を先に読んでしまっていたので
早く本編を読みたいなと思っていました。
好色一代男は実際読んでみると結構胸焼け(笑)
通言総籬はタイトルすら知らなかった未熟者ですが
注釈が本編的な感じでとても楽しめました。
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江戸期は市民の時代であり、先取りされた近代であった。日本の小説は既にこの時期に完成していたのかもしれない。
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名所旧跡というものがある。人の口に上るので、自分では特に行ってみたいと思っていなくても、一度くらいは行っておいたほうがよいのではと思ってしまう、そんなようなところだ。古典というのもそれに似たところがあるのかもしれない。学校の歴史の授業で名前だけは聞いていても、『雨月物語』はともかく、色恋や女郎買いを主題とした『好色一代男』や『春色梅児誉美』などは、文章の一部すら目にしたことがない。ましてや山東京伝の名前は知っていても廓通いのガイドブックである『通言総籬』などは作品名さえ教科書や参考書には出てこない。しかし、出てこないから、大事ではないということではない。
「色好み」というのは、日本の文化・伝統というものを考えたとき、まず最初に指を折るべきところ。何しろ『古事記』の国生みからして、その話から始まるのだし、世界に名立たる『源氏物語』は全篇「色好み」の主題で貫かれている。というわけで、十七世紀から十九世紀にかけての日本文学を代表する作品として選ばれているのは、浮世草子、読本、洒落本、人情本というまあ、今でいうエンターテインメントばっかし。面白くないはずがない。そうはいっても、怖いもの見たさで現代語訳を読んでみた『雨月物語』を別として、あとの三作は原文はおろか訳文すら目を通したことがない、という体たらく。
それもそうだ。『平家物語』の書き出しのように人口に膾炙しているわけでなし、『源氏物語』のように、何度も映画化されていて、原作を読まずともある程度のストーリーに通じているといったキャッチーなところが少ないのだから。まあ、世之介という主人公はけっこう有名で市川雷蔵主演の映画でそのキャラクターも知ってはいたが。『源氏物語』五十四帖をパロディにした、こんな愉快な物語だったとは、現代語訳を読むまではとんと知らなかった。
これは、江戸時代前期の日本各地を舞台にした一種のピカレスクロマンではないか。女だけではなく若衆、つまり男も相手にした好きものの男の一代記。日本が諸外国と比べ、性に対してあけすけなのは知っていたが、これほどまでとは知らなんだ。ところかまわず、相手かまわずことに及び、子どもが生まれたら捨て子にし、どれほど一生懸命に口説いた相手でも、時がたてば別の場所、別の女にいれあげる。この世之介という男、とんでもない男である。その一方で、女にまことを尽くし、どこまでも連れ添おうとする律儀なところもある。価値観というものがそんじょそこらの男とはちがっているのだ。
長い戦国時代が終わり、徳川の世になったことで天下泰平の時代の空気のようなものがそうさせるのか、「金もいらなきゃ名誉もいらぬ、わたしゃも少し背が欲しい」というギャグがあったが、世之介が欲するのはただただ色事に尽きる。歌枕を訪ねるように女を求め日本各地を漂泊する前半も読ませるが、親の遺産を蕩尽しようとして果たせぬ後半のアナーキーさがニヒリズムさえ漂わせ凄みをみせるのが、「好色丸」と名付けた船で女護ヶ島目指して旅に出る最後の場面だろう。バイトやヘルプという俗語も自然になじむ島田雅彦の現代語訳は読みやすい。各巻��章で八巻のみ五章の構成。短い章立てがテンポよく、飽きさせない。
中国白話小説を翻案し、日本を舞台にした怪談集の体裁をとる『雨月物語』は、円城塔訳。儒仏道の薀蓄を散りばめた上田秋成の原文を格調を失わない現代文によく移し変えている。「白峰」にはじまる怪異を描いて鬼気迫る迫力を見せるが、軟文学でないという点で他の三作に比べると異色。
いとうせいこう訳による『通言総籬』は訳者も言うように田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を髣髴させる当世カタログ風の出来。通人が当時流行っていた遊郭にあがって太夫を呼んで騒ぐ午後から夜明けまでの一部始終を、当時最先端の風俗をこれでもか、というように次々と繰り出してみせる、山東京伝の才気走った一篇。見開きページの右に本編、左に脚注を配した「なんクリ」ならぬ「ツーまが」。いちいち脚注に当たるのは面倒という向きは、本編だけでも読める程度に噛み砕いてくれているので安心。しかし、脚注で事細かに語られている当時の風俗、流行が何より興味深い。ちらちらと目をさまよわせて読むのも一興。
島本理生訳の為永春水は、かなり原作を改変しているようだ。といっても話の内容をではない。語りを、三人称ではなく主要な登場人物の一人称の語りにした点である。そうすることで、視点人物の感情が読者と共有され、まだるっこしいような男女間の情愛や、女同士の義理立て、意地の張り合いが、一気に分かりやすくなった。人情本本来の情調とは若干異なるのかもしれないが、時代小説のノリで読めるのはありがたい。多分、原文だったら最後まで読み通す気にならなかったと思う。
読まないでいてもいっこうに困らない、という点で名所旧跡にも似た四篇だが、まあ、一度読んでみても損はない。それどころか、日本文化が本来持っていた軟らかさ、なまめかしさ、艶っぽさ、仇、粋、といったあれこれが目の前に立ち現れてくるのがなんとも心地よい。極上の酒を、気の利いた肴をあてに口にしているようで、いやあ極楽、極楽。武張った今の世の中が、いかに日本を忘れてしまっているかを思い出させてくれる警世の書というべきか。
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それぞれ初めて読みました。
井原西鶴 好色一代男
上田秋成 雨月物語
山東京伝 通信総籬
為永春水 春色梅児誉美
それぞれ、江戸文化の良さや面白さについていまいち
理解できないというか、合わない感じがしました。
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現代語訳、分かりやす。
目から鱗が落ちる。
時代で移ろうもの変わらないもの。若い頃にもう少し勉強しておけばよかった、こう言う本を現代語訳ではなく理解できる人間だったろどれだけ楽しかったんだろう。
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『好色一代男』の世之介のように若い頃に五百億円を遺産相続したら人生狂ってしまうだろうな。庶民のわたしとしてはその千分の一位が現実的かな。この読書メーターにレビューを書いて楽しんでいるのですからそんなにお金があっても使い道がありません。もう若くはないので色に狂うこともないのです。『雨月物語』はすこしオカルト的。『通言総籬』は江戸版「なんとなくクリスタル」といった感じ。『春色梅児誉美』は男女の手練手管が見事に描かれています。ハッピーエンドで良かったですね。
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どこかで雨月物語は円城訳が一番怖いと読んで、手に取った。知らない話が多かった。現代語で通読できるのは、ありがたい。
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冬期休暇のため長くて分厚い本が読める!と、気になっていた日本文学全集シリーズ。
現代語訳のため相当読みやすく、休み前半で読めた。
【井原西鶴「好色一代男」 新訳:島田雅彦】
光源氏、在原業平の流を汲む色好みの世之介さん、幼少のころから60歳までに遊びに遊んだ女3,742人と男725人、使ったお金は現在価格で500億近く。
そんな世之介さんの一代記(まさに一代限り。何も続かない、何も残らない)を
7歳から60歳までを1年ごとに54章で書いたもの。
昔増村保造監督、市川雷蔵主演の映画を見ました。
映画での世之介役の市川雷蔵は実に自由で前向きで明くて良かった!
光源氏や在原業平はいじいじグダグダしていて喝入れたくなったが(学生時代の授業での感想/ちゃんと読んでないから分からんが(笑))、この世之介さんなら一瞬の恋に燃えても楽しそう!と思えるような人物像でした。
そんな世之介さんを期待して、かなりワクワクしながら読み始めたのですが…
井原西鶴の原作もそうなのか新訳でそうしたのか、サクサクサクサク進み過ぎて世之介さんの心情も触れられず。
大店の遊び人と遊女を両親として生まれた世之介さんは、まだ母と添い寝の頃から従姉や女中さん近所のおかみさんたちに色っぽいことを言ってきた。
青年になって自然と遊女や人妻を相手にし、あまりにも度が外れた遊びっぷりに両親から勘当される。
それならばそれで…と、日本全国その日暮らしながらも色事っぷりは増すばかり、坊主修行をするもののすぐ色事に走り、、たまにどこぞの家に婿のように入ったり、たまに子ができても女も子も捨て、旅の尼さんにも坊さんにも手をだして…と、まあこの時代は金も家もなくても遊び倒せたんですね。
映画では勘当されてからは「ここぞ!」とばかりに自由への道を邁進するんだが…、原作では父が亡くなった後母により勘当は解かれて、(現代価格に換算し)500億の遺産を「好きなだけ遊びつくしなさい」と渡される。
そこで吉原、島原、下関など日本全国遊び歩き、名のある遊女と言う遊女は全員身請け、吉原一の花魁を正妻に迎えるが相変わらずの遊びっぷり。
結局60歳になって遊び友達と共に、女たちの腰布で帆を作った船に乗り海へと漕ぎ出しそれっきり。
それなりのいい男で金と時間はあり余り、遊ぶ以外にやることはないとなったらさすがの世之介さんも生きるのがキツくなったんだろうか。
市川雷蔵の映画の世之介さんでいいセリフがいくつかあったので覚えてる範囲で記載。
「(心中計ったが女だけ死んで)わたしもすぐに後を追うぞ!…でも先に三途の川を渡ったかな~今から後を追っても追いつけないかもしれないな~、よし!死ぬのは辞めた!」
⇒この前向きさ(笑)。きっと先に死んだ女性も許してくれるよ。
(映画のラストは役人に追われて逃げるための船出)「この船の帆は今まで出会ったおなごたちのものや!おなごたちの加護がついている、さあ、女護島へ出発や~!」
⇒散々遊び散らしていますが、一人ひとりに本気で誰からも恨まれてない!��いう自信があるんですね。
現代日本の道徳に同調している私でも「酷い男と酷い人生で添い遂げるより、一瞬でも世之介さんと遊べた方が幸せでは」と思った(笑)
「おなごは鬼と罵れば鬼にもなる、仏と拝めば仏にもなる。それなら仏と拝んだ方がいいではないか、ありがたやありがたや~~~」
⇒これは人間に対する心持の理想ではないか。座右の銘にしたいくらいだが…私が全く実行できていないorz
【上田秋成「雨月物語」新訳:円城塔】
人の執着、無念により、死んだ後にも祟り神、鬼に変化して恨み言を語る。
僧に出会って成仏できるか、恨みの相手を取り殺してどこかへ消えるか…
最初に読んだのは高校生くらい??(もちろん現代語訳)だったと思うのですが、日本の古典としてかなりお気に入りだった。
さらに当時流行った桃尻語訳シリーズかなにかで「作者の上田秋成は、わがままで嫉妬深くて困った男」みたいに紹介されていて、それがさらに雨月物語を興味深く感じていた。
雨月物語では性の直接的描写はないので、高校生当時はそのまま読んでいましたが、
その後大人になってからは「戦場ど真ん中の村に妻を残し都に登る男」なんて、妻が無事なはずなかろう、わかって捨ててるだろうと思うし(実際に溝口健二監督が映画化したものでは、妻は敵兵たちに…、という場面がある)、
「少年に執着する僧」「義兄弟の契りを結び命懸けで約束を果たす男たち」ってやっぱりそういうことじゃないか!と思うし、
文章の裏から浮かぶような性描写があるんですね。
円城塔の作品を読んだことはないのですが、現代語訳版では、怪奇も変化も特別なことではなくごく自然にさらっと記載されています。
もう少し情念を感じさせる文章でも良かったかなあと思う。
【山東京伝「通言総籬(つうしんそうまがき)」新訳:いとうせいこう】
話の筋としては、吉原で遊びに興じて生きたいと思うお坊ちゃまの”えん次郎”が、自宅で準備をして吉原の遊女に会いに行くまで、ということですが、
タイコモチの”北里喜乃介(きたりきのすけ)”や、医者坊主の身なりはしているが実はヤブ医者のタイコモチ”わる井しあん”たちとの軽口やり取りを通して、吉原の名物紹介というガイドブック的側面、そして作者山東京伝の作品宣伝という側面を持っているらしい。
訳者のいとうせいこうは、本文も軽口の応酬を書きつつ訳注を付けまくり楽しく訳している感じです。
なにしろ訳注では「山東先生、この場面筆が乗ってます!」「現代だと○○みたいなもの」な訳者ノリノリ(笑)
この読み物自体全く知らず…
ガイドブックっぽいが、蔦屋重三郎がバックについての本当に宣伝本ということらしい。
まあそういう本のスタイルを確立させて行った過程というような読み物、と言うようなものだろうか。
【為永春水「春色梅児誉美」新訳:島本理生】
吉原でそこそこ名の通じる店の唐琴屋に関わる人たちの人間恋愛模様。
番頭に追い出された元若旦那丹次郎、丹次郎の愛人の芸者米八、丹次郎の婚約者お長、花魁此花、此花の御贔屓藤兵衛、髪結いの小梅のお由…達の間で繰り広げられる恋愛騒動。
「春色…」は全く知らず、島田さんも初めて読んだ(そもそもこの名前、男性?女性?と思いながら読んだが、女性っぽいな)
現代っぽい感覚で訳されていて、米八の口調など「○○じゃん」「さんきゅ」などと思いっきり現代風。
話しの進み方も、章ごとに登場人物の一人称で語られていて、江戸時代にこんな書かれ方したのか??と思ったら現代語訳に際しての改変らしい、洒落た感じがでてた。
しかし行動や口調が思いっきり現代恋愛ものであり、
人の営みは何百年たっても変わらない、江戸時代も今の私たちも同じだと解釈するものなのか、
現代語訳に当たって特に現代の人に感性を合わせた訳し方にしたのか。
私は現代恋愛ものは読みたくないので、途中で「江戸時代の文学を読むつもりが、思いっきり現代ものではないか!!」とちょっと焦ったわ。
色々拗れるのでラストは悲恋か?心中しちゃうか?とこれまた焦ったが大団円だった。
しかも「○○は実は上流武家の隠し子!」とかのビックリ情報明かされまくり(笑)
江戸文学ではこういう「実は○○!」というのが流行っていたらしい。
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やはり『雨月物語』が奥が深くて味わい深い。『好色一代男』の遺産500億円なんてものすごい金持ちであり、よく飽きもせず女、男遊びするものだと感心してしまう。光源氏に色で対抗したのも面白い。『春色梅児誉美』はハッピーエンドで楽しく読めた。
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雨月物語目的で。
西條奈加さんの「雨上がり月霞む夜」を先に読んでいたことから、作者や時代の呪縛から解かれた気持ちで読めた。なので、古典とはいえ少し色あせて見えた。
そんな価値観「昭和かよ」という半ば白けた気分というか。この調子では恋愛小説もただの利権物語にしか見えなくなりそうだ。
もともと恋愛小説にはあまり惹かれないけど(⑉• •⑉)
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江戸時代は、だいたい現代?
治められた4つの小説は、どれも名前は聞いたことがあるかな、というもの。読んでみるとスイスイ読める。古典文学だとちょっと遠巻きにしていたのがもったいない。
「好色一代男」これぞエロの大国日本だな、とか思ってしまう。とことん遊んで最後に船出していく世之介を、嫌える人なんていないだろう。源氏物語のパロディと言われて、なるほどと思う。
「雨月物語」いくつかの話は知っていたが、通読するのは初めて。しっとりと、また少し不思議で、少し怪しい。
「通言総籬」つうげんそうまがき。これは知らなかったけど、『なんとなく、クリスタル』ならぬ『なんとなく、総籬』といういとうせいこう訳に引っ張られて読んだ。冒頭はもしかしてにほんごであそぼでやってた江戸っ子とはのセリフか。
「春色梅児誉美」これは昔マンガで読んだことがあるので、なんとなくあらすじは覚えていた。どんどんと事件が起き、新たな事実が明らかになり、最後は大団円でご都合主義とは言っても、ぐいぐいと読んでしまう。軽やかな会話、キャラクターたちの「粋」と「あだ」が爽やか。
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好色一代男
江戸時代前期1682年成立。井原西鶴の処女作。翻訳者は島田雅彦。
主人公世之介の7歳から60歳までの好色を1話1年で描く。
雨月物語
江戸時代中期の1776年出版、出版時の著者名義は剪枝畸人であるが、作者は上田秋成とされる。翻訳者は円城塔。
中国の白話小説などを素材に9つの物語からなる。
通言総籬
1787年出版。山東京伝作。読みは「つうげんそうまがき」。翻訳者はいとうせいこう。
京伝のヒット作のキャラクターたちを使いながら、吉原遊郭の最新情報を語らせる。
春色梅児誉美
全4巻で1833年に完結。為永春水作。読みは「しゅんしょくうめごよみ」。翻訳者は島本理生。人情本、いわゆるハーレクイン小説のようなものの代表作といわれる。
好色一代男
主人公、世之介は、はじめは気障な二枚目で、風流を極め浮名を流す。江戸時代版「源氏物語」かと思いきや、二枚目なのは最初の数話だけ。あとの50話近くは、浮名は流すが肝心なところで間抜けを晒す三枚目。
大きく二部に分かれ、前半は女の尻を追い回し続けて身をやつす流浪編。後半は首が回らなくなった世之介に突然遺産500億円が振り込まれ、遊女たちに放蕩三昧を尽くす遊郭偏。
前半のほうが主人公が動き回って面白い。大金をもつと物語としては何でも融通が利いて、かえって面白くなくなる。
それでも最期は立派だ。大尽しても余った金をばらまき、自分はエロ本と精力剤をたんまり乗せた船でまだ見ぬ女を抱きに船出する。六十歳にして中学生のような欲望を持ち続けた様は男の鑑。
雨月物語
最初と最後の漢詩の訳し方に円城塔の文字渦を見る。
物語としての完成度が出色して良い。翻訳がいいのか、元がいいのか。
冒頭「白峯」からして良い。これは放浪する西行と崇徳院の怨霊が対話が中心。
権力争いに負け流刑の地で斃れた崇徳院の怨霊が語る恨みと、それを諫める西行のやり取りは、怨霊とはいえ天皇を前にした西行の緊迫感や双方の素養の深さが臨場感あふれる筆致で描かれている。
もう一つ印象に残るのは「仏法僧」。野宿する親子のもとに幽霊が現れる怪談だが、単なる幽霊で終わらせず、それが悪行で知られ殺生関白とあだ名され切腹した豊臣秀次の幽霊であり、彼らと連歌させられるという、作者の教養ぶりを感じさせる一作。
通言総籬
注釈も面白いので一度目は注釈をみながら、二度目は訳者いとうせいこうのリズムに合わせてピューと読みたい。
今風でいえば風俗ウラ情報誌のようなものという触れ込みで始まるが、内容としては、洒脱な主人公たちの衣装や小物、花魁たちの服飾や雅なしきたりの様子が事細かに記載されていて、どちらかといえば、現代のファッション雑誌やトレンド紹介ブログを思わせる。
主人公たちが流行を発信する最先端。吉原遊郭でみんなの憧れの江戸セレブリティを体現させている。
肝心の遊郭レビューの内容がないのだが・・・。
春色梅児誉美
恋の三角四角五角関係。昔から女性はこういうのが好きだったのね。
江戸の女性も自分の運命を���り開くためによく動く。女性向けだからだろうか、男性側は何とも頼りなく、また操も立てずにその場に良いように取り繕う。なぜこんな男のために尽くすのか。ダメ男を好きになる女性が一定層いるのも昔からなのだろうか。
後半は怒涛の展開にご都合主義の大団円。実はあなたは誰それの由緒ある家の御落胤だったのです!なんてね。
恋愛小説なのに、三角関係のまま一人はお妾さんに収まってもハッピーエンドにできてしまうのが当時の疑似一夫多妻制の良いところ。
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原文の一部が載ってるくらいので読みたいと思ったけれど、完全現代語訳。だけど、それぞれ訳された作家さんたちのセンスがキラリと光り、江戸文学のエッセンスがギュッと詰め込まれた、お値打ち品の一冊。
好色一代男
原作: 井原西鶴/ 現代語訳 島田雅彦
七才の時、夜中に子守に連れられてトイレに行った時、足元が危なくないように蝋燭を持って付いていてくれた子守のお姉さんに「その火を消して、そばに来て」。「足元が危ないから、こうしているのに、明かりを消してどうするんです。」と子守。「恋は闇ということを知らないの?」。
この頃から、クレヨンしんちゃん顔負けの天才好色男児、世之介!
八歳の時に、伯母さんの家に暫くお世話になっていた時に、好きだった従兄妹のお姉さんに
「この間、僕があなたの大切な糸巻きを踏んで壊した時に、腹が立ったでしょうに「全然大丈夫よ」と言って怒らなかったのは、何か内緒で僕に打ち明けたいことがあったからじゃないですか?もしそうなら、聞いてあげたいです。」という手紙を自分で書けないから、自分のお習字の先生のお坊さんに書いてもらって、下女を通じて従兄妹のお姉さんに渡した。お陰で、代筆したお坊さんは自分が誤解されて迷惑を被った。
十歳の時には、早くも男色の気も現れ、十一歳の時には遊郭に出入りを始め…。あちこちで綺麗な人と「いつまでもいつまでも一緒にいようね。」と誓いあって、相手に血判を押した誓約書まで書かせるのだけど、世之介のほうこそ一人のひとに落ち着けないんだね。悪気はないんだけど。「子供が出来た」と言われれば逃げちゃうし。
ろくでなしの女たらし。こんな物語でも340年も経ったものだと立派に“古典”として扱われるのか…と思ってふと後書きを読んでみたら、なんとなんとこれは「源氏物語」のパロディで源氏物語五十四帖を世之介の7歳から60歳までの好色遍歴54年になぞらえているらしい。そもそも日本文学というのは、イザナキ・イザナミの頃から色恋が大好きで、戦いと冒険ばかり描いていた「イーリアス」や「オデュッセイア」とは違うんだって。
そういえば、世之介は光源氏に似てるんだ。ただの好色ではなく、生まれつきのイケメンで、おしゃれで、気が優しくて、くどき上手で、男にも女にもモテる人たらしなのだ。親に勘当されてお金が無いときでも、流しの歌手として身を立てながら、相変わらず色恋沙汰を休まない姿は憎めないし、親の遺産が入って大金持ちになったあとは、可哀想な遊女がいると、サッと身請けしてやり里に返してやるなど、男っぷりのいいことするし。吉原や島原で名だたる、当代一と言われた遊女たちの本命も“世之介様”だったし。
中年になってから、いつもの遊び仲間と、あっちの遊女がいい、こっちの遊女がいいと品定をする会話の場面なんかは、源氏物語の「雨夜の品定」そっくり。
最後には、愉快な仲間たちと舟に往年の遊女巡りの思い出の品を詰め込んで、恋風任せで船出して、行方をくらました。その前に「夕日影 朝顔の咲く その下に 六億円分の 光残して」という歌を刻んだ茶臼石に朝顔の蔓を這わせ、その下に埋め��六億円、まだあるのかなあ(京都の東山だそう)。
あとの3遍も凄く良かった。書きたいことはいっぱいあるけれど、時間の都合で、紹介だけ。
雨月物語
原作: 上田秋成/ 現代語訳: 円城塔
通言総籬(つうげんそうまがき)
原作:山東京伝/ 現代語訳: いとうせいこう
春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)原作: 為永春水/ 現代語訳: 島本理生
「通言総籬」は江戸っ子のリズム感がいい。落語を聞いている感じ。イナセ。今、江戸で流行っているファッションやイケてることなどがビンビン伝わってくる。
「春色梅児誉美」は現代の人に分かりやすいように三人称を一人称に変えて訳すという工夫されたらしいが、現代小説と変わらない。泣けるラブストーリーであり、心温まる感動の再会、友情の物語。島本理生さんのオリジナル作品読んだことないけれど、興味が湧いた。