折に触れ読み返す本!
2016/02/22 14:08
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投稿者:コーシカ - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上春樹さんの小説は読み返すことが多いが、特に本作は、やみくろとの邂逅のシーンから最後の晩餐的ディナーのシーンまで大好きで時間があればそこだけでも読み返してしまう。
何にそんなに惹き付けられるのか。
人生があと僅かだと知らされたのなら、自分は何をするのだろうか。 自分は一体何者なのだろうか。 答えの出ない問いを続けていく、村上春樹の世界を堪能した。
2023/06/12 05:54
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投稿者:mitu - この投稿者のレビュー一覧を見る
「計算士」を生業とする「私」が主人公の「ハードボイルド・ワンダーランド」。
「夢読み」が仕事の「僕」の語りで進む「世界の終り」。
二つの無関係の思われる、摩訶不思議な物語。
物語は徐々にその世界観の全貌を明らかにしていく。
「計算士」の「私」は、彼の経験してきた奇妙な出来事の理由を、博士から教えられる。
ドイツの社会学者 マックス・ウエーバーは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のなかで、資本主義の問題点を指摘していた。
資本主義が発展していくと「精神なき専門人」と「心情なき享楽人」が跋扈してくる。
「何のため」という目的観や倫理観を見失い、ただ新奇性だけを追い求めた科学者は「精神なき専門人」そのものだろう。
「私」は、それに巻き込まれたのだ。
自分の影と切り離された「僕」は、自分の生きてきた意味、これから生きていく価値を問い始める。
一見華やかに見える人々。
村上春樹の世界は、その登場人物一人ひとりの生命の奥の奥に迫っていく。
言葉に出来ない言葉で、表現し、読者に問いかけ続けていく。
華やかさの底にある虚無感。
だれかとつながっていたい寂しさ。
人生があと僅かだと知らされたのなら、自分は何をするのだろうか。
自分は一体何者なのだろうか。
答えの出ない問いを続けていく、村上春樹の世界を堪能した。
人生があと僅かだと知らされたのなら、自分は何をするのだろうか。 自分は一体何者なのだろうか。 答えの出ない問いを続けていく、村上春樹の世界を堪能した。
2023/05/11 10:53
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投稿者:mitu - この投稿者のレビュー一覧を見る
「計算士」を生業とする「私」が主人公の「ハードボイルド・ワンダーランド」。
「夢読み」が仕事の「僕」の語りで進む「世界の終り」。
二つの無関係の思われる、摩訶不思議な物語。
物語は徐々にその世界観の全貌を明らかにしていく。
「計算士」の「私」は、彼の経験してきた奇妙な出来事の理由を、博士から教えられる。
ドイツの社会学者 マックス・ウエーバーは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のなかで、資本主義の問題点を指摘していた。
資本主義が発展していくと「精神なき専門人」と「心情なき享楽人」が跋扈してくる。
「何のため」という目的観や倫理観を見失い、ただ新奇性だけを追い求めた科学者は「精神なき専門人」そのものだろう。
「私」は、それに巻き込まれたのだ。
自分の影と切り離された「僕」は、自分の生きてきた意味、これから生きていく価値を問い始める。
一見華やかに見える人々。
村上春樹の世界は、その登場人物一人ひとりの生命の奥の奥に迫っていく。
言葉に出来ない言葉で、表現し、読者に問いかけ続けていく。
華やかさの底にある虚無感。
だれかとつながっていたい寂しさ。
人生があと僅かだと知らされたのなら、自分は何をするのだろうか。
自分は一体何者なのだろうか。
答えの出ない問いを続けていく、村上春樹の世界を堪能した。
二つの世界の物語が一つに繋がるとき、センス・オブ・ワンダーを感じるでしょう
2017/04/30 13:19
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投稿者:コスモス - この投稿者のレビュー一覧を見る
一見すると、「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」の世界は全く関係のないように見えます。それらが、一つにつながっていくそれから、目が離せません。
(村上春樹さんの小説はあまり読んだことがないので、深いことはかけません)
(上巻とレビュー内容は同じ)
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投稿者:ケロン - この投稿者のレビュー一覧を見る
この物語はとても長いプロローグという感じがしていました。
続編ができると聞いたとき、「待ってました」と思ったものです。
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投稿者:ケロン - この投稿者のレビュー一覧を見る
二つの世界がどのように交差するのか、期待しながら読んでいました。
いつも通り、村上さんの作品は終わっても続きが気になってしまうのです。
続編を書いてもらえないでしょうか?
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投稿者:ムギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
2つの物語が徐々につながり出す。どこか異世界のような雰囲気もあるのに、日常は現代の自分たちと同じで。小便やセックスといった行為の描写があることで、現実味をよけいに感じさせるのかもしれない。
ただ物語が終わるのではなくて、強いメッセージ性があるが、読む時期、状況によって受け取り方は大きく変わるだろうと思う。何年後かにこの作品を読んだときには、どんなメッセージをこの作品から受け取るのだろうか。
人は、何かを失うことはあっても、決して損なうことはない、今はまだ完璧に理解することは出来なかった。
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「世界の終り」と「ハードボイルドワンダーランド」の2つのストーリーが章ごとに変わりながら進行する。
それぞれの世界は現実とはかけ離れたおとぎ話のような話。
「ハードボイルド・・・」の方が現実的ではあるけど。
さて、前回読んだ村上春樹と言えば「海辺のカフカ」だったが、それに比べると、ちょっとこれはねぇ・・・という感じか。
春樹節全開で難解。
パラパラとめくった一部を引用するが、
「完全だというものは必ずあらゆる可能性を含んでいるものなんだ。そういう意味ではここは街とさえもいえない。もっと流動的で総体的なものだ。あらゆる可能性を提示しながら絶えずその形を変え、そしてその全体性を維持している。つまりはここは決して固定して完結した世界ではないんだ。動きながら完結している世界なんだ。」
これは、主人公の「影」が主人公に対しての会話の一部。
会話でさえもこの調子だから解読するのに頭を使う。
ストーリー自体も、たいして面白くない。
どちらの世界も「え?これで終わり?」という所で終わってしまう。
なもんだから、文学研究では、いろいろと語られているようだ。
私は文学部でもなんでもないので、そんな事を研究すること自体に何の意味があるのだろうかと思ってしまう。
ただ、読了すると独特なアンニュイ感というか、変な達成感というか、村上春樹なんだなぁ・・・と感心させられる。
ま、現実ではあり得ない世界の中で物語が進行するってのはカフカと同じなんだが、大人のおとぎ話といった所か。
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私にはまだ早すぎたのでしょうか、期待するほどには面白いと思わなかったです。結末が少し微妙でした。影が帰り、「僕」が世界に残るということは、結局何を意味するのか、いまいちよく読み取れなかったからかもしれません。第三回路は、閉じたのでしょうか。彼らが「世界の終りに」たどり着いたきっかけはつかめたのですが、影と僕の関係がさっぱり………。
それにしても、クレジットカードやキャッシュカードは焼く必要があったんでしょうか。
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面白かった。『ダニー・ボーイ』のところとか頭骨のところとか鳥肌立ってしまった!終わり方に解釈の広がりがあるのがよい。登場人物に好感は持てたが、感情移入はできないかな。無理してあれが何のメタファーだからどうこう…とか考えなくても十分楽しめるし、何が言いたいのかもなんとなくわかってくると思う。しかし相変わらずファンタジー多めでノルウェイから入った人とかびっくりしそうだなw
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上巻の序盤を読んだまま放置していたものを、2日間かけ上下巻読み終えた。しかし読後感に残ったのは寂しさ。話そのものや舞台・背景がすごく好きだったからこその寂しさだとは思うけど。
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ハードボイルド・ワンダーランドの「私」と、世界の終りの「僕」のストーリーが代わる代わる展開される。
「私」は老科学者によって意識の核に思考回路を組み込まれることになる。これによって「私」と「僕」の関係性が生まれることになり、世界の終りなるものも現れた。
ハードボイルド・ワンダーランドでは冒険活劇を思わせながら、徐々に内面性に訴えかけてくる流れを上手く作り出している。最後まで「私」から強い感情が吐露することはなかったが、(他の登場人物もこの点では同じである)老科学者から真実を告げられて以降、彼の心の奥底から見えない嘆きや悲しみ悔しさが込み上げてきていたように感じた。
彼が何度も呟いていた「やれやれ」という台詞は、今まで目を逸らしてきたことにぶつかったことで思わず発してしまったものなのかもしれない。それが「なぜ?」や「どうして?」という言葉ではなかったのは、彼自身が自分に不足していたものを実際には把握していたからだろう。彼の発する「やれやれ」は自責の念が十二分に込められている叫びとして私は受け取った。
彼に残された1日。タイムリミットはすぐそこ。今日という日に意識が無意識になり、記憶を失い、感情を失い、心は消滅し、そして永遠の眠りにつくことになる。彼の最後の1日の描写は今まで読んだどんな小説よりも美しく、滑らかで、単に活字というだけでなく「こころ」を持った活字であった。なぜ美しいと感じたのか説明できないし、説明しようとも思わない。ただそう感じた、それだけ。感動したとか心が揺さぶられたとかそういうのではなかった気がする。その時の感情に最も適した言葉は「美しい」や「滑らか」なんだろうな。
港の倉庫に停車した車内での、「私はついでに博士と太った孫娘と図書館の女の子にも私なりの祝福を与えた」という一文。死ぬ間際になって頭の中を駆け巡ったのは、生身の人間であった。彼は以前「世界の終り」を理想形の世界であると信じていたかもしれないが、様々な困難や失敗が満ち溢れた現在生きている世界に留まりたいと強く願うようになっていた。最も彼に響いたのは、太った孫娘の「愛というものがなければ、世界は存在しないのと同じよ」という言葉だったろうと私は思う。この言葉こそ、シンプルだけれども人間の「核」を捉えた説得力のある言葉だ。
ボブ・ディランの音楽に浸りながら「私」は現在の世界を後にする。「世界の終り」での生がここから始まっていく。
一方で、世界の終りでは終始静寂に包まれた幻想的な雰囲気が空間を支配し、掴めそうで掴めない何かが目の前に浮いているような、曖昧模糊な森に迷い込んでしまったような、そんなvagueなworldがそこにはあった。時系列がどのようになっているのかは良く分からない。ハードボイルド・ワンダーランドの「私」が意識を失った後で「世界の終わり」が開始することになったと見るのがやはり理に適っていると思うが。
「世界の終り」では、「影」を失った人々が暮らしている。そこは一見完璧な世界を思わせる。誰もがルールに従い自分に与えられた仕事を的確にこなし、反発も争いも暴動も起こらない。しかし、そこでは「何も���もがあるし、何もかもがない」のだ。「影」=「心」を失った人々は平和に暮らしているが、人間の「核」である「心」を持たない。「僕」はそんな世界で生活を始めることとなり、「影」と離れ離れになる。
「僕」がハードボイルド・ワンダーランドの「私」と同一人物だとすれば、彼は自分自身を変えようと強く努力したと言える。
図書館の女性に対しての言葉は本当にかっこよかった。
「僕には君の心を読むことができると思う」
この場面での彼らのやりとりはどこまでもストレート。ここまで一貫して巧みな比喩で表現してきた心の動きをここでは遂に解き放った。人間らしさみたいなものを放出した。私は確信した、この小説で村上春樹が伝えたかったメッセージが何だったのかを。でもそれは心に閉まっておくことにする。小説ってそういうものだから。暗い部屋で一人で読んで勝手に考えればいい、感じればいい、掴めばいい。
「世界の終り」のラスト。
「僕」が下した決断については何度も考えた。考えれば考えるほど分からなくなり、迷路に迷い込んでそれが迷路であることさえ忘れてしまいそうな感じになった。正直今でも分からない。強引に理解しようと、まとめようとするんだけれど、最終的にはまた出発点に逆戻り。
でも、それはそれでいいんだなと。そんな気がしてる。
以前何かの本の解説で、小説が小説たる所以は、その小説が何を伝えているのか分からない。ただ、その不可思議を超えた何かを感じれるかどうかだというようなことを誰かが言っていた。
やはり、村上春樹は素晴らしい小説家なんだろうな。声を大にして、「村上春樹っていいよ」って言いたくはないけれど(ミーハーな感じが嫌だから)、「いいかもよ」くらいには言ってもいいかな。
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やっぱ村上春樹の作品はあんま好きになれなかったみたい。
最後が、好きではない。やみくろがなんなのかしりたかった。
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村上春樹のファンタジーは、正直全然意味が分からないんだけど、それがいいなぁ。大事に生きたいと思った。
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途中で全然意味わからなくなったけど、
それもまたいとをかし。
後でもう一回下巻だけ読み直しますが
そしたら少しはまともなレビュー書けそうです。
「よく分かんないけどすごく良いな」って思えました。
次読むときは、
冬の休日/ビスケット/カフェラテ 準備して読みます。
よく分かんないけど、そういうのが合う作品だと思いました。