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投稿者:もり - この投稿者のレビュー一覧を見る
最高です。思想全てが集約されている…!
精神的自立と愛を論理的に語っている
2023/05/30 00:53
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投稿者:まいみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
愛とは自分以外の人間と融合したいという強い欲望であり、技術であり、配慮・責任・尊重・知、もしくは愛する人の成長と幸福を積極的に求めること、とエーリッヒ・フロムは述べている。
本書では隣人愛や博愛といった概念を友愛と表しているが、これのない、特定個人のみを愛する愛は愛とされず、ナルシシズムやサディズムやマゾヒズムに分類される。
エーリッヒ・フロムに言わせれば利己主義者は自己愛すら持っていないし、母子は受動的服従関係にあるし、人類全体を愛せていない母親は本当の愛情深い母親ではない。
それほどに、エーリッヒ・フロムの定義する愛は厳しく、自立や弛まぬ努力を伴うものだ。
人間には女性的側面と男性的側面が内在しているが、母性は無条件の愛で、父性は条件があり、その条件を達成しない者を愛さない選択的愛である。
そして作者は、後者の愛に応え選ばれ、父性と母性を自己の中に確立させた人間こそを自立した、友愛を有する人間としている。
難しい本ですが、論理的に愛を説いているからこそ、愛について再考できる、技術的な愛の良書です。
愛は自然にある生来のものや向こうから訪れるものでなく、本人が育む「技術」である
2020/11/10 10:57
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投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
エーリッヒ・フロム生誕120年記念。世界的ベストセラーとして知られるフロムの代表作。愛とはどのようなものか言語化できる方は少ないのではないだろうか。この本は、はっとさせられるような愛の理論を教えてくれる。「愛は技術である」などと言われてもぴんとこない人が多いのではなかろうか。多くの人にとって母性愛のような愛は生得的なものであり、男女の恋愛は自然発生的なものである、と思っている。それをフロムはあえて「愛は技術である」と言い切る。人間砂漠といわれる現代にあり、「愛」こそが、私たちにとって最も貴重なオアシスだとして、その理論と実践の習得をすすめている。
一読しても理解できず、含蓄が深い
2021/04/10 09:36
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投稿者:makiko - この投稿者のレビュー一覧を見る
言わずと知れた名著。昨今のお手軽な恋愛指南本とは別格で、一読してもさっぱり理解できませんが(特に愛の理論について)、何回か読めば得るものが大きい予感がしました。最後の方の「愛の習練」という章に書いてある「安全と安定こそが人生の第一条件だという人は・・・自分で自分を囚人にしてしまう」「愛されるには、そして愛するには、勇気が必要だ。」という部分が心に刺さりました。本当にそうだと思います。
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投稿者:gaco - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前から気になっていた作品で、難しそうな内容でしたが、わかりやすく現代の言葉に合うように編集されているということで購入いたしました。
子育てにも信念が必要
2024/08/08 16:33
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投稿者:はぐらうり - この投稿者のレビュー一覧を見る
『自由からの逃走』以来20数年ぶりに読む、エーリッヒ・フロム。
「愛は技術である」というところから、非常に心地よかった。
聖公会系の高校でさんざん学んだにも関わらず、やはり神の概念は本質的には理解し得ないところがある。ので難しい内容もあった。
「愛するには勇気と信念が必要」とのこと。個人的には、このタイミングを待って読んで良かった。学生時代に読んでおきたかった、という多少の後悔はありつつ。
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
愛は技術と言われてもね、みたいな感想を持ったのが、初めて読んだときの感想でした。まだ、若かったからかもですけど。しかし、歳を重ねてから再読するとよいと聞いて、何年もたってから又、読了。二回読む事、おすすめ。
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愛について、考察や哲学、心理学を含めながら語られていた。哲学の部分は理解できなかったが、親の愛、兄弟愛、異性愛、自己愛などの考察は面白い内容だった。また全体的にはっきりと主張するような論調なので、何が言いたいのかがわかりにくい。
2020/8に新訳が出たものも購入したので、それも読む。谷川俊太郎が感想で言っていた、人生経験を積むにつれて、実感できていける一冊だと感じた。
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フロイト論を修正しながら真の愛を説いたエーリッヒフロム。著者の論じることは素直に受け止められた。
「愛は与えるもの」
消費社会である現代で何故愛まで消費されているのか、「おかしい」と思う私の感覚が、これによって裏付けされた気がした。
ーーみんな、幸せになりたいと思わないの?ーー
繰り返しても繰り返しても愛されない、
相手がいない?理想が高い?何を言ってるんだろう。
現代人はもう少し愛について真剣に向き合えば、欲しいものが手に入るのに、と思う。真剣に向き合うのが怖い?考えたくない?それより、それによって愛がこぼれ落ちていく方が余程怖くない?私は、怖い。
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この本は、そうした期待を裏切って、こう主張する 愛は、「その人がどれくらい成熟しているかとは無関係に、誰もが簡単に浸れる感情」ではない。
どの時代のどんな社会においても、人間は同じひとつの問題の解決に迫られてきた。
いかに孤立を克服するか、いかに合一を達成するか、いかに個人の生活を超越して他者と一体化するか、という問題である。洞窟に住む原始人も、羊の群れを見張る遊牧民も、エジプトの農民も、フェニキアの商人も、ローマの兵士も、中世の僧侶も、日本のサムライも、現代の事務員や工員も、直面する問題はみな同じだ。
共棲的結合とはおよそ対照的に、成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間の中にある能動的な力である。人を他の人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、ふたりがひとりになり、しかもふたりでありつづけるというパラドックスが起きる。
あらためて強調するまでもないが、与えるという意味で人を愛せるかどうかは、その人の人格がどれくらい発達しているかによる。愛するためには、人格が生産的な段階に達していなければならない。この段階に達した人は、依存心、ナルシシズム的な全能感、他人を利用しようとか、なんでも貯めこもうという欲求をすでに克服し、自分のなかにある人間的な力を信じ、目標達成のために自分の力に頼ろうという勇気を獲得している。これらの性質が欠けていると、自分を与えるのが怖く、したがって愛する勇気をない。
配慮、責任、尊重、知はたがいに依存しあっている。この一連の態度は、成熟した人間にのみ見られるものだ。成熟した人間とは、自分の力を生產的に発達させる人、自分でそのために働いたもの以外は欲しがらない人、全知全能というナルシシズム的な夢を捨てた人、純粋に生產的な活動からのみ得られる内的な力に裏打ちされた謙虚さを身につけた人のことである。
ほんとうに愛情深い女性、すなわち受けとるよりも与えることにより大きな幸せを感じ、自分の存在にしっかり根を下ろしている女性だけが、子どもが離れていく段階になっても愛情深い母親でいられるのだ。
聖書に述べられている「汝のごとく汝の隣人を愛せ」という考え方の裏にあるのは、自分の個性を尊重し、自分を愛し、理解することは、他人を尊重し、愛し、理解することとは切り離せないという考えである。自分を愛することと他人を愛することは、不可分の関係にあるのだ。
それどころか、自分を愛する態度は、他人を愛せる人
すべてに見られる。…愛は誰かに影響されて生まれるものではなく、自分の愛する能力にもとづいて、愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである。
そういう(非利己主義)人は、愛する能力や何かを楽しむ能力が麻痺しており、人生にたいする憎悪にみちている。見かけの非利己主義のすぐ後ろには、かすかな、だが同じくらい強烈な自己中心主義が隠れている。
自分の人生・幸福・成長・自由を肯定することは、自分の愛する能力、すなわち配慮・尊重・責任・知に根ざしている。もしある人が生産的に愛せるなら、その人は自分のことも愛している。他人しか愛せない人は、愛することがまったくできないのである。
その人は自分を憎んでいるのだ。そのように自分にたいする愛情と配慮を欠いているのは、その人が生産性に欠けていることのあらわれにほかならず、そのせいで、その人は空虚感と欲求不満から抜け出すことができない。当然ながらその人は不幸だ。人生から満足をつかみとろうと必死にもがくが、自分で自分の邪魔をしている。自分を愛しすぎているかのように見えるが、実際には、ほんとうの自己を愛せないことをなんとか埋めあわせ、ごまかそうとしているのだ。
私が証明しようとしたのは、愛こそが、 いかに生きるべきかという問いにたいする唯一の健全で満足のいく答えだということである。もしそうだとしたら、愛の発達を阻害するような社会は、人間の本性の基本的欲求と矛盾しているから、やがては滅びてしまう。
信念と勇気の習練は、日常生活のごく些細なことからはじまる。第一歩は、自分がいつどんなところで信念を失うか、どんなときにずるく立ち回るか、それをどんな口実で正当化しているかを詳しく調べることだ。そうすれば、信念にそむくごとに自分が弱くなっていき、弱くなったためにまた信念にそむく、といった悪循環に気づくだろう。
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愛とは与えることであり、貰うことではない。
最近愛が全般的に欠けているように感じた。
そのため、愛を貰おうと必死だったかもしれない。
社会人となり、周囲の環境や関係が大きく変わり、それについてくのに精一杯で余裕がなくなり、愛を貰おう、貰おうと空回りしていた気がする。
愛とは与えることであり、貰うことではない。
昨日プロレスラーのKENTAも言ってた。
応援とは何かをしてもらいたいからするのではなく、無償で、やりたいからやるものだと。
何か見返りを求めたらそれは愛とかではなく経済になっちゃう。
フロムも現代の資本主義の構造は愛の原理と合っていないと述べていた。ダメだこりゃ。
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哲学だなぁ、と思います。
「愛する」ということに正しい定義なんてないのではないか、と思ってしまいました。
それは、この本だけではなく、他の本にも愛とは、みたいなことが書かれていたりするから、全世界共通で「愛する」ということはこういうことだよ、みたいなことは言えないなぁと。
定義はやっぱりよくわからないけれど、とりあえず、人を愛すること、というのは難しそうです。
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シンプルな表紙とタイトルに目を引かれて手に取りました。
本の内容自体は人間同士の愛に関する話題が主ではあるものの、愛とはそもそもどういった感情なのか、なぜまず愛する必要があるのか、愛する技術はどのように磨かれるのか、といった話題を通して、人間同士の話に限らず、今日までの自分の愛の遍歴を思い返すと、本当に多くの気付きがありました。
不安になって自分を追い込んだり、逆に自分の事ばかり考えて相手の気持ちを無視したり、そういった側面は人間なら誰しも持つものなのだと思うけれど、それでも現状に妥協せず、自分や人を愛する努力を続けていきたいと思える本でした。
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途中で「フロイトの時代から50年、修正も必要だろう」と記述があり、これが1950年代に書かれたものであることを改めて認識して驚いた。著者の慧眼、訳者の感性が凄い。
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愛の理論のところは、理解が難しいところもあったが、愛の習練のところは読みやすかった。
何かを習得する際に必要なこと規律、集中、忍耐