戦後日本を規定する「最後の戦争」を分析した読み応えある良書
2025/01/13 16:52
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
久々に読み応えのある新書を読んだ。
第2次世界大戦(アジア太平洋戦争)末期の日ソ戦争について、ロシアや台湾に残る文書など記録資料を丹念に分析し、「日ソ戦争」の全容を解説した1冊。
なぜソ連は第2次大戦の終わりになって参戦したのか。
なぜ日本箱の直前までソ連に期待して外交を続けていたのか。
玉音放送が流れた8月15日以降もなぜ日ソ両軍は戦い続けたのか。
といった問いに答えるように、当時の双方の思惑や米中など周辺諸国の動きなどをつぶさに描いており、興味深い。そしてなぜ子の戦争に関しての研究が進んでいないのか。この戦争が、領土問題など今に続く問題をいかに生み出してたかなどもよく分かる。
かなり読み応えがあるが、これでもまだまだカイメイできていないことが多いという。それでもなぜ本書を書いたか。あとがきには筆者の祖父の体験などバックグラウンドにも触れられる。「戦争の記憶の風化に抗いたい」という著者の情熱を感じる。
日ソ戦争を具体的に調べ、学んでこそ先が見える
2025/03/26 23:03
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投稿者:雑多な本読み - この投稿者のレビュー一覧を見る
日ソ戦争について、よくわからないと思う人が多かったのではないだろうか。日ソ中立(不可侵)条約を一方的に破棄し、シベリア抑留という事件を引き起こしたとんでもない国家と批判するだけとソビエト連邦という共産主義国家を擁護する主張が独り歩きし、日ソ戦争はどういうものかわからないままに来たといえる。ようやく、当時の資料が明らかになり、丹念に調べてまとめ上げ、さらに新書という形で出されたことは喜ばしい。日本は無謀ともいえる戦争を開始したことは事実であるが、戦争後期に、ヤルタ会談という大国の領土を勝手に決める場が持たれ、ソ連が参戦するというソ連一国の決定でないことは以前から知られていたが、多くの協議が重ねられ、大国同士の身勝手さも見え隠れし、歴史が動いてきたことがわかりやすく示してくれる。アメリカはなぜ、ソ連の参戦を望んだか、原爆開発によりソ連に対する参戦期待が後退したものの、アメリカ兵の消耗を恐れ、なお参戦期待があるというところは複雑な状況を教えてくれる。日本にとって、関東軍の脱走ともいえる醜態、民間人の放置、シベリア抑留、中国残留孤児、北方領土問題で未解決な状況を引きずっている。分割統治されなかっただけでも良かったというのであろうか。もっというなら、日本の外交がどうだったのだろうか。戦争に踏み込んでいく姿から、外交に対するいい加減さが指摘されるが、条約を結んでいるだけで、ソ連は攻めてこないどころか、停戦等の窓口として、根拠もなく期待しているというのは外交以前の問題だろう。今の日本政府はどうだろうか。本書の目次を見ると、
はじめに
第1章 開戦までの国家戦略 ―日米ソの角逐
第2章 満州の蹂躙、関東軍の壊滅
第3章 南樺太と千島列島への侵攻
第4章 日本の復讐を恐れたスターリン
おわりに ―「自衛」でも、「解放」でもなく
あとがき 註記 参考文献 巻末資料 ヤルタ秘密協定草案/ヤルタ秘密 協定
日ソ戦争 関連年表 となっている。
以上のように展開されている。ソ連崩壊という時代を経て、ようやく多くの資料が出てきたことが書かれている。当時の日本軍は多くの資料を焼いてしまったので、すべてがあきらかになるわけではないが、アメリカやロシアにある資料、これまで確認されてきた資料を活用して、次々と明らかになってきた当時の各国、各軍隊の動きが鮮明に描かれる。アメリカの都合や大統領を始め多くの幹部の思惑、ソ連や中国の動きなど、思い込みで議論したことを飛ばしていく。ヤルタ会談だけでなく、いくつかの場面でソ連を外したり入れたりという動き、中国も同じように扱われている。ロシアのウクライナイ侵略で、アメリカが大戦時に武器を供与した法律があり、今でも生きていることがわかった。決して過去ではないということがわかる。読みごたえがあり、一読されたい。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
忘れてはならない戦争の歴史で資料不足のせいもありあまり注目されてこなかったソ連との戦いの姿を現時点で分かる範囲で様々な資料を駆使しながら紹介されている。国家間の交渉にも役立ち市民も最低限知っておくべきこと。
関東軍に厳しいような違うような
2024/07/28 10:55
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
よく「関東軍は在留邦人を見捨てて逃げた」と非難されるが大本営からの命令で「皇土」朝鮮を防衛する為に通化を基点とする地域を除いて放棄する事になっていたので、どうなるのだろうか?満蒙開拓団にしろ満蒙開拓青少年義勇軍にしろ「満人」から土地を奪って屯田兵のような形で君臨していたのでソ連とモンゴル人民共和国の参戦と共に報復された面は否めないはずだが。
132頁に「このように満洲におけるソ連軍の加害を追及すると、満洲国時代の日本人から現地人への加害を持ち出して相対化を図ろうとする議論が見受けられる。しかし、それはソ連軍の蛮行を不問に付す理由にはならないだろう」と書かれているが「同志スターリンとプロレタリアートの祖国ソ同盟と労農赤軍」に対して卑屈なる向きが今でもいるらしい。こういう手合いが「シベリア民主運動」で率先してアクチーブになって使い捨てにされたのだろうか。今でもスターリンは「大祖国戦争の勝利者」なので「再評価すべきだ」という向きもいるらしいが1941年6月22日の戦争以外に彼を「肯定」すべき面などありはしないのに国内戦当時に彼が批判したはずのレーニンとトロツキーがロシア軍の将軍や将校達を赤軍の「軍事専門家」として起用したのを真似でもしたのかトゥハチェフスキー事件で粛清された軍人達を釈放した事も農業集団化やホロドモール、強制収容所と極端な重工業化政策の結果と表裏一体だという面には見ようとしないようだ。
もちろん帝国政府なり関東軍なり大本営なりがスターリンを「西郷南洲みたいな男」とか「ソ連が仲介してくれるだろう」とか思い込んで現実を見ようとしなかった面は否めない。いい例が昭和20年7月に関東軍総司令部の参謀から第一総軍の参謀に転補になった竹田宮。竹田宮は「空襲がある内地より満洲の方が安全だろう」と単身で「内地」に戻って家族は残したのでソ連・モンゴル参戦で慌てて陸軍機を使って「内地」に逃がした上に聖旨伝達の際に新京の関東軍総司令部に差遣された時には残していた荷物が気になっていたので見に行こうとしたと本人が「私の肖像画」で書いている。竹田宮は関東軍総司令部の参謀に転補される前は参謀本部で勤務していたのに、この程度の認識しかなかったようだ。この本には竹田恒泰の本と同様に竹田宮に対する批判がないが「神々は真っ先に逃げ去った」という書名の本が出ても仕方がない。
虎頭要塞や根本博中将の駐蒙軍に対する批判はどうだろうか?占守島の戦いは自衛戦闘は許可されていたのに、さっさと停戦交渉に入らなければならなかったのだろうか?
ただし日本とソ連に焦点が当たり過ぎているのか、モンゴルや朝鮮から見た視点が少ないのが難点。
日本軍の情報戦の軽視
2024/04/20 10:57
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投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本は明治維新後近代的な軍隊を創設していった。しかし、急速に整備したため、情報などソフト面での整備が追いつかなかったのだろう。太平洋戦争の最後には、終戦工作としてドレンに頼るという重大な誤りを犯した。そしてソ連の侵攻を許した。情報を正しく分析していれば、そうはならなかっただろう。本書は、その最後の戦争を描いた一冊である。
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教科書では、「8月9日にソ連が、中立条約を破棄して侵攻した」と短い記述があるくらいだと理解していたが、短期間で広大な領域で戦闘が行われたことを初めて知った。力作。
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本年はちょうど終戦から80年。だからというわけではないが、第28回司馬遼太郎賞を受賞するなど評価が高い本作を読んでみた。本作は表題のとおり、第2次世界大戦末期に行われた「日ソ戦争」について描いた作品である。原爆投下後ソヴィエト聯邦が大日本帝国に対して参戦して、「ポツダム宣言」受諾後も戦争が継続されたことはもちろん歴史の授業でも習うため智識として知ってはいたが、本作ではじめて知るような内容も多かった。たとえば、日本がソ聯と開戦するまさにその直前まで、聯合国との媾和の仲介をソ聯に依頼していたとは知らなかった。たしかに「日ソ中立条約」を結んでいたとはいえ、おなじ枢軸国であるドイツと大激戦を繰り広げたソ聯相手に対して、あまりにも楽観的すぎる見通しではないか。また、満洲や南樺太における戦いも、教科書などでは時系列を追って細かく学ぶことはないため、なかなか興味深い内容も多かった。とくに、軍人の家族がいち早く脱出したという話は、あまりにも胸糞が悪いが、自分がおなじ立場だったらどうしていたか胸を手に当てて考えてみると、なかなか糺弾一辺倒というわけにもいかない気がする。いっぽうでソ聯の側にも胸糞悪い内容が含まれていて、現地の民間人相手に相当あくどい行為を繰り返していたという記述を読むに、現在も続くウクライナ戦争でのロシア軍による暴虐非道との共通点が見いだされ、ロシア軍のDNAのようなものを感じずにはいられない。このように読後感がよくない箇所も多くはあったが、とはいえ戦争について学ぶことはこれからも不断の努力をもって継続してゆきたい。
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日ソ戦というと、太平洋戦争でポツダム宣言受諾(=降伏)を宣言していた日本に対して、ソ連が日本の領土をどさくさ紛れで奪おうとした出来事として、ソ連の卑劣さが目立つ印象を持つ方が多いだろう。確かにそれ自体が間違っているとは言えないが、事情はより複雑かつ判りづらい。対する日本側の戦略的不備や楽観的な感情に頼らざるを得ない諸事情、ソ連側と連合国軍側のそれまでのやり取り・経緯の全てが絡まった糸のように複雑に捻れ、簡単に紐解けない状態に陥った結果とも言える。
ソ連参戦時はすでにアメリカは日本に対して原子爆弾を投下済みで、日本側としては一瞬で数十万人の命を奪う新型爆弾に対応する術もなく、降伏の選択肢しかなかった。更に時間が経てば広島、長崎に続いてその他の都市も地獄と化すのは解っていたし、ポツダム宣言受諾は必然だ。だが対するソ連の考えは違う。独に勝利し西側の脅威が消えた今、連合国軍から求められてきた日本侵攻は約束された内容であり、例えそれが広いソ連の国土を西から東に移動するにあたり出遅れたにしろ、出向いて日本を攻撃するのは必然だ。スターリンはアメリカが日本を自分達抜きに屈服させれば、ソ連にほど近い太平洋沿岸に将来の敵になり得るアメリカが自分達に向けたミサイルを配備する基地になる事を当然の如く予測できたであろう。千島列島の駆け引きもその為に起こった歴史の歪みの一つであろう。ミサイルまで行かなくても自由に航行できる海路になり、飛行場を設ければアメリカの持つ長距離爆撃機をナイフのように喉元に突きつけられるだけだ。結局、全てが過ぎ去って仕舞えば、狡猾なスターリンに現在もなお続く北方四島まで奪われてしまい、先を読んだスターリンの凄さが印象に残る。
実際にソ連と日本の戦いに於いては、一方的にソ連が日本を圧倒したかと言えばそのような事もない。方面軍を率いた樋口季一郎中将や堤不夾貴師団長に油断はあったであろうが善戦しているし、中でも占守島ではソ連に対してかなりの損害を与えている。満州方面では陸軍が住民を残して逃げた印象が強いが、局地的には根本中将など一般市民を守りながらも戦った名将などはいるようだ。とは言え、戦後も長く問題になるシベリアに連れ去られた日本兵の復員問題、満州に残された孤児の問題はその後も長く家族を苦しめる結果となる。
何はともあれ日本が大陸に進出した事に始まり、実力以上に求めた結果と言えば、長い歴史の中ではそう語らざるを得ない状況である。それだけでなく、原爆の問題に慰安婦問題など戦後80年近く経過しても今なおアジア諸国、ロシアとの外交に於いて問題は後を引いている。何よりそうした歴史の結果が今なお返ってくる気配も無くなった北方領土問題に顕著に結びついているのである。今のロシアのウクライナ侵攻や周辺諸国に対する中国の威圧的態度、表面だけ見ていればきっとそれらに怒りばかりを感じてしまうかもしれないが、かつての日本の行動もしっかり学んで、何処からその歴史が始まって結びついていくかを考えてみるのも必要な事だ。
そしてそこで犠牲になった日本人だけではない、ロシア人に中国人、そして韓国人、更にそれらの家族にまで目を向けて解決策を探し���けるしかないと考えさせられる一冊だ。
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近現代史に纏わる話題を取上げた一冊に出会うと、「未だ知るべきこと、考えるべきことが多い」という感を抱く場合が在る。本書はそういう場合の典型例ということになるのかもしれない。或る事柄に関して知り、考えるというのを、多分「学ぶ」と呼ぶのだと思う。
1945年8月から同年9月という長くはない期間だが、多くの犠牲も生じ、色々な禍根のようなモノを遺していると見受けられる、「帝国」と称していた日本の「最後の軍事行動」が本書で言う「日ソ戦争」である。
古くから、1945年8月の出来事について「太平洋戦争にソ連軍が参戦」という言い方をしていたと思う。遠い記憶を辿るが、小学生の頃に初めて教科書やその他の本等で歴史に触れたような頃には、「太平洋戦争にソ連軍が参戦」というような言い方をしていた。ソ連と日本との戦いそのものを「〇〇事件」、「〇〇事変」、「〇〇戦争」というような、軍事行動が入る出来事として特定する呼び方を余りしていない。
そういうことなので、1945年8月から同年9月の出来事を「日ソ戦争」と呼ぶことにするというような話題の提起から本書は起こっている。最初から「大いに気付かされた」という感じだ。
本書では「日ソ戦争」という局面に至る迄、所謂「参戦」への経過や背景と、「日ソ戦争」そのものの推移、収束ということに関して、判り易く纏められている。細か過ぎない程に各種の挿話を引きながら、大局が掴み易いように、巧く纏まっている。
「日ソ戦争」そのものについては、満州や朝鮮半島北部等での展開が在り、千島列島や南樺太での展開が在る。戦後の占領というようなことを巡るソ連と米国との駆け引きが在って、色々な事柄が現在のような形になって行く契機となった出来事も発生している。
個人的な見聞だが、サハリンのユジノサハリンスク(嘗ての樺太の豊原)に戦争の歴史を紹介するような展示施設が在り、占守島の戦いのことや、ソ連軍の南樺太進撃のこと等が紹介されているのを見た記憶が在る。とりあえず、如何いう形であれ、ロシアでは「ソ日戦争」という経過を伝えようとしている。対して、日本国内では如何であろうか?そんなことも思い出しながら本書を読んだ。
本書は、或る程度の「定型的な観方」を離れて、もう少し自由にこの「日ソ戦争」に纏わる時日の紹介と考察を展開しようとしている。実に興味深い。
ロシアではこの「日ソ戦争」(または「ソ日戦争」)に纏わる「9月3日」を「政治利用」というような動きも見受けられる。日本の側で似たようなことをする必然性も無かろうが、日本も関わっている出来事に関して、何を如何論じているのかは考えるべきで、考える材料も集めておくべきであると思う。そうした意味で、本書は非常に好いように思う。
実は「学ぶべき余地」が大きな時期の歴史について、こういう判り易く纏めて解くという本は重要だと思う。広く御薦めしたい。
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配架場所・貸出状況はこちらからご確認ください。
https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=01427780
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https://www.nikkei.com/article/DGKKZO81074300R30C24A5MY6000/
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秀作。
日本人の殆どが注目していないのに大事な歴史。もっと知らなけらばいけない。
日本最後の(最後にしたい)戦争。
ロシア(ソ連)は信じるに足らない国であることを認識しなくてはいけない。中国も。米国も信じ切ることはできない。自国の防衛は必要で、外交の巧みさも必要。
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やっぱり、満洲って大日本帝国、特に陸軍にとっては、虎の子だったんかな。逆に鬼子って、とこもあったのか。
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日ソ戦争に至る日米ソそれぞれの思惑や日ソ間の戦闘の実態を明らかにすることを通じて、日ソ戦争とはなんであったかを論じている。
日ソ戦争は、ソ連側の中立条約破棄による侵略、残虐行為などによる、不信感を基調とする戦後日露関係の起点となる戦争であったとする。
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1945年8月8日から9月上旬まで満州、朝鮮半島、南樺太、千島列島で行われた第二次世界大戦、最後の全面戦争。
玉院放送後に先頭が始まる地域もあり、戦後の状況を見据えた戦争だった。ソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘などその1部については以前から知っていたが、米国とソ連の関係、ソ連と中国国民党、中国共産党との関連、ソ連の戦争の文化、現在のウクライナにも続いている。領土拡張への思惑など、新たに目を開かせられることも多かった。
北方領土問題がなぜ進まないのか?沖縄小笠原など、アメリカの占領地とソ連の占領地の違い、スターリンの地図上に描いていた北北海道、留萌と釧路を結ぶ直線には改めて驚かされた。