知らず知らずのうちに刷り込み、刷り込まれている
2025/04/04 20:50
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投稿者:雑多な本読み - この投稿者のレビュー一覧を見る
「男らしい」、「女らしい」と平気で言う人が今でもいるのは何故だろう。女性差別撤廃条約が批准され、何年経つのだろう。そもそも、日本国憲法は差別を否定しようとしている。しかし、「らしい」という決めつけが根強く残っている。本書は、著者の経験を織り交ぜながら、また、大学の教壇に立ち、大学生の意見を引用して、いろいろな経験や考え方を示してくれる。それだけでも面白い。赤ちゃんから幼児(幼稚園や保育園で)、小学生、中学生、高校生、大学生に至るまで、親や教員、周囲の人々から与えられるジェンダーイメージを検討して、考え方を提示する。私が、娘が小さい時に自動車のおもちゃを買ってきて、他のおもちゃと同様に扱った時、近所のおかあさんが不思議そうに言ったことを覚えている。男の子は男の子向きのおもちゃ、女の子には女の子向きのおもちゃと決めつけるのは良くないと思う。本書でもそういったことが出てくる。たしかに、いくつもおもちゃを買うのは大変だということが先にくるかもしれない。しかし、決めつけは良くないのは事実だろう。本書の目次を見ると、
はじめに
第1章 赤ちゃんから刷り込まれるジェンダー
―おもちゃの好みは遺伝か環境か?
第2章 小学生が闘うジェンダー
―理想と現実のギャップ
第3章 中高生の直面するジェンダー
―思春期特有のジレンマ
第4章 大学のゆがんだジェンダー
―差別とセクハラの温床なのか?
おわりに
参照文献 となっている。
以上のように展開されている。著者の高校時代の経験、大学時代の経験がいろいろ出てくる。いまだに、女に学問はいらないという人がいるのだろう。数十年前は高校卒業でOLになる。短大が多くあり、女性が多く進学していた。4年制大学に行く女性は少なかった。しかし、今、短大は減り、大学進学率は男女別で見て、その差は小さくなっている。それでも、東大では圧倒的に男子学生が多いという現実がある。まだまだ、解決すべきことは多いことを示してくれる。フジテレビの古い体質を多くの方が感じたと思うが、まだまだと思う場面が多い。やはり、こうした著書を多くの人に読んでもらいたい。
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学が均質なカルチャーに見えてしまった女性が、ジェンダーバイアスがいかに教育に織り込まれていったかやステレオタイプ支配の打破などについて発信している。昭和男子必読!
期待したのに、表面的な内容でがっかり、次回はもっと深堀してね
2025/04/25 09:48
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投稿者:天使のくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
学校教育において、とりわけ女性に対して刷り込まれているジェンダーバイアスは、極めて深刻な問題だ。
思いつくだけでも、名簿で女性が男性のあとにくる、というだけで、どれほどのダメージを与えているのか。
しかし、本書についていえば、残念だけれど、表面的な内容にとどまっている。確かに、保育園や幼稚園では、男性には「くん」、女性には「ちゃん」とか、制服のスカート問題もそうだし、生徒会長のそれほどが女性なのか。そういった指摘はなされている。また、とりわけ東京大学における男性8割問題というのは、ホモソーシャルをつくる温床になっていると思う。著者がDEIプログラムをもっと大学に求めるというのも、その通りだと思う。
他方で、一部の保育園では、男女を問わずに「さん」づけでよんでいるし、遊びにジェンダーを強制しない。
中高での家庭科男女共修はもっときちんと評価されるべきことだが、あまり言及されていない。他方で、国語の文学作品解釈や芸術系教科で、ジェンダーバイアスが強調されていないかどうかについても、指摘されていない。表現に対し「女性的」「男性的」という言葉が使われていないかどうか。
校長など管理職で男性が多いという問題については、できれば研究者としてエビデンスを示してほしかった。学校長、PTA会長、生徒会長の男性比率は、数字で出せるものだ。
制服については、近年、女性でもスカートではなくスラックスでいいという傾向にある。しかし、この背景には単純にジェンダーフリーというだけではなく、トランスヴェスタイトといったLGBTQ+に関する運動がある。そもそも、確率でいえば、クラスに1人以上の性的マイノリティがいるはずなのだが、こうした点についても言及すべきではなかったか。
制服スカート問題でいえば、いつまでスカートをはかせるのか、という問題もある。中学生はともかく、電車で通学しなくてはいけない高校生にとって、スカートでの通学が本当に適切なのかどうか。
体育については、ある部分で男女共修でもいいし、別にしてもいい、というのはスポーツの特性としてある。バドミントンや卓球とラグビーでは同じようにはできない。
ただ、その体育で、スクール水着はもはやAVでしか見ないものになったし、ブルマも絶滅したということについても、きちんと評価してもいいのではないか、ということもある。つまり、学校におけるジェンダーバイアスも、必ずしも改善されていないわけではない、ということだ。
制服問題についていえば、そもそも制服が必要なのかどうか。少なくとも軍服に由来する学ランやセーラー服をいつまで着せておくのか、といった視点も、あってもよかったのかもしれない。
あくまで教育を柱に記述し、それを補完する家庭のジェンダーバイアスについて述べていけばいいと思う。その一方で、萌え絵の氾濫というのは、問題が異なると思う。
大学においてDEIプログラムは必要だと思うけれど、ではそれがどういうものなのかも、もっと詳しく記述してほしかった。米国ではDEIプログラムが風前の灯ではあるけれど、どんな取組みなのかわからないと、伝わらないと思う。
本当に、重要なテーマの本だけに、物足りなさを強く感じてしまう。
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昨今、話題にあがるジェンダーバイアスについて、教育と関連させて幼少期、小学生、中高生、大学とケースに分けて考えが述べられている。
ジェンダーバイアスや教育に関係する性差を学ぶには最初に読んでもよいと感じた。
身近な例や学生たちの率直な感想など具体例が読みやすさを助長していて、学生のみならず大人まで読んでほしい一冊。
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筑摩書房の新書やし、難しいかな?と思いながらページを開いたけど、面白くてあっという間に読んでしまった。
第1章 赤ちゃん・保育園・幼稚園の年頃に刷り込まれるシェンダー。→無意識に大人が女の子らしいもの、男の子らしいものを与えてしまう。洋服の色やおもちゃなど。
第2章 小学生時代、意外と子どもって大人の様子を伺っていて、大人が気に入るようなものを選んだり、行動したりする。また、ディズニーのアニメに登場するお姫様が白人か、黒人か、アジア系か、によって、子どもって、「私は黒人だからシンデレラにはなれない」など思い込んでしまっている。特にアメリカとか欧米だと。
あと、ランドセル何色問題。親がいる前だと、親が好みそうなランドセルの色を選ぶらしいが、親がいない場だと男子でもピンクのランドセルをすぐに選ぶらしい。
第3章 中高生 思春期特有のジレンマ
女の子が、「私、サッカー部なの」というと、「あ、マネージャー?」と思われてしまう。男性競技(だと思い込まれてる)スポーツを女子がするのはレアだろうし、人数も少ないし、地方だと特に。そもそも、マネージャー=女子という感覚はいつから出てきたのか? 1960年代は男子の大学進学率があがったことで、受験勉強しないといけない男子に代わって、進学しない女子がマネージャーの側面を担ったことが始まり。(まだまだ60年代は女子が大学受験するのは珍しい時代やったし) それが、70年代に入ると、男子を支えるのが女子の役目という、女子はケアする立場という考えが生まれてきたらしい。
あとは、男子校・女子高、それとも共学?
女子にとって男性がいない女子高では、何でも自分達でするから、力仕事も女子、生徒会長も女子、そんななかでいると自立して、自分に自信を持てる女性が増えるそう。一方男子校は、、、そこまで(ジェンダーの視点から)良い部分はなさそう。
また、女子生徒は数学が苦手と思い込まされる傾向にある。そして、大人が「女子より男子の方が理系は得意だからな」なんて言うと、そう思い込んでしまった女子の理系の成績は下がるという。
悲しい、おい、教師、女子の可能性を摘み取るな!と私は言いたい。
第4章 大学のゆがんだジェンダー
少し前まで、「○○大学ミスコン」なんてあった。東大では、「東大女子お断り」のサークルとかもあった。
大学以前に、浪人する女子は少ない。女の子なんだから浪人してまで大学に行かなくても~という親や教師の反応。
大学の理系学部で女子枠の設置が増えてきているが、これに対して「逆差別だ!」という反論もよく耳にする。この意見への説明が非常に分かりやすくて、本書の148~149ページをぜひ読んでみて。その前に、マジョリティって何かを理解しておく必要があるけど。数の問題ではなく。
でも、このマジョリティの立場って、男女に関することだけじゃないと思う。たまたま自分が県庁所在地に住んでいたから、進学校に問題なく通え、予備校にも行けたため、国立の大学に進めたという女性と、同じ県内でも県庁所在地にまで片道3時間、進学できる高���の選択は2校。しかも、その高校までは電車と自転車で1時間10分かかる。周りにも大学進学する人が少ないから、そんなものかと思って高校卒業後は就職したという女性。住んでる場所により、無意識に自分が特権を持っているということ。自分は高校時代なんにも考えてなかったけど、あー、私はたまたますごーく恵まれた環境にいたからだったのね、と思う。
これが、男女の違いでも似たようなことが起きてるのだ。
この本は、実際に著者の中野円佳さんが研究して得たものだけでなく、中野さん自身の学生時代の体験、さらに結婚して子どもを育てながら感じるジェンダー、そして、大学で教えているリアル大学生の声が登場するので、堅苦しい数値がというより、様々な視点のモヤモヤ? なんで? なんか違和感がある、といったものが書かれていて、そこに私自身の経験とも比べながら読み進めることができたので、本当に面白かった。
また、たくさんの参考文献を紹介してくださっているので、これも読みたい、あれも読みたいとチェックした本がたくさんあった。
教育関係、子育て中じゃない人でも、自分の時代と比べて、へぇーって思いやがら読めるかも。
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赤ちゃん・小学生と、無邪気な幼少期を通して受けるジェンダー刷り込みが意外と強烈で驚いた。
中高・大学の章はわりと自覚的に経験してきたことが多かった。
もっとこうした知見が広まり、配慮し合う世界になってほしい。。。
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高校か大学の教養でこういう授業を受けていたら、大学生活をもっと自己肯定感高めに生きられたのではと感じる。
本書では大学におけるジェンダーバイアスまでで終わっているが、個人的にジェンダーバイアスが1番強いと感じたのは新卒就活から新卒社員としての最初の数年だった。「社会人」というよりも、新卒横並びの就活の結果として、大学生の悪いところがさらに濃縮されたような、金を稼げるようになった擬似大学生的新卒社員の世界についてもこういう研究が進んでほしい。
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女性差別については話が多かったような気がする。隠れたカリキュラム的なことを期待して読んだから、ほぉって感じだった。
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ボーヴォワールが『第二の性』で「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と語ったのが1949年。
75年かかって日本の教育現場(特に大学で)でも、「らしさ」を強制していることを訴えることができるようになったんだね。
今後、ジェンダー問題に取り組んでいくためには、一人ひとり個別に対応することが求められるわけだけど、これは効率性を捨てることになる。そこまで社会は成熟しているかな?
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現代日本おいて、ジェンダーについてステレオタイプの刷り込みがどのようにされてるのかを、年代毎に分けて論じている。幼少期、小学生、中高生、大学生に順を追って解説されている。
とにかくわかりやすい。
著者も子育て経験者ということで、ご自身のお子様の例もあったり、大学の授業での学生さん達のコメントも沢山あったりして、面白かった。
実写版『リトルマーメイド』の件と、『女子枠』の件について、個人的にも以前からどう解釈すれば良いのか疑問もあったので、こういった見方ができるのか!という発見もあり、とても良かった。
最後の週刊誌の件、あの手の雑誌は今はさらに卑劣になってきていて、今までとは逆転現象も起きていると思う。が、こちらはあくまで余談。
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配架場所・貸出状況はこちらからご確認ください。
https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=01436674
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教育や育児のように若年世代が対象となっている場って意外と性別で分けるような言動がまかり通っていると思う。娘と息子がいるこの本の著者にしたって、ジェンダー意識が高いはずだけど何となく息子よりも娘をジェンダーニュートラルに……というか、ピンクやお姫さまに傾向しないように力を入れているような感じがした。ことほど左様に身近なおとなの存在が子どもに大きな影響を与えることだろう。
とはいえ、好きなランドセルを選ぶエピソードなどから、親やその子どもをいとしく思う立場だからこそ危険を避け、その子の趣味に沿わない標準のものを選ぶよう仕向けてしまう気持ちもわからんでもない。そして子どもたちもそういう親の気持ちを忖度して選んだりもしているんだなあ。さらに、そういうことが世のなかの無理解のせいにしているような感じもする。何て窮屈な世のなかなんだろう。
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【琉大OPACリンク】
https://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BD09749800
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分かりやすい、具体的な事例と絡めて説明してくれるから、自分が感じてた違和感はこういう事だったのかと気づく。ほんと周りの友達にもおすすめしたい