あの頃巷にヒッピーたちがたくさんいた
2023/06/08 17:13
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
沢木耕太郎さんの文庫版『深夜特急』第3巻は、
インド・カルカッタの喧噪を描いた第7章「神の子らの家」と、
冷たい雨に閉じ込められたカトマンズでの時間を
手紙を綴るようにして書かれた第8章「雨が私を眠らせる」、
そして、ふたたびインドに戻って死者の火葬を見ることになる
第9章「死の匂い」で構成されている。
あれは私が映画に夢中になり始めた頃であったが
「カトマンズの恋人」という映画を観たことがある。
調べると1969年公開のフランス映画で、
当時人気のあったルノー・ヴェルレーが主演している。
ヒッピーと呼ばれた若者が大勢カトマンズを目指していた時代で
映画もそういう若者を描いていたと記憶する。
沢木耕太郎さんが旅行記『深夜特急』のもととなる
ユーラシアへの長い旅に出たのが1973年だから、
まさにその頃のインドやカトマンズにはヒッピーや
貧しい旅行をする若者たちがたくさんいたのだろう。
だから、『深夜特急』の中には、
そんな若者の姿がたくさん描かれている。
しかも、彼らはけっして溌剌としている訳ではない。
ある者は疲れ暗い眼をし、ある者はただじっと蹲っている。
彼らの姿は反面沢木さんの姿でもあったのだろう。
『深夜特急』はそんな若者の姿を赤裸々に描いていて
だからこそいつまでも読み継がれる「青春の一冊」になっているように思える。
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投稿者:マー君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
シンガポール、マレーシアからインドに上陸。インド・ネパールでの旅行というよりも暮らし。沢木氏の人間観察というか人類学的な文章。
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者に香港以来の興奮を与えた国、インドでの旅が収録されている。単に旅をするだけでなく、農大生とともに農園の指導をしにいくなど、とても興味深い巻だった。
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後書きの一文が特に印象にのこった。三島由紀夫が肉体を鍛えていれば太宰治も自殺しなかった。肉体的に健康で疲労がなければ、精神的にマイナスな方向にいくことはないのかもしれない。旅の中でも、疲労が蓄積してくると滞在が長くなり、疲労が癒されると前へ進むかとなるものだ。
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インド編。ラストの引きが気になりすぎる!
インドの貧困層のくらしが胸にくる。7ー8歳の少女が自分を売るシーンは悲しい。
盲目のスーラーの歌、生と死が同居する街、アシュラムの子供達の祈りの声。美しいな〜
対談で沢木さんが語っていた、いろんな国に行って、それでも生きるなら日本を選ぶ、っていうのはなんだか実感に溢れててよいなと思う。
旅に出たい!そしてインドに行ってみたいな。
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インド篇もまたリアリティと刺激にあふれていた。自分自身はバックパッカーのたぐいに興味なく、インドも観光に行きたいとは思えないくちなのだが、それでも、日本国内でのほほんと生活してるだけでは垣間見れない、こよ世界の広さを圧倒的リアリティで感じさせてくれる。日々の狭い世界だけでの悩みなんか、ちっぽけであるような感覚をもたせてくれるのも魅力的。
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3巻ではネパールからインドへ。
インドではガンジス川のほとりで死者が次から次へと焼かれる。貧しい者は火葬されずにそのまま流され、浮いてきた死体は鳥に啄まれる。
巻末の付録記事が思わぬ人との対談で楽しい!
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インドって最高に面白いよなぁ。あと、自分も旅した先に責任を持てるような旅がしたいなぁ、できるのかなぁ‥って思った。
・カルカッタには全てがあった。悲惨なものもあれば、滑稽なものもあり、崇高なものもあれば、矮小なものもあった。だか、それらの全てが私には懐かしく、あえて言えば、心地よいものだった。n740
→病気n655や牛と物売りの戦いn670など、すごくインドっぽい。今生きている人間に関わるものなら全てあった。n655って言っているけど、本当にその通りだな。
・カルカッタの子供たちの、ボロから突き出したしなやかな手足を見るたびに、ただ身体を動かしていれば良かった時代の幸せを思い出さないわけにはいかなかった。
街を歩いていると、顔馴染みになった少年たちが呼びかけてくる。
「マスター!」
その呼びかけには意味がない。ただ親愛の情を示すために、そう呼ぶのだ。
「マスター!マスター!」
笑いを含んだ彼らの声を耳にするたびに、遠い日々に反響していたはずの自分の笑い声が響いてくるような気がした。n760
→なんて美しい文章だろうか。ノスってるな。
・香港には光があり、影がある、と思っていた。光の世界が眩く輝けば輝くほど、その傍にできる影も色濃く落ちる、と思っていた。しかし、香港で影と見えていたものも、カルカッタで数日過ごした後では眩しいくらいに光り輝いて見えた。n790
→数カ国渡り歩くと、海外という異世界の中でもなんとなくその差がわかってくる。特に、陸路などで少しずつ移動してると、ちゃんとそこに生きている人たちを見ていくと、尚更わかってくるんだろうな。素晴らしいな。
・カトマンズはアメリカやヨーロッパのヒッピーにとって、モロッコのマラケシュやインドのゴアと並ぶ三大聖地。とりわけカトマンズは、西からの旅人にとっては地の果て、行き止まりという印象があるため、ユーラシア巡礼の最後にして最大の目的地になっているようなところがあります。
そのカトマンズに、どんなものを求めて行くのかは人様々です。(中略)その人口より多い数の神が祭られているというカトマンズに未知の精神世界を求めて行く人もいるはずです。n1476
→人口より多い数の神‥なんて行ってみたいわぁ。
・(あの国はこうだ、あそこの国の人はああだ。と決めつけるような発言をするヒッピーを見て)ヒッピーたちが放っている饐えた臭いとは、長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。彼はただ通過するだけの人です。今日この国にいても明日にはもう隣の国に入ってしまうのです。どの国にも、人々にも、まったく責任を負わないで日を送ることができてしまいます。しかし、もちろんそれは旅の恥は搔き捨てといった類いの無責任さとは違います。その無責任さの裏側には深い虚無の穴が空いているのです。深い虚無、それは場合によっては自分自身の命をすら無関心にさせてしまうほどの虚無です。n1681
→通過する旅は責任を負わない。と言われると途端に旅が陳腐なものになる気がする。旅先でも責任を負うこと、きちんと自分の中で旅先での経験を消化し切���、外に出すこと。責任が持てる旅をしたい。
・ベナレスでは、聖なるものと俗なるものとが画然と分かれてはいなかった。それらは互いに背中合わせに貼りついていたり、ひとつのものの中に同居していたりしていた。喧噪の隣に静寂があり、悲劇の向こうで喜劇が演じられていた。ベナレスは、命ある者の、生と死のすべてが無秩序に演じられている劇場のような町だった。私はその観客として、日々、街のあちこちで遭遇するさまざまなドラマを飽かず眺めつづけた。n1918
・でも、移動していくと、子供と老人だけじゃないですか、旅人と関わってくれるのは。まっとうな仕事を持った人とは忙しいから関われない。ひとつ、またひとつと国境を越えていっても、その国のことを理解する契機すら持てない。僕には何も学べなかったという思いがあるんです。たとえば、イランに比較的長くいたけど、暇な青少年と老人にかまってもらっただけで、その国のことは何もわからなかった。飯の味や、土地の臭いくらいでね。僕にわかったのは、何もわからなかった、ということですね。覚えているのは、誤解によって喜んだり、悲しんだりしたことと、ぶつぶつと独り言をいって自問自答したことばかりで……。n2583
→子どもと老人しか構ってくれないから文化が分からないってか…。移動する旅の弊害でもあるのかもな。その国のことを表そうしかわかっていないなら、確かにその国に責任なんて持てないよな。
・此経 インドでいろんな人に会ったけど、その中の一人で、黒い学生ズボンに白いワイシャツの袖をまくっているような、若い友人なんだけど、何年かすると、どこか力なくブッダガヤに現れる。彼は日本で暮らせないんだね、活力が足りなくて。インドへ行って、日本に帰って、またインドへ行ってしまう。その繰り返しの中で消えてしまいそう。もうちょっと方法があってもいいんじゃないかなと思うんだけど。
沢木 好奇心が磨耗しているのに外国旅行をしなくてはならないというのはほんとに切ないことですね。n2656
→つら。
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インドの印象が強烈に残り、人間の全てがインドにあるように感じられた。
インド以外の国では見る事が出来ないようなモノや、生死のように二項対立にあるものが間近にある風景が面白く感じた。
また、巻末の此経さんとの対談はお互いの旅人としてのポリシーが感じられ、何度も読み返したくなった。
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1976年に出発したバスでデリーからロンドンの大陸横断が香港を起点に様々な土地を当てもなく旅するバッグパッカー旅行記。
その土地の、猥雑な宿、食堂、地元民を通じて語られる雰囲気がよく伝わって、その場の情景が目に浮かぶ様です。
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私もインドへ行ったことあるので、地名を思い出しながらインドあるあるのネタをニヤニヤしながら一気に読んだ。やっぱインドって昔からこの国民性なのね。
思い入れがあるせいか、カトマンズ〜インドの旅がめちゃくちゃ面白い。
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インドという国の凄さがビシビシくる。行ってみたいとは全く思わなくても、生きることと死ぬことの生々しさが見事に描写されていると思えた。時代を超える名作!
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アシュラムでの生活が印象的。夕暮れ時、子供達がサンスクリット語でのお祈りをするシーンを見てみたいと思った。そして、体調を崩しながら何とかデリーに到着する。それは旅が始まってから半年が経った時だった。
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あらすじ
ノンフィクション作家である沢木耕太郎による紀行小説です。
1986年に1便が新潮社から刊行され、新潮文庫からは全6冊の文庫本として出版されています。
感想
時間があればこんな旅が出来るんだなって感じ。
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リキシャに乗ると言ったところと違う場所に連れて行かれる、払ったはずの料金をもらってないと言いがかりをつけられる、自分も24年前に訪印した時に経験したことだけど、当時のことを思い出して疲れた。これも異国を旅する醍醐味!だなんてまるで思えず、騙し騙され(当方は騙してないが)のやり取りなんて何ひとつ面白くない。
著者はカーストの有様も垣間見ている。これも読んでいて快いものではない。しかし支配層が社会を統制するために差別はシステムとして必要だったと思わざるを得ない。民主化と高度情報化で時代遅れになっていく向きにあっても、差別が完全撤廃される道のりは果てないと思う。露骨なスタイルでなくても、人と人が競合する以上姿形を変えて存在し続けるのではないか。