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紙の本
「ねむり」を読んで
2011/01/22 14:02
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
「眠り」だった短編を改稿して「ねむり」へ。
かなりグロテスクともいえるイラストが本文にマッチしていました。
もともと考えようによってはかなり不気味な短編ですからね。
今、もとと比べることが物理的にできないのですが、
改稿してよくなっている、と思いました。
短編集っていつ短編「集」である必要ってなくて、
これみたいに、「短編」だけでもいいんだ、と思いました。
短編だけで勝負できる。
そういう地平を開いてくれた村上さんに感謝です。
紙の本
装幀はドイツ版とどう違うのか、横書きが縦書きになっただけなのか、オリジナルの版型は? 向こうは布装じゃないのか、値段はいくらだったんだろう、と思いはつきず、眠れなくなるかも・・・
2011/10/17 20:33
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
かなり強烈なイラストですが、カバーに関していえばあくまで色ではないでしょうか。近眼の私にとっては、紺と白、いや紺色の本といったほうが正しいようです。この紺、というか藍というか、これがいいです。色合いでいえばヒキタクニオ『鳶がクルリと』を思い出します。ま、ヒキタの本は、丸に縞々というプラス要素もありましたが。で、今回の企画、やはりポイントはカット・メンシックのイラストとのコラボレーションでしょう。
ドイツでは、こういう形で出たんだ、と驚きました。ちなみに、今年の三月、ドイツ・オーストリアと家族旅行をしたとき、ウィーンの空港の書店に平積みされていたのは村上春樹の『1Q84』でしたが、デザインは日本のものと全く同じでした。出版社までは確認しませんでしたが、こんなところでお会いするとは、っていう気持ちで見たものです。現代日本の作家で、こういう扱いを受けるのは結局は村上一人なんだなあとも思いました、
それにしても、二十年以上前に文藝春秋から出た本の中の一篇を、改稿したうえでイラストをつけるとはいえ、新潮社が出版する、どういう経緯があったんだろうなあ、って思います。イラストレーション/カット・メンシック、装幀/新潮社装幀室だそうですが、イラストはともかく装幀はドイツ版とどう違うのか、横書きが縦書きになっただけなのか、オリジナルの版型は? 紙質は全く違うでしょうが、向こうは布装じゃないのか、値段はいくらくらいだったんだろう、などなど思いはつきません。
あとがきを読むと、
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僕がこの『眠り』(ここでのタイトルは『ねむり』となっている)という少し長めの短編小説を書いたのは、1989年の春のことだ。(中略)そして溜まっていたものを吐き出すように、ほとんど一気に書き上げたのがこの『眠り』と、それから『TVピープル』だ。この二作品は僕の中で一つのセットになっている。よく覚えていないのだが、たぶん『眠り』のほうを最初に書いたような気がする。
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とあります。村上はオリジナルの「眠り」について『村上春樹全作品1990~2000〈1〉短篇集(1)』(講談社2002)の解題で
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短編『TVピープル』を書こうと思い立ったのは、テレビのMTVをぼんやり見ているときだった。ルー・リードの『オリジナル・ラップ』という歌のビデオ・クリップが流れていた。(中略)そのうちにとつぜん短編小説が書きたくなってきた。まるで頭の中で何かのスイッチが入ったみたいに、僕は立ち上がって机に向かった。そしてワードプロセッサーのキーをばたばたと叩き、ほとんど自動的にこの話を書いた。とくに何も考えずにすらすらと書いていって、気がついたときには書き終えていた。
それが文字通り僕の「復帰」の瞬間だった。
『眠り』はそれに続いて書いたと記憶している(事情があって実際に雑誌掲載されたのは少しあとになる)。たしか眠れない夜があって(レイモンド・チャンドラーの言葉を借りるなら、僕にとって「眠れない夜は太った郵便配達夫のように珍しいもの」なのだが)、そのときに机に向かって物語を書き始めた。あたりはとても静かで、僕は自分が自分ではないような気がして、そういうこともあって、僕は主人公を女性に設定した。そしてというか、にもかかわらずというか、僕にはこの女性の気持ちがとてもよくわかった。深く共感することもできた。彼女の説明のつかない不眠の日々はすなわち、僕にとってのapathy(無感動、感覚鈍磨)の日々であったのだ。僕は――その物語を書いているときにはまったく無自覚的ではあったのだけれど――そのメタファーを自らの血肉として受け入れていった。(中略)
たぶん僕はこれらの作品を書きながら、その硬質さと静けさを通して、自分の中にあるもつれのようなものを少しづつほどいていったのだと思う。『TVピープル』と『眠り』は僕がこれまでに書いた短編小説の中でも、いちばん気に入っているもののふたつだ。もし僕が自分にとってのベスト・ストーリーズを集めた一冊を編むとしたら、この二作品は間違いなくその中に収録されるはずだ。
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と書いています。どちらを先に書いたかでは食い違いがありますが、気にしても仕方がありません。ほぼ同時期に書かれた、としておきましょう。ついでに書いてしまえば、初出誌は「文學界」1989年11月号、単行本『TVピープル』(文藝春秋1990年1月刊)所収のもので、「本書の刊行に際して全面的な改稿がなされ、タイトルが「眠り」から「ねむり」に変更された。」と注記があります。
主人公は、村上には珍しく? ぼくではなく私です。30歳になる専業主婦で、歯科医の夫との間には子供が一人います。ちなみに、子供の名前をめぐって、当時、宗教に凝っていた義母と対立したことがありますが、現在、二人の仲は修復されています。毎日、夫と子供を送り出し、自分が気に入っている体型を維持するためにクラブに行って水泳をし、昼前に自宅に戻ります。
それから家で食事を摂る夫のために昼食を用意し、時々そのまま夫とセックスをして、気が向けば買い物に出かけ、再び家に戻って夕食を作り、眠るというほとんど同じことを毎日、眠れなくなるまで繰り返していました。ある意味、典型的な有閑マダムの生活を送っているといえます。ちなみに、愛車が、友人から安く買ったホンダ・シティというのが可愛らしい。
夫は、一家が住んでいるマンションから車で十分ほどのところに、歯科大時代の友人と共同で経営する診療所を構えています。診療所を始めるにあたっての借金はまだ残っているものの、友人ともども腕がいいのか、経営は安定しています。容貌についていえば、全くハンサムではありません。どちらかというと不思議な顔をしています。
そのせいでしょう、人に好かれるほうです。笑顔がとてもよく、すごく綺麗な歯をしています。熟睡するタイプで、一度眠れば途中で目を覚ますことはほとんどありません。愛車はクリーム色のブルーバードで、診療所に向かう道筋にある学校に、毎日小学二年生になる子供を送っていきます。ちなみに、子供は好奇心旺盛で、一家の中では一番のおしゃべりで、顔は父親似で、同じように熟睡します。
熟睡する夫と子供、その家で、ただ一人私は眠れなくなります。それが17日続いても、生活に支障はありません。時間は、当たり前に流れて行く。そこに一人、取り残されたように眠れなくなった私がいます。それを淡々と描くのですが、そこにカット・メンシックの大胆なイラストが配されると、雰囲気はダークになります。
外国のイラストレーターが日本の人気作家の短編に絵をつけた本としては、椎名誠、ロール・デュファイ『屋上の黄色いテント』(星雲社2010)があります。椎名の本は、黄色というイメージがつよい、これまたとても面白い本で、コミックスと言ったほうがいいのでしょうが、読み比べてはいかがでしょう。話もですが、イラストも日本人の好みとは微妙に違っていて、ああ、これが、と納得する部分もあるかと思います。
紙の本
眠れないけど活力あふれる
2020/04/06 23:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
一睡も出来なくなったヒロインが、読書に励んだり水泳に没頭する姿が色っぽいです。夫と息子との間に違和感を覚える中で、破滅的な夜のドライブへと繰り出していくラストも忘れられません。