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探検家以外の、隠密としての後半生に惹かれる
2021/06/12 15:59
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投稿者:トリコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
言わずと知れた、江戸時代後期、樺太が島であることを発見した探検家。
この小説では、探検家としての功績のほか、幕府の隠密としての活動にもかなりのページ数を割いている。故郷と両親への思いに涙。
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危険察知能力が具わった探検家が、実は「隠密」だった?
2021/03/30 12:36
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投稿者:永遠のチャレンジャー - この投稿者のレビュー一覧を見る
月の満ち欠けに基づく太陰暦には十三か月目の「閏月」があると知ってはいたものの、「(六月二十六日に出発した林蔵は)風向に恵まれ、閏六月十八日には樺太最南端の白主に帰りつくことができた」との記述に、一瞬「?」(はてな)と戸惑った。
二百年以上も昔に北方寒冷の未踏地に赴いた間宮林蔵の“探険”は想像を絶する。二度目の遠征で最果ての樺太北部に到達し、命懸けで海を渡り東韃靼が清国領だと明らかにした林蔵の旺盛極まる好奇心と覇気は、驚嘆でしかない。
アイヌの知恵に学び、健脚と若さを武器に体験に根ざす工夫を凝らした林蔵の柔軟性には、武家の伝統に縛られぬ農民出身者らしい精神の自由闊達さが窺える。健脚ぶりも見事だが、危機管理能力に優れていた点は特筆ものだ。
ロシア艦乗組員による択捉島シャナ会所襲撃に際し、怖気づいた上役が放棄撤退を決めたことに反対を表明、飽くまで主戦論の姿勢を貫いたことが幸いして幕府の処罰を免れたという。
樺太が半島でなく島だと実証した林蔵は、調査報告の樺太改め北蝦夷島地図と東韃地方紀行文により一躍時の人となるが、鎖国違反の御咎め無く、昇進と褒美金の下賜という幕府の厚遇は、林蔵に密命を授け隠密(御庭番)として働かせるためだった。探検家が実は「隠密」だったと知り、仰天した。
海岸異国船掛を拝命した林蔵の許に、シーボルトから託ったという謎の小包が天文方筆頭の高橋作左衛門景保を通じて届くも、身に具わった危険察知能力を遺憾なく発揮し、上司の勘定奉行に未開封のまま届け出ることで、シーボルト事件への連座を免れた。
テレビの「大江戸捜査網」を観て育った私は、隠密という言葉に“非情さ”を嗅ぎ取る。二親を亡くした独り身の、下級武士の身分に執着も未練もない林蔵は、好むと好まざるとに関わりなく、「死して屍拾う者無し」と謳われる隠密の適格要件に適ったのだ。
林蔵本人は、病で身体が衰弱した元隠密の最期を迎えるより、未知への憧れと情熱を掻き立てた北限の土地で探検家として果てたかっただろう。ほんに憂き世はままならぬ…。
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乾いた剛直な語り口
2023/05/01 08:32
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
吉村昭らしい感情 思い入れを極力排した語り口で、主人公 間宮林蔵の剛直な生き方が描き出されている。国民性が影響しているのか、欧米諸国と比べて「冒険者」が少ない日本であるが、数少ない冒険者の一人である間宮林蔵は、勇気があるだけではなく成功者に必須の細心さも兼ね備えている。大きな成果を上げた主人公に対する幕府の振る舞いも「なるほどこれなら滅びるはずだ」と納得させられるところがある。
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おもしろかったです。
2021/12/29 21:25
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投稿者:Kanye - この投稿者のレビュー一覧を見る
司馬遼太郎さんの「菜の花の沖」を読んだあとに,続けて読みました。なので,時代的にも馴染みやすく,面白く読めました。でも,この本の醍醐味は,樺太以降なのかもしれません。人間の生き様を感じさせてくれた一冊でした。
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吉村作品の登場人物たちとの接点など、読みどころが随所に
2019/09/26 14:53
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投稿者:ニック - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸後期の北方探検家として知られる間宮林蔵の生涯を描く。幕府の隠密としての活動や、吉村作品の登場人物人物たちとの接点など、読みどころが随所に。
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世界地図に日本人で唯一名を残している間宮林蔵の壮絶な一生を描き、史実の中に林蔵の人となりを浮かび上がらせている。
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さすがは吉村昭である。かなり緻密に調べ上げられている。樺太探検の様子が手に取るように分かる一冊である。おすすめしたい。
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スリリングで緊張感のある展開、面白かった。日本の領土問題の原点。江戸後期、北方沿岸に頻繁に出没するロシア船の脅威が日に日に高まる中、ついに択捉島の集落が襲撃される。世界地図で唯一不明となっていた、樺太が中国東北地域の東契丹と陸続きかどうかを確かめる必要は国防上の最重要課題となった。百姓から立身した林蔵は、樺太の探検を命じられる。
間宮海峡を発見したとして、歴史の教科書で必ず名前が出る人物だが、当時の江戸日本が置かれていた外交上の背景は教えない。ただ、行って見てきただけのような教え方も手伝ってか、彼の業績は過小評価され過ぎの感を禁じ得ない。
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城山三郎・平岩外四対談集「人生に二度読む本」に掲げられている一冊、興味を持って読んでみた。世界地図で、唯一日本人名が登録されている間宮海峡を発見した冒険家として知ってはいたが、本書によって幕府老中の信認によって隠密活動をしていたことを改めて知った。前半は、樺太調査に挑んだ林蔵の過酷な探検行、史料と作者の想像力の融合により、血沸き肉踊る冒険譚。後半は、その成功により幕府の信頼を得て、諸国を巡る隠密行。シーボルト事件を筆頭に幕末のさまざまな人物との邂逅があり、対談集の城山氏の言葉では、幕末のオールスターキャストが登場する。確かに、人生で少なくとも一度は読むべき名著である。
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間宮海峡を発見した人として有名であるが、その発見の旅中の状況が克明に描かれており、まさに命がけの発見であったことがよくわかる。
志を高く、何かを成し遂げようとする偉人伝は時代を超えて学ぶことが多い。
(間宮林蔵は、世界地図の地名に、日本人として唯一人名が刻まれている)
当時は、地図を作るに際して足で稼ぐことが基本にあるわけだが、その測量方法、技術も興味深い。
本著を通じ、当時の蝦夷(北海道)北方における国際情勢を理解することができる。
また、自分自身、知らなかったことであるが、間宮林蔵は後年、幕府の隠密として働いていた。
本著の後段は、その活動について触れられ、当時の幕府の対外方針や各藩の実態など興味深い内容に触れることができた。
伊能忠敬、尚歯会、シーボルト、川路聖謨、徳川斉昭などの人的繋がりを知ることにより歴史を紐解く面白さがある。
以下引用~
・「あなたは、魚が嫌いらしく食べぬが、どうしても口に合わぬなら蝦夷地から去りなされ。この地に来てから病みがちだと言われるが、当たり前のこと。蝦夷人(アイヌ)は主として魚を食い、昆布を口にする。それ故、病むこともなく冬を越す。郷に入らば郷に従え、という。蝦夷地にいたければ、蝦夷人を見習い、大いに魚や昆布を食することです」
・樺太が世界地図の中で唯一の謎の地域であるということを耳にしていた。
・熊は積雪期になると穴ごもりをするが、犬は雪をいっこうにきにかけない。そうした動物の習性から考えて、熊の毛皮は雪に不向きで、それとは対照的に犬の毛皮は雪に順応する性質をもっているのではないか、と思った。
・それでも斉昭は諦めることもなく、蝦夷地経営の悲願はさらにつのっていた。斉昭の蝦夷地についての構想は、林蔵から得た知識によって立てられたもので、「北方未来考」として記録されていた。その概要は、まずは斉昭が隠居し、自ら蝦夷地に乗り込むことを基本としていた。
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「光と影を背負って歩き続けた男」
19世紀世界地図の最後の謎とされた樺太が島であることを発見し、シベリア大陸との間の海峡にその名を冠された間宮林蔵。輝かしい業績の一方で後年は幕府の隠密としても働き、幕末の大きな事件にも関わった。その波乱の生涯を描く。
一人の人間の生涯がこんなにもくっきりと光と影とに分かたれるのも稀なのではないだろうか。500ページにおよぶ大作の半分を費やして、著者は樺太の謎を明らかにするという林蔵の輝かしくも苛酷な探検をつぶさに再現していく。
圧倒的な臨場感だ。極寒の樺太を草木を踏み分け進む。同行させたアイヌたちに漕がせる小舟で山肌が海に落ち込む海岸を海藻や芥にゆくてを阻まれながら進む。彼らアイヌの働きには目をみはる。彼らの酷寒の地に生きる知恵、それを知るとき林蔵の樺太探検が彼らの助けなしには決して実現しなかったものであることがよくわかる。その先端を回り込むことこそかなわなかったものの、樺太の最北端の丘の上から荒波立つ大海原を眼前にしたとき、世界に先駆けた世紀の発見の瞬間を読者は林蔵とともに目の当たりにする。
常陸の農家の一人息子であった林蔵は、小貝川の灌漑工事に興味を持ったことにより普請役雇の村上島之充に見出されて測量を学び、やがて士分を与えられて、蝦夷地の測量に従事しこの快挙を成し遂げるに至った。日本地図の作成に生涯を捧げた伊能忠敬とも親交があり、彼の日本全図完成には林蔵の作成した蝦夷の原図が一役買った。思えばこのあたりが林蔵の生涯の最も輝かしい時期ではなかったか。
測量の第一人者として認められその健脚も買われて、後に林蔵は幕府の隠密となる。シーボルト事件など隠密としては成果を挙げる仕事をしたものの、皮肉にもその仕事ぶりは密告者として人々の誤解を受け親しかった人々も次第に離れていく。息子に嫁を用意して待っていた両親も、さしたる親孝行もできぬうちに世を去ってしまう。久しぶりに帰った生家は朽ち果て、座敷には孟宗竹が伸び放題であったという。妻帯し子供を儲けることもついになかった林蔵の晩年は寂しかった。
久しぶりに読んだ吉村昭の歴史小説だった。『生麦事件』では実は少々重かった史実を淡々と追う著者の筆致が心地良い。家族の温かみを得ることこそなかったものの、日本でただ一人世界地図にその名前を残した男の、ひたすら歩き続けた生涯だった。
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史実をベースに、間宮林蔵の生涯を丁寧に追った作品。
困難を極めた極寒の地・樺太探査は勿論の事、シーボルト事件との関わりや幕府の隠密として全国を駆け巡った晩年の様子に興味を惹かれた。
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この人の人生を左右したのは間宮海峡を発見したことというより、むしろシーボルド事件だったのかもしれない。いろんな意味で幕末の日本のカギを握っていたといえよう。
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間宮林蔵といえば、江戸時代、樺太を調査し、世界で初めて樺太が島であることを発見。その功績で「間宮海峡」という地名を後世に残した。というのが、教科書的説明。本小説でも、林蔵の樺太探検は詳細に描かれ、当時の乏しい装備で死を覚悟して赴く林蔵の覚悟が伝わってくる。
しかし、間宮林蔵がアドベンチャーというのは彼の一面に過ぎない。彼の人生の真骨頂は樺太探検後、豊富な地理の知識と行動力が認められ、スパイや政治アドバイザーとして幕府に貢献したことだ。
何よりも、林蔵は正義を重んじる。若き頃、日本領土にロシア人が侵入したとき、徹底抗戦を主張する。樺太探検のために異国のユーラシア大陸にまで足を踏み入れてしまったことが鎖国政策に反するのではないかと、苦悩する。また、その鎖国政策では外国人との交流が禁じられており、突然のシーボルトからの贈り物を開封せず、奉行所へ提出する。など、幕府に従順で慎重だ。そして、そんな冷静な判断がその後の彼の評価をより高めた。真っ当に生きれば、どこかで報われるものだ。
また、鍛えた脚力で北海道から九州まで歩き回り、隠密行動も苦にしない林蔵は幕府からの信頼を得、出世街道まっしぐら。
が、そのおかげで、妻も持たず、子孫も残さず、両親の死に目にも会えなかった。家族とのくつろぎとは無縁の人生だった。今でいえば、仕事一筋で、忠実なCIA調査官といった感じか。その点が生涯を地図作りだけに捧げた伊能忠敬とは異なる。
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樺太が島であることを、初めて確認した人物。
間宮林蔵が、類まれなる探検家だということは、知識にあった。
しかし、その後、隠密として暗躍していたことは知らなかった。
己の探究心、プライドのために生涯を捧げた林蔵。
日本各地、そして、己の人生を颯爽と渡り歩いた。