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生れもしつけもいい優雅なヒロイン倉越夫人節子の無垢な魂にとって、姦通とは異邦の珍しい宝石のようにしか感得されていなかったが……。作者は、精緻な技巧をこらした人工の美の世界に、聖女にも似た不貞の人妻を配し、姦通という背徳の銅貨を、魂のエレガンスという美徳の金貨へと、みごとに錬金してみせる。“よろめき”という流行語を生み、大きな話題をよんだ作品。
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「女は全身で恋をし、男は小指で恋をする」いつか聞いた、この言葉が頭を過ぎった。女の恋には大きなリスクがある。妊娠というリスクだ。姦通の末、3度目の中絶で主人公の節子は土屋との別れを決意するのだ。どれほど愛していても、報われない恋がある。節子が別れた後で土屋宛に書いた手紙を、出さずに破り捨てる場面に深く共感した。いつか来る別れを理解していても、それは、とてつもなく苦しいもんだと思う。それでも人は誰かを愛さずにはいられない。
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お嬢様育ちで躾もいい倉持夫人節子の不倫。あとがきや背表紙の紹介文には『背徳の銅貨を美徳の金貨に錬金してみせる』云々とあるが、ホントにそうなんだろか?
少なくともオイラには決してその様には見えないが・・・・・。
三島の作品にしてはかなり読みやすいとおもった。スラスラと読める。三島自身もいい意味で肩の力抜いてサラサラと書いたんではないかとかんじた。ずっとピンとこないというか、正直おもしろいとはおもわず、主人公にも少々嫌悪感抱きつつ読んでたんだけど、最後の最後でなぜか嫌悪感が消えてった。多分父親と食事したあたりからかなー。だから本当に最後の最後だね。実際最後の最後(3度目)のほうは結構おもしろかったんかな。特に派手な事があったりするわけじゃないんだけど。
じわ〜〜〜ってかんじの良さなのかも。
読んだ自分でもよくわからんw
てかコレ実は10年位前に一回読んでると思うんだけど、ここのコメント書く為に読み直したwww
でもほとんど忘れてて初めて読むのとなんら変わらない感じだったwwwwwww
改めてバカだと自覚しました・・・。
ちなみに題名にある『よろめき』は流行語にもなったらしい。
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ヒトコトで言えば、「熱い!」です。
不倫にも、こういうもどかしさ、苦悶、悩みはあるんだ、と感心してしまいます。
やはり、三島だからでしょうか。
不倫って聞こえが悪いけれど……うーん、節子の潔い誇りを見せつけられると、「そうか〜、それでいいんだな」と妙に納得させられます。
感情の逆説的な表現には驚かされます。
当時、「よろめき」という言葉が流行ったぐらいなので、夢中になる作品の一つでもあります。
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三島由紀夫は天才だとよく言われるけれど、いまいち分からない私。
この主人公には空虚で表層的な美しさを感じた。
どこかクールで、冷徹な観察をしているというか。
読んでいても全く古い作品とは感じなかった。
と、記憶をたぐっているうちにまた読んでみたくなるのであった。
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育ちの良さ、『美徳』を捨てること。
守り抜くことの難しさ。
彼女の美徳を、こうもうまく表すことができるのか。
目に見えない、手に取れない美徳を、読者に実感させる。
情感を持たせるように、うまくザラつきを持たせた文章にする。
言葉による、心の導線の描き方を学びたい。科学だ。
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姦通の話。不埒な行為を描いているにも関わらず、意外とドロドロとした展開にはならない。『痴人の愛』に比べればだいぶ淡々としている。
でも確かに内容や心情の描写が『痴人の愛』に似ているので三島由紀夫が「昭和の谷崎潤一郎」と呼ばれる所以がなんとなくわかった。
最後に節子が手紙を破り捨てたのはなぜだろう?これが節子の精神が肉体に打ち勝ったことを描きたいがために挿入した場面だとしたら、節子の道徳が十分に機能していることを示したかったのかな?良人にも最終的にばれなかったみたいだし。
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三島由紀夫氏
不倫の話なのに『よろめき』と表現するあたり、
日本語を美しく使う三島らしい作品。
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始終節子の独りよがりな印象を強く持ちましたが・・。
「よろめき」と題するセンスに脱帽。
この小説が書かれた時代背景を考慮に入れて読まなきゃ、かな。
そして当時のストッキングは現在の物と違うんだね。
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本当にステキなタイトル。
美徳のよろめき。
秘密があっていやらしい感じ。
こんなタイトルを考え付く三島由紀夫はすごい。
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この物語は不倫の話ですが、難しく感じました。三島由紀夫ってこんなに難しかったっけ…?と思ってしまいます。以前読んだ本で言うと、潮騒では文章とそこから連想される場面場面の美しさに感嘆し、午後の曳航では最近多発している少年犯罪を連想してゾッとし、永すぎた春ではオーソドックスな時代恋愛を味わい、若きサムライのために、では感心できるところにウンウンうなずき、感心できないところではオイオイと思ったものです。そのような三島作品ですが、この小説はすぐに一言で表せるところがあまり見当たりません。私の読書不足のせいでしょうか。
難しく感じたと言うのも、これは時々の状況によって刻々と変化する女主人公(日本語で言う「ヒロイン」は「主人公」に対する呼応、主人公の相手というニュアンスがあるような気がします。この作品では紛れもなくこの「節子」が主人公ですから、『ヒロイン』ではなく「女主人公」と言うのがふさわしいでしょう)の心理描写が中心であり、三島作品に特徴的な情景描写は少なかったからです。私は女性ではありません。ところが、この作品では女性のその語り、心理の変化、心理の内奥の描写が大部分であったため、私にはやや理解が困難でした。
また、難単語も多かったので、辞書は必携でした。辞書がなければ、もっと理解が困難だったかもしれません。電車内で辞書を使わず読むと言う芸当をすれば、この本の理解は完全に失敗に終わってしまったでしょう。
とは言え私が「男である」ことは三島自身にも当然当てはまります。従って私は、三島のこのような「自分の体験できないことを描く」才能に驚かされました。実際この小説は多くの婦人から賞賛されています。それは、三島がそのようなことを描くことに成功していることの表れではないでしょうか。
しかも終盤の流れは実にうまくまとめられていました。潮騒や午後の曳航、永すぎた春を読んだときもそれは感じましたが、このような点でも三島の才能の凄さに感嘆の吐息を上げずにはいられません。
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いやいやいやいやいや。
時間がかかった…
聞きしにまさる言葉の美しさ。
いつも、自分なりに先を予想しながら読んでいるのだが、
予測不能。否。予測する気にならないほどの日本語の美しさ。
三島由紀夫、また読もう。
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お嬢様の節子が知り合いの男性と不倫して強くなっていく話。節子はいつも優雅で上品。
自分は相手の男性に夢中なのに、相手が素っ気ないとなんだか面白くなく不愉快というのは今でもよくある話。ストーリー前半、節子の恋愛の経験が少ないから、不倫の想像が現実になったとき、悶々と戸惑いながら、自信を力を身につける様子に可愛らしくも妖しい魅力がある。
「あなたが思っていらっしゃるより、私って自由なんだわ」
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ゆっきーらしくねっちょりした語り口で素敵でした。
男への描写が読んでると鳥肌が立ってきます。いろんな意味で。
次は鹿鳴館読みたいなー。明治時代ラブ。
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読んでびっくり、昭和時代の、妻節子の不倫の話。誰が悪いとか、良人(これで“おっと”と読む)への後ろめたさとか、そういう話ではなくて、背徳を美徳として描いたもの。嫉妬も機知もなく育ったお嬢様の妻が、考えることを覚えて変わっていく。とかいっても、難しいことはよくわからない。私の読解能力が足りないのもあるけど、例えば、「道徳は、習慣からの逃避もみとめないが、同時に、習慣への逃避も、それ以上にみとめていないのだ」と言われてもどういうことなんだ?と、もう一度読み返すところが何度もあった。言葉が難しい。文学においても、時代がより簡易な方へ進んでいるような気がした。