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投稿者:鳥居くろーん - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題作『硫黄島に死す』を含む戦争モノを中心とした短編、七本立て。多くは太平洋戦争末期、大活躍からほど遠く、抗いようのない大波に洗われる人々を描く。つつましく無為に死ぬ者、つつましく無為に生き残る者。その差はどこにあるのかはわからないが、大波の前にはいずれにしろなすすべがない。読後にはつい遠い目をしてしまう自分がいる。
◆戦争モノには濃密な時間が流れる。それは死が常に身近にあるからだ。死を意識した時、人の時間は濃くならざるをえない。
「戦争は愚かしいものだ」というのは正しいと思う。が、その濃密な時間を経験した者と経験しない者とがその言葉を同じように放った時、その重みは果たして天と地ほども違うのではないか、といつも思う。
とりあえず戦争モノの小説を読む。私の希薄な時間が、少し濃くなる。それだけでいい。
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投稿者:まりっぺ - この投稿者のレビュー一覧を見る
硫黄島に死す、を読みたくて購入しました。このようのお話は、後世に伝えていかなければならないと痛感しました。
バロン西を知っていますか
2020/03/03 15:40
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
子供の頃、ちょうど昭和39年の東京オリンピックのあたりでしょうか、オリンピックの感動秘話としてよく聞いたのが、1936年のベルリンオリンピックの棒高跳び競技で大江選手と西田選手がお互い譲らず、銀と銅メダルを獲得、その後そのメダルを合わせて「友情のメダル」とした話です。
その次あたりによく聞いたのが、1932年のロサンゼルスオリンピックの馬術障害飛越競技で金メダルに輝いた西竹一のことかもしれません。
バロン西と呼ばれ、太平洋戦争期に硫黄島で戦死した人物です。
城山三郎が昭和38年の「文藝春秋」11月号に発表したこの短編小説は、この西竹一を描いた伝記小説で、翌年には文藝春秋読者賞を受賞しています。
文庫本にしてわずか60ページ弱の短編ながら、実によくできた作品です。
城山三郎はこの後『男子の本懐』や『落日燃ゆ』といった長編の伝記小説を数多く発表していますが、この作品は短編ながら実に的確に戦争期に軍人といて生きた西中佐の心構え、あるいはともにオリンピックを戦った愛馬ウラヌスへの想い、そして残していく家族への切ない愛情が淡々と描かれています。
若い見習士官を介して、西の思いが語られていく手法も見事です。
オリンピックの際に「勝たなくては」とあせる日本チームに対して、城山はどこか達観したフランスの老少佐を置くことで、冷静な目で当時の日本人を見つめています。
それは決して自虐ではありません。
何故なら、アメリカ軍の「ニシさん、出て来い!」という呼びかけにも応えず自死の道を選んだ西竹一を、当時の一人の日本人として敬慕の念で描いているからです。
城山文学に欠かせない一篇です。
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投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
梯久美子さんの「散るぞ悲しき」を読んで、こちらも読んでみました。改めて、「徒手空拳」という栗林忠道中将の表現が胸に迫りました。
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投稿者:しましま - この投稿者のレビュー一覧を見る
城山三郎の短編小説。ロス5輪馬術で金メダルを取った西男爵の話。西男爵は陸軍将校でもあり、騎馬隊が戦車隊となり硫黄島に配属され、戦死しています。島での最期は本当のところどうだったのかは謎なんですが、もしかしたらこうだったのかなぁと考えてしまいます。
オリンピック選手の話
2023/02/15 16:54
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投稿者:deka - この投稿者のレビュー一覧を見る
新聞でオリンピック金メダリストの戦死の話ということを知り、興味がわき読んでみた。
オリンピック競技でも誰しもチャレンジできる種目でもないので、しみじみと読むという感じではなかったが戦争の一面を知ることができた。ほかにも色々戦争がらみの話で、普段かかわらないところに踏み入ることができた。
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投稿者:井沢ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「硫黄島に死す」「基地はるかなり」「草原の敵」「青春の記念の土地」「軍艦旗ははためく丘に」「着陸復航せよ」「断崖」の7編。最初の5編は第二次世界大戦時の内容。「硫黄島に死す」は悲しい史実を殉死する将校の立場から描かれているが、改めて愚かな戦いを行ったものだと感じる。一番印象深いのは、史実としての「軍艦旗ははためく丘に」で、悲しすぎ涙が止まらない。14、5歳の少年兵の末期が悲しすぎる。これを読んで改めて戦犯の東条英機以下の罪は大きく許されない。戦争の悲惨さを訴える名著だと思う。
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「硫黄島に死す」は同名小説を含む短編集で、
この間、新潮文庫の100冊フェアにも並んでました。新潮の100冊フェアも長いなぁ。
ちなみに「硫黄島に死す」は2007年12月公開予定で映画化も決まっているそうで、なんとなく見に行こうかななんて思いも。
その関係なのか、バロン西をテーマにした特別展「バロン西と硫黄島の戦い」が、北海道本別町の歴史民俗資料館で開催中(期間:2007年7月3日〜22日)なんだって。
でも、この小説で一番心に残ったのは実はバロン西ではなく、同収録「基地はるかなり」の死刑囚の「あわあわと生きる」という言葉です。
「基地はるかなり」では、特攻隊として死ぬはずの元少年兵がやがて死刑囚となるまでを辿った終戦後の人生を描いています。その中で彼の人生観を「日々をあわあわと生きる」という言葉で表現しているのですが、この「あわあわとして生きる」という表現がとても気に入ってしまったのです。
私もまた彼の言う「あわあわ」とした生活を目指している、求めている人間と思うのですが、
「あわあわ」とした生き方はたぶん現実的に流れている実社会では実用的ではないんですよね。まして彼の生きた時代、立場ではより「あわあわ」が幻想だと気付かなくちゃいけないんだと。でも、戦後がさらに進み、ぼやっとした現代においては、この「あわあわ」とした人々が実はすごく多いんじゃないかなとも思わされます。うん、「あわあわ」と生きちゃダメなのかもしれません。でも、「あわあわ」と死にたいとは思います。
この他にも、
「草原の敵」
「青春の記念の土地」
「軍艦旗はためく丘に」
「着陸復航せよ」
「断崖」
以上を合わせて全部で7編が収録されています。
いずれも、戦争というものに関わった人間のさまざまな視点・観点から描かれ、戦争という時代がよりリアルに伝わってくる気がしました。
戦争関係にはほとんど疎かった私ですが、この小説は本当にいい小説だな〜と思いました。
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クリント・イーストウッド監督の「硫黄島」シリーズを観て、その勢いで買ってしまった本。でも、それは正解だった。映画の中で一番印象に残ったバロン西が主人公の表題はもちろん、戦争を題材にした短編の数々は、「戦争」がもたらすものの大きさ、計り知れない力は何だろうと考えさせる。こういう人が亡くなってしまった後には、一体どうなるんだろうとつい思ってしまう。
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ロサンゼルス五輪の馬術で金メダルを獲得しながらも硫黄島で死ななければならなかった西中佐の話。などの短編。
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オリンピック開催時期と終戦記念日が重なった今年、馬術・法華津選手の出場という話題もあり興味が出てきたのがバロン西。名前だけで、いつ活躍した選手だったのかも知らなかったです。戦争というとどうしても惨めさやひもじさ、浅ましさが先に来てしまうので積極的に触れたい話題ではなかった。中にはそういう作品もありましたが表題作では何よりも妻・武子の悲しみが深く心に刻み込まれました。豪気で遊びも派手だった西の妻として、噂になった女性と仲良くなったり夫の顔や対面を崩さないように振舞うのが辛くなかったわけじゃない。将来年を取ってから「あんな苦労があったのよ」と笑えるようになりたい。そんなささやかな幸せがもう叶わない。たった数行のその下りが忘れられません。
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どうしてもオリンピックで勝たなければならなかった馬術日本団。
どうしても戦争で勝たなければならなかった日本軍。
戦争物だけど、破裂するような悲惨さではなくて
鉛のように重い感じがじわじわ後まで残る、城山三郎の腕の良さが見えます。
7編ある内の最初の4つしか読んでないけど、どれもよかった。
次は「鼠」を読みたい・・
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映画を見て衝撃を受け、表題作だけ目当てに図書館で借りました。
私が考える戦争をテーマにした小説の理想を具現したような書き方だったと思います。
戦争の悲惨さを伝えるのが目的とか、戦争の良い悪いを主張するとかじゃなくて、戦争の中で流れに呑まれながら生きた人たちの時間をそのままに切り取るような。それこそが本当に戦争を伝えるってことじゃないかなと。
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(2009.03.11読了)
7つの短編が収められています。「硫黄島に死す」「基地はるかなり」「草原の敵」「青春の記念の土地」「軍旗はためく丘に」「着陸復航せよ」「断崖」です。最初の5編は、戦争小説です。「着陸復航せよ」は、航空自衛隊に材を取った航空小説。「断崖」は、私小説風の小品です。本の後ろの「解説」に適切な内容紹介がしてありますので、興味を持った方は、解説を読んでみてから、読む・読まないを決めるといいと思います。
映画「硫黄島からの手紙」2006年、に馬に乗って海岸を走る軍人がいました。ロサンゼルスオリンピック大会(1932年)で馬術、大障碍飛越競技で優勝した西竹一中佐です。
「硫黄島に死す」は、西中佐を主人公にした話です。「硫黄島からの手紙」の脚本家も、この小説を読んだのではないでしょうか。
西は、騎兵学校で学び、騎兵連隊で過ごした。騎兵士官の心得に(一、服 二、顔、 三、馬術)という言葉があるそうです。騎兵士官たるもの、まず容姿に気を配れというわけで、伊達者にならざるを得なかった。
ロサンゼルスオリンピックには、ヨーロッパの馬術チームは参加しなかったそうです。馬術は貴族の遊びで、馬を大事にしている。遠いアメリカまで馬を送って傷つけでもしたら、という気持ちで、参加しなかった。(34頁)
1936年のベルリンオリンピックでは、「西も落ちたし馬も落ちた」ということで、惨敗だった。西が転倒したのは、主催国ドイツの勝つための仕掛けがあったためということです。
大障碍の水濠の深さが右寄りの部分を残して、深くえぐってあった。ドイツチームは事前に知らされていたので、右寄りに飛んで転倒を免れた。(38頁)
太平洋戦争のころには、騎兵連隊は、戦車連隊に衣替えしており、西中佐、43歳も、硫黄島へ赴任するときは、戦車第26連隊長としてであった。
西の最後の突撃は、3月22日であった。
(2009年3月20日・記)
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ちらほらと、著者の体験や考え方が分散されつつも、根本的なものは何一つ変わらない。
時代の中で、みな、自分の立ち位置をきちんと理解し、その先を見通し、それぞれの場所で生きている。
考え悩むだけに終わらず、「生きている」のだ。
しかし、その生き方はがつがつとしたものではない、少年兵らは、まだ子供だというのに老成していて、「仕方ない」中で生きている。悲しいはずの死も仕方なく、ただの自然の中の流れ…ひどくさみしく、しかし最後の短編からは、この時代も今の時代も、どこか何かが欠けていて、それで完結しているような感じがした。
あの時代に生きていた人の、あの時代の感覚にもっと触れたい。