紙の本
弱者への想像力が希薄化していくこの時代にこそ
2019/06/18 22:43
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
「戦争を禁忌としてきた「戦後」は、ひたすら戦争を忘れようとする「戦後」でもあったのではないだろうか。」(本書より)
「日本生まれの残留孤児二世」である著者が、父の足跡をたどるノンフィクション。
第1部の「父の時代」は、「大地の子」を想起させる実話。
ちがうところは、自力で帰国の道を開いたところ。
歴史や政治に翻弄されるだけではない強さがあります。
第2部は著者自身のあゆみ。
中国に留学し、父の関係者と交わる中で意識を高め、中国残留孤児全体の問題や、「満州国」の問題についても考えていきます。
残留孤児の国家賠償責任の提起に「受忍論」でこたえる厚労省には、強い憤りを感じます。
「本来世代を超えて語り継がれて然るべき大切なことが沈黙のなかで失われていき、弱者への想像力が希薄化していくこの時代」という一節には、著者の嘆きと怒りが表れているようです。
非体験者が書いている本なので、とてもわかりやすく、予備知識なしにでも読める本です。
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子どもの目から見た中国残留孤児の人生
2022/09/07 15:48
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
中国残留孤児だった父親の波乱の人生を、日本生まれの娘が聞き取り、たどった大部なノンフィクション。
著者の父は、いわゆる「中国残留孤児」。敗戦で日本の両親と引き裂かれ、中国の養父母に育てられる。日本人であることを隠して暮らすものも多い中、日本人であることを公にして日本国籍を選び、日中の国交正常化前から命がけで日本の両親を捜す。二つの名前、二人の母のはざまで揺れながら、生き抜いてきた父の姿を、娘が記録している。
後半は、そんな父を持つ娘が、中国語を学ぶために留学し、異文化と格闘しながら中国の親戚と会い、自分につながる歴史をたどる。
父の経験を、「歴史」として片付けず、自分につながる問題として描いていることで、読者もそれを追体験できる。
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これがデヴュー作とは驚きである
2019/08/14 23:39
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
これがデヴュー作とは驚きである。中国残留孤児だった父親に関するノンフィクションである。肉親の話だが、筆致は程よい距離を取って客観的である。第一部が父親の中国での話で、第二部は娘が父親の中国での足跡たどる話が主となっている。大変優れたノンフィクションである。
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プロローグ ロング・アンド・ワインディングロード
第1部 家族への道“父の時代”(遠い記憶;失意の底から;心、震わせて;幾つもの絆)
インターミッション
第2部 戦後の果て“私の時代”(父の生きた証;傷だらけの世界;歴史を生きる者たち;満州国軍と祖父;運命の牡丹江)
エピローグ 精神のリレー
第39回大宅壮一ノンフィクション賞、第30回講談社ノンフィクション賞、黒田清JCJ新人賞
著者:城戸久枝(1976-、愛媛県、ノンフィクション作家)
解説:野村進(1956-、東京都、ノンフィクション作家)
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いい本に出会ったー。
素晴らしくて、勉強になって、感動した。大作。
著者は1976年生まれなので私と同年代。
なのに、「父親が中国残留孤児で…」っていう文庫の裏書きを見て、興味をひかれて買いました。
壮大な内容で、前半は中国残留孤児の父親の話。
5歳で中国の田舎の村に命からがら辿り着き、養母に大切に育てられながらも、残留孤児の帰国事業が始まる前に、自力で日本へ帰ってきた父親の壮絶な半生をドラマチックに描く。
後半はそんな父の運命と向き合い、中国に留学し、自分のルーツを辿る著者自身の話。
中国の父の故郷を訪ね、多くの人に温かく迎えられながらも、事あるごとに反日感情にさらされたりもする。
戦争は過去のことではあるが、父が中国に取り残されたのは、父の父親(祖父)が満州の軍人だったからでもある。
著者は軍人であった祖父が満州でどんな仕事に就いていたかという事実とも向き合う。
この部分は分量的には少ないが、かなり読み応えがある。
教科書的な歴史の本は嫌いだけど、一人の“残留孤児”に焦点をあてた本書は、後世に残すべき素晴らしいノンフィクションだと思いました。
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最大限の賞賛としてこの物語は井上靖氏の”しろばんば”の残留孤児版だと思った。
著者の父親がつらい体験をされたことは間違いないのだが、どこかノスタルジックな響きがあり、行ったこともない中国東北地方の情景やら人間模様が目に浮かぶようだった。(そのぐらい、文章が素敵というのもある)感動した。
後半から、娘であり著者が一人称として中国に留学、父親の故郷を訪問、日本での残留孤児や2世との交流、満州軍の位置付けの考察等々、話があちこちに飛ぶが、最後にそれぞれにそれら全てが必要だったことがわかる纏まり方をしている。
個人的には著者と同年代で、大分後だが中国にも少し身を置いてみた身としては、共感を覚える箇所がいくつもあった。特に日本人への歴史絡みの話題を振ってくる、おそらく今まで日本人とほとんど接点がなかっような人々との経験が既視感がある。(まあ自分が中国に関わったのは2015年ごろからだが)
これだけ文才があるのだから、他にも色々読んでみたいと思ったが、あんまり著作が無さそうなのが残念。
P.65
金額は一万元だった(東北流通券。のちに一万元を一人民元と換算するようになる)
P.343
何度か中国人の学生や街で出会う人に「何人ですか?」と聞かれて「日本人です」と答えていると、「日本の歴史教育についてどう思うか?」「日本の侵略についてどう思うか?」といった質問がされることがあった。彼らは自分の知識を一方的にぶつけ、こちらが少しでも答えに詰まると「やっぱり日本では教えていない」と結論づけた。(中略)
日本語学科の学生など、友人の中国人たちはあからさまに反日的な感情を表に出すことはなかった。ただ、日本との戦争について話が及ぶと皆まるで打ち合わせでもしたよかのように同じことを言った。
「日本の国民もまた犠牲者。悪いのは軍人と日本の軍国主義だ」
一九七二年の日中共同声明で日本への賠償請求を放棄した中国が、そのとき採用した論理である。
P.367
「日本人」という言葉を聞くとまるで条件反射のように攻撃的になる中国人たちの頭のなかには、常に前提として「侵略者」「憎むべき対象」「歴史を知らない」という抽象的な顔のない「日本人」像があるようだった。彼らの怒りは決して個人に向けられているわけではなく、いわば彼らの頭のなかの想像の「日本人」と、そんな「日本人」をつくった日本という国に対して向けられているのだ。彼らは自分の出会った目の前の日本人がその想像の「日本人」と同じなのかどうかを執拗に確かめようとする。まるでそうすることが中国人としての正しい態度なのだとでも言うように。ところが、そんな彼らでも、いったんその「日本人」と個人としてリアウナ人間同士の付き合いがはじまると、こんどは抽象的な「日本人」としてではなく、具体的な一人の人間として深い情愛で接してくるのではないだろうか(ただしそれで彼らの日本という国への基本的な認識が変わるかどうかは別の話だ)。私たち日本人はその二種類の感情のギャップに戸惑いを立ちすくむことになる。
P.502
私は中国と日本の政治的な��題を中国人と話すことには相変わらず抵抗があった。長い時間をかけて中国と付き合っても、それだけは変わらなかった。(中略)私が感じ、今も思うことはたった一つだけだーー私と彼らの間には、わかりあえることもあれば、わかりあえないこともある。彼らが私を変えることはできないし、私が彼らを変えることもできないーー特別なやり方など、どこにもありはしない。それでも、彼らと私の関係は続いていく。
P.514
私には、父の人生を知ることが必要だった。日本人でありながら「残留孤児の子」であり、残留孤児や二世、三世からは「ただの日本人」に見えるという「日本生まれの残留孤児二世」。そんな、どちらでもありながらどちらでもない私の「存在(アイデンティティ)」が、そうすることを求めていた。
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筆者は、本書の最終章の最後の部分で、この本の物語を総括して、下記のように書いている。
【引用】
昔、日本が負けた大きな戦争があり、牡丹江を渡ってやってきた一人の日本人が、中国人の夫婦にもらわれて、成長し、本当の両親のもとへ帰っていった物語は、いまでも、あの小さな村で、伝説のように語り継がれている。
そんな父の娘に生まれたことを、いま、私は心から誇らしく思う。
【引用終わり】
筆者の祖父は太平洋戦争時、満州での軍人であった。祖父の子供、すなわち、筆者の父がまだ幼い頃に戦争は終わり、日本は負けた。満州にはソ連軍が攻め込んできて、かの地の日本人はとても苦労をした。筆者の祖父もシベリア抑留を余儀なくされた。日本人であるだけで危険な状況の中、筆者の父親は親と離れて中国人にあずけられる。幸いに、養母にひきとられ貧しいながらも教育を受けながら育つ。この頃、筆者の祖父母は、それぞれ、日本に帰国することが出来、愛媛県の八幡浜で新しい暮らしを始める。
本書は、筆者の父親が中国で養母のもと、どのように育ったのか、そして、残留孤児の先駆けとして、日本にどのように戻り、日本でどのように暮らしたのかを記録したノンフィクションである。筆者自身も中国の、昔の満州地方の大学に留学し、中国語を習うとともに、父親を育ててくれた親族との交流を深める。
戦後間もない時期の満州での日本人は大変な思いをしたし、また、筆者の父親は、中国の戦後の、例えば、大躍進運動や文化大革命といった混乱の中を生き抜いた。そのように、一人の日本人の子供が中国で育ち、日本に帰国し、日本人と結婚し、筆者のような子供をもち、その子が、一家の物語をノンフィクションにまとめる、というのは、それ自体が一つの奇跡であると感じた。
こういった奇跡の物語に対しての、日本という国の対応に、筆者は、また、多くの関係者は深い不満を抱えている。
【引用】
軍人として「お国」のために戦い、シベリア抑留までされながら、帰国後は長い間日本の軍人としては扱われなかった祖父と、中国に残された日本人としてその半生を中国で生き、帰国後は次第に国への不信感を募らせていった父。戦争が生んだ悲劇、という言葉で片付けるにはあまりに重い現実だった。そして、その二人の人生があったからこと、私は、いま此処にいる。
【引用終わり】
そういう意味では、本書の題名は「あの戦争から遠く離れて」であるが、実際には「遠く離れて」はいない。本来、「あの戦争」の落とし前をつけるべきであった国に代わって、生き抜いてきた人たちの物語である。
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23.11.4(土)ジュンク堂「書店員がいま一番売りたい本2023」で見かけ、図書館で予約、23.11.9借りた。残留孤児として中国人養父母に育てられたけど、「日本鬼子(リーベングイズ)と蔑まれた。こんな話は山ほどあっただろう。中国人養父母の愛情の深さに感動。養母は、日本人が満州から逃げる途中、橋の上から川へ子供を投げ捨てる姿に愕然としたそうだ。そんなこともあったんだ、、、どんな気持ちで投げ捨てたのか、計り知れない。
養母との別れのシーンは泣けた、、、
23.11.13読了。569ページだけど、一気に読めた。残留孤児のニュースは何となく覚えてるけど、今まであまり詳しく知ることはなかった。そういう意味でもこの本に出会えて本当に良かった。
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心が大きく揺さぶられる深く、重く、悲しく、でも温かく、優しい素晴らしい作品でした。
満州で家族と生き別れ戦争孤児となった著者の父親の半生を著書が中国留学の経験を通して、知り、感じ、中国の義理の家族との絆も深めていきます。
著書の父・城戸幹さんは日本の国としての残留孤児の帰国が始まる前、日中国交正常化前に、ものすごい苦労と困難を乗り越えて自力で両親を探し、帰国されました。
戦争によって筆舌に尽くし難い苦難があり、同時に城戸幹さんを心から大切に育ててくださった中国のお義母さん、親戚、支えてくれた友人たちがいて、その全てに心打たれます。
著書が留学中に父親がかつていた町を訪れ友人たちに会い、「文革のとき、日本人と一緒にいて、怖くなかったんですか?」と尋ねた時、「怖くなんかあるもんか。友達は友達じゃ。民族が違おうと、心は通じているんだ」と答えた父親の友人の言葉。
日本に帰国が決まり育ての義母と別れる時、別れ難くお互い泣き続けながらも「行きなさい」と言った育ての義母の言葉。
忘れられません。
そして、著書の温かく柔らかい文章が心に染み込みました。